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否定の人

批判

彼は口を開けば、批評、特に否定しているような人間である。
と、私は思っていた。
そんな彼とつい先程会って話をした。

どうして君はいつも何かを批評もしくは批判しているのさ。いや、君の場合、評価というか否定しかしてない気もするが。
「ふん。別に俺だって基準も方針もなくしてるわけじゃないぜ」
ほう。なにかそういうものがあるのかい。
「基準は確かに曖昧だな。気分もあるから、確かに、何を選ぶかは決まっていない。だがな、方針はある」
おもしろい。そんなものがあるとは知らなかったな。
「俺は否定する前にまず対象については調べるんだ。その上で否定している。ただ気に入らないとかそういう理由じゃない」
そうなのか。てっきり違うかと思っていたが。
「何も知らずに、気にいらないからといって嫌うのは、おかしいだろう。俺は違うと言いたいだけかもしれないが、とにかく、俺は事情と背景、立場ぐらいは考慮している。俺がしたいのはただの否定じゃなく、根拠のある論議に近い否定なんだ。感情じゃなく理で行かなければ、それは差別で、俺がしたいのとは違う。俺がしたいのは否定だ。とはいっても対象の感情も汲み取られなければ、もちろん間主観に近づかないし、全ての感情の排除は不可能だ。それでも、自身の先入観や固定観念できるだけ無くすことができればと思う」
客観は存在せず、間主観性があるだけ、か。君らしい。なるほど、といったところだな。
「それに、俺だってあんたが考えているほど、否定ばかりしているわけじゃない。ただ、俺は物事に肯定からじゃなく否定から入る。ただそれだけの違いだろう。まあ『批評家』と呼ばれても反論はできないがな」

ただ、根拠もない否定的な目で見るのではなく、否定するなら、知ってからにすべきだ。
と、彼は言ったが、それは正しいかもしれない。
私は特に危険かもしれない。


追記
「それに批判ってのは、一方をやるだけじゃ駄目なんだ。どちらかだけを『こいつはおかしい』っていってもいけない。やるなら両方だ」
どうしてだ?
「二つを批判しなけりゃ、いや、少なくとも二つを批判するつもりでなけりゃ、偏っちまうのさ。考えても見ろよ。片方調べずにもう一方だけしか見ないのと、二つとも比較して考えるのとどっちがいい?偏れば、それは贔屓のようになって冷静さには欠けるし、それは面白くない。やるべきは、両者を、事象と感情の面で理解して、理屈で考える事さ。できれば、もっと他も見れればいい。対象の周りも」
しかし、拡大しすぎるのは良くない。
「それは拡大じゃなく、脱線だ。それ自体を見てはいない」

なんとなく、解る気がする。
しかし、どこまでが、それ自体なのかは私には理解できない。
全ての事象は、何かを、他の事象と、共有すると思っている私には。

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最終更新:2010年03月31日 22:49
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