Paludisme / 1 ―



火が好きだった。

煙草の煙が肺に染み渡る。
世の中の大人はなんでこんなマズイものを吸うのか全く理解できない。
しかし、社会に対しての反骨心のようなものが煙草を吸う理由の一つだ。
あの狂った男が吸っていた銘柄とは違うと思われる安物の煙草。
そもそもあいつがどの銘柄を吸っていたのかは知らない。
俺のすべてを狂わせたあの放火魔。
事件当時には大火災として大きく取り上げられ、今でもネットで調べればすぐ出てくるだろう。
その事件の犯人の真似事をしている。


10年前、当時は自分はまだ幼稚園に入ったくらいの年齢の時、火事にあった。
家が燃え、両親も燃え、そのこと自体は殆ど覚えていない。何しろまだ4歳だ。
覚えていない記憶など、俺には関係の無いこと。自身の事であっても他人が語る思い出話である。

ただ、全てが燃えるその真っ赤な風景と、全てが焼けるその温度は今でも鮮明に思い出せる。

炎が美しかった。ぱちぱちと弾けるような音、煙と人の油の焼けるにおい、肺にまで達した温度。
おそらくそこで人でないものになってしまったのだろう。生き残ることが出来た。生き残ってしまった。
その時から、10年の時を得ても、いまだに炎に囚われ魅入られ続けている。


ガード下の金網で囲われた空間で座り込みながら紫煙を燻らす。
人通りも少なく、未成年が煙草を吸っていても咎められることは無い。
金網は一部が無造作に破壊されており、ゴロツキのたまり場として利用されているらしい。
壁にはスプレーアートなのか落書きなのか判断に迷うイラストと文字が描かれている。
煙草の吸殻やビールの空き缶がそこらじゅうに落ちており、治安の悪さを暗示させている。
既に日が落ちた時間であり、サラリーマンを乗せた電車が轟音と共に現れ車内灯で車道を照らしだした。
そこで無意味に時間をつぶし、フィルターを転がしながらただ煙草を吸っている。
煙を吸っている。火を吸っている。

火を。
吸って。
むせた。

煙草を吸い慣れていないのは自分でも理解してるのだが、思いっきり咽てしまった。
呼吸を整えるのに結構時間がかかる。
指に熱さを感じたと思ったら煙草が半分ほど灰になっていたので、その吸殻を無造作に投げ捨てた。
元よりポーズで咥えているのもあるし、何よりライターを所持していない。
そのため次のタバコへは手が伸びることはなく、さっさと帰路に就くことにした。
音楽プレイヤーを操作し、イヤホンから洋楽が流れ始める。缶コーヒーのCMで流れていた曲だ。
R&Bの力強いサウンドの中にファイアという単語が繰り返される。
この曲を聴いて、そのままアーティストのファンになってしまった。
どちらかというとロックのような荒々しい曲の方が好みなのだが、音楽に強いこだわりはない。


都市部においては暖房器具が充実しているせいか、暖を取るための火に出会う機会は少ない。
専ら街で見かける火種は煙草関係である。
少なくない人通りの中で歩き煙草をしている大人たちが通り過ぎる。
この市では歩き煙草は禁止されているような気がするが、誰もそれを咎めようとしない。
通行人はそれを完全に無視するか、煙に機嫌を損ねながらも黙殺するのだろうが。
その火が近づいてくる。
動悸が激しくなる。さっきまで自分が咥えていた煙草の先についている火。
火口が赤くなるたびに、その温度が鮮明にイメージ出来てしまい、それから目を離せなくなってしまう。
すれ違い様に煙が顔にぶち当たり、思わず咳をする。
判りやすいトラウマに引きずられていく自分の反応がバカみたいに思えてくる。
いや、多分、克服したとはいえ未だに炎が怖いのだろう。
どうにかなってしまいそうな火への執着。自分の人生を真っ赤に染め上げた現象。
何もかも燃やしたくなる。ただ、快楽のためだけに全てを燃やしたくなる。
モノが焼ける匂い、モノが焼ける温度、モノが焼ける風景。
炎を消そうとするモノたち、炎から逃げ惑うモノたち、炎により無残な姿になるモノたち。
自分が自分でなくなる感覚。

堪らない。

小学生のころ、夢は、焼死体になることと書こうとしてしまいそうになったことがあるほどの感情。
熱くて、痛くて、息も出来ずに、苦しんで死ぬんだろうなぁと思うとわくわくしてしまう。
そんな羨望と妄想を織り交ぜた思いを胸に、怠惰で色気のない日常に沈んでいく。

そんなハードボイルドを演じているつもりの気分の時に、変な男と出会った。


褐色の肌の男だった。
髪は長く、左サイドはB系の髪型のように編んでいる。モデルのような細長い体つきをしていて背も高い。
半袖の柄シャツに丈の短いジーンズを腰履きにしていて、非常にラフな格好をしている。
全身にシルバーを基調としたアクセサリーを着けていてる、全体的にシンプルに纏まっているが、多い。
両指にすべて指輪をはめており、耳には大量のピアスリングをはめている。
センスがいいのだろう、ジャラジャラとしているが、あまり下品な印象は無い。
ひときわ目立つ特徴としては右顔と右腕には刺青が大きく描かれている。
右脚にも少し見れることから右半分に刻まれているのだろう。
なんにしろ、目立つ男だった。

「ねぇ、君。」

唐突に声を掛けられて吃驚した。柔らかい、良く通る声。
あまり見知らぬ他人から声を掛けられることも無いのもあるが、日本語を喋ってきたことにも驚いた。
だって見るからに日本人では無い。黒人さんにしてはさらさら髪だが、黄色人種以外は基本外人さんだ。
偏見交じりだが、外人さんが日本語をカタコト以外で喋る事は酷い違和感を感じてしまう。

「見える人だよね。でっかい蚊見なかった?」

何を云っているんだ、こいつは。
と内心思ったが、口には出すことはなかった。ただし、表情には出てしまったと思う。
見える人?蚊?季節は春先だ。夏にはまだ早いし、幽霊を見た記憶もない。
関わり合いにならない方が良い。
直感的に感じ、無視をしてさっさと仮住まいへ帰宅しようと男から目を逸らし別の方向へ歩いていく。

「あらら、フラれちゃった。まぁ別に構わないんだけどさ。ただ、気をつけなよ。

この街、燃えていくぜ。」

燃える。その単語を聞いた瞬間、心臓がドクンと跳ね上がった。
一瞬だけ頭が空白になり、イヤホンを着けているハズの耳から何も音が入ってこない。
この街が燃えていく。
感情が暴走する。恐怖を感じる。期待。歓喜。鳥肌が立つ。悪寒が走る。
「街が燃えるってどういう・・・」
男に問いかけようと振り向いた時、すでにその姿は影も形も見当たらなかった。
狐につままれたような、白昼夢のような一分に満たぬ邂逅。
相手からしたらどのような意味でその言葉を放ったかは判らない。
今思うと、こちらを"超えし者"として認識しての発言のような気がしてきた。
多分、親切心だの何かしらの理由の忠告なんだろう。逃げようが関わろうが自由にしろというスタンス。
心臓が煩いほど鳴っている。口は乾いて、喉が水分を欲している。今、言葉を発することは困難だろう。
街が、燃えるたったこれだけの単語。
しかし、この街が薄暗く閉じこもったディストピアから希望に満ち溢れたユートピアに変わっていった。

気が付いたら、歪な笑みを浮かべている自分が居た。


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梅酒 SS
最終更新:2013年05月08日 00:26