東北大学SF研読書会
『海を失った男』 Theodore Sturgeon
1 著者
1918年ニューヨーク生まれ。アメリカ合衆国のSF作家。1930年代~1950年代を中心に多くの短編を発表。作中にもさまざまな職業の具体的な描写があるが、本人も多様な職種を経験した模様。代表作(短編)として『孤独の円盤』『考え方』など。長編では『人間以上』『夢見る宝石』がある。 1970年には短編『時間のかかる彫刻』でヒューゴー・ネビュラ両賞をダブル受賞。1985年没。 存命中は業績に見合った評価を必ずしも受けておらず、むしろ死後に再評価が進んだ作家である。 また、日本では近年まで短編集等は入手困難であったが、2003年、日本独自編集である短編集『不思議のひと触れ』と本作『海を失った男』が出版され、スタージョンブームが徐々に広がりつつあるという。
2 各話あらすじ
ミュージック “The Music”
わずか2ページの超短編。 精神病院を抜け出した男の妄想と現実の話。 猫と男の視点・感覚が不可解に混じりあう。
・怪しい雰囲気をかもし出す表現が効果的に使われる。作品の短さゆえに流れ込んでくる状況が咀嚼しきれず、不気味な余韻が残った。短編の名手の面目躍如な作品であるといえるだろう。
ビアンカの手 “Bianca’s Hands”
これまた異常者の話。 青年ランは、ある日勤める店にやってきた白痴の少女ビアンカの美しい“手”に魅せられる。 すっかりその手に取り付かれたランは少女の家をつきとめ、住み込んでしまう。 ランの脳内では“手”は擬人化され、常に高貴に振る舞い、その姿すら満足に見せてはくれない。 もはや手フェチなどというレベルではないのである。 程なくしてランはビアンカの母親にビアンカ(の手)との結婚を承諾させる。 結婚初夜、ランはついに想いを遂げたのだが・・・
- 意思を持ったように振舞う“手”。ランの妄想の産物か、現実か。線引き不能。
- 結局ランを殺したのは誰?
成熟 “Maturity”
青年ロビン・イングリッシュはホルモンの分泌異常(胸腺機能亢進症)のため、精神的成長が進まず、幼稚なままであった。 しかし同時に彼は、多くの才能をもつある種の天才であった。 ロビンの医師、マーガレッタ・ウェンツェル(ペグ)は彼をメレット・ウォーフィールド(メル)医師のもとへ連れて行き、ロビンを正常な状態にするためホルモン治療を施す。 治療の効果によりロビンは以前の幼稚さを感じることのない青年へと変貌する。また才能もあらゆる方面に発揮され、一躍時の人となった。
ロビンと再会したペグは、ロビンが、人の「成熟」に固執し、それに達観していることを知る。 富と才能、あらゆるものを手に入れたロビンは“成熟”したかに思えたが、ペグに成熟の定義を遺して自殺してしまう。
・末端肥大症 脳の下垂体前葉の成長ホルモン分泌腺細胞がその機能を保ったまま腫瘍化し(=機能性腺腫)、成長ホルモンが過剰に産生され、手足や内臓、顔の一部分が肥大する病気。 ジャイアント馬場などの患者で知られる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
シジジイじゃない “It Wasn’t Syzygy”
いきなり「読むな」との警告。 レオはバーで運命の女性グロリアに出会う。レオは初対面のグロリアの名前だけでなく、好き嫌いも把握していて、音楽の趣味も一致するというまさにグロリアは運命の人であった。 順調に見えた二人だったが、レオ身に奇妙な現象が起き始める。 シジジイ、単為生殖等、意味不明なことを喋る首男がたびたび訪れたり、原因不明の物音が聞こえたり。結局グロリアとはうまくいかなくなり、彼女にアーサーという男がいることも判明する。そしてレオは首男から、自分がグロリアの“夢”であることを告げられた。
・作中の単語“Syzygy”は一応辞書に載っている
[名]《天》朔望(さくぼう):3つの天体(地球・惑星・太陽)が一直線に並ぶこと.
(プログレッシブ英和中辞典より)
また、詩の用語でもあるそう。ではなぜこの単語をあてたのか?
三の法則 “Rule of Three”
三つで一組のエネルギー生命体三組は、汚染除去の使命を帯びて地球に赴く。しかし彼らは地球人が想像以上に汚染されていることに驚愕する。そこで三組は、九の単体に分裂し、それぞれが地球人に侵入し、その精神構成を分析し対処することを決断した。 だが生命体は、地球人が自分達とは異なり、常に二人で一組であろうとすることを知り、このままでは再結合が難しいことに気づく。生命体たちは地球人をコントロールし、再び融合するために奔走する。
そして私のおそれはつのる “…And My Fear Is Great...”
少年ドンは超能力をもつ老女フィービーに出会う。彼女に出会ってからドンは様々な物事に異様なまでに執着を抱くようになる。そのことをフィービーに話すと、彼女は「力」を習得するようすすめた。同時に彼はジョイスという女性と出会い、親密な関係を築いていく。 フィービーはそのことを知ると不機嫌になったが、ある事件によりそれは決定的なものとなり、フィービーともジョイスとも疎遠になる。その後、フィービーと再開したドンは確固たる自信とともにフィービーをやり込めたのであった。
- 不良少年ドンが内面的成長を遂げていくさまは圧巻。
- 話のオチとタイトルの整合性が不明。
墓読み “The Graveyard Reader”
妻の墓前に立ち尽くす男の前に墓からその人のすべてを読み取れるという「墓読み」が現れる。男は墓読みから一年がかりで墓の読み方を習う。 その過程で男は“真実”と“すべての真実”の違いを知り、妻の死の“すべての真実”を探る能力を手に入れた。
しかし、結局男が妻の墓を「読む」ことは無かった。そして男はようやく妻の墓に刻む言葉を得たのだった。
・ここにきて珍しく(比較的)ノーマルな話。
海を失った男 “The Man Who Lost the Sea”
頭と腕以外砂に埋まった男が、ひたすら「海」を思い続ける話。 最後に、「男の乗っていた宇宙船が事故によって火星に墜ち、ただ死を待つ」といった状況が明かされる。
- ガジェット的SF要素もそこそこに、男の内なる世界がただひたすら延々と展開される。1959年発表の本作。いわゆるニュー・ウェーブSFがすでにアメリカ人の手によって書かれていたことになる。
- 編者あとがきによれば、編者の若島氏お気に入りのスタージョン作品は、この“海を失った男”と“ビアンカの手”だそうである。この短編集はこの2作品を世に出すために編まれたものといっても過言ではないかもしれない。
3 感想 のようなもの
切れ味や雰囲気の違う作品がちりばめられ、スタージョンワールドを効率よく味わえた感があった。 作品のチョイスだけでなく、訳についても洗練されたものであった(訳出は本当に苦労しただろう)。 いくつかの作品に共通した主人公の内面的成長の描写も見事だった。個別の作品については、『ビアンカの手』がダントツの存在感を放っていた。 始めから終わりまで徹底的に狂気で覆われた雰囲気の中で進められる男の倒錯劇。 自分はスタージョンについては全くの素人であるが、『ビアンカの手』に彼の真骨頂を見た気がした。 とはいえ、多くの作品について、「よく意味が分からない」というのが正直な感想である。巻末からの引用だが、若島氏は「わたしは『ビアンカの手』『墓読み』『海を失った男』の三作品を、大学の授業でテキストとして何度か使った経験がある。『海を失った男』を教えたときのことだ。授業が終わってから、ある学生がわざわざ教壇のところまでやってきてこう言った。『先生、この短編、さっぱり何が書いてあるかわかりませんけど、でも凄い!』 もうその学生の名前は忘れてしまったが、彼のような人間こそ理想的なスタージョンの読者ではないかと思う。」(引用終)と言っている。 この三作品を大学の講義で使うというのはかなりアレだが、確かに「よくわからないけどおもしろいっ!」でひとまずいいのでは。(深読みしてる方、ごめんなさい)
最終更新:2009年03月25日 22:46