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竜馬くんのページ
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ゆうさんのページ| 渡辺さんのページ| 掲示板に書き込む
K-K - 02/10/16 01:40:13
電子メールアドレス:竜馬くん
コメント:
松尾さんのところから逃げてきたのですか?
可愛そうに・・・・。
坂本 - 02/10/16 01:34:44
コメント:
k-kくん では、簡潔にいきましょう。
よろしいですね?
あなたの主張は30万でなく何人ですか?
K-K - 02/10/16 00:46:09
電子メールアドレス:無意味なコピペと、意味のあるコピペの違いです
コメント:
>とうとう正体現しましたねk-kさん
>ダブルスタンダードの癖もあったんですか(苦笑
>きみの荒らしコピペだらけだよ。
論点に返答がなければ、コピペするのは当然ですね。
竜馬くんの場合は、【 無意味 】なコピペですのであらし行為と判断したわけです。
>証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を
>なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて
>いるのです?説明してくださいね。
ですから、存在しない「宣伝」を私が説明出来るわけないのですよ、竜馬くん。
頑張って、「戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語」を、私のHPの中から探し出しましょう。
■もちろん、その様なものは存在しませんが(苦笑)。
KOIL - 02/10/16 00:40:35
ホームページアドレス:http://web.archive.org/web/20070315064434/http://alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/index2.html
電子メールアドレス:発電所の復旧について
コメント:
えーと、発電所の件ですけれど、この記述は参考になるでしょうか?
小原孝太郎日記 1938年1月8日
---------------------------------------------------
検査がすんで部屋へ帰ったらパッと電気がつ
いた。うわ!!とみんな喝采した。今迄ロウソクや種油や石油
で無理して来たのに、電気がついたとは有難い。南京もこれ
で闇の世界から光明の世界にかへったわけだ。皇軍の努力を
有難く思ふ。水道は出るし電気はつくし、有難い次第だ。
---------------------------------------------------
江口圭一・芝浦拓自編 『日中戦争従軍日記』(法律文化社)p152
坂本 - 02/10/16 00:39:18
コメント:
とうとう正体現しましたねk-kさん
ダブルスタンダードの癖もあったんですか(苦笑
きみの荒らしコピペだらけだよ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~guuse/index.html
http://6416.teacup.com/7867zxlotion5/bbs
これにだけは答えてくださいよk-kさん
証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を
なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて
いるのです?説明してくださいね。
よろしいですね?
K-K - 02/10/16 00:05:14
電子メールアドレス:竜馬くんの主張の終演
コメント:
K-Kです。
先ほどの竜馬くんの投稿は、ただのコピペでしたので、あらし行為と判断し削除しました。
どうやら、竜馬くんはあらし行為に訴える以外できなくなったようですので、議論の結論として、以下のようにまとめさせて戴きましょう。
【結論】今までの竜馬くんの投稿には、何一つ根拠はありません。なぜならば、竜馬くん自身が、根拠が存在する証明が出来ないからです。
もともと、竜馬くんに議論の根拠など求めるのは酷だったかもしれません。やはり、竜馬くんを相手にするのは時間の無駄ですね。以降、この掲示板でも、相手にしないことにしましょう。
また、スペースがもったいないので、無駄な投稿は削除していきます。報告は、松尾さんの掲示板で行います。
K-K - 02/10/15 23:43:03
電子メールアドレス:渡辺さんへ
コメント:
K-Kです。
こんにちは、渡辺さん。
>『天皇の軍隊と南京事件』は、 www.amazon.co.jp に「お取り寄せ」で、
>一応でていましたけど。
アマゾンですね。ずぅーっと、古本屋のウェブサイトを回っていたので盲点でした(笑)。さっそく注文しました。
それにしても、発電所について、あんなに資料があるとは知りませんでした。しかも、加藤実翻訳『『この事実を……』「南京大虐殺」 生存者証言集』からも資料を探し出しているところには驚きました。私も、『この事実を・・・』を持っては居るのですが、未だ、全然読み込めていません。
これは、相当な力作です。さっそく、WP化させて戴きます。
K-K - 02/10/15 23:03:50
電子メールアドレス:問われているのは、竜馬くんの主張に根拠があるか?ないか?ですよ
コメント:
竜馬くん、見苦しいですね(笑)。
いつまで、逃げ続けるのですか?
あなたは、このHPにおいて、「戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語」という「宣伝」が存在する、と主張したのですよね?
存在したのでしょうか?
存在しないのでしょうか?
■はっきり答えましょう。
■それで、議論は決着するでしょう。
■もし、回答が示せないようでしたら、竜馬くんの主張には根拠が無いという結論に達します。よろしいですね?
※以下、竜馬くんの文章
---- 引用 ----
ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
---- 終わり ----
JOHN_VOID - 02/10/15 23:00:52
コメント:
坂本さんへ
>ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意
>味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。
上に引用したのは、あなたの主張です。
あなたの主張が事実であることを証明してください。
まず、中国側の主張が、坂本さんが記述された内容であることを具体的な実例で示してください。
次に、このHPに掲載されている資料が、坂本さんの主張と一致していることを具体的な実例で示してください。
最後に、両者の主張が異なることを示してください。
それが出来ないのなら、坂本さんの主張は撤回してください。
とほほ - 02/10/15 22:54:02
コメント:
>渡辺さん そういうやり取りはメールでされては どうです。
他人の掲示板でえらそなこと言うな、坂本竜馬君(笑)
JOHN_VOID - 02/10/15 22:54:00
コメント:
>証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を
ここのHPにアップロードされている資料によって
南京事件の存在はすでに証明されているではありま
せんか。
事実が存在するのに、見解を問うことは無意味で
しょう。
それにこの掲示板は管理者のものであって、坂本
さんのものではありませんので、渡辺さんが資料を
提示することにイチャモンを付けるのは筋違いです。
渡辺 - 02/10/15 22:44:40
電子メールアドレス:K-Kさん
コメント:
思いがけず、『梶谷健郎日記』にドイツ人技術者がきたことが載っていて、その判断に迷いました。
この日記は「大田寿男供述書」と対比させる目的で『南京戦史資料集』でとりあげられたわけです。
基本的には、記憶による「供述書」より、日記のほうが、日時場所など、より正確だとい考えられます。しかし、この記述は、ラーベの日記とは、日付けについて少し摩擦を感じたのです。
ただ、遺体処理については『南京戦史資料集』でいうほど「供述書」と矛盾があるようにはおもえません。
12月16、17日と、午前1時、2時といった時間にそれぞれ、2千名の「敗残兵」の射殺したことや、どうやら19日頃まで盛に射殺していたらしく、22日にも、まだ死体を揚子江に投じているわけです。
いったい、死体処理数がいくらかというと、この日記だけからでは4千名以上ということが分かるだけです。
坂本 - 02/10/15 22:39:38
コメント:
渡辺さん そういうやり取りはメールでされては
どうです。それとも宣伝効果の為の掲示板書き込みですか?
もちろん何でやろうとあなたの自由なんですが、
今この掲示板の妥当性が問われているところへ
その横槍は かえって閲覧者に誤解を与えますよ。
ただでさえ k-kさん自身の見解問われてずーと逃げ回っておられるんですから。
代わりに同じように証明できない存在をHPで宣伝されている渡辺さんが答え頂けますか?
証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を
なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて
いるのです?説明してくださいね。
渡辺 - 02/10/15 22:23:11
電子メールアドレス:天皇の軍隊と南京事件
コメント:
K-Kさん、
『天皇の軍隊と南京事件』は、 www.amazon.co.jp に「お取り寄せ」で、一応でていましたけど。
坂本 - 02/10/15 22:15:38
コメント:
k-kさん
証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を
なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて
いるのです?説明してくださいね。
渡辺 - 02/10/15 22:10:23
電子メールアドレス:ラーベと発電所復旧
コメント:
K-Kさん、
「ラーベと発電所復旧」について、改訂版を下記に投稿いたしましたのでご利用ください。
よく調べてみると、この問題はいろいろなところに絡んでいるようです。とりあえず、wかる範囲で投稿しました。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15767&range=1
坂本 - 02/10/15 21:57:29
コメント:
k-kさんやっと分かりましたね。(笑
>証明出来ない「存在」などというのは、UFOや幽霊>と変わりが無いことくらいは理解できていますね?
君のHPそのものと言うことです。(苦笑
K-K - 02/10/15 21:38:20
電子メールアドレス:ゆうさんへ
コメント:
K-Kです。
こんにちは、ゆうさん。
なるほど、吉田氏の「天皇の軍隊と南京事件」ですか・・・。以前、渡辺さんにも紹介して戴いたのですが、未だに読んでいませんでした。やはり、重要な研究書の一つですね。何とか、ネットで探して見よう思います。
また、いろいろとご紹介してくださって有り難う御座います。ぜひ、資料として使わして戴きます。
K-K - 02/10/15 21:34:58
電子メールアドレス:はぐらかし続ける竜馬くん
コメント:
>君の大虐殺物語宣伝が30万でないのなら何人なのか明確に示して下
>さいね。まさか数字の明示なしに大虐殺を銘打てませんわな。今度こ
>そハグラカサズ男らしくしようね(笑 中国に言う南京大屠殺を拡大
>解釈する意図も言い訳してくださいねー。
竜馬くん、「はぐらかし」は見苦しいですよ(笑)。
竜馬くんは、以下のように明記したわけです。
---- 引用 ----
ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
---- 終わり ----
しかし、ここには「戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語」などの宣伝は存在しないわけですね。
よろしいですね?
えっ、存在する?
ならば証明しましょうね。
証明出来ない「存在」などというのは、UFOや幽霊と変わりが無いことくらいは理解できていますね?
JOHN_VOID - 02/10/14 20:36:13
コメント:
なぜ、それがキーワードなのだろう?
違いがあるんだろうか?
坂本 - 02/10/14 19:56:15
コメント:
殺害人数=虐殺人数?
そこはキーワードですので正確にお願いします。
JOHN_VOID - 02/10/14 18:39:44
コメント:
>陥落時の人口を明確にしない事には物語にすらなりません。議論に入って行けないわけです。
南京大虐殺は、捕虜に対して行われたものが過半を占めるので、
殺害人数は陥落時の人口とは関係ないと思いますが?
南京防衛軍の規模を問題にするのであればまだ理解できますが。
それに、なんとなくあったという論理展開をしている人を見たことありません。
否定派の受け売りをしているだけの人は沢山見たことがあります。
坂本 - 02/10/14 16:27:26
コメント:
時期と範囲、その範囲における陥落時の人口に関して
この物語を宣伝する偏向洗脳者の中でも
内容の当否はともかく自身のその見解を電脳掲示板で明確に示した事に関してはk-kくんよりもとほほ
くんが評価されてしかるべきです。
少なくとも否定派や懐疑派にその根拠を順序立てて説明しよう という姿勢が見られるからです。
k-kくんの場合は、全く自身の見解も示さず、順序立てて相手に説明しようと言う姿勢が見られないと言うことです。
ある事柄や事件があった と主張する場合
当人がその概要を説明し、そこから順次証拠の提示
するのが義務であり、その後、詳細の当否の議論に入って行くのが当然です。
そういう手順を無視しハグラカシや曲解、議論のループ戦術により、ただなんとなくあったかのように印象誘導
に終始していたのでは議論以前に、それは 物語宣伝と
認定されて当然です。
とほほくんと見解が異なるのであれば、どこがどう違う
のかを説明し、まず統一された時期、範囲とそこの
陥落時の人口を明確にしない事には物語にすらなりません。議論に入って行けないわけです。
我々のみならず、とっくに見解を示している とほほくんにも大きな迷惑が掛かっている事にも気付くべきでしょう。
よろしいですか?k-kくん?
とほほ - 02/10/14 15:00:51
コメント:
その結論は科学的に表現される。現状における私に言える結論は「10数万人以上の虐殺があった」である、この結論はけして30万と言う数字を否定するものではない。
否定論者、歴史修正主義者、嘘吐きどもはこうした数字に対する誤謬を操りありとあらゆる「トンデモ」を創造し悦に浸る、これは南京事件に限らずである、手法がワンパターンなのである。
例えば南京否定論者である。勝手に「大虐殺派」「中虐殺派」「小虐殺派」などと分類し数字の相対化によりその科学的結論に対する「印象」を操作しあたかも各派が対立論争しているかのように読者を錯誤に誘う、その間隙を狙い己のトンデモまで一つの立場として見せかけるわけである。その実各論説の結論はそのどれも「30万」と言う数字を否定はしていないのである、各論説の提示している数字は現段階において科学的に確認できる数字の主張であり南京事件で虐殺された数字を言及するものではない。
法も歴史学も事実認定に対して非常に誠実で真摯な学問である、が、これをも否定論者、歴史修正主義者、嘘吐きどもは大前提を無視し錯誤を煽る。法と歴史学はその学問の目的が違う、法の目的は人を裁くものである、歴史学に人を裁くと言う目的はない、この認識が理解できていれば法の事実認定と歴史学の事実認定の取るべき立場がおのずと異なるべきであることは自明であろう。
私の現状における事件に対する認識をお尋ねの方もいるようなので、既に数年前から自分のサイト上に提示済みであるが、こういう頭の悪いワカランチンにもわかりやすいようにに以下に提示しておいてあげよう。
「南京大虐殺事件とは、南京攻略戦とその後の南京統治期間中に行われた[捕虜、敗残兵、投降兵等の軍兵軍属に対して行われた虐殺][民間人に対して行われた虐殺・略奪・暴力・強姦等]の蛮行を言う、その際に虐殺された軍兵軍属民衆は10数万人以上にものぼり、この数字は決して30万を否定するものではない」
JOHN_VOID - 02/10/14 13:02:37
コメント:
>戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。
寡聞にして、そのような日本国内の物語を聞いたことがありません。
これは捕虜の虐殺のことを指しているのですか? その場合は敗残兵の虐殺だけを指しているのですか? それとも敗残兵の殺害は「戦闘や巻き添え」に含めるのですか?
幕府山の虐殺は、場内の敗残兵狩りによる捕虜ではなく、戦闘中に投稿してきた捕虜を戦闘終了後に殺害したのですが、それは戦闘中に殺害したことに、どちらにカウントするのですか?
殺害数の正確な人数とは
(1)どの地域
(2)どの期間
に起きた殺害数の人数ですか?
また、正確な人数とはどれぐらいの誤差を含めているのですか?
秦郁彦氏は日本軍の戦闘詳報から殺害数を約4万人と計算して
いますが、これは坂本さんの基準ではどの程度の精度にあたりますか?
ゆう - 02/10/14 10:50:31
電子メールアドレス:K-Kさんへ 「みんなが知っている」について
コメント:
「資料」ですので、もちろん自由にお使いいただいて結構です。ただ、内容的には、明らかな事実誤認もありますので、その旨のコメントは必要だと思います。
この小説の背景ですが、本の中には何のコメントもなく、またネットで調べても適当なものが出てきません。内容的にはほとんど「戦記」に近く、吉田裕氏「天皇の軍隊と南京事件」の中では、この小説の「捕虜虐殺」の記述が「証言」のひとつとして扱われています(P50)。
「モデル」の行動記録をいくつか引用しておきますので、どなたか詳しい方、何か気がついたことがありましたら、教えて下さい。ひょっとすると、「モデル」の正体を隠すため、設定を微妙に変えている可能性も、あるかもしれません。
>いわゆる<赤紙>の召集令状を受けとったのは、昭和十二年九月二十日。私は数え年で三十三になっていました。(P306)
>かたどおりの身体検査がすむと、その日(引用者注.召集令状受け取りより「四日目」) のうちに私は輜重兵として、第十三師団に編入され、入隊後一週間目には広島の宇品へ送られました。(P306)
>昭和十三年八月以降の私の軍隊手帳は、
十月三十日ヨリ十一月三日迄、武漢平地にオケル追撃戦闘。
十一月四日ヨリ十四年三月末迄、漢口及ビ其附近の警備。
四月一日より五月末日迄、袁東会戦。
六月一日ヨリ十一月十三日迄、安稑附近の警備。
十一月十四日、陸支機密第一一七○号ニ依リ、旧口鎮出発。
十二月十一日、宇品港上陸。
十二月十三日、仙台着。十二月二十日召集解除。(P323)
*なお、「支那派遣軍が、(毒)ガス弾を使用した確証」についての記述もあります。見覚えのある文章なのですが、どの本で紹介されていたのか、捜しきれませんでした。
**「死体処理」について、興味深い部分を紹介しておきます。
>誰かが考えだして、河岸の楊柳を切り、先端を尖らすとそれを魚又のように使って屍体を二つ三つと櫛刺しにし、それを二人一組で水際までひきずって行きました。(P320)
>水際に捨てた屍体も、溜水に浮んだ塵芥のようにいたずらにその層を拡げていくばかりでした。ニ、三人の兵隊が小舟で屍体の溜りの中に漕ぎ入れ、水の流れに乗せようとかかりましたが、五つか六つ流れに押し出したきりで、あきらめてしまいました。(P320~P321)
坂本 - 02/10/14 05:06:44
コメント:
k-kくん
君の大虐殺物語宣伝が30万でないのなら何人なのか明確に示して下さいね。まさか数字の明示なしに大虐殺を銘打てませんわな。今度こそハグラカサズ男らしくしようね(笑 中国に言う南京大屠殺を拡大解釈する意図も
言い訳してくださいねー。
ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
タラリさんの投稿で
>「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです
昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。
これは当然どこの国の人間にも共通するところです。
世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
K-K - 02/10/14 00:30:02
電子メールアドレス:ゆうさんへ
コメント:
K-Kです。
こんにちは、ゆうさん。
この資料は、非常に興味深いものですね。
内容を見ると、微妙に時事関係に違いがある点と、事件の内容と一致する点が入り乱れています。どの様な過程でこの作品を書いたのか、明らかになればさらに面白いですね。
この資料をHPに掲載したのですが、構わないでしょうか?ご検討をお願いします。
ゆう - 02/10/13 21:20:44
コメント:
あれ、竜馬氏と坂本さんは、やはり同一人物だったわけですか。的外れなレスをしてしまいました(^^; あと、38秒待てばよかった(笑)
相手にするだけ、時間の無駄でした。
一言、「みんなが知っている」投稿に付け加えるのを忘れていました。
最初からいきなり「十二月八日前後」に「南京城はすでに陥落」という一文がありますが、これは「筆写ミス」ではありません。
他にも明らかな「事実の誤り」が散見しますが、「資料」として、すべて原文のまま引用しています。念のため。
ゆう - 02/10/13 21:00:04
電子メールアドレス:藤原審爾「みんなが知っている」
コメント:
「文字化け」になりましたので、再投稿します。K-Kさん、申し訳ありませんが、前の分は削除しておいて下さい。
「文学作品における南京事件」が話題になっていますので、私も、ひとつ資料を提供します。
藤原審爾著「みんなが知っている」のうち、「南京大虐殺」の章の、最初の1/3くらいです。
最初に注意しておきますと、「文学作品」であるという制約、また、ソースが(おそらく)「第一三師団の兵士が他の一兵士から話として聞いたもの」という「また聞きのまた聞き」に過ぎないものであること、から、「正確性」の点ではかなり疑問があります。
しかし、内容はいわゆる「自衛発砲説」を明らかに否定したものであり、「栗原証言」が出るはるか前の1957年段階でこのような記述が存在することは、注目してもいいのではないか、と思います。
(以下引用)
私たちが南京市へあと一日行程という距離まで辿り着いたのは、上海上陸後まる二カ月、十二月八日前後のことで、南京城はすでに陥落し、城内居住一般民に対するあの悪名高い大虐殺が行われていた真唯中にあたっています。
ですから、私は幸いにも城内の惨禍に直接あずかることはなかったわけですが、そのかわり、南京城外北方の烏竜山麓における数万におよぶ虐殺死体の清掃を担当しなければなりませんでした。
官立学校だと聞かされた校舎に宿営した翌朝、食事が終ると突然、
「昼食携行、全員軽装にて直ちに集合ツ」
の命令が出ました。
行く先も、目的も全然知らされないまま二里ばかり歩かされ、十時頃着いたところが、烏竜山麓の殺戮現場でした。
一方が烏竜山麓の高地で、山添の道路から傾斜地を下ると揚子江の水際までゆるい起伏を持った広い砂原でした。その広い砂原いっぱいに、前夜半行われた惨劇の地獄図絵が生々しくひろがっていたのでした。それは戦場を歩き慣れて並大ていのことでは愕くことのない私たちでさえ、声をのんで立ちつくしたほどでした。
ここで焼殺された人達は二万ともいい、一説には四万ともいわれています。被害者は南京市の周辺地区から戦禍に追われて城内へ蝟集してきた避難民だったとの事ですが、それを部隊はこの砂原地帯に集結させたまま、一週間あまり兵糧攻めにしたのです。ただ一回だって食を与えず、水さえ飲ませませんでした。
その飢えた避難民の集団をその日の前夜、二個小隊の機関銃隊が上の道路から一斉射撃したのでした。
しかし、水一滴飲まされなかった二万人の群衆の日本軍に対する憤怒のエネルギーがどれほど凄絶なものか、それを指令した軍高級官も、出動した二個小隊の兵たちも、まったく考慮することが出来なかったのです。
夜陰に乗じて虐殺の銃火を点じた日本軍に対する怒りの爆発は、一週間の絶食で消耗しつくした二万の体力を再び復活させるのに役立ちました。異様な雄叫びを上げながら、彼等は道路上の機関銃隊へ向って逆に雪崩のように殺到したのです。二万の大群衆です。たとえば宮場前広場(ママ)を埋めつくすほどの人達が怒りに燃えたぎって殺到したのですから、二個小隊の機関銃隊は、あっという間に押し潰されてしまったのです。
小高い道路上からこれを見物していた自動車隊が臨機の処置をとらざるを得なくなったのです。ぐずついている間はなかった。積み込んでいた全部のドラム罐のガソリンを傾斜地へ放流し、マッチをすって投げ込んだのです。
この自動車隊の本来の任務は、機関銃隊が独力仕上げる筈の屍体の山に万遍なくガソリンをふりかけ、手際よく焼き尽くして、いくらかでも罪跡をくらます事にあったのでしょうが、それどころではなくなったものでした。しかし、この咄嗟の判断で、殺到する群衆を燃え足の早い猛火の垣でさえぎってしまいました。逃げ場を失った群衆は猛火のために焼殺されてしまったのですけれど、その代り、友軍の二個小隊もその道連れにされてしまったのです。これはその夜の自動車隊にいた一兵士から、その日きかされた話です。
(「藤原審爾作品集 みんなが見ている前で・みんなが知っている」所収「みんなが知っている」P318~P319)
このあとには、死体処理の具体的な風景、「舟に南京市民を満載して」揚子江で「一挙に覆えした」話など、興味深い話が続きますが、長文になりすぎますので、省略します。
K-K - 02/10/13 20:54:38
電子メールアドレス:竜馬くん
コメント:
>ゆうさん この意見をどう論破したと言うのです?
>タラリさんは このHPの何処に30万という文字があるか見つけた
>んで沈黙なんでしょ?
見つけてないようですね。
>みっともない大強弁は 新しい歴史教科書採択妨害の嫌がらせ・脅迫ま
>がいの電話・ファックス・放火など姑息な行動の思考回路を彷彿させる
>だけですよ(苦笑
「みっともない大強弁」とは、「存在しない」ものを「存在する」と主張する竜馬くんの姿ですね。
それとね、「嫌がらせ・脅迫まがいの電話・ファックス・放火など姑息な行動の思考回路」と「みっともない大強弁」との関連性は何でしょうか?関連性の無いものから、竜馬くんは「彷彿させる」ことが出来るのですか?
まぁ、ここらへんが「みっともない大強弁」なのでしょう(苦笑)。
>下の意見の何を論破したと言うんですか?
論理の根拠となる事実が存在しないのですから、「論破」する前に、「論」として成り立ってないということですね。
■普通の人は「皆まで言わない」から、竜馬くんには理解できなかったようです。
■皆さん、ご容赦ください。
>ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦
>死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き
>添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さ
>だした中国人学者も現れているかもしれませんが)
「存在しない」事実とは、これのことですね。
竜馬くんは「存在する」と主張しているのですから、その証明ができなければ「存在しない」ということになるのです。
■オワカリデスカ。
>昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
>戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
>一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
>平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。
>これは当然どこの国の人間にも共通するところです。
>世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
>幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
うーん、竜馬くん。なんていう文章を書いているの(苦笑)。
坊主の説教じゃないのだから、この様な紋切り型の文章を書いてもしょうがないでしょう?
タラリさんは、君がいう「異常な時代」のさ中に、『「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に富む行動を臆することなく書いた』と書いているのです。「異常な時代」だったのかどうかなど論点ではないし、日本の現状が平和であることも論点ではないし、日本の将来も論点ではないのです。
君が明らかにした「異常な時代」と、その「異常な時代」に書かれた石川達三の作品との関連性について書かないのですか?自分の一方的な思いを書いても、「あぁ、そぅ」と言う以外ないのですが・・・。
読書感想文ではないので、もう少し意味のあることを書きましょう。
特に「幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです」なんて、小学生の作文なみですね(苦笑)。
ゆう - 02/10/13 20:54:00
電子メールアドレス:坂本さん・・・(たぶんこれで最後)
コメント:
坂本さんは、竜 馬 氏 と は 違 い(ここ、強調しておこう(笑)。一応、「ダブハン」ではない、と考えることにします)、まともな議論を望んでいるように見えたので、一応のレスをしたのですが、その後の展開を見ると、期待外れだったようです。
「否定派」の立場をとることは、一向に構いません。「否定派」に属する人の議論でもハッとするような鋭い見解に出会えることもありますし(板倉氏など、結構面白い議論をすることがあります)、私としては、私自身の「勉強」に参考になる意見を聞けるのであれば、どのような立場の方であれ、大歓迎です。しかし、申し訳ありませんが、坂本さんの議論は、今のところ、とてもそのようなレベルにはないように思います。
投稿の内容は乏しいし(まさか素晴らしい内容だと自認している・・・わけないですね)、タラリさんが「30万という数字がどこにありますか?」と質問すると「ここのHPなんですからご自分で見つけて下さい」と無責任な開き直りはするし(論破されていない、と思っているんでしょうか?)、紹介するページは誰でも知っている松尾氏の掲示板とグース氏のHPだし・・・。
坂本さんは、この掲示板での討論に、何も新しい論点・知識を付け加えていませんし、おそらく今後も付け加えることはない、と思います。大変失礼ですが、私としては、このままでは、坂本さんの投稿を読ませていただく意義を感じませんし、他の人も同様でしょう。
・・・ちょっと言い過ぎたかもしれません。これが私の誤解であることを祈りましょう。次回の投稿が、この掲示板の皆さんの知的刺激になるような、素晴らしいものであることを期待します。
さて、あまりこだわるのもつまらないので(^^)、話題を変えます。
タラリ - 02/10/13 17:25:18
電子メールアドレス:答えがやはりない
コメント:
坂本さん、私の投稿とあなたのレスをよーく読み直してみて下さい。
>ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という物です。
これはあなたの主張です。
私はこのHPでそのような主張がされているとは一度も言っていません。
あなたの主張ですから、あなたが証明すべきものです。
まだ探していないのは坂本さんの方ですよ。自分が主張しておいて相手に
証明を強要する? 頭おかしいんちゃいますか。
もう一度聞きますよ。
30万人という数字がどこにありますか。答えられない場合は
これ以上、これ以上相手しませんので、よろしく。
坂本 - 02/10/13 15:32:11
コメント:
それとタラリさんに、ゆうさん 大虐殺物語の宣伝に
洗脳されないようにこちらのHPも合わせて読まれる
事をお勧めしておきます。もう一度子供の時のように
純粋潔白な心で日本国民の歴史の真実を勉強し直されることを期待しております。
http://6416.teacup.com/7867zxlotion5/bbs
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/index.html
坂本 - 02/10/13 15:10:34
コメント:
タラリさん探していなかったんですか?
ここのHPなんですからご自分で見つけて下さい。
学問に王道なし(笑
どうしても ないと言うなら
k-kの大虐殺物語宣伝が30万でなく何人なのか明確に示して下さいね。まさか数字の明示なしに大虐殺を銘打てませんので。
タラリ - 02/10/13 14:17:50
電子メールアドレス:質問に返事がないが
コメント:
坂本さん
30万という数字がどこにありますか?
私が聞いているのだが、返事がない。
>ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は(略)、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。
だから、そんな宣伝がどこにあるのか、返事は?
坂本 - 02/10/13 12:59:55
コメント:
ゆうさん この意見をどう論破したと言うのです?
タラリさんは このHPの何処に30万という文字があるか見つけたんで沈黙なんでしょ?
みっともない大強弁は 新しい歴史教科書採択妨害の嫌がらせ・脅迫まがいの電話・ファックス・放火など姑息な行動の思考回路を彷彿させるだけですよ(苦笑
下の意見の何を論破したと言うんですか?
もう一度あなたの石川達三氏についての投稿からの流れを念頭においてわたしの文章をよーく読んで趣旨を理解してください。かなり偏った誤解をされているようです。
ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
タラリさんの投稿で
>「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです
昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。
これは当然どこの国の人間にも共通するところです。
世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
ゆう - 02/10/13 06:24:59
電子メールアドレス:坂本さん・・・
コメント:
どう読んでも、私にも、タラリさんが理解しているようにしか読めません。
私には、論破された投稿をまたコピペして出してきているとしか思えないのですが・・・。(一般的には、同じ文章を繰り返し投稿するのは、掲示板のマナー違反だと思います)
もし「かなり偏った誤解をされているようです」と主張するのであれば、前の文のコピペをしても意味はありません。あらためて、「誤解」の内容をきちんと説明するべきでしょう。
渡辺 - 02/10/12 23:40:06
電子メールアドレス:誤植訂正
コメント:
『生きてゐる兵隊』初版序文(「誌」)に、いくつか誤植がありましてので訂正し、下記URLに投稿いたしましたのでお知らせいたします。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15719&range=1
渡辺 - 02/10/12 23:20:52
電子メールアドレス:タラリさん
コメント:
タラリさん、はじめまして。
ご紹介のHPは、以前、訪問したことがありますが なぜか、全部読んでいませんでした。ご紹介いただいたおかげで、今回、きちんと読みました。
http://www.fujijoshi.ac.jp/dept/japanese_dept/sugamoto/guraduation-teses/gurad00/kakuta/kakuta00.html
裁判資料がどこに掲載されているか書かれていましたが、これは助かります。
この作品を見る視点はいくつかあると思いますが、私は、歴史資料として石川達三の作品を検証し、資料としてどう使うことができるかという視点で興味を持っています。
文学作品として見る場合でも、どこまで事実が書かれているかによって評価や見方が変わってくると思います。
たとえば、KOILさんが指摘したような、日本兵が正規に持っているはずのない「モーゼル銃」の件は、単に文学として読むと見落としやすい個所です。
作者が南京に到着した時期については、どうやら本人自身があいまいなようです。しかし、1月4、5日あたりのようです。
ご紹介のHPでは、『五人の補充将校』(昭和14年発表)という短編には触れていませんが、この作品には南京へ行く途上の様子と、三三連隊との出会いのきっかけが書かれています。
また、『包囲された日本- 仏印進駐誌』(昭和18年脱稿、集英社 1979年刊)も触れていませんが、この作品と比較すると『生きてゐる兵隊』は「小説」というより、むしろ現在でいうノンフィクションであったように思われます。この作品は最初から発表をあきらめていたようなので、『生きてゐる兵隊』のような、ねじれた表現はなく、非常にすっきりしています。
「前記」で、その取材方法に触れていますが、きわめて実証的で精力的な取材の姿勢には感嘆しました。
現在は、私は別のテーマで時間的余裕がありませんが、来年の初めくらいには、『生きてゐる兵隊』について まとめてみたいと思います。その節は、ご批判をお願いいたします。
坂本 - 02/10/12 21:22:40
コメント:
もう一度あなたの石川達三氏についての投稿からの流れを念頭においてわたしの文章をよーく読んで趣旨を理解してください。かなり偏った誤解をされているようです。
ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
タラリさんの投稿で
>「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです
昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。
これは当然どこの国の人間にも共通するところです。
世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
タラリ - 02/10/12 20:23:04
電子メールアドレス:虐殺主体
コメント:
坂本さんへ
>ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
このHPのどこに30万人という文字があるのか教えて下さい。
>世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
場所ということではなく、虐殺を起こした主体が問題です。どこでも行われたというのでは嘘になります。この当時、これだけの規模の虐殺を起こした軍隊は日本軍しかなかったというのが事実です。
坂本 - 02/10/12 19:53:38
コメント:
言葉足らずを補足します。
ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
タラリさんの投稿で
>「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです
昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。
これは当然どこの国の人間にも共通するところです。
世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
坂本 - 02/10/12 19:06:17
コメント:
ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という物です。
タラリさんの投稿で
>「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです
昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう
世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
タラリ - 02/10/12 18:32:44
電子メールアドレス:残虐性の証明
コメント:
坂本さんへ
「宣伝されているような大虐殺」というのが何を差すのか、私にはわかりません。
石川は当時の検閲者にとって許せないような残虐な記述、また文芸評論家たちからすると明らかに「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に富む行動を臆することなく書いた、ということです。
石川は南京には1月4、5日に入り虐殺の現場は直接目撃していません。しかし、文学的な情熱に基づき、戦争中の兵士の「生きた」さまを活写するべく精力的に話を聞いて廻ったのは間違いないでしょう。
つまり、石川の小説は当時の兵士が戦場に送られるとともに虐殺の基礎となる残忍性を身につけていたことの証明です。そして兵士たちが自らの残忍性を意識することなく、隠すことなく石川に語ったということだけが確かに言えることです。
坂本 - 02/10/12 17:49:33
コメント:
タラリさん
つまり宣伝されているような
大虐殺はなかったということですね?
タラリ - 02/10/12 14:08:49
電子メールアドレス:sakat37@nifty.com
コメント:
石川達三の「生きてゐる兵隊」についての文学的見地からのHPがあり、示唆に富みます。http://www.fujijoshi.ac.jp/dept/japanese_dept/sugamoto/guraduation-teses/gurad00/kakuta/kakuta00.html
石川の意図は戦争における兵士における日常からの変わり様を正確に描写することにあった。兵士の残虐行為は状況により「迫られて」したものと理解されており、そのような残酷な状況を銃後の日本国民も理解しなければならない、という使命感があって書いた。そのため、小説が発禁処分を受け、本人が刑を受けることなどはまったく予想の範囲外であったことが述べられている。
当局から反戦意図を持った小説して起訴されたのと同じく、文芸評論家からも反戦意図を持つものとして受けとめられたが、その際には兵士の行動を支えた国家意志への批判がないと非難された。この当局からの弾圧と同じく評論家からの批評もまったく彼の気にそまないものであった、というのが面白い。
ところで、極東裁判前後の彼の意識は敗戦という現実に面して残虐行為への認識を軌道修正しているようである(読売新聞インタビューなど)。それに反して死の直前におこなったとされる阿羅健一「南京事件」文庫本版ではおよそ生気のない、表現に対する意欲、残虐行為に対する憤りの感じられない短い文章に終始している。死の直前までには事件に対する姿勢に何らかの変化があったのかかどうか。また、そもそもこのインタビューは正確なものなのか、どうか。
阿羅本では南京入りを入場式から2週間後としている。角田論文では1月4、5日頃と推定している。「大殺戮」を否定しているが、「大虐殺」を否定しながら小虐殺の目撃はキチンと行っているのは阿羅本の他の証言にも多い。
渡辺 - 02/10/12 02:08:37
電子メールアドレス:資料『生きてゐる兵隊』初版序文(「誌」)
コメント:
石川達三『生きてゐる兵隊』初版の序文「誌」を、参考のため、下記URLに投稿いたしました。
ご自由に利用くださってけっこうですが、なるべく引用元をご自分で確認されるよう、お勧めいたします。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15711&range=1
渡辺 - 02/10/12 01:56:43
電子メールアドレス:資料『石川達三インタビュー』(昭和21年5月9日『讀賣新聞』記事)
コメント:
『石川達三インタビュー』(昭和21年5月9日『讀賣新聞』記事)の全文を投稿いたしました。
ご自由に利用くださってけっこうですが、なるべく引用元をご自分で確認されるよう、お勧めいたします。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15709&range=1
なお、投稿文中の説明について訂正いたします。
(誤)2000年10月24日に ash_28 の No.1847 の投稿を利用させていただきました。
(正)2000年10月24日の ash_28さんによる No.1847 の投稿を利用させていただきました。
KOIL - 02/10/12 00:59:24
電子メールアドレス:試し切りに追加
コメント:
参考までに、試し切りに関する記事を追加投稿します。
描写がかなりリアルです。
白水橋?あたりだとおもわれます。
-------------------------------------------------------
小原孝太郎 第16師団 輜重兵第16連隊 輜重兵特務兵
十二月十七日
(前略)
二十七班が乾草の徴発に行ったら農家の藁の中に敗残兵が
四名隠れてゐたので、それを捕へて来た。自分等の△△△が
業物を抜いてずばっと一刀のもとに切捨てたら、首がぶらん
ぶらんしてゐた。次に△△△の△△△が抜くなりやったが、首
は落ちなかった。△△△△がついで、俺のを手本にしろとい
ふなりずばっと飛閃一陣、首は前にころがって血汐がそれを
追っかけてほとばしった、物凄い腕だ。
(後略)
-------------------------------------------------------
江口圭一・芝浦拓自編 『日中戦争従軍日記』(法律文化社)p136
△は編者の判断によって伏字です.。
「ぶらんぶらん」は反復記号によって省略されていますが、
該当の文字が出せませんので、読みのとおりに表記しました。
K-K - 02/10/12 00:11:11
電子メールアドレス:ゆうさんへ
コメント:
K-K。
ゆうさん、こんにちは。
私も「正論」の阿羅論文を読みました。
細かい証言の間違いを取り上げて、「ウソだ」と主張するいつもの論調でした。
証言内容が食い違うことは当然のことなのですが、阿羅氏には理解できないようです。
実際、自身の著書『「南京事件」日本人48人の証言』でも、自分の上司である長勇中佐が中支那方面軍の参謀であったことを知らなかったなどと証言しており、矛盾が出ていますね。
どうも感情的な文章だという感想しか残りませんでした。
事実の前には、あの程度の反論しか出来ないのでしょうね(笑)。
※アラシ君については、気づき次第削除しますので、お見苦しい点はご容赦ください(笑)。
※週が明けたら、プロバイダーに通報しようかと思っています。
ゆう - 02/10/11 23:26:53
電子メールアドレス:試し切り
コメント:
有名なのは、「中島日記」の文章ですね。
●「南京戦史資料集?」P218 中島今朝吾日記 十二月十三日
<一、本日正午高山剣士来着す 時恰も
捕虜七名あり 直に試斬を為さしむ
小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込(事)斬りたり>
(カタカナをひらがなに修正)
こんなことを日記に平気で書くあたり、中島中将が「試斬」を「残虐行為」とは夢にも考えていないことがわかります。
「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」では、このあたりでしょうか。
●P66 古川康三(16D33i第二機関銃中隊)
機関銃や地雷で殺す以外にも、残虐行為を見たことがありました。戦闘中に新しい将校、幹部候補生から上がった将校のほとんどが任官制少尉(一年間の教育を受けて任官)になって小隊長になるものだから、そういう人がよく試し切りといって敗残兵ということで中国人を捕まえて切っていました。・・・私は目の前ではっきりと首切りを見ました。部落を攻撃して敗残兵を捕まえると小隊長が切ってるのを南京の陥落の前にも何回も見てきました。
●P266 上岡光雄 (16D33i 輜重特務兵)
私らが初めて捕まえた支那人は男でして、本当に悪いことをしたかしてないかも分からなくて、弱そうに見えたので外の二人と相談して駐屯地に連れて行きました。そしたら軍刀を持ったある下士官以上の人の試し切りになったようです。
「試し斬り」は、ほとんど「常識」だったようです。
「諸君」と「正論」で、早速「南京戦」の批判記事が掲載されましたが(両方買ってしまいました(^^))、細かい「日時」や「場所」はともかく、このような「具体的な体験談」については、十分な信憑性があると思います。
・・・うっとおしいアラシ投稿がないと、この掲示板もすっきりしますね(笑)。
K-K - 02/10/11 22:54:16
電子メールアドレス:JOHN_VOIDさんへ
コメント:
K-Kです。
JOHN_VOIDさん、こんにちは。
> 南京事件当時の岡田酉次氏は、上海派遣軍司令部特務部に所属しています。
> その前は、参謀本部支那課の所属です。
ありがとうございます。
なるほど、これは重要な資料ですね。
その割には余り利用されていないのではないでしょうか?私は、JOHN_VOIDさんに指摘されて初めて知りました。
機会があったら、ぜひ、目を通しておきたい資料の一つですね。
JOHN_VOID - 02/10/11 07:43:21
コメント:
南京事件当時の岡田酉次氏は、上海派遣軍司令部特務部に所属しています。
その前は、参謀本部支那課の所属です。
K-K - 02/10/11 01:28:19
電子メールアドレス:JOHN_VOIDさんへ
コメント:
K-Kです。
こんにちは、JOHN_VOIDさん。
一点だけ質問をさせてください。
引用されている日記の筆者である岡田酉次少佐は、どの部隊に所属していたのでしょうか?JOHN_VOIDさん記述からみると、上海派遣軍司令部にいた様に思われますが?
渡辺 - 02/10/11 01:08:45
電子メールアドレス:Koilさん
コメント:
>コメント:
>渡辺さん。はじめまして.m(__)m
あれ、もう挨拶したんじゃなかったっけ?
今日はもう寝ますけど、とりあえずよろしく。
渡辺 - 02/10/11 01:04:37
電子メールアドレス:JOHN_VOID さん、
コメント:
JOHN_VOID さん、
「朝香宮がいる司令部」は、そうとうなものだったようです。もちろん「朝香宮」はご存知なかったと思いますが。
『元102人~』をご覧ください。
JOHN_VOID - 02/10/10 23:59:54
コメント:
陸軍の主計少佐の回顧録に、南京事件に関連した記述が少しありました。
>前進につれて通路の両側には死屍累々として目を覆わしめるものがあり、
>やっと城壁から逃れ出た中国兵士達-眼前で降伏する者あるいは捕虜と
>なって後送される者売る者あり、また小広場では数珠繋ぎのママ互いに身を寄せ合って茫然自失している敗残兵があるなど-を
>至る所で見かけたが、その中には女性さえ混じっているのに気づいた。
「日中戦争裏方記」p113(岡田酉次 当時陸軍主計少佐)
女性も混じっていたという証言もあるのは珍しいと思います。
主計少佐として、占領地で日本軍の軍票がどの程度流通できるか視察するのが目的なので、南京市の市場にも自ら出かけています。
> この頃になると、比較的戦火を免れた城外や近郊では、いずれの都市
>占領の場合にも見られる泥棒市場がポツポツ立ち始めるのが見受けられた。(中略)
>平時でもたまに見かける例ではあるが、中国ではこうした混乱の際、
>盗難品をもって集まる難民による市場が生まれる。通称「泥棒市場」と
>呼ばれる所以であろう。(中略)
>もとより今回の場合は、良き掘り出しものがな、などという心のゆとり
>もなかったが、紙巻き煙草の一本売りをするこれらの市場において、
>日本兵達の差し出す軍票に住民達がどんな反応を示すかが、私ども
>の視察の目的だったのである。
市場が立っていたから、南京での虐殺はなく平和だったという否定派の主張への反証になるでしょう。
また、南京以外での捕虜殺害について、貴重な証言があります。
当時上海派遣軍司令部(朝香宮が司令官)のあった湯山に、中国軍の小部隊が迷い込んできて大騒ぎになった際に
>この時数名の敵兵が捕虜になったとのニュースが伝わると、特に下
>士官連中がおっとり刀でこれに殺到せんとする光景を見せつけられ、
>戦場ならではの思いを深くした。おそらく伝来家宝の日本刀や高価
>を払って仕込んできた腰の軍刀がうづいていたのであろう。いずれ
にしても戦場の夢ははかなかった。
朝香宮がいる司令部でさえ、こうなのであれば、南京攻略軍の軍記はかなり緩んでいたことや、捕虜を殺害するのがすでに常態と化していたことが推察できます。
とほほ - 02/10/10 17:49:30
コメント:
> あらし投稿を削除しました。
なんであらしくん達、私の掲示板こないのだろう(T_T)
悪戯電話は竜馬くんから二回くらい来たけど(笑)
KOIL - 02/10/10 07:12:23
ホームページアドレス:http://web.archive.org/web/20070315064434/http://alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/index2.html
電子メールアドレス:はじめまして
コメント:
渡辺さん。はじめまして.m(__)m
>なお「何万という」くだりですが、12月13日に揚子江上に浮遊した「敗残兵」「凡そ五万」が殺されたこと
>は書いておりますので(中公文庫では p.141)、
これは、この部分ですね。
---------------------------------------------------------------------------------------------
ユウ(←KOIL注:字が出ない)江門は最後まで日本軍の攻撃をうけなかった。城内の敗残兵はなだれを打って
この唯一の門から下関の碼頭に逃れた。前面は水だ。渡るべき船はない。陸に逃れる道はない。
彼らはテーブルや丸太や板戸や、あらゆる浮物にすがって洋々たる長江の流れを横切り対岸浦口に渡ろうとするのであった。
その人数およそ五万、まことに江の水をまっ黒に掩うて渡って行くのであった。そして対岸について見たとき、
そこにはすでに日本軍が先廻りして待っていた! 機銃が火蓋を切って鳴る。水面は雨に打たれたようにささくれ立ってくる。
帰ろうとすれば下関碼頭ももはや日本軍の機銃陣である。-----こうして浮流している敗残兵に最後のとどめを刺したものは
駆逐艦の攻撃であった。
『日本の文学56 石川達三』(中央公論社 昭和47年)p119
---------------------------------------------------------------------------------------------
>問題としているのは市民のことでしょう。
私は、初め中国側発表の30万と言う数字を石川は否定したのかと思いました。
けれどそれだったら、
「何十万の死体の処理は~
とはなっても、阿羅健一が書いているように
「何万の死体の処理は~
とはなりませんでしょうし。
いずれにせよ、該当の旬刊『世界と日本』を手に入れて読んでみたいと思います。
畠中と阿羅という、二つの名前を使い分けてる事も気にかかりますし・・・・・
>『生きている兵隊』のクライマックスとなるべき南京城内へ入る場面がなく、突然、筆のタッチも内容も変 わるのでいぶかしく思っていましたが、
>『讀賣新聞』昭和21年5月9日2面で、次のように述べています。
これは私も気がつきました。
上記の引用のすぐ次には、城内と場外における掃蕩についてかかれています。
「十四日城内掃蕩商店街の至るところに正規兵の服がぬぎすててある」と続き
んで、続いて「十五、十六日城外掃蕩・・・」
全体として、とってつけたというか、書き飛ばした(石川氏に失礼かなぁ)ような感じを受けます。
>建物に閉じ込めて焼殺した跡を見たり、その話を聞いたという記録はありましたが、実際にやったという 資料はありませんでした。
>しかし『元兵士102人の証言』(社会評論社)で、その証言がでてきました。この証言集を見ると、いかに 脚色しても石川達三は、
>この事実を書くことができなかったことがわかります。
ご教示ありがとうございます。早速読んでみようかと思います。
>なお、それ以外にも、慰安婦が軍属に「命令」で送られていたことなど、いくつか興味深い記述がありま
>す。また、そういうきわどい内容については、独特の技法で書いていますが、その件は、よくまとめてから
>記事にしたいと思います。
記事については、たのしみにして待っております。(o ̄∇ ̄)o
あと、興味深いといえば、モーゼルの件でも関連した記述があります。(陣中日誌よりは信頼性に劣るでしょうが)
---------------------------------------------------------------------------------------------
炊事係の兵は支那兵から占領したモーゼルの古めかしい大きな拳銃を持ち出し、まだ撃ってみないから当るかどうか試そうと、
豚を立木に繋いでおき十間も離れて射撃してみるのであった。
---------------------------------------------------------------------------------------------p102
ただし↑は常州での話です。↓が南京での話。
---------------------------------------------------------------------------------------------
平尾は夜道を帰るときの用心のために通訳が持っている支那兵からぶん取ったモーゼルの大きな古めかしい拳銃を借りに行った。
---------------------------------------------------------------------------------------------p136
追記
http://www.ndl.go.jp/
↑が便利になります。インターネットからでも複写の申しこみが出きるようになったり。
雑誌の目次を検索できたりするようになるみたいです。国はこういうところに金使ってほしいなあ。
K-K - 02/10/10 00:21:41
電子メールアドレス:あらし投稿を削除しました
コメント:
K-Kです。
以下の投稿を削除しました。
リバウンド REMOTE ADDR: 218.42.223.15 - 02/10/09 21:08:10
※アラシ行為を継続する場合は、(株)ケーオプティコムに通告することになるでしょう。
■社 名 :
株式会社ケイ・オプティコム
■本社所在地 :
〒530-0047 大阪市北区西天満5丁目14番10号 梅田UNビル
TEL 06-6315-6950(代表) FAX 06-6315-7001
URL http://www.k-opti.com
K-K - 02/10/09 21:57:31
電子メールアドレス:名なしの投稿を削除しました
コメント:
K-Kです。
投稿を削除しましたので、お知らせします。
IPは以下の通り。
REMOTE ADDR: 218.42.223.15 - 02/10/09 21:08:10
渡辺 - 02/10/09 03:09:49
電子メールアドレス:訂正
コメント:
(誤)
『本兵士102人の証言』(社会評論社)
(正)
『元兵士102人の証言』(社会評論社)
渡辺 - 02/10/09 03:05:57
電子メールアドレス:石川達三「生きている兵隊」
コメント:
KOILさん、
「畠中秀夫」の件は面白いですね。
石川達三『生きている兵隊』については、テーマの一つとしていますので、来年くらいには記事にしたいと思います。
『生きている兵隊』は、33連隊の戦闘詳報と平行しているので、戦闘詳報の元になるノートを見た可能性が高いと思います。33連隊の5人の補充将校と同船したことが、33連隊との関係を深いものにしています。
石川達三は、インドシナ進駐をテーマにした『仏印進駐誌(包囲された日本)』という「小説」を戦争中に書いていますが、非常に実証的です。自分でも、取材方法を詳しくのべています。
なお「何万という」くだりですが、12月13日に揚子江上に浮遊した「敗残兵」「凡そ五万」が殺されたことは書いておりますので(中公文庫では p.141)、問題としているのは市民のことでしょう。
『生きている兵隊』のクライマックスとなるべき南京城内へ入る場面がなく、突然、筆のタッチも内容も変わるのでいぶかしく思っていましたが、『讀賣新聞』昭和21年5月9日2面で、次のように述べています。
----
大きな建物へ一般の中国人數千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶死させたまた武装解除した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬つた、しまひには弾丸を使うのはもつたいないとあつて、揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切つて河中へつきおとしたり逃げ口をふさがれた黒山のやうな捕虜が戸板や机へつかまつて川を流れて行くのを下流で待ちかまへた駆逐艦が機銃のいつせい掃射で片ツぱしから殺害した
[Yahoo!掲示板に、ash_28さんが投稿したもの:現在でも検索可能です。]
-----
建物に閉じ込めて焼殺した跡を見たり、その話を聞いたという記録はありましたが、実際にやったという資料はありませんでした。
しかし『本兵士102人の証言』(社会評論社)で、その証言がでてきました。この証言集を見ると、いかに脚色しても石川達三は、この事実を書くことができなかったことがわかります。
なお、それ以外にも、慰安婦が軍属に「命令」で送られていたことなど、いくつか興味深い記述があります。また、そういうきわどい内容については、独特の技法で書いていますが、その件は、よくまとめてから記事にしたいと思います。
k-k - 02/10/09 02:18:27
コメント:
えらいこっちゃでー
JOHN_VOID - 02/10/08 22:47:23
コメント:
rialさん
>敢て私が韓国軍の起こしたソンミ大虐殺と提示しました。
なぜ、素直に「間違えました」と言わないんですか?
神は細部に宿ると言いますが、あなたのこうした小さい間違いを認めず強弁する態度は、南京事件において歴史的事実を無視する態度と共通していますね。
渡辺さんなんか、しょっちゅう間違いを訂正しているじゃないですか?
事実を尊重せずに、思いこみを強弁しているのは南京事件否定派のほうではないですか?
k-kさん観察者 - 02/10/08 22:23:35
コメント:
このかたやっぱり詭弁家!(*_*)
K-K - 02/10/08 19:55:29
電子メールアドレス:証明になってません
コメント:
>やはりあなたがたは過去の悪について
>日本と韓国、中国との扱いの違うことが証明されまた。
証明ですか(苦笑)。
>敢て私が韓国軍の起こしたソンミ大虐殺と提示しました。これはご指摘の
>ようにアメリカ軍の起こしたものですが、それに連なるべき 韓国軍が起
>こしたのは・・・
>口を噤んでしまいましたね。
まず、「証明した」と言いたいのでしたら、われわれが「口を噤ん」だ証明をしなければなりませんね。
私の正直な感想は、あなたの主張する「韓国軍が起こした」のが何なのかサッパリ解りません。他の方も同様でしょうね。
・・・・となると、あなたの証明は早くも破綻したことになりますね。
>これが、日本軍の起こしたソンミ大虐殺・・・
>であればあなたがたはどう答えていましたか?
ソンミ事件が起こしたのアメリカ軍です、と答えるでしょうね。
実例は以下の通り。
【JOHN_VOIDさん】
---- 引用 ----
>韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する
ソンミ村の事件は、「アメリカ軍」が「ベトナム」で
起こしたものでしょう?
事実を元に議論しないと無意味だよ。
---- 終わり ----
>必ず ソンミ・・・アメリカ軍、日本軍は南京・・・
>とつずきますね?どうですか?
上記の通り、JOHN_VOIDさんは続きませんでした。
>そこがあなたがたの自虐偏向たる証拠なのです。
続かなかったので、「自虐偏向」ではないということになりました。
よろしいでしょうか?
>南京大虐殺など日本は事実として認めていませんよ
>中国もそんなことは主張していません。
>あなたがた歴史偏向主義者だけです。
はぁ、そうですか。
根拠の無い話でしたら、何とでも言えるわけですね。
UFOの存在、幽霊の存在、ホロコーストの有無等々。
お気楽な話だとは思いますよ。
rial - 02/10/08 18:44:27
コメント:
やはりあなたがたは過去の悪について
日本と韓国、中国との扱いの違うことが証明されまた。
敢て私が韓国軍の起こしたソンミ大虐殺と提示しました。これはご指摘のようにアメリカ軍の起こしたものですが、それに連なるべき 韓国軍が起こしたのは・・・
口を噤んでしまいましたね。
これが、日本軍の起こしたソンミ大虐殺・・・
であればあなたがたはどう答えていましたか?
必ず ソンミ・・・アメリカ軍、日本軍は南京・・・
とつずきますね?どうですか?
そこがあなたがたの自虐偏向たる証拠なのです。
南京大虐殺など日本は事実として認めていませんよ
中国もそんなことは主張していません。
あなたがた歴史偏向主義者だけです。
K-K - 02/10/08 09:11:28
電子メールアドレス:竜馬くん
コメント:
K-Kです。
竜馬くん、名なしでの投稿は止めましょう。警告を出しておきます。3回の警告で処置しましょう。
>日中国交正常化は
>南京問題が事実であろうとなかろうと
>双方が過去を清算、解決にたもの。
君みたいな主張をする人間が、未だ閣僚や与党の中に存在するのだから、精算が出来ているとは思えないですね。
南京大虐殺は過去の問題ですが、歴史認識は現在の問題です。
>南京問題が君らの誇張して言う大虐殺であったか
>それとも中国人が起こした通州虐殺、済南虐殺
>韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する
>ようなものでないか、はたまたそれ程にも残虐では
>なかったのかは、議論中。
ソンミについては、JOHN_VOIDさんが指摘済みですね。
それと、「議論中」とはまた、便利な言葉です。
例えば、UFOの存否は議論中、霊の存在は議論中、ホロコーストがウソであることは議論中、北朝鮮の拉致事件は議論中、通州事件は議論中、済南事件は議論中、竜馬くんがアホであることは議論中。
>すくなくとも、きみらの言う 大虐殺はほとんど
>本気にしている者はいない。中国人もね(笑)
「根拠は無いけど」という文章が抜けているようですよ。
JOHN_VOID - 02/10/08 01:38:12
コメント:
名無しさんへ
>韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する
ソンミ村の事件は、「アメリカ軍」が「ベトナム」で
起こしたものでしょう?
事実を元に議論しないと無意味だよ。
- 02/10/08 00:31:52
コメント:
日中国交正常化は
南京問題が事実であろうとなかろうと
双方が過去を清算、解決にたもの。
南京問題が君らの誇張して言う大虐殺であったか
それとも中国人が起こした通州虐殺、済南虐殺
韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する
ようなものでないか、はたまたそれ程にも残虐では
なかったのかは、議論中。
すくなくとも、きみらの言う 大虐殺はほとんど
本気にしている者はいない。中国人もね(笑)
渡辺 - 02/10/08 00:09:39
電子メールアドレス:前事不忘、後事之師。
コメント:
ななしさん:>
-----
あなた規模に関わらないと言いましたね。 - 02/10/07 17:27:26
コメント:
賠償問題で言いますと
日中間において国交正常化において
すべて解決済であり
中国人の起こした通州、済南大虐殺
となんら違いはありませんよ。
-----
規模と何が関係がないって?でも、「南京事件」は、ひど過ぎますね。
事実を認めるからこそ「解決」ですね。
「解決済」なら、いまさら「なかった」だの「捏造」だの言うのはやめましょう。
あげくのはてに、ティンパーリーが「工作員」だの、ラーベやマギーなど、人道的な働きをした人たちをうそつき呼ばわりをする論客が、手を変え品を変えて現れて困ります。
「解決済」ですから、教科書にも事件の大きさに応じて書きましょう。そいういうことで、いいですね。
しかし、「国交正常化において」「南京事件」のことは話題になったんでしょうか?
それに、中国政府が「南京事件」で、賠償を求めていましたっけ?
いずれにしろ、個々の事件を明らかにし、後世の教訓とすることは大切です。
賢人曰「前事不忘、後事之師」。
とほほ(^^; - 02/10/07 21:47:30
コメント:
竜馬くんはこっちへきちゃったのね(^^;
K-K - 02/10/07 21:06:05
電子メールアドレス:竜馬くんへ
コメント:
K-Kです。
こんにちは、竜馬くん。
まず、ここで議論する場合は、名前を書きましょう。それが出来ない場合は、竜馬くんの投稿を定期的に削除することにします。
また、どこかの掲示板のログを転載していますが、無意味な内容なのでこちらは削除します。以降、この様な無意味な文章を垂れ流す場合は、「アラシ」行為と認識し、適当な処置をとりますのでご注意を。
さて、竜馬くんの投稿内容を確認してみましょう。
>ならば中国人の起こした 通州事件、済南事件も大虐殺でいいですね。
ぜんぜん構いませんよ(笑)。
お一人でHPでも立ち上げては如何?
>世界数ある中で 南京 を敢てクローズアップ
>されている動機と意義は何ですか?
事実を否定する竜馬くんの様な人が居るからですよ。
あなた規模に関わらないと言いましたね。 - 02/10/07 17:27:26
コメント:
賠償問題で言いますと
日中間において国交正常化において
すべて解決済であり
中国人の起こした通州、済南大虐殺
となんら違いはありませんよ。
渡辺 - 02/10/07 16:34:22
電子メールアドレス:訂正
コメント:
下の投稿引用文中、
-----
昭和十二年十二月二十三日の東京朝日新聞(二面)に、
通州事件解決 賠償百廿万円と陳謝
殷汝耕氏の嫌疑晴る
----
より
「昭和十二年十二月二十三日の東京朝日新聞(二面)に、」を削除し、
-----
通州事件解決 賠償百廿万円と陳謝
殷汝耕氏の嫌疑晴る
----
と訂正いたします。
渡辺 - 02/10/07 16:30:17
電子メールアドレス:通州事件
コメント:
ななしさん:>
-----
- 02/10/06 22:46:17
コメント:
ならば中国人の起こした 通州事件、済南事件も
大虐殺でいいですね。
-----
「通州事件」を「南京事件」と対比させるむきもありますが、内容や規模においても比較するのは困難と思われます。
「通州事件」が根本的に違うのは、事件が中国政府の軍隊によるものではなく、謝罪と賠償で「解決」していることです。
参考資料として、当時の報道を掲載いたします。
(1937年12月24日)
-----
通州事件全く解決 未曾有の惨事として世人の記憶に新たなる通州事件の解決方に関し
ては冀東政府長官宋墨氏と日本大使館森島参事官との間に折衛
が続けられてゐたが、廿四午後四時半池長官は北京大使館を訪問して公文を手交し、正式陳謝
と将来の保障をなし、併せてこの事件に上る被害者に對する弔慰賠償金を手交し、森島参事官よ
り右に對する回答文を手交、ここに同事件は全く解決を告げるに至った。
[読売新聞社編輯局『支那事変實紀 第五輯』非凡閣、昭和十三年一月十一日発行(1938年)、p.266]
-----
12月23日の『東京日日新聞』(二)面に
-----
昭和十二年十二月二十三日の東京朝日新聞(二面)に、
通州事件解決 賠償百廿万円と陳謝
殷汝耕氏の嫌疑晴る
----
という、見出しの記事があります。
この記事によりますと、
「即ち冀東自治政府としては北京の中華民国臨時政府に正式合流をなすに先立ち日本国民に対する■■陳謝の態度を明らかにしたものである。」とあります。(■記号は、復刻版が不鮮明なため判読できない文字を示す。)
「通州事件」を「南京事件」と対比させるということは、「南京事件」では、中国国民への「正式陳謝」と賠償で「解決」する必要あるとでも「ななしさん」は考えているのでしょうか。
JOHN_VOID - 02/10/07 07:08:29
コメント:
名無しさん、名前ぐらい名乗りなさいよ。
>世界数ある中で 南京 を敢てクローズアップ
>されている動機と意義は何ですか?
「南京事件などなかった」という連中がいるからです。
「ホロコーストなどなかった」というネオ・ナチの歴史修正主義の日本版だから、そういう嘘を正すためことに意義があります。
--------------------------------
実際、頑迷なアウシュビッツ否定論者はどんな反論にも納得しない。
かし問題なのは、自分に知識が不足しているがために、寛容な態度や
公平な見方をしているつもりで、彼らの言うことにも一理あるかも知れ
ない、と動揺する人々のほうである。そうした者たちには、
-ドイツの劇作家ベルトルト=ブレヒトの有名な文章を借りれば-
もう一度言っておけば良かったと後で後悔しないように、何千回も言
われ尽くしたようなことでももう一度言わねばならない。
「アウシュビッツとアウシュビッツの嘘」P90
--------------------------------
--------------------------------
(ある者たちが抱く)愚かしい空想について学問的に研究すること、しかもそれに必要な時間と労力を惜しみなく注ぎ込むこと、そんな仕事の仕方に意味があると認めるのは難しいかも知れない。
(中略)
しかし読む価値のある本とは、教養ある正気の者がまじめに受け止めることのできるものだけだ、と考えるのはとんでもない間違いだ。なぜなら(我々の社会には)ペテン師やいい加減な知識しか持たない狂信者たちによって、思想に偽装された病的な空想が、無知蒙昧な者を対象に大量に生み出されている地下世界が存在するからである。この地下世界が深淵からやおら地上に姿を現すことがある。そして普段は理性的で責任感もあった大勢の人々の魂を奪い、虜にして、思いのままに操るようになる。そのとき人々は正気を失い、責任も放棄してしまう。そして挙げ句の果てには、この地下世界が地上で政治の権力を握る日が来て、歴史の針路を変えてしまうこともあるのだ。
--------------------------------
「ユダヤ人陰謀説」(デヴィッド=グッドマン、宮澤正典共著)
- 02/10/06 22:46:17
コメント:
ならば中国人の起こした 通州事件、済南事件も
大虐殺でいいですね。
世界数ある中で 南京 を敢てクローズアップ
されている動機と意義は何ですか?
JOHN_VOID - 02/10/06 20:52:44
コメント:
>事件から大虐殺に変わってますね。
>誰が命名したのか知らないの?
知りません。東京裁判で事実関係が初めて一般大衆の前に暴露されて、大量虐殺があった事実が明らかになったことから自然発生的に出来たものだとしか思えませんね。
「南京事件」では大量虐殺があったことが判らないから、事実を表さずに不適切です。
わたしは呼び名より、虐殺の実態を探求することを優先していますので。
まさか、「南京大虐殺」という言葉がなかったら、南京で大量虐殺もなかったというシニフィエとシニフィアンを混同した議論を展開するつもりではないでしょうね、 名無しさん?
何という名で呼ぼうとも、実態として虐殺があったことは明確なんですよ。日本軍の戦闘詳報にも記録が残っています。
ゆう - 02/10/06 19:56:35
コメント:
>「正論」平成10年6月号に掲載された板倉氏の論文「東中野論文『ラーベ日記の徹底検証』を批判する」でしょう。
ご指摘、ありがとうございました。
板倉氏のこの論文は、全く知りませんでした。松尾氏のHPにある東中野氏「改めて『ラーベの日記』を徹底検証する」が「正論」10年4月号である、ということですから、その2号あと、ということですね。ぜひ手に入れて読んでみたい、論考です。
引用文は、私のデータベースに追加させていただきました。またこの記事が議論になった時にでも、使わせていただきたいと思います。
- 02/10/06 16:40:10
コメント:
>南京事件などの言葉で、事件発生当時から呼ばれてましたよ。
> 当時のニューヨークタイムズとか読みましたか?
小学生でもわかる様に
事件から大虐殺に変わってますね。
誰が命名したのか知らないの?
JOHN_VOID - 02/10/06 01:26:52
コメント:
>どこかの掲示板で、板倉氏が、この記事の内容は日本側の記録には存在せず信憑性に乏しい、
>と書いている、ということを見た記憶があります。まあ、妥当な推定でしょう。
「正論」平成10年6月号に掲載された板倉氏の論文「東中野論文『ラーベ日記の徹底検証』を批判する」でしょう。
---------------------------
よくみるとこの記事は、上海からの無電だが発信者の名もない。当時はまだ外国人記者は南京へ出入りできないのだから、誰がこのような情報を上海へ伝えたのだろうか。
結局どうもこの記事は、噂を埋め草記事にしたガセネタのような気がする。NYタイムズにも続報はなく、このような裏付けのない記事を、都合が良いからといって検証もせずに歴史の資料に使ってはいけない。
------------------------
「正論」平成10年6月号p287
JOHN_VOID - 02/10/06 01:17:40
コメント:
>だいいち 南京大虐殺 なんと言う言葉も東京裁判当時なく、
>朝日新聞の記者が作り出した造語だそうだ。
南京事件などの言葉で、事件発生当時から呼ばれていましたよ。
当時のニューヨークタイムズとか読みましたか?
ゆう - 02/10/05 20:10:14
電子メールアドレス:英文資料の翻訳
コメント:
ここ1週間で、何点かの英文資料が集まりました。(渡辺さん、K-Kさん、そして未だ名前を存じ上げない資料提供者の方に感謝します)
これまでほとんど暗記するくらいに熟知していたつもりの資料でも、原文を参照すると、結構ニュアンスが微妙に違うことを発見します。「解釈」をめぐって細かい議論を行うのであれば、「原文」の確認が不可欠であることを、改めて痛感しました。
その一例。国際委員会第六号文書(z9)です。
<当日夜半から翌朝の未明にかけてわれわれは十二月十四日付の手紙を認め、それを日本語に翻訳させました。それで、日本大使館の館員福田氏から貴下に伝えることと思いますが、ラーベ氏・スミス氏・フォースター師が日本軍高級将校をさがしだして、その手紙を手渡すことになりました。われわれはそれぞれに五人の将校と話し合いましたが、彼らの言うには、翌日最高司令官が到着するまで待つようにとのことでした。>(「南京大残虐事件資料集2」 P125~P126)
「われわれはそれぞれに五人の将校と話し合いました」―外国人3名が、ひとりずつ個別に、「五人の将校」と話し合いを持ったように読めます。しかし、原文はこうでした。
"That night and early the next morning we drew up our letter of December 14 and had it translated into Japanese. Then, as Mr. Fukuda, attache to the Imperial Japanese Embassy, may tell you, Mr.Rabe, Mr Smythe, and Rev. Forster went to find a high Japanese officer to whom we could present the letter. We talked to five different officers but they told us to wait for the arrival of the High Commander the next day."("DOCUMENTS ON THE RAPE OF NANKING" P13)
3人の外国人は、"five different officers"、すなわち「五人の異なった将校」と話し合いを持ったわけです。日本文だけ読んでいると、誤解します。さらに言えば、"talk to"ですから、「話し合いました」というよりは、一方的に「話しかけました」とする方が正確でしょう。
ついでに書けば、「手紙を認め」というのも、日本語として変です。”draw up" は、普通であれば「(文書を)作成する」という意味ですから、「手紙を作成し」で十分だと思います。
「日本軍高級将校をさがしだして、その手紙を手渡すことになりました」も、どうも原文とニュアンスが違う。"went to find a high Japanese officer to whom we could present the letter"ですから、「手紙を手渡すことができる日本軍高級将校を捜しに行きました」となります。翻訳では、「手紙を手渡す」ことが決定された、ということしか読み取れず、3人の外国人が具体的にアクションを起こしていることがわかりません。
以上、原文からは、3人の外国人が手紙を渡す相手を求めて奔走する様子が、はっきりと読み取れます。五人の将校に片っ端から話しかけるが、誰に聞いても、「翌日の最高司令官の到着を待て」という答えしか引き出せない。翻訳文では、このあたりの奔走ぶりが、どうも曖昧です。
実は、私がまともに英文に触れたのは、学生時代以来です(^^; 。ほとんどセンテンスごとに電子辞書(世の中便利になったもんだ)を引いている程度の英語力ですが、それでも「原書」を手に入れたことは決して無駄ではなかったようです。
なんだか、「南京事件」を論じるというよりは、「英文和訳」を論じる投稿になってしまいました(笑)。(・・・以上の英文解釈、これで合っていますよね? 自信を持ちきれないので、あえて全文の「"ゆう"訳」はつけません(^^))
・・・拙い英語力の私ですらこんな「発見」ができるのですから、渡辺さんは、「ベーツ証言」以外にも、何か面白い「ネタ」をお持ちなのではありませんか?(笑)
ゆう - 02/10/03 22:28:55
電子メールアドレス:>k-k氏の誤訳、捏造?
コメント:
「誤訳」はともかく、「捏造」は完全な誤りですね。
「捏造」というのは、世間一般の定義としては、「意図して事実でないことを事実として主張すること」ということになろうかと思います。
渡辺さん(なんでK-Kさんの名が? 名無しさん、経緯を知らないんでしょ?)は、「March」を「五月」と勘違いしただけです。意図的なものがない以上、「捏造」とは言えません。
それよりも、渡辺さんが、このような貴重な資料を提供してくれた、という積極面に思いを致すべきでしょう。渡辺さんのおかげで、我々の議論に、貴重な「共有財産」がひとつ増えました。「日付け」のミスは、訂正すればいいだけの話です。
「南京事件」の真相に近づきたい、という気持ちがあるのであれば、このような「新資料」の提供は、大歓迎であるはずです。それをなぜ、ことすらに「ミス」をあげつらって、「捏造」という言葉で貶めるのでしょうか?
要するに、名無しさんは、「南京事件の真相」など、どうでもいいんでしょ? ただ、自分と論を反対にする者の「エラー」を見つけて(より正確には、「エラー」を発見した人の尻馬に乗って)喜んでいるだけでしょ? 私には、これは、「知的共同体」に参加する資格を自ら放棄した、貧しい態度に見えます。
私としては、こんなレベルのアホ投稿は、見たくないのですが。それとも、どうしてもこんなアホ投稿を繰り返したい?(笑) それならそれでいいけど、みんなが笑っていると思うよ。
・・・私も原文を確認しましたが、あの「March」って、確かに一瞬、「5月」と勘違いしますね(笑)。
渡辺 - 02/10/03 02:38:17
電子メールアドレス:ななしさん
コメント:
ななしさんや、幼稚園児じゃあるまいし、「お名前」と説明くらいは書きなさいよ。
ご指定のURLから、「幼稚園児」の謂わんとするところを、推察して述べましょう。
『南京地区における戦争被害』は、調査可能な家族に質問した結果で、避難していたり「徴発」されている者、家族が全滅状態の場合は当然「死者」には含まれていません。
そのため、埋葬の調査をもとに「市部調査」の解説として「市内(the city)および城壁附近の地域」における集計として、12,000人の一般市民、「武装解除された何万人もの中国兵」について言及しているのです。[『日中戦争史資料 9』p.223 参照]
郷区での被害者は含まれていません。
『南京地区における戦争被害』の作成者の一人であるベイツはこのように、東京裁判で証言しています。
-----
○ベーツ証人 中国兵隊ノ大キナ一群ハ城外ノ直グ外デ降伏シ、武装ヲ
解除サレ七十二時間後、機銃掃射ニ依ツテ射殺サレタノデアリマス。是
ハ楊子江ノ畔デアリマス。国際委員会ハ三万人ノ兵士ノ亡骸ヲ葬ル為メ
労働者ヲ雇ツタノデアリマス。是ハ我々ノ労働救済対策トシテ行ツタモ
ノデアリマス。揚子江ニ葬ラレタ屍体及ビ他ノ方法ニ依ツテ葬ラレタ屍
体ノ数ハ数へルコトガ出来マセヌ。
〔林モニター 埋メラレタ屍体〕
[『日中戦争史資料 8』p.49]
-----
「揚子江ニ葬ラレタ屍体及ビ他ノ方法ニ依ツテ葬ラレタ屍体ノ数ハ数へルコトガ出来マセヌ」というのは当然のことです。
ウイルソンの「冷酷に虐殺された人々の控えめな推定数は、およそ10万人程度です」と述べていますが、ベイツの証言や『南京地区における戦争被害』の記述と何か矛盾があるでしょうか?
K-Kさんは、「被害者数の認識」を問題としており、国際救済委員会が埋葬作業に直接関与していない埋葬の状況が「推定」であるのは当然です。
ヴォートリンの4月の日記の数字は、『大阪朝日新聞』1938年4月16日の記事と、一致しますが、ベイツの数字より多くなっています。しかし、ベイツは、この数字には従わず、自分が確認した数字を述べているのです。
件のURLの理論に従えば、時間的に後に来る文書の、ヴォートリンの日記と『大阪朝日新聞』の記事から、『南京地区における戦争被害』の結果は無意味となり、修正しなければならないということになります。
「認識」は、「Re:k-k氏の誤訳、捏造?」(02/10/02 04:44:09)を見れば明らかでしょう。『大阪朝日新聞』の記事からも、その費用から7万以上とみられます。この数字には「紅卍会と自治委員会と日本山妙法寺に属するわが僧侶ら」が関与した以外の埋葬、例えば赤十字などについては、数字に含まれたいません。
間違っていることが確かなのは、ご指定URLの、「戦争被害調査で死体数の認識が軍民合わせて約4万に落ち着いた時点で、それより古い認識は修正されることになるでしょう」という奇妙な「理論」です。
(なお、「戦争被害調査で死体数の認識が軍民合わせて約4万に落ち着いた」わけではないことは、『南京地区における戦争被害』の記述から明らかです。[『日中戦争史資料 9』p.223 を参照のこと。)
間違いは日付だけではないようです。 - 02/10/02 23:56:18
コメント:
k-k氏の誤訳、捏造? - 02/10/02 02:35:32
コメント:
http://www5e.biglobe.ne.jp/~guuse/page020.html
渡辺 - 02/10/02 14:02:34
電子メールアドレス:註:「下関」
コメント:
しばしば、資料に現れる「下関」ですが、紅卍字会の埋葬記録にある埋葬地を見ますと、行政区としての「下関」より北側の草鞋峡、上元門、永清寺なども「下関」としています。
「下関」についても、「南京」と同じように、資料を読むときに注意が必要なようです。
渡辺 - 02/10/02 04:47:49
電子メールアドレス:訂正
コメント:
前、投稿の一部を訂正いたします。
(誤)なお、遺体は重複の可能性がある一方、近隣の住民や家族によって始末された遺体数は含まれていません。
→
(正)なお、埋葬記録には重複の可能性がある一方、近隣の住民や家族によって始末された遺体数は含まれていません。
渡辺 - 02/10/02 04:44:09
電子メールアドレス:Re:k-k氏の誤訳、捏造?
コメント:
ななしさんや、幼稚園児じゃあるまいし、「お名前」くらい記入し、ちゃんとした日本語の文章を書きましょうよ。
さて、間違って3月7日を5月7日と投稿したのは私で、K-Kさんではありません。
ただ、日付が違っていたからといって、当時、殺害された人々の数がどのくらいと認識されていたかを示す貴重な資料であることには影響を与えません。
1)
1938年3月7日 ウイルソンの手紙
------
紅卍字会は、ここ1ヶ月間、安全区外や周辺農村部からの遺体を ものすごい勢いで埋葬しています。
冷酷に虐殺された人々の控えめな推定数は、およそ10万人程度です。もちろん、武器を放棄した多数の兵士達もその数に含まれています。
[渡辺訳]
["Documents On The Rape Of Nanking", Timothy Brook,Ann Arbor Paperbacks, 2002, P254]
------
2)
ヴォートリンは4月15日に紅卍字会の本部で次のようなデータをもらったと述べている。
----
...すなわち一月の中旬頃から四月十四日まで、紅卍字会は城内において一七九三体の死体を埋葬した。そのうちの八〇パーセントは民間人であった。城外ではこの時期に三万九五八九体の男性、女性、子どもの死体を埋葬した。そのうち約二五パーセントは民間人であった。これらの死体埋葬には私たちがきわめてむごい殺害があったことを知っている下関、三[シ叉]河の地域は含まれていない。
[「南京事件の日々」P240]
----
合計すると、4月15日に「紅卍字会」の統計では41,382体となるが、ここで「これらの死体埋葬には私たちがきわめてむごい殺害があったことを知っている下関、三[シ叉]河の地域は含まれていない」と述べている。
同じ数字は、4月16日の『大阪朝日新聞』にあらわれている。
------
そこで紅出会と自治委員会と日本山妙法寺に属するわが僧侶らが手を
握って片づけはじめた。腐敗したのをお題目とともにトラックに乗せ一
定の場所に埋葬するのであるが、相当の費用と人力がかかる。人の忌む
悪臭をついて日一日の作業はつづき、最近までに城内で一千七百九十三
体、城外で三万三百十一体を片づけた。約一万一千円の入費となってゐ
る。苦力も延五、六万人は動いてゐる。しかしなほ城外の山のかげなど
に相当数残ってゐるので、さらに八千円ほど金を出して真夏に入るまで
にはなんとか処置を終はる予定である。
『日中戦争史資料 8』P.393、「昭和十三、四、十六『大阪朝日新聞』北支版より抜章〔弁証二六九〇〕南京便り第五章衛生の巻 林田特派員]
-----
ここで「しかしなほ城外の山のかげなどに相当数残ってゐるので、さらに八千円ほど金を出して真夏に入るまでにはなんとか処置を終はる予定である」とされている。
8,000円なお必要ということは、単純計算で、41,382体 X 8、000円 ÷ 11,000円 = 30、095体 を「真夏に入るまでにはなんとか処置を終はる」ことになる。
すなわち、72,000体の遺体を埋葬しなければいけないことになる。
3)
ヒットラーに送ったラーベの講演の草稿 1938年6月8日
---------------------------
中国人の申し立てによりますと、十万人の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。われわれヨーロッパ人はおよそ五万から六万人とみています。遺体の埋葬をした紅卍会によりますと、一日二百体は無理だったそうですが、私が南京を去った二月二十二日には、三万体の死体が、埋葬できないまま下関に放置されていたといいます。
[ジョン・ラーベ著,エルヴィン・ヴィッケルト編/平野卿子訳「南京の真実」(講談社,1998) P267,P317]
(ただし、「われわれ外国人は」と翻訳されているところを、「われわれヨーロッパ人は」に訂正して引用しました。)
----------------------------
兵士の遺体は、少なくとも3万あったわけだから、軍民合わせて、8~9万はあったことになる。
4)
1938年12月11日 スチュワード(Albert N. Steward)の日記
------
日本軍は三方から市を攻撃したが、明らかに下関の揚子江に接した方面は開放されていた。中国軍が揚子江岸に溢れ出たところ、彼らの約四万は包囲され、機関銃でなぎ倒された。フィッチ氏は、占領後市外に出た最初の機会に、6フィートあるいはそれ以上の厚さに積み重なった死体の上を運転した。日本軍は(軍服を脱いで)紛れている兵士を求めて中立地帯の中まで市を捜索し始めたが、誰でも男たちは兵士と見なされた。ほとんどの場合、そのような男たちは百人づつ一緒にされて揚子江河岸に連れられて行き機関銃で撃たれたが、その後、遺体は揚子江に投棄された。そのような男たちの集団の少なくとも二、三の事例では、一緒に縛られてケロシンを浴びせられて生きたまま燃やされた。市が日本軍の手に陥ちたときに、全部で六、七万の人々が生命を失ったと見積られている。
[渡辺訳]
Then the Japanese began searching the city, even inside
the neutral zone,for soldiers in disguise,and any man was liable to be taken as
such.In most instances such men were taken to the bank of the River in compa-
nies of 100 and shot with machine guns,after which their bodies were dumped
into the River. In at least two or three cases such groups of men,tied together
were doused with kerosene and burned alive.Altogether, it is estimated that 60-
70,000 people lost their lives when the city fell into the hands of the Japanese.
[Zhang Kayyuan "Eyewitnesses To Massacre", An East Gate, 2001, p.319-320]
-----
ここで「市が日本軍の手に陥ちたときに( when the city fell into the hands of the Japanese)、全部で六、七万の人々が生命を失った」というのは、占領初期の状況について述べているように思われる。
彼らは、日本軍によって遺体が揚子江に投棄されていたことは知っていたから、当時、南京にいた外国人の推定していた殺害された人々の数は、だいたいウイルソンの「冷酷に虐殺された人々の控えめな推定数は、およそ10万人程度」であり、この記述が突出しているとは言えない。
以前、投稿したように、問題があるのは埋葬記録ではなく、日本軍によって始末された遺体数が不明であることです。
なお、遺体は重複の可能性がある一方、近隣の住民や家族によって始末された遺体数は含まれていません。
k-k氏の誤訳、捏造? - 02/10/02 02:35:32
コメント:
http://www5e.biglobe.ne.jp/~guuse/page020.html
渡辺 - 02/10/01 03:02:28
電子メールアドレス:資料『ラーベと発電所復旧』
コメント:
資料『ラーベと発電所復旧』を、下記URLに投稿いたしました。ラーベの日記の中で、発電所復旧にまつわる部分の理解のためにご利用ください。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15600&range=1
K-K - 02/09/27 23:09:52
電子メールアドレス:こんにちは、渡辺さん
コメント:
K-Kです。
こんにちは、渡辺さん。
確かに、東京裁判記録は、だいぶ問題がありそうですね。議論をする上では、この様な点を頭に入れていた方がいいと感じました。特に、細かいニュアンスを問題とする場合、例えば地理的な範囲などを問題とする場合などは、今回の渡辺さんの訳は非常に明確となると思います。
以下、渡辺さんの訳との差異を挙げてみました。
●[東京裁判記録] 我々は安全地帯及び【此の附近の地方】に付て出来るだけ調査したのであります。
○[渡辺さん訳] 我々が言いうることは、安全区と【隣接地域】の注意深い調査について、解析に最善を尽くしたということです。
※【此の附近の地方】と【隣接地域】では、地理的な広さが変わってくると思われます。
●「スミス」教授及び私は、色々な調査、観察の結果、我々が確かに知つて居る範囲内で、城内でー万二千人の男女及び子供が殺されたことを結論と致します。〔林モニター 男女及び子供を含む非戦闘員〕
○スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたと結論をいたしました
※「東京裁判訳」では【埋葬調査】という言葉が抜けています。この認識は、ある意味、重要ですね。
※渡辺さんもご指摘のように、
「色々な調査、観察の結果、・・・・結論と致します
「調査、所見、埋葬調査の結果として・・・・結論をいたしました」
では、意味合いが変わってきますね。
●又、【市外】でも殺された者が相当居ります。
○また、【市のすぐ外側】で殺害された多数の市民もおります。
※【市外】と【市のすぐ外側】。これも、地理的な範囲が変わってきます。
- 02/09/27 22:48:43
コメント:
>スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査>の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害された >と結論をいあたしました。
自暴自棄の中国軍と日本軍によるものですね?
事実ならひどいものです。
渡辺 - 02/09/27 17:24:56
電子メールアドレス:訂正 #2
コメント:
「結論をいあたしました」→「結論をいたしました」
渡辺 - 02/09/27 17:23:18
電子メールアドレス:訂正
コメント:
スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたのです。
→
スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたと結論をいあたしました。
渡辺 - 02/09/27 17:18:36
電子メールアドレス:ベイツ証言
コメント:
『日中戦争史資料 8』に掲載されている東京裁判記録は、その場で通訳されたもので、正確さに欠けます。
たとえば、ベイツの殺害数についての証言で、「結論ト致シマス」とありますが、誤解を招きやすい表現です。
"Eyewitnesses To Massacre"から、問題の部分を引用いたしますので、参考にしてください。(この本自体に誤植がありえますので、念のため。)
もともと、会話を書き写したものですから、文章として分かりにくい部分もありますが、とりあえず試訳をつけました。
[東京裁判記録]
此ノ虐殺行為ノ及ブ全範囲ト云フモノ
ハ非常二広イノデアリマシテ、全体ノコトヲ申上ゲルコトノ出来ル人ハ
一人モ居りマセヌ。我々ハ安全地帯及ビ此ノ附近ノ地方ニ付テ出来ルダ
ケ調査シタノデアリマス。「スミス」教授及ビ私ハ、色々ナ調査、観察
ノ結果、我々ガ確カニ知ツテ居ル範囲内デ、城内デー万二千人ノ男女及
ビ子供ガ殺サレタコトヲ結論ト致シマス。
〔林モニター 男女及ビ子供ヲ含ム非戦闘員〕
其ノ他市内デ多数殺サレタ者ガアリマスガ、我々ハ其ノ数ヲ調査スル
コトハ出来マセヌ。又、市外デモ殺サレタ者ガ相当居りマス。今マデ申
シタコトハ、中国ノ兵隊デアリ或ハ曾テ中国ノ兵隊デアツタコトノアル
何万人ノ男ノ虐殺ヲ全然含マナイモノデアリマス。
[『日中戦争史資料 8』p.49]
[渡辺訳]
この虐殺の全範囲は余りにも広く、その全体像を言える人は誰もいません。
我々が言いうることは、安全区と隣接地域の注意深い調査について、解析に最善を尽くしたということです。
スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたのです。
我々の知る以外に、市内で殺害された他の多数の人がおりますが、その数は調べようもありません。
また、市のすぐ外側で殺害された多数の市民もおります。
これは、何万もの、中国兵士や中国兵士であったことのあるものの殺害には、全く関係がありません。
(ここでは、話題の範囲は「安全区と隣接地域」に限られており、また"immediately outside the city"との表現から、"the city"とは南京城内をさしていると思われる。)
----- 原文 -----
The total spread of this killing was so extensive that no
one can give a complete picture of it. We can only say that we did our best to find
out, in checking up carefully upon the safety zone and adjoining areas.
Professor Smythe and I concluded, as a result of our investigations and ob-
servations and checking of burials, that twelve thousand civilians, men, women
and children, were killed inside the walls within our own sure knowledge. There
were many others killed within the city outside our knowledge whose numbers
we have no way of checking, and also there were large numbers killed immedi-
ately outside the city, of civilians. This is quite apart from the killing of tens of
thousands of men who were Chinese soldiers or had been Chinese soldiers.
[Zhang Kayyuan "Eyewitnesses To Massacre", An East Gate, 2001, p.62]
毎度! - 02/09/26 04:26:49
コメント:
真実とは - 02/09/25 19:20:00
電子メールアドレス:日本は良いこともしたんだー
コメント:
教科書での「南京大虐殺」という記述については、
つまり戦勝国側と敗戦国側との記述が平等になっていれば納得できます。
東京大空襲・広島長崎への原爆投下なら→南京事件
東京空襲大虐殺・広島長崎への原爆投下による大虐殺なら →南京大虐殺・・です。
ただ南京大虐殺についてはかなりの誇張がありそうで
同列で扱うのは如何なものか はありますが。
歴史に「朝鮮半島の人々に多大な苦痛を与えた・・」なんて書いてあるのですが、当時の日本がGNPの10%も朝鮮半島のインフラ整備に投資していたとか、優秀な教師を派遣していたとか・・そういうことは一切記述がないんですね。
こういうのは平等ではない、と思います。
日本は日韓併合前、30年の間に3度朝鮮民族の革命(日本における明治維新)に手を貸して、3度失敗し、しょうがないから併合したって、
「親日派の弁明」に書いてありましたが、そういう事って教科書には全然書いてない・・・やっぱり「つくる会」の教科書が、世に投げかけた問題って大きいですね。
- 02/09/25 18:11:14
電子メールアドレス:非愛媛県人支持
コメント:
非愛媛県人 2002/09/25 17:59
New
なにもあなたの行動に難癖つけてませんよ。ご自由に。邪魔しません。一般論としてサヨクの人は関係ないところに自分のイデオロギーを押し付けていると言ったまでです。気に食わんから抗議してやるってか?ただのガキとおんなじだよね。年食っても自分のわがままを通すようなガキだね。それが権力をもつと北朝鮮やスターリンのようになってしまう。おわかりですか?天皇制も自分が気に食わんから悪だと決めて”科学的に”否定しようと試みる。そして自己満足。僕は天皇制に反対する人がいても良いと思っています。それは自由ですから。あなたのような人が多数だったらもうとっくに天皇制は廃止されているでしょうね。でもまだ存続しています。ということは賛成派が多いことを意味します。わたしも賛成です。あなたはそれが我慢できずに何が何でも科学的に否定し民意を覆そうとしているだけです。あまり我慢せずにあなたが理想としている北朝鮮あるいは中国へ拉致された人との交換で行かれたらどうですか?もう一度言いますが勝手にどうぞ。ただ教育委員会の人などを自分の正義のために脅迫したり破壊行動をしたりしないで下さいね。それと自分の正義のためにうそやでっちあげもやめてください。何を言っても自由ですが実際に人を傷つけないようにして下さい。それをやったら北朝鮮工作員とまったくかわらなくなりますよ。民主主義を否定することにつながります。正義感にあふれ社会を変えようとすることは必要ですがそれを押し付けると文化大革命、千里馬運動、ひいては強制収容所への道となります。
竜馬 - 02/09/24 18:35:00
電子メールアドレス:自虐変態勢力へ
コメント:
だいいち 南京大虐殺 なんと言う言葉も東京裁判当時なく、
朝日新聞の記者が作り出した造語だそうだ。
さらに社会党の議員が中国に記念館の創設を何度も依頼し
それを中国が 30万大屠殺などととし現在に至っている。
これを 呆れた自虐変態者 と言わずになんと言う。
従軍慰安婦問題なども 自虐変態勢力のご注進が発端だそうだ。
k-kに 印象文の訂正を重ねて要求する。
そしてとほほに 大虐殺の確たる証拠があるのなら、その地名、 人数と内訳の列挙を重ねて要求する。
そしてそのあと 確たる証拠 の不毛の検証と言う事になるだろう。
その結果 新しい歴史教科書の表現が 多種ある中で最も適切か否か判明するわけだ。
K-K - 02/09/25 23:41:20
電子メールアドレス:英文・スマイス調査について
コメント:
K-Kです。
先日、英文のスマイス調査の所在をお知らせ致しましたが、このコピーを送って送って戴けるというお話をいただきました。
詳細は未定ですが、届きましたら、ネット上で公開をしていこうと思います。
以上、連絡事項でした。
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K-K - 02/10/16 01:40:13
電子メールアドレス:竜馬くん
コメント:
松尾さんのところから逃げてきたのですか?
可愛そうに・・・・。
坂本 - 02/10/16 01:34:44
コメント:
k-kくん では、簡潔にいきましょう。
よろしいですね?
あなたの主張は30万でなく何人ですか?
K-K - 02/10/16 00:46:09
電子メールアドレス:無意味なコピペと、意味のあるコピペの違いです
コメント:
>とうとう正体現しましたねk-kさん
>ダブルスタンダードの癖もあったんですか(苦笑
>きみの荒らしコピペだらけだよ。
論点に返答がなければ、コピペするのは当然ですね。
竜馬くんの場合は、【 無意味 】なコピペですのであらし行為と判断したわけです。
>証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を
>なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて
>いるのです?説明してくださいね。
ですから、存在しない「宣伝」を私が説明出来るわけないのですよ、竜馬くん。
頑張って、「戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語」を、私のHPの中から探し出しましょう。
■もちろん、その様なものは存在しませんが(苦笑)。
KOIL - 02/10/16 00:40:35
ホームページアドレス:http://web.archive.org/web/20070315064434/http://alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/index2.html
電子メールアドレス:発電所の復旧について
コメント:
えーと、発電所の件ですけれど、この記述は参考になるでしょうか?
小原孝太郎日記 1938年1月8日
---------------------------------------------------
検査がすんで部屋へ帰ったらパッと電気がつ
いた。うわ!!とみんな喝采した。今迄ロウソクや種油や石油
で無理して来たのに、電気がついたとは有難い。南京もこれ
で闇の世界から光明の世界にかへったわけだ。皇軍の努力を
有難く思ふ。水道は出るし電気はつくし、有難い次第だ。
---------------------------------------------------
江口圭一・芝浦拓自編 『日中戦争従軍日記』(法律文化社)p152
坂本 - 02/10/16 00:39:18
コメント:
とうとう正体現しましたねk-kさん
ダブルスタンダードの癖もあったんですか(苦笑
きみの荒らしコピペだらけだよ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~guuse/index.html
http://6416.teacup.com/7867zxlotion5/bbs
これにだけは答えてくださいよk-kさん
証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を
なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて
いるのです?説明してくださいね。
よろしいですね?
K-K - 02/10/16 00:05:14
電子メールアドレス:竜馬くんの主張の終演
コメント:
K-Kです。
先ほどの竜馬くんの投稿は、ただのコピペでしたので、あらし行為と判断し削除しました。
どうやら、竜馬くんはあらし行為に訴える以外できなくなったようですので、議論の結論として、以下のようにまとめさせて戴きましょう。
【結論】今までの竜馬くんの投稿には、何一つ根拠はありません。なぜならば、竜馬くん自身が、根拠が存在する証明が出来ないからです。
もともと、竜馬くんに議論の根拠など求めるのは酷だったかもしれません。やはり、竜馬くんを相手にするのは時間の無駄ですね。以降、この掲示板でも、相手にしないことにしましょう。
また、スペースがもったいないので、無駄な投稿は削除していきます。報告は、松尾さんの掲示板で行います。
K-K - 02/10/15 23:43:03
電子メールアドレス:渡辺さんへ
コメント:
K-Kです。
こんにちは、渡辺さん。
>『天皇の軍隊と南京事件』は、 www.amazon.co.jp に「お取り寄せ」で、
>一応でていましたけど。
アマゾンですね。ずぅーっと、古本屋のウェブサイトを回っていたので盲点でした(笑)。さっそく注文しました。
それにしても、発電所について、あんなに資料があるとは知りませんでした。しかも、加藤実翻訳『『この事実を……』「南京大虐殺」 生存者証言集』からも資料を探し出しているところには驚きました。私も、『この事実を・・・』を持っては居るのですが、未だ、全然読み込めていません。
これは、相当な力作です。さっそく、WP化させて戴きます。
K-K - 02/10/15 23:03:50
電子メールアドレス:問われているのは、竜馬くんの主張に根拠があるか?ないか?ですよ
コメント:
竜馬くん、見苦しいですね(笑)。
いつまで、逃げ続けるのですか?
あなたは、このHPにおいて、「戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語」という「宣伝」が存在する、と主張したのですよね?
存在したのでしょうか?
存在しないのでしょうか?
■はっきり答えましょう。
■それで、議論は決着するでしょう。
■もし、回答が示せないようでしたら、竜馬くんの主張には根拠が無いという結論に達します。よろしいですね?
※以下、竜馬くんの文章
---- 引用 ----
ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
---- 終わり ----
JOHN_VOID - 02/10/15 23:00:52
コメント:
坂本さんへ
>ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意
>味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。
上に引用したのは、あなたの主張です。
あなたの主張が事実であることを証明してください。
まず、中国側の主張が、坂本さんが記述された内容であることを具体的な実例で示してください。
次に、このHPに掲載されている資料が、坂本さんの主張と一致していることを具体的な実例で示してください。
最後に、両者の主張が異なることを示してください。
それが出来ないのなら、坂本さんの主張は撤回してください。
とほほ - 02/10/15 22:54:02
コメント:
>渡辺さん そういうやり取りはメールでされては どうです。
他人の掲示板でえらそなこと言うな、坂本竜馬君(笑)
JOHN_VOID - 02/10/15 22:54:00
コメント:
>証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を
ここのHPにアップロードされている資料によって
南京事件の存在はすでに証明されているではありま
せんか。
事実が存在するのに、見解を問うことは無意味で
しょう。
それにこの掲示板は管理者のものであって、坂本
さんのものではありませんので、渡辺さんが資料を
提示することにイチャモンを付けるのは筋違いです。
渡辺 - 02/10/15 22:44:40
電子メールアドレス:K-Kさん
コメント:
思いがけず、『梶谷健郎日記』にドイツ人技術者がきたことが載っていて、その判断に迷いました。
この日記は「大田寿男供述書」と対比させる目的で『南京戦史資料集』でとりあげられたわけです。
基本的には、記憶による「供述書」より、日記のほうが、日時場所など、より正確だとい考えられます。しかし、この記述は、ラーベの日記とは、日付けについて少し摩擦を感じたのです。
ただ、遺体処理については『南京戦史資料集』でいうほど「供述書」と矛盾があるようにはおもえません。
12月16、17日と、午前1時、2時といった時間にそれぞれ、2千名の「敗残兵」の射殺したことや、どうやら19日頃まで盛に射殺していたらしく、22日にも、まだ死体を揚子江に投じているわけです。
いったい、死体処理数がいくらかというと、この日記だけからでは4千名以上ということが分かるだけです。
坂本 - 02/10/15 22:39:38
コメント:
渡辺さん そういうやり取りはメールでされては
どうです。それとも宣伝効果の為の掲示板書き込みですか?
もちろん何でやろうとあなたの自由なんですが、
今この掲示板の妥当性が問われているところへ
その横槍は かえって閲覧者に誤解を与えますよ。
ただでさえ k-kさん自身の見解問われてずーと逃げ回っておられるんですから。
代わりに同じように証明できない存在をHPで宣伝されている渡辺さんが答え頂けますか?
証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を
なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて
いるのです?説明してくださいね。
渡辺 - 02/10/15 22:23:11
電子メールアドレス:天皇の軍隊と南京事件
コメント:
K-Kさん、
『天皇の軍隊と南京事件』は、 www.amazon.co.jp に「お取り寄せ」で、一応でていましたけど。
坂本 - 02/10/15 22:15:38
コメント:
k-kさん
証明どころか自身の見解すら示せない南京大虐殺を
なぜ存在したかのようにここのHPで宣伝されて
いるのです?説明してくださいね。
渡辺 - 02/10/15 22:10:23
電子メールアドレス:ラーベと発電所復旧
コメント:
K-Kさん、
「ラーベと発電所復旧」について、改訂版を下記に投稿いたしましたのでご利用ください。
よく調べてみると、この問題はいろいろなところに絡んでいるようです。とりあえず、wかる範囲で投稿しました。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15767&range=1
坂本 - 02/10/15 21:57:29
コメント:
k-kさんやっと分かりましたね。(笑
>証明出来ない「存在」などというのは、UFOや幽霊>と変わりが無いことくらいは理解できていますね?
君のHPそのものと言うことです。(苦笑
K-K - 02/10/15 21:38:20
電子メールアドレス:ゆうさんへ
コメント:
K-Kです。
こんにちは、ゆうさん。
なるほど、吉田氏の「天皇の軍隊と南京事件」ですか・・・。以前、渡辺さんにも紹介して戴いたのですが、未だに読んでいませんでした。やはり、重要な研究書の一つですね。何とか、ネットで探して見よう思います。
また、いろいろとご紹介してくださって有り難う御座います。ぜひ、資料として使わして戴きます。
K-K - 02/10/15 21:34:58
電子メールアドレス:はぐらかし続ける竜馬くん
コメント:
>君の大虐殺物語宣伝が30万でないのなら何人なのか明確に示して下
>さいね。まさか数字の明示なしに大虐殺を銘打てませんわな。今度こ
>そハグラカサズ男らしくしようね(笑 中国に言う南京大屠殺を拡大
>解釈する意図も言い訳してくださいねー。
竜馬くん、「はぐらかし」は見苦しいですよ(笑)。
竜馬くんは、以下のように明記したわけです。
---- 引用 ----
ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
---- 終わり ----
しかし、ここには「戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語」などの宣伝は存在しないわけですね。
よろしいですね?
えっ、存在する?
ならば証明しましょうね。
証明出来ない「存在」などというのは、UFOや幽霊と変わりが無いことくらいは理解できていますね?
JOHN_VOID - 02/10/14 20:36:13
コメント:
なぜ、それがキーワードなのだろう?
違いがあるんだろうか?
坂本 - 02/10/14 19:56:15
コメント:
殺害人数=虐殺人数?
そこはキーワードですので正確にお願いします。
JOHN_VOID - 02/10/14 18:39:44
コメント:
>陥落時の人口を明確にしない事には物語にすらなりません。議論に入って行けないわけです。
南京大虐殺は、捕虜に対して行われたものが過半を占めるので、
殺害人数は陥落時の人口とは関係ないと思いますが?
南京防衛軍の規模を問題にするのであればまだ理解できますが。
それに、なんとなくあったという論理展開をしている人を見たことありません。
否定派の受け売りをしているだけの人は沢山見たことがあります。
坂本 - 02/10/14 16:27:26
コメント:
時期と範囲、その範囲における陥落時の人口に関して
この物語を宣伝する偏向洗脳者の中でも
内容の当否はともかく自身のその見解を電脳掲示板で明確に示した事に関してはk-kくんよりもとほほ
くんが評価されてしかるべきです。
少なくとも否定派や懐疑派にその根拠を順序立てて説明しよう という姿勢が見られるからです。
k-kくんの場合は、全く自身の見解も示さず、順序立てて相手に説明しようと言う姿勢が見られないと言うことです。
ある事柄や事件があった と主張する場合
当人がその概要を説明し、そこから順次証拠の提示
するのが義務であり、その後、詳細の当否の議論に入って行くのが当然です。
そういう手順を無視しハグラカシや曲解、議論のループ戦術により、ただなんとなくあったかのように印象誘導
に終始していたのでは議論以前に、それは 物語宣伝と
認定されて当然です。
とほほくんと見解が異なるのであれば、どこがどう違う
のかを説明し、まず統一された時期、範囲とそこの
陥落時の人口を明確にしない事には物語にすらなりません。議論に入って行けないわけです。
我々のみならず、とっくに見解を示している とほほくんにも大きな迷惑が掛かっている事にも気付くべきでしょう。
よろしいですか?k-kくん?
とほほ - 02/10/14 15:00:51
コメント:
その結論は科学的に表現される。現状における私に言える結論は「10数万人以上の虐殺があった」である、この結論はけして30万と言う数字を否定するものではない。
否定論者、歴史修正主義者、嘘吐きどもはこうした数字に対する誤謬を操りありとあらゆる「トンデモ」を創造し悦に浸る、これは南京事件に限らずである、手法がワンパターンなのである。
例えば南京否定論者である。勝手に「大虐殺派」「中虐殺派」「小虐殺派」などと分類し数字の相対化によりその科学的結論に対する「印象」を操作しあたかも各派が対立論争しているかのように読者を錯誤に誘う、その間隙を狙い己のトンデモまで一つの立場として見せかけるわけである。その実各論説の結論はそのどれも「30万」と言う数字を否定はしていないのである、各論説の提示している数字は現段階において科学的に確認できる数字の主張であり南京事件で虐殺された数字を言及するものではない。
法も歴史学も事実認定に対して非常に誠実で真摯な学問である、が、これをも否定論者、歴史修正主義者、嘘吐きどもは大前提を無視し錯誤を煽る。法と歴史学はその学問の目的が違う、法の目的は人を裁くものである、歴史学に人を裁くと言う目的はない、この認識が理解できていれば法の事実認定と歴史学の事実認定の取るべき立場がおのずと異なるべきであることは自明であろう。
私の現状における事件に対する認識をお尋ねの方もいるようなので、既に数年前から自分のサイト上に提示済みであるが、こういう頭の悪いワカランチンにもわかりやすいようにに以下に提示しておいてあげよう。
「南京大虐殺事件とは、南京攻略戦とその後の南京統治期間中に行われた[捕虜、敗残兵、投降兵等の軍兵軍属に対して行われた虐殺][民間人に対して行われた虐殺・略奪・暴力・強姦等]の蛮行を言う、その際に虐殺された軍兵軍属民衆は10数万人以上にものぼり、この数字は決して30万を否定するものではない」
JOHN_VOID - 02/10/14 13:02:37
コメント:
>戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。
寡聞にして、そのような日本国内の物語を聞いたことがありません。
これは捕虜の虐殺のことを指しているのですか? その場合は敗残兵の虐殺だけを指しているのですか? それとも敗残兵の殺害は「戦闘や巻き添え」に含めるのですか?
幕府山の虐殺は、場内の敗残兵狩りによる捕虜ではなく、戦闘中に投稿してきた捕虜を戦闘終了後に殺害したのですが、それは戦闘中に殺害したことに、どちらにカウントするのですか?
殺害数の正確な人数とは
(1)どの地域
(2)どの期間
に起きた殺害数の人数ですか?
また、正確な人数とはどれぐらいの誤差を含めているのですか?
秦郁彦氏は日本軍の戦闘詳報から殺害数を約4万人と計算して
いますが、これは坂本さんの基準ではどの程度の精度にあたりますか?
ゆう - 02/10/14 10:50:31
電子メールアドレス:K-Kさんへ 「みんなが知っている」について
コメント:
「資料」ですので、もちろん自由にお使いいただいて結構です。ただ、内容的には、明らかな事実誤認もありますので、その旨のコメントは必要だと思います。
この小説の背景ですが、本の中には何のコメントもなく、またネットで調べても適当なものが出てきません。内容的にはほとんど「戦記」に近く、吉田裕氏「天皇の軍隊と南京事件」の中では、この小説の「捕虜虐殺」の記述が「証言」のひとつとして扱われています(P50)。
「モデル」の行動記録をいくつか引用しておきますので、どなたか詳しい方、何か気がついたことがありましたら、教えて下さい。ひょっとすると、「モデル」の正体を隠すため、設定を微妙に変えている可能性も、あるかもしれません。
>いわゆる<赤紙>の召集令状を受けとったのは、昭和十二年九月二十日。私は数え年で三十三になっていました。(P306)
>かたどおりの身体検査がすむと、その日(引用者注.召集令状受け取りより「四日目」) のうちに私は輜重兵として、第十三師団に編入され、入隊後一週間目には広島の宇品へ送られました。(P306)
>昭和十三年八月以降の私の軍隊手帳は、
十月三十日ヨリ十一月三日迄、武漢平地にオケル追撃戦闘。
十一月四日ヨリ十四年三月末迄、漢口及ビ其附近の警備。
四月一日より五月末日迄、袁東会戦。
六月一日ヨリ十一月十三日迄、安稑附近の警備。
十一月十四日、陸支機密第一一七○号ニ依リ、旧口鎮出発。
十二月十一日、宇品港上陸。
十二月十三日、仙台着。十二月二十日召集解除。(P323)
*なお、「支那派遣軍が、(毒)ガス弾を使用した確証」についての記述もあります。見覚えのある文章なのですが、どの本で紹介されていたのか、捜しきれませんでした。
**「死体処理」について、興味深い部分を紹介しておきます。
>誰かが考えだして、河岸の楊柳を切り、先端を尖らすとそれを魚又のように使って屍体を二つ三つと櫛刺しにし、それを二人一組で水際までひきずって行きました。(P320)
>水際に捨てた屍体も、溜水に浮んだ塵芥のようにいたずらにその層を拡げていくばかりでした。ニ、三人の兵隊が小舟で屍体の溜りの中に漕ぎ入れ、水の流れに乗せようとかかりましたが、五つか六つ流れに押し出したきりで、あきらめてしまいました。(P320~P321)
坂本 - 02/10/14 05:06:44
コメント:
k-kくん
君の大虐殺物語宣伝が30万でないのなら何人なのか明確に示して下さいね。まさか数字の明示なしに大虐殺を銘打てませんわな。今度こそハグラカサズ男らしくしようね(笑 中国に言う南京大屠殺を拡大解釈する意図も
言い訳してくださいねー。
ここで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
タラリさんの投稿で
>「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです
昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。
これは当然どこの国の人間にも共通するところです。
世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
K-K - 02/10/14 00:30:02
電子メールアドレス:ゆうさんへ
コメント:
K-Kです。
こんにちは、ゆうさん。
この資料は、非常に興味深いものですね。
内容を見ると、微妙に時事関係に違いがある点と、事件の内容と一致する点が入り乱れています。どの様な過程でこの作品を書いたのか、明らかになればさらに面白いですね。
この資料をHPに掲載したのですが、構わないでしょうか?ご検討をお願いします。
ゆう - 02/10/13 21:20:44
コメント:
あれ、竜馬氏と坂本さんは、やはり同一人物だったわけですか。的外れなレスをしてしまいました(^^; あと、38秒待てばよかった(笑)
相手にするだけ、時間の無駄でした。
一言、「みんなが知っている」投稿に付け加えるのを忘れていました。
最初からいきなり「十二月八日前後」に「南京城はすでに陥落」という一文がありますが、これは「筆写ミス」ではありません。
他にも明らかな「事実の誤り」が散見しますが、「資料」として、すべて原文のまま引用しています。念のため。
ゆう - 02/10/13 21:00:04
電子メールアドレス:藤原審爾「みんなが知っている」
コメント:
「文字化け」になりましたので、再投稿します。K-Kさん、申し訳ありませんが、前の分は削除しておいて下さい。
「文学作品における南京事件」が話題になっていますので、私も、ひとつ資料を提供します。
藤原審爾著「みんなが知っている」のうち、「南京大虐殺」の章の、最初の1/3くらいです。
最初に注意しておきますと、「文学作品」であるという制約、また、ソースが(おそらく)「第一三師団の兵士が他の一兵士から話として聞いたもの」という「また聞きのまた聞き」に過ぎないものであること、から、「正確性」の点ではかなり疑問があります。
しかし、内容はいわゆる「自衛発砲説」を明らかに否定したものであり、「栗原証言」が出るはるか前の1957年段階でこのような記述が存在することは、注目してもいいのではないか、と思います。
(以下引用)
私たちが南京市へあと一日行程という距離まで辿り着いたのは、上海上陸後まる二カ月、十二月八日前後のことで、南京城はすでに陥落し、城内居住一般民に対するあの悪名高い大虐殺が行われていた真唯中にあたっています。
ですから、私は幸いにも城内の惨禍に直接あずかることはなかったわけですが、そのかわり、南京城外北方の烏竜山麓における数万におよぶ虐殺死体の清掃を担当しなければなりませんでした。
官立学校だと聞かされた校舎に宿営した翌朝、食事が終ると突然、
「昼食携行、全員軽装にて直ちに集合ツ」
の命令が出ました。
行く先も、目的も全然知らされないまま二里ばかり歩かされ、十時頃着いたところが、烏竜山麓の殺戮現場でした。
一方が烏竜山麓の高地で、山添の道路から傾斜地を下ると揚子江の水際までゆるい起伏を持った広い砂原でした。その広い砂原いっぱいに、前夜半行われた惨劇の地獄図絵が生々しくひろがっていたのでした。それは戦場を歩き慣れて並大ていのことでは愕くことのない私たちでさえ、声をのんで立ちつくしたほどでした。
ここで焼殺された人達は二万ともいい、一説には四万ともいわれています。被害者は南京市の周辺地区から戦禍に追われて城内へ蝟集してきた避難民だったとの事ですが、それを部隊はこの砂原地帯に集結させたまま、一週間あまり兵糧攻めにしたのです。ただ一回だって食を与えず、水さえ飲ませませんでした。
その飢えた避難民の集団をその日の前夜、二個小隊の機関銃隊が上の道路から一斉射撃したのでした。
しかし、水一滴飲まされなかった二万人の群衆の日本軍に対する憤怒のエネルギーがどれほど凄絶なものか、それを指令した軍高級官も、出動した二個小隊の兵たちも、まったく考慮することが出来なかったのです。
夜陰に乗じて虐殺の銃火を点じた日本軍に対する怒りの爆発は、一週間の絶食で消耗しつくした二万の体力を再び復活させるのに役立ちました。異様な雄叫びを上げながら、彼等は道路上の機関銃隊へ向って逆に雪崩のように殺到したのです。二万の大群衆です。たとえば宮場前広場(ママ)を埋めつくすほどの人達が怒りに燃えたぎって殺到したのですから、二個小隊の機関銃隊は、あっという間に押し潰されてしまったのです。
小高い道路上からこれを見物していた自動車隊が臨機の処置をとらざるを得なくなったのです。ぐずついている間はなかった。積み込んでいた全部のドラム罐のガソリンを傾斜地へ放流し、マッチをすって投げ込んだのです。
この自動車隊の本来の任務は、機関銃隊が独力仕上げる筈の屍体の山に万遍なくガソリンをふりかけ、手際よく焼き尽くして、いくらかでも罪跡をくらます事にあったのでしょうが、それどころではなくなったものでした。しかし、この咄嗟の判断で、殺到する群衆を燃え足の早い猛火の垣でさえぎってしまいました。逃げ場を失った群衆は猛火のために焼殺されてしまったのですけれど、その代り、友軍の二個小隊もその道連れにされてしまったのです。これはその夜の自動車隊にいた一兵士から、その日きかされた話です。
(「藤原審爾作品集 みんなが見ている前で・みんなが知っている」所収「みんなが知っている」P318~P319)
このあとには、死体処理の具体的な風景、「舟に南京市民を満載して」揚子江で「一挙に覆えした」話など、興味深い話が続きますが、長文になりすぎますので、省略します。
K-K - 02/10/13 20:54:38
電子メールアドレス:竜馬くん
コメント:
>ゆうさん この意見をどう論破したと言うのです?
>タラリさんは このHPの何処に30万という文字があるか見つけた
>んで沈黙なんでしょ?
見つけてないようですね。
>みっともない大強弁は 新しい歴史教科書採択妨害の嫌がらせ・脅迫ま
>がいの電話・ファックス・放火など姑息な行動の思考回路を彷彿させる
>だけですよ(苦笑
「みっともない大強弁」とは、「存在しない」ものを「存在する」と主張する竜馬くんの姿ですね。
それとね、「嫌がらせ・脅迫まがいの電話・ファックス・放火など姑息な行動の思考回路」と「みっともない大強弁」との関連性は何でしょうか?関連性の無いものから、竜馬くんは「彷彿させる」ことが出来るのですか?
まぁ、ここらへんが「みっともない大強弁」なのでしょう(苦笑)。
>下の意見の何を論破したと言うんですか?
論理の根拠となる事実が存在しないのですから、「論破」する前に、「論」として成り立ってないということですね。
■普通の人は「皆まで言わない」から、竜馬くんには理解できなかったようです。
■皆さん、ご容赦ください。
>ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦
>死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き
>添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さ
>だした中国人学者も現れているかもしれませんが)
「存在しない」事実とは、これのことですね。
竜馬くんは「存在する」と主張しているのですから、その証明ができなければ「存在しない」ということになるのです。
■オワカリデスカ。
>昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
>戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
>一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
>平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。
>これは当然どこの国の人間にも共通するところです。
>世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
>幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
うーん、竜馬くん。なんていう文章を書いているの(苦笑)。
坊主の説教じゃないのだから、この様な紋切り型の文章を書いてもしょうがないでしょう?
タラリさんは、君がいう「異常な時代」のさ中に、『「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に富む行動を臆することなく書いた』と書いているのです。「異常な時代」だったのかどうかなど論点ではないし、日本の現状が平和であることも論点ではないし、日本の将来も論点ではないのです。
君が明らかにした「異常な時代」と、その「異常な時代」に書かれた石川達三の作品との関連性について書かないのですか?自分の一方的な思いを書いても、「あぁ、そぅ」と言う以外ないのですが・・・。
読書感想文ではないので、もう少し意味のあることを書きましょう。
特に「幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです」なんて、小学生の作文なみですね(苦笑)。
ゆう - 02/10/13 20:54:00
電子メールアドレス:坂本さん・・・(たぶんこれで最後)
コメント:
坂本さんは、竜 馬 氏 と は 違 い(ここ、強調しておこう(笑)。一応、「ダブハン」ではない、と考えることにします)、まともな議論を望んでいるように見えたので、一応のレスをしたのですが、その後の展開を見ると、期待外れだったようです。
「否定派」の立場をとることは、一向に構いません。「否定派」に属する人の議論でもハッとするような鋭い見解に出会えることもありますし(板倉氏など、結構面白い議論をすることがあります)、私としては、私自身の「勉強」に参考になる意見を聞けるのであれば、どのような立場の方であれ、大歓迎です。しかし、申し訳ありませんが、坂本さんの議論は、今のところ、とてもそのようなレベルにはないように思います。
投稿の内容は乏しいし(まさか素晴らしい内容だと自認している・・・わけないですね)、タラリさんが「30万という数字がどこにありますか?」と質問すると「ここのHPなんですからご自分で見つけて下さい」と無責任な開き直りはするし(論破されていない、と思っているんでしょうか?)、紹介するページは誰でも知っている松尾氏の掲示板とグース氏のHPだし・・・。
坂本さんは、この掲示板での討論に、何も新しい論点・知識を付け加えていませんし、おそらく今後も付け加えることはない、と思います。大変失礼ですが、私としては、このままでは、坂本さんの投稿を読ませていただく意義を感じませんし、他の人も同様でしょう。
・・・ちょっと言い過ぎたかもしれません。これが私の誤解であることを祈りましょう。次回の投稿が、この掲示板の皆さんの知的刺激になるような、素晴らしいものであることを期待します。
さて、あまりこだわるのもつまらないので(^^)、話題を変えます。
タラリ - 02/10/13 17:25:18
電子メールアドレス:答えがやはりない
コメント:
坂本さん、私の投稿とあなたのレスをよーく読み直してみて下さい。
>ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という物です。
これはあなたの主張です。
私はこのHPでそのような主張がされているとは一度も言っていません。
あなたの主張ですから、あなたが証明すべきものです。
まだ探していないのは坂本さんの方ですよ。自分が主張しておいて相手に
証明を強要する? 頭おかしいんちゃいますか。
もう一度聞きますよ。
30万人という数字がどこにありますか。答えられない場合は
これ以上、これ以上相手しませんので、よろしく。
坂本 - 02/10/13 15:32:11
コメント:
それとタラリさんに、ゆうさん 大虐殺物語の宣伝に
洗脳されないようにこちらのHPも合わせて読まれる
事をお勧めしておきます。もう一度子供の時のように
純粋潔白な心で日本国民の歴史の真実を勉強し直されることを期待しております。
http://6416.teacup.com/7867zxlotion5/bbs
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/index.html
坂本 - 02/10/13 15:10:34
コメント:
タラリさん探していなかったんですか?
ここのHPなんですからご自分で見つけて下さい。
学問に王道なし(笑
どうしても ないと言うなら
k-kの大虐殺物語宣伝が30万でなく何人なのか明確に示して下さいね。まさか数字の明示なしに大虐殺を銘打てませんので。
タラリ - 02/10/13 14:17:50
電子メールアドレス:質問に返事がないが
コメント:
坂本さん
30万という数字がどこにありますか?
私が聞いているのだが、返事がない。
>ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は(略)、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。
だから、そんな宣伝がどこにあるのか、返事は?
坂本 - 02/10/13 12:59:55
コメント:
ゆうさん この意見をどう論破したと言うのです?
タラリさんは このHPの何処に30万という文字があるか見つけたんで沈黙なんでしょ?
みっともない大強弁は 新しい歴史教科書採択妨害の嫌がらせ・脅迫まがいの電話・ファックス・放火など姑息な行動の思考回路を彷彿させるだけですよ(苦笑
下の意見の何を論破したと言うんですか?
もう一度あなたの石川達三氏についての投稿からの流れを念頭においてわたしの文章をよーく読んで趣旨を理解してください。かなり偏った誤解をされているようです。
ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
タラリさんの投稿で
>「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです
昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。
これは当然どこの国の人間にも共通するところです。
世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
ゆう - 02/10/13 06:24:59
電子メールアドレス:坂本さん・・・
コメント:
どう読んでも、私にも、タラリさんが理解しているようにしか読めません。
私には、論破された投稿をまたコピペして出してきているとしか思えないのですが・・・。(一般的には、同じ文章を繰り返し投稿するのは、掲示板のマナー違反だと思います)
もし「かなり偏った誤解をされているようです」と主張するのであれば、前の文のコピペをしても意味はありません。あらためて、「誤解」の内容をきちんと説明するべきでしょう。
渡辺 - 02/10/12 23:40:06
電子メールアドレス:誤植訂正
コメント:
『生きてゐる兵隊』初版序文(「誌」)に、いくつか誤植がありましてので訂正し、下記URLに投稿いたしましたのでお知らせいたします。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15719&range=1
渡辺 - 02/10/12 23:20:52
電子メールアドレス:タラリさん
コメント:
タラリさん、はじめまして。
ご紹介のHPは、以前、訪問したことがありますが なぜか、全部読んでいませんでした。ご紹介いただいたおかげで、今回、きちんと読みました。
http://www.fujijoshi.ac.jp/dept/japanese_dept/sugamoto/guraduation-teses/gurad00/kakuta/kakuta00.html
裁判資料がどこに掲載されているか書かれていましたが、これは助かります。
この作品を見る視点はいくつかあると思いますが、私は、歴史資料として石川達三の作品を検証し、資料としてどう使うことができるかという視点で興味を持っています。
文学作品として見る場合でも、どこまで事実が書かれているかによって評価や見方が変わってくると思います。
たとえば、KOILさんが指摘したような、日本兵が正規に持っているはずのない「モーゼル銃」の件は、単に文学として読むと見落としやすい個所です。
作者が南京に到着した時期については、どうやら本人自身があいまいなようです。しかし、1月4、5日あたりのようです。
ご紹介のHPでは、『五人の補充将校』(昭和14年発表)という短編には触れていませんが、この作品には南京へ行く途上の様子と、三三連隊との出会いのきっかけが書かれています。
また、『包囲された日本- 仏印進駐誌』(昭和18年脱稿、集英社 1979年刊)も触れていませんが、この作品と比較すると『生きてゐる兵隊』は「小説」というより、むしろ現在でいうノンフィクションであったように思われます。この作品は最初から発表をあきらめていたようなので、『生きてゐる兵隊』のような、ねじれた表現はなく、非常にすっきりしています。
「前記」で、その取材方法に触れていますが、きわめて実証的で精力的な取材の姿勢には感嘆しました。
現在は、私は別のテーマで時間的余裕がありませんが、来年の初めくらいには、『生きてゐる兵隊』について まとめてみたいと思います。その節は、ご批判をお願いいたします。
坂本 - 02/10/12 21:22:40
コメント:
もう一度あなたの石川達三氏についての投稿からの流れを念頭においてわたしの文章をよーく読んで趣旨を理解してください。かなり偏った誤解をされているようです。
ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
タラリさんの投稿で
>「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです
昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。
これは当然どこの国の人間にも共通するところです。
世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
タラリ - 02/10/12 20:23:04
電子メールアドレス:虐殺主体
コメント:
坂本さんへ
>ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
このHPのどこに30万人という文字があるのか教えて下さい。
>世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
場所ということではなく、虐殺を起こした主体が問題です。どこでも行われたというのでは嘘になります。この当時、これだけの規模の虐殺を起こした軍隊は日本軍しかなかったというのが事実です。
坂本 - 02/10/12 19:53:38
コメント:
言葉足らずを補足します。
ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 中国の言う南京大屠殺=戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という日本国内の物語です。( 最近それに影響さだした中国人学者も現れているかもしれませんが)
タラリさんの投稿で
>「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです
昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう。
これは当然どこの国の人間にも共通するところです。
世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
坂本 - 02/10/12 19:06:17
コメント:
ここのHPなどで宣伝されている南京大虐殺は 戦死者や巻き添えによる戦争犠牲者が30万人と言う意味でなく、戦闘や巻き添え以外の虐殺が30万人という物です。
タラリさんの投稿で
>「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に>富む行動を臆することなく書いた、ということです
昨日もこれと同趣旨の投稿が削除されてしまいましたが
戦争というものは人間をそこまで鈍感にさせ、
一種の精神病(戦時精神病とでもいいますか)
平時の今から見ると異常な感覚にとらわれてしまう
世界のいたる所でそういう忌まわしい異常な時代だったと言うことですね。
幸い日本は現在平和ですが、将来もあってはならないことです。
タラリ - 02/10/12 18:32:44
電子メールアドレス:残虐性の証明
コメント:
坂本さんへ
「宣伝されているような大虐殺」というのが何を差すのか、私にはわかりません。
石川は当時の検閲者にとって許せないような残虐な記述、また文芸評論家たちからすると明らかに「反戦意志」を持つと見られるほどの兵士の残虐性に富む行動を臆することなく書いた、ということです。
石川は南京には1月4、5日に入り虐殺の現場は直接目撃していません。しかし、文学的な情熱に基づき、戦争中の兵士の「生きた」さまを活写するべく精力的に話を聞いて廻ったのは間違いないでしょう。
つまり、石川の小説は当時の兵士が戦場に送られるとともに虐殺の基礎となる残忍性を身につけていたことの証明です。そして兵士たちが自らの残忍性を意識することなく、隠すことなく石川に語ったということだけが確かに言えることです。
坂本 - 02/10/12 17:49:33
コメント:
タラリさん
つまり宣伝されているような
大虐殺はなかったということですね?
タラリ - 02/10/12 14:08:49
電子メールアドレス:sakat37@nifty.com
コメント:
石川達三の「生きてゐる兵隊」についての文学的見地からのHPがあり、示唆に富みます。http://www.fujijoshi.ac.jp/dept/japanese_dept/sugamoto/guraduation-teses/gurad00/kakuta/kakuta00.html
石川の意図は戦争における兵士における日常からの変わり様を正確に描写することにあった。兵士の残虐行為は状況により「迫られて」したものと理解されており、そのような残酷な状況を銃後の日本国民も理解しなければならない、という使命感があって書いた。そのため、小説が発禁処分を受け、本人が刑を受けることなどはまったく予想の範囲外であったことが述べられている。
当局から反戦意図を持った小説して起訴されたのと同じく、文芸評論家からも反戦意図を持つものとして受けとめられたが、その際には兵士の行動を支えた国家意志への批判がないと非難された。この当局からの弾圧と同じく評論家からの批評もまったく彼の気にそまないものであった、というのが面白い。
ところで、極東裁判前後の彼の意識は敗戦という現実に面して残虐行為への認識を軌道修正しているようである(読売新聞インタビューなど)。それに反して死の直前におこなったとされる阿羅健一「南京事件」文庫本版ではおよそ生気のない、表現に対する意欲、残虐行為に対する憤りの感じられない短い文章に終始している。死の直前までには事件に対する姿勢に何らかの変化があったのかかどうか。また、そもそもこのインタビューは正確なものなのか、どうか。
阿羅本では南京入りを入場式から2週間後としている。角田論文では1月4、5日頃と推定している。「大殺戮」を否定しているが、「大虐殺」を否定しながら小虐殺の目撃はキチンと行っているのは阿羅本の他の証言にも多い。
渡辺 - 02/10/12 02:08:37
電子メールアドレス:資料『生きてゐる兵隊』初版序文(「誌」)
コメント:
石川達三『生きてゐる兵隊』初版の序文「誌」を、参考のため、下記URLに投稿いたしました。
ご自由に利用くださってけっこうですが、なるべく引用元をご自分で確認されるよう、お勧めいたします。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15711&range=1
渡辺 - 02/10/12 01:56:43
電子メールアドレス:資料『石川達三インタビュー』(昭和21年5月9日『讀賣新聞』記事)
コメント:
『石川達三インタビュー』(昭和21年5月9日『讀賣新聞』記事)の全文を投稿いたしました。
ご自由に利用くださってけっこうですが、なるべく引用元をご自分で確認されるよう、お勧めいたします。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15709&range=1
なお、投稿文中の説明について訂正いたします。
(誤)2000年10月24日に ash_28 の No.1847 の投稿を利用させていただきました。
(正)2000年10月24日の ash_28さんによる No.1847 の投稿を利用させていただきました。
KOIL - 02/10/12 00:59:24
電子メールアドレス:試し切りに追加
コメント:
参考までに、試し切りに関する記事を追加投稿します。
描写がかなりリアルです。
白水橋?あたりだとおもわれます。
-------------------------------------------------------
小原孝太郎 第16師団 輜重兵第16連隊 輜重兵特務兵
十二月十七日
(前略)
二十七班が乾草の徴発に行ったら農家の藁の中に敗残兵が
四名隠れてゐたので、それを捕へて来た。自分等の△△△が
業物を抜いてずばっと一刀のもとに切捨てたら、首がぶらん
ぶらんしてゐた。次に△△△の△△△が抜くなりやったが、首
は落ちなかった。△△△△がついで、俺のを手本にしろとい
ふなりずばっと飛閃一陣、首は前にころがって血汐がそれを
追っかけてほとばしった、物凄い腕だ。
(後略)
-------------------------------------------------------
江口圭一・芝浦拓自編 『日中戦争従軍日記』(法律文化社)p136
△は編者の判断によって伏字です.。
「ぶらんぶらん」は反復記号によって省略されていますが、
該当の文字が出せませんので、読みのとおりに表記しました。
K-K - 02/10/12 00:11:11
電子メールアドレス:ゆうさんへ
コメント:
K-K。
ゆうさん、こんにちは。
私も「正論」の阿羅論文を読みました。
細かい証言の間違いを取り上げて、「ウソだ」と主張するいつもの論調でした。
証言内容が食い違うことは当然のことなのですが、阿羅氏には理解できないようです。
実際、自身の著書『「南京事件」日本人48人の証言』でも、自分の上司である長勇中佐が中支那方面軍の参謀であったことを知らなかったなどと証言しており、矛盾が出ていますね。
どうも感情的な文章だという感想しか残りませんでした。
事実の前には、あの程度の反論しか出来ないのでしょうね(笑)。
※アラシ君については、気づき次第削除しますので、お見苦しい点はご容赦ください(笑)。
※週が明けたら、プロバイダーに通報しようかと思っています。
ゆう - 02/10/11 23:26:53
電子メールアドレス:試し切り
コメント:
有名なのは、「中島日記」の文章ですね。
●「南京戦史資料集?」P218 中島今朝吾日記 十二月十三日
<一、本日正午高山剣士来着す 時恰も
捕虜七名あり 直に試斬を為さしむ
小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込(事)斬りたり>
(カタカナをひらがなに修正)
こんなことを日記に平気で書くあたり、中島中将が「試斬」を「残虐行為」とは夢にも考えていないことがわかります。
「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」では、このあたりでしょうか。
●P66 古川康三(16D33i第二機関銃中隊)
機関銃や地雷で殺す以外にも、残虐行為を見たことがありました。戦闘中に新しい将校、幹部候補生から上がった将校のほとんどが任官制少尉(一年間の教育を受けて任官)になって小隊長になるものだから、そういう人がよく試し切りといって敗残兵ということで中国人を捕まえて切っていました。・・・私は目の前ではっきりと首切りを見ました。部落を攻撃して敗残兵を捕まえると小隊長が切ってるのを南京の陥落の前にも何回も見てきました。
●P266 上岡光雄 (16D33i 輜重特務兵)
私らが初めて捕まえた支那人は男でして、本当に悪いことをしたかしてないかも分からなくて、弱そうに見えたので外の二人と相談して駐屯地に連れて行きました。そしたら軍刀を持ったある下士官以上の人の試し切りになったようです。
「試し斬り」は、ほとんど「常識」だったようです。
「諸君」と「正論」で、早速「南京戦」の批判記事が掲載されましたが(両方買ってしまいました(^^))、細かい「日時」や「場所」はともかく、このような「具体的な体験談」については、十分な信憑性があると思います。
・・・うっとおしいアラシ投稿がないと、この掲示板もすっきりしますね(笑)。
K-K - 02/10/11 22:54:16
電子メールアドレス:JOHN_VOIDさんへ
コメント:
K-Kです。
JOHN_VOIDさん、こんにちは。
> 南京事件当時の岡田酉次氏は、上海派遣軍司令部特務部に所属しています。
> その前は、参謀本部支那課の所属です。
ありがとうございます。
なるほど、これは重要な資料ですね。
その割には余り利用されていないのではないでしょうか?私は、JOHN_VOIDさんに指摘されて初めて知りました。
機会があったら、ぜひ、目を通しておきたい資料の一つですね。
JOHN_VOID - 02/10/11 07:43:21
コメント:
南京事件当時の岡田酉次氏は、上海派遣軍司令部特務部に所属しています。
その前は、参謀本部支那課の所属です。
K-K - 02/10/11 01:28:19
電子メールアドレス:JOHN_VOIDさんへ
コメント:
K-Kです。
こんにちは、JOHN_VOIDさん。
一点だけ質問をさせてください。
引用されている日記の筆者である岡田酉次少佐は、どの部隊に所属していたのでしょうか?JOHN_VOIDさん記述からみると、上海派遣軍司令部にいた様に思われますが?
渡辺 - 02/10/11 01:08:45
電子メールアドレス:Koilさん
コメント:
>コメント:
>渡辺さん。はじめまして.m(__)m
あれ、もう挨拶したんじゃなかったっけ?
今日はもう寝ますけど、とりあえずよろしく。
渡辺 - 02/10/11 01:04:37
電子メールアドレス:JOHN_VOID さん、
コメント:
JOHN_VOID さん、
「朝香宮がいる司令部」は、そうとうなものだったようです。もちろん「朝香宮」はご存知なかったと思いますが。
『元102人~』をご覧ください。
JOHN_VOID - 02/10/10 23:59:54
コメント:
陸軍の主計少佐の回顧録に、南京事件に関連した記述が少しありました。
>前進につれて通路の両側には死屍累々として目を覆わしめるものがあり、
>やっと城壁から逃れ出た中国兵士達-眼前で降伏する者あるいは捕虜と
>なって後送される者売る者あり、また小広場では数珠繋ぎのママ互いに身を寄せ合って茫然自失している敗残兵があるなど-を
>至る所で見かけたが、その中には女性さえ混じっているのに気づいた。
「日中戦争裏方記」p113(岡田酉次 当時陸軍主計少佐)
女性も混じっていたという証言もあるのは珍しいと思います。
主計少佐として、占領地で日本軍の軍票がどの程度流通できるか視察するのが目的なので、南京市の市場にも自ら出かけています。
> この頃になると、比較的戦火を免れた城外や近郊では、いずれの都市
>占領の場合にも見られる泥棒市場がポツポツ立ち始めるのが見受けられた。(中略)
>平時でもたまに見かける例ではあるが、中国ではこうした混乱の際、
>盗難品をもって集まる難民による市場が生まれる。通称「泥棒市場」と
>呼ばれる所以であろう。(中略)
>もとより今回の場合は、良き掘り出しものがな、などという心のゆとり
>もなかったが、紙巻き煙草の一本売りをするこれらの市場において、
>日本兵達の差し出す軍票に住民達がどんな反応を示すかが、私ども
>の視察の目的だったのである。
市場が立っていたから、南京での虐殺はなく平和だったという否定派の主張への反証になるでしょう。
また、南京以外での捕虜殺害について、貴重な証言があります。
当時上海派遣軍司令部(朝香宮が司令官)のあった湯山に、中国軍の小部隊が迷い込んできて大騒ぎになった際に
>この時数名の敵兵が捕虜になったとのニュースが伝わると、特に下
>士官連中がおっとり刀でこれに殺到せんとする光景を見せつけられ、
>戦場ならではの思いを深くした。おそらく伝来家宝の日本刀や高価
>を払って仕込んできた腰の軍刀がうづいていたのであろう。いずれ
にしても戦場の夢ははかなかった。
朝香宮がいる司令部でさえ、こうなのであれば、南京攻略軍の軍記はかなり緩んでいたことや、捕虜を殺害するのがすでに常態と化していたことが推察できます。
とほほ - 02/10/10 17:49:30
コメント:
> あらし投稿を削除しました。
なんであらしくん達、私の掲示板こないのだろう(T_T)
悪戯電話は竜馬くんから二回くらい来たけど(笑)
KOIL - 02/10/10 07:12:23
ホームページアドレス:http://web.archive.org/web/20070315064434/http://alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/index2.html
電子メールアドレス:はじめまして
コメント:
渡辺さん。はじめまして.m(__)m
>なお「何万という」くだりですが、12月13日に揚子江上に浮遊した「敗残兵」「凡そ五万」が殺されたこと
>は書いておりますので(中公文庫では p.141)、
これは、この部分ですね。
---------------------------------------------------------------------------------------------
ユウ(←KOIL注:字が出ない)江門は最後まで日本軍の攻撃をうけなかった。城内の敗残兵はなだれを打って
この唯一の門から下関の碼頭に逃れた。前面は水だ。渡るべき船はない。陸に逃れる道はない。
彼らはテーブルや丸太や板戸や、あらゆる浮物にすがって洋々たる長江の流れを横切り対岸浦口に渡ろうとするのであった。
その人数およそ五万、まことに江の水をまっ黒に掩うて渡って行くのであった。そして対岸について見たとき、
そこにはすでに日本軍が先廻りして待っていた! 機銃が火蓋を切って鳴る。水面は雨に打たれたようにささくれ立ってくる。
帰ろうとすれば下関碼頭ももはや日本軍の機銃陣である。-----こうして浮流している敗残兵に最後のとどめを刺したものは
駆逐艦の攻撃であった。
『日本の文学56 石川達三』(中央公論社 昭和47年)p119
---------------------------------------------------------------------------------------------
>問題としているのは市民のことでしょう。
私は、初め中国側発表の30万と言う数字を石川は否定したのかと思いました。
けれどそれだったら、
「何十万の死体の処理は~
とはなっても、阿羅健一が書いているように
「何万の死体の処理は~
とはなりませんでしょうし。
いずれにせよ、該当の旬刊『世界と日本』を手に入れて読んでみたいと思います。
畠中と阿羅という、二つの名前を使い分けてる事も気にかかりますし・・・・・
>『生きている兵隊』のクライマックスとなるべき南京城内へ入る場面がなく、突然、筆のタッチも内容も変 わるのでいぶかしく思っていましたが、
>『讀賣新聞』昭和21年5月9日2面で、次のように述べています。
これは私も気がつきました。
上記の引用のすぐ次には、城内と場外における掃蕩についてかかれています。
「十四日城内掃蕩商店街の至るところに正規兵の服がぬぎすててある」と続き
んで、続いて「十五、十六日城外掃蕩・・・」
全体として、とってつけたというか、書き飛ばした(石川氏に失礼かなぁ)ような感じを受けます。
>建物に閉じ込めて焼殺した跡を見たり、その話を聞いたという記録はありましたが、実際にやったという 資料はありませんでした。
>しかし『元兵士102人の証言』(社会評論社)で、その証言がでてきました。この証言集を見ると、いかに 脚色しても石川達三は、
>この事実を書くことができなかったことがわかります。
ご教示ありがとうございます。早速読んでみようかと思います。
>なお、それ以外にも、慰安婦が軍属に「命令」で送られていたことなど、いくつか興味深い記述がありま
>す。また、そういうきわどい内容については、独特の技法で書いていますが、その件は、よくまとめてから
>記事にしたいと思います。
記事については、たのしみにして待っております。(o ̄∇ ̄)o
あと、興味深いといえば、モーゼルの件でも関連した記述があります。(陣中日誌よりは信頼性に劣るでしょうが)
---------------------------------------------------------------------------------------------
炊事係の兵は支那兵から占領したモーゼルの古めかしい大きな拳銃を持ち出し、まだ撃ってみないから当るかどうか試そうと、
豚を立木に繋いでおき十間も離れて射撃してみるのであった。
---------------------------------------------------------------------------------------------p102
ただし↑は常州での話です。↓が南京での話。
---------------------------------------------------------------------------------------------
平尾は夜道を帰るときの用心のために通訳が持っている支那兵からぶん取ったモーゼルの大きな古めかしい拳銃を借りに行った。
---------------------------------------------------------------------------------------------p136
追記
http://www.ndl.go.jp/
↑が便利になります。インターネットからでも複写の申しこみが出きるようになったり。
雑誌の目次を検索できたりするようになるみたいです。国はこういうところに金使ってほしいなあ。
K-K - 02/10/10 00:21:41
電子メールアドレス:あらし投稿を削除しました
コメント:
K-Kです。
以下の投稿を削除しました。
リバウンド REMOTE ADDR: 218.42.223.15 - 02/10/09 21:08:10
※アラシ行為を継続する場合は、(株)ケーオプティコムに通告することになるでしょう。
■社 名 :
株式会社ケイ・オプティコム
■本社所在地 :
〒530-0047 大阪市北区西天満5丁目14番10号 梅田UNビル
TEL 06-6315-6950(代表) FAX 06-6315-7001
URL http://www.k-opti.com
K-K - 02/10/09 21:57:31
電子メールアドレス:名なしの投稿を削除しました
コメント:
K-Kです。
投稿を削除しましたので、お知らせします。
IPは以下の通り。
REMOTE ADDR: 218.42.223.15 - 02/10/09 21:08:10
渡辺 - 02/10/09 03:09:49
電子メールアドレス:訂正
コメント:
(誤)
『本兵士102人の証言』(社会評論社)
(正)
『元兵士102人の証言』(社会評論社)
渡辺 - 02/10/09 03:05:57
電子メールアドレス:石川達三「生きている兵隊」
コメント:
KOILさん、
「畠中秀夫」の件は面白いですね。
石川達三『生きている兵隊』については、テーマの一つとしていますので、来年くらいには記事にしたいと思います。
『生きている兵隊』は、33連隊の戦闘詳報と平行しているので、戦闘詳報の元になるノートを見た可能性が高いと思います。33連隊の5人の補充将校と同船したことが、33連隊との関係を深いものにしています。
石川達三は、インドシナ進駐をテーマにした『仏印進駐誌(包囲された日本)』という「小説」を戦争中に書いていますが、非常に実証的です。自分でも、取材方法を詳しくのべています。
なお「何万という」くだりですが、12月13日に揚子江上に浮遊した「敗残兵」「凡そ五万」が殺されたことは書いておりますので(中公文庫では p.141)、問題としているのは市民のことでしょう。
『生きている兵隊』のクライマックスとなるべき南京城内へ入る場面がなく、突然、筆のタッチも内容も変わるのでいぶかしく思っていましたが、『讀賣新聞』昭和21年5月9日2面で、次のように述べています。
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大きな建物へ一般の中国人數千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶死させたまた武装解除した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬つた、しまひには弾丸を使うのはもつたいないとあつて、揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切つて河中へつきおとしたり逃げ口をふさがれた黒山のやうな捕虜が戸板や机へつかまつて川を流れて行くのを下流で待ちかまへた駆逐艦が機銃のいつせい掃射で片ツぱしから殺害した
[Yahoo!掲示板に、ash_28さんが投稿したもの:現在でも検索可能です。]
-----
建物に閉じ込めて焼殺した跡を見たり、その話を聞いたという記録はありましたが、実際にやったという資料はありませんでした。
しかし『本兵士102人の証言』(社会評論社)で、その証言がでてきました。この証言集を見ると、いかに脚色しても石川達三は、この事実を書くことができなかったことがわかります。
なお、それ以外にも、慰安婦が軍属に「命令」で送られていたことなど、いくつか興味深い記述があります。また、そういうきわどい内容については、独特の技法で書いていますが、その件は、よくまとめてから記事にしたいと思います。
k-k - 02/10/09 02:18:27
コメント:
えらいこっちゃでー
JOHN_VOID - 02/10/08 22:47:23
コメント:
rialさん
>敢て私が韓国軍の起こしたソンミ大虐殺と提示しました。
なぜ、素直に「間違えました」と言わないんですか?
神は細部に宿ると言いますが、あなたのこうした小さい間違いを認めず強弁する態度は、南京事件において歴史的事実を無視する態度と共通していますね。
渡辺さんなんか、しょっちゅう間違いを訂正しているじゃないですか?
事実を尊重せずに、思いこみを強弁しているのは南京事件否定派のほうではないですか?
k-kさん観察者 - 02/10/08 22:23:35
コメント:
このかたやっぱり詭弁家!(*_*)
K-K - 02/10/08 19:55:29
電子メールアドレス:証明になってません
コメント:
>やはりあなたがたは過去の悪について
>日本と韓国、中国との扱いの違うことが証明されまた。
証明ですか(苦笑)。
>敢て私が韓国軍の起こしたソンミ大虐殺と提示しました。これはご指摘の
>ようにアメリカ軍の起こしたものですが、それに連なるべき 韓国軍が起
>こしたのは・・・
>口を噤んでしまいましたね。
まず、「証明した」と言いたいのでしたら、われわれが「口を噤ん」だ証明をしなければなりませんね。
私の正直な感想は、あなたの主張する「韓国軍が起こした」のが何なのかサッパリ解りません。他の方も同様でしょうね。
・・・・となると、あなたの証明は早くも破綻したことになりますね。
>これが、日本軍の起こしたソンミ大虐殺・・・
>であればあなたがたはどう答えていましたか?
ソンミ事件が起こしたのアメリカ軍です、と答えるでしょうね。
実例は以下の通り。
【JOHN_VOIDさん】
---- 引用 ----
>韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する
ソンミ村の事件は、「アメリカ軍」が「ベトナム」で
起こしたものでしょう?
事実を元に議論しないと無意味だよ。
---- 終わり ----
>必ず ソンミ・・・アメリカ軍、日本軍は南京・・・
>とつずきますね?どうですか?
上記の通り、JOHN_VOIDさんは続きませんでした。
>そこがあなたがたの自虐偏向たる証拠なのです。
続かなかったので、「自虐偏向」ではないということになりました。
よろしいでしょうか?
>南京大虐殺など日本は事実として認めていませんよ
>中国もそんなことは主張していません。
>あなたがた歴史偏向主義者だけです。
はぁ、そうですか。
根拠の無い話でしたら、何とでも言えるわけですね。
UFOの存在、幽霊の存在、ホロコーストの有無等々。
お気楽な話だとは思いますよ。
rial - 02/10/08 18:44:27
コメント:
やはりあなたがたは過去の悪について
日本と韓国、中国との扱いの違うことが証明されまた。
敢て私が韓国軍の起こしたソンミ大虐殺と提示しました。これはご指摘のようにアメリカ軍の起こしたものですが、それに連なるべき 韓国軍が起こしたのは・・・
口を噤んでしまいましたね。
これが、日本軍の起こしたソンミ大虐殺・・・
であればあなたがたはどう答えていましたか?
必ず ソンミ・・・アメリカ軍、日本軍は南京・・・
とつずきますね?どうですか?
そこがあなたがたの自虐偏向たる証拠なのです。
南京大虐殺など日本は事実として認めていませんよ
中国もそんなことは主張していません。
あなたがた歴史偏向主義者だけです。
K-K - 02/10/08 09:11:28
電子メールアドレス:竜馬くん
コメント:
K-Kです。
竜馬くん、名なしでの投稿は止めましょう。警告を出しておきます。3回の警告で処置しましょう。
>日中国交正常化は
>南京問題が事実であろうとなかろうと
>双方が過去を清算、解決にたもの。
君みたいな主張をする人間が、未だ閣僚や与党の中に存在するのだから、精算が出来ているとは思えないですね。
南京大虐殺は過去の問題ですが、歴史認識は現在の問題です。
>南京問題が君らの誇張して言う大虐殺であったか
>それとも中国人が起こした通州虐殺、済南虐殺
>韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する
>ようなものでないか、はたまたそれ程にも残虐では
>なかったのかは、議論中。
ソンミについては、JOHN_VOIDさんが指摘済みですね。
それと、「議論中」とはまた、便利な言葉です。
例えば、UFOの存否は議論中、霊の存在は議論中、ホロコーストがウソであることは議論中、北朝鮮の拉致事件は議論中、通州事件は議論中、済南事件は議論中、竜馬くんがアホであることは議論中。
>すくなくとも、きみらの言う 大虐殺はほとんど
>本気にしている者はいない。中国人もね(笑)
「根拠は無いけど」という文章が抜けているようですよ。
JOHN_VOID - 02/10/08 01:38:12
コメント:
名無しさんへ
>韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する
ソンミ村の事件は、「アメリカ軍」が「ベトナム」で
起こしたものでしょう?
事実を元に議論しないと無意味だよ。
- 02/10/08 00:31:52
コメント:
日中国交正常化は
南京問題が事実であろうとなかろうと
双方が過去を清算、解決にたもの。
南京問題が君らの誇張して言う大虐殺であったか
それとも中国人が起こした通州虐殺、済南虐殺
韓国軍の起こしたソンミ虐殺などと差別化する
ようなものでないか、はたまたそれ程にも残虐では
なかったのかは、議論中。
すくなくとも、きみらの言う 大虐殺はほとんど
本気にしている者はいない。中国人もね(笑)
渡辺 - 02/10/08 00:09:39
電子メールアドレス:前事不忘、後事之師。
コメント:
ななしさん:>
-----
あなた規模に関わらないと言いましたね。 - 02/10/07 17:27:26
コメント:
賠償問題で言いますと
日中間において国交正常化において
すべて解決済であり
中国人の起こした通州、済南大虐殺
となんら違いはありませんよ。
-----
規模と何が関係がないって?でも、「南京事件」は、ひど過ぎますね。
事実を認めるからこそ「解決」ですね。
「解決済」なら、いまさら「なかった」だの「捏造」だの言うのはやめましょう。
あげくのはてに、ティンパーリーが「工作員」だの、ラーベやマギーなど、人道的な働きをした人たちをうそつき呼ばわりをする論客が、手を変え品を変えて現れて困ります。
「解決済」ですから、教科書にも事件の大きさに応じて書きましょう。そいういうことで、いいですね。
しかし、「国交正常化において」「南京事件」のことは話題になったんでしょうか?
それに、中国政府が「南京事件」で、賠償を求めていましたっけ?
いずれにしろ、個々の事件を明らかにし、後世の教訓とすることは大切です。
賢人曰「前事不忘、後事之師」。
とほほ(^^; - 02/10/07 21:47:30
コメント:
竜馬くんはこっちへきちゃったのね(^^;
K-K - 02/10/07 21:06:05
電子メールアドレス:竜馬くんへ
コメント:
K-Kです。
こんにちは、竜馬くん。
まず、ここで議論する場合は、名前を書きましょう。それが出来ない場合は、竜馬くんの投稿を定期的に削除することにします。
また、どこかの掲示板のログを転載していますが、無意味な内容なのでこちらは削除します。以降、この様な無意味な文章を垂れ流す場合は、「アラシ」行為と認識し、適当な処置をとりますのでご注意を。
さて、竜馬くんの投稿内容を確認してみましょう。
>ならば中国人の起こした 通州事件、済南事件も大虐殺でいいですね。
ぜんぜん構いませんよ(笑)。
お一人でHPでも立ち上げては如何?
>世界数ある中で 南京 を敢てクローズアップ
>されている動機と意義は何ですか?
事実を否定する竜馬くんの様な人が居るからですよ。
あなた規模に関わらないと言いましたね。 - 02/10/07 17:27:26
コメント:
賠償問題で言いますと
日中間において国交正常化において
すべて解決済であり
中国人の起こした通州、済南大虐殺
となんら違いはありませんよ。
渡辺 - 02/10/07 16:34:22
電子メールアドレス:訂正
コメント:
下の投稿引用文中、
-----
昭和十二年十二月二十三日の東京朝日新聞(二面)に、
通州事件解決 賠償百廿万円と陳謝
殷汝耕氏の嫌疑晴る
----
より
「昭和十二年十二月二十三日の東京朝日新聞(二面)に、」を削除し、
-----
通州事件解決 賠償百廿万円と陳謝
殷汝耕氏の嫌疑晴る
----
と訂正いたします。
渡辺 - 02/10/07 16:30:17
電子メールアドレス:通州事件
コメント:
ななしさん:>
-----
- 02/10/06 22:46:17
コメント:
ならば中国人の起こした 通州事件、済南事件も
大虐殺でいいですね。
-----
「通州事件」を「南京事件」と対比させるむきもありますが、内容や規模においても比較するのは困難と思われます。
「通州事件」が根本的に違うのは、事件が中国政府の軍隊によるものではなく、謝罪と賠償で「解決」していることです。
参考資料として、当時の報道を掲載いたします。
(1937年12月24日)
-----
通州事件全く解決 未曾有の惨事として世人の記憶に新たなる通州事件の解決方に関し
ては冀東政府長官宋墨氏と日本大使館森島参事官との間に折衛
が続けられてゐたが、廿四午後四時半池長官は北京大使館を訪問して公文を手交し、正式陳謝
と将来の保障をなし、併せてこの事件に上る被害者に對する弔慰賠償金を手交し、森島参事官よ
り右に對する回答文を手交、ここに同事件は全く解決を告げるに至った。
[読売新聞社編輯局『支那事変實紀 第五輯』非凡閣、昭和十三年一月十一日発行(1938年)、p.266]
-----
12月23日の『東京日日新聞』(二)面に
-----
昭和十二年十二月二十三日の東京朝日新聞(二面)に、
通州事件解決 賠償百廿万円と陳謝
殷汝耕氏の嫌疑晴る
----
という、見出しの記事があります。
この記事によりますと、
「即ち冀東自治政府としては北京の中華民国臨時政府に正式合流をなすに先立ち日本国民に対する■■陳謝の態度を明らかにしたものである。」とあります。(■記号は、復刻版が不鮮明なため判読できない文字を示す。)
「通州事件」を「南京事件」と対比させるということは、「南京事件」では、中国国民への「正式陳謝」と賠償で「解決」する必要あるとでも「ななしさん」は考えているのでしょうか。
JOHN_VOID - 02/10/07 07:08:29
コメント:
名無しさん、名前ぐらい名乗りなさいよ。
>世界数ある中で 南京 を敢てクローズアップ
>されている動機と意義は何ですか?
「南京事件などなかった」という連中がいるからです。
「ホロコーストなどなかった」というネオ・ナチの歴史修正主義の日本版だから、そういう嘘を正すためことに意義があります。
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実際、頑迷なアウシュビッツ否定論者はどんな反論にも納得しない。
かし問題なのは、自分に知識が不足しているがために、寛容な態度や
公平な見方をしているつもりで、彼らの言うことにも一理あるかも知れ
ない、と動揺する人々のほうである。そうした者たちには、
-ドイツの劇作家ベルトルト=ブレヒトの有名な文章を借りれば-
もう一度言っておけば良かったと後で後悔しないように、何千回も言
われ尽くしたようなことでももう一度言わねばならない。
「アウシュビッツとアウシュビッツの嘘」P90
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(ある者たちが抱く)愚かしい空想について学問的に研究すること、しかもそれに必要な時間と労力を惜しみなく注ぎ込むこと、そんな仕事の仕方に意味があると認めるのは難しいかも知れない。
(中略)
しかし読む価値のある本とは、教養ある正気の者がまじめに受け止めることのできるものだけだ、と考えるのはとんでもない間違いだ。なぜなら(我々の社会には)ペテン師やいい加減な知識しか持たない狂信者たちによって、思想に偽装された病的な空想が、無知蒙昧な者を対象に大量に生み出されている地下世界が存在するからである。この地下世界が深淵からやおら地上に姿を現すことがある。そして普段は理性的で責任感もあった大勢の人々の魂を奪い、虜にして、思いのままに操るようになる。そのとき人々は正気を失い、責任も放棄してしまう。そして挙げ句の果てには、この地下世界が地上で政治の権力を握る日が来て、歴史の針路を変えてしまうこともあるのだ。
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「ユダヤ人陰謀説」(デヴィッド=グッドマン、宮澤正典共著)
- 02/10/06 22:46:17
コメント:
ならば中国人の起こした 通州事件、済南事件も
大虐殺でいいですね。
世界数ある中で 南京 を敢てクローズアップ
されている動機と意義は何ですか?
JOHN_VOID - 02/10/06 20:52:44
コメント:
>事件から大虐殺に変わってますね。
>誰が命名したのか知らないの?
知りません。東京裁判で事実関係が初めて一般大衆の前に暴露されて、大量虐殺があった事実が明らかになったことから自然発生的に出来たものだとしか思えませんね。
「南京事件」では大量虐殺があったことが判らないから、事実を表さずに不適切です。
わたしは呼び名より、虐殺の実態を探求することを優先していますので。
まさか、「南京大虐殺」という言葉がなかったら、南京で大量虐殺もなかったというシニフィエとシニフィアンを混同した議論を展開するつもりではないでしょうね、 名無しさん?
何という名で呼ぼうとも、実態として虐殺があったことは明確なんですよ。日本軍の戦闘詳報にも記録が残っています。
ゆう - 02/10/06 19:56:35
コメント:
>「正論」平成10年6月号に掲載された板倉氏の論文「東中野論文『ラーベ日記の徹底検証』を批判する」でしょう。
ご指摘、ありがとうございました。
板倉氏のこの論文は、全く知りませんでした。松尾氏のHPにある東中野氏「改めて『ラーベの日記』を徹底検証する」が「正論」10年4月号である、ということですから、その2号あと、ということですね。ぜひ手に入れて読んでみたい、論考です。
引用文は、私のデータベースに追加させていただきました。またこの記事が議論になった時にでも、使わせていただきたいと思います。
- 02/10/06 16:40:10
コメント:
>南京事件などの言葉で、事件発生当時から呼ばれてましたよ。
> 当時のニューヨークタイムズとか読みましたか?
小学生でもわかる様に
事件から大虐殺に変わってますね。
誰が命名したのか知らないの?
JOHN_VOID - 02/10/06 01:26:52
コメント:
>どこかの掲示板で、板倉氏が、この記事の内容は日本側の記録には存在せず信憑性に乏しい、
>と書いている、ということを見た記憶があります。まあ、妥当な推定でしょう。
「正論」平成10年6月号に掲載された板倉氏の論文「東中野論文『ラーベ日記の徹底検証』を批判する」でしょう。
---------------------------
よくみるとこの記事は、上海からの無電だが発信者の名もない。当時はまだ外国人記者は南京へ出入りできないのだから、誰がこのような情報を上海へ伝えたのだろうか。
結局どうもこの記事は、噂を埋め草記事にしたガセネタのような気がする。NYタイムズにも続報はなく、このような裏付けのない記事を、都合が良いからといって検証もせずに歴史の資料に使ってはいけない。
------------------------
「正論」平成10年6月号p287
JOHN_VOID - 02/10/06 01:17:40
コメント:
>だいいち 南京大虐殺 なんと言う言葉も東京裁判当時なく、
>朝日新聞の記者が作り出した造語だそうだ。
南京事件などの言葉で、事件発生当時から呼ばれていましたよ。
当時のニューヨークタイムズとか読みましたか?
ゆう - 02/10/05 20:10:14
電子メールアドレス:英文資料の翻訳
コメント:
ここ1週間で、何点かの英文資料が集まりました。(渡辺さん、K-Kさん、そして未だ名前を存じ上げない資料提供者の方に感謝します)
これまでほとんど暗記するくらいに熟知していたつもりの資料でも、原文を参照すると、結構ニュアンスが微妙に違うことを発見します。「解釈」をめぐって細かい議論を行うのであれば、「原文」の確認が不可欠であることを、改めて痛感しました。
その一例。国際委員会第六号文書(z9)です。
<当日夜半から翌朝の未明にかけてわれわれは十二月十四日付の手紙を認め、それを日本語に翻訳させました。それで、日本大使館の館員福田氏から貴下に伝えることと思いますが、ラーベ氏・スミス氏・フォースター師が日本軍高級将校をさがしだして、その手紙を手渡すことになりました。われわれはそれぞれに五人の将校と話し合いましたが、彼らの言うには、翌日最高司令官が到着するまで待つようにとのことでした。>(「南京大残虐事件資料集2」 P125~P126)
「われわれはそれぞれに五人の将校と話し合いました」―外国人3名が、ひとりずつ個別に、「五人の将校」と話し合いを持ったように読めます。しかし、原文はこうでした。
"That night and early the next morning we drew up our letter of December 14 and had it translated into Japanese. Then, as Mr. Fukuda, attache to the Imperial Japanese Embassy, may tell you, Mr.Rabe, Mr Smythe, and Rev. Forster went to find a high Japanese officer to whom we could present the letter. We talked to five different officers but they told us to wait for the arrival of the High Commander the next day."("DOCUMENTS ON THE RAPE OF NANKING" P13)
3人の外国人は、"five different officers"、すなわち「五人の異なった将校」と話し合いを持ったわけです。日本文だけ読んでいると、誤解します。さらに言えば、"talk to"ですから、「話し合いました」というよりは、一方的に「話しかけました」とする方が正確でしょう。
ついでに書けば、「手紙を認め」というのも、日本語として変です。”draw up" は、普通であれば「(文書を)作成する」という意味ですから、「手紙を作成し」で十分だと思います。
「日本軍高級将校をさがしだして、その手紙を手渡すことになりました」も、どうも原文とニュアンスが違う。"went to find a high Japanese officer to whom we could present the letter"ですから、「手紙を手渡すことができる日本軍高級将校を捜しに行きました」となります。翻訳では、「手紙を手渡す」ことが決定された、ということしか読み取れず、3人の外国人が具体的にアクションを起こしていることがわかりません。
以上、原文からは、3人の外国人が手紙を渡す相手を求めて奔走する様子が、はっきりと読み取れます。五人の将校に片っ端から話しかけるが、誰に聞いても、「翌日の最高司令官の到着を待て」という答えしか引き出せない。翻訳文では、このあたりの奔走ぶりが、どうも曖昧です。
実は、私がまともに英文に触れたのは、学生時代以来です(^^; 。ほとんどセンテンスごとに電子辞書(世の中便利になったもんだ)を引いている程度の英語力ですが、それでも「原書」を手に入れたことは決して無駄ではなかったようです。
なんだか、「南京事件」を論じるというよりは、「英文和訳」を論じる投稿になってしまいました(笑)。(・・・以上の英文解釈、これで合っていますよね? 自信を持ちきれないので、あえて全文の「"ゆう"訳」はつけません(^^))
・・・拙い英語力の私ですらこんな「発見」ができるのですから、渡辺さんは、「ベーツ証言」以外にも、何か面白い「ネタ」をお持ちなのではありませんか?(笑)
ゆう - 02/10/03 22:28:55
電子メールアドレス:>k-k氏の誤訳、捏造?
コメント:
「誤訳」はともかく、「捏造」は完全な誤りですね。
「捏造」というのは、世間一般の定義としては、「意図して事実でないことを事実として主張すること」ということになろうかと思います。
渡辺さん(なんでK-Kさんの名が? 名無しさん、経緯を知らないんでしょ?)は、「March」を「五月」と勘違いしただけです。意図的なものがない以上、「捏造」とは言えません。
それよりも、渡辺さんが、このような貴重な資料を提供してくれた、という積極面に思いを致すべきでしょう。渡辺さんのおかげで、我々の議論に、貴重な「共有財産」がひとつ増えました。「日付け」のミスは、訂正すればいいだけの話です。
「南京事件」の真相に近づきたい、という気持ちがあるのであれば、このような「新資料」の提供は、大歓迎であるはずです。それをなぜ、ことすらに「ミス」をあげつらって、「捏造」という言葉で貶めるのでしょうか?
要するに、名無しさんは、「南京事件の真相」など、どうでもいいんでしょ? ただ、自分と論を反対にする者の「エラー」を見つけて(より正確には、「エラー」を発見した人の尻馬に乗って)喜んでいるだけでしょ? 私には、これは、「知的共同体」に参加する資格を自ら放棄した、貧しい態度に見えます。
私としては、こんなレベルのアホ投稿は、見たくないのですが。それとも、どうしてもこんなアホ投稿を繰り返したい?(笑) それならそれでいいけど、みんなが笑っていると思うよ。
・・・私も原文を確認しましたが、あの「March」って、確かに一瞬、「5月」と勘違いしますね(笑)。
渡辺 - 02/10/03 02:38:17
電子メールアドレス:ななしさん
コメント:
ななしさんや、幼稚園児じゃあるまいし、「お名前」と説明くらいは書きなさいよ。
ご指定のURLから、「幼稚園児」の謂わんとするところを、推察して述べましょう。
『南京地区における戦争被害』は、調査可能な家族に質問した結果で、避難していたり「徴発」されている者、家族が全滅状態の場合は当然「死者」には含まれていません。
そのため、埋葬の調査をもとに「市部調査」の解説として「市内(the city)および城壁附近の地域」における集計として、12,000人の一般市民、「武装解除された何万人もの中国兵」について言及しているのです。[『日中戦争史資料 9』p.223 参照]
郷区での被害者は含まれていません。
『南京地区における戦争被害』の作成者の一人であるベイツはこのように、東京裁判で証言しています。
-----
○ベーツ証人 中国兵隊ノ大キナ一群ハ城外ノ直グ外デ降伏シ、武装ヲ
解除サレ七十二時間後、機銃掃射ニ依ツテ射殺サレタノデアリマス。是
ハ楊子江ノ畔デアリマス。国際委員会ハ三万人ノ兵士ノ亡骸ヲ葬ル為メ
労働者ヲ雇ツタノデアリマス。是ハ我々ノ労働救済対策トシテ行ツタモ
ノデアリマス。揚子江ニ葬ラレタ屍体及ビ他ノ方法ニ依ツテ葬ラレタ屍
体ノ数ハ数へルコトガ出来マセヌ。
〔林モニター 埋メラレタ屍体〕
[『日中戦争史資料 8』p.49]
-----
「揚子江ニ葬ラレタ屍体及ビ他ノ方法ニ依ツテ葬ラレタ屍体ノ数ハ数へルコトガ出来マセヌ」というのは当然のことです。
ウイルソンの「冷酷に虐殺された人々の控えめな推定数は、およそ10万人程度です」と述べていますが、ベイツの証言や『南京地区における戦争被害』の記述と何か矛盾があるでしょうか?
K-Kさんは、「被害者数の認識」を問題としており、国際救済委員会が埋葬作業に直接関与していない埋葬の状況が「推定」であるのは当然です。
ヴォートリンの4月の日記の数字は、『大阪朝日新聞』1938年4月16日の記事と、一致しますが、ベイツの数字より多くなっています。しかし、ベイツは、この数字には従わず、自分が確認した数字を述べているのです。
件のURLの理論に従えば、時間的に後に来る文書の、ヴォートリンの日記と『大阪朝日新聞』の記事から、『南京地区における戦争被害』の結果は無意味となり、修正しなければならないということになります。
「認識」は、「Re:k-k氏の誤訳、捏造?」(02/10/02 04:44:09)を見れば明らかでしょう。『大阪朝日新聞』の記事からも、その費用から7万以上とみられます。この数字には「紅卍会と自治委員会と日本山妙法寺に属するわが僧侶ら」が関与した以外の埋葬、例えば赤十字などについては、数字に含まれたいません。
間違っていることが確かなのは、ご指定URLの、「戦争被害調査で死体数の認識が軍民合わせて約4万に落ち着いた時点で、それより古い認識は修正されることになるでしょう」という奇妙な「理論」です。
(なお、「戦争被害調査で死体数の認識が軍民合わせて約4万に落ち着いた」わけではないことは、『南京地区における戦争被害』の記述から明らかです。[『日中戦争史資料 9』p.223 を参照のこと。)
間違いは日付だけではないようです。 - 02/10/02 23:56:18
コメント:
k-k氏の誤訳、捏造? - 02/10/02 02:35:32
コメント:
http://www5e.biglobe.ne.jp/~guuse/page020.html
渡辺 - 02/10/02 14:02:34
電子メールアドレス:註:「下関」
コメント:
しばしば、資料に現れる「下関」ですが、紅卍字会の埋葬記録にある埋葬地を見ますと、行政区としての「下関」より北側の草鞋峡、上元門、永清寺なども「下関」としています。
「下関」についても、「南京」と同じように、資料を読むときに注意が必要なようです。
渡辺 - 02/10/02 04:47:49
電子メールアドレス:訂正
コメント:
前、投稿の一部を訂正いたします。
(誤)なお、遺体は重複の可能性がある一方、近隣の住民や家族によって始末された遺体数は含まれていません。
→
(正)なお、埋葬記録には重複の可能性がある一方、近隣の住民や家族によって始末された遺体数は含まれていません。
渡辺 - 02/10/02 04:44:09
電子メールアドレス:Re:k-k氏の誤訳、捏造?
コメント:
ななしさんや、幼稚園児じゃあるまいし、「お名前」くらい記入し、ちゃんとした日本語の文章を書きましょうよ。
さて、間違って3月7日を5月7日と投稿したのは私で、K-Kさんではありません。
ただ、日付が違っていたからといって、当時、殺害された人々の数がどのくらいと認識されていたかを示す貴重な資料であることには影響を与えません。
1)
1938年3月7日 ウイルソンの手紙
------
紅卍字会は、ここ1ヶ月間、安全区外や周辺農村部からの遺体を ものすごい勢いで埋葬しています。
冷酷に虐殺された人々の控えめな推定数は、およそ10万人程度です。もちろん、武器を放棄した多数の兵士達もその数に含まれています。
[渡辺訳]
["Documents On The Rape Of Nanking", Timothy Brook,Ann Arbor Paperbacks, 2002, P254]
------
2)
ヴォートリンは4月15日に紅卍字会の本部で次のようなデータをもらったと述べている。
----
...すなわち一月の中旬頃から四月十四日まで、紅卍字会は城内において一七九三体の死体を埋葬した。そのうちの八〇パーセントは民間人であった。城外ではこの時期に三万九五八九体の男性、女性、子どもの死体を埋葬した。そのうち約二五パーセントは民間人であった。これらの死体埋葬には私たちがきわめてむごい殺害があったことを知っている下関、三[シ叉]河の地域は含まれていない。
[「南京事件の日々」P240]
----
合計すると、4月15日に「紅卍字会」の統計では41,382体となるが、ここで「これらの死体埋葬には私たちがきわめてむごい殺害があったことを知っている下関、三[シ叉]河の地域は含まれていない」と述べている。
同じ数字は、4月16日の『大阪朝日新聞』にあらわれている。
------
そこで紅出会と自治委員会と日本山妙法寺に属するわが僧侶らが手を
握って片づけはじめた。腐敗したのをお題目とともにトラックに乗せ一
定の場所に埋葬するのであるが、相当の費用と人力がかかる。人の忌む
悪臭をついて日一日の作業はつづき、最近までに城内で一千七百九十三
体、城外で三万三百十一体を片づけた。約一万一千円の入費となってゐ
る。苦力も延五、六万人は動いてゐる。しかしなほ城外の山のかげなど
に相当数残ってゐるので、さらに八千円ほど金を出して真夏に入るまで
にはなんとか処置を終はる予定である。
『日中戦争史資料 8』P.393、「昭和十三、四、十六『大阪朝日新聞』北支版より抜章〔弁証二六九〇〕南京便り第五章衛生の巻 林田特派員]
-----
ここで「しかしなほ城外の山のかげなどに相当数残ってゐるので、さらに八千円ほど金を出して真夏に入るまでにはなんとか処置を終はる予定である」とされている。
8,000円なお必要ということは、単純計算で、41,382体 X 8、000円 ÷ 11,000円 = 30、095体 を「真夏に入るまでにはなんとか処置を終はる」ことになる。
すなわち、72,000体の遺体を埋葬しなければいけないことになる。
3)
ヒットラーに送ったラーベの講演の草稿 1938年6月8日
---------------------------
中国人の申し立てによりますと、十万人の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。われわれヨーロッパ人はおよそ五万から六万人とみています。遺体の埋葬をした紅卍会によりますと、一日二百体は無理だったそうですが、私が南京を去った二月二十二日には、三万体の死体が、埋葬できないまま下関に放置されていたといいます。
[ジョン・ラーベ著,エルヴィン・ヴィッケルト編/平野卿子訳「南京の真実」(講談社,1998) P267,P317]
(ただし、「われわれ外国人は」と翻訳されているところを、「われわれヨーロッパ人は」に訂正して引用しました。)
----------------------------
兵士の遺体は、少なくとも3万あったわけだから、軍民合わせて、8~9万はあったことになる。
4)
1938年12月11日 スチュワード(Albert N. Steward)の日記
------
日本軍は三方から市を攻撃したが、明らかに下関の揚子江に接した方面は開放されていた。中国軍が揚子江岸に溢れ出たところ、彼らの約四万は包囲され、機関銃でなぎ倒された。フィッチ氏は、占領後市外に出た最初の機会に、6フィートあるいはそれ以上の厚さに積み重なった死体の上を運転した。日本軍は(軍服を脱いで)紛れている兵士を求めて中立地帯の中まで市を捜索し始めたが、誰でも男たちは兵士と見なされた。ほとんどの場合、そのような男たちは百人づつ一緒にされて揚子江河岸に連れられて行き機関銃で撃たれたが、その後、遺体は揚子江に投棄された。そのような男たちの集団の少なくとも二、三の事例では、一緒に縛られてケロシンを浴びせられて生きたまま燃やされた。市が日本軍の手に陥ちたときに、全部で六、七万の人々が生命を失ったと見積られている。
[渡辺訳]
Then the Japanese began searching the city, even inside
the neutral zone,for soldiers in disguise,and any man was liable to be taken as
such.In most instances such men were taken to the bank of the River in compa-
nies of 100 and shot with machine guns,after which their bodies were dumped
into the River. In at least two or three cases such groups of men,tied together
were doused with kerosene and burned alive.Altogether, it is estimated that 60-
70,000 people lost their lives when the city fell into the hands of the Japanese.
[Zhang Kayyuan "Eyewitnesses To Massacre", An East Gate, 2001, p.319-320]
-----
ここで「市が日本軍の手に陥ちたときに( when the city fell into the hands of the Japanese)、全部で六、七万の人々が生命を失った」というのは、占領初期の状況について述べているように思われる。
彼らは、日本軍によって遺体が揚子江に投棄されていたことは知っていたから、当時、南京にいた外国人の推定していた殺害された人々の数は、だいたいウイルソンの「冷酷に虐殺された人々の控えめな推定数は、およそ10万人程度」であり、この記述が突出しているとは言えない。
以前、投稿したように、問題があるのは埋葬記録ではなく、日本軍によって始末された遺体数が不明であることです。
なお、遺体は重複の可能性がある一方、近隣の住民や家族によって始末された遺体数は含まれていません。
k-k氏の誤訳、捏造? - 02/10/02 02:35:32
コメント:
http://www5e.biglobe.ne.jp/~guuse/page020.html
渡辺 - 02/10/01 03:02:28
電子メールアドレス:資料『ラーベと発電所復旧』
コメント:
資料『ラーベと発電所復旧』を、下記URLに投稿いたしました。ラーベの日記の中で、発電所復旧にまつわる部分の理解のためにご利用ください。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15600&range=1
K-K - 02/09/27 23:09:52
電子メールアドレス:こんにちは、渡辺さん
コメント:
K-Kです。
こんにちは、渡辺さん。
確かに、東京裁判記録は、だいぶ問題がありそうですね。議論をする上では、この様な点を頭に入れていた方がいいと感じました。特に、細かいニュアンスを問題とする場合、例えば地理的な範囲などを問題とする場合などは、今回の渡辺さんの訳は非常に明確となると思います。
以下、渡辺さんの訳との差異を挙げてみました。
●[東京裁判記録] 我々は安全地帯及び【此の附近の地方】に付て出来るだけ調査したのであります。
○[渡辺さん訳] 我々が言いうることは、安全区と【隣接地域】の注意深い調査について、解析に最善を尽くしたということです。
※【此の附近の地方】と【隣接地域】では、地理的な広さが変わってくると思われます。
●「スミス」教授及び私は、色々な調査、観察の結果、我々が確かに知つて居る範囲内で、城内でー万二千人の男女及び子供が殺されたことを結論と致します。〔林モニター 男女及び子供を含む非戦闘員〕
○スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたと結論をいたしました
※「東京裁判訳」では【埋葬調査】という言葉が抜けています。この認識は、ある意味、重要ですね。
※渡辺さんもご指摘のように、
「色々な調査、観察の結果、・・・・結論と致します
「調査、所見、埋葬調査の結果として・・・・結論をいたしました」
では、意味合いが変わってきますね。
●又、【市外】でも殺された者が相当居ります。
○また、【市のすぐ外側】で殺害された多数の市民もおります。
※【市外】と【市のすぐ外側】。これも、地理的な範囲が変わってきます。
- 02/09/27 22:48:43
コメント:
>スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査>の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害された >と結論をいあたしました。
自暴自棄の中国軍と日本軍によるものですね?
事実ならひどいものです。
渡辺 - 02/09/27 17:24:56
電子メールアドレス:訂正 #2
コメント:
「結論をいあたしました」→「結論をいたしました」
渡辺 - 02/09/27 17:23:18
電子メールアドレス:訂正
コメント:
スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたのです。
→
スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたと結論をいあたしました。
渡辺 - 02/09/27 17:18:36
電子メールアドレス:ベイツ証言
コメント:
『日中戦争史資料 8』に掲載されている東京裁判記録は、その場で通訳されたもので、正確さに欠けます。
たとえば、ベイツの殺害数についての証言で、「結論ト致シマス」とありますが、誤解を招きやすい表現です。
"Eyewitnesses To Massacre"から、問題の部分を引用いたしますので、参考にしてください。(この本自体に誤植がありえますので、念のため。)
もともと、会話を書き写したものですから、文章として分かりにくい部分もありますが、とりあえず試訳をつけました。
[東京裁判記録]
此ノ虐殺行為ノ及ブ全範囲ト云フモノ
ハ非常二広イノデアリマシテ、全体ノコトヲ申上ゲルコトノ出来ル人ハ
一人モ居りマセヌ。我々ハ安全地帯及ビ此ノ附近ノ地方ニ付テ出来ルダ
ケ調査シタノデアリマス。「スミス」教授及ビ私ハ、色々ナ調査、観察
ノ結果、我々ガ確カニ知ツテ居ル範囲内デ、城内デー万二千人ノ男女及
ビ子供ガ殺サレタコトヲ結論ト致シマス。
〔林モニター 男女及ビ子供ヲ含ム非戦闘員〕
其ノ他市内デ多数殺サレタ者ガアリマスガ、我々ハ其ノ数ヲ調査スル
コトハ出来マセヌ。又、市外デモ殺サレタ者ガ相当居りマス。今マデ申
シタコトハ、中国ノ兵隊デアリ或ハ曾テ中国ノ兵隊デアツタコトノアル
何万人ノ男ノ虐殺ヲ全然含マナイモノデアリマス。
[『日中戦争史資料 8』p.49]
[渡辺訳]
この虐殺の全範囲は余りにも広く、その全体像を言える人は誰もいません。
我々が言いうることは、安全区と隣接地域の注意深い調査について、解析に最善を尽くしたということです。
スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたのです。
我々の知る以外に、市内で殺害された他の多数の人がおりますが、その数は調べようもありません。
また、市のすぐ外側で殺害された多数の市民もおります。
これは、何万もの、中国兵士や中国兵士であったことのあるものの殺害には、全く関係がありません。
(ここでは、話題の範囲は「安全区と隣接地域」に限られており、また"immediately outside the city"との表現から、"the city"とは南京城内をさしていると思われる。)
----- 原文 -----
The total spread of this killing was so extensive that no
one can give a complete picture of it. We can only say that we did our best to find
out, in checking up carefully upon the safety zone and adjoining areas.
Professor Smythe and I concluded, as a result of our investigations and ob-
servations and checking of burials, that twelve thousand civilians, men, women
and children, were killed inside the walls within our own sure knowledge. There
were many others killed within the city outside our knowledge whose numbers
we have no way of checking, and also there were large numbers killed immedi-
ately outside the city, of civilians. This is quite apart from the killing of tens of
thousands of men who were Chinese soldiers or had been Chinese soldiers.
[Zhang Kayyuan "Eyewitnesses To Massacre", An East Gate, 2001, p.62]
毎度! - 02/09/26 04:26:49
コメント:
真実とは - 02/09/25 19:20:00
電子メールアドレス:日本は良いこともしたんだー
コメント:
教科書での「南京大虐殺」という記述については、
つまり戦勝国側と敗戦国側との記述が平等になっていれば納得できます。
東京大空襲・広島長崎への原爆投下なら→南京事件
東京空襲大虐殺・広島長崎への原爆投下による大虐殺なら →南京大虐殺・・です。
ただ南京大虐殺についてはかなりの誇張がありそうで
同列で扱うのは如何なものか はありますが。
歴史に「朝鮮半島の人々に多大な苦痛を与えた・・」なんて書いてあるのですが、当時の日本がGNPの10%も朝鮮半島のインフラ整備に投資していたとか、優秀な教師を派遣していたとか・・そういうことは一切記述がないんですね。
こういうのは平等ではない、と思います。
日本は日韓併合前、30年の間に3度朝鮮民族の革命(日本における明治維新)に手を貸して、3度失敗し、しょうがないから併合したって、
「親日派の弁明」に書いてありましたが、そういう事って教科書には全然書いてない・・・やっぱり「つくる会」の教科書が、世に投げかけた問題って大きいですね。
- 02/09/25 18:11:14
電子メールアドレス:非愛媛県人支持
コメント:
非愛媛県人 2002/09/25 17:59
New
なにもあなたの行動に難癖つけてませんよ。ご自由に。邪魔しません。一般論としてサヨクの人は関係ないところに自分のイデオロギーを押し付けていると言ったまでです。気に食わんから抗議してやるってか?ただのガキとおんなじだよね。年食っても自分のわがままを通すようなガキだね。それが権力をもつと北朝鮮やスターリンのようになってしまう。おわかりですか?天皇制も自分が気に食わんから悪だと決めて”科学的に”否定しようと試みる。そして自己満足。僕は天皇制に反対する人がいても良いと思っています。それは自由ですから。あなたのような人が多数だったらもうとっくに天皇制は廃止されているでしょうね。でもまだ存続しています。ということは賛成派が多いことを意味します。わたしも賛成です。あなたはそれが我慢できずに何が何でも科学的に否定し民意を覆そうとしているだけです。あまり我慢せずにあなたが理想としている北朝鮮あるいは中国へ拉致された人との交換で行かれたらどうですか?もう一度言いますが勝手にどうぞ。ただ教育委員会の人などを自分の正義のために脅迫したり破壊行動をしたりしないで下さいね。それと自分の正義のためにうそやでっちあげもやめてください。何を言っても自由ですが実際に人を傷つけないようにして下さい。それをやったら北朝鮮工作員とまったくかわらなくなりますよ。民主主義を否定することにつながります。正義感にあふれ社会を変えようとすることは必要ですがそれを押し付けると文化大革命、千里馬運動、ひいては強制収容所への道となります。
竜馬 - 02/09/24 18:35:00
電子メールアドレス:自虐変態勢力へ
コメント:
だいいち 南京大虐殺 なんと言う言葉も東京裁判当時なく、
朝日新聞の記者が作り出した造語だそうだ。
さらに社会党の議員が中国に記念館の創設を何度も依頼し
それを中国が 30万大屠殺などととし現在に至っている。
これを 呆れた自虐変態者 と言わずになんと言う。
従軍慰安婦問題なども 自虐変態勢力のご注進が発端だそうだ。
k-kに 印象文の訂正を重ねて要求する。
そしてとほほに 大虐殺の確たる証拠があるのなら、その地名、 人数と内訳の列挙を重ねて要求する。
そしてそのあと 確たる証拠 の不毛の検証と言う事になるだろう。
その結果 新しい歴史教科書の表現が 多種ある中で最も適切か否か判明するわけだ。
K-K - 02/09/25 23:41:20
電子メールアドレス:英文・スマイス調査について
コメント:
K-Kです。
先日、英文のスマイス調査の所在をお知らせ致しましたが、このコピーを送って送って戴けるというお話をいただきました。
詳細は未定ですが、届きましたら、ネット上で公開をしていこうと思います。
以上、連絡事項でした。
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