目の前
やはり、暇なので、彼と私で、テレビを見ていた。
非常勤とは、このような時に、いいのかもしれない。
〚…統計によりますと、今年度の…〛
「統計ねぇ。今回の議題は、統計だ」
「相変わらずいい加減だな。いまいちはっきりしない」
〚…個人投資家の…〛
「じゃあ、統計と個人だ」
どっかの政治家みたいだな。一人の死は悲劇でも、いや、一人の死は悲劇だが、大勢の死は統計上の数字にしかならないっていう発言に似ている。そして相変わらず、不謹慎だ。
「確かに。反省すべきだったな。でも俺は、例え、人数が多くなろうとも、それは統計じゃないと思うんだが」
どうしてさ。あれは、人間の考える、いや、具体的に考えられる領域を超えた場合の状態を表す言葉だろう。
過程は飛ばした。
話題がずれていくのは、いつもの事である。ちなみに先程の話題は結論が出なかった。結論が確定する訳でもなかった。
じゃあ、個人を統計としてみる事は可能か?
「どういう意味だ」
つまり、個人を個人として見ずに、生きていない数字として扱い、扱うことは可能か?
「可能かもしれない。無差別殺人はそうだろ?」
まあそうだな。昔は良い電気屋があった所で起きた通り魔事件もそうだ。今は見る影もないが。
「いや、俺が知っているだけでも、君の求める店はまだ多少は細々とある」
そうなのか。行ってみるかな。しかし、ああいった場所は近寄りがたい。あんなに密集する利点はあるのか?
「で、本題に戻すと、無差別殺人や面識がない時の殺人は個人としてみていないからできると主張したいのか」
まあいいさ、主張というほどでもないが、そういうことだ。ちなみに行為は殺人に限定しない。
「ならば、あるんじゃないか。中には『でも、それをされるのは、俺じゃない』という理屈の持ち主もいるだろうが」
それは除外する、論外だ。そういう思想でない人物が、何らかの原因で、個人を数字として見た様な行動を取るようになるかが論点だ。
「でもありうるだろ?で、あり得るとすると、彼らは、目の前の人間を、生きている人間としてではなく、そうだな、どうでもいい物としてしか見れていない訳か。もちろん彼らは『木石にも魂が宿る』とは思っていない前提で」
たぶん、どうでもいい物なんてのは、存在しないと思うのだがな。道徳的に行かなくとも、理論的に考えても、そんな気がするが。
「まあそれは知らないが」
そんな会話を、またしていた。
どこに行きつく事も無いが、このようなことは気になるものだ。
過程
今回は、もう少し、現実よりに、議論した。
その比喩も違うのかい?
「比喩については否定しない。でもなあ、あれは、たぶん実際に見てないから言えるだけだな、きっと。あれは、まだ、個人でも扱える領域の話だ」
なぜそう言える?感覚の麻痺しない人間はいないいし、もしくは壊れるはずだろう。まあそういう嗜好の人間も確実にいるだろうが。
「そうじゃない。あれは、全体だけを見て、個人を見ないから統計になったんだ。紙の上で、何の写真も絵もなく、手書きでもなく印刷で、『あなたが余計に食事をすれば、10人分もの食料を奪ったのと同じで、彼らは死にます』って書いてあっても、本当に現実味を持っては、そう思わないだろう。いや、思えないだろう。その文章にとりあえずは従うかもしれないが、実感が湧かないんだ。でも、もし、その10人に会って、話を聞いた事があれば、状況もわかる。いわゆる生身の人間が浮かぶ。もしその人間が、痩せ細って、今にも死にそうで、もう子供なんか、栄養失調で倒れそうな状況だったら違うよな。体なんか骨と皮で、腹に水分が集まっているような状況だったら。『あんたが命令すれば、100万人が死ぬ』って書いてあっても、同じだ。100万人でも一回会って話をして、個人として認識していれば、抵抗は少なくとも生まれるはずなんだ。焼却炉で燃やされていく生きている人間の悲鳴を、断末魔の叫びを、奴は聞いてなかったのじゃないか。目の前では。だから、あんな命令もできたし、あんな事も言えるわけだろ」
それはそうである。ちなみに手元の資料では、一度、ガスによるユダヤ人の虐殺を見ただけで、他は何も見ておらず、虐殺実行部隊の実際に虐殺する部門ではなかったそうだ。何十人と見ていれば違っただろうか。それとも、自分の権限や権力に酔ってしまっただろうか。
彼は、彼の言い分では、実際に、ガスによる虐殺を一部見て、正視できなかった、といって、上司や司令官に―まあ口上は知らないのだが―抗議したらしい、とされている。虐殺決定会議でも、卓上に座っていただけだったそうだ。でも、その後の、いくつかの虐殺に関する会議では議長も務めたのだから、罪がないなんて事はいえないといってもいいはずだ。後には命令を無視してまで―おそらくは自分が戦場に行きたくないという気持ちで―虐殺を行っているし、死の場所に送った事を、自慢できる仕事のように思ってしていたらしい。一度、彼は聞いたにも関わらず、してしまったわけだが。そして、彼はユダヤ人を憎んでいたわけでもなく、友人もいたらしい。しかし、彼は凡人だった。虐殺趣味があるわけではない。証言を信用するのならば、我々も、同じ穴の狢かもしれない。
「だとしても、奴は大部分、様子を見ていない。様子を見ていれば違ったはずだ」
あまり見ていなかったのはたぶん確かだ。だから、何も感じずに、幾千の何十万の人々より、自分を優先できた。たぶん、小分けにして、全体だけか、一部だけしか見えなくなると、自分にとって都合の悪い事は何も考えなくなるんだ。人間とは、そういうものなんだろう?君が言うには。我々だって、あるものが揃ってしまえば、虐殺の司令官になってもおかしくはない。だからこそ、恐ろしい。奴はあまり見ていなかったが、桁が変わっても、同じ事にならない保証はない。
「しかしだな、目の前で、人間が、悲鳴を上げながら、殺されていくんだぞ?やめないと言えるか?何人も、何千人も、何万人も」
それはそうである。しかし、実行部隊の場合、感覚を麻痺させなければ、精神が死んでしまうだろう、というのもある。彼は本当に見ていなかったのだろうか。
言うだろう。しかし、『ではあなたが殺されるか?』といわれたら、究極の選択に近い。私には、言えないかもしれない。しかし、止めてくれとは思う。それか、精神が壊れるかのどちらかだ。
「そうだろ。奴は現実を直視しなかった、そうだ。だからできたんだろう?逃げていた面もあるんじゃないか。君だって学生時代を思い出してみろよ。今は納期に間に合わせなきゃ解雇かもしれん。でもあの時は違って、さぼる事ができた。学校は、多少の、もしくは大分でもある程度までの遅延だけなら、浪人にはできても、退学にはしない。宿題をやるのが嫌でさぼって、遊んで、やるのを後に回す。さぼる事を逃避、遊ぶ事を命令の遂行、宿題は、実際の戦闘と戦後の裁判とその結果の死刑とそれぞれ置き換えればいい」
違うとはっきり思うのだが、訂正はしなかった。表現がなかったのだ。
「…だからじゃないか?奴ができたのは」
いや、まだ欠けているな。彼は命令されていた、という点だ。ちなみに、国家行為の法理を考えるなら、戦争指導者は罰されない。いくら、感情に反しても法はそうだ。まあ、法だって正しいとは言えないが。
「命令についてはそうだな。法については、武器と薬の没収とか飲酒運転辺りを見れば、世論と感情が法を支配する、って結論になるんで、それはまた次だな。命令か」
それなんだ。6次の隔たりの博士や監獄実験の学者が言っている事は、あの彼に当てはまるのか。それに監獄実験への―『自由からの逃走』で有名な研究者が書いた―『破壊―人間性の解剖』の批判は正しいのかって事もある。いや、書名も内容もかなり前にさっと読んだだけだからな、これで合ってるかは分からないが。
「君の『かなり前』というのは、相当に昔だからな。まあいい。内容とかは正しいとしよう」
ああ、でも、この場合、一般的に起こるか、という点でなく、特殊な状況で起きるか、であるから―その学者の解釈はどうか分からないが―むしろ、彼の場合には、より近いのかもしれない。あの実験も彼の行動もかなり異常な状況で行われたものだったはずだからな。通常ではありえない。
「そうだな。で、そうすると、ある程度、誰でもなりうるわけだ。でも、彼が悪くない証明にはならない。というか、誰でも悪くなりうる、という結論が残るだけだ」
最終更新:2010年04月01日 10:21