{{基礎情報 テレビ番組
|番組名=ニュースステーション
NEWS STATION
|画像=
|画像説明=
|ジャンル=報道番組
|放送時間=放送時間を参照
|放送分=
|放送枠=
|放送期間=1985年10月7日 - 2004年3月26日
|放送回数=4795
|放送国=Template:JPN
|制作局=テレビ朝日(ANN)
|企画=オフィス・トゥー・ワン
(企画・制作協力)
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|原作=
|脚本=
|プロデューサー=
|出演者=久米宏
小宮悦子
渡辺真理
ほか
(出演者を参照)
|音声=ステレオ放送1993年4月19日から実施。それ以前はモノラル放送。
|字幕=
|データ放送=
|OPテーマ=こちらを参照
|EDテーマ=同上
|外部リンク=http://web.archive.org/web/20030801082612/www.tv-asahi.co.jp/n-station/index2.html
|外部リンク名=公式サイト (アーカイブ)
|特記事項=金曜日は放送開始から1988年3月まで「金曜版」として23時台に放送。
}}
『ニュースステーション』(英称:NEWS STATION)は、1985年(昭和60年)10月7日から2004年(平成16年)3月26日まで、テレビ朝日とオフィス・トゥー・ワンが共同制作し、ANN系列で平日(祝日も含む)22時台に生放送されていた報道番組である。全4,795回の平均視聴率は、14.4%<ref name="a1">2007年4月5日スポーツニッポン「小宮悦子、2度目の離婚 10歳“姉さん婚”から12年--「女性セブン」報じる」。通称「Nステ(エヌステ)」、「NS(エヌエス)」、「Nステーション(エヌステーション、テレビ欄)」。
テレビ朝日が平日23時台に放送していた『ANNニュースファイナル』『ANNスポーツニュース』に代わり、ドラマやバラエティ番組を放送していた平日22時台に新設したニュース番組である。テレビ朝日の本社移転(アークヒルズ)と同時に開始された。構想段階から広告代理店である電通が深く関与した。久米も構想の段階で起用が決まり会議に参加しており、番組の準備などのため、久米は1985年4月までに『おしゃれ』以外のレギュラー番組を降板した嶌信彦『メディア 影の権力者たち』1995年4月講談社 ISBN:4062076284。
当時としては前例のない番組であり、開始当初は8%程度の低視聴率に悩んだ。1986年2月のフィリピン政変以降は、安定して20%前後の高い視聴率を誇り、テレビ朝日の看板番組となった。関東地方での視聴率20%超えは、245回<ref name="a1"/>。関東地方より先に関西地方で視聴率を獲得した。
「中学生でもわかるニュース」をコンセプトとして、政治や経済などのニュースにおける難解な用語や展開などを、フリップや地図、模型、実物、政治家人形、積木などを使い、わかりやすく伝える工夫を凝らしたこれを見ていた当時NHKの記者だった池上彰がこれを応用し、1994年に『週刊こどもニュース』をスタートさせた。。これで徐々に視聴率を獲得した。初期には手書き・手作りといったアナログ感を重視していたが、コンピュータグラフィックスについても最新技術を積極的に導入している。安竹宮で争われた1987年自民党総裁選挙では全派閥を積木で表現し、積木を積み立てて今後を予測した。1990年代初めには民間気象情報会社のウェザーニューズの協力で天気予報に3DCGを使いTemplate:PDFlink、イラク戦争では地図を「CADシステム」を用い、後のGoogle Earthのように直感的な操作で地図の拡大・縮小を行った。2002年あたりからはクロマキー処理を行わないリアルタイムCGも多用された。この他、BGM・ナレーション・テロップなどをワイドショーのように使う表現・演出手法は、しばしばニュースを過度にセンセーショナルなものに見せた。従来の報道番組になかった娯楽番組的要素を採り入れたことから「報道バラエティー」とも評された。
また久米が「個人的意見」を言うことで従来の番組や新聞との差別化を図った。久米のコメントや番組の基本姿勢は、久米がマスコミ人として持っている反権力・反戦争の信条を色濃く反映したものだったため、広く人気を博した反面、自民党筋や保守派などから偏向しているとの根強い批判・反発も呼んだ。
従来、外部発注が常識となっていた民放テレビ局にあっても報道番組は聖域とされ、番組制作が外部に委託されることがなかった中で、オフィス・トゥー・ワンという外部の制作プロダクション(久米の所属事務所でもある)を導入してニュース番組を制作するのは画期的なことであった。
『ニュースステーション』はANNのプライムタイムニュースの位置付けになっているが、ネット局の構成や制作会社が作っているニュースショーという特殊な性格上、タイトルに「ANN」のクレジットが付かなかっただけでなく、エンドロールでは「協力:ANN系列各社」→「制作:ANN系列各社」(番組初期は「ANN加盟(数字)社」)と表示され、企画中継等の場合は技術協力として中継先の局名が表示されていた。こういう事情からANNの海外支局等からの中継の際は、各支局にセットにあるANNのロゴの上から『ニュースステーション』のロゴを貼って隠していた時期もあった。
音声は当初モノラル放送であったが、1993年4月19日朝日新聞縮刷版の番組表を確認。からステレオ放送になった。
1985年10月7日、放送開始。久米の他に小宮悦子、コメンテーターの小林一喜を中心に進行。スポーツキャスターの初代は朝岡聡。最初のニュースはHTB北海道テレビからの石狩鍋の生中継による鮭の話題だった。
初期は月曜日から木曜日は22:00 - 23:17、金曜日のみ22時台は『必殺シリーズ』2009年1月 - 6月、金曜21時に『必殺仕事人2009』として放送。などの朝日放送制作枠で、1時間遅れの「金曜版」とし、23:00 - 24:00の放送となった。開始から数回は観客を入れていたが、すぐに廃止した。
「金曜版」は通常の硬派色に加え、バラエティ色を交えた報道番組となっていた。毎回ゲスト2名(男女1名ずつ)をブーメランテーブルに隣接するソファのセットに招いて、バラエティ色の強い「金曜チェック」「奥様教養シリーズ」「ニュースミステリー」「カウントダウンJAPAN」「ニュース・ことわざ勉強室」「世直しエイド」といったシリーズを放送した。
1986年7月から選挙特別番組として『選挙ステーション』がスタートする。
1988年4月改編で朝日放送が金曜22時台の制作から撤退することになり、「金曜版」はこの改編期をもって終了。3月25日と4月1日の2週にわたって終了スペシャルを放送することとなったが、3月25日放送は臨時ニュースに時間を割き、結局4月1日のみの放送となった。「金曜チェック」はこの影響か、4月1日には2本立てで放送された。なお、「金曜版」最終回の4月1日放送のみ22時放送開始で、これは当初から予定されていた。
同年4月4日から月曜日から金曜日22:00 - 23:17の放送となり、全曜日統一して通常の硬派色の報道番組となったが、以降の金曜日は金曜版からの名残もあり、月曜日から木曜日までとは違う雰囲気作りが図られるようになる。
1995年4月からは新たにスタジオサブキャスターを金曜日のみに新設。この金曜日のみ久米・小宮を加えた3人体制となる。
1996年10月3日からスポーツキャスターが坪井直樹から角澤照治に変わり、角澤は番組終了まで7年半にわたってスポーツを担当することとなった。翌週10月7日からテーマ曲と作曲者を約7年半ぶりに新しいものに変更した。
1997年4月から金曜日のみに女性スポーツキャスターを設けた。初代はテレビ朝日スポーツ局記者の長島三奈が務めた。
1998年3月27日、番組開始から12年半にわたってサブキャスターを務めてきた小宮が降板。但し、完全に降板せず金曜日のみの出演に移行した。小宮降板後の2代目サブキャスター就任までの間、同年5月8日までサブキャスター代理として月曜から木曜は堀越むつ子・渡辺みなみ・渡辺宜嗣の3人でつないだ。
1998年5月11日、改編期から約1ヶ月遅れでリニューアル。久米に加え、TBS退社直後の渡辺真理とテレビ朝日スポーツ局記者の白木清かの3人体制となる。これまでは金曜日のみスタジオサブキャスターを設けていたが、このリニューアルによってスタジオサブキャスターは全曜日で設けられるようになった。なお、金曜日のみは引き続き小宮と丸川珠代が担当する。テーマ曲がゴスペラーズの曲に刷新されて、番組ロゴも若干アレンジしてリニューアル。オープニング映像もニュース映像に変わり、最初から日付表示がなされるようになった。
1998年9月25日をもって小宮が正式に降板、翌週の10月2日には丸川も降板した。これにより、翌週10月5日より、渡辺真理と白木は全曜日出演となり、本格的にこの3人体制となる。1999年2月から白木が取材日に充てるためか、月曜と火曜のみ上山千穂が担当し、白木は水曜から金曜の担当となった。
1999年8月、セットをリニューアル。ところがその約2ヶ月後、久米が年末まで番組を降板するという異例の事態となった。これを受けて、約3ヶ月間、年末まで渡辺宜嗣が代理を務めた。
2000年1月4日、久米が3ヶ月ぶりに番組に復帰。それに伴い、番組もリニューアル。スタジオサブキャスターも上山千穂が全曜日担当することになり、久米・真理・上山の3人体制となる。また、コメンテーターも清水建宇・萩谷順・森永卓郎・船曳建夫の4人に一新された。テーマ曲が福岡ユタカ作曲のものに刷新され、スタジオセットやタイトルロゴ・グラフィックデザインもリニューアルした。オープニング映像はその日の放送するニュース内容の告知を行うスタイルに変わった。
一方で、久米はこの頃からテレビ朝日に降板の意向を度々申し出ていた。テレビ朝日も視聴率の面からも、営業的な面からも大変頼りになる番組と信じ、久米が降板の意向を示す度に、度々懸命の説得を行っていた。
2000年3月27日、放送開始時間が6分繰り上がり、21:54開始のフライングスタートとなった。これにより、終了時間も23:09→23:10と6分繰り上がった。同時に番組構成も若干変更が行われる。2000年4月14日、金曜日の女性スポーツキャスターの出演者のリニューアルが行われ、テレビ朝日を退社(後に復帰)した長島三奈に代わって、タレントで女優の真中瞳が担当する。
2002年4月1日から6月28日までは日韓共催の2002 FIFAワールドカップ開催に伴い、オープニングで毎日FIFAワールドカップの歴史を流す特別オープニングに変更。テーマ曲はCharが担当した。
2002年7月1日からテーマ曲がサラ・ブライトマンの曲に変更。オープニング映像も近未来風の世界を彩ったオープニング映像となった。また、角澤のスポーツ担当曜日がこれまでは月曜から木曜だったのが、月曜日から水曜日に縮小され、空いた木曜日には河野明子が担当することになった。よって、木・金曜日は河野と真中の女性キャスター2人となった。
2002年10月4日をもって真中が降板。翌週から河野が金曜日も担当するようになり、月曜日から水曜日は角澤、木・金曜日は河野がスポーツを担当する。
2003年初頭、前述の通り、久米は復帰後度々降板を申し出ていたが、テレビ朝日もこれ以上の説得をするのは無理だと判断し、2004年春に降板することで久米とテレビ朝日が正式に合意した広瀬道貞社長 定例社長会見要旨(2003年9月30日)。これにより、2003年8月25日、翌年春をもって『ニュースステーション』の放送を終了することが発表された。
2003年9月29日、テレビ朝日がアークヒルズ本社から六本木ヒルズ新本社への社屋移転に伴い、スタジオセットとテーマ曲をリニューアル。タイトルロゴはそのままで、色がオレンジ/黄色を基調としたものからから青/水色を基調としたものに変更された。テーマ曲はU2が担当した。オープニング映像もこれまではオープニングの後にタイトルロゴが表示されていたが、この代は最初にタイトルロゴ表示→その日のニュースの放送内容告知→日付表示というように変わった。
2004年3月26日、最終回を迎え、18年半の歴史に終止符を打った。最終回はその日のニュースに加え、過去18年半のニュースの振り返り、現代の久米(と当時50歳の久米)が番組開始の1985年の『ニュースステーション』へタイムスリップ(という設定の演出)し、スタジオ見学をするなどを放送した。後番組は古舘伊知郎がメインキャスターを務める『報道ステーション』である。なお、角澤と河野・スポーツコーナーのみ関わっている宮嶋泰子と栗山英樹は引き続き『報ステ』にも出演することになった。
期間 | メイン | サブ | スタジオサブ | スポーツ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月・火 | 水・木 | 金 | 月 - 水 | 木 | 金 | ||||
1985.10.7 | 1987.9.18 | 久米宏 | 小宮悦子 | (不在) | 朝岡聡 | ||||
1987.9.21 | 1988.4.1 | 松井康真1 | |||||||
1988.4.4 | 1990.3.30 | 松井康真2 | 朝岡聡2・3 | ||||||
1990.4.2 | 1991.3.29 | 松井康真 | |||||||
1991.4.1 | 1993.9.30 | 飯村真一 | |||||||
1993.10.1 | 1995.3.31 | 坪井直樹 | |||||||
1995.4.3 | 1996.3.29 | (不在) | 岡田洋子4 | ||||||
1996.4.1 | 1996.10.2 | 岡田洋子4 小谷真生子 | |||||||
1996.10.3 | 1997.3.28 | 角澤照治 | |||||||
1997.3.31 | 1998.3.27 | 小谷真生子 丸川珠代 | 角澤照治 | 長島三奈 | |||||
1998.3.30 | 1998.4.17 | 堀越むつ子5 | 小宮悦子 丸川珠代 | ||||||
1998.4.20 | 1998.5.1 | 渡辺みなみ5 | |||||||
1998.5.4 | 1998.5.8 | 渡辺宜嗣5 | |||||||
1998.5.11 | 1998.10.2 | 渡辺真理6 | 白木清か | ||||||
1998.10.5 | 1999.1.29 | 白木清か | |||||||
1999.2.1 | 1999.10.6 | 上山千穂 | 白木清か | ||||||
1999.10.7 | 1999.12.23 | 渡辺宜嗣7 | |||||||
2000.1.4 | 2000.4.7 | 久米宏 | 上山千穂8 | ||||||
2000.4.10 | 2002.6.28 | 真中瞳 | |||||||
2002.7.1 | 2002.10.4 | 角澤照治9 | 河野明子 | ||||||
2002.10.7 | 2004.3.26 | 河野明子9 | |||||||
|
久米が夏休みで休みの時や取材等で不在の時は、初期から中期は渡辺宜嗣、1991年から1994年までは朝岡が代理を務めていた。1995年から再び宜嗣が代理を務めたが、メインキャスターというよりはサブキャスター的ポジションであり、実質上の代理はいずれも小宮が務めた。渡辺真理がサブキャスターとして登場して以降は宜嗣が担当。2000年からは宜嗣は出演せず、真理が実質上の代理を務めていた。
すべて日本時間(JST)で記す。
期間 | 月 - 木曜日 | 金曜日 | |
---|---|---|---|
1985.10.07 | 1988.03.31 | 22:00 - 23:17(77分) | 23:00 - 24:00(60分) |
1988.04.01 | 1994.09.30 | 22:00 - 23:17(77分) | |
1994.10.03 | 2000.03.24 | 22:00 - 23:20(80分) | |
2000.03.27 | 2001.09.28 | 21:54 - 23:09(75分) | |
2001.10.01 | 2004.03.26 | 21:54 - 23:10(76分) |
大災害などの緊急ニュースの発生時には放送を午後9時からに前倒しあるいは放送終了時間の延長をすることがあった。
初めて放送終了時間の延長を行ったのは、1986年2月25日である。この日フィリピン政変が起こり、それに関連して、30分の時間延長がなされた(詳細は後述)。
初めて前倒し編成を行ったのは、1986年11月21日である。この日に発生した伊豆大島三原山の大噴火に関連して、午後10時から約2時間の拡大版として放送した(詳細は後述)。
この件をはじめとして、それ以後も湾岸戦争開戦、皇太子徳仁親王ご成婚、阪神・淡路大震災、アメリカ同時多発テロ事件などではほぼ同様の措置がとられ、特に三原山噴火の際には、当時クロスネット局で、テレ朝枠を持っていた山形放送が編成の都合上差し替えもできなかったことから、臨時ネットとして60分のみ放送したことがある。
全国高等学校野球選手権大会が行われる毎年8月中旬の2週間は、ハイライト『熱闘甲子園』(ABC制作)を放送するための特例編成となっていた。
大相撲期間中は『大相撲ダイジェスト(以下:ダイジェスト)』を放送するため、『Nステ』は3分短縮となっていたが、1995年4月改編を期に解消された。2000年4月のフライングスタート開始以後はネオバラエティ・金曜ナイトドラマの後に『ダイジェスト』を放送した。2003年9月の六本木ヒルズ新本社移転直前をもって『ダイジェスト』は終了する。
番組内で久米が番組の放送開始・主なコーナーの開始時間を一定にするようアピールしてきた。番組(または野球速報)を「日々の生活の一部」として観ている視聴者を尊重してのことで、放送時間の変更があれば、時には前週から丁寧に予告していた。10時開始だった2000年3月までの番組構成を例に挙げると、スポーツは22:30頃、天気予報は22:50頃に放送。
番組のエンディングでは「あすの予告」と世界各地のドル/円相場を紹介。午後5時の東京での取引値との差を久米が暗算で伝えていた。最後の半年間は、久米が「マーケットチェック」とコールすると、画面が切り替わり、右下隅には、「宏のMarket Check」と表示されていた。
エンドタイトルは初期から中期にかけては情報カメラの映像だったが、それ以降は無人のスタジオの静止画に変わった。『大相撲ダイジェスト』放送日はクロスプログラムの演出を行う。無人のスタジオの静止画というエンドタイトルは後番組『報道ステーション』にも引き継がれたが、現在はテレビ朝日以外の系列地方局でしか見ることができない。
番組終盤に放送。その他のニュースを1項目20秒程度で一気に流した。久米とサブキャスターが(1995年から1998年まで金曜日のみ小宮とスタジオサブキャスターが交互に)読み上げる。1990年代までは16項目表示できる電光ボードを使用。2000年代はスタジオ演出を用いずVTRのみで構成。この時久米が「できるだけニュース」と言うのが定番だった。
専属の天気キャスターが読み上げる。2001年1月から番組終了までは上山がスタジオサブキャスターと兼任して読み上げる。中期になると季節の変わり目等の節目節目に有名な産地や名所へ行ったり、後述の夜桜中継や滝中継・紅葉中継と合わせて行うこともあった。
様々な政治・経済・現代社会問題などを取り上げる。この他、最新の流行ものや話題のものなども取り上げている。2000年代は気になる現代社会問題のニュースを取り上げる「NEWS IN-DEPTH」というコーナーもあった。
プロ野球に関しては当日の試合速報が番組の主力コンテンツとしてあり続けた。2月の「キャンプフラッシュ」、3月の「順位予想」、10月の「日本シリーズ予想&解説」が恒例。日本シリーズに関しては該当チーム以外の監督・選手が解説者として出演することもあった。
川平慈英が専属キャスターとして、Jリーグ開幕時から番組終了まで出演した。Jリーグも試合のある日は全試合の結果を放送、特集枠をJリーグ情報に充てることもしばしばあった。1998年サッカーW杯では川平がフランスから連日放送。2002年W杯ではテレビ朝日が担当した日本対チュニジア戦の放送を久米と川平の司会で放送した。
放送日にJリーグの試合がある場合、他のスポーツニュースでは試合映像の終わりのところでその試合のスコア結果を字幕出ししていたが、この番組はプロ野球と同じ要領で、試合映像を最初に映した後、映像が終わってから別のカットで詳細なスコアテーブルを全画面表示して、そこに川平が選手・監督談話や記録などの一口メモを述べる体裁をとっていた(一部の日、1-2試合程度しか行われなかった場合は除く。このような形式は2011年度のフジテレビジョン・「すぽると!」でもJ1リーグの土曜日開催の試合に限り行っている)。
環境総合研究所のデータを基に、埼玉県所沢市の葉物野菜から高いダイオキシン濃度が検出されたと1999年2月1日に報道。
大手スーパーから所沢産のホウレンソウを始めとする野菜が締め出され、卸し価格が半値以下に下落する被害が出た。番組中で久米が「葉物野菜」と表現したダイオキシンが検出された農産物は、実際は煎茶であり、乾燥しているため本体重量が軽く、生鮮野菜と同量のダイオキシンが見かけの上で多く計算されることによるもので、実際に飲む上では健康に悪影響はないものだった。
当初、番組コメンテーターの菅沼が「この報道をやめて(ダイオキシン問題を)救えるかってんだ!」と生放送の番組内で怒鳴るなど誤りを認めなかった。放映の二週間後、久米が番組内で農家に謝罪し、「検査対象が茶だとは知らなかった」と弁明した。農家側は、風評で損害を受けたとして、当初376人の原告団を結成して、損害賠償請求訴訟を起こした。
裁判では1審と2審がテレビ朝日側が勝訴、最高裁で2審の判決を破棄し、東京高裁に差し戻された。番組終了後の2004年6月16日に、テレビ朝日が農家側に謝罪して和解金1000万円を支払うことで和解が成立した。
スタジオセットは、テレビ朝日アーク放送センター地下3階にあったAスタジオ(テレビ朝日の本社移転後は、六本木ヒルズ新本社5階にある第4スタジオ)に常時建て込まれている状態で、2階(末期のセットでは3階)まで作られたほか、ゲストを招く部屋や家具までも仕込まれるなど大掛りで非常に手の込んだものになっている。コンセプトは「久米宏の部屋」で、放送終了までに5回改築された。奥行きを重視したこれらのセットを使うことにより、画面全体に非常にくつろいだ雰囲気が生まれ、ニュース番組でありながら、柔らかい印象を視聴者へ与えることに成功した。
『ニュースステーション』ではキャスター席に特徴的な「ブーメランテーブル」が使われ、メールマガジンのタイトルを『NSブーメラン』とするなどこの番組の名物であった。番組開始当初は濃い色のものが使用されていたが、後に交換されたときには薄い色のものへ変更になった。
また、2003年9月の社屋移転に伴いテーブルが新調された際に、同じスタジオから放送されることになった『スーパーJチャンネル』でも使用されるようになった。テーブルは移動可能な台に載せられ、両番組の放送ごとに双方のセットを行き来して据え付けられていた。『ニュースステーション』終了後、『報道ステーション』の開始にあたってはまた新たに違うデザインのテーブルが作られることになり、セット同様わずか半年でその役目を終えている。
2004年12月29日に放送された特別番組『サプライズ!?2004』(出演:小宮悦子、上田晋也など)では、2003年9月まで使用されたブーメランテーブルがセットとして使われた。
Template:色 ロゴの変更は2回行われている。渡辺真理の初回と久米の3か月ぶりの復帰の2回。六本木ヒルズに移転した際にカラーリングを変更している。
位 | 視聴率 | 放送年月日 | 備考・放送内容 |
---|---|---|---|
1 | 34.8% | 1994年10月26日 | 日本シリーズ「西武対巨人」戦終了後 |
2 | 31.9% | 1995年10月24日 | 日本シリーズ「ヤクルト対オリックス」戦終了後 |
3 | 30.9% | 1988年10月19日 | いわゆる「10.19」当日。上記を参照 |
4 | 28.2% | 1995年4月24日 | オウム真理教の村井(元)幹部刺殺事件発生など |
5 | 27.6% | 1995年5月8日 | オウム真理教幹部への単独インタビュー放送など |
6 | 26.7% | 1989年6月26日 | 歌手・美空ひばり死去など |
7 | 26.3% | 1989年2月13日 | リクルート事件でリクルート江副浩正前会長逮捕など |
8 | 1995年3月23日 | 地下鉄サリン事件発生など | |
9 | 1995年4月10日 | オウム真理教幹部各地で逮捕など | |
10 | 1995年4月13日 | オウム真理教施設一斉捜索など |
『ニュースステーション』の放送が始まった頃のANN加盟フルネット局はキー局テレビ朝日を含めて12局。クロスネット加盟である福井県の福井放送と、宮崎県のテレビ宮崎と、長野県のテレビ信州(現日本テレビ系)ではその関係上NNN(日本テレビ系)の夜の最終ニュース『きょうの出来事(現:NEWS ZERO)』を放送していた。テレビ信州は、在長民放では4局目に開局した長野朝日放送(abn)の開局まで、ANNのネットニュースは昼枠と夕方枠しかネットしておらず、結果的にテレビ朝日のネットをabnに譲るような形でネットニュースを全てNNNに切り替えた。
ANNは、テレビ放送ネットワークとしては他の放送系列よりも系列局の設置などにはばかるほどの起伏に当たるばかりになってしまい、その後、日本テレビとフジテレビの人気番組の勢いが圧倒的になると、各地のローカル局は人気ネット番組の整理に追われるようになる。1989年のKAB熊本朝日放送の開局を皮切りに、テレビ朝日はNET時代に大頓挫した全国ネットワーク構築を再展開。それまで他系列とのクロスネットを組んでたローカル局ともネット関係をほぼ断ち切るようになり、政府の提案した民放四波化推進の条件にまでは達していないものの、フルネット24局体制を『Nステ』の放送期間中に完成させ、「Nステ」は、北海道から沖縄までテレビ朝日の放送が視聴できる体制づくりにも貢献した。(但し、石川県以外の北陸・山陰・四国・九州などごく一部の地域ではフルネットを未だに開局できていない地域がある)尚、後番組の「報道ステーション」に関しては、ANN完全系列24局が放送開始当初からネットしている。
しかし、系列局発のローカルニュースがANNプライムニュースの位置づけではないためか、番組の放送中などに挿入しにくい状態であるため、系列局今日最後のニュースは、番組の放送終了後か、深夜枠に回されている。(とは言え深夜枠は日付が翌日になったあとに系列局が放送する例が多く、実際は日付が変わったあとのニュースと捉えなければいけないようである。これは「報ステ」に移行した今日にも至っている)
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