ワイルドセブンの煙草を口端に咥え、眼下に会場を見下ろして佇む聊か老けた少年の姿があった。
ボクサーか何かを連想させる強靭で大柄な体つきもさることながら、無精髭まで生やしているその姿はお世辞にも中学生のものとは思えない。さっぱりとした刈り上げ頭で夜風を感じながら、躊躇うことなく川田は煙草へ付属のライターで着火した。
普段の彼ならば、間違えてもこんな行動には出なかったに違いない。隠れる場所の凡そ殆どないといっていい学校の屋上ではあるが電子ライターの着火音を無警戒に鳴らし、更には煙草の煙を出して態々居場所を誇示するような真似なんて、川田章吾の経歴と人柄を思えば絶対に有り得ない“迂闊”である。
もちろん彼も自分が愚かしい行動に出ていることは百も承知だった。だが、今はどうしても煙草が吸いたい気分だったのだ。体に悪い紫煙を胸いっぱい吸い込んで、この混線した頭の中を整理したかった。
恋煩いでもしたかのように胡乱な目つきで景色を見据え、時折ふうと煙を吐き出す。支給品の貴重な一枠ではあるが、気分をある程度落ち着かせてくれる嗜好品があったのは素直にツイていたなと川田は思う。
いよいよ紙巻が短くなってきて、名残惜しさを少しばかり感じつつ已む無く吸い殻を靴底で揉み消した。余韻だなんて風情を語れるほどヘビースモーカーではない。彼の胸中を占めるのは、虚無感と呼んでもいい感情だった。
「二度あることは三度ある……か。先人の諺ってのも案外馬鹿に出来ねえかもな」
皮肉るように川田は笑う。
徐ろに口にした諺こそ、今の彼の境遇を的確に表していた。
―――そう。
川田章吾にとって今回の“プログラム”は、三度目なのだ。一度目は優勝した。二度目は信じた二人へ望みを託し、本懐こそ果たしたもののそこで息絶えた。故に当然三度目は有り得ない。しかし、今川田は確かに此処に存在している。
死人が生き返るなんて話を聞かされたとして、川田ならまず間違いなく笑い飛ばす。夢見るお年頃も大概にしろよ、そんな夢物語が許されるのは夢の中だけだぜと皮肉の一つも漏らすかもしれない。
が、今後彼はそれを否定出来ないだろう。何故なら、自らの身体で“死者蘇生は現実にある”ことを証明してしまったからだ。
「俺は確かに死んだ筈だ」
確かめるように、敢えて口に出して言う。
桐山和雄との交戦で受けた銃創が、川田章吾の命を奪い去った。
実は気絶しただけで、本当は一命を取り留めていた? ――馬鹿を言え。
死んだことなど無いものだから偉そうには語れないが、あれは確かに死んでいく感覚だった。
全身の力が徐々に抜けていき視界が霞み声が震え、奇妙なほどの寒さが襲ってくる。
なら、どうして俺はここにいる? 解答はない。知っているとすれば、同じく死んだ筈なのに生き返っている連中か、いけすかない坂持の糞野郎くらいのものか。ここで川田はもう一度、支給された
参加者名簿に視線を落とす。
桐山和雄、三村信史。そして自分。更には“プログラム”の監督役を務める坂持金発。占めて四人といったところか。少なくともこの四人に関しては、間違いなく死んでいる。三村については何か小細工で誤魔化していた可能性があるとしても、桐山と坂持は川田も死体を確認しているのだ。あれで生きているとしたら、二人共人間をやめている。
人間を、やめている。
何気なく思い浮かんだワードに、川田は苦笑を禁じ得なかった。
「案外、そうなのかもしれないな」
苦楽を共にしたクラスメイトと殺し合う、比喩抜きでこの世の地獄としか思えない絵図の中に散った存在。それはもう、生死に関わらずある種人間とは呼べないのではないだろうか。特に自分などは、既にこの手で何人も命を摘んでいる。
次に川田は自分の左隣に並んでいる、二人の戦友の名前を見やる。七原秋也、中川典子――二度目の“プログラム”から生きて生還した彼らまでも、再び参加者として殺し合いを命ぜられている……自然と名簿を握る力が強くなる。
坂持はやはり許せない。聞きたいこともあるが、それ以前にあいつを生かしておきたくないと心から思える。喉を鉛筆で貫いても生き返ってくるんなら、今度はあのムカつく薄ら笑いを割れた生卵みたいに粉々にしてやるまでだ。
殺し合いには、乗らない。
前回と同じスタンスで動くことを川田は迷わず決断する。
言っても、全員と仲良しこよしで生還を目指そうだなんてことは当然考えていない。
桐山のような乗った奴や危険な奴については、容赦なくあたっていくつもりだ。まして、今回はこれまでの“プログラム”と毛色が違うイレギュラーケースなのだ――注意を払うに越したことはないだろう。
“プログラム”……正式名称「戦闘実験第六十八番プログラム」とはそもそも、全国に数多存在する中学校の内1クラスを用いて行う殺し合い。だがもうお分かりの通り、この“プログラム”には学校学級どころか国籍すら異なる人物が混じっている。
どだいからして破綻している。それに加えて死人が生き返っているという奇妙な現象、この二つを加味すれば幼い子どもだって不審さに気付く。川田も当然すぐに気付いた。ひょっとすると今回のは、そもそも目的からして違うのではないかと感じた。
坂持も元死人。自分、桐山、三村の三人も同じく元死人。とくれば、他の顔も人柄も知らない奴らの中にも一度死んで、それから蘇った“元死人”が混ざっているとしても何らおかしいところはない。
いや、この際死人云々については度外視するとしよう。そんなオカルトめいた話をいくら真剣に考えたところで時間の無駄だ。とにかく此度の殺し合いに限っては、運営する側が政府ではない可能性も踏まえておくべきだろう。
となると、動き方も少し変わってくる。かなり先を展望した皮算用だが、坂持の目を欺いてあちらさんの本拠地へ突入してからそれを制圧し、島を脱出するまで――変わると言っても、恐らく自分達にとって都合のいい形で。
長い目で見れば、状況は決して最悪ってわけじゃない。
言いながら川田はデイパックから無骨なシルエットを慣れた手つきで取り出した。
スミスアンドウェッソンのチーフ・スペシャル。なかなか優秀なリボルバーだ……鉄火場を共にする得物としちゃ申し分ない。弾薬を詰め、西部劇のガンマンがするようなおちゃらけた様子で構えた後――身体を勢いよく反転させ、屋上の入り口へリボルバーの銃口を向けた。扉は閉まっているが、川田はその向こう側に誰か居ることを既に察していた。
「隠れてないで出てきな。ほんの少しだが、さっき物音がした。俺が言えた義理じゃないが、迂闊だったな」
返事は返らない。
不気味なほどの静寂の中、川田はしかし続ける。
「俺は殺し合いには乗っちゃいない。お前もそうだっていうなら俺達は仲間だ。ただ、そうでないならとっとと消えな。向かってくるってんなら相手してもいいが、命は大事にするもんだぜ」
「……いや、その必要はない」
がちゃり――ノブが回り、端正な顔立ちの少年が扉の向こうから現れた。
川田はふっと笑いつつ銃を構えたままだ。
もしその気なら言った通り交戦するつもりだった。
が、少年は小さく両手を挙げてから言う。
「僕も君と同じだ。“プログラム”だか何だか知らないが、とにかくこの殺し合いから脱出しようと考えている」
「……信じていいな?」
「ああ。僕は嘘は付かないんだ」
「どうだかな」
憎まれ口を叩きながら、川田は素直に銃を下ろす。
いくら何でも腹の中で何を思っているかまでは流石の川田だって分からないが、目の前の人物からはどこかカリスマにも似たものを感じた。桐山のそれに比べたら劣るかもしれない。只、一先ず話をするくらいならいいだろうと思えた。
絆される川田ではないし、怪しいと思ったら見放すか最悪切る覚悟はできている。
「お互い災難だね。僕も最悪の気分だ。何しろ嫌な出来事があった矢先にこれなんだから」
「そこについては同感だな。ようやく休めるかと思ったんだが、どうも神様ってくそったれは俺に仕事をさせたいらしい」
少年の様子を見るに、本当にあまり機嫌は良くないらしい。
事態が事態だけに切り替えてはいたが、余程腹に据えかねることでもあったのだろう。
これが束の間になるか、ゲームを通してのになるかは分からない。
しかし同行者なことには変わりないのだ、まずは名乗るところから始めよう。
「俺は川田章吾。死人あがりの碌でなしだ」
偽名を使うまでもない。川田は余計な一言を付け加えて名乗る。
少年は川田の名前を聞くなり、逡巡することなく名乗り返した。
「僕は浅野学秀。宜しく、川田君」
なんだかガリ勉みたいな名前だな、と川田は思った。
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川田と浅野の情報交換は実に簡潔な、言い方を変えれば手際のいいものだった。まずお互いの支給品を確認し、それから知り合いの情報から危険人物か否かについてまで情報を共有する。
これについては幸いな事に、桐山和雄以外に取り立てて騒ぐ存在は居なかった。浅野にとっては忌まわしいE組の劣等生たちのことは一概に言えない部分もあったものの、概ね乗らない方向に動くと見ていいだろう。
次いで支給品。浅野は傑物と呼ばれる神童少年だが、そんな彼でも本物の銃を扱った経験などない。やれば出来るだろうが、少なくともデイパックに収められていたベレッタAl391……所謂散弾銃なんてものを扱うのは走りすぎている。
そこで、銃の扱いに長けた川田と交換することにした。リボルバー拳銃なら経験の少ない素人でも及第点程度に扱うことは出来る筈だ。使う機会なんて訪れない、そんな日和った考えを浅野は当に捨てていた。
殺し合いに乗らない人間が、27人の中に一人もいないなんて絶対に有り得ない。そこについては川田も同意見だった。彼が参加した二度の“プログラム”に比べて人数は多少減っているものの、殺人者は確実に現れる。
川田は、自身の体験した“プログラム”の話を所々ぼかし、短く纏めてではあるが浅野へ聞かせた。桐山和雄という男の脅威性を語るのに手間を惜しんではいられないと思ったし、七原と中川のことを信用させておきたかったのもある。
暫く黙って聞いていた浅野は、川田の話を聞き終えるなり、感想を述べるでもなくこう言った。
「川田君。君は……何を言っている?」
「……何だと?」
「“プログラム”なんて話、僕は今初めて聞いた。それに……大東亜共和国とは何だ?」
がつん――頭を金槌か何かでぶん殴られたみたいな錯覚が川田を襲う。
何を言っている、と問いたいのは川田の方だった。浅野は、こいつは何を言っているんだ? こんな状況下でふざけてるのか? だとすれば風刺の効いた突っ込みでも返してやれば満足なのか?
さしもの川田も混乱を禁じ得なかったが、浅野の様子に此方をからかおうという意図は見られない。
第一出会って十数分の間柄だがこの少年はそういうキャラクターではないと分かっていた。コミュニケーション能力は持ち、冗談に軽い冗談を返すくらいの社交性も持ち合わせている。しかし分別を弁えている――とすると、彼は本当に知らないのか?
「……オーケイ、オーケイ。ちょっと待ちな、俺も頭を整理する」
疑ってかかるのはとりあえず止めだ。
だが、自分の生まれた国名を知らないままこの歳まで生きて来られたわけがない。大東亜の外側に、まったく別の発展体系を確立した国か集落でも存在すると置けば辻褄も合いそうなものだが――
「もう一度聞くぜ、浅野。お前は“大東亜共和国”を知らない、合ってるな?」
「ああ。僕は生まれも育ちも日本人だし、そんな国は地球上に……歴史上を漁ったって存在しないはずだ」
「俺は大東亜の人間だ。でも参ったな、俺も日本なんて国は知らねえ」
――、何ともいえない空気が流れる。
互いに互いが真実しか話していないのは感覚で分かった。
ならば何故、噛み合わないのか。
浅野の感覚からすれば、“プログラム”などという陰惨な実験が現代日本で罷り通るはずがないと断言できる。政府が独断で遂行しようものなら国民も大反対するだろうし、最悪様々な国家連携の解消に到るかもしれない愚かしい試みだ。
それどころか自国に何のメリットも存在しないときた。それこそ人権蹂躙のよく出来たファシズム国家か鎖国国家でもない限り、現実的ではない。しかし川田章吾という男は、その信じ難い催しを過去二度も経験しているというのだ。
「堂々巡りだな、このままじゃ」
肩を竦めて川田は言う。
結論は出ないだろう。川田も浅野も、己の常識観で考えたなら相手の言い分は到底信じられない。
片や隣国も真っ青の全体主義国家、片や夢の国か何かにしか思えない自由の存在する民主主義国家。
大東亜と日本――同じなのに、悲しいほどに異なった国に生きている二人。
そこでオカルトの理論を持ち出すほど彼らは夢見がちではなく、同時に柔軟性に欠けていた。
「とりあえずこの話は後にしよう、川田君。心配するな、君が嘘を言っているとは思っていない」
「同感だ。ニワカには信じられないが、そっちもきっと本当のことを喋ってるんだと思う」
不毛な議論と分かれば、すっぱりと切ってしまうのが得策だ。
こういうところを潔く割り切れるのは、やはり彼らの強みと言えるだろう。
「……それに。収穫はあったさ、今の会話からもな。薄々妙だとは感じてたが、どうも今回はきな臭い」
「十中八九裏があるだろうね。君の話を聞いた後では尚更そう思える。厄介なことになりそうだ」
地面へ広げた支給品をデイパックへ仕舞い、武器だけを携帯する。
現時点で可能な話は全てした、後は実戦で集めていくしかない。殺し合いに反対する者、信用の置ける知り合いを勢力に加えていきつつ乗った連中、危険な奴を見抜いて排除していく。そうすれば、自ずと打開の活路は見えてくる。
当面はこのE-5……学校を拠点とする算段だ。籠城ではないが、禁止エリアに指定されるまで建物の中で万全の準備を期しておくのも悪い選択肢ではなかろう。危険人物の迎撃にも役立ちそうだ。
「それじゃ短い間だがよろしく頼むよ、浅野。このくそゲームをとっとと打ち砕いて帰るとしよう」
「こちらこそだ。この僕にこんな狼藉を働いた落とし前は、必ずつけて貰う」
ここに、中学生離れした中学生たちの同盟が締結された。
【一日目/深夜/E-5 中学校】
【川田章吾@バトル・ロワイアル】
【所持品:基本支給品一式、ベレッタAl391@現実、ワイルドセブン1カートン@バトル・ロワイアル、ランダム支給品1】
【状態:健康】
【スタンス:対主催】
【浅野学秀@暗殺教室】
【所持品:基本支給品一式、S&Wチーフ・スペシャル@バトル・ロワイアル、ランダム支給品×2】
【状態:健康】
【スタンス:対主催】
【残り27人】
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川田章吾 Next:[[]]
浅野学秀 Next:[[]]
最終更新:2014年06月19日 19:18