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暇人たちの談話

命の重さ

彼も私も、今日は、何もやる事が無い。
急に休みが入ったのだ。奇遇というか、なんというか。
暇だったので、ニュースを見て、聞こえた事について、話をする事にした。
どうやら議題は『命の重さ』になったようだ。

〚命の重さについて改めて考えさせられるような事件でした。改めて、ご冥福をお祈りいたします。さて次のニュースは…〛

字幕に、〚想像力の豊かな子供達の…〛と出ていた。

「ニュースもひどいよな。殺人の後にこういうの持ってくるか?普通。というわけで『命の重さ』について、にしよう」
正気か?なんかニュースより余計にひどい気がするぞ。
「悪かったな。確かにそうだったよ。」
なんなら、別の話にするか?
「いいじゃないか。暇なんだし、共通する話題より、こっちの方が面白いだろ?ああ、失礼。内容についていってるんじゃなくて、だぜ。」
いずれにせよ不謹慎だ。でも、命の重さは誰か曰く『1g』か『3g』っ言ってなかったか。実験で量ったんだろう?
「そっちの方が不謹慎じゃないか?比喩的にいけよ」
そうだな、すまない。しかし、何についてだ?手を洗うときに石鹸を使えば、命ある微生物や細菌達が夥しい数虐殺されるぞ。
「……俺が悪かった。じゃあ人についてに限定しよう」
そんな事言うと『また人間至上主義か』って怒られるぜ。まあでも仕方ない、そうしよう。

至って真面目にふざけていたら、脱線が多くなってしまった。たまに、戻って来ない時もある。
ふざけてもいいが、やはり、気が引けるのでといって、内容を真面目にしたら、おかしくなった。
少し省略する。

「で、命の重さって、道徳的、倫理的にどう思う」
『重さ』、というのは微妙だな。意味的に『価値』とかは含むのか?

ちなみに「道徳的、倫理的」というのは、散々な回り道の結果、ついたものだ。
やはり、話は進まない。もう数時間が過ぎた。休憩も入れた。暇つぶしの予定がすごい事になった。しかし、彼も私も、別に苦労ではない、楽しくないわけではない、と思いたい。

「まあいいや。でもやっぱし、経験しなきゃ、わかんないよな。小さい頃にさ、ある程度、ある条件で、残酷な事をした方が、かえって、大人になってからは重さが分かるって」
例えば?
「いや、人を殺せとか、罪も無い、動物を快楽の為に殺戮したり、外で生きているだけなのに気に入らないと言って、無数の虫を毒ガスで拷問死させるために、山に出向けって言ってるんじゃないよ。だからさあ、例えば、ごく小さい頃に、興味で、虫を殺してしまったとする。体液が出る。ぐにゃっとする。蟻とかが居れば、運んでゆく。解体される。居なければ、放置されて、腐る。色も変わる。腐臭もする。言ってるだけで吐き気がしてくるよ。そういう体験をしていくうちに、重さって分かるんじゃないの」
本当に『想像力豊か』だな。ああそうか、実家は農家か。それも食肉の。すまなかったな。
「いや、いいさ。そういう職業だと、こんなのは、言わなくても分かるからさ。一生懸命世話して、一緒に過ごしてきた動物が、牛が、運ばれてゆく。分かるんだろうな、きっと。もう帰ってこれない、って。涙流してさ。泣きながら、車に乗るんだ。それで殺される。もううんざりだった」
だから、肉は食べないのか。牛と違って、植物は泣かないからな。でも生きてる。
「茶化すなよ。人が大事な話をしてるのに。でも、命の重さってそういうことだぜ、きっと」
皆が皆、植物とか、ものに対しても、そう思えれば、いいのにな。
「きっと、そうだよ」

ありきたりな話題だな、と思って、初めはふざけていたが、最後にはしんみりとしてしまった。
やはり、こういうことはふざけていけないのだろうな、と、自分の不謹慎さと無神経を反省したい。


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最終更新:2010年03月10日 11:07
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