【奥やんばる路線バスの旅】
第5話)名護さくらガイド

《沖縄旅行記|やんばる|国頭村|大宜味村|辺土名|安田|名護|》

奥やんばるで二泊過ごした後、やんばるの入り口名護市に戻り、今日は一日名護の見どころを巡る。

名護観光協会の公式サイトで市民によるガイドツアーを見つけていた。名護さくらガイドと銘打ったこのウォーキングツアーは、いくつかのコースをボランティア市民がガイドしてくれるもので、一人当たり1500円と格安なのもうれしい。

やんばる旅行記|名護さくらガイド
名護さくらガイドの公式サイト

だがこれにもネックがあった。最小敢行人数が二人からということで、ひとり旅のおいらとしては辛いところ。だが諦めてはいけない。観光協会に電話し「割増料金を払うから一人でも開催できないか」と交渉してみると、「原則受け付けていないがガイドさんに聞いてみる」とのこと。そして後日OKの返事が来た。しかも料金は一人分で構わないという。またしても現地の人々のご好意に甘えてしまうことになったが、有難い話だ。

というわけで午前中約2時間ほどのウォーキングコースを予約した。

当日担当ガイドのHさんと待ち合わせのため、集合場所の駐車場に向かう。だがガイドらしい人物が見当たらない!! どうしたんだろうと思ってみると「あなたがツアーの参加者さんですか? いやぁ、てっきり車で来るもんだと思って、車の流ればっかり見ていましたよ」

車社会の沖縄で、観光客が公共交通機関でやってくるということは全く想定にない出来事のようであった。

 「それでは行きましょう」

地元ガイドならではのツアーは、何気ない光景の中にいろんな歴史な刻まれていることが実感できる。

やんばる旅行記|ひんぷんガジュマル
ひんぷんガジュマル

 「このガジュマルの樹には12人のキジムナー(精霊)が住んでいるんです」

何も知らないとただの大きな樹にしか見えないが、この樹木とその周辺にまつわる歴史や人々の思いが様々に詰まっていること深く理解することができる。

やんばる旅行記|コンクリートの屋根瓦
コンクリートの屋根瓦

 「コンクリートの屋根瓦はここ名護が発祥で、そこから沖縄全土に広まったのです」

昔は30軒ほどのコンクリート瓦製造所があったのが、今は職人一人しかいないこと、製造所の頭文字が記された瓦は、その部分だけは製造所の宣伝なので無料であることなど、コンクリート瓦にもいろんな意味が詰まっていることを知るのであった。

ツアーの終点は名護の公設市場。その市場の片隅に名護の街の歴史を刻んだ写真コーナーがあった。

やんばる旅行記|名護公設市場
名護公設市場

「これは1964年の東京オリンピツクの前の聖火リレーの写真です。この聖火を見るために名護だけでなくやんばるの山奥からも大勢の人が見物に訪れました」

白黒パネル写真には、溢れんばかりの人々が公設市場前の十字路に溢れていた。

「当時沖縄はアメリカの統治下でしたので自由に本土に行くことはできませんでした。聖火=オリンピツクだったのですね」

1964年の東京オリンピツクは沖縄にとってリモートなものであった。2021年のオリンピツクがリアルなものになることを願ってやまない。

(続く)


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最終更新:2021年01月18日 22:10