気がついた時、男は見知らぬ森の中にいた。
はて……と思わず首を傾げる。自分はついさっきまで確かに飛行機に乗っていた筈だ。
多少の疲れもあり、少し仮眠しようと目を閉じてうとうとした所まではしっかりと記憶が残っている。
だが、一度睡眠に落ちた意識がゆっくりと覚醒し、気がついた時には……鬱蒼とした夜の森の中に男一人が立っていた。
ふむ、と顎に手を当てながら男は考える。
このような不可思議な現象の事は、何度か耳にした事がある。
男は幼少の頃、東方の小国――日本にて生活した経験があった。その日本での暮らしの中で、何度か聞いた現象だ。
すなわち……『神隠し』。
突如として人間が消える、というあまりにもオカルティズム溢れるその現象を男は全く信じていなかったが、
こうしてこの身で体験する事となるとは………
………考えていても仕方ない。男は近場の手ごろな上に腰を下ろす。丁度眠る前に時間が丁度夕食時であった事もあり、男は空腹だった。
これからの事は、ひとまず食事をしながら考えるとしよう。
幸いにも、自分と同じく『神隠し』に合っていた(と言っていいのだろうか)弁当箱を広げる。
本当ならば焚き火を焚いて灯りと暖を取りたかったが、残念ながら十分な資材を持っていない。
最も、隻腕となっている今の自分では資材があったとしても到底無理な話であっただろうが。
とりあえず、月明かりが十分だったのでひとまずそれで良しとする事にした。
膝の上に乗せた弁当の蓋を開ける。
中に入っているのはほとんどがありきたりの食材だ。クラッカーやパン、デザートとしてイチジク、キャビア、そして……とっておきが一つ。
片腕だけでどうにかフォークとスプーンを手に取り、早速食事に取り掛かろうとしたその時、自分に向けられている視線に気づいた。
ゆっくりと顔をあげる。月明かりの下で、数メートル先に金髪の幼い少女が立っているのが見えた。
頭に小さなリボンを付けた少女は、強い好奇心の籠った視線でじっとこちらを見つめている。
こんな夜更けの森の中で少女が一人…この近くに住んでいるのだろうか?しかし辺りに集落のある気配は無い。
妖しい事この上なかったが、このまま見過ごすというのも忍びない。なによりも、ここはどこなのか、自分はどうなったのかという情報も知りたかった。
「やぁ」
怖がられないように、優しく声を掛けてみる。
それに気づいた少女は、パッと笑顔を見せながらとてとてとこちらに近づいてきた。
どうやら人懐っこい性格らしい。
「えーと、こんにちはー?」
何故か首をかしげながら、少女が場違いな挨拶をする。
幼さ故のどこかほのぼのとした間違いに微笑みながらも、男は少女との会話を続ける。
「今は『こんばんわ』では無いかね?それは日中の挨拶だ」
「んー?そーなのかー」
男の言葉に少女は感心するような声をあげる。
知的好奇心が旺盛なのは良い事だ。
「さて、一つ聞きたいんだが……とりあえず君の名前は?」
「名前ー…名前?えーっと……うーんと………るー……うん、ルーミアだよー」
「……ふむ」
自分の名前を思い出すのに時間をかけすぎている。というよりも、思いだそうとしている時点でおかしい。
知能薄弱な部分のある娘なのか……だからこそこんな夜中に一人で出歩いている?
ひとまずここまで考察した所で、男は少女に次の質問を投げかける。
「すまないが、ここがどこなのか私に教えてもらえないかね?」
「ここ?ここはねーえーっと……えーーーっと……森ーーーー!!」
再びしばらく考えるそぶりを見せた後に、晴れやかな笑顔で頓珍漢な答えを繰り出す少女。
なるほど、確かに森ではある。だが、聞きたいのはそう言う事では無いのだが……。
残念だが、この少女からは対して情報を引き出す事は出来ないようだ。
早々に少女への質問を切り上げる事にした男は、そこでふと少女の視線が自分の弁当に向けられている事に気づいた。
「気になるかね?」
「うん。それはなーに?」
男の言葉にうなずきながら、少女は弁当の食材の一つを指差す。
パックに詰められたそれを持ち上げながら、男は少女の疑問に答える。
「これは、キャビアだよ」
「そーなのかー。じゃ、そっちはー?」
「イチジクだ」
「そーなのかー。……じゃあ、それは?」
少女の指が、白い蓋の小さなタッパーを指差した。
それまで素直に少女の疑問に答えていた男の言葉が、止まる。
「………これかい?」
男が白い蓋を外す。その中に入っていたのは、奇妙な形と、くすんだベージュ色をしている物体だった。
「うん、それー。ごはんなのー?」
「そうではあるが、これは君の口には合わないだろう」
「でも……凄く、美味しそう」
少女がそう言った瞬間、彼女の瞳が妙に輝いた気がした。
思わず眉を動かしながらじっと少女の顔を見つめるが、すぐに先ほどまでの無邪気な笑顔へと変わる。
「…ああ、美味いよ。私の好物だ」
「そーなのかー……ねぇ、食べさせてくれない?」
その声は、年端の行かない少女の物とは思えない程に妖艶だった。
少女の視線は、先ほどからずっとタッパーの中の物に向けられている。
食べたい。食べたい。食べたい。食べたい―――剥き出しの食欲が少女から発せられる。
どこか恐怖すら感じる雰囲気を持ち始めた少女を見ながらも、男は微笑んでいた。
心の底から、彼女の様子を楽しんでいるような笑顔で。
「君は、変わった子だな」
「そーなのかー?」
「……君にも、お母さんはいるだろう?」
「ん?」
突然の男の質問の意図が読めないのか、少女の顔に疑問の色が浮かぶ。
そんな少女の様子を気にも留めずに、男は続けて語り始めた。
「私の母親に言われた事がある。君も、言われているかも知れない」
「んー…ルーミアはお母さん、よくわかんない」
「…そうか。まあそれでもいい。ともかく、私は母に言われたんだ。
『新しい物を食べてみる事が、大事なのよ』……と」
「………そう、なのか」
男の言葉を聞いた少女もまた微笑む。
少女の物とは思えないような、妖艶な笑顔を浮かべながら。
男のフォークが、白い物体に突き刺される。
ゆっくりと持ちあがったそれは宙に浮き、少女の口元へと突きつけられた。
「口を開けて」
男の声に誘われて、少女の可憐な口がゆっくりと開き―――それを飲み込んだ。
二度、三度―――咀嚼されていくそれを味わう。
―――美味しい。
―――凄く、美味しい。
―――なんだっけ。これ、昔食べた事がある。
―――こんな美味しい物、忘れちゃってたなんて。
―――あ、そっか。思いだしちゃった。
―――これ……■■だぁ!
コクン、と小さく少女の喉が上下した。
「……うふ……うふふふふ………」
ぴく、ぴくぴくと肩が震える。
「あは…あはははははっ……あははははは……そーなのか…」
徐々に、徐々に。少女の笑い声が大きくなっていく。
「そーなのか!!あはははははははははははははは!!!」
その声が最大のボルテージへと上がった瞬間、少女の体は宙を待った。
夜空に浮かぶ半月をバックにして、彼女は『自分に大切な事を思い出させてくれた』男を見下ろす。
「あはははははははははは!!ありがとう、おじさん!!全部じゃないけど、思い出させてくれて!!」
酷く楽しげに笑いながら、少女の体は空を縦横無尽に踊りまわる。
愉しくて愉しくて仕方ない……少女は、純粋の少女らしからぬ行為に対して純粋な少女のように悦びを感じていた。
「おじさんは食べないよー!思い出させてくれたから!!でも、お腹すいちゃったから…ご飯食べてくるね!!」
あはははははははは!!とけたたましく笑いながら、少女は男を残して闇の中へと消えて行った。
施された封印は重い。解放されたのは彼女の性質のほんの一部にすぎない。
だが、解放されたそれは、彼女が『妖怪』としての生き方を思い出させるには十分だった。
今、『幻想郷』に降り立ったばかりの彼にはルーミアという少女が何者なのか、彼女に何が起こっていたのか、そして今何が起こったのか…
その全てが理解できていないだろう。
だが、それでも…狂笑と共に夜空へと飛び立っていったルーミアを見つめる彼――ハンニバル・レクターは、酷く満足げな表情で自分の食事を開始した。
――――今晩の『とっておき』は、いつも以上に美味しく味わえそうだ。
『レクター博士はルーミアに大変な性質を思い出させていきました 完』
※ルーミアは頭のリボンで力を封印された直後辺りの時間軸で登場。こう、幼女化したと同時に記憶や妖怪としての性質も忘れちゃってた的な。
…ルーミアのリボン関係の知識はほとんど無いので超トンチンカンな事書いてるかも知れませんが、大目に見ていただけると嬉しいです。
※レクター博士は映画ハンニバル、ラストの飛行機のシーン直前から。というか、ラストシーンの少年とのやりとりが元ネタ。
最終更新:2009年03月29日 11:04