Next Stage.『      』

◆Ok1sMSayUQ
























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                                『      』





















 走らせていた筆を止め、東風谷早苗は窓枠から覗く満月を眺めた。
 夏が過ぎ、そろそろ秋めいた季節感が実体を持ち始める時期になってきた。
 季節が過ぎるのも早い。特にこの仕事を始めてからはそれが顕著に感じられる。
 今日はここまでにしよう。いい月が出ているのだから、十五夜の月見酒というのも悪くはない。
 ゆっくりと、着物の裾を踏まないようにして立ち上がる。里に住むようになり、この仕事を請け負うようになってから着始めたものだった。
 よくもまあこんな重たい服を着ようと思ったものだ、と早苗はしみじみと思う。吸血鬼と化し、力を得た今でもそう思う。
 まあ、着物はともかくとして、今の仕事――稗田阿求代理として幻想郷の歴史編纂をする仕事だ――は、日中こもりきりの我が身にはうってつけだ。
 正確には、十代目の阿礼乙女が幻想郷に現れるまでの間であるが。噂では、転生のための準備に入っているらしい、と文からは聞いている。
 それでも百年近くは代理で編纂を行わなければならないが、そのくらいの寿命は軽く残されてはいるだろう。幼い吸血鬼は五百年近く生きているらしいのだから。
 いや、寿命の話を差し置いても今書き綴っているものを書き終わるまではこの仕事を終えたくはない。
 編纂している歴史。あの場所で起こった、殺し合いの末、現在を進んでゆくことを選択した愚か者の歴史。
 様々なものが失われた。結界の管理者。博麗の巫女。亡霊の管理者。地獄の閻魔。地霊殿の主。
 帰り着いた当初は明日にでも幻想郷に一大異変でも起こるのではないかと危ぶんだものだったが、奇跡でも起こっているのか単なる偶然なのか、
 今に至るまで幻想郷が滅亡の危機に瀕するような事態にはなっていない。

 無論、生還した者達の努力があったことは確かだった。魔理沙は紫の仕事を受け継ぎ、結界の管理者になる道を選んだ。
 空は旧地獄と地霊殿を統合し、怨霊達の管理を一手に担うような状況になった。密かに文が手助けしているからか、思ったよりも統制は取れている。
 文は今まで通り新聞記者をしているが、新聞の内容は大きく変わった。いわゆる『社会派』に転向したのだが、人気は芳しくないらしい。
 だが、文の記事は一部の人間や妖怪達に感心を持って受け入れられ始めている。小さなスタートだ、と本人は言っていた。
 フランドールは紅魔館の新たな主となった。サニーミルクもよく紅魔館に遊びに出かけている。
 それ以外でも、地獄には新たな閻魔がやってきただとか、死神が人員を割いて亡霊の管理を行うようになっただとか、意外なほど幻想郷の対応も早かった。
 創造主が手を回したのか、それとも有事に備えて幻想郷の主要な機関も対策はしていたのかは分からない。

 でも、と早苗は思う。万一の事態になってもいいように、後のことを考えて対策していたというのは、幻想郷そのものの生きる意志とも言えるのではないだろうか。
 神の手元を離れ、一人立ちできることを示すための人妖の無意識の総意なのだとしたら、早苗はこの意志を信じたいと思うし、たくましいと考える。
 後はこれを続けられるかどうか。たくさんの神や妖怪がいなくなり、先の見えない日々、見えざるものに立ち向かう毎日が始まるのはこれからだ。
 それはまさに、恐怖そのものなのだろう。報われるか分からない、救われるのかも分からない。真っ白なばかりの世界だ。
 人里の人間からして、不安があることが見て取れる。耕作や農業の成功を約束してくれる豊穣の神も、すでにない。
 それでも、生きるために続ける。神の存在はなくなっても、どこかで見ていることを信じて、保障のない努力を続ける。
 未来はなくなったけど、決められた未来もなくなった。あんたらの解決した異変はそういうことだ、と誰かが言っていたのが印象に残っていた。
 それは、あらゆる可能性を自分で決められるということ。里を離れ、妖怪との出会いを求めて去った者もいれば、逆に人間を知るためにやってきた妖怪もいる。
 早苗はそんな、日常の細かなことも全て記録するつもりだった。

「精が出るな」
「わ! ……なんだ、魔理沙さんですか」
「久しぶりの会話の第一声がそれか」
「急に現れれば驚きますよ」

 そうして、音もなく現れた魔理沙は、ついっと指を動かして『スキマ』を閉じる。
 曰く、密かに持ち帰っていたらしい『スキマ発生装置』を解読し、ついに魔法としてモノにしたのだという。
 ここ最近の魔理沙は紫に似てきた、と早苗は思う。いきなり現れておどかしたり……いや、それだけだった。

「まあ美味そうな酒があるんで一献」

 今度は別のスキマから酒瓶を取り出し、とんと床に置く。
 日本酒と思われる液体が瓶の中で波打ち、久々の宴会を予感させる。

「仕事はいいんですか?」
「最近ようやく結界が安定してきたんだ。もっとも、殆どが紫の備えなんだが」

 紫は、伊達に幻想郷の賢者ではなかった。
 もし自分が倒れても、多少の知識があれば後を引き継げるよう準備をしていたのだという。
 彼女らしいと思う一方、こうなることが必然だったような気がして、早苗は複雑な気分になる。
 魔理沙も同じ気持ちだったのか、気分を紛らわせようかと酒を勧めにきたに違いなかった。

「もし自分が倒れても誰かがいる……いいことでは、あるんだろうけどな」
「幻想郷は、思ったよりも脆くないのかもしれません。ですけど、やっぱり脆いと思います」

 大丈夫だと、伝える術を持てない妖怪達。距離の遠さを感じるのがもどかしい。
 遠く険しい。まだまだ大変そうだということを確認し、苦労を分かち合うための酒を互いに呷る。
 こうなると酒の肴も欲しくなってくるというもので、早苗は軽く、何か作ろうかと考える。

「そうだ、一つだけだが面白い話があるぞ」

 席を立った早苗に、独り言のようにして魔理沙が話し始める。
 結界の修復をしていると、一人の人間が道を尋ねてきた。
 魔理沙の住処――元、紫の住居はとても里の人間が入れるようなところではなく、結界の外から迷い込んできた人間だということはすぐに分かったらしい。
 四苦八苦して、どうにか魔理沙はその人間を道案内することができた。

「そいつの名前が、結構興味深くてな。メリーってのが愛称で――」

 楽しそうに話し続ける魔理沙に、早苗は安心する気持ちがあった。
 寂しいから、ここを尋ねてきたのではないか……そんな不安を、彼女の笑顔は一瞬で吹き飛ばしてくれた。
 離れていても一人ではない。それぞれに幻想郷で自分ができることをこなし、信仰する理想のために歩んでいる。
 歩き疲れたら、こうしてたまに集まって現況を語り合うくらいで丁度いいのだろう。

 さて。
 魔理沙の話の種はひとつしかないようなので、早苗はどんな話をしてやろうかと考える。
 人里にいれば様々な噂が聞こえてくる。

 曰く。幻想郷最速のブン屋に、ちょくちょくちょっかいをかけている初々しいスポイラー記者がいるらしい。
 曰く。幻想郷のどこかにとても健康に良いと早くも評判の温泉宿ができたらしい。
 曰く。異変になったとき、妖精を引き連れて解決に向かう、まるで吸血鬼のような姿をした魔法少女がいるらしい。
 曰く。最近幻想郷の上空に宝船が出現したらしい。ゆっくりとどこかに向かう姿は異変の前兆だと言われている。

 どの話も楽しく話せそうだと思いながら、早苗は台所で包丁を取り出す。
 これから先、一体何が待ち受けているのかは分からない。この選択は正しかったのか。それとも滅亡に向かうものでしかないのか。
 未来を知り得ない自分達は、だから今を記録し、語り継いでゆく。
 人間が、妖怪が、神が、妖精がそれぞれに考え、為してきたことの意味を伝えるために記憶を記録にする。
 この事件の内容を一通り書き綴ったら、本にして出版しようと早苗は考えていた。
 絶望と逼塞の中で、それでもと頭で考えて紡ぎだした結論を伝える――『東方求聞口授』という題名の本を。

 さあ。明日のために今が楽しくなるような、とびきり美味しいものを作るとしよう。
 ありあわせの材料でも、工夫すればいくらでもやりようはある。
 思わず箸が進むような、気がつけば食べ終わっていたような、そんな楽しいものを作ろう。

 小さな力と、完全には繋がれない心を重ね合わせて、私達は今日も今日を進んでゆく。
 そして明日もまた、いい陽が昇るだろう。




















                    Next Stage.
                                『東方求聞口授』





















                                ――――めでたしめでたし


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最終更新:2012年10月05日 21:46
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