重さと軽さ
彼はかく言った。
「死にたいって言うならまず、下見に行って来いよ。どうせ死にたいなら下見で死んでも本望だろ?」
彼はよく、他人がそういうのを聞くらしい。であるからか、そんな物騒なことを言うのだ。
そして、その度、こういってやりたくなるらしい。
いささか物騒だな。機嫌でも悪いのか。
「そうじゃないな。本当にそう思うのさ。言っていることをやってみろってな」
極端だ。話は聞いてやったのか?
「そうじゃない。程度が違う。面白半分でふざけてるだけだ。間違いない」
それはそれは、どうしようもない。まあ、彼らにも考えはあることを期待するしかない。
「違うな。考えてなどいない。実際に自分の肉でも切れば分かるのに。いや、切り落とすなんてことはしなくていい、少し表面だけでも傷つければ、痛みが分かるだろうに。文字通り血を流せば。自分のな、他人のじゃないぜ」
物騒で、極端で、危険だな。そんなに思うことがあるのか?
「近頃こう思うんだよな。実際にやったことが無いから、あっさり死ぬとか死ねとか言うんだろうって。だって実際にどうなるか分かっていれば、そんなこと軽々しく言わないだろ」
もしくは命の比重が軽いのかもな、その人間の中で。
「実際に殺されかけてみればいい。生きたいと思うだろうよ。大抵は。俺は殺されかけてことは無いし、されたくも無いが」
そうだな。軽いと思うなら、やってみればいい。知識より経験が大事かもしれないな、他にもそういうこともあるだろうが。
「そうなんだよ。最近は死を隠そうとしすぎだ。俺が食べたものだって、君の夕食にされてしまったものだって、生きてたんだ。切り身なら、食べ物で、形があれば死体だってのはおかしいよな、全部死体だし、そうでないように見えても、それは殺されてるんだ。殺されたくないと逃げ回っている生身のそれや、もう逃げられないと悟って悲しそうにしているそれを、殺したのを食べているんだ。誰もそれが見えていない」
悲しそうに、か。猿の頭か。豚や牛や鶏も、体だが、そうだな。魚だって、植物だって、それ以外だって、生きていることに変わりは無い。
「たまには、人に置き換えて考えてみろよ。例えば、魚の顔に人の表情が付いてみろよ。酸素が無くて窒息、苦しいだろうな。例えば、烏賊や蛸の足でもいい。指が付いていることを想像してみなよ。グロテスクだろうなあ。そんなことをして生きてるんだぜ。何がダイエットだ、文字通り死んでしまえ」
だいぶ酔ってるな、発言が危険だぞ、気持ちは分からなくないが。確かに男女問わず、そんなことは誰も考えず、もの、を食べてるんだろうな。いきもの、でなくて。だから、いくら死のうが毒ガスを撒こうが、良心が痛まないんだろうな。
『そして、合理的でもない』
そこに、彼がやってきた。会社員の彼である。
「珍しいな。三人揃うとは」
確かにそうだ。
『でもそうだろう?』
そうだな。結局は生物濃縮とか土壌から、自分に返ってくるのさ。もしくは子孫に。
『君のような因果応報論は唱えないが、殺虫剤とはいえ、成分としては薄めた毒に過ぎない。農薬、特に除草剤もそうだろう。他にもあるが』
「そうだよなあ。そう思うよ。それに、個人宅で、殺虫剤を缶一本二本も振りまくのは頭がどうかしてる。俺は、したことはした奴に帰っていくと思いたいけど」
『もうそろそろ、飲むのはよせよ。運ばれたいのか?』
「わかったよ。でも、どうせ毒をとるなら一緒だろ。あくまでも、迷惑さえかけなきゃ」
『そこだけははっきりしているな。安心した。で、君はどう考える』
まあでも、成分的にはそうだろうな。毒薬だ。むしろ劇薬だ。
『だろう?非合理的だ。添加物も相乗毒性が分かっていないんじゃないのかい?耐性ができるかもしれないとはいえ、あれも毒だ』
そして一人は酔いつぶれ、結局二人でいつものようなことを話していた。
後になって考えると、私も、どうかしていたような気がする。
しかし、こういう話も、正しいところがある気がしてならない。
体験しなければならない、とは言わないが、せめて、想像して接することは必要だと思う。
我々は死体の上に立っているのだ、そんな言葉が浮かぶ。
最終更新:2010年05月04日 22:50