河童 どうか Kappa と発音して下さい。
本作がSFとして紹介されることはほとんどない。しかし本作を読むと、どこかSFのようだなと感じる。ここでは、芥川龍之介の河童を未知との接触ものSFとして読んでみたい。
著者紹介
芥川龍之介。日本の大正期を代表する文豪。人間心理や幻想性を扱った作品を多く残した。1892年、東京生まれ。1925年(大正14年)頃から体調がすぐれず、「ぼんやりした不安」を抱えるなか、睡眠薬を用いて自殺。本作は1927年に総合雑誌「改造」にて発表された。その他の著作として「羅生門」「蜘蛛の糸」「藪の中」「歯車」など有名な作品が多数存在する。
あらすじ
とある精神病院の患者、第二十三号から聞いた話として物語が始まる。三年前の夏、二十三号は登山の途中で河童を見つけ、追いかけるうちに河童の国に迷い込む。河童とともに生活するうち、河童独特の社会を知るとともに、二十三号はその生活に馴染んでいく。
簡単なまとめ
序:主人公紹介
一:河童との遭遇
二:河童の世界
三:河童の生態
四:河童の常識
五:超河童の詩人トック
六:河童の恋愛
七:河童と音楽
八:河童の技術力
九:大資本家ゲエル
十:河童の憂鬱
十一:マッグ「阿呆の言葉」より引用
十二:河童の刑法
十三:トックの死
十四:河童の宗教
十五:河童の幽霊
十六:年より河童の家
十七:精神病院
登場人物
人間
〇第二十三号
本作の主人公。早発性痴呆症患者としてS精神病院で生活している。登山の最中に偶然河童を見かけ、追いかけるうちに河童の国へ迷い込んだと語る。迷い込んだ一週間後に「特別保護住民」の立場が与えられた。物質主義者。無神論者。
〇S博士
東京市外××村にあるS精神病院の院長。
〇僕
二十三号から河童の国の話を聞く。
河童
〇チャック
医者。鼻眼鏡をかけている。倒れていた二十三号を自宅に運び介抱した。二十三号が「特別保護住民」に指定されたあと、その隣人となる。物質主義者。
〇バッグ
漁師。二十三号が登山中に見かけた河童。
〇ゲエル
硝子会社の社長。資本家。成金趣味。腹が大きい。毎日医者に診てもらっている。紹介状を二十三号に与え工場見学をさせた。自身の属する倶楽部に二十三号を招くことも度々あった。政治、社会的影響力を持つ。七年前の戦争時には、石炭殻を食料として戦地に送った。社会主義者に「貴様は盗人だ」と言われたために心臓麻痺を起こしたことがある。
〇ゲエル夫人
ゲエルに対して強い影響力を持つ。
〇ラップ
学生。二十三号の親友。雌河童につかまり、くちばしを腐らせる。
〇トック
詩人。自由恋愛家で細君をもたない。超人(超河童)を自称する。無神論者。無政府主義者ではない。髪を長くしている。タバコ好き。孤独。胃病持ちで憂鬱になりやすい。河童の一般生活を批判し、家族制度を非難する。物語終盤、ピストルを使い自殺する。自殺後、同棲していた女友だちは書肆ラックのもとへ、子供は国立孤児院へいく。
トックの芸術観
- 芸術は一切の支配を受けず自由であり、芸術家は善悪を超越した超人でなければならない。
- 「我等河童は如何なる芸術にも河童を求むること痛切なればなり」(十五)
〇マッグ
哲学者。容姿は醜いらしい。家に引きこもっていることが多い。客好き。著作や言葉が河童たちに大きな影響を与えている。
〇クラバック
名高い作曲家。超人倶楽部の会員。神経衰弱。十年前に雌の河童から逃げ切ることに成功し、恨みを買っている。骨董を買い集め、贅沢に暮らしている。トックの死から新たな葬送曲の着想を得る。
〇ペップ
裁判官。二十三号の帰国後、職を失い発狂。現在は河童の国の精神病院にいる。
〇ロッペ
クオラックス党を支配している名高い政治家。
〇クイクイ
Pou-Fou新聞の社長。ロッペに対して強い影響力を持つ。
〇ロック
クラバックと並び評される音楽家。超人俱楽部の会員ではない。クラバックからは才能を認められており、強い嫉妬を抱かれている。
〇グルッグ
郵便配達員→元郵便配達員。子供の玩具にと二十三号の万年筆を盗む。盗みを働いた一か月後、二十三号に発見され巡査に取り調べを受けるが、一週間前に子供が死に、二、三日前に職を失っていたため無罪となる。
〇大寺院の長老
生活教の大寺院にて二十三号がラップとともに出会った河童。生活教の信徒ではあるが、信じてはいない。妻が強い。
〇ペック
心霊学会会長。
〇ホップ夫人
口寄せを行う。元女優。トックの魂を憑依させ、心霊学会員と対話する。
〇ラック
書肆。義眼。トックの死後、トックと同棲していた女友だちを妻にする。
〇街はずれの年取り河童
読書や音楽を楽しみながら、街はずれで静かに暮らしている。老人の姿で生まれ、年を経るにつれて若くなる体質。現在およそ96歳で、十二、三さいの見た目。家には河童の国唯一の出入り口がある。
河童の生態
〇身体的特徴
水陸両棲で手足には水かきがついており、人間世界では水道の鉄管を通り移動することができる。耳を持たず、太いくちばしをもつ。頭には短い毛が生えている。頭の真ん中には楕円形の皿があり、年を経るにつれ硬くなる。なめらかな皮膚は特定の色を持たず、周囲の色に自然と溶け込む。皮膚の下には厚い脂肪を持つようで、衣服を着ない(地下世界であるため気温は比較的低く、平均華氏50度(10℃)前後)。恥部を隠す文化を持たない。カンガルーの様に腹に袋をもつ。身長は1メートル前後(人間の子供程度)であり、体重は20~30ポンド(約9.1~13.6kg)、まれに50ポンド(約22.7kg)程度のものもいる。人間よりも神経質であり、罵りが致命的な攻撃となる。
〇文化・文明
独自の言葉を持つ。日本の文明とあまり大差はなく、車や煙草が存在する。人間を捕獲する(河童の国に人間が迷い込み住みつく)ことが多く、人間について詳しい。人間界の有名な作品や偉人についても知られている。家具や家は河童の身長に合わせて設計されており、人間には小さい。蛙という言葉が人非人という意味の罵りとなる。蛙と呼ばれた河童は死んでしまう。人間からすると自殺のようにみえるが、河童からすると自殺ではないらしい。自殺はわがままで自分勝手な行動とされる。河童は清潔らしく、人間の皮膚の匂いはひどいらしい。幽霊や霊魂については、信じるものと信じない者がいる。
〇食文化
解雇された職工の肉を食べる。解雇された河童の数によって相場が変わる。腹が減っていれば、石炭殻などなんでも食べる。
〇衣服など
衣服を着用せず、恥部を隠す文化はない。七年前の戦争で河童の国が勝利したことにより、毛皮のほとんどはカワウソのものが使用されている。
〇死
死後の生命については信じている者と信じていない者がいる。チャックや二十三号は死後の生命を信じていない。
トックの魂を憑依させたホップ夫人によると、心霊の生活は生前と変わらない。死後においての自殺は自活と呼ばれる。死後の生活は生前と変わらないとされる。
〇宗教
キリスト教、仏教、イスラム教、ゾロアスター教なども行われているが、近代教(生活教)が一番の勢力を持つ。
「生命の樹」を神とする。聖書や大寺院がある。近代教の大寺院はニコライ堂の十倍ある。国第一の大建築であり、あらゆる建築様式を一つに組み上げている。信徒は大寺院正面の祭壇にある「生命の樹」に礼拝する。「生命の樹」には「善の果」と呼ばれる金の果と「悪の果」と呼ばれる緑の果がなっている。大寺院には七人以上の聖徒をかたどる半身像がある(ストリントベリイ、ニーチェ、トルストイ、国木田独歩、ワグネル、ストリントベリイの友人画家)。信仰と境遇と偶然が運命を定めるとされる。
近代教の創世神話
神は一日のうちにこの世界を造り、雌の河童を作った。雌は退屈のあまり雄を求めた。神は雌河童の脳髄から雄の河童を作られた。神は二匹に「食へよ、交合せよ、旺盛に生きよ」と祝福を与えた。
〇芸術
画や文芸、音楽などがある。
日本と同様な形の音楽会が定期的に開かれる。批評家もいる。耳を持たない河童には演奏される音楽が風俗を乱すものかどうかが分からないため、検閲を受ける。
〇恋愛
雌の河童とその家族が雄の河童を追いかける。雌の河童は硫黄粉末を顔に塗り、雄の河童に抱き着いて、床に伏せさせる。雌に抱き着かれた雄の河童は、くちばしを腐らせ落としてしまう。雌の河童が雄の河童に自身を追いかけさせるように仕向けることもある。心変わりした雌河童が周囲を煽り、結果的に雄河童が殺されることもある。妻子持ちであっても関係なく、雌の河童は追いかける。
〇出産
医者や産婆の助けを借り出産する。出産時、父親は母親の生殖器に口をつけ、これから生まれる子どもに対し、生まれ落ちることを望むかどうかを尋ねる。尋ねたあとは消毒用水薬で口をうがいする。子どもが望まなかった場合、液体を母親の生殖器に注射し、おろす。悪遺伝を撲滅するために、不健全な河童との結婚が求められている。
〇成長
子供の成長は人間の非にならないほど速く、生まれてすぐ歩くようになる。才子短命は人間と同じか。
〇家族
両親を含む家族を頸の周りへぶら下げ外を歩く。親だった河童と親である河童は区別される。
〇河童の国
国立孤児院や生命保険、警察、政府などが存在する。河童の国では、迷い込んだ人間に「特別保護住民」という特権が与えられる。星が見えるらしい。七年前にカワウソの国との戦争があった。
〇政治
Quorax党内閣が天下をとっている。
〇法律
河童の国に迷い込んだ人間に与えられる特権。生活を保障され、働かずに暮らすことができる。
解雇された河童を殺して食肉とする法律。解雇された職工の数によって河童肉の値段も変動する。餓死や自殺を未然に防ぐ策として機能している。殺す際には有毒ガスを用いる。
「如何なる犯罪を行ひたりと雖も、概犯罪を行はしめたる事情の消失したる後は該犯罪者を処罰することを得ず」
死刑はある。
犯罪の名を言って聞かせることで殺す。まれに電気を用いることもある。
〇組織
超人を自称する河童が集まる倶楽部。互いに奇術のようなものを披露し、自身が超人であることを示し合う。
家具を含む部屋全体は白を基調に細い金の縁をとったセセッション風になっており、純金の匙があるなど成金趣味的な倶楽部。
ペックを会長とし、心霊現象などに関わる。調査会を行い、結果を記事にしている。ホップ夫人と親しい。
河童の国で天下を取っていた政党内閣。河童全体の利益を標榜する。
巡査は手帳と水松の棒を持ちパトロールしている。
〇労働
優れた機械技術により、職工の解雇例は四五万匹をくだらない。解雇された河童は殺され、肉となり他の河童に食べられる。
〇新聞
Rou-Fou新聞というのがある。Rou-Fou新聞の記者たちは労働者の味方。
〇技術
水力電気を動力にした大きな機械を持つ工場がある。書籍製造工場では一年間に七百万部の本を製造することができる。機械の漏斗形の口へ紙、インク、灰色粉末(驢馬の脳髄を乾燥させ粉末にしてもの。時価、一トン二十三銭)を入れるだけで五分経たないうちに菊版、四六版、菊半截版などの無数の本になって出て来る。同様なことが、絵画製造会社、音楽製造会社にも起きている。平均一か月に七八百種の機械が考案され、人手を必要とせずに大量生産が行われる。
〇隣国
カワウソの国:河童が常に仮想敵にしている相手。河童に負けない軍備を持つ。
〇戦争
勲章をもつ雌カワウソが、七年前にとある河童夫婦を訪問した際、夫を殺そうと雌河童が用意していた毒を誤ってカワウソが摂取し、死んでしまう。雌カワウソの死から戦争に発展した。369500匹の河童を犠牲にしながらも河童の国の勝利に終わる。
〇二十三号の精神病院
S博士により二十三号が受けた診断。チャックによると、二十三号意外の人間が早発性痴呆症であるという。
二十三号が僕に一部を読み聞かせた全集。僕には古い電話帳にみえた。
クラバックが二十三号に土産として持ってきたらしい花束。僕には視認できなかった。
河童の言葉
二:Quax, Bag, quo quel quan? 「おい、バッグ、どうしたんだ」
五:Qua 然り
七:音楽分野に関してはドイツ語が使用されている
七:quack 間投詞
九:Quorax 間投詞。政党の名前に使用されている
九:Pou-Fou 間投詞。新聞の名前に使用されている
十三:qur-r-r-r-r 泣き声
十四:Quemoocha 近代教のこと。chaは英語のism、quemooの原形quemalは「飯を食ったり、酒を飲んだり、交合を行ったり」を意味する。
十七:Qua いる
マッグの言葉
- 汝の悪は汝自ら言へ。悪はおのづから消滅すべし。
- 河童の生活を全うする為には、(中略)河童以外の何ものかの力を信ずることですね
所感
初めて本作を読んだのは高校二年生の時で、古い日本語の為に読みづらさを感じた。しかし十七にて語られる、二十三号と周囲の人間のどちらが早発性痴呆症であるのかという問題は、強く印象に残った。本作が好きな理由の一つである。また、本作をどこかSF的な作品だなと感じたことを覚えている。このことを受けて、本作にSFらしさを与えている「異種文明としての河童との接触とその生態」に焦点を当て、今回は河童の生態について整理した。芥川分析は専門家に任せておく。今回のレジュメ作成に当たり再読してみると、芥川の自殺との関連性、哲学者マッグの言葉や超人トックの存在、生活教を含む河童の生態など、興味深い点が多いと感じた。芥川がニーチェの超人思想にどのような意見を持っていたのかなども興味深い。特にマッグの悪に関する言葉は、アニメ「灰羽連盟」の「罪を知るものに罪はない。では汝に問う。汝は罪人なりや?」という言葉を連想させた。マッグの言葉以外にも、ラップの「いえ、余り憂鬱ですから、逆まに世の中を眺めて見たのです。けれどもやはり同じことですね。」など、気に入っている言葉は多い。個人的には読みづらいながらも、気に入っている作品だ。
この作品にSFらしさを与えているのは、未知の存在としての河童と、その生態を通して描かれる風刺にある。その技巧はスウィフト「ガリヴァー旅行記」に近い。しかし、地下世界のはずなのに河童の国からは星が見えるなど、河童の生態は論理性や一貫性に欠く。河童の国は必ずしも厳密な世界構築を目的としていない。そのため本作はSFっぽいが、SFではない作品に終始している。日本でSFというジャンルが広く認知される前から、このような作品が芥川の手によって書かれていたというのは面白い。
おまけ.txt(omake.txt) のようなもの
今回のレジュメは芥川の描いた河童の生態に着目するものであり、元ネタや関連作品にまでは触れない。あくまでおまけとしてここで触れておく。
長野県松本市の梓川にかかる木製のつり橋。かつて河童淵と呼ばれていた場所。橋の名前の由来には諸説あり、河童が住みそうな場所だったからという説や、橋のなかった時代に衣類を頭に乗せて川を渡る人々が河童のようだったからという説がある。
江戸時代後期の儒学者、古賀侗庵によって1820年に著された。日本初の本格的な河童の研究書・資料集。水虎とは河童のこと。本作において河童の生態について述べられるとき、度々指摘される。
柳田国男による著作。河童についても書かれている。芥川によると、本作における河童の考証は「山島民譚集」に負うところが大きいという。
九「何しろ河童の強敵に獺のゐるなどと云ふことは「水虎考略」の著者は勿論、「山島民譚集」の著者柳田国男さんさへ知らずにゐたらしい新事実ですから。」
ゲーテによる長編小説「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」に登場する挿入歌。本作では、第三連の翻案が書かれている。
十三「これはゲエテの『ミニヨンの歌』の剽窃ですよ。するとトツク君の自殺したのは詩人としても疲れてゐたのですね。」
1910年に発表された柳田国男「遠野物語」では、五五-五九において遠野に伝わる河童の伝承がまとめられている。伝承における河童は独自の文明を持たない。読んだ感想としては、河童伝承は奇形児や川周辺で遊ぶ子ども、動物の痕跡などを背景として生まれたのではないかと思わせる内容であった。
この作品では、ホップ夫人がトックの魂を自身に憑依させて死後について話す。同著者による「藪の中」では口寄せによって、殺された被害者の証言が述べられる。芥川作品において、口寄せが単なる詐術や迷信として描かれているとは限らない。ちなみに「藪の中」に影響を与えたともいわれる作品として、アンブローズ・ビアス「月明かりの道」という作品がある。こちらは、「藪の中」とは違い、より幻想的な作品であるが、読者には真相が明かされる。アメリカの歴史、文学史について興味があるならビアスの作品はおすすめしたい。
本作十七にて、誰が早発性痴呆症を患っているのかが曖昧になる。似たような話として、フレドリック・ブラウン「さあ、気違いになりなさい」がある。こちらは、狂気と正常の区別が反転する話だ。その他、SF作品ではハーラン・エリスンの短編にも狂気を扱ったものは多い。
本作では、トックを憑依させたホップ夫人の死後に関する言及にて、死後の生活と生前の生活に大きな違いはないとされる。こうした死生観について、アイヌや古代的な死生観一般に似たようなものがみられる。そうした死後観では、生前と死後、それぞれの世界は連続的であり、生活に大差はないとされる。
せっかくなので東方Projectについても触れておきたい。「東方風神録」三面のボスとして登場する河童のキャラクター、河城にとりの名前は本作の二「河童(改行)にとり囲まれた」に由来すると言われている。また、河城にとりのテーマ曲タイトルは「芥川龍之介の河童」である。
ゲームBGM「芥川龍之介の河童」の魂音泉による東方アレンジ「幻想河童行進曲」は、河城にとり と本作の諸要素をふんだんに盛り込んでいるため、東方Projectについて知らずとも、本作を読んでいればかなり楽しめる曲である。ぜひ、おすすめしたい。
東京都北区にて、2027年頃の開館を予定し、「(仮称)芥川龍之介記念館」の整備が進められている。芥川作品に興味を持った人は、開館後に訪れてみるのもよいだろう。
最終更新:2026年06月09日 13:46