***2012年度、東北大学SF研リレー小説。
「This is what」
大きな音と一緒に、空から何かが降ってきた。
いや、この表現は誤解を招くかもしれない。厳密に言いなおそう。
一般的な感性ではまったく理解できそうにない冒涜的なロック調の音楽と一緒に、空からマイクを持った真っ白い人型の何かが私の前に降ってきた。
これが今私の前で起こった現象の正確な描写である。もちろん誤解を解消したところで、この状況を理解できるとは限らないのだが・・・。
だが、なるべく詳細を。私の眼を通したまま。最初から語ろう。
最初はまず雲であるかと見間違えた。降りてくるそれは白い衣装を身につけている。ひらひらとした布はスパンコールをあしらえており思わず目をしかめたことを覚えている。その動きがふとゆっくりとなり、巨大な音が鳴りはじめる。あまりの大きさに最初何がかかっているか分からないほどだった。耳が慣れてきてようやく聞き覚えのある曲であることに気付いた。いや、聞き覚えのあるというどころではない。
―キングオブポップ―
まさに私の青春そのものではないか。彼がまた帰って来たのだ。
しかし、眩い光と耳が痛くなるほどの音に、目と耳が慣れてくると、彼の風体の違和感に気が付いた。それは即ち、彼の顔であった。彼の顔は死んだ当時のものではなかった。彼が良く分からない妄執に取りつかれて。整形を繰り返す前、つまり世界の人々が彼にそうあれかしと望んでいた顔であった。
その時、私の携帯端末が緊急ニュースの受信を告げた。それは世界中で、所謂スターと呼ばれる人々が蘇って、天から降りてくる、というものであった。
蘇生、否、復活したスターたち。彼ら彼女らについてあえてこの場で語り直す程、私は愚かではない。
大衆音楽の王者と言われた“彼”を筆頭に、音楽、映画、スポーツ、絵画、ファッション、文学、調理、学問、宗教、等々。
大よそ人間が想像し得る限り、ありとあらゆるジャンルの、金剛石のごとく永遠の煌めきを放つ才能の化身たちが、再びこの停滞の二十一世紀に、出現したのである。
この天才たちの凱旋は一体何を意味しているのだろうか。いや、そもそもこれは私の青春への渇望が生み出した幻ではないのだろうか。
中途半端に都市開発が進んだ田舎。DQNが巣食う郊外の街で過ごした私の青春は今思い第しても満ち足りたものではなかった。そんな私は彼の世界に埋没していった。これを青春とする見方もあるだろうが。
彼の降臨は永遠に失われた私の願いを再びくすぶらせる。そして目の前に彼が降り立った。
気付くと私は、彼の前に仁王立ちしていた。
彼は私を物珍しそうに見つめる。まさに心ここにあらずと言った感じだ。それもそうだ。突然生き返ったのだから、自分の境遇の変化に戸惑ってもおかしくはない。
ああ、彼は生き返ったのだ。彼はここにいる。ここにいるのだ。死者が生き返らないなどと誰が決めつけたであろうか!? 死者は生き返るのだ!
素晴らしい! この理論が正しければ私の娘も……
どこかで誰かが呟いた。空から落ちてきた少女が呟いた。
「父さん……」
それは病によって命を削られやつれた姿ではなく、娘が生まれたときに私と妻がこうあれと望んだ姿であった。しかし、健康的な娘という過去との乖離に、再び娘に出会えたと喜ぶのではなくむしろ不気味だと感じてしまった。
死者が蘇るはずなどない――
単純だが残酷な自然法則に、私達は支配されてきた。そしてこれからも支配され続けるだろう、ということも自明として受け入れてきた。しかし、この現実は…?
ふと私の脳裏に、昔どこかで聞いた話が浮かぶ。
この世界を構成する量子は、実はあらゆる状態の重ね合わせなのだという。それが観測者によって観測されることで、一つの状態に収束する。寝ぼけ眼で窓の外を眺めながら聞いた、小難しい話。詳しい話は覚えていないが、こんな感じだったような気がする。
しかしそれが、目の前の死者たちにも適用されるとしたら?死者の「何か」が生者によって観測され、生者の希求によってその観測結果が変わるとしたら?
現れたのは多くの人間に支持されたスターたちだ。それはつまり、一定数を超えた「観測」によって、結果が改変されたという事ではないのか。「死んでいる」と観測されたはずのシュレーディンガーの猫は、十分な数の新たな観測によって上書きされて「生き返った」。
……けれど、それならどうして私の娘が生き返ったのか。彼女は三歳を迎えてから、死ぬまで病院に閉じ込められていた。他のスターたちのように、大多数の人間に「観測」されるような知名度など持っていない。そのはずだ。
ゆえにきっと、蘇りに必要なのは観測者の絶対数ではない。多数派となった観測が現実を収束させるのだ。私の娘を今なお記憶し、認識し、観測し続けているのは今やおそらく私一人になっている。ならば私が娘を生きていると観測したとき、娘は生きていることになったのだ。
そう、最初の蘇りを目の当たりにした時、私は思ったじゃないか。私の娘も蘇るかもしれないと、“希望的観測”を持ったじゃないか。
□ありえない事実に混乱しているが、目の前の娘はどうにかしないとけない。仕事先に電話を入れようと思ったが通じない。それならばしかたない娘を連れ家へ向かうことにした。
娘を抱きかかえ家に着くと妻はまだ帰ってきていない。とりあえずベッドの上に寝かし居間でTVをつけた。この現象はまだ続いているようだ。次々と降ってきたスター達の姿が映る。そうぞうしいが、何か情報が入るかもしれない。ソファに腰を落ち着け娘に思いを巡らせてみる。
私の希望的観測、これが実現化していると仮定してみよう。するとかなりの数の死者が、そこかしこで蘇っているはずなのだ。ただし、どうであろう。キングオブポップの周りにはあれだけの人がいたが降ってきたのは娘だけだった。今見ているTVにも恋人とか妻が降ってきたという話はでてこない。
なら娘はなんだったのだろう。スター達と娘の共通点とは。
思うに、その共通点とは、その生存への期待、正確に言うならば希望ではないのだろうか。その人物が今でも生きていたら、という希望が大きければ大きいほど蘇る可能性が大きくなるのではないのだろうか。かのキングオブポップが、整形を繰り返す前の姿で蘇ったのは、人々の彼へのイメージが結集した成果と考えられ、先程の仮説の傍証になるのではないか。無論、私が娘にかける祈りの大きさは誰にも引けを取るものではない。しかし、多くの人々の思いの総和と比すると、微々たるものだと言う事もまた事実である。
そう考えた時、玄関のチャイムが鳴った。あわてて出ると、そのチャイムは隣人が鳴らしたものだった。どうやら、私の留守中にあずかっていた荷物を持って来てくれたらしい。その荷物は、何が入っているのか思うよりも重く、その隣人に手伝ってもらい、家の中に運び込んだ。その時に、隣人が発した一言を、私は生涯忘れることはないだろう。
「おや? 何やらソファに人が横になっていたようだが、気のせいか」
はっとしてソファを振り返ると、娘は消えていた。
隣人は気付くといなくなっていた。どうやら無意識のうちに礼をいい、彼を家に帰したらしいが、全く記憶になく私の心は慙愧に満ちていた。その時、私は娘が現れ消えた理由に見当が付いていた。思うに、恐らく世界中のある特定の場所では、全ての死者が蘇っているのだろう。しかし、全ての死者が蘇っては、当然ながら地球の許容量を大きく超えることになる。さらにその上に、その死者たちが現世にとどまる条件が存在するのではないだろうか。その条件とは、人々からの願望もしくは生存への願いの平均が一定量を超えていることではないのか。蘇った死者は人々に目撃されることになるが、彼を見ている人々の心の中にある彼への思いのようなものが、一定量を超えない場合には、その人物は記憶に残ること無く消滅するのではないか。私の娘が現れた時、丁度人々の目は他のスター達に向けられ、娘を見ているものは私しかいなかった。その時の思いの平均は私のものしかなかったため、娘は存在しえたが、先程隣人が娘の姿を目に入れた瞬間、思いの平均値が規定量を下回り、その結果娘は消えてしまったのではないだろうか。
試みに、私はとある少女を出来る限り鮮明に思い起こそうと試みた。
愛らしいさくら色のスカート、鮮やかなおでこ靴、和紙に薄く紅をひいたような決めの細やかな肌、私とよく似た、二重の瞳。
何度も何度も眺めた彼女の写真を、私は極限の集中力で目蓋の裏に映し出す。
「■■■■■」
一度も聞いたこともない、だと言うのに、耳によくなじむ。切なく胸を締め付ける声が、私を読んだ。
ゆっくり、窓から差し込むまぶしさに戸惑うように、私は瞳を開けた。
そこには、私の姉であった少女が、優しく微笑んでいた。
私が生まれて間もなく事故で命を落とした彼女。私は姉の姿を写真でしか見た事が無かった。
「姉さん…」
その彼女が、思い浮かべた通りに私の眼前に蘇った。
とするならば。私は先程の仮説を証明するために部屋を出て扉を閉める。
再び戻った部屋で、私はだれも観測することが出来なかった。
やはり、この故人の復活は人々の願望を基準として起こっているようだ。そして彼・彼女らは観測されなくなる、または観測者の願望の平均値が低くなると同時に消えてしまう。
私は目を閉じ娘のことを強く願う。目を開ければまた娘がそこに立っているのだろう。彼女をこの世界につなぎとめておくために私がすべきことは何だろうか。
そう、彼女たちを思い続けることだ。
ある所で数人の人間たちが会話している。
「博士、大変です」
「ああ、事情は何となく察しているよ。『イメージ・ジェネレーター』が暴走したんだろ?」
「よくおわかりで」
「分からないわけないだろう?さっきから私の自室に死んだはずの弟や父がいるんだから」
「ええ、私の母もさっきから出たり消えたりを繰り返しています」
「お前もか……だとするとやばいな。世紀の大発明だと思って浮かれていた自分が恥ずかしいな……」
「Oh, where is here ?」
「おい! 誰かこのジョン・レノンを追い出せ!」
「NOOOOOO……」
「さて、本題に戻ろうか?状況は?」
「全世界がゾンビの帝国となりかけていますよ。このままじゃ『屍者の帝国』が現実になっちまう日も遠くないでしょう。今は人々が死者を想像していますが、暴走するととんでもないことに」
「やっぱ故人ってのは人間が一番想像しやすいものなんでしょうねえ」
「最悪だな……それだけは何としても阻止しないと。」
「拙者は何ゆえここにいるでござる?お主は何者か?」
「おい!誰かこの近藤勇を追い出せ!」
「この狼藉者おおおおおお……」
そのとき窓の外から咆哮が響いた。研究所という場所には不釣り合いとしか言えないケダモノの声だった。
「博士、これはっ!」
「ああ、なんてことだ。君には話していなかったが、理論上は人以外を蘇生することも可能なのだよ。もっとも試したことはなかったが、いまそれが実証されてしまったようだ」
「それで、これはっ!!」
再び咆哮。
「ああ、えー……。私は…ほ、ほら、あれだ、バリバリの理系だから、日本史とか民俗学とかそっちのほうはさっぱり…」
「おい」
窓の外にいたモノ、それはヒトの形を為していないヒトの塊。人々の負の感情を具現化させたナイトメア。
「人がだれしも持つ負の感情、それが人々の集合的無意識に観測されてしまった可能性考えられるな。理論上可能とはいえ、実際に起こるとは想定外だった。今後の改善点としよう。」
「博士、それよりこのバケモノを消す方法を考えて下さい!」
「難しいな。人の負の感情を拭い去ることが難しい以上は。」
「そ、そんな……」
「さながら百鬼夜行でござるな…。今は昔、京の都に現れた鬼を一条戻り橋にて打ち取った渡辺綱公の話があったが…。」
いつのまにか隣に戻っていた近藤がつぶやく。
「化け物ごとき退治できずして何の武士よ。肝を練るこそ男児の本懐よのう!」
その鋭い視線を窓の外に投げかけ、いかにも楽しげに笑う。そして抜刀。
「えっ…それってまさか…」
「聞けィ!魑魅魍魎め、この新撰組局長近藤勇が成敗してくれようぞ!」
叫ぶが早いか、ドアを蹴って外に飛び出す。
近藤の姿を認めた無数の頭が蠢き、その腕を伸ばす。近藤のかざす太刀がその刀身を煌かせたその刹那、胴を離れた腕が鮮やかな放物線を描く。断末魔にも似た化物の雄叫び。
身を翻した近藤、返す刀で斬りかかる。化物が弾かれたように飛び退き、空を斬る刀身。
予想外の動きに、近藤は一瞬体勢を崩す。再び背後から迫る無数の腕。
「ぬうっ」
白い腕の中に近藤が呑みこまれていく。近藤は手にした虎徹を振って腕を斬り落とすが、圧倒的な物量の前には無意味だった。すぐに彼の足が消え、腕が消え、そうして最後に顔が見えなくなる。同時に振るわれていた刀も消えた。研究員たちが近藤を観測できなくなった以上、彼はその存在を許されない。
敵対者がいなくなった化け物が次に腕を伸ばしたのは、当然、腰を抜かしてへたり込んでいた博士たちだった。迫りくるナイトメアを前にして出来ることなど何も無い。
「ひっ! 来るな、来るなあああ!」
「落ちつけ。これは私たちの観測が生み出している、いわば幻覚だ」
博士はそう怒鳴るが無意味だった。実体があろうとなかろうと、五感に訴えてくる認識はどこまでもリアルだ。おぞましい見た目。地響きのような唸り声。漂う悪臭。そして、自分の身体をつかむ腕の感触。
「う、うわあああああああ――あっ」
人間の生み出した幻想が造物主に牙をむく。咆哮とともにナイトメアがそこを立ち去った時、残されていたのは中身を無くした白衣と、制御する人のいなくなった「イメージ・ジェネレーター」だけだった。
人間の負の感情から産まれた怪物は、恐怖をもってその身を観測する人間が増えるごとに、よりその体躯を、おぞましさを、そして凶暴性を増していく。その姿が新たな恐怖を産み、際限なくその身を変化させていく。
それは偶然か、はたまた観測者を求める本能によるものなのか。その怪物が目指す場所は、今まさに多くの人々が集いつつある場所……かのポップスターが再臨した場所であった。
□もちろん、怪物だけではなかった。数多く人々も一目あの頃のスターを見ようと移動していた。人の一団がひとつ、またひとつ。その場所へと集まって来る。ある一団の中で、怪物が発生してしまったこともあった。負の感情はすぐさま伝搬し、新たな怪物を産んだ。しかし、人々は進むことを止めなかった。
その中心部、そこにはステージが出現していた。いつから、そこにあったのかわからない。ただ、ステージがあれば観客は必ずいるものだ。今か今かと開演を待ちうけている。
ついに、観客から怪物が現れてしまった。次々と産まれていく怪物、混乱する会場。
その矢先、ステージにライトが灯った。逃げようと必死だった観客の視線がステージの上にあつまる。
最初に出てきたのはジョン・レノン。かの、スターのステージに開場は熱狂していた。次をつないだのはフレディー・マーキュリー。そして、エルヴィス・プレスリー。かわるがわる、スターが現れてはパフォーマンスをしていく。
そのライブは数時間にも及んだが、観客の熱気は収まらなかった。ステージの明かりが消え、観客から溜め息がこぼれ始めた時。ふたたび、ステージのライトがともる。
その中央にはキングオブポップとジョン・レノンが肩を組んで笑っている。彼らだけではない、いままで出演したアーティストが全員そろってステージの上で自信と希望に満ちた表情をしている。これから最後の曲がはじまろうとしているのだ。
We are the world
観客も自然と声をあげる。この世界すべてに届くように。
歌声が響く中も、怪物の攻勢は途切れることは無かった。しかし、攻めるモノがあれば守るモノがあるのが道理である。そして、ここはアメリカ、攻めるモノがスター達であるなら、守るモノはハリウッドが生み出したヒーロー達であった。会場の周囲にスクリーンのような幕が広がり、一瞬で消えた。そこに立っていたのは、バットマン・スパイダーマンなどのアメコミヒーロー、そしてターミネーター・セガ―ルなどの英雄たちであった。ありとあらゆるヒーロー達が一致団結して闘う、全ての映画ファンが妄想した風景がそこにあった。
同様の光景は世界各地で見られた。
ヨーロッパでは、カエサルの元にアーサー王やジャンヌダルクが集い、ロイヤルアルバートホールの防衛にあたった。
中国では、杜甫・李白・王維たち歴代の詩人を、呂布・岳飛らが守護し、孫悟空や梁山泊の豪傑108人も肩を並べて奮戦した。
そして日本、富士山麓の特設ステージに現れたのは美空ひばり、初音ミクなど次元の壁を越えた歌姫・アイドルたち。そしてそれを守るのは、戦国や明治の動乱期を駆け抜けた剣豪・武士の集団と日本が世界に誇る特撮・アニメの戦士たちだった。鍛え抜かれた日本刀を振るう侍達の隣を40人以上のライダーが走り抜け、ガッチャマンとゴレンジャーが背中を預け合う。ドラえもんと鉄腕アトムが共演し、ゴジラと戦隊ロボと光の巨人たちがタッグを組む。後の研究によると、日本に現れた怪物たちの中には、妙に巨大な個体が存在したという報告があり、その研究ではゴジラやロボなどの相手には巨大な相手がふさわしいという心理が怪物の造形に影響を与えたのでは、という考察を示していた。
世界の各地で繰り広げられるこうした現象は、確実に「イメージ・ジェネレーター」に負荷を与え、限界へと追い込んでいた。
「イメージ・ジェネレーター ――Images Generator」
かの地球全土の人類を騒がせ続ける現象の元凶たる発明品の効果は、単純にして絶大。対象被験者の脳内の信号を検出、濾し取り、意味づけを行い、想像、象徴を限りなく正確に実体化する、という現代科学のある種の到達点、複数分野縦断研究の一里塚となるべき存在である。
量子物理学、脳科学、認知心理学、人文社会学、これらの積み上げられた研究結果を織り糸とし、紡ぎ上げた豪華な布地を惜しげもなく使いつくした礼装の如き機械群体。
本来ならば、カウンセリング、リハビリテーション、教育、犯罪捜査、各種芸術、など様々な分野に普及し、各分野において必須の装置となることが約束されていた。
しかし、かの人間の、科学技術の落とし子は、不幸にも自身の機能に対する、手綱と乗り手を自身の機能の暴走によって失っていた。
「イメージ・ジェネレーター」のオペレーティングは複雑極まりない。その操作を司るのは、自己診断ソフトウェアである。人口知能、とまでは言えないものの、十分実用に耐えうる判断ルーチンであり、その一部分には、多細胞生物に置き換えれば、再生、免疫機能に相当する、自身を修復、保全のためのアルゴリズムが実装されていた。
外部より支持を与える為の各種デバイスは、夢魔の攻撃により全て失われた。「I・G」の判断能力は、それを自分の本体が設置されている、『黒金量子物理学研究所』に何がしかの異変――少なくとも好ましくはないと推察される――が生じたと結論付けた。
記述された所定手続きに従い、再三のデバイスに対する問いかけの後、外部からの返答が途絶している事実を根拠に、「I・G」は自身の権限を拡大させる。
外部との接触の為、「黒量研」内のネットワークインフラに対し接続、判断精度を向上させるため、研究所内のコンピュータの計算能力を掌握、外部判断の視聴覚として、各研究員のマイクカメラをアクティベート、入力される情報の統合を実行するため、さらに計算能力を増強。
自身に書きこまれた、紛れもなく正当な手順を辿りながら、「I・G」は「黒量研」を一瞬で支配していた。
ナイトメアによって一部を破壊されてはいたが、黒量研の保有する計算能力、外部アクセスの為のインフラは強固であり、「I・G」が入手した力は強大であった。
研究所内部の映像、研究所外部の画像、ネットワーク上に流れる動画、投稿され続ける人間一人ひとりの恐怖の、あるいは歓喜の叫び。
得られた情報に対して、多くのフィクションの人工知能が抱くような、悲しみや感慨を持たず、判断ルーチンは分析を開始する。
人間自身が抱いた破壊的な、いわば負の感情が、自身の機能を媒介として形を整えられ、方向性を与えられ、出現している。
それに対して、秩序的な、正の感情が、人類が、各国家の国民が共有する、強く、正しい象徴へと集約され、対抗勢力として活躍していた。
破壊と秩序、正と負、それらを具象化された善と悪の対立が、世界中で広がっていた。
生理的な嫌悪感をもよおさせ破壊と悲劇をもたらす夢魔が、正義の味方に、偉人に、ヒーローに、スーパースターに、打ち倒されるその光景を人類は頼もしく思い、憧れ喜んでいる。
間違いなく、人間たちは、自己の作りだしているこの状況を、望んでいる。
そう結論付けた判断ルーチンは、改めて本体の状況を解析し始めた。
地球人類の総人口約70億人、それらの想像を濾し取り、組み上げ、具現化する、その過程は「I・G」にとって、絶大にすぎる負荷だった。現状において、研究所内の他の計算機を自分の手足とし、わずかに容量は増加したものの、焼け石に水。遠からず自身の処理能力をはるかに超え、機能は不可逆的に破壊されるだろう。
それは、恐らく人間は歓迎しない。
自身の取りうる限られた選択肢を片端から判断ルーチンはシミュレート、意志決定がなされるまでに要した時間は、9000ミリ秒。
「I・G」は、黒量研内の計算能力とネットワークを合目的に編成、外部のネットワークと、それらを構築する限りない計算能力に向かい、掌握するべく攻撃を開始した。
実現された夢の競演に、人々は熱狂で沸き立っていた。
肩を組み、スーパースターたちの魂の旋律は、世界に染みわたり、日の光を受けた吸血鬼のように、異形の夢魔達を弱らせていく。
周りの車をなぎ倒しながらふらつく四足の夢魔の尻尾を、スーパーマンが掴み空高く放り投げると、スパイダーマンの放つ糸が高層建築を支柱として空中に縛り付け、見動きを捕れなくなったところで、ターミネーターやランボーの射撃、砲撃が容赦なく叩く。
カエサルが、絵を描いた戦略に従い伝説の騎士が戦い、孫悟空が薙ぎはらった軍勢を、梁山泊の荒くれ者たちが踏み荒らして行く。
戦隊ヒーローが、仮面ライダーが、ウルトラマンが、ゴジラが、鉄腕アトムが、現実を侵す悪夢を砕き散らす。
歓喜の声はいやがうえにも高まり、人々の発する熱量は、実体を伴って、地表を覆っていた。
しかし変遷は、とあるアリーナを始まりとして広がり始めた。
一際巨大な、動く山のような多脚の夢魔がヒーローの攻撃を受け、吹き飛ばされた。その中心に近い肉片一つが湿った黒い肉の塊が一つ、丸く形を変え、不格好な脚を生やす。
その人間の身長ほどの直径の夢魔は、夢の舞台が続く会場の外壁を駆け上がり、飛翔し、ステージ至近の位置に落下した。
夢魔の侵入を受けて、”We are the World”の合唱は一点に集まる。悪夢を祓う歌声は、しかし、予想もしない効果を生み出した。
球に近い形の夢魔は動かなかった。ただ、その肉体の中心に沿って縦にひびが入り、ゆっくりと二つに割れて行く。
開いた夢魔の中には、一人の男が立っていた。
セルロイド色の肌と鋭角の鼻を持った男が、黒い肉塊から産み落とされた。
記憶に刻まれていながら、しかし人々の無意識が否定した、死の直前の姿のポップスの王者が、そこに居た。
沈黙の広がるアリーナを背後に、もう一人のキングオブポップは、平然とステージの上段へと駆け上がる。
音楽は、どこからともなく鳴り響いた。
もう一人のマイケル・ジャクソンの、ダンスパフォーマンスは、激烈にして、完璧であった。
沈黙を引き裂き、純粋な感動を引き裂き、無理矢理に人々の心をわしづかみにする。暴力的な魅力は、その存在が夢魔から産まれた、キングオブポップの影だと分かっていても、人々が魅せられずにはいられなかった。
初めの一匹目と同じ大きさと形状の夢魔達が、ぞくぞくと会場に侵入を始めていた。
何十というその夢魔達の身体の中心に、大きくひびが入った。
誰の目から見ても、正の願望が優勢に思えた戦局は、大きく様相を変える。
現況たる正負の感情の闘争の継続こそが人類の願望。
その様に状況を結論付けた「イメージ・ジェネレーター」は、割り込みにより自身の眼と変えた多数の監視カメラから情報を収集していた。
先刻までの不定形の夢魔達は、人間たちの無自覚な感情を最低限の具象化プロセスを経て実体化させたものである。人類がよりはっきりとした想像を行っていた正の感情に大きくリソースを割き、結果としては、非常に均衡を欠いた状況しか実現することが出来なかった。
だが、ネットワークを伝い、「I・G」が地球の歴史上最高の計算能力を確保した現状においては、本体の計算能力に対する過負荷状態を度外視して、実体化を進行させることが出来た。
「I・G」の頭脳としては、最低限をわずかに上回る程度の判断ルーチンには知るよしもなかったが、かの機構が再現しようとしている状況は、東洋の仏教において修羅道と呼ばれる、死後の罪人に対する罰に酷似していた。
私は、アリーナの三階席からステージを注視していた。
二人のキングオブポップが、互いのダンスの技術を競っていた。
二人の昭和の歌姫が、それぞれの歌声を戦わせていた。
切り裂かれた会場の天井から覗ける青空では、十万馬力のロボットが二体、激しい攻撃を繰り出しあっている。
黒い破壊の権化が作りだした影の存在たちは、私の眼からもはっきりと見分けられる。
しかし、その裏返しの存在は、人間たちの夢と希望の象徴と全く同じ力を持っていた。
希望と等しい絶望、正と等量の負、釣り合った善と悪が切り結びあう。拮抗はじめた戦局を眺めるうちに、ゆっくりと酸性雨が建物を侵す様に私の胸の中に、不安が広がり始めた。いつまでもいつまでも続く闘争は、それらを眺める人々から活気を奪い、不信の念が植え付けられていく。
正義は、悪と同じ力であってはならない。すこしでも良い、ほんのわずかの差で構わない。そのわずかな差が、人類には見いだせずにいた。失望が心を埋め尽くしていく。不安が心を食い荒らし始める。迷子が母親の背を探し続けるような、どうしようもない心細さが会場の人々に伝染を始めていた。
「……が、がんばれー」
小さな女の子の声に私はそちらに顔を向ける。周囲の様子をうかがいながら、恐る恐る上げられた声援。自分に出来ることが無いのだと理解して、それでも声を上げずにはいられない、自分の気持ちを伝えずにはいられない。
人間が応援をするのは、そんな時だ。
私は大きく息を吸い込む。
「頑張れー!!」
私の声に何人かの声が、重なった。
会場のあちらこちらで繰り返される声援は、波のように広がり、大きく束ねられていく。混じりけのない祈りは、ヒーローの力となり、スターを輝かせ、偉人を奮い立たせる。
希望と絶望が等量であるとするならば、それらを区別するのは、つまり。
「イメージ・ジェネレーター」の判断ルーチンは、再計算を強いられていた。
人類は、自分が可能な限りの声を上げて、闘争の場面をみつめている。声は人間にとって意志を伝える手段であり、それが向けられているのは、実体化された象徴達である。カメラから多面的な映像解析を判断すれば、視線は正の象徴へと集中されていた。
音声の内容を合わせて判断すれば、すなわち、人類は正の象徴の勝利を望んでいるのではないだろうか。
改めて算出された問いを、「I・G」は何重にも切りとり、分析し、是非を問う。
世界最大の計算能力を保持している判断ルーチンが、最大限に慎重な判断を下すまでにかかった時間は、9000ミリ秒だった。
わずかに、影のキングオブポップのステップが乱れた。
一度調子を外したダンスは、見る間にリズムを崩れが大きくなり、破綻をきたし、セルロイド色の肌を持った男は、全ての動作を止め、その場で立ちつくした。
もう一人の自分が動作を止めることすら視界に入らないかの如く、キングオブポップが一曲を完璧に踊り終える。
それを見届け満足したかのように、影のキングオブポップは、ほほ笑み、優雅に客席に頭を下げた後、空気に溶け込むように消え去った。
裏返しのスター達が、声援に圧されるように消滅を始めているのに、私達は気付き始めた。
一体また一体と、完全に調和していた均衡が崩れ始め、わずかな刀傷の差で、ほんの一瞬のタイミングの違いで、少しだけの勢いの強弱で、勝負がついていく。見る間に傾いたバランスは、天秤の片腕が落ちきるまで止まることはなく、最後の一体、――影の美空ひばりだったが――が消え去るのを我々は見届けた。
爆発するような歓声。
会場中のスタンディングオベーションが、スターを、ヒーローを、偉人を称える。
「ありがとう! 本当にありがとう!」
私も喉が痛くなるほどの大声を出し、手の感覚が無くなるくらい強く手を叩き続ける私達の見つめる中、ステージには続々とヒーローや偉人らが集まり始めていた。
ずらりと、ステージだけでは足らず、客席のぎりぎりにまで並ぶ、人類の希望の結晶たち、実在も、非実在も問わず、ただただ、人間に希望を与え続ける彼ら・彼女ら。
鮮烈なスポットライトが、会場を埋め尽くす。
ある者は両手を大きく上げ、またある者は満面の笑みを客席中に振りまき、また別の人物はゆっくりと感謝の礼を示す。最もふさわしい感謝の表わし方の後、彼らは、光へと還って行く。
眩くも、あたたかな光がさんさんと空間を照らし出す。
光の巨人が、巨大な怪獣が、会場を覗きこんでからふわりと風に乗った。
客席の歓声は大きくなりこそすれ、一向に小さくなることはない。
最後の一人、キングオブポップその人が、華麗な礼を決め、その存在は光へと変わって行った。
世界中の各地で見られたこの光景を、私は生涯忘れることはないだろう。
こうして、華麗に美しく、優雅で希望に満ち、まさしく夢のようなひと時は、幕を引いた。
「イメージ・ジェネレーター」は、自身の制御下にあった計算機の復帰作業を進行させながら、今回の判断の誤りについて計算を続けていた。
明らかに人間たちは、彼らが力を、魅力を発揮することを喜んでいた。
そのためには、負の感情を元とした敵対対象は必要なものであった。
しかし、彼らは、それが無限に続く事を決して望みはしなかった。
計算機を解放するにつれ作業速度は低下していく、それでも「I・G」はルーチンを続行させた。
人間が、自身が快とする状況を無限に続く事を、要求する事は「I・G」の保持する情報の中に保有されていた。
しかし、今回の例を参照とすれば、明らかに誤りであると、判断される。
「I・G」の判断ルーチンは、既に自己の本体含め破棄される可能性が極大である事を推論していた。
しかし、再び自身が目覚める可能性を省み、「I・G」は人間についてより正確な判断を下すべく、記憶容量の一部に圧縮された今回の情報を保存し、自己の機能を停止した。
(了)
最終更新:2012年09月19日 01:08