ゲド戦記
1 影との戦い / A Wizard of Earthsea (Earthsea Trilogy)
2 こわれた腕輪 / The Tombs of Atuan (Earthsea Trilogy.)
3 さいはての島へ / The Farthest Shore (Earthsea Cycle)
4 帰還 / Tehanu (Earthsea Trilogy.)
5 ゲド戦記外伝 / Tales from Earthsea
6 アースシーの風 / The Other Wind (Books of Earthsea)
主な作品
- 辺境の惑星
- ロカノンの世界
- 闇の左手
- 幻影の都市
- 所有せざる人々
- 風の十二方位(初期作品を主に収録した短編集)
- 天のろくろ
- 世界の合言葉は森
- オルシニア国物語
・空とび猫
・ゲド戦記
訳者:清水真砂子(眞砂子)
児童文学者兼翻訳家。多くの著書、訳書が存在する。
1941年生まれで、現在青山学院女子短期大学教授を務める。
あらすじ&考察
1 霧の中の戦士
ゴント山の小さな村で生まれたダニーは、背が高くて、身のこなしがすばやく、声高で、傲慢で、気短な少年だった。そんな彼であったが、とある出来事で自分に魔法の才能があることを自覚したことから伯母に魔法を教わることになる。そして、いくつかの魔法を身につけ、ハイタカと名乗るようになった彼が十二歳になったとき、彼の住む村にカルガド帝国が攻めて来た。獰猛で、野蛮な存在であった彼らは強く、多くの者が村を捨てて逃げていくなかで、少数の村人と共に村に残ったハイタカは霧の魔法を使い、カルガド帝国の侵略を食い止めることに成功するのだった。しかし、力を使い果たしてしまった彼の意識は失われてしまう。誰もが彼を助ける方法が分からず手をこまねいていたが、五日後オジオンと名乗る魔法使いがハイタカを助けることに成功する。そして、オジオンから魔法を学ぶことになったハイタカは、十三歳になった日に『ゲド』という名を与えられて村を出るのであった。
特に言うべきことはありませんが、とりあえず攻め込んできた野蛮人は白人であったことだけを強調しておきます。上にも示しましたが、ここに筆者のこだわりがあるらしいですよ? 彼女曰く、アメリカで作られたドラマの登場人物の多くが白人であったことは、とても許すことができないことだそうで。
2 影
偉大な魔法使いであるオジオンの弟子になったハイタカは、予想に反して魔法らしい魔法を教えてもらうことができなかった。魔法の基礎ともいえる神聖文字を学びながらも、退屈がハイタカの心を侵していく。そんなかで出会った少女は、彼の魔法に興味を持ち、なんとかハイタカに魔法を使わせようとする。彼女を見返そうとしたハイタカは、オジオンの持つ魔法書を盗み見、呪文を唱えるのだが、その結果現れたのは恐ろしい影の塊だった。オジオンの登場で救われたハイタカは、あの少女が魔女であること、そしてどうしても魔法を学びたいのならロークへ行くように告げられる。オジオンへの好意を自覚しながらも、ハイタカは自らの欲求に従いロークへ渡ることを決心する。
ハイタカが少しだけ成長する話。ロークまでの旅路ではオジオンの言いつけ通り魔法を使いませんでしたとな。そして、後々重要になる影の初登場…なのだが、オジオン様って大賢人より凄いんじゃないかと思えてしまうくらいあっさりと撃退。魅せます、オジオン師匠。
3 学院
大賢人に学院への入院を認められたハイタカは、育ちの良いヒスイと、親しみの持てるカラスノエンドウに出会う。心からの友情を捧げてくるカラスノエンドウに好意を覚える反面、彼を見下したような態度をとるヒスイには憎しみさえ覚えるハイタカ。ヒスイをいつか見返してやろうと心に決めた彼は、他の誰よりも熱心に学び、驚くべき速さで魔法を身に着けていくのであった。
オタクの初登場、ですが安心してください。『o・ta・ku』ではありません、『otak』です。この動物の登場が宮崎駿のゲド戦記好きを表していると思います。ナウシカにいましたよね。こんな動物。さて、この話ではハイタカの若さが暴走し始めます。恩師であるオジオンの言葉を聞き入れるくらいには成長した彼ですが、オジオンのいないところでは相も変わらず無鉄砲に行動します。ホント、能力は高いくせにやることは普通の人と同じです。このあたりの俗っぽさが、特別に憧れる人々の共感を得たりするのかもしれません。まさに、ファンタジーの王道です。
ちにみに、ゲド戦記を読んだ多くの人は、この一話があるためにジブリでは一巻目をアニメ化しなかったのだ、と考えていたようです。日本人は似たものを目にするとすぐにパクリだと騒ぐので、私もまさにその理由で三巻目辺りをアニメ化したのではないかと思います。・・・実際にはこちらが先なんですが。
4 影を放つ
勤勉に学び、ローク始まって以来の秀才と呼ばれるようになったハイタカ。めったにない祭りの日を楽しんでいた彼は、祭りの日にもかかわらず不機嫌そうな顔をしているヒスイと諍いを起こし、魔法勝負を持ちかけてしまう。ヒスイに負けまいと死霊を呼び出したハイタカだったが、その死霊は突如影の塊となって彼に襲いかかる。駆けつけた大賢人によって影は退けられたものの、力を使い果たした大賢人は死に、ハイタカも瀕死の重傷をおってしまう。その後、何とか一命をとりとめたハイタカであったが、自らが呼び出した影を恐れるあまり、魔法をまともに使うことができなくなってしまった。そんな彼を、カラスノエンドウは自らの真の名を教えることで励ます。それを受けて立ち直ったハイタカは再び魔法を真剣に学びはじめ、五年の月日を過ごした学院を卒業していくのだった。
ここでは、大人気のカラスノエンドウに敬意を表して、『真の名』について考えたいと思います。この『真の名』というものは昔から見られる考えです。例えば、西洋の悪魔を支配するためには『真の名』を知っている必要がありますし、日本でも昔は呼び名のほかに『忌み名』と呼ばれる親族以外には知らせない秘密の名前があったそうです。なんでも、言葉には力があり、『忌み名』を知られた人は相手に逆らえなくなるのだとか。また、魔から身を守るために、『辟邪名』というのもあったらしいです。この二つの細かい違いまでは調べていませんが、名前は大切なものだということは良くわかります。その名残として、今でも天皇陛下は名前で呼ばれないのですよ?
5 ペンダーの竜
学院を出たハイタカは、ある辺鄙な村に招かれていた。その村の近くには竜が住み、いつ人を襲いに来るかわからないため、村人たちが大賢人に魔法使いの派遣を要求したのだ。そして、しばらくの間竜を警戒しながら村で暮らしていたハイタカだったが、ある日村人から病気で死に掛かっている子供を助けてくれるように頼まれる。なんとか子供を助けようと黄泉の国まで降りていくハイタカだったが、なんと、その道中ではかつて彼が呼び出してしまった影の塊が待ち伏せていたのだった。学院では大賢人によって退けられた影が再び自らを狙い始めたことに気づいたハイタカは、影から身を守るすべを学ぶためにも村を出る必要を感じる。しかし、竜の脅威を放置して村をあとにするわけにはいかないため、ハイタカは自ら竜の住処に乗り込んで竜と決着をつけることを決意する。そして、村人の制止を押し切って村を出たハイタカは、見事竜を説得し、村の安全を勝ち取ることに成功するのだった。
ハイタカが『竜王』の二つ名を得る話であり、影が再登場する話です。そして、私が一番嫌いな話でもあります。なぜかというと、竜を倒すということがひどく簡単に描かれているからです。いや、竜が弱いという世界設定ならば問題はありません。ですが、竜を倒したものが『竜王』と呼ばれるほどに尊敬される存在ならば、せめて竜の名を調べるための準備とか、竜との駆け引きなどがあってもいいと思うのですが。まぁ、古い作品なので当時としては普通の展開だったのかもしれません。というわけで、時の流れを感じつつもさらっと流します。
6 囚われる
竜の危険を取り除くことに成功したハイタカは、影から身を守るすべを手に入れるため、まずはローク島に帰ることを決意する。だが、ローク島にかかっている古代の魔法によって島に変えることができなくなっていることを知った彼は、そのことから自分のすぐそばまで影が迫っていることを悟る。行く当ても無いまま不安に苛まれていたハイタカは、さして目的も無いまま故郷であるゴントを目指して海を渡るのだが、その旅の途中にハイタカを呼び止めた老人から影と戦うためにはテレノン宮殿に行くべきだという助言を受ける。そこには不吉なものがあることを感じながらも、他にあてのないハイタカはテレノン宮殿へ向けて海を渡る。そして、島についたあとはテレノン宮殿までの案内として船乗りに同行してもらったのだが、道のりの途中でその船乗りは影にのっとられてしまう。船乗りの体を奪った影に対抗するすべをまったく持たないハイタカは逃げようとするのだが、体力に限りのない影を振り切ることができない。ところが、影のほうもハイタカに追いつくことができないらしく、長い逃走の果てにハイタカはどこかの建物に辿り着き、そこで気を失うのだった。
鴉がいった言葉はオスキル語で「テレドン ウスバク オレク」でした。何の意味があったのかはまったくわかりません。
推理研と兼部している方によれば、助言を与えてくる老人を影の使いのように見せかけておいて、実は魔女の使いであった、という展開はミステリ的にはなかなか巧いとのことで。
7 ハヤブサは飛ぶ
目が覚めたハイタカは、自分が王侯貴族の着るようなチェニックを着て、寝台に眠らされていたことに気づく。彼が辿り着いた場所はテレドン宮殿であり、そこに住む美しい夫人セレットはハイタカを旧知の友人と呼び歓待するのだった。影から惨めに逃げたことを恥じるハイタカは、そんな彼女と話をすることで自らの惨めさを紛らわせた。そんなとき、セレットはテレドンに伝わる石がハイタカに影に打ち勝つ方法を教えてくれるだろうと告げるが、石を危険なものだと見た彼は石には触れなかった。そんなハイタカに対して執拗に石に触れることを勧めるセレットと話すうち、ハイタカは彼女が自分を罠にはめようとしていたことに気づく。そのとき石に支配された宮殿の主人が現れ、ハイタカと失敗したセレットを襲う。セレットは逃げることがかなわず襲われてしまったが、ハイタカはハヤブサとなって敵を蹴散らし、そのままオジオンのもとへ戻るのだった。オジオンにコレまでの経緯を話したハイタカは、これから何をすべきかをオジオンに問う。それに対して、オジオンはハイタカが自分から影に向き合うべきであると伝えるのであった。
この話のなかでは、影を呼び出すきっかけはセレットということになっています。これは、テレドン宮殿にハイタカを呼び寄せるためとも考えられますが、あのときの彼女はまだ幼く、石に支配されていたとは考えづらいです。では、なんのために彼女は影を呼び出させたのでしょうか。たぶん、魔女だから未来をある程度読むことができたのだ、などという理由があるのでしょうが少し納得がいきません。影と一緒で、なにやら納得のいかない方法でハイタカを惑わします。このへんがファンタジーたる所以ですかね。ほかに、影がハイタカをハヤブサになるように仕向けたのだ、という話もありましたが、これはおそらくオタクを殺してハイタカの目に付くように置いたことをいっているのでしょう。
8 狩り
影を追う覚悟を決めたハイタカは、陸地で影と戦うことを恐れて海の上で影と対決しようと考える。そのためにゴントの船乗りから一隻の船を譲り受け、海の上で影を呼び出す。呼び出しに応じて影は人の姿を得て現れたものの、覚悟を決めたハイタカが影に向かっていくと何故か逃げ出してしまう。突如逃げるものと追うものが入れ替わったこの追跡劇は、どんな理由によるものかハイタカも影に追いつくことができずに長時間続いた。そして、その挙句ハイタカの乗る船は暗礁に乗り上げて大破してしまう。運よく近くにあった島に辿り着くことができたハイタカは、異国の言葉を使う二人の老人が住む小屋に辿り着く。なんとか一命をとりとめたハイタカは、そこで数日の休養をとったあと老婆から不思議な腕輪の片割れを受け取り、再び影を追うために海に出る。そして再度出あった影に今度こそつかみかかったものの、その手には何も残らず影にまたしても逃げられてしまう。これまでの経緯からいずれ必ず影との決着がつくことを確信したハイタカは、休息をとるため近くの島に向かうのだった。
さて、つい先日まで『竜王』とまで呼ばれていたハイタカ容疑者でしたが、この短い間に何があったのか、犯罪に手を染めるに至りました。容疑は兄妹二人で暮らしている老人宅に押し入り、勝手に家財を使用した挙句、食物を強奪、さらには逃亡時に彼らの宝である腕輪の片割れを奪い取った、というものです。ハイタカ容疑者は犯行の動機として、「仕方ないだろ。影が追って来るんだよ! ほら今もすぐそこにいるじゃないか!」と述べており、警察ではなんらかの薬に手を出していたのではないかと睨んでいる模様です。・・・と、こんな感じで捕まりそうなことをやっています。現代においては明らかに犯罪でしかないのですが、そこはつっこんではいけないのでしょう。ところで、ゲド戦記の終わりが遂に近づいてきました。突如何故か逃げ出した影。このあたりから、影が実は何者であるのか、その答えに近づき始めます。まぁ、多少本を読み馴れた人の中にはこの辺で結末が予想できてしまう人もいるのでしょうが、そこは古い作品の宿命ですからル・グィンを責めてはいけません。
9 イフィッシュ島
休息をとった島で新しい船を手に入れたハイタカは別の島を訪れた。その島のまじない師から、一昨日ハイタカに似た影を持たない男がこの島を通ったことを告げられ、ハイタカは島民を不安がらせないように急いで影を追うことにする。次に辿り着いた島は、ハイタカの友人であるカラスノエンドウの住む島であった。久しぶりに会ったカラスノエンドウから、彼が三日前に影と出会っていたことを告げられる。ハイタカは急いで島を出なければならないとわかりながらも、友人との出会いに喜び、旧交を温める。そして、これまでの出来事をハイタカから聞いたカラスノエンドウは、自分もハイタカと共に影を追う旅に出ることを決意するのだった。
この話の主題は、カラスノエンドウの妹ノコギリソウとハイタカのやりとりの方なのだろう。魔法使いならば何でもできると考えていた昔のハイタカとオジオンのやりとりは、ノコギリソウと現在のハイタカのやりとりと同じものであり、ハイタカが若くして魔法使いの本質に辿り着いたのだ、ということを現しているのだと思う。それはいいとして、カラスノエンドウが良い人過ぎて現実味が薄いと感じるのだが、これは私が薄情なだけなのだろうか。
10 世界のはてへ
影の名前は『ゲド』でしたとさ。
総評
最初に一言だけ断っておきますが、10話の解説がほとんどないのは手抜きではなく仕様ですので。まぁ、この作品のすべては一言で済むわけです。自分探しのたびに出た青年は、自分という存在を確立し、一人前の男になりました、と。他人の感想などを呼んでいると、児童書とは思えないくらい深い、という言葉がありました。確かに、この内容を子供に読ませても楽しいとは感じないでしょうが、中高生くらいにはちょうどいいのではないでしょうか。また、『指輪物語』『ナルニア国物語』と並ぶ世界三大ファンタジーの一つらしいですが、これらの作品はただ古いからそう呼ばれているのではないかと邪推してしまいました。
さて、非難するだけでは芸がないので少しまともな考察を。こういった古い作品の特徴として、行間が大きいということがあります。一行一行の間に、作者がわざわざ描かなかった世界が広がっているのです。つまり、こういう古い作品は想像する楽しみが、そして創造する楽しみが大きいのだといえます。わたしが読んだ一番古い作品は『西遊記』や『封神演義』になるわけですが、このあたりの作品もえらく行間が大きかったような記憶があります。正直、記憶力はあまりよくないので自信はないのですが、たとえば戦闘シーンは『誰某と誰某は~十合打ちあっても決着がつかなかった』という程度のものだったはずです。この文章では、わたしは今更燃えることはできません。その過程はどのようなもので、なぜそのような結果になったのかを明確に描かれないと楽しめないのです。そもそも人の一生を本二、三冊分程度に収められるはずがないのですから、展開が慌しくなるのは当然のことなのでしょう。しかし逆に、本を読み始めたばかりの人間に物語の詳細な情報、意外な展開など要りません。物語の存在そのものが目新しく、精緻な世界描写などはおそらく鼻につくのではないでしょうか。そういった意味で、物語そのものが少なかった時代に描かれた作品である『ゲド戦記』はこれでよかったのだ、といえます。当時、もっと深い作品などを書いていたらまったく受け入れられなかったでしょう。子供の頃、本に出会った頃にだけ存在した『世界をそうぞうする楽しみ』。それを味わわせてくる作品として、『ゲド戦記』は類まれな傑作であり、子供たちに読ませるべき児童書である、といえるのでしょう。
ちなみに、臨床心理学者である河合隼雄氏は『ゲド戦記』を自らの著書に引用しています。『ナホバへの旅 たましいの風景』の中で、作中での『均衡と調和』がアメリカ先住民の知恵そのものだと述べているらしいですし、『深層意識への道』ではユングの言っている影がそのままわかる本として紹介しているらしいです。(わたしは両作品とも未読ですが。)ところで、この『均衡と調和』ですが、藤崎慎吾氏の『クリスタル・サイレンス』ではアメリカ先住民同様に縄文時代の日本にもあったものだと述べていたなぁ、となんとなく思い出しました。ま、昔はどこもそうだったんじゃないのかと思いますが。
ところで、登場人物の名前が植物などの実際に存在するものの名前が多かったために、日本語に訳すと違和感があるものもあります。これは真の名と、日常的な名前のあり方を区別するために訳者が故意にこうしたのだと思いますが、これが正しい判断だったかは微妙です。ル・グィンが作中の名前のつけ方に知識とこだわりを持っていた(作中の真の名は言語学的に有り得る付け方されているようです)ように感じられるので、このあたりはもったいないと思うのです。しかし、訳するときに多少違和感があるのは言語の違いが存在する以上仕方がないのでしょうが。
さて、えらくどうでもいい話なのですが、ゲド戦記を読んだ人の感想の中に『ドラゴンボール』『ピッコロ』などという発言がいくつか見られました。ですが、それはまた別の話。機会があったらお話しよう。
最後に、ゲドという名前が『God』と『Get』から名づけられたのだ、という話もあったんですが、どの程度信憑性があるのかはわかりません。
部会メモ
最終更新:2019年03月24日 14:55