第10話「聖剣の騎士Ⅰ」
――四日目 AM5:15――
機動六課に出撃要請が下ったのは、太陽が昇り切らないほどの早朝のことだった。
はやては執務室のデスクに腰掛けるなり、画面に要請の内容を表示させた。
ぼうっとした眼といい、頭の横で跳ねた髪の束といい、明らかに寝起きの出で立ちだ。
イスト・アベンシスの一件が発生したのが昨日の午後三時半。
すぐさま報告書を作成し、地上本部に容疑者暗殺の一部始終を報告。
同時に上層部に捜査体制の強化を具申。
更に捜査上で連携することになるであろう部隊への挨拶も行った。
そうして、一連の事務処理を済ませた頃には既に午後十一時を回っていた。
後は機動六課の残務を片付けて、就寝できたのは今日の午前一時過ぎ。
連日の激務も相成って、たった四時間の睡眠では疲労が抜け切らないでいる。
「もぅ、昨日の今日で任務なんて……」
疲労の色を隠すこともせず、はやては頬杖を突いた。
口では不満そうにしてはいるが、文字通りの『口だけ』だ。
頭の中では目の前の任務をどう完遂するかに思考が切り替わり始めていた。
要請書の送信元は地上本部からとなっている。
まだ眠気から脱しきっていない眼を擦りながら、簡潔な文面に眼を通す。
「第七管理世界、現地時間における午後十九時、レリック密売組織の拠点を摘発。
二個のレリックを確保し、次元間航路を介してミッドチルダに輸送を開始。
到着したレリックのミッドチルダ内における護送任務を機動六課に要請する……かぁ」
はやてはぎしりと椅子の背もたれに体重を掛けた。
実に真っ当な任務内容だ。
一見サーヴァントも聖杯も無関係この上ない。
「まぁ、こういうお仕事もやらんとね。今日の訓練はナシで待機させたほうがいいかな」
画面に表示されている文書の記述によると、レリックの到着時刻は午後四時頃。
訓練は中止か、早めに切り上げさせて任務に備えさせたいところだ。
特にスターズ分隊は昨日の戦闘の消耗が回復しきっていないかもしれない。
激しい戦闘になる危険性が充分考えられる以上、コンディションの調整は必須事項だった。
――レリックの輸送任務において想定される敵は、通常は以下の二種類。
一つは、ロストロギアの密売や違法研究を望む次元犯罪組織。
一つは、レリックの発見現場で多く出現する、ガジェットドローンと呼ばれる戦闘機械。
これらだけで考えれば、今回戦闘になる可能性が高いのは後者だろう。
管理局の武装部隊が護送するロストロギアを強奪しようとする馬鹿はそういない。
あまりにも成功する望みが薄く、万に一つ成功しても簡単に足がついてしまう。
このように、人間であればある程度の行動予測は付くものだ。
逆に、行動を予想できない相手ほど厄介なものはないと言える。
まさにガジェットドローンがこれに当てはまった。
ガジェットドローンにはまだ未知数な点が多い。
精々が、他のロストロギアには目もくれず、レリックのみを狙うことが分かっているくらいだ。
無条件でレリックを狙う造りであるなら、リスクを度外視して襲撃してきてもおかしくない。
「中央区画を通らなあかんのが、地味に厳しいかなぁ」
リスクを考えない相手は戦う場所も選んではくれない。
襲撃の機会さえあれば容赦なく攻撃を仕掛けてくるだろう。
たとえそこが人々の往来する街中であったとしても、だ。
はやては困った様子で頭を掻いた。
「……悩んでいるのか?」
どこからか低い男の声がした。
部屋の中には、はやて以外の人間の姿はない。
しかしはやては驚く素振りも見せず、当たり前のように応対する。
「うん……。順当に行けば楽な任務やけど、もしもの場合が厄介なんよ」
陸上本部が見積もった護送計画案のファイルを開く。
表示されるマップを睨むはやての横に、一頭の狼が身を寄せた。
通常の狼よりも数割増しで大きな体躯のそれは、首をもたげてマップを覗き見ていた。
「確かに、襲撃を考えなければ気楽な任務だな」
男の声は紛れもなくこの狼が発していた。
はやては狼から画面が見やすいように、椅子を動かした。
「戦闘があると考えても、スターズとライトニングで何とかなるとは思うけど……。
シグナムは廃棄都市区画の現場調査に引っ張られてるから、七人体制かなぁ」
「地球の魔術師は計算に入れないのか」
狼は、魔導師ではなく魔術師という言葉を使った。
管理局では滅多に聞くことのないその単語は、当然のように、管理局の外の存在を指している。
「遠坂さん達?」
「彼らも名目上とはいえ、機動六課の隊員だろう」
はやては軽く腕を組んで天井を仰いだ。
確かに狼の――ザフィーラの言うことは正しい。
しかし、どうにも気が進まなかった。
「あの人達は聖杯の件をどうにかするために、なのはちゃんが無理言って連れてきてくれたんやろ?
関係ない任務までお願いするのはちょっと……」
「気が引ける、と。だがこの任務も完全に無関係というわけではない」
うぅん、とはやては唸った。
この任務、想定される敵は二つだけではない。
同じ人間に過ぎない次元犯罪者よりも。
単なる機械に過ぎないガジェットドローンよりも。
更に厄介で、戦うことを想像したくない相手。
――サーヴァント。
次元犯罪者の手によって召喚された、超常の域に在る騎士。
聖杯を破壊された今、サーヴァントは存在の維持に莫大な魔力の供給源を必要としているはずだ。
例えば、ロストロギアのような。
はやては机に突っ伏すと、顔だけをザフィーラに向けた。
「でもなぁ。こっちの任務をやってるときに、別の場所にサーヴァントが出たらと思うとなぁ」
とにかく不確定要素が多すぎるのだ。
過去のデータも殆ど役に立たず、何が起こるのかも分からない。
模造聖杯の破壊以降、明確に敵サーヴァントを観測できたのは一度きりなのだから。
「……遠坂さん達と相談してみよ」
ここで悩んでいても埒が明かないと考えたのか。
はやては表示させていたディスプレイを閉じると、ザフィーラと共に執務室を後にした。
――四日目 AM5:25――
「ん……っ」
スバルはぐっと伸びをしながら、深く息を吐いた。
生地の薄い病院服が前身に密着する。
張りのある身体のラインが浮き上がるも、全く気にしていない様子だ。
「ゆっくり寝たら、だいぶ楽になってきたかなぁ」
上体を捻り、固まりかけていた背筋をほぐす。
表情も晴れやかで、昨日の戦闘のダメージも殆ど残っていないようだ。
スリッパに足を入れ、窓辺まで歩いていく。
そして、閉められていたカーテンを指で軽くずらした。
朝霧立ち込める、涼やかな朝の風景。
窓を開ければ心地よい風が吹き込むことだろう。
でもきっと、今の服装には冷たすぎる。
スバルは惜しそうに窓の外を眺めた。
その代わりとばかりに、両手でカーテンを一気に開く。
早朝の淡い陽光が病室を満たす。
窓一杯に大写しになった朝の情景は、昼間のそれとはまるで別物だった。
活気に溢れる昼下がりを油絵と喩えるならば、これは水彩画だ。
絵画として窓枠ごと切り出すことができるなら、最高のインテリアになるだろう。
仄かな暖かさを満身に浴びてから、スバルはベッドの方へ戻った。
自分が寝ていた床を通り過ぎ、ティアナが眠る隣のベッドの横で立ち止まる。
ティアナの目元は、ほんの少しだけ、赤くなっていた。
スバルは何も言わず、ティアナの額に掛かった前髪を指先で整えた。
「んん……」
もぞりと身を動かすティアナ。
足を伸ばした拍子にブランケットが大きく下へずれ、上体が露わになる。
「――あ」
スバルの視線が止まる。
微かに汗ばんだこめかみと、そこから続く白い首筋。
華奢さを一層際立たせる鎖骨に、襟元からほんの少しだけ覗く胸骨。
そして、病院服越しにもはっきりと分かる、なだらかな双丘。
仰向けでありながら、尚もはっきりと存在を主張し続けていた。
――理由を問うならば、魔が差したというより他にない。
おもむろに、スバルは左右の膨らみをそれぞれの手で包み込んだ。
柔らかい感触の中に指が沈んでいく。
「……おおっ」
ティアナが目覚める気配はない。
ならば、悪戯心が加速するのは必然だった。
スバルは口元に悪童のような笑みを浮かべながら、膨らみを包む手を動かした。
四本の指で輪郭をさすりながら、親指と人差し指の間で形を変えさせる。
弾力と柔らかさが絶妙に混ざり合った感触が、スバルを更なる行為へと誘った。
眼を覚ましてしまうかもしれないという懸念を置き去りに、手の平一杯に揉みしだこうとする。
次の瞬間、スバルの額を鋭い手刀が打ち据えた。
「あいたっ!」
「スバル……何やってんのよ」
自分を見上げる憮然とした視線に、スバルは誤魔化すような笑いを返した。
ティアナは呆れ返りながら、両手を伸ばして相方の肩を押し返す。
「あら、お邪魔しちゃった?」
その手がぴたりと止まる。
ドアの方から聞こえた馴染みの薄い声。
スバルとティアナは、同じような動作で顔を声のした方へ向けた。
いつの間にか開いていた入り口から、赤いコートの女がこちらを眺めていた。
年齢は自分達より一回り上といったところだろうか。
波打つ黒髪をコートの背に自然に流した髪型の影響か、少々大人びて見える。
管理局の人間という雰囲気ではなく、かといって病院の関係者というわけでもなさそうだ。
彼女は面白いものを見たという感じの表情で、胸の前で組んでいた腕を緩めた。
「あのっ、これはっ」
取り繕うように離れるスバル。
まずいところを見られたという思いが二人の思考を埋め尽くす。
しかし彼女は、スバルがしていた行為を別段気にしていないようだった。
「えっと、あなたがスバルで、あなたがティアナ。合ってる?」
白い指先がスバルとティアナを交互に指す。
二人は顔を見合わせた。
どちらもが、突然の来客を知っているかと視線で尋ねあう。
その仕種が面白かったのか、女はくすりと笑みを溢した。
「士郎に頼まれて様子を見に来たけど、その様子なら大丈夫みたいね」
「シロウって……エミヤ三尉とお知り合いなんですか?」
次に声を上げたのはティアナだった。
まずいところを見られたという思いはあったが、それよりも聞こえた名前が気に掛かった。
思い返せば三日前。
なのはからエミヤシロウを紹介されたとき、ライトニングにも一人増員すると伝えられていた。
あれから何の音沙汰もなく、半ば忘れかけていたのだが、今になってその記憶が浮かび上がってきた。
ひょっとして、彼女はその増員なのではないのか。
ティアナはそう考えたのだが、尋ねようと二の句を次ごうとした直後、スバルが身を乗り出して割り込んでくる。
「シロウさんと知り合いってことは、なのはさんとも?」
言いかけた言葉を飲み込むティアナ。
横合いから割り込んできたスバルを横目で見やる。
発言を遮られたのは不本意だが、スバルの問いも気になる内容ではあった。
赤いコートの女は備え付けの椅子を引いて、おもむろに腰を下ろした。
「まぁね。半年くらい前になるかな。『私達の世界』で起きた事件で、ね」
女の語り口は、最低限の要点を押さえていながら、それでいて核心からは外れていた。
隠しておきたいことがあるようにも、単に詳しく語る必要がないと考えたようにも取れる。
決して不自然な受け答えではないのだが、ティアナはもっと踏み込んだ答えを期待していた。
例えば、その事件の詳細とか、
――初対面なのに、何でも聞くのは失礼かな。
ティアナは詮索したがる心を抑えて、出会ったばかりの見舞い客に向き直った。
好奇心を押し退けた隙間に、ふと、小さな違和感が浮かび上がる。
隣に腰を下ろしているスバルという少女。
さっき『シロウさん』と発言していたような気がする。
先日までは、スバルが彼を呼ぶときは『エミヤさん』か『エミヤ三尉』だったと記憶していた。
大抵は前者だったと思われるが、それでも呼ぶときは姓だった。
……まったく、人懐っこさはここまで筋金入りだったのか。
浮かんだ言葉は口には出さず、溜息だけを吐き出した。
と、不意にドアがノックされる。
「一等陸尉。八神二佐から連絡が入っています」
事務的な女性の声だ。
コートの女はスバルとティアナに子供っぽく目配せすると、椅子から立ち上がった。
「アイツ、結構無茶するから。迷惑掛けるようだったら遠慮なく言ってやればいいわよ」
言うこと聞くかは分からないけどね、と付け加えて、女は病室の扉を開けた。
「あのっ……」
立ち去ろうとする赤い背中をティアナは思わず呼び止めてしまった。
足を止め、振り向く彼女。
ティアナは一瞬考え、なるべく失礼にならないであろう問い掛けを口にする。
「お名前、聞かせて貰えませんか?」
女はきょとんとした表情になった。
数秒間をおいて、納得したように何度か小さく頷く。
まるで、自己紹介をしていなかったことを今更思い出したかのように。
「――遠坂凛。こっちでの肩書きは、ロングアーチの一等陸尉になってるわ」
――四日目 AM8:07――
がらりと足元の瓦礫が崩れる。
ギンガ・ナカジマ陸曹は、眼前の光景に息を呑んだ。
「随分と大きな穴が空いたものね……」
ミッドチルダ北部に広がる廃棄都市区画。
その一角に陸士108部隊は展開していた。
先日まで、ここは廃棄以前の面影を色濃く残した区域だった。
それがどうだ。
穿たれた巨大な縦穴によって四車線の道路は完全に寸断され、断崖絶壁と化している。
周辺のビルも足場を失って倒壊し、大きく口を開けた穴に飲み込まれたようだ。
近辺を走っていたハイウェイまでも食い千切られたように欠けていた。
「地表で強烈な衝撃が発生して、老朽化していた道路とその基礎が連鎖的に崩壊。
そのまま地下道まで崩れ落ちたってところかな」
ギンガは穴の縁から五十メートルほど離れた地点で、現場の観察を続けた。
これだけ離れても、穴の大きさと比べれば至近距離にしか感じられない。
まるで巨人の拳が垂直に叩き込まれた跡のようだ。
「それにしても……」
ギンガはディスプレイを空中に出して、報告書を表示させた。
交戦部隊は古代遺物管理部機動六課スターズ分隊。
交戦対象は正体不明の騎士一名。
訓練中に遭遇し、攻撃を仕掛けられたため、応戦。
軽傷者三名、重症者、死者ゼロ名。
騎士は逃走したと見られる。
槍状の武器を二種装備するも、魔法行使の様子は確認できず。
地上本部のデータベースにも該当するデータは皆無。
撤収途中、次元犯罪者のイスト・アベンシスを発見し、身柄を確保。
所持しているとされるアームドデバイス・ブライトスローンは発見されず。
尋問中に何者かによって殺害されたため、本件との関係性は不明――
「これが信じられないのよね」
報告書中の一文を指でなぞる。
――魔法行使の様子は確認できず。
この大穴は、交戦対象の騎士が武装を投擲したことで起きた崩落が原因だと記述されている。
つまり、魔法を使うことなくこれだけの破壊を成しえる人物がいるということだ。
無論、予め強化魔法などを掛けていたことも考えられる。
武装に特別な仕掛けが施されていたのかもしれない。
それでも、これだけの脅威が野放しになっているというのは危険過ぎた。
「ナカジマ陸曹。部隊長より、地下道も調査範囲に含めろとの通達です」
「分かったわ。何人か集めて地下調査班を組んでおいて」
通達に来た一等陸士に指示を出し、ギンガはブリッツキャリバーの車輪を駆動させた。
大小の瓦礫を避けながら、歩くような速度で穴の縁まで移動する。
「着陸地点、決定。移動ルート算出……っと」
ナカジマ三佐が自分に地下調査を命令した理由は分かっている。
108部隊で唯一、この断崖を迅速かつ安全に降下する手段を持つからだ。
穴の縁からは先遣隊が使ったらしいロープが垂れているが、これでは少々心許ない。
ギンガの足元で藍色の魔法陣が回転する。
「ウィングロード、展開!」
《All right》
デバイスが呼応すると同時にギンガは虚空へと滑り出た。
間髪入れず帯状魔方陣が出現し、ギンガを支える足場を構成する。
それは縦穴の奥底へ滑るギンガを先導するように、なだらかな坂道を編み上げていく。
ものの数秒で穴の底まで辿り付き、車輪を軋ませ停止する。
「中から見ると……これは……」
ギンガは嘆息して空を見上げた。
空は円形に切り取られ、縦穴を塞ぐ蓋のようだ。
断層も露な壁面からは曲がった鉄骨やパイプの類が覗いている。
崩れ落ちたハイウェイとビルディングが無残に散らばり、風が吹くたびに粉塵が巻き上がる。
まるで、世界の終わりを切り出した箱庭のよう。
ギンガは、退廃的な名画を眺めているような、不思議な感覚を覚えていた。
「……いけない、しっかり調査しないと」
首を振って気を取り直す。
ここで犯人に繋がる情報を得なければ、捜査は一歩も進まない。
捜査が遅れるということは、その分だけ危険な存在を野放しにすることになってしまう。
特に今回は異常だ。
目的も正体も分からず、一方的に管理局の部隊へ攻撃を仕掛けてきたのだから。
次元犯罪者が、自分達を追跡する局員を攻撃をするのならまだ理解できる。
しかし今回のケースは違う。
機動六課は訓練中で任務には就いていなかったのだ。
つまり、攻撃は逃走のためといった手段ではなく、目的そのものである可能性がある。
管理局部隊への攻撃を目的とした武装組織――
「あまり考えたくはないわね」
もちろんそうでない可能性も充分にある。
例えば、管理局に気付かれたくない取引をしていたところに六課が現れ、逃走の殿として交戦。
そういうことも考え得る。
だからこそ、捜査を進めなければならない。
これ程の"人災"を撒き散らす敵を止めるためにも。
ギンガは瓦礫の道をゆっくりと滑り始めた。
じきに後続の隊員達が降りてくるだろう。
それまでに多少は地下空間の状況を確認しておきたかった。
元は資材か何かを輸送する地下通路だったのだろう。
人間が通るには大き過ぎる空洞が前後に貫通している。
空洞の向こうで、赤い光が煌いた。
「――ッ!」
ギンガは反射的に、巨大なコンクリート片の後ろに身を隠した。
リボルバーナックルに覆われた拳を、胸の前で握り締める。
「誰だっ!」
身を隠したまま、空洞に向かって呼びかける。
ギンガの思考回路を数パターンの状況推定が駆け巡った。
最悪の場合、後続が来る前に片をつけるか、それとも後続を待ってから戦闘に――
しかし返ってきたのは、拍子抜けするほど危機感のない声だった。
「ああ、ごめん!」
「……はい?」
警戒を解くことなく、ギンガはコンクリート片の端から顔を出した。
いつでも身を引けるようにしながら、通路の奥に目を凝らす。
暗がりの中から、男が一人歩いてくる。
敵意のないことを表しているのか、両手は肩の高さまで上げられていた。
ギンガは毒気を抜かれたように、コンクリート片からから半身を覗かせた。
男はギンガにとって見覚えのある服を着ている。
ブラウン基調で纏められた機動六課の制服だった。
男が陽光の当たる場所で立ち止まる。
ギンガは男の姿を頭から靴の先まで観察した。
階級章は三等陸尉。
陸曹であるギンガよりも階級は上らしい。
頭髪は髪質の硬そうな赤毛で、顔つきには若干の幼さが残っている。
制服の前ボタンを全て外し白いシャツを露出させるという、士官とは思えないラフな格好だ。
その手には、細い鎖に繋がれた真紅の宝石がぶら下がっていた。
どうやら先ほどの赤い光は、太陽光がこれに反射したものだったらしい。
ギンガは安堵の溜息を吐いて、男に向き直った。
「なんだ……失礼しました、三尉。陸士108部隊所属、ギンガ・ナカジマ陸曹であります」
「こっちこそ驚かせてごめん。えっと、機動六課所属、衛宮士郎三尉、でいいのかな」
慣れていない様子で敬礼を返すエミヤシロウ。
待機状態のデバイスすら持っておらず、完全な丸腰だ。
「三尉、ここにはどのようなご用件で?」
ギンガは不審そうに尋ねた。
衛宮士郎という人物を疑っているのではない。
機動六課にそういう名前の人物が赴任した、ということは既に聞いている。
言葉の通り、奇妙に感じたのは『彼』が『今』ここにいるということだ。
いくら先日のこととはいえ、戦闘があった現場に赴こうというなら、せめて護衛くらいは要るだろう。
しかし目の前の人物は護身用の武器すら持っている様子がない。
それに、機動六課からはシグナム二尉が調査に合流する予定だが、彼が来るとは聞いていなかった。
エミヤシロウは、右の手に持った赤い宝石をギンガに見せた。
「大事なもの落としてたみたいでさ。これ探しに来たんだ」
丸みを帯びた三角形のそれは、銀色の細工と鎖に結ばれて、ペンダントとして加工されているようだ。
ギンガはエミヤシロウの所属を思い出した。
機動六課スターズ分隊。
ここで謎の騎士と戦ったのはこの部隊だ。
戦っている最中に落としたものを拾いに来たということか。
ギンガは微笑むように表情を緩めた。
見たところ、あれは男物のアクセサリーではない。
女性が首から提げることを考えて作られたデザインだ。
「申し付けて下されば捜索しましたよ」
「高町にもそう言われたんだけどさ。
俺の不注意で落としたのに、他の人に任せるのはなんだか悪くって」
高町、とは六課の高町一尉のことだろう。
何気ない一言だったが、ギンガはそれに微かな違和感を感じた。
空尉と陸尉の違いこそあれ、一尉と三尉では二階級も違う。
加えて、同じ分隊の分隊長と隊員という関係だ。
それを姓で呼び捨てにするなんて常識では考えられない。
問い質そうとギンガが口を開く。
「お言葉ですが、三尉――」
「そういえばシグナム副隊長はまだ来てないのか?」
――あれ?
内心、ギンガは首を傾げた。
今度はシグナム二尉のことを役職を添えて呼んだ。
高町一尉のことは『高町隊長』なんて呼ばなかったのに。
「え、あ、シグナム二尉でしたら、調査本部の方に赴かれているかと……」
しどろもどろに答えるギンガ。
失礼な人だと一瞬でも思ってしまったことを気取られたくなかった。
「ギンガさーん。地下捜査班、集合しましたー」
そう遠くないところから幾つもの足音が聞こえてきた。
バリアジャケットを着用した十人ほどの隊員がウィングロードを駆け下りてくる。
ギンガは気を取り直して、隊員達に向けて指示を出した。
「各員、崩落現場を中心に調査を開始して。地下通路は後でいいから」
散開する隊員。
ギンガはエミヤシロウに向き直り――目を見開いた。
エミヤシロウの左手に煌く三つの白刃。
刀身が異様に細長く、赤い封蝋のような柄を指で挟む異様な構え。
その瞳には明確な攻撃の意志が灯っていた。
ギンガは間髪入れずリボルバーナックルにカートリッジをロードする。
ナックルスピナーが回転を始めるが速いか、一歩で距離を詰め、拳を繰り出す。
それとほぼ前後して、エミヤシロウも腕を振り抜き――
「……っ!」
金属の砕ける音が響く。
全く同時に、二機のガジェットドローンが砕け散った。
一機は機体を捻じ切られ。
もう一機は三本の長剣に貫かれ、その存在を鉄屑に帰した。
「――大丈夫か」
エミヤシロウは、ギンガの肩越しに左腕を振り抜いたままで。
「そちらこそ――お怪我は」
ギンガは、エミヤシロウの脇腹の横に左腕を振り抜いたままで。
互いの健在を確認しあった。
隊員達は何が起こったのか分からず呆然としている。
ギンガのリボルバーシュートを受けたガジェットの残骸が墜落し、爆発した。
その衝撃に、ただでさえ不安定な瓦礫が大きく揺れる。
二人が足場にしている横倒しの巨大な瓦礫に亀裂が走った。
「きゃ……!」
「うわっ!」
瓦礫の亀裂が広がり、数十センチほど崩落する。
たったそれだけの崩壊でも、そこに立つ人間のバランスを奪うには充分だった。
仰向けに倒れたエミヤシロウの上に、ギンガが受身も取れずに倒れ込む。
背中と胸から同時に圧迫されて、エミヤシロウは苦しそうな声を漏らした。
「……すみません」
覆い被さった格好から、上体を起こすギンガ。
その視界の端に妙なものが写った。
「あ、あれ見てください」
言われて、エミヤシロウは横になったまま首だけを動かした。
瓦礫が動いたことで、今まで見えなかった箇所が露わになっている。
そこに一つ、異質なモノがあった。
「あれは――」
丸く細長い形状の金属塊。
色は金色、あるいは光沢のある黄色。
大地に突き刺さった槍の柄が、瓦礫の狭間から陽光を受けていた。
最終更新:2009年11月30日 23:04