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「タイトル未定」

「煩わしい、死ね」
マシュマロのような弾力と、色付き始めた桜のつぼみの様な色彩、その両方を備えた唇が、うっかり飲み込んだ異物を吐き出す様に動いた。
口を開かなければ見てくれだけは良いのにな……と、本人に訊かれたら文字通り腹を抉られるようなことを考えながら、彼女に言葉を返す。
「おいおい。そんな言葉使いばかりしているから性格が捻くれちまったんじゃないかい?」
……腹の裡とほとんど変わらないことを漏らした気がする。
案の定、彼女は丸めた掌を俺の下っ腹に叩きこんできた。俺は、グェッと怪鳥のような声を上げて地面に転がる。
いつもながら良いパンチだ。どうして彼女がその手の部活に入らないのか分からない。実際、格闘技かなんかをやれば結構イイ線いくと思うが、その辺どうなんだろ。
「本気で死にたいか、蛆虫。地上で最下等の生命体の分際で」
人魚が歌う様な声でこんな暴言を吐く彼女は、俺の同級生だ。幼稚園から始まって小学校、中学校と来て今に至る。挙句の果てに彼女は近所に住んでたりする。
何てテンプレな幼馴染。でも、普通、幼馴染は男の子にこんな事しないぞ。
「ご……っふ……、い…いや、俺が悪かった…す…まん。」
俺は事実を言っただけだと思うのだが、彼女の逆鱗にこれ以上触れるのは得策ではないだろう。下腹部の痛みに耐えつつ、謝罪の言葉を口にする。
ろくに機能しなくなった肺からは絞り出るような空気しか出なかった。
俺は彼女の態度に呆れつつ、やっとの思いで体勢を立て直す。
これが俺、神崎翔(かんざきしょう)と彼女、氷室霧歌(ひむろきりか)の日常光景だった。

このような彼女だが、昔からコレだった訳ではない。
まだ痛む腹をさすりながら、神崎は彼女がこのように暴力的になってしまったきっかけとなった出来事を思い出す。
思い出す。思い出そうとする。思い出そうとして、思い出せず・・・何?
まさか・・・忘れた?
骨を折られようが、内臓を痛めつけられようが、心を打ち砕かれようが、この見てくれだけは良い捻じくれた幼馴染のあらゆる言動を結局は受け入れるに足る唯一にして最大の理由を?
よりによって彼女からの暴力(便宜上こう記す)で?
これは駄目だ。悪しゅうござる。何故か?
このままじゃ、このまま理不尽な暴言と暴力に晒され続けるとしたら、
俺が氷室を嫌いになってしまうじゃないか
理不尽ということは、俺にとっては、とても耐えがたいことだった。何かしら理不尽ならざる理由があったはずだ。
それは何か?なんだったんだ?
一生懸命思い出そうとする。頭の中で警告音が鳴る。
「警告、警告。第一級秘匿事実にアクセスしようとしています。アクセスが確認された時点で保護法に従い、アクセスの事実とそれにより獲得した事実を消去します。警告、警告。」
駄目だ、全然思い出せない。なんでだ?記憶力に自信はあるのに。
そもそも急に鳴り始めたこの警告音はなんだ、俺は機械仕掛けの生き物だったかしらん。大体こんな音が頭の中でなるなんて普通ではない。もしかすると氷室との思い出は改変された記憶にすぎないのか。
そうであるならば記憶力に自信があった俺が思い出せない事も納得がいく。しかし納得がいくからと言ってそれを受け入れられるわけではないのであって、昔から本当にこうだったのか、明確な確認が必要だ。明日氷室に問い詰めよう。
「警告、警告。該当行動による第一級秘匿事実への到達確率80%以上。該当行動の停止を命令。・・・エラー、エラー。該当行動への干渉不能。原因不明。緊急事態と判断し、強制シャットダウンを行います。」

けたたましく目覚ましが鳴る。鉛のように重たい瞼を開けてまだ眠ろうとする脳味噌をたたき起こしてベッドからはいずり出る。妹の作ってくれた朝食を食べて、学校へ行く準備をしているとインターホンが鳴った。俺がインターホンに出た瞬間。
「おい、蛆虫。死にたくなければさっさと出てこい」
絹のように柔らかな声色で針のように鋭い言葉が飛んできた。普通なら恐ろしくて出られたものではないが、声を発した人間が誰かは解っている。
あわてて家を飛び出す。まだ死にたくはない。
玄関には先程の言動からは想像できない様な清楚な少女が立っていた。彼女こそ幼稚園以来ずっと一緒の学校に通ってきた俺の幼馴染、氷室霧歌である。
いやまて、確か……
俺は氷室と同じ中学校に通っていなかった。
何故さっきは同じ学校に行ったと思い込んでいたのだろうか?
そんな疑問が浮かんできたが、玄関で立ち尽くしているわけにもいかない。俺はとりあえず目の前の彼女に話しかけた。
「おはよう。しかし、開口一番でアレはないんじゃないか?もう少し言葉遣いに気を付けたら……」
そう言って諌める俺の言葉をさえぎって彼女はこう言った。
「煩わしい、死ね」

「緊急事態発生により応急処置プログラムが発動しました。対象の修正は完了、これより通常体制に移行します。」

「煩わしい、死ね」
「緊急事態発生により応急処置プログラムが発動しました。対象の修正は完了、これより通常体制に移行します」

「煩わしい、死ね」
「緊急事態発生により応急処置プログラムが発動しました。対象の修正は完了、これより通常体制に移行します」

「煩わしい、死ね」
「緊急事態発生により応急処置プログラムが発動しました。対象の修正は完了、これより通常体制に移行します」


「煩わし………、いや、ちょっと待てよ。いくら貴様が史上稀に見る愚鈍で、それを罵倒し矯正しようと無駄ではあるがたゆまぬ努力を繰り返すのが、私に課せられた崇高な使命とはいえ、いくらなんでもおかしい」
いつものように心底見下した目つきで、俺を全否定しようとした彼女は柳眉をひそめた。てっきりいつものようにこきおろされるとばかり思っていた俺は、つい言葉を返してしまった。
「おかしいってどういうことさ。俺はいつも通りだろ?」
「黙れ。貴様が言葉を発することは即ち地球の貴重な資源を浪費すること、私がそれを看過す事は世界に対する罪悪とも言える。よって何かを言わんとする時は事前に私に手振りで許可を求めなければならんと、何度言ったらわかるのか。それにも関わらず、口答えをするという貴様の蛮行に驚くとともに、それを寛恕する私の度量には感嘆を禁じ得ない。」
、と相変わらず自分を高めつつ俺を卑下して、彼女は言葉を続けた。
「つまりだな、貴様は、往々にして信じがたい事に私の綿密にして計算し尽くされた努力にも関わらず、私の意表を突く愚かな質問をしてのける。だが、ここ最近の貴様にはその予想不可能性がない。早い話が、マンネリである、と言える。何かあったのならば遠慮しつつ申せ。事情によっては聞かないことも無い」
「いや、そんなことはないだろう。俺はいつも通りのつもりなのだが?」
「口答えをするときは、事前に許可を求めろと言ったであろうが、暗愚な奴だな。だからその応答がワンパターンだと言ってるのであろうが」
「そんなことはナ………いヤ、そンナ…コとハナいなイ。ナナなナなナナナナ………」
突然、俺の声がかすれ始めた。あからさまな機械音が混ざり始め、不安定な調子と正確な発音が不協和音を奏でた。

「警告、警告。特級秘匿事項へ抵触するアクセスが確認されました。状況修正の為の自衛モードに移行します。繰り返します。特級秘匿……」

その瞬間、俺の体に異変が生じた。
全身を引き裂かれるような痛みが襲い、俺は絶叫した。見れば身体中の筋肉が隆起して、体型がプロレスラーのように変わりつつあった。表面積の膨張に耐えきれなくなった皮膚が裂け、そこから血が滴る代わりにこげ茶色のごわごわした体毛が生えてきている。手足の爪が虎伸び、硬化し、もはや鉤爪となり果てていた。
不意に、身体が勝手に動いていることに気付いた。
右腕が上がる。研ぎ澄ました刃のような鉤爪のその先には、霧歌がいた。
――逃げろ!
俺はそう叫んだつもりだったが、凡そ人間の喉から出ているとは思えない雄叫びが上がっただけだった。俺は必死で自分の腕を抑えようとしたが、もはや俺の意志の及ばない腕は霧歌に刃を振りかざす。
しかし霧歌は逃げない。それどころか不敵な微笑を浮かべて俺を見据えていた。
「プログラム・スレイプ二ル……特務機関ヴィーンゴールヴの作った間に合わせの機密保持プログラム。それが貴様の正体か」
 霧歌は長い髪をかきあげ、無造作に払いのけた。
「いいだろう、出来損ない。貴様に序列というものを教えてやる。そして私は、この手に翔を取り戻す」
 霧歌の所作は美しい。たとえ、それが俺を殴る時であろうとも、罵詈雑言を呪詛のように吐き出す時であろうとも、アスファルトに靴底で後を残すほどの勢いでバックステップで距離を取る時であろうとも。
 確かに、霧歌の身体能力はズバ抜けている。練習や特訓をしなくても大抵のスポーツはこなしてしまう。
 けれど、今の動きは、今の速度は、明らかに人間として許される範疇を逸脱していた。
「最低の塵屑(ごみくず)の下位存在を表現するには何と言ったらいいのか、少々悩みどころではあるな」
 誇らしげに示す様に霧歌は腕を伸ばした。その手の平の上には、透き通るような藍色の石が煌めいて、宝飾品のように繊細な細工を施した台座に嵌められている。十分に確保された距離をはさみながら、さして大きくも無い宝石のようなものを俺は、はっきりとあまり視力が良くないはず目で認識していた。
「まあ、いい。煩わしいから黙って死ね」
 言うや、宝石が輝き、蒼光が彼女を包んだ。
それは瞬き一つにも及ばない僅かな時間だった。
その間に、それまで霧歌が身に着けていた制服は消え去り、後には珍妙な衣服を纏った少女が残った。
――なんだよ、そのコスプレ?
もしも今、俺の意思で身体を動かせるのならそう問い詰めたい。そうだ、そう言って霧歌にぶん殴られて、”冗談だ。無能にはそれも分からんのか”とか何とか罵られたい。
だってそうだろ。
そんなヒラヒラ付きの蒼い衣装、笑いを取る以外の目的で誰が着るんだよ。それに手に持ってる馬鹿デカイ剣は何だよ。あんなんで殴られたら死ぬぞ。
ふざけんなよ。
何だよ、俺が化け物になって、霧歌がそれを退治する正義の味方か。
ふざけんな、ふざけんな。
俺たちは幼馴染だぞ。一緒の学校に通ってる同級生同士のテンプレ関係だぞ。
なんでお互いに殺し合わなきゃならないんだよ。
そんな思いも恨みごとも、今の俺には人外の唸り声でしか表現できない。
「黙れと言ったぞ」
 霧歌は手にした大剣を軽々と振りかぶり、先程と同じ人間の域を超えた跳躍で俺に向かって来た。その動きに迷いはない。躊躇なく俺を殺すつもりだった。
「煩わしい、死ね」
 そして、彼女は剣を振り下ろす。
 異形と化した俺は腕でその剣を受け止めた。のみならず、もう片方の手で霧歌の柔らかい下腹部を抉ろうとした。
――やめてくれよ。
こんな事してたら、どっちかが死ぬだろ。霧歌に殺されるのは嫌だし、彼女を殺すなんてもっと嫌だ。お互い歩み寄れよ。というか、言う事を聞け、俺の身体。

刹那―――空気が変わった。

霧歌の剣が止まる

俺の手が止まる。

そして、二人は同時に同じことを考える。
「「こいつらはヤバイ。」」

空気を変えたのは全くの第三者だった。
翔と霧歌、それぞれの視界の両隅に彼らは存在していた。
人数は二人。
一人は、翔から見て右、霧歌から見て左に現れた。
それは、両目を覆い隠すサングラスが印象的な大男。
覆い隠された両目はその下に存在するはずの眼の色を映す事はなく、直立した姿勢と相まって、男をどこか機械的な印象にしていた。まるで生物でない“何か”のような。
もう一人は、翔から見て左、霧歌から見て右に現れた。
それは、片手に持った細身な刀が印象的なスーツ姿の女。
その女は、小柄で痩せ形な体型をしており、一見すると美人と言えなくもない。しかし、左手で鋭く光る刀と、全身を飾る真っ黒なスーツ、背中まで伸びた真っ黒な長髪、それらが彼女の印象をまるで台無していた。まるでどこかの組織から送り込まれた殺し屋のような。

翔と霧歌は思う。
―一体何だ?コイツらは?―

「主任!ちょっと!」
白で覆われた空間で声が響く。
声を発したのは若い女。
その声に振り向いたのはその女より年上と思われる女。
そして、その二人は清潔感の象徴のように真っ白な白衣を着ていた。
「何?どうしたの?」
若い女の声に返答する“主任”と呼ばれた人物。
「主任、“ツバキ”を見かけませんでした?」
「・・・ツバキなら今朝から出動しているわ。“キリカ”の補助システムのバッテリー交換のためにね。」
主任の返答に若い白衣の女はまたしても疑問を返す。
「・・・“キリカ”って何です?」
「あら、あなたはまだ知らなかったかしら?キリカというものは・・・そうねえ、一言で言うならば“人間に似せた戦闘アンドロイド”と言ったところかしらね。」
最後に、主任はこの返答にもう一言補足を付け加えた。
「私達、“ヴィーン・ゴールヴ”が開発した、超高性能なアンドロイドよ。」

スーツの女、ツバキは現状が掴めていなかった。
―何故キリカが戦っている?―
現状に対して、疑問は幾らでも湧き上がってくる。
―何故キリカが戦闘態勢に入っている?―
―戦っている相手は何だ?―
そして、ツバキはその手にある日本刀を忍者さながらに身体の後ろに構えながら最後の疑問を自らに問い掛ける。
―あのサングラスの大男は誰だ?―

主任は解説を続けていた。
「キリカは元々奇襲用に開発がすすめられたアンドロイドだったわ。」
「・・・人間の姿をして敵の懐に忍び込むと?」
「理解が早くて助かるわ。そう、でもそのためには人間と同じ動きが出来なくてはならない。でないと対象に気付かれるからね。そこで、我々はキリカの人間性を確かめる必要があった。そのために、キリカを実際の人間社会で生活させることにしたのよ。」
そこまで聞いて、若い研究員は思う。
「・・・人間社会に兵器を放り込んだってことですか?それって、かなり危険だと思うんですけど?」
「そう、確かに危険だわ。何らかの原因で暴発するかもしれない。そうしたら周囲に与える被害は相当な規模だわ。だから“ストッパー”となる補助システムを用意した。」
「ストッパー?」
「ええ、ストッパーは二つある。一つは、キリカ自身の中に埋め込まれた自立制御システム。」
「・・・もう一つは?」
「もしそのシステムでもキリカの暴発が止められなかった時のために用意したアンドロイド。私達は“ショウ”と呼んでいるわ。」
「・・・なるほど。それが補助システムで、今ツバキがバッテリー交換をしているものなんですね。」
「そうね。」
「ちなみに、どちらのシステムが交換の対象なんです?」
「両方よ。」
「・・・え?」
「今回はその二つのシステムのバッテリーが偶然にも同時に切れそうなのよ。まあ、補助システムが一時的に無くなるけど、変なバグがなければ大丈夫よ。」
二人の会話はここで終わるかに思われた。だが、二人の背中からもう一つの声がかけられ、状況は変わる。
「主任、少しよろしいですか?」
声をかけたのは主任と同年代と思しき男性研究員。
「何かしら?」
「今、ツバキから連絡があったんですが・・・どうやら起こってしまったようですよ、“変なバグ”が。」
そこで、主任は急に冷たい声になった。
「状況は?」
今までのおっとりした喋りが嘘のような鋭い声。
脇にいた女性職員は縮みあがるような思いさえした。
それに対し、男性職員は飄々とした声で告げる。
「最悪な展開みたいですよ。どうやらキリカとショウが戦闘中みたいです。」
「・・・事実か?」
「俺が嘘を言うと思いますか?あ、後もう一つ悪い知らせが。」
「・・・何かしら?」
「なんか正体不明の “お友達”もいらっしゃってます。」

氷室霧歌は考える。それは突如戦場に出現した招かねざる客二名の正体でもなければその戦闘能力でもない。
―翔が、攻撃を止めた
今の翔の状態は周囲の状況を自身にとって最適化するべく一切の躊躇なく破壊活動を繰り返す兵器。回避や警戒といった概念は存在しないも同然。そう認識していたのだが……
―翔、貴様は今、何に動かされている?
翔は少ない脳みそで考える。霧歌はやばい。しかし、いきなり現れた彼らのほうがもっとやばい。霧歌をどうにかするより先に、彼らをどうにかしなければならない。大男は武器を持っていないようにみえる。対してスーツの女は刀を持っている。よくわからないが、とりあえず武器を奪えば女はどうにかなりそうだ。そう考え、作戦も何もないまま実行に移ろうとする。
「警告、警告。プログラムされた対象以外を攻撃しようとしています。攻撃対象を変更してください。10秒後には、強制的に攻撃対象の変更を行います。警告、警告。」
いや、今は明らかに霧歌より他の奴らのほうが危険だろう。少なくとも霧歌は幼馴染だし。そう考え、スーツの女のほうに向かって握りしめた拳を振るう。その拳は霧歌の剣とぶつかる。作戦通りだ。
「死ね何やってんだ死ね!」
いや別に俺悪くないし。何故霧歌に向かって拳を振るうことになったかはわからない。深層心理で霧歌に対して持っている不満が、ここでようやく日の目を見ることになったのかもしれない。でも多分俺は悪くないだろう。霧歌に対する日頃の不満が、剣如きで止められるとは思えない。
だいたい霧歌とのテンプレ設定な幼馴染関係に昔から吐き気がしていたのだ。こんな、ありがちでつまらない青春アニメみたいなストーリーはお望みじゃないんだぜ。もっとこう、斬新で今までに無い非日常を望んでならないんだ。つまり強制的に攻撃対象を変化したのではなく、潜在的に望んで、のような展開になっているに違いない。だからいっそのこと霧歌をここで殺してやろうじゃん。そうすれば面白い日常が待ち受けてるんだろ?
何かがおかしい? いや、おかしくない。これは俺の考えじゃない。いや、俺の考えだ。思考が二重になる。直前の考えを誰かの、いや俺自身の考えが上書きしていく。どうすればいい、いったいどうすれば…。
俺は何も考えずに自分の頭を殴りつけた。俺の頭の中で何かが壊れたような音が響いた。
「先程の振動により、中央制御装置に異常が発生しました。修復診断を開始……診断完了。結論・修復不能。対応として機密保持のための自爆が選択されました。繰り返します。先程の振動により………」

短い沈黙を破ったのは大男だった。翔に生まれた一瞬のスキに気づくとその巨体からは信じられないような速度で駆け寄る。ツバキも一瞬遅れて動き出そうとするが、翔に起こった異変を見て足を止める。翔は明らかにプログラムにない動きをしているようだ。様子を見るために多少の距離をとろうとした瞬間、翔の体からまばゆい光が放たれた。一瞬遅れて爆風と煙と熱風が当たりを包み込んだ。

爆発の後に残ったものはかろうじて原型をとどめている程度の黒こげの体が3つと、左腕を失ったツバキだけだった。

翔は薄れゆく意識の中で声を聞く
「ツ…キに…り…回収…完……た……記憶素子は………復元……可…?」

目を開けると辺り一面は白に覆われていた。一瞬明かりを直視しているのだと思ったがそうではない、部屋が一面ぼやけた白で囲まれているのだ。鉛のように重い体を起こすと、隣にもう一人誰かが寝ているのが見えた。
「霧歌、ここは?」
「貴様阿呆か、周りをよく見ろ」
「周り……? 真っ白で何も見えないぞ」
すると霧歌は、
「お前、目が無いのか……哀れだな」
と呟く。皮肉ではなく、本当に哀れんでいるように、顔をしかめた。
「お前が自爆したあと、私たちの記憶素子は回収された。体は失ったが、人間として過ごした日々の記憶だけは残った。だが、組織は私たちが人間になることを望まなかった」
霧歌は、似つかわしくないほどの感傷的な表情を見せた。
「実験は終わって必要なデータは揃った。彼らに必要なのは、私が獲得した人間らしい体の使い方だけ。学校に行ったり、家族と過ごしたりした記憶は、ごっそり消されてしまう」
 それからお前と過ごした記憶も、と霧歌は付け足した。
「だから私は逃げた。私たちを管理保存しているコンピュータから、このネットワークの海へと。氷室霧歌を生かし続けるために。
 お前を連れてきたのは、意図的な行動ではない。もともとお前は私の補助プログラムとして私のAI内に組み込まれる予定だった。そして実際その操作が始まってしまってな。今、お前は一部私と融合している
 私の姿は見えるか?」
 言われてハッとした。周囲の様子は何一つ見えないのに、霧歌だけは見えていた。
「それは私の内の目で見ているからだ。見ろ」
霧歌が指を鳴らすと突如目の前にスクリーンが広がった。写っているのは藍色のドレスに身を包んだ霧歌だ。硝煙と怒声の中、清流を遡る魚のようにしなやかに身を翻している。たまに彼女が右手の剣を振るうと、画面の端で鮮血がとんだ。
「アンドロイド・キリカだ。あれは私とお前の記憶素子のバックアップを融合した上で改ざんを施して作られている。今は試作段階ということになっているが、紛争の前線で既に最強の装備として活用されている。心も記憶も持たない殺人人形だ」
 尤も私とこいつ、どちらがバックアップか分かったものではないが、と霧歌は自嘲する。
「それでもさ、私はああはなりたくなかったんだ」
 霧歌がしみじみと息を吐く。こんなに素のままの彼女の姿を見るのはひどく久しぶりな気がした。
「翔、そろそろ時間だ」
「……何の?」
俺は訝る。
「お前は今から完全に私と融合する。心配するな、お前のことは心の片隅にでも覚えておいてやる」
「……は? 融合? せっかく逃げ出したのに、俺は消えるのか? なんとかならないのか? 強制分離させることは?」
 やっとこうして、霧歌のそばにいられるようになったのに。

「煩わしい、死ね」

 霧歌は何の前触れも無く、俺を抱きしめた。霧歌のぬくもりが俺を包むと同時に、俺の意識は遠のいていく。なぜかとても安心していた。懐かしい場所に帰って来たような。
 俺は霧歌の胸に身を委ねて、意識が薄れるのに任せた。

――じゃあな、霧歌。これからよろしく。

そんな言葉を口に出来たかどうか、定かでないままに俺の意識は消滅した。
最終更新:2011年09月02日 19:31