東北大学SF研究会 読書部会
『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ
著者紹介
1954年長崎県長崎市生まれ。
代表作は『遠い山なみの光』、『日の名残り』、『わたしを離さないで』など。
海洋学者の父の仕事の関係で5歳の時に渡英、以降日本とイギリスの二つの文化を背景に育った。その後日本かイギリスの国籍を選ぶことになったが、日本が二重国籍を認めていないため、英国籍を選択した。ケント大学で英文学を、イースト・アングリア大学大学院で創作文学を学んだ。卒業後は一時ミュージシャンを目指すも、作家に転向。1982年にデビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1989年に『日の名残り』で英国最高の文学賞とされるブッカー賞を受賞、英国を代表する現代作家のひとりとなった。2017年には「壮大な感情の力をもった小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」などの理由でノーベル文学賞を受賞した。
今やロンドン市民の約四割が非白人となり、人種的・文化的な「英国らしさ」は失われつつある。そのような状況において、人種的には全くイギリス人でないイシグロが「失われゆく英国の伝統」を書きあげ、高く評価されていることは特筆すべきことだ。異なる文化を描いたり、SF的設定・手法を取り入れてみたりした小説が高評価を受けているということこそが、文化的衝突や民族間・宗教間対立の下にある現代の主流文学やSFの可能性を示唆している。
主要登場人物
キャシー・H
本作の語り手。ヘールシャムで幼少期を過ごし、コテージでの生活を経て現在は介護人を務めている。介護人としての腕は優秀で、そのためか、11年4ヶ月と長期間にわたって介護人を務めている。
ルース
ヘールシャム、コテージでのキャシーの同期生。かつてトミーと交際していた。友人グループのリーダー的存在。2度目の提供の後、死亡した。
トミー・D
ルースと同じく、ヘールシャム、コテージでのキャシーの同期生。ひどい癇癪もち。かつてルースと交際しており、キャシーとも交際する。4度目の提供を成し遂げ、死亡した。
エミリ先生
ヘールシャムの主任保護官で、ほかの保護官よりも厳格なことで知られていた。彼女はヘールシャムの中心人物であり、人間として扱われていなかった提供者たちが、自分たちと同じ心をもつ人間であることを、丁寧な情操教育によって実証しようとしていた。
ルーシー先生
ヘールシャムの保護官。突然ヘールシャムからいなくなった。理想主義的傾向があったらしく、エミリ先生の教育方針に反した言動をしたのが突然の離職の原因とされる。
マダム
時折ヘールシャムを訪れては、生徒たちの作品を持ち帰っていた謎の女性。ヘールシャムの生徒たちに対して謎の恐怖心を抱いていたようだった。本名はマリ・クロードで、エミリ先生の下でクローン人間の待遇を改善させる活動を行っていた。
作中用語解説
提供者
何らかの臓器提供の為に作成されたクローン人間。基本的に使い捨てされているらしく、多くの提供者は三回程度の提供で死に至る。ヘールシャムで育った子供たちは、みな将来はこの提供者となる運命にある。
介護人
提供者の身の回りの世話に従事する者のこと。介護人は提供者の前職とされ、将来提供者となるものはみな介護人として働くことになる。介護人である期間は人によって異なり、腕の良し悪しに左右されるわけではないらしい。
ポシブル
クローン人間である提供者たちのもととなった「親」である可能性のある者を指す、提供者たちの間で通じる隠語。基本的に提供者の「親」は貧困層であり、提供者が無邪気に考えるポシブルの理想像とはかけ離れていることが多い。
交換会
ヘールシャムの生徒たちが作った作品を相互に売り出す会。最初に保護官から各自の作品の量や出来栄えによって引換券を貰い、その引換券で他の生徒の作品を買うことが出来る。ヘールシャムの生徒たちは、この交換会を自分だけの所有物を手に入れる機会として、心待ちにしている。
展示館
ヘールシャムの生徒が作った作品の中でも、特に出来の良いものは、交換会の前に選別され、マダムの「展示館」にいくことになるとされていた。
あらすじ
キャシー・Hは優秀な介護人として提供者の日々の世話をしている。自身が育ったヘールシャムという施設では、保護官たちが時折見せる不自然な言動を不審がりながらも、多くの友人たちとともに、図画工作など表現することに重点を置いた教育を受けつつ、楽しく暮らしていた。ヘールシャムという閉鎖された環境の中ではあったが、独特な習慣の下で将来をぼんやりと夢見ていた。
ヘールシャムにはマダムという謎の女性が時折訪れ、生徒たちの創作品から出来の良いものを選りすぐりどこかに持っていくのだった。マダムは生徒たちを恐れているようだった。ある時マダムはキャシーがテープに合わせて歌い踊るのを見て涙し、走ってその場から立ち去って行った。
ある日、保護官のルーシー先生がヘールシャムの生徒たちの行く末を包み隠さず話した。生徒たちも自身の存在理由を薄々気づいてはいたが、断言されるのはあまりに衝撃的だった。そしてルーシー先生は突然ヘールシャムを去った。
キャシーたちはヘールシャムを出て、介護人になるまでの期間をコテージで過ごすことになった。
コテージでの生活の中で、キャシーたちは初めて外界に自由に出ていけるようになった。連れだってノーフォークに向かい、ルースのポシブルを探したこともあった。
やがてキャシーは先に介護人となるためにコテージから出て行った。後に提供者となったルースと、ルースの介護人として再開し、提供者となったトミーとも再会した。
ルースは死に際にマダムの住所をキャシーとトミーに託した。ヘールシャムに伝わる「真に愛し合う男女の提供者は、マダムに提供の延期を申し入れることが出来る」という噂を実行するよう言い残した。
キャシーとトミーはマダムの家を訪れたが、提供の延期は全くの噂に過ぎなかった。マダムの家でキャシーとトミーはエミリ先生に再会する。エミリ先生は、キャシーとトミーにヘールシャムの真実を語る。
やがてトミーは4回目の提供を終えて死んだ。キャシーは車を走らせ、行くべき場所へと向かっていった。
所感
一般的なSFとは少し毛色の異なる、情緒的な物語である。
SF的な世界観のもと、懐かしきヘールシャムでの友人たちや先生たちとの思い出が、語り手キャシーの口によって情景豊かに語られる。ヘールシャムという閉じた環境の中で、独特の用語などを交えながら、当時の人間関係までもがつぶさに語られる。我々が経験してきたような、友達との気まずい空気や大人たちのどこかよそよそしい態度までもがありありと語られる。
これらの情感豊かなキャシーの語りこそが、エミリ先生が示したかった「提供者の人間性」のゆるぎない証拠である。エミリ先生たちがヘールシャムで行っていたことは、間違いなく提供者に豊かな感情を与えることに成功していたのである。
しかし、ここで終わっていたらこの作品にはさほど価値はないと思う。重要なのは、キャシーの語りが情感にあふれつつも、どこか抑制のきいたものとなっていて、私たちと少し異質なものを感じてしまうところだ。
この物語は、始めに言ったように、情緒的な物語であるが、ここに欠けているものがある。この欠陥こそが、豊かな情感を異質に感じさせているものだと思う。それは愛だ。
この小説には愛が欠けている。生徒たちが保護官から個人的に面倒を見てもらう機会はなく、ヘールシャムは愛に欠けた施設にならざるを得ない。提供の猶予の条件として伝えられていた条件であり、提供者が追い求めなければならないもの、すなわち提供者にないものとして描かれたものは愛だった。
一方で、私の印象に強く残ったシーンがある。キャシーが『わたしを離さないで』のテープをバックに歌い、枕を抱きながら踊るシーンだ。ここには作品中で唯一、明示されない愛がある。私の子供を、私から離さないで……と。
一旦は情緒性を否定したが、結局この物語は非常に情緒的だ。
今回レジュメを書くために再度読み直してみて、多くの発見があった。ぜひ読み終えた方も、もう一度読み直して、新たな発見に出会っていただきたい。
下村
最終更新:2018年02月01日 21:29