SF研究会読書会レジュメ4月16日
さみしさの周波数 乙一
① 未来予報 ~明日晴れればいい。~
あらすじ
- 小学校時代、「僕」と清水加奈は家が近いというだけで何の関係もなかった。
- 雨の降るある日、「僕」と清水はたまたま、転校生の古寺直樹の家を訪ねることになった。そこで、古寺は「僕」と清水に「未来予報」なるもの(不確実な未来が見える能力)を見せた。
- ある日、いつものように古寺の家に集まっていた。その帰り際、古寺は「未来予報」で「僕」と清水の未来が見えたと言い出す。「おまえたち二人、どちらかが死ななければ、いつか結婚するぜ。」
- 「僕」はその予言を聞いたあと、清水を「意識して」避けるようになった。特に問題はなかった。「僕」と古寺は相変わらず仲が良かった。
- 「僕」はやはり、清水を「意識して」避けた。周りには「無関係」を演出できた。
- 「僕」は漠然とつまらない未来は嫌だと思った。未来は分からなかった。
- 「僕」は母親から清水の情報が入るたびに、それを「意識して」、清水から逃げていた。
- 「僕」はある冬の日、早朝のバス停で清水と二人で雹が降るのを眺めたが、何もなかった。
- 「僕」は高校を卒業して2年目の1月、成人式に古寺と参加した。
- 古寺は大学で目的を持って過ごしていた。「僕」はフリーターの自分を惨めに思った。
- 中学時代の同級生の中には結婚して、家庭を持っているやつもいた。
- それから半年後、「僕」はホテルのウェイターのバイトをしていた。
- そこでの結婚披露宴の新郎新婦を見ると、「僕」はいつの間にか古寺の「未来予報」のことを思い出す。「僕」と清水がいつか結婚するというたちの悪いジョークの事を。
- 清水は体が弱かった。小学校時代の給食の時間の清水の思い出。
- 清水が入院した病院は「僕」がバイト先へ向かう途中にあり、「僕」はそこが気になった。
- 「僕」はバイト先で自分が人生の底辺にいることを悟った。つまらない未来を嫌った過去には後悔しかなく、未来のことを考えるとそこには暗闇しかなかった。人生の難しさを知った。
- 「僕」は自暴自棄になっていた。ふとしたきっかけでバイト先で先輩の正社員と殴りあいの喧嘩をして、バイトをやめた。ただ、心細く不安だった。ただ、清水のことを考えていた。清水は「僕」の傷ついて疲れきった魂がそっと寄りかかれる場所だった。
- 「僕」は清水のことを吹っ切る決心をした。そのために病院にいこうと思った。(手の怪我の治療を名目に。)
- 手の怪我の処置が終わってから清水の病室に行こうと思っていたが、清水と話さなかった年月の長さを改めて思い、その気力も萎えてしまった。
- そこに、一人の女性(清水)が車椅子に乗って現れた。「僕」は自然に会話していた。
- そこで「僕」は清水の母親から清水が僕のことをいつも考えていたことを知る。
- 現在、「僕」は新しいバイトを始めた。大学に行くために予備校にも通い始めた。清水が絵本作家になる夢にむかって努力していた話を聞いて、影響されたからだった。
- 「僕」と清水は別な場所でお互いのことを考えていた。「僕」はいつも自分のことを考えていてくれた人がいたことを幸福に思った。
- 古寺の「未来予報」もあながちただのほら話でもなかったかもしれないと考える。
- 「僕」は未来も過去も苦しいものしかないと思っていたが、それは違った。
- 清水は病院の庭で言った。「あなたがいてよかった。だから、泣かないで生きていて。まだこれから陽の当たる人生をあなたは歩むのだから。」
解説
微妙な距離感の物語だと思う。ポイントは2つ。1つは、仲がいいわけではない「僕」と清水がそれぞれの情報をお互いに知ることのできる状況、つまり、母親同士の仲がいいという状況がポイントだろう。その状況がこの「微妙な」空気を演出しているといっていい。この設定が秀逸である。
もう1つのポイントは「未来予報」の存在である。確かな未来予言ではなく、ある種のペテンにも思える「微妙な」未来予言。古寺の「未来予報」が「僕」と清水の関係を決定付けたといえる。この予言を聞いたあとの「僕」と清水の関係、意識しないようにしようとすると、逆に意識していることになる関係も秀逸だと思う。
この2つのポイントが絡まり、全体の微妙な距離感が演出されている。
また、題名の『未来予報』の意味が古寺の「未来予報」だけでなく、最後の清水の言葉にもかかってくることに好感を覚える。
一応、ベースとなるのは僕の人生の苦悩からの脱出の物語だが、私はこの作品の持つ独特の空気感のほうが印象に残った。少々、最後の清水の言葉がくどすぎるように私は感じたが、それは人の好き好きかもしれない。
あとがきで作者がこの物語は「せつない物語特集」のために書いたと言っていたので、私なりにこの物語の「せつなさ」も解説してみたいと思う。(解説するまでもないか?)
この作品の「せつなさ」は「僕」が、清水が自分のことをずっと考えていてくれていたことを彼女が死んだ後気づくことにあると思う。そして、「僕」は後悔する。でも、清水は死ぬ前に「僕」に前向きに生きることを教えていた。そして、彼女を思い出すとき、さらに「せつなさ」募る。
こんな感じですか。(分からん。)
② 手を握る泥棒の物語
あらすじ
- 「俺」は両親を一年前に交通事故で亡くしていたので、伯母が一番近い親類に当たり、挨拶だけするつもりで伯母の泊まっている温泉宿を訪れた。
- 「俺」はたまたま、そこで伯母のバッグの中に値が張りそうなネックレスと札束がつまっていそうな封筒が入っていることを知る。伯母は社長夫人で、財産を貯めこんでいる。
- 「俺」は友人の内山君と小さなデザイン会社を経営しており、今度新作の腕時計を商品として出す計画があった。
- しかし、会社の資金難でその計画はできなくなりそうだった。
- そこで、「俺」は腕時計を出すだけの資金を確保するために(今回の腕時計には自信があった。)、伯母のバッグの中にあったネックレスと札束の入った封筒を盗み出すことを決意した。
- その日の夜、「俺」は泥棒をするために伯母の泊まる温泉宿にやってきた。
- 温泉宿の伯母の部屋の位置は窓の外にあった巨大な石が目印となり、すぐ分かった。
- 伯母のバッグがある位置も昼間見たので分かっていた。(窓際の押入れの中)
- 窓の下の外壁から、穴を開ければ簡単に盗れるはずだった。
- 壁は容易に穴が開き、「俺」はバッグの中身を盗もうと左腕を差し込み、バッグを見つけ中身を引き抜こうとする。
- そのとき、「俺」は左腕に巻かれた腕時計を壁の内側に引っ掛けて落としてしまう。
- もう一度、冷静に腕時計を探そうとすると、左手は人間の腕をつかんでしまう。
- 「俺」は「従妹(伯母の娘)」が部屋にいたのだと思った。同時に盗みの計画は失敗したと思った。
- しかし、「俺」は世界に一つだけの時計を部屋の内側に落としてしまっているので、すぐ逃げるわけにもいかなかった。(しかも、伯母はその腕時計のことを知っている。)
- 「俺」はもう一つ壁に穴を開けて、落ちた腕時計を探すことを思いつく。
- その穴を開けている間、「俺」は「従妹」と親との関係について会話する。
- もう一つ穴を開けると、ひと悶着ありながらも「俺」はどうにか腕時計を持って、逃げ出す。
- しかし、その腕時計は「俺」のものではなく、「従妹」のものだった。
- 次の日、「俺」は伯母に呼び出された。そこで、「俺」は昨日泥棒に入った部屋は伯母の部屋の隣の部屋だったことに気づいた。(部屋の目印にした巨大な石は映画のセットで、子供でも動かせる代物であり、その石が隣の部屋の前に移動していた。)
- 一年後、どうにか発売できた「俺」のデザインした腕時計がある映画の影響で売上が伸びていることを知る。その映画のヒロイン役の女優が似たデザインの腕時計をしているらしい。
- 「俺」と内山君はその女優の握手会に参加し、その場で「俺」はその女優があの夜泥棒に入った部屋にいた女性だったことを知る。
解説
対比の物語だと思う。父親の反対を振り切って、自分のやりたい道に進み、デザイン会社を作った「俺」。「俺」に後悔はないはずだが、同時に「俺」はそこになにかやりきれなさを感じてもいた。一方、親、特に母親に言われるままに生きてきて、芸能界で成功したアイドル。しかし、今、母親に言われるがままに、要求されるがままに生きることに疲れてしまっていた。その二人が奇妙な縁で壁越しに会話をすることになり、そこでの会話を契機にお互いに少しだけ新しい自分を見つける。「俺」は父親に対するやりきれなさの正体を知り(自分がデザイン、特に腕時計のデザインのことを好きになったのは、父親にもらった腕時計の影響であり、そのことで父親と対立をしていたことがやりきれなかったんだということを悟り、)、アイドルも少しだけイメージ路線を変更した。(おそらく、少しだけ母親から自立したのだと思う。)まさに二人の対比の物語である。
さらに作者はその物語を推理小説的な手法で味付けをした。従妹とアイドルを読者が取り違えるような罠を仕掛けた。このことによって、単なる物語にサプライズという刺激(アクセント)が加えられたと思う。
また、壁越しの「俺」とアイドルとのやり取りもこの作品の楽しい部分といえるだろう。
以上。
③ フィルムの中の少女
あらすじ
- 「私」は喫茶店で怖い話を集めている作家先生に、あるフィルムに関する話をする。
- 「私」は大学2年生。映画研究会所属。ある雨の日、「私」は映研の部室で謎の8ミリフィルムを発見する。
- フィルムの中身は自主制作映画を撮影したものだった。
- その最後のトンネルのシーンに不審な少女の後ろ姿が写っていた。
- 「私」はその不審な少女をよく確認するためにもう一度トンネルのシ-ンを見る。
- 「私」は少女が一回目よりも振り返っていることを確認。
- 映研の先輩からそのフィルムに関する撮影日誌を渡される。
- そのフィルムは5年前に撮影されたもの。フィルムの中のトンネルでは7年前に身元不明の少女の無惨な死体が発見されている。いわくつきのトンネル。
- 撮影した先輩方も不審な少女を確認。やはり、見るたびに振り返ってくる。怖くなって、先輩方もこのフィルムを封印した。
- まず、フィルムを撮影した人々に連絡をとって、撮影日誌に書いてあることの裏を取った。
- 先輩方も少女に関して、詳しいことはあまりわかっていなかった。
- 「私」は次の手がかりとして、少女の着ていた制服に目をつけた。そこから、少女の行っていた学校がわかるかもしれないと思った。
- 「私」はもう一度フィルムを見た。そこで、少女の制服と校章を見て、少女が「私」と同じ高校だったことに気づく。
- 「私」は実家に帰り、出身高校を訪れた。そこで、長年勤めているH先生に行方不明になっている生徒について教えてもらう。その中で、真面目な生徒が7年前の7月7日からいなくなったことを教えられる。その少女の名前と住所も教えてもらう。
- 「私」は少女の家を訪ねる。そして、少女の母親から話を聞く。
- 少女の母親は今、夫と別れ、息子(少女の弟)と二人暮ししていた。
- 7月7日当日少女は正午まで、友人たちと遊び、その後駅でいなくなった。
- その日の夜、母親は少女が父親の家にいるのではないかと思って電話したが、祖母にこちらにはいないと言われた。
- 月曜の朝、父親は、娘は見つかったか、といって心配して帰ってきた。
- ここで、「私」と先生が喫茶店から、映研の部室に移動する。
- 同時に少女の死に関する謎を「私」が解き明かしていく。
解説
もう完全に推理小説です。ミステリです。一人語りの形で、「私」があるフィルムに写った少女の謎を解明していく。その推理の過程は論理的であるし、心霊フィルムという設定以外はまさしく推理小説。逆に言えば、心霊フィルムの部分がホラーであるともいえる。
しかし、この作品の本当のホラーの部分はフィルムの中の少女の死の謎を解いても、誰も救われないという点だと思う。少女を殺した父親はすでに死に、その片棒を担いだ祖父母もすでに死んでいる。つつがなく暮らしている少女の母親に衝撃の強い真相を話すこともできない。「あなたの不倫のせいで娘さんは死んだんですよ。」なんてことを言えるはずもない。フィルムの中の少女が先生の姿を見て、笑って消えたことが唯一の救いだろうか。
先生について、作者は読者に少女の父親だと思わせておいて、実は幼なじみでしたということを示して刺激を与えようとしたのかもしれない。作品のアクセントにしようと思ったのかもしれないが、はっきりいって失敗だったと思う。正直、少女の幼なじみとしては先生の焦る理由が微妙だし、なんか納得できない。ホラーだからといってしまえばそれまでだが。
私的には先生が少女の父親で、「私」は最後までそれに気づかず、「私」も少女と同じようにトンネルの側溝にフィルムごと埋められる展開を希望したかった。
④ 失はれた物語
あらすじ
- 音楽教師の妻を持つ「自分」。娘が生まれてから、夫婦間の諍いが増えた。口論は時には思ってもないことを言ってののしったりもした。
- ある日、「自分」は会社へ行く途中、交通事故にあった。
- 「自分」は気づくと、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、をすべて失い、右肘から先以外の触覚も失われていた。体のうち動くのは人差し指だけだった。
- 妻が右腕(右ひじより先の部分)に文字を書き、「自分」は人差し指の動きで応える。そういう生活が始まった。
- 事故から、3ヶ月が経った。娘と養父母が病室を訪ねてきて、「自分」の右腕に挨拶した。「自分」にとって右腕がすべてだった。
- 妻が、苦しい?、と聞いてきた。「自分」は肯定した。
- 妻が、死にたい?、と聞いてきた。「自分」は肯定した。
- それを知った妻は何も言わずに「自分」の右腕を鍵盤代わりにピアノの曲を弾いた。
- 事故から、1年半が経った。「自分」は自分の右腕の上で弾かれるピアノの曲の出来から妻の微妙な感情の起伏を読み取ることができるようになっていた。
- 事故から、3年が経った。「自分」は絶望するようになっていた。考えることができる脳と人差し指しか動かない体。そのギャップに耐えられなくなっていた。
- 右腕の上で妻の弾くピアノの中にも、疲れがありありと感じ取れるようになった。
- 事故から4年が経った。妻の演奏はさらに重苦しくなっていた。
- 2月のある日、「自分」は自殺する方法を思いついた。
- その日以来、「自分」は人差し指を動かすことをやめた。
- ある日、成長した娘がやってきた。娘も右腕の上でピアノを弾いた。
- また、ある日、小学校に上がったばかりだという娘が右腕に「おとうさん」と文字を書いた。
- それから、長い年月が過ぎた。「自分」は暗闇にそっと身をゆだねた。
解説
皮肉な物語だと思う。交通事故で右腕の感覚しかなくなった「自分」のほうが、健康だったころの「自分」より妻の気持ちを理解できるのだから。そして、妻への感謝を示したいときにはすでに「自分」には人差し指を動かすことしかできなくなっている。
人間健康なときほど大事なものを見てないし、聞いてないし、話していないというメッセージがこもっているように思う。
この「自分」の状況は本当に微妙だ。「自分」の生死を分けるものは人差し指が動くかどうかしかないんだから。「自分」は妻のために人差し指を動かさず死んだフリをする。人差し指一本で出来る自殺。せつない。
妻は最後、「自分」のメッセージを読み取ったのだろうか?そのために、その後軽やかな気持ちになったのだろうか?
事故の後のほうが夫婦の心のつながりが強くなったという解釈が出来る点ではそういう風に意味を取ったほうが感動的だが、私は次のように考える。
私が人差し指を動かさなくなったことで、「生きている人間に対して死ぬことを願うことは罪だが、死んでいるかもしれない人間に対して生きているかもしれないと願うことは希望である。」という心理的変化が妻の身に起こったのだと。(心の重荷が取れた理由。)
付記
この作品の全てにおいて、出てくる男女はお互いを真正面から見ることはない。
(探検隊さんからのご指摘。)
まさしく、この作品を象徴している事柄だと言える。
最終更新:2019年02月24日 12:16