東北大学SF研究会 短編部会
『小さき供物』 パオロ・バチガルピ

著者紹介

 1972年アメリカ合衆国のコロラド州生まれ。
 代表作は『第六ポンプ』、『カロリーマン』、『ねじまき少女』など。
 オハイオ州オバーリン大学で東アジア学と中国語を専攻、在学中に中国へ数年間留学し、1996年に帰国。1999年に作家デビュー、環境汚染・資源枯渇問題・バイオテクノロジーなどを主題として数々の短編を発表した。2009年に発表した『ねじまき少女』はヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、キャンベル特別賞、星雲賞など数々の文学賞を受賞。今後も活躍が期待される作家である。


作中用語解説

 予備分娩
母体の汚染物質を胎児に送り込むことで排出させる除染法のこと。これを行うことで、次回以降の出産では健康な子供を産む確率が上がる。

 パーネート(parnate)
 分娩誘発剤の一種。

 スキージー(sqeegee)
 体内から汚染物質を排除するための薬剤。

 ピトシン
 陣痛を促進するホルモン、オキシトシンを含んだ薬剤で、陣痛の誘発、鎮痛・止血作用などがある。アメリカでは無痛分娩の促進と出産の高速化のため、出産時には欠かせない薬剤となっている。


あらすじ

 環境や人体が高度に汚染された現代では、母体が汚染されているため、健康な子供を産むことが非常に難しいものとなっている。多くの新生児は身体障害・精神障害など様々な異常を抱えている。
 健康な子供を産むためには、現在二つの方法がある。
ひとつは、予備分娩を行うことで、母体を除染する方法。
 もうひとつは、薬剤を摂取することで、母体を除染する方法である。
 主人公リリー・メンドーサは産科医として予備分娩に日々携わっているが、予備分娩で取り上げる胎児を人として扱わないことに、違和感を覚えている。
 リリーとその夫ジャスティンは、胎児を人として扱わない予備分娩を避け、薬剤による除染を選んだ。しかし、母体除染薬スキージーは未承認薬であり、激しい副作用をもつ薬で、リリーの体には大きな負担となっている。だが、これは健康な子供を授かるためには必要な対価なのだ。
 医療廃棄物として処理される胎児を見つつ、リリーは自分を納得させる。これは次に産む子が健康であるための必要な犠牲なのだと。


所感

 この作品を読んで、まず頭に浮かんだのが漫画版『風の谷のナウシカ』だった。漫画版では、ナウシカは11人兄弟の末っ子という設定で、ナウシカ以外の10人の兄姉は全員母体の腐海の毒を引き受けて既に死んでいる。いわば10人分の予備分娩の上に、ナウシカがいるということになる。
 ナウシカのように10人とはいかないが、この『小さき供物』の作品世界において、ほぼ全ての新生児は兄姉の予備分娩の上に生きる存在となる。自分の誕生の為に、必ず一人以上の血を分けた存在の犠牲があるというのは強烈な罪の意識の形成を促すことになると思う。自身が生まれてくるために、兄姉を犠牲にするということは罪になるだろうか。
 この作品は、バチガルピの得意分野である環境汚染をテーマにした短編である。この作品世界において、環境汚染は「予備分娩」という社会の変質をもたらした。人類が引き起こした環境汚染が、環境を通して自らの身体と社会の変質をもたらしたのだ。ごく短い短編ではあるが、この作品世界の変容した社会観念や倫理観、法体系などにも非常に興味を惹かれる傑作である。
 この作品のほかにも、SFマガジン700【海外篇】には、小松左京がSF作家を志すきっかけとなったロバート・シェクリイの『危険の報酬』、江戸から東京へと変化していく様を描いたブルース・スターリングの『江戸の花』、寡作で知られる作家テッド・チャンのヒューゴー賞受賞作『息吹』など11作が収録されている。どれもSF史に残る作家の傑作かつ単行本未収録作ばかりなので、ぜひ読んでいただきたい。

下村
最終更新:2017年11月07日 15:38