東北大SF研 読書部会
「地には平和を」 小松左京
著者紹介
小松左京
星新一・筒井康隆とともにSF御三家と呼ばれる日本SF界を代表する作家。戦後SF界の基礎を築いた一人。中学3年生の時に敗戦を迎えており、当時の体験が著作にも色濃く反映されている。1961年に早川書房主催の第一回空想科学小説コンテストに本作「地には平和を」(もとの題は「地には平和」)を応募したが努力賞入選のみで『SFマガジン』には掲載されず。翌年、『SFマガジン』に掲載された『易仙逃里記』にてデビュー。なお、本作はコンテストの募集を見て3日で書き上げたそう……恐ろしい。その後、著作の執筆とともに、日本SF作家クラブや日本SF大賞の創設に参加するなど、日本SF界の発展のために尽力した。
あらすじ
クーデターによって、1945年8月15日を過ぎても終戦を迎えなかった日本。本土防衛部隊の少年兵河野康夫は、米軍の本土上陸作戦への抗戦の中で隊とはぐれ、1人信州へ向かうため山中を彷徨っていた。食料を得るために米軍の集積地を夜襲するが、気づかれ重傷を負う。自決しようとしていたところ、「Tマン」と名乗る男が現れ、命を救われる。彼曰く「この歴史は間違っている」そうで、間もなくこの世界は消失するという。時間管理庁特捜局の働きでこの歴史は消失し、最後は「本当の歴史」上の河野康夫が、平和な一日を過ごしている場面で終わる。
元ネタ(?)
ルカによる福音書2章14節「いと高きところには栄光、神にあれ、 地には平和、御心に適う人にあれ。」
羊飼いに告げられた天使の言葉。
1945年8月14日から15日にかけて、日本の降伏を阻止しようと一部の陸軍将校と近衛師団参謀が中心となり宮城(皇居)を占拠したクーデター未遂事件。実際には阿南陸相はこれに同意しなかったが、本人が継戦派だったのか終戦派だったのかはよく分からない。
現実にも連合軍によるダウンフォール作戦(日本本土上陸作戦)が計画されていた。九州上陸作戦であるオリンピック作戦と関東上陸作戦(九十九里浜などから)であるコロネット作戦からなる。
後に5・15事件にも関与することとなる海軍中尉三上卓作の歌「青年日本の歌」軍国主義的な歌詞であり、財閥、議会政治の排除をうたっている。
どれも実在した兵器。桜花、回天は特攻兵器。橘花はジェット機。秋水はロケット機。震電は前翼型で、エンジン、プロペラが機体後部にある戦闘機。どれも終戦間際に投入、試作されたものである。
所感
非常に恐ろしく生々しい戦中描写で、戦争を全く経験しておらず、冷戦や中東戦争、湾岸戦争といったメディアを通しての戦争体験も直に経験してこなかった私(そして私と同年代の読者)にも痛烈にその悲惨さを伝えている。並行世界というSF的設定のもと描かれているのはポツダム宣言を受諾せず、本土決戦までもつれ込んだ日本である。このif歴史の何が怖いかというと、割とあり得た世界線の話であるという点だ。実際にクーデター未遂は起こっていたし、日本が無条件降伏を受け入れなかった場合、連合軍もソ連も日本本土に上陸する気でいた。戦争物を読んだり見たりすると毎回「戦争には行きたくねえ」という杓子定規な感想を抱くのだが、本作ではこういった設定がよりその思いを強くさせる。
また、われわれの価値観というものが、いかにその歴史というか、歴史の積み重ねである時代に束縛されているかといったことも考えさせられる。康夫がTマンに「本当の歴史」の光景を見せられ、自らの信条の揺らぎに苦悩するくだりは名場面である。
作中でキタ博士は「20世紀が後代の歴史に及ぼした影響は、その中途半端さだった。世界史的規模における日和見主義だった。だからはっきりいって、第二次大戦の犠牲は無駄になったのだ。」と言うが、本作のような作品が執筆された以上、無意味であったとは言えないだろう。
最終更新:2019年12月03日 01:31