東北大SF研 読書部会
「鋼鉄都市」アイザック・アシモフ


著者紹介


 1920年ソビエト連邦ペトロヴィッチ生まれ。3歳で家族とともにアメリカに移住し、アメリカ国籍を取得。1992年没。代表作は「ロボット」シリーズ、『鋼鉄都市』、「ファウンデーション」シリーズ、「黒後家蜘蛛の会」シリーズなど。
 SFやミステリを中心に、科学や神学、歴史を扱った著作でも知られ、ボストン大学の生化学の教授でもある、れっきとした科学者出身の作家である。(ただ、教授職は肩書だけであり、教授として正式に大学で仕事をしていたわけではない)
 ハインライン、クラークと並び、海外SF御三家として知られ、現在のSFというジャンルを築き上げた偉大な作家のひとり。特にロボット工学の発展に関しては、アジモフ抜きには語れないほど大きな影響を及ぼした。
 「アジモフ」と書いたが、本人はas is of のsをm、fをvに変えて発音してくれと言っていたので、一般的に知られる「アシモフ」よりは本来の発音に近い。


ロボット工学の三原則


第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、このかぎりではない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。

 アジモフはこれらの三原則に基づいたロボット小説を多数執筆した。本作においてもこの三原則(特に第一条)が大きな役割を果たしている。しかしその主眼は「完全にこの三原則が適用されたらどのような社会となるか」ではなく、「いかにしてロボットにこの三原則を組み入れるか」「三原則を組み入れた場合、どのような問題が起こり得るか」という点にあることに注意されたい(したがって「ダニールが靴屋で暴動を鎮圧するときにとった行動は、いかにして第一条を満たし得たか?」という問いは非常にアジモフ的である)。とにかく『われはロボット』を読もう。


作中で触れられた都市論とその周辺について


P36 今日のシティ!~

 本作の舞台が解説される。人口過密をうけ、シティとよばれる超巨大都市があちこちでつくられ、それぞれのシティが自給自足態勢を備えているらしい。また宇宙国家というものもあり、かなり贅沢な暮らしをしている。しかも人口過密の地球からの移民は認めないらしい。(後々移民は認めないのではなく、認めることができなかった、ということが明かされる)ここでは『シティこそ、自然の環境に対する人類の優越の極致を示すものなのだ』とベイリはまだ楽観的である。しかし『一人当りに配給されるカロリー量が基本量を割ってしまう日』が来ることも予想されている。


P54 それぞれ一個のロボットとしては~

 人々のロボットに対する反感が語られる。P10でヴィンス・バーレットがR・サミイに仕事を奪われたと語られたように、人々は自分の仕事がロボットに取って代わられることに恐怖を抱いている。これについては今日AIがどうたらこうたらやっているのと大して変わらない。やっぱり人間っていつの時代も変わらないものなんですね。


P97「わたしの聞いた範囲では~

 宇宙人からすれば、地球がロボットを受け入れることを望んでいる。ここで『人間とロボットの二つを、平等でしかも並列した基準で結合された文化』を表すC/Feが語られる。


P114 一般のシティには夜はない。~

 夜に睡眠をとるという習慣は、人類発生以来の古い伝統を持っているため、たやすく棄てられるものではない。いくら効率化を求めていても、人間の人間たる部分がネックとなって完全な効率化は測れない。アジモフの広い視点が垣間見える設定であると思う。


P179 いわゆる宇宙人の排他主義について~

 ここで宇宙人からの視点が語られる。宇宙人は地球のバクテリアやウイルスに耐え切れないために地球人と接触できなかった。さらにシティが極めて不安定なバランスにあることを指摘し、同時に住み心地の良さからシティを離れることができなくなっていることを批判する。過疎社会の宇宙国家でも類似の問題が起こっているらしく、安定しすぎているために宇宙開拓が進まないらしい(あとは宇宙国家には人的資源があまりないため)。そこで地球にC/Fe文化を根付かせ、宇宙を開拓してもらおうと思っている。前半のハイライトとも呼べる部分。


P261 ロボットが人間に似ていなければならない理由はなぜか?~

 それぞれの機械に電子頭脳を持たせるよりも、機械は普通のものにして、それを操作するものを機械化すれば安く済む、という考え。現実では人型ロボットを導入するよりも早くルンバなどが導入された。未来予測としては外れてしまったが、論理としてはかなり納得するものである。また、人型ロボットを無批判に導入するのではなく、導入する意味もしっかり考えているのもアジモフのすばらしいところである。


P280 ベイリは無限のエネルギーを持つ地球を想像した。~

 ノリスが非常に楽観的な論を展開する中で、ベイリはそれに反論する。単純にエネルギーが無限になれば都市は存続できるわけではなく、人口を分散させる方がはるかに現実的である。実際、そもそもの問題の源がシティの過密にあるわけであるし、過去に宇宙に植民した経験があるのだから、当然の帰結である。この辺りからベイリは明確に宇宙国家の考え方に共鳴していく。


P286 「もちろん、そんなつもりはなかったのさ。~

 『何の害もないロマンチスト』と懐古主義者の性質が語られる。P298で「自分の欠点をシティのせいにしたがる」というようなことを言われ、P302でも『演説は本当はつまらなかったの』と言われた懐古主義者であるが、P361に至り、『いわゆる懐古主義なるものは、開拓への渇望を内在しているのです』と述べられるのが後半の見ものである。


P328 「いいかえれば、現実には不可能な過去に帰れということか」~

 再びベイリの考えがはっきり語られる。しかしただ宇宙国家の考えをなぞるのではなく、『もっと新しく、もっとすぐれた世界』を目指している。さらにロボットへの嫌悪感をあらわにするクロウサーに対し『人間としての能力を持ったロボットを作ることはできない』と述べる。この説得も今日でも通用するものだろう。


P356 「われわれの計画が完了したからです。~

 今回の捜査活動に隠された本当の計画が告げられる。地球の経済変革を内からのものにするため、説得しうる地球人を見つけ出し、援助するつもりだったようだ。結果として、ベイリを説得できた上に、懐古主義者に内在する開拓への渇望を見出すことができ、いままで計画に失敗していた要因も特定することができた。懐古主義者に希望を見出すというのがまたよい終わり方だな、と思う。



感想


 想像以上にSFミステリであった。私としては、①解くべき謎が読者に明確な形で提示されていること、②証拠が全て作中で明確に示されていること、③その証拠について解釈の齟齬が生まれないこと、④事件の真相が物語の中で明確に語られていること、⑤事件の真相が論理的に導き出されること、⑥真相の解明において極度に専門的な知識を用いないこと、あたりのすべてを満たしていないと積極的にミステリとは認めたくないが、(つまりはド直球のパズラーでないとミステリと認めたくないが、)この作品ではどれも満たされているため、かなりミステリ的に心の狭い人間にもミステリであると認められるのではないだろうかと思う。
 また、本作で外せないのは「もう一つの主人公」ともいえる都市の描写であろう。SF的なガジェットをふんだんに持ち込みながらも、決して現実からは離れすぎない。実際に「立体テレビ」などはそのままテレビ電話として実用化しているし、「高速自動走路」も数は少なく、高速とはいえないものの、動く歩道として実用化されてはいる。(もっとも、作中では高速道路や駅のような役割を果たしているのに対し、現実では歩道の機能の拡張という点で若干性質が異なっているかもしれないが。)作中の都市論は今読んでも興味深く、とても1953年の作品とは思えないほどの出来である。いかにガジェットをふんだんに盛り込もうと、明確に「そのガジェットが導入される動機」「それによってどのような変化が起こるのか」「どのような問題が解消されるか、どのような問題が新たに発生するか」が捉えられていなければ良いSFとは言えないだろう。(そもそも単なる空想だけの話は、ファンタジーであってSFではない。現実に立脚し、そのうえで未来を見せるのがSFなのではないかと思う。)この作品では任意のガジェットにおいてそのすべてが明確化されており、いちいちが的を射ている。さすが2014年の万国博覧会を訪れたアイザック・アジモフという他はない。
最終更新:2019年10月20日 23:35