11月19日SF研レジュメ

『象られた力』(ハヤカワ文庫JA)  飛浩隆




  • デュオ

ある人物の手記の形をとって描かれた、双子(?)の天才ピアニストをめぐる異色音楽SF。

  • 呪界のほとり

呪界と呼ばれる世界を竜と共に旅する男・万丈が飛ばされたのは、世界の理が通用しない呪界のほとり。困っていた万丈を助けてくれた孤独な老人は、一筋縄ではいかない人物だった。

  • 夜と泥の

テラフォーミングした惑星を国家や民族にリースするリットン&ステインズビー協会。協会の地球化の過程に入り込んだ何かが、惑星ナクーンの沼沢地に奇妙な現象を引き起こしていた。美しくもはかない、その現象に秘められた真実とは?

  • 象られた力

謎の消失をとげた惑星百合ユリ洋ウミ。新鋭イコノグラファーのクドウ圓ヒトミが依頼されたのは、その<百合洋>で使用されていた図形言語を解析する鍵となる「見えない図形」を見つけ出すことだった。



さて、どうしますか。

  • 「デュオ」

大きな話のポイントは2つ。

)一人称の語りの「私」は実はオガタ・イクオではなく、サヴァスターノ先生だった。

)<アノニム>とデニス、クラウスの関係は善と悪の関係ではなく、共存関係だった。

)についてはミステリ的な技術を感じる。

)については話の筋として、自我を持った<アノニム>がデニスとクラウスの体を支配していたから、それをやめさせてデニスとクラウスに体の支配を戻す、つまり、グラフェナウアーズの最高の音楽「バイエルの8番」を弾いていたのは<アノニム>の支配を受けていないデニスとクラウスだった、という文脈がある。

このとき、<アノニム>は同情するべき点を持った「悪」の役割、イクオは傷を持った「善」の役割を配されている。それが最後になって、実はあの「バイエルの8番」を弾いていたのは3人だったことが提示される。グラフェナウアーズの最高の音楽を作っていたのはデニスとクラウスの2人ではない、<アノニム>を含む3人だった。ここに大きな転換点(驚きも)があると思う。イクオのやったことは意味がなく、象徴的に<アノニム>はデニスとクラウスを殺し、イクオに乗り移る。そのイクオをサヴァスターノが殺す。<アノニム>を最も認めたはずのサヴァスターノが。



そして、さらに付け加えるならば、「<アノニム>が共感場に存在していた」という事実からこの短編集に収められた全ての作品に共通するテーマ‘場の意思の存在’を感じる。

<煩い墓><喋る墓>。<アノニム>は自らのことをそう呼んだ。双子のテレパスの共感場に縛り付けられていた自分を。たとえ、もっと広い情報の行き来する場所全てに<アノニム>が広がっていたとしても、それはやはり「情報の行き来する場所」に縛り付けられているのではないだろうか。



  • 呪界のほとり

白眉はパワーズが語る宇宙論ではないかと思う。

「呪界」という宇宙がある。

「呪界の外」という宇宙がある。

「呪界」では宇宙がひっきりなしにあれこれ言ってくる。呪界にはパターンが多すぎる。人間のロジックが意味を認めるパターンが多すぎる。宇宙が人間に歩み寄ってくる。宇宙がこう言っている、私を見てくれ、私を感じてくれと。

「呪界の外」では宇宙はそっけない。冷淡で無関心。宇宙の冷えていく音(熱力学第三法則だね)が聞こえてきそうだ。宇宙が人間に適応を迫る。

この前提の上だと、最後のパワーズのロジックが意味のあるものに思えてくる。

読者のパワーズの存在の定義を揺さぶるロジック。

やはり、ここでも「呪界」という場の意思を感じる。宇宙の擬人化のせいかもしれないが。

ありとあらゆる価値の中心“形而上の黄金”、その番人にして検閲者たる“抽象的な竜”。

これって何なのでしょう。

この話自体がシリーズものの第1話の雰囲気なので、いろいろ伏線だけがあり、消化不良感はある。



  • 夜と泥と

テラフォーミング、地球化。

ほかの惑星を地球化する。

ほかの惑星の生態系を地球のものに適合化させる。

そして、地球そっくりの惑星ができる。

この作品はその方向性を疑問視する。

他の惑星にはその惑星独自の“共感場の意思”があり、人類が行うテラフォーミングを利用して、地球化されるのではなく、地球の種と生態系を素材にして、それを取り込んでしまおうとすることもありうるのではないか。それがこの作品の舞台惑星ナクーンである。

テラフォーミングをすればするほど、地球は他の惑星に咀嚼され、消化されていく。

まさしく、認識の転換である。



この作品ではその具体例が蟹である。蔡と「私」が食べていた蟹。あの蟹は地球の種がナクーンに適応した結果だと考えていたが、逆にも考えられる。地球の種がナクーンによってゆがめられた結果なのでは、と。

チェス盤の模様の例もある。認識とはあの例のように通常固定的である。

その象徴がジェニファー・ホールである。

たまたまテラフォーミング衛星に紛れ込んだDNA情報を惑星の“共感場”が利用した。テラフォーミングを歪める象徴として。そのゆがみは局所的である。発生箇所はナクーン・デルタのみである。蔡はそれを神話の前触れだと考えていたが。

直接的なゆがみの原因はウィルスの変異だ。

ウィルスは生物の遺伝子交易の役割を果たす。地球の種とその星の種が歩み寄れるように。星と人との歩み寄りのために。

やはりこれも、もともとの発想はあくまで人類の側が地球の種がその惑星にその惑星の種に近づくためのものだったはずだ。それがナクーンでは逆に使われた。人類を地球の種の生物を“惑星ナクーンのもの”にしていくために使われた。

そして、この発想の転換がこの作品で冒頭から出てくる“人類の希釈化”という問題の別な見方を与えてくれる。“人類の希釈化”は人類が宇宙に「進出」していくときに生じる出来事のように見えるが、宇宙に行った人類がその「宇宙」に「取り込まれる」という出来事を意味していたのだ。「宇宙に進出すること」と「人類が希釈化すること」は矛盾しているように感じる。「進出」すればするほど、「希釈化」されるということがしっくりこない。だが、「進出」を「取り込まれる」と読み替えればしっくりくるのではないか。

さらに、ジェニファー・ホールは人類の痕跡を残すときの象徴でもある。

希釈化の果てに残る人類の姿はあのジェニファー・ホールの姿ではないか。そんな問いが最後にある。

この認識の転換はすごいと思う。

この作品の「決戦、ロボット対大自然の生物」というシーンも好き。



  • 象られた力

ポイントは何点かある。

)百合洋の図形言語の豊かさの本当の意味、エンブレムブックのレプリカとオリジナルの秘密

)タカナシ環ではなく、タカナシ斎の能力

)百合洋の消失、タブヒーブの事故の真相

)<シジックの歌>の真相







)について、一人称の語りの中で実は能力に目覚めているのは環ではなく斎だったというのは「デュオ」の「私」が実はサヴァスターノだったというのと同じ匂いがした。

)と)についてはやはり、認識の転換を読者に迫るものである。もともと、豊かな百合洋の図形言語。では「見えない図形」はどこにあるのか。もちろん、考え方としては全ての図形の元になっているのだから、現在の図形言語を分析し、再構築することで発見されるのではないかと考える。だが、本当はその逆で「見えない図形」は現在の図形から遡るのではなく、未来へ進めることで発見されるものだった。

百合洋の図形言語の豊かさの原因は隠すことだった。木の葉を隠すなら森へ隠せ、というようにたった一つの「発現の図形」を隠すために豊かになる。文化の豊穣さではない。

オリジナルのエンブレムブックを研究することで、「見えない図形」を発見でき、その存在によって現在の百合洋の図形言語を読み替えることができるようになる。認識の転換が起こるはずだ、と当初は言われていた。レプリカはあくまでオリジナルに準じる価値の低いものだった。しかし、真相は「発現の図形」を認識できるように覚醒させるのは価値の低いはずのレプリカの方で、オリジナルの役目はその逆、「発現の図形」による覚醒を防ぐ「見えない図形」の提示だった。このねじれが危険な状況を生み出す原因になった。価値の低いと見られていたレプリカは広く出回り、「発現の図形」による覚醒の危険性を増やしていた。逆に価値が高いといわれたばかりに「発現の図形」による覚醒を防ぐオリジナルの方は出回るどころか丁重に管理されることになってしまっていた。

こうした環境が作られればあとは崩壊するのを待つだけだ。ちょっとしたきっかけで惑星は消える。

図形には力がある。ものは図形に「象られる」ことでちからをもつ。

図形に意思があるかのように描かれるシーンがあるが、これもやはり、一連の作品に共通する“場の意思”のような気がする。

ものは「象られる」ことで意思を持つのではないか。

まさしく“意思の場”が生まれる気がする。

)について、このラストと冒頭部分を付け加えたということは百合洋もまたこのシジックのようになったことを示唆しているのだろうか。



以上。お粗末でした。

2019.02.24 Yahoo!ジオシティーズより移行
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なお、内容は執筆当時を反映し古い情報・元執筆者の偏見に基づいていることがあります by ちゃあしう
最終更新:2019年02月24日 12:37