project nemo_11

振り返れば、とっくの昔にこれは夢であることに気付いていた。
落ちてきた小惑星の破片で、消し飛んだ故郷。
骨も血も肉も、一つ残らず消えた家族。
思い出だけになってしまった、愛しい彼女。
おかしいじゃないか。みんな消えた、みんな亡くなったはずなのに。
それなのに、目の前に広がるのはクレーターになったはずの故郷の風景。
話をし、手を取り合うのは死亡・行方不明者リストの中に、確かに名前があったのを確認したはずの家族と恋人。
夢だった。夢のはずだった。過ぎ去った過去、今更振り返っても戻ってくるはずのない幸福。
だけども、居心地のよさがそれらを全て消していった。次第に夢と現実の区別が曖昧になっていき、少しずつ目の前の幸せに、彼は身も心も委ねる
ようになっていった。
今でもそうだ。懐かしい自分の部屋、ガキの頃に読み漁った漫画をぼんやり眺めていると、一階のキッチンから流れてくるいい匂いが鼻腔をくすぐ
った。あぁ、今日はシチューか。耳を澄ませば、母と恋人の楽しそうな会話が聞こえてくる。リビングで寝ている父のいびきも混じって。
このままここで暮らしたい。ここで生きていきたい。ここに居たい。ベッドの上に放り投げられたフライトジャケット、リボンのマークが入ったそ
れに彼が振り返ることは一切なかった。
そうだ、俺は――だ。――1じゃない。それは俺の本名じゃない。それは俺の役割じゃない。
もういいだろう、俺は俺でいたいんだ。
だから――

いつまで夢を見てるんだ、リボン付き?

――違う。その呼び方はやめろ。死人は大人しくしてろ。
どうして今になって出てくるんだ、13。



ACE COMBAT04 THE OPERATION LYRICAL Project nemo



第11話 夢の終わりに



誰かが呼んでいる。闇に落ちた自分の意識を引き起こそうと。無機質な電子音による合成音声のはずなのに、必死に主を呼び起こそうとしていた。

「うっ……」

じわりとゆっくり、瞼を開く。意識の覚醒と同時に五感の感覚も戻っていき、嗅覚が何かが近くで燃えていることを教えてくれた。ぼんやりとして
いた視界の片隅は、炎で照らされたように赤く染まっている。
まずい、火災か何かが近くで起きている。生存本能が警鐘を鳴らし、ようやくそこで彼女――高町なのはは、身体を起こすことに成功した。
白の羽衣、バリアジャケットはところどころが黒く焦げ、欠損すら見られたが怪我だけはないようだ。傍らに落ちていた金色の杖を掴み、調子を尋
ねてみる。

「レイジングハート……大丈夫?」
<<All lights>>

相棒、レイジングハートの気丈な返事にほっと一息。あちこち焦げたバリアジャケットを一旦再構築して修復し、改めてなのはは周囲の状況を確認
する。燃え盛る炎、吹き付けてくる熱風に崩れたと思しき瓦礫の山。
そうだ、確かティアナと一緒にアヴァロン・ダム内部に突入したんだ。内部にあった発電用ジェネレーターを破壊し、それから――

「爆発、したんだっけ? それに巻き込まれて……」

確認するように手中の相棒に尋ねると、肯定の返事が返ってきた。マスターが気を失っている間、爆風を受けないようこちらの判断で自動で障壁を
発動するよう設定しておきました、とも付け加えて。主を必死に守ってくれたデバイスに、なのはは思わず頬を緩ませありがとう、と告げた。
それにしても、ダム内部の状況は酷い。壁はあちらこちらが崩れ、爆発の残り火である業火が灼熱地獄を編み出していた。バリアジャケットのおか
げで必要以上の暑さを感じることはないが、紅蓮の炎が燃え盛る様子はいずれ巻き込まれるのではないかと心を不安にさせる。
ジェネレーターを破壊した反動だろうか、しかしそれにしては爆発の規模が大きすぎる。一通り周囲に視線を走らせたところで、なのははそうだ、と
思い出したように念話の通信回線を開く。

<<――こちらスターズ1、応答願います。メビウス2、ゴーストアイ、誰か……>>

誰からも返事が来なかったらどうしようかと思っていたが、杞憂に過ぎなかったようだ。ただちに聞き覚えのある声が、念話に乗って彼女の元に送
られてきた。先に脱出したティアナだ。

<<こちらメビウス2、なのはさん――スターズ1、無事ですか!?>>
<<何とかね。ちょっと、出るには時間かかりそうだけど>>

上を見上げてみると、突入に使った排気口までは瓦礫によって完全に防がれていた。得意の砲撃魔法で蹴散らしてもいいが、下手な打撃は崩落を誘
発する危険もあった。
ティアナによれば、ジェネレーターの破壊でアヴァロンの対空砲火は急速に衰えを見せていると言う。予定ではこの後ダム内部に監禁されているパイ
ロットたちを救出するため、陸士を載せたヘリが来るはずなのだが――

<<ゴーストアイの判断で陸士による突入は現在は保留中です。理由は、さっきの爆発で>>
<<だろうね、突入した途端にまた爆発なんかされたら……>>

あれ、と瓦礫を踏み越えながら念話による交信を行っている最中、なのはは崩れた壁の向こうに、比較的無傷な通路を見つけた。若干高い位置にあ
ったため、アクセル・フィンを展開。足元に浮かんだ桜色の翼を羽ばたかせ、ふわりと浮かんで通路へと辿り着く。人の気配は感じられないが、五
感の一つが妙な違和感を感じ取った。ねっとりと鼻腔にへばり付く、この甘ったるい匂いはおそらく、血の匂い。
嫌な予感が、少女の脳裏をよぎっていった。レイジングハートに頼んで、事前偵察から得られたダムの全体図を正面に投影させる。自分の現在地を
相棒にマーキングしてもらい、文字通り魔法のディスプレイの上に指を這わせていく。

<<なのはさん?>>

応答が来ないので不安に思ったティアナからの呼びかけと同時に、少女の白く細い指が止まる。ディスプレイに表示されるダム内部の構造図、なの
はの視線はある一点に注がれていた――偵察を担当した黄色中隊、かつてのナンバーズが見つけたパイロットたちが監禁されている部屋。鼻腔が感
じた血の匂いがする方向と、ここから部屋までへの方角はほぼ一致していた。

<<……ティアナ、聞こえる? 私はこのまま内部を偵察してくる。崩落の可能性が低いようなら、ゴーストアイにヘリを送るよう連絡するね>>
<<了解、お気をつけて>>

ひとまず念話を切り、なのはは通路の奥を睨む。照明への電力供給が絶たれたそこは、進めば進むほど闇の世界に足を踏み入れることになる。加え
て先ほどからの血の匂い。不安にならないはずがない。
それでも恐怖を押し殺し、少女は足を踏み出した。この先に、もしかしたら彼がいる。生きているのか、死んでいるのかは見当もつかないが――進
まなければ、答えは見えてこないだろう。
血の匂いの根源と正体を求め、なのはは闇の世界に進んでいった。



今更俺に何の用だ。夢の中で、彼は叫ぶ。いるはずもない好敵手、声だけしか聞こえないかつてのライバルに向けて。
答えは返ってこなかった。代わりに、異変が生じた。一瞬だけ、視界がぐにゃりと歪む。たかが一瞬、しかし元に戻った目の前の世界には、時折ア
ンテナを失ったテレビのように、酷い砂嵐が走るようになった。
砂嵐の向こうに、人影がちらつく。シルエットだけの姿だったが、彼にはそれが何者なのか見当がついていた。
お前の仕業か。好敵手の影に向かって怒鳴り、彼は怒りを露にする。余計なお世話だ、すぐにやめろ。
しかし、人影は怯む様子もなければ謝る姿勢も見せない。呆れたように肩をすくめ、ふっと笑う。彼には、それが嘲笑しているようにも見えた。
何がおかしいんだ、13。

これが本気で俺の仕業だと思ってるのか? 死人にそんなことは出来んさ。

じゃあ、いったい何なんだ。烈火の如く怒りを含んだ疑問だが、答えが返ってくることに彼は期待していなかった。どうせ死人だ、まともな返事を
寄越すはずがない。さっさと消えて欲しかった。
ところが、死人の影は彼の問いに答えてみせた。

夢が終わろうとしてる。連中にとって、お前はもう用済みなんだ。

――用済み? どういうことだ。
好敵手が思わぬ回答を出したところで、更なる疑問が湧いてきた。今度は怒りを含むことなく、純粋な疑念からの問いかけ。

知りたければ思い出せ、リボン付き。お前にはお前にしか出来ない役割があったはずだ。

役割?
ふと、彼はある物の存在を思い出し、立ち上がる。砂嵐が少しずつ強くなり、世界が壊れていく最中にあってなお、変わらぬ存在感を維持し続けて
いるもの。ベッドの上に放り投げられたままの、フライトジャケット。縫い付けられたリボンのマーク、メビウスの輪。
どっと、脳裏に衝撃が走った。記憶の津波が彼に襲い掛かり、処理し切れなかった情報量が激痛となる。たまらず膝を突くが、記憶の波は静まる様
子を見せなかった。

『全てのデータのダウンロードが終了した。こいつはもう用無しだ、どうする?』
『そうだな、管理局の連中が救出に来るのも時間の問題だ。ここの処分と同時に、メモリーごと消去してしまうか』
『アシュレイ、そんなことをすれば――』
『ああ、文字通りパイロットたちは抜け殻になる。死体も同然だな……誰かがエレクトロスフィアの中枢を破壊すれば、話は別だが。何、いきなり消
去するような真似はしない。ゆっくり時間をかけて、夢見心地のまま消えてもらう。彼のおかげで、"Project nemo"は第二段階に入った。せめても
の手向けだよ』

消えてもらう。確かにあの男は、そう言った。こっちが寝ているのをいいことに、本人の前で堂々と語ってみせた。
――待て。どういうことだ、消えてもらうって。エレクトロスフィアって何だ、Project nemoっていったい。13、説明してくれ。
腹の底から誰かの手が伸びてきて、心臓を鷲掴みにされるような感覚。すなわち、どうしようもない恐怖。藁にもすがる思いで、彼は砂嵐の向こう
にいる好敵手の影に問いかける。

要するに、お前はこのままじゃ消えてなくなるってことだ。お前が見ていたのは、作られた世界、作られた夢だったんだよ。

作られた世界。作られた夢。懐かしい故郷も、家族も、恋人も、全部誰かによって作られた偽者。不要と判断された自分は、このまま偽者に囲まれ
て消える運命にある――冗談じゃない、勘弁してくれ。
だが、どうすればいい。不安と恐怖に駆られながらも、彼には手段が何もなかった。奴はエレクトロスフィアがどうとか言っていたが、そもそもエ
レクトロスフィアとは何だ。どこにある、どうすれば破壊出来る。

まずは、お前が現実に戻りたいと思うことだ。後は、仲間が何とかしてくれる。

仲間、と好敵手から聞いて彼は疑念を抱く。こんなところにまで、仲間が来るのか。来るとしたら誰だ、そんな向こう見ずのお人よしは。
――いや、一人ほどいる。なるほど、彼女なら可能性はあるだろう。しかし、どうやって。

俺が何とかしてやろう。いずれ一杯奢れ、それでチャラにしてやる。

砂嵐の向こうで、人影が不敵な笑みを浮かべたような気がした。



不気味なほどに、ダム内部は静かだった。照明の落ちた通路の奥は完全に暗闇一色で、暗視ゴーグルがなければまともに進むことさえ困難だったか
もしれない。
内部に先行したスターズ1から崩落の危険性は低いとの連絡を受け、ヘリから降下した陸士B部隊は資材搬入口より突入。指揮官はレオナード・ベル
ツ二等陸尉、元はISAF陸軍の中尉で、次元漂流者の身から管理局に入局した兵士である。JS事変でも数々の功績を打ち立てたベテランだが、ダムの
中は彼でさえ不安を抱くほどに不気味な様子だった。

「匂うか、ソープ?」

アサルトライフルのG3A3を正面に向けて構えたまま――銃弾の雷管に、ごく微量の魔力を流し込んで発砲する機構を持つ――ベルツは背後でカバー
ポジションに当たる部下に問う。先ほどから、覚えのある匂いが彼の鼻腔にねっとりとへばり付いていた。銃弾の飛び交う戦場を経験した身には、
もはや嗅ぎ慣れたそれは血の匂い。
頷く部下を見て、ベルツは奇妙な安心感を抱いた。どうやら、自分の鼻は正常らしい。甘ったるい匂いは、暗い通路の向こうから。
銃口を正面に向け、警戒しながら進んでいると闇の向こうで何かが動くのを見つけた。左手を上げて後方の味方に停止の合図。暗視ゴーグルが織り
成す緑色の視界の中で、部下たちが各々射撃体勢に入っていく――違う、敵じゃない。

「待て、撃つな。味方だ、あれは」

左手を下げて味方に銃口を下ろすよう指示。自身も構えを解いて、暗闇の中から現れた人影に近付く。白いバリアジャケットに、栗毛色のツインテ
ール。図らずも先行したスターズ1、なのはだった。

「お久しぶりです、高町1尉。陸士B部隊、ベルツ2尉です」
「こういうとこでする挨拶じゃあないですね――お久しぶりです、メガリス攻略以来ですか?」

完全武装の兵士から、親しみを込めての敬礼。血の匂いが充満する暗い通路の中、ようやく出会えた生きた人間になのはは安心したような笑みを見
せて答礼する。つもる話はいくらかあるが、今はそれどころではなさそうだ。
お互いにここまで人っ子一人出会っていないことを確認し、ひとまず誘拐されたパイロットたちが監禁されていると思しき部屋に向かう。歩みを進
めるに連れ、血の匂いはますます濃くなっていった。
やがて辿り着いた部屋の扉は、厳重にロックされていた。どうやら停電時の衝撃で、扉そのものが歪んでしまっているようだ。ベルツは声に出さず
に、指だけで部下たちに進路を切り開くよう指示する。命令を受けた陸士の一人が扉の前に立ち、肩に担いできたショットガンを構える。一発、二
発と要所要所に散弾を撃ち込み、思い切って扉を蹴った。奥に倒れる形で、強制的に部屋への進路が開かれた。

「GO」

静かにベルツは呟いて、銃口を正面に突きつけながら部屋の中へ――瞬間、兵士の顔が酷く歪んだ。後続の部下たちまでもがうっ、と露骨に目を背
けてしまう。
それほどまでに、部屋の中は酷い地獄絵図と化していた。おそらくは拉致されたパイロットたち、飛行服を着た人間が何人も床に転がり、放置され
ていた。血液やどろどろの脳液が入り混じり、無機質な地面をグロテスクな色に染めている。

「――!」

しまった、とベルツの心中で後悔がよぎる。部屋の前で不安げな表情をしていたなのはが、足を踏み入れるなり、声にならない声を上げていた。真
っ当な人間であれば、誰もが出来るなら見たくない光景。二十歳にもならない少女に、そんな地獄絵図を見せてしまった。
それでもなのはは決して怖気づく様子を見せず、部屋の中に入ってきた。むせ返りそうなほどの血の匂いに、五〇は超えそうな死体の山。部屋でい
ったい何があったのか、彼女には想像もつかなかった。

「とりあえず、自殺じゃ無さそうだな」

死体の一つを、ベルツは試しに仰向けに倒してみた。穴だらけの飛行服から、真っ赤な鮮血が流れ出ている。銃撃でも受けたようだ。部下たちに命
じて、他の死体も調べさせる。いずれも銃弾が撃ち込まれた模様、明らかに銃殺だ。
部屋に並べられていく死人の顔を見て、なのはは何故か安心している自分を見出してしまった。
よかった、彼はここにはいない――違う。何を考えてるんだろう、私は。彼らを助けるために、やって来たのに。なのに、みんな死んでるなんて。
どうしようもない自己嫌悪、それを誤魔化すように周囲に視線を走らせる。ふと、地獄絵図の部屋の中で、彼女はもう一つの扉を見つけた。何故だ
ろう、ここに入るための扉は爆発の衝撃で歪んでいたのに、あそこだけは歪みもなければ傷もない。電子ロックのための端末さえ、発電は止まった
はずなのに、ディスプレイに明かりが灯っていた。
惹かれるようにして、なのはは扉に向かって歩く。血溜まりを避けながら端末の前に立つと、レイジングハートが電子ロックを解析して扉のロック
を解除してくれた。ここだけ自動なのか、扉は彼女を迎えるようにして勝手に開いた。
固唾を呑んで、なのはは部屋に足を踏み入れた。直後、扉が勢いよく閉まる。あっと気付いた頃にはもう遅く、ガチッと機械音が聞こえた。
――引き返せないってことかな。
再度ロックをかけられた扉から目を離し、正面に向き直る。部屋は暗かったが、一箇所だけ灯りが灯されている部分があった。ここだけ、独立した
発電機構を備えているのかもしれない。
いや、そんなことはどうでもいい。人工の光が照らすその先に、人間と思しきものが椅子に座り、彼女を待っていた。首の後ろからケーブルを何本
も垂らして、俯くその姿は生きているようには見えなかったが――少女の眼が、かっと見開かれた。彼の着ている飛行服に、見覚えのあるリボンの
マークが縫い付けられていた。

「メビウスさん……!」

やはり、いた。彼はここにいたのだ。何ヶ月ぶりかの同じエースとの再会、しかし彼がこちらに気付いた様子はない。
慌てて駆け寄ろうとして、ようやくなのははメビウス1の鎮座する椅子の周りを、透明のガラスが覆っていることに気付く。力任せに叩いてみるが
開かない。レイジングハートを構えて、アクセルシューターを一発放つ。桜色の閃光は、しかしガラスに直撃して砕け散ってしまう。

<<Master,AMF>>
「こんなところで――」

ぎりっと歯を噛み鳴らす。レイジングハートの分析によれば、ガラスそのものにAMFの粒子が付け加えられているようだ。魔法を打ち消す厄介な代
物の存在は、砲撃魔法なら簡単に撃ち抜ける。だが、そんなことをすればガラスの向こうのメビウス1も巻き添えを食らう。非殺傷設定でも、相手
が生きているのか死んでいるのかでは慎重にならざるを得ない。
何か手段はないか、他にガラスを開けるか壊す手段は。周囲に視線を走らせると、それまで沈黙を保っていたはずの端末が息を吹き返していた。す
ぐに駆け寄り、ディスプレイに食いつく。
なのははてっきり、この端末がメビウス1のいるこの部屋の、あらゆる機械的動作の管理を行っているのだと思っていた。だが、いくらキーボードを
叩いてもディスプレイには何の反応もない。レイジングハートに解析を頼むが、彼女でさえ端末の正体を探りかねていた。

「えっ?」

無愛想な機械が、突然反応を見せた。否、反応と呼ぶにはまったく意味が分からなかった。
"electrosphere"――ディスプレイには、そう表示された。ただ一言、それだけ。
なのはが単語の意味を理解することは、ついに無かった。ただ、あっと気付いた時には意識が誰かの手で掴まれ、そのまま身体から引っこ抜かれた
ような気がした。
魂が抜ける、とでも言うべきか。身体に力が入らなくなって、そのまま彼女はどこか違う世界へと誘われて行った。

悪いが、俺の代わりに手伝ってもらう。リボン付きを、解放してやってくれ。

誰かの声が、最後に一瞬聞こえたような気がした。




記憶、記憶、記憶、記憶、記憶、記憶。
意識が戻ったのかと思いきや、脳裏にダイレクトで流れて行くのは誰かの記憶。

記憶――青空を駆ける、鋼鉄の翼。尾翼に描いた不死鳥は、彼が戦闘機乗りを志したきっかけ。
記憶――新品の軍服を着込み、ぎこちない動作で両親の持つカメラを前に敬礼を決める。傍らで微笑むのは、彼の恋人か。
記憶――嘘だと言いたかった。現実だと思いたくなかった。ストーンヘンジが守ってくれるはずだった。なのに、故郷は消し飛び、家族も恋人も消え
てしまった。死体の一つも、残らなかった。
記憶――やがて悲願がかなって戦闘機乗りになり、戦争が始まった。敵となったストーンヘンジは、幾度となく彼の行く手を遮った。
記憶――最高にして最強の好敵手と出会い、何度も戦った。そのうち、いつの間にか彼は英雄となり、"リボン付き"と呼ばれるようになっていった。
記憶――戦争は終わった。終わったはずなのに、敵軍の青年将校たちは納得いかず、隕石を降らすような真似をして。中隊を率いて、彼は敵を討った。

駄目、見てはいけない。なのはは目を逸らし、両手で耳を塞ごうとした。他人の記憶を、盗み見してしまうような気がした。そんなこともお構いな
しに、記憶の群れは容赦なく彼女の脳裏に入ってくる。
はっと、脳裏の最中で彼女はある事実に気付く。記憶の中に、自分がいた。戦闘機のキャノピー越しに見る、白いバリアジャケットの自分。
そうか、と確信した。これは、彼の記憶だ。メビウス1の、記憶。理屈はどうだか知らないけども、自分は彼の記憶をダイレクトに感じ取っている。
記憶の中には、無論彼がなかなか口にしようとしない、彼自身の本名さえあった。目を背けるが、やはり見えてしまった。視覚や聴覚の問題ではな
い、脳に直接送り込まれているのだ。
どうしようもなく、罪深いことをしてしまった。人の記憶を、勝手に覗き見してしまうなんて。罪の意識に苛まれているところで、突然身体がどこ
かに向けて放り投げられた。

「わっ――!」

小さく悲鳴を上げて、記憶の津波が収まったことに気付く。今のはいったい、何だったのか。"electrosphere"、これがあの単語の意味だとでも言う
のか。疑念に駆られて、なのははそこでようやく自分が空中に放り投げられた事実に気付く。頬を撫でる風、凍てつくような冷たい空気、視界いっ
ぱいの群青、夢には見えなかった。

<<Master>>

不意に、腕の方から呼びかけられた。無意識のうちに掴んでいた相棒、レイジングハートがそこにある。改めて視線を下げれば、自分はバリアジャ
ケットを装着したまま。どこに飛ばされたか分からないが、魔法は使えるようだった。
アクセル・フィンを展開、魔法の翼を羽ばたかせる。足元で広がる桜色の羽が、真っ逆さまに降下していた少女の身体をやんわりと制御し、空中に
押し留めていった。

「レイジングハート……今のは?」
<<Sorry,No idea>>

ひとまず空中に足を止めたところで、なのはは先ほどの記憶の津波のことについて問う。相棒のデバイスは、しかし分からないと返答。ただし、と
レイジングハートは続けた。

<<However, some what the situation is can be guessed.(ですが、現在の状況はいくつか推測出来ます)>>
「どんな具合に?」
<<This space is different from the one of the reality. Only master and my soul seems to have been taken. (この空間は、現実のものとは
違います。マスターと私の魂だけが取り込まれたように思えます)>>

魂だけが、取り込まれた? 自分はともかくデバイスの魂とは存在するのか。いや、それ以前にここが魂だけの空間ならば、自分の身体は端末の向こ
うで抜け殻状態になって転がっていることになる。
訳の分からない状況のまま、周囲を見渡す。視界に映るのは、青一色の空ただそれだけ。他に見えるものは何一つなく、地面すら存在しないようだ。
不意に、脳裏に意識が飛ぶ寸前によぎった声が蘇る。"リボン付きを、解放してやってくれ"と。
あの声が何者なのかは分からない。だが、意識もなく閉じ込められたメビウス1を、どうにかして助けてやって欲しいと言う意思は読み取れた。こ
こに解放の鍵となる、何かがあると言うのだろうか。答えを求めて青空に視線を送るが、空は何も答えない。
――否。突然、無機質な声が空全体に響き渡ってきた。

『The intruder is confirmed.Defense system start,intruder is exterminated(侵入者を確認。防衛システム起動、侵入者を駆除します)』

防衛システム? 侵入者って――。
突然のアナウンスに戸惑っていると、レイジングハートが警告を発する。正面、どこからともなく現れた光の粒が一箇所に集中し、固まっていく。
まさか。予感が走り、なのははレイジングハートを構えた。カートリッジをロード、金色の杖が機械音を鳴らして主共々戦闘態勢に移行する。
光の粒はやがて、一つの形になっていく。鋭角的な翼に、ステルス性を意識した胴体。最後に纏った光のマントを払いのけ、真の姿が空中に現れる。
瞬間、彼女は息を飲んだ――唸りを上げるジェットエンジン、空を見渡す電子の眼。垂直尾翼に輝くのは、リボンのマーク。見覚えがないとは言え
るはずもない。この機体を、この戦闘機を、自分は知っている。
現れたのは、鋼鉄の猛禽類。F-22ラプター、メビウス1の愛機。獰猛な面構えは、侵入者であるなのはを確認すると加速。一旦上昇し、上空から一
撃を浴びせる姿勢に入った。明らかな攻撃態勢、こいつがアナウンスの言っていた防衛システムか。
だけど――尾翼に見えたリボンのマークが、なのはの思考に食らいついて離れない。敵機からの生命反応は、あった。それが、彼女の判断基準を大
きく狂わせる。呼びかけには応じないが、以前戦ったものとは違う。もしかしたら、自分と同じようにこの世界に取り込まれたメビウス1が、コク
ピットにいるかもしれない。

<<Master>>

躊躇するなのはを、レイジングハートが戒める。今は、生き残ることを優先しましょう。
――仕方ない、か。
攻撃することには、未だためらいがある。それでも、F-22がこちらに敵意を持っているのは明らかだ。
金色の杖を構えなおし、エースオブエースは天を睨む。視線の先には敵機、メビウス1のF-22。自分と同じ、エースの名を背負う者。

「行くよ、レイジングハート……!」
<<All lights――Rady to Engage>>

アクセル・フィンを全開稼動。闘志と同調させるようにして急加速、なのはは桜色の閃光となって、青空に一筋の軌跡を描く。
翼の交差、鋼鉄と魔法。異空間にて、エースとエースの一騎討ちが始まりを見せる。







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最終更新:2009年10月23日 19:54