軸と他人
彼は一介の公務員らしい。
職種は知らないが、どうやら連日電話での対応に追われているらしい。
その彼と話をした。
「四月一日も過ぎたな」
冗談の日か。
「あれは嘘をついていい日とか言ってるけど、重い被害が出たりするような嘘はつくなって事になってるんじゃないのか」
まあ、発祥の地ではそのはずだがな。何か被害でも出たか?
「あの日に限った事じゃないな。悪戯電話あたりがひどい。この前なんか『あなたそんなに暇なんですか』って言いそうになったよ」
事なきを得たのか?下手をすれば、いい結果にはならないぞ。一応、そういった職場だからな。
「言わなかったけどさあ。自由とか言って何でもやるのはおかしいだろ」
そうだな。自由とか言えるのは、まず、先に制約があるからだろう。原理的に。
「そうなんだよ。そりゃあ、未成年の方々の教本には、よく資料集とかで『権利は神に認められた、生まれつき、人間固有の権利である』とかあるかもしれませんよ。でもね、我々宗教を認めない立場の人間からしたら、そりゃ困るんです」
まあ、そうだろう。神の存在証明は、社会に認められる形では出ていない。というか、死んだかいない事にされている。
まさか、公務員が対応の電話で『あなたは神を信じますか』とは言えない。その領域には触れられない。
「で、我々の立場から見ると、『権利とは、お互いの承認と規則の上に成り立つものである』であって、『規則を守れない人間は、法律に従って罰される』じゃなきゃ困るんです。教本には『生まれつき持っている訳では断じて無い。または人間であるからという理由で認められるものなどでは決してない』って書いてもらわなきゃ、困ります。ああ書けるのは、宗教が浸透してる国ですよ。日本みたいな、国民が宗教に対して不信感を募らせてる国なら、資料としてだって載せないべきだ。って思うんだけど」
要は、守れない人間に権利は無い、と。もっと言えば『犯罪者に人権無し』か?
「いや、そこまで極端にすると、民主的な面とか福祉面に反するから駄目なんだと思う。というか、そこまでやると、昔に逆戻りだ。冤罪も困るし、どれが罪か決める人間が王様になっちまう」
でも、面白半分でやる連中は罰されるべきだと。
「ハンムラビ法典みたいにされれば良いのに。悪戯電話をかけたら、自分も同じ立場で対応しなきゃいけないとか。そういうのでもできれば、とは思う」
自由と権利は、規律でできている。とでも言いたそうだな。
「そう言いたいよ。だって、お互いに、っいう約束で、社会は作られてるんだし。法律ももう少し軟らかく臨機応変に対応できれば良いのに」
法律は守るもので罰するためにあるものじゃないがな。まあ、守る対象が国民とか非の無いものとは限らないだけで。
「理不尽な気がするなあ。自由と権利はただじゃないのに」
自分がやって欲しい事を、まず、他人にやれ。
これが通っていれば苦労しないのに、といって帰っていった。
いつの時代も苦労するのは末端だ、というのは正しいのだろうか。
最終更新:2010年04月02日 18:30