MW2_03

SIDE 時空管理局
二日目 時刻 0715
第三三五管理世界 フェニックス前線基地
クロノ・ハラオウン執務官


砂漠の早朝は、驚くほどに冷え込んだ。気候の安定した故郷のミッドチルダや、空調の効いた次元航行艦と比べると、改めてここは最果ての地なのだなと実感する。
とは言え、屋内にいれば寒気など別の世界の出来事だ。寝起きの脳はエアコンからの暖かい、それでいて気候に悪影響を与えることのない空気を受けて、またウトウトと眠りにつこうとする。
コーヒーを一杯飲んで眠気覚まし、そこから書類を見ながらカロリーブロックで朝食。クロノ・ハラオウンの一日の始まりは、異世界においても一緒だった。忙しい身分ゆえに、仕事と食事は平行
して行うことがしばしばあるのだ。
彼が目を通すのは、昨日行われた米軍、管理局の合同部隊の救出作戦の報告書。紛争の絶えない管理世界を偵察していたところ、管理局に反発する現地武装勢力に襲撃させられ、孤立。ただちに米
軍は救援部隊を送り込んで、孤立部隊を救出したと言う一連の流れが、細部に渡ってまとめられていた。
紙媒体じゃなくてこっちならもっと早いのだが――報告書を読み通していく思考とはまた別に、脳裏でふとした雑念。こっち、とはすなわち魔法のことだ。ブラウン管でも液晶でもない、文字通り
魔法のクリアなディスプレイは電源要らず、どこにでも展開できる。にも関わらず報告書が紙なのは、魔力資質を持たない米軍兵士と都合を合わせるためだった。
コンコン、とその時である。扉がノックされて、その魔力資質を持たない者が現れた。装具や銃こそないが、米海兵隊の迷彩服を着た屈強そうな兵士。襟元には曹長の階級章。ポール・ジャクソン
在ミッドチルダ米軍連絡官が、よぉ、と気さくな朝の挨拶と共にやって来たのだ。

「朝からご苦労様だな。どうだ、陸軍(アーミー)の連中の手並みは」
「報告書を読む限りでは、上等なものだと思う。あの中将が自ら最前線に立ったのはどうかと思うけど」

あぁ、とクロノの言葉を受けて、ジャクソンは苦笑い。将軍はそういう人さ、と答えながら、部屋にあったコーヒーポットを少しばかり拝借。紙コップに注いで、湯気の上る熱いコーヒーをグビリ
と一杯。

「このシェパード将軍か。優秀な兵士を引き抜いて、独立部隊を作ろうとしてるのは」
「Task Froce141」
「――何だって?」
「あの将軍が作ろうとしてる部隊の名さ。混成部隊(タスク・フォース)。その名の通りうちの陸軍(アーミー)、海軍(ネイビー)、海兵隊(マリーン)、イギリスのSAS、管理局の魔導師。国境どころか
世界すら跨いだ史上最強の特殊部隊」

なるほど、確かに最強と呼ぶに値するかもしれない。ジャクソンの解説を受けて、クロノは納得。同時に、ふと妙な既視感のようなものを覚えてしまう。各方面から精鋭を引き抜いて編成された独
立部隊。どこかで似たようなものを、聞いたような気がした。
脳裏の奥に探りを入れて、それが表面化した時、ふっと彼は唐突に笑う。そうか、確かに『彼女』が似たような部隊を編成しようと張り切っていたな。
いきなり笑みを浮かべた戦友に、ジャクソンは怪訝な表情。どうしたよ、と尋ねると、いいや、と前置きして問われた青年は答えだす。

「最近、管理局(うち)の方でもそんな部隊を作ろうって話がある部署から上がって来てね。僕も計画立案にいくらか携わってるんだ。メインはあくまで向こうだけど」
「何だと、そりゃ初耳だな――なんだ、何がおかしい、ん?」

コーヒー片手に、人の顔をニヤニヤと見られたら誰だってジャクソンのような反応を起こすだろう。クロノはしかし、明確な回答を避けた。暗に思わせぶりな答えしか寄越さない。

「いや、何。君もよく知ってる人だよ、立案者は。と言うか、その様子だと何も聞かされてないんだね」
「おいおい、もったいぶるなよ――まぁ、いい。それよりもだ」

がらりと、海兵隊員の持つ雰囲気が変わる。声色こそ変わらず、挙動も変化なし。だが、クロノは彼の持つこの雰囲気を知っていた。身近にさえ感じたことだってある。
すなわち、戦場の空気。死線を共に潜り抜けてきた戦友は、銃を手に敵と対峙している時の持つピンと張り詰めた匂いを漂わせていた。ここから先はおふざけなし、真面目で、ともすれば生死に関
わる話、と言う訳だ。
ジャクソンは、クロノが持つそれとは別の報告書を何枚か持参してきていた。今朝方、参謀本部から届いたものだと解説をつけて手渡す。

「第三三五管理世界の武装勢力より鹵獲した、武器装備の調査報告?」
「知っての通り、奴らは地球から密輸したらしいロシア製の銃火器を多用している。出所を探ったのさ」

なるほど、米軍にしてみれば自分たちの世界にしか存在しない武器を敵が持っているのだ。当初は粗悪なコピーかと思われていたが、実際に鹵獲された武器弾薬を調査すると、地球で製造されたも
のであることが判明する。彼らが持つ報告書は、その続報と言ったところだ。
しばらく報告書を読み、そしてクロノが顔を上げた。まさか、と疑いの意味を込めての視線。しかし、戦友は首を横に振って否定。間違いないとも付け加えさえした。

「武器の売買に、超国家主義者たちが関与している。こんな馬鹿な話があるか、僕は確かに――」
「ああ、俺もあの場にいたからな。超国家主義者のリーダー、イムラン・ザカエフはお前に撃たれて死んだ。綺麗に頭をぶち抜かれて」

だったらどうして。当時、まだ少年だった執務官は口に出さずともそう言いたげな様子が見て取れた。手のひらに甦るM1911A1の反動、放った銃弾は間違いなくザカエフを仕留めていた。

「超国家主義者にも、いろいろ派閥があるそうだ」

もう一枚、ジャクソンは報告書を取り出した。こちらは写真付き、ある人物に関する調査報告書のようだ。
写真に写っていたのは、一人の男だった。ザカエフと同じように鋭い眼光を持った、しかし鮫のように無表情な男。
ザカエフの写真にはまだ感情が見て取れた。西側諸国に身を売る祖国を奪還しようと、そのためなら世界を滅ぼすことも辞さない一種の狂気。だが、この男は違う。写真を見ただけでは、本当に何
を考えているのか分からない。ひたすらに無。何者にも読み取れないと言う事実を叩きつけられたような怖ささえあった。

「新しい超国家主義者のリーダーってとこだ。こいつが残党を纏め上げて、率いてる」
「名前は」
「マカロフ」





SIDE C.I.A
二日目 時刻 0725
大西洋 米海軍ヴァージニア級潜水艦『アリゾナ』
ジョセフ・アレン上等兵


まさか、潜水艦の艦内でスーツを着るとは思ってもみなかった。真新しい背広は、野戦服と違ってパリッとしており、何だか落ち着かない。
最新鋭とは言えこの『アリゾナ』は、潜水艦の常識から出ることなく狭い。少なくとも陸兵であったアレンにとって、四方八方を鉄に覆われた空間は酷い閉鎖感を伴っている。しかも、壁の向こう
は海なのだ。一度浸水が起これば、あっという間に飲み込まれてしまう。何事もなく任務に従事する水兵たちが、とても勇ましくすら思えた。
では、俺は何なのだろう――居心地が悪そうにネクタイを緩めて、アレンは物思いにふけりながら艦内の通路を進んでいく――狭い潜水艦に押し込められ、浸水の恐怖に震える臆病者? いいや、俺
は臆病者などではない。臆病者であるなら、自分が"選ばれる"はずがない。仮に臆病者であったにしても、戦場ではそういう奴の方が長生き出来ることもある。

「どうです?」

士官室を間借りする形で設けられた『司令部』に足を踏み入れ、アレンは彼を待っていた男に訊ねた。自分の選んだのはその男であり、任務を命じたのもまたこの男なのだ。背広が似合っているか
どうか、聞いても罰は当たるまい。

「まさに"悪党"だな」

男は――海軍の艦内であるはずなのに、陸軍の将官用制服に身を包んだ男、シェパード将軍は、一言で感想を述べた。それはよかった、と質問者も納得した様子で頷いてみせる。
一方、壁にもたれ掛かって退屈そうにしていた青年が一人。背広を着てやって来たアレンに「遅いぞ」とでも言いたげな視線を飛ばし、鮮やかな橙色の髪を掻き揚げた。

「悪いな、ティーダ。ネクタイなんて就職活動の時以来だったから――失礼、ティーダ・ランスター1尉」
「ティーダでいい――んだよ、お前。銃の撃ち方は分かるのに、ネクタイの締め方は分かんねぇのか」
「銃を撃つ方が簡単だからな。狙って、引き金を引く。これだけさ」

開き直ったような兵士の態度に、ティーダと呼ばれた青年は怒ることも忘れて苦笑い。出会ってからまだ一日だが、一度共に死線を潜り抜けた瞬間から、彼らは戦友と呼べる間柄だった。

「まぁ、潜入任務にはうってつけじゃないか。で、将軍? ご褒美は"マカロフ"ですか?」

戦友との会話もそこそこに切り上げ、ティーダは本題に入るようシェパードに訊ねる。無表情のまま、この戦うことを生き甲斐とする軍人はプリントアウトした写真を持ち出し、机の上に広げた。
写真に写っていたのは、一人のロシア人。鮫のように無感情な瞳をした男――マカロフ。超国家主義者たちの、新たなリーダー。

「こいつがそんな上等なものに見えるか。金のためなら平然と人を殺す、ただの狂犬。売女(ビッチ)だ」

なるほど、と将軍の証したマカロフの人物像を聞いて、アレンは納得する。
前リーダーのザカエフは、文字通りの狂信的な国家主義者だった。かつてのソ連の指導者スターリンを崇拝し、強いロシアを取り戻そうとした。
だが、マカロフは違う。彼は、長い内戦の末に疲弊してしまった祖国に、見切りをつけた。かつての大国ロシアは超国家主義者たちの大半を駆逐することに成功すれど、二度と力を取り戻すには至
らないまでに荒れ果ててしまったのだ。だからこそ、この狂犬は国家よりも信じられるものに目をつけた。すなわち、金だ。
運悪く時空管理局の存在が明るみに出て、地球と他の世界との行き来が可能になり始めた頃、彼は九七管理外世界より姿を消す。紛争の絶えない他の世界を渡り歩いては、ある時は傭兵、ある時は
武器を売買する死の商人として動くためだ。先日の第三三五管理世界における現地武装勢力との戦闘も、この男の存在が何らかの形で関与している。

「それよりも、新しい"素性"を叩き込んでおけ。ロシア語は話せるな?」
「大学時代は語学を専攻しましたから」

ならいい、と問いかけに答えたアレンに対し、シェパードは頷いてみせた。それから、ティーダとアレンを交互に見渡し、改めて彼らを迎え入れる。

「ようこそ、"141"へ。史上最強の特殊部隊だ」
「はい閣下、光栄であります」

大した感動を見せることなく、ティーダがラフな敬礼と共に適当な返事を口にする。将軍が、それに対して機嫌を損ねた様子はない。彼は兵士に素行の良さを求めてはいない。ただ任務を遂行する
ことだけを求めていた。

「で、他の連中はどこへ? まさか我々だけ、という事ではないでしょう」
「無論だ。彼らは落下したACSモジュールの回収任務に就いている――アレン上等兵はこのまま命令があるまで待機。ティーダ1尉には、彼らのところに行ってもらおう」
「了解しました――は? 今からですか? どこに?」

質問したら、思わぬ命令が回答に付け加えられてきた。戸惑う青年に、シェパードはやはり無表情のまま告げる。

「想像してみろ、今にも凍りつかんとしている場所だ」






Call of lyrical Modern Warfare 2


第3話 Cliffhanger / "プランB"


SIDE Task Force141
カザフスタン共和国 天山山脈
ゲイリー・"ローチ"・サンダーソン軍曹


超国家主義者たちは、ロシア本土より大半が駆逐された。結果としてかつての大国ロシアは荒れ果てたが、ひとまずのところ内戦の可能性は消えたと言える。
だが、中にはしぶとく居座る連中もいる。彼らが目指す旧ロシア空軍基地は、まさしく超国家主義者たちの残党が潜む"敵地"だった。基地司令は奴らとグルになっており、テロリストを匿っている。
本題は、ここからだ。まずいことに、姿勢制御のソフトに深刻なエラーが発生したことから、米軍の監視衛星が落下してしまった――よりにもよって、この天山山脈で。彼らの目的は、墜落した監
視衛星の姿勢制御を司るACSモジュールの回収であった。
敵地への潜入のため、侵入ルートは限られる。極力人目につかず、敵の監視網に入らない、要するに『まさかここから来るはずがない』と言うルートを通る必要があった。
――だからと言って、こんなところを通ると言うのはどうなんだ。
寒さは、文字通り身体を凍てつかせるかの如く厳しい。吐いた息が瞬時に冷却され、口の周りを白く汚す。グローブに覆われた手で時折払いのけるが、時間が経てばまたすぐ同じことを繰り返す。
おまけに、だ。もうずいぶん高いところにまで昇ったが故、チラッとでも視線を下げれば、吸い込まれるようにして広い雪の大地が眼下に広がっている。足を一歩踏み外せば最後、あっという間に
あの世行き。これでもまだ、目的地は今より高い場所にあると言うのだ。もう少しマシなルートはなかったのか、誰もがそう考えてしまう。

「休憩は終わりだ、ローチ」

しかし、この男だけは違うようだ。頭上を駆け抜けていったMiG-29、おそらくは目指す空軍基地から発進したと思われる戦闘機を見送り、吸っていた葉巻を奈落の向こうへ投げ捨てる。タバコのポ
イ捨て、などと批判することは出来ない。どう見ても道ではない、狭い足場を顔色一つ変えずに渡り進んでいく度胸を見れば、誰だって口を噤んでしまう。
ホント、超人過ぎるよマクダヴィッシュ大尉は――ため息を吐いて、ゲイリー・"ローチ"・サンダーソン軍曹は立ち上がる。上官が足を進める以上は、自分も行かねばならない。
登山靴に装着したアイゼンと呼ばれる爪は、しっかり氷の地面に食い込む。うっかり足を滑らせて、と言う事態を避けるためだ。とは言ったものの、何しろ背中を預ける雪山の斜面は、狭い足場を
進む兵士の背中を押すようにして聳え立っている。なるべく視線を下げないようにして、ローチは壁に背を向けて摺り足で進んでいく。

「ここで待て、氷の状態を見る」

途中、先を行くマクダヴィッシュが居心地悪そうにぶら下げたM21EBR狙撃銃をずらし、同じくぶら下げていたピッケルを持ち出す。二本のうち一本、右手で持つ方を目指す氷の壁に突き刺し、大胆
にもこの上官は、狭い足場でくるりと一八〇度、身体の向きを回転させた。昇るべき壁面と向き合った後、左手のピッケルを上へと突き刺し、グッと腕に力を込めて身体を引っ張り、登っていく。
あとは右、左、右、左と交互にピッケルを壁に抜き差しして、アイスクライミング。

「よし、氷はいい感じだ。ついて来い」

はーい、と声には出さず行動で返事。マクダヴィッシュとまったく同じ要領で、ローチはピッケルを氷に突き刺し、彼の後を追っていく。
右、左、右、左と単調な作業の連続だが、完全装備で垂直の壁を登っていくのは簡単なことではない。否応なしに呼吸が荒くなり、吐息がまたしても口の周りを白く汚しだす。くそ、と悪態の一つ
でも漏らさなければ、とてもじゃないがやってられない。
その時、上空で轟音。ドッと腹に響くほど大きなジェットエンジンの唸り声を撒き散らしながら、敵のMiG-29がすぐ頭上を駆け抜けていった。
侵入に気付いた訳ではあるまい、単に離陸していっただけだ。もっともおかげで、轟音と衝撃で割れた薄い氷の破片が目下登山の真っ最中の兵士たちに降り注ぐのだが。何だと思って、動きを止めた
のは幸いだったかもしれない。バラバラと降ってくる氷の雨を耐えしのぎ、ローチはアイスクライミングを続行する。
ようやく登り切った。足場があることの素晴らしさ、感動を覚えてしまうほどだ。しかしながら、ここはまだ目的地ではないらしい。先に登頂していたマクダヴィッシュは、彼の到着を確認するな
り頷き、「それじゃあ、あっちで会おう」とか言い出した。

「大尉?」
「幸運を」

何を言ってるんですか。呼び止めようとした頃には、何を思ったかこの上官、いきなり走り出して霧の向こうに姿を消したではないか。慌ててローチが霧の奥に目を凝らすと、白いカーテンの向こ
うで、ピッケルを氷に突き刺す音が聞こえた。崖の向こうで、マクダヴィッシュがジャンプした末に壁に飛びつき、その状態でアイスクライミングを始めたのだ。
ちょっと待て。ローチは、足を止めてしまう。大尉は、「あっちで会おう」と言った。つまり、自分も同じことをやらねばならない。その通りだ、とでも言わんばかりに、霧の向こうにいる人影が
壁に引っ付いたまま、手招きしていた。
ええい、ままよ――今更ながら、上官が「幸運を」と言っていた理由が分かった。上手く壁に引っ付けるかは、運による。雪山との運試しだ――助走をつけて、兵士は駆け出す。地面がぎりぎり途
絶える寸前、足に力を込めて一気に跳躍。
氷の壁は、あっという間に目の前に迫ってきた。両腕のピッケルを、躊躇なく力いっぱい突き刺す。食い込みが悪い。予想以上に硬かったのだ。ズルズルと見えない手に足を引きずられるようにし
て、ローチはピッケルを突き刺したまま氷の壁の上を落ちていく。

「踏ん張れ、持ち堪えろ!」

マクダヴィッシュの指示が飛ぶ。言われなくても、力いっぱい踏ん張っていた。それでも落ちていく身体は――止まった。右手で握るピッケルは弾かれるようにして壁から離れてしまったけども、
左手のピッケルが危ういところで、持ち主の身体を引き止めていた。
とは言え、いつまで持つか。うっかり視線を下げてしまったことを、ローチは深く後悔した。このピッケルを手放せば、後は地面に向けて落ちるだけ。にも関わらず、氷に食い込んだはずのピッケ
ルは少しずつ、壁に押し出されるようにして外れかけている。
あぁ、これもう駄目だ! 諦めが脳裏をよぎったのと、ピッケルがついに外れたのはほぼ同時。重力に引っ張られる己が身体、しかし一瞬遅れて視界に現れるのは太く鍛えられた腕。

「おっと。逃がさないぜ」

パシッと、落ちかけた身体の左腕が掴まれ、引き止められる。マクダヴィッシュが、危険を冒して助けに来てくれたのだ。

「た、助かりました。すいません、大尉――」
「礼と謝罪は後回しだ。昇れるな?」

こっちもなかなかきついんだ。そう語る上官の顔に、辛さは見えない。
この人とならどこにだって、どこまでもだって行ける。ローチは、胸に勇気が溢れかえるような気がした。




アナログ極まる方法でアイスクライミングをやり遂げたローチを次に待っていたのは、最先端のデジタルだった。

「ローチ、心拍センサーを見てみろ」

ひとまずまともな足場に辿り着くなり、マクダヴィッシュが命令を下す。これですね、とローチはACRアサルトライフルを構え――米国のマグプル社が原型のMASADAを開発し、レミントン社が軍用モデルを製造する新世代ライフルだ――銃の中ほど、機関部に付属していたパネルを開く。
電子装備の登場により、現代戦は複雑さを増している。彼が開いたこの心拍センサーも、まさしくその最中で登場した索敵のための装備だった。事前に登録を受けた者の心音、つまり味方は青色の
点で表示し、そうでないもの、例えば敵などは白い光点で表示する。これなら視界が極端に悪い環境であっても、敵味方をしっかり識別した上で見失うことはなくなる。

「青が俺、それ以外が白だ。簡単だろう」
「白い奴だけ撃てばいいんですね、分かります」

ならいい、と上官は前進の指示。危険な道のりを乗り越えてきたが故、敵の哨戒網に引っかかることなく目標の空軍基地に接近することができた。もうすぐそこ、左に視線をやれば霧の向こうに滑
走路らしい人工の大地と、誘導灯と思しき光がチラチラ見えている。
とは言え、基地のすぐ傍となれば敵兵がうろついているのも充分にあり得る話だった。現に銃を構え、腰を低くして前進していくマクダヴィッシュとローチの前に姿を見せたのは、AK-47やFAMASを
担いだ敵兵士。間抜けに後姿を晒していたが、無視して進もうにも進行方向が被っていた。

「あの様子じゃ、奴さんたちは俺たちが間近にいるなんて考えもしてないだろう。落ち着いて、確実にやる」

了解、とマクダヴィッシュの命令に頷き、ローチははるか向こうでトボトボと歩いていく敵の背中に銃口を向けた。歩哨の数は二人、どちらか片方を撃てば残った片方が気付き、騒いでしまう。あ
くまでも同時に、二人まとめて射殺する必要がありそうだ。

「お前は左をやれ。3カウントだ」

上官は、サイレンサーを取り付けたM21狙撃銃を右の敵に向ける。指示通りにローチはACRの照準を左の敵兵士に向け、狙う。
引き金に指をかけて、幾つかの呼吸。すっと息を吸い込み、そのまま閉じ込めるようにして呼吸を止めた。

「1、2、3――撃て」

引き金を引く。銃床を押し付ける肩に、軽く小刻みな反動が数回響く。ACRの銃口から放たれた複数の五.五六ミリ弾はサイレンサーで銃声を消された上で、敵兵の背中に襲い掛かった。あっと悲
鳴も上がらぬままに崩れ落ちる敵。隣の兵士は何事かと振り返ろうとした瞬間、マクダヴィッシュの放った弾丸によって仲間の後を追う。
敵兵排除、再度前進。道中、同じように遭遇した歩哨もこれも同様の手筈で難なく排除し、さらに彼らは進んでいった。
基地の外壁に到達すると、マクダヴィッシュがここで「二手に別れよう」と提案してきた。狙撃銃とサーマルゴーグルを持つ彼は高台に上り、観測手となる。ローチは単独で基地に潜入し、上官の
指示と援護射撃を受けながら進んでいく。
しかし、単独か。一瞬不安そうな表情を見せた部下に、ベテラン兵士は安心しろ、と言う。

「この吹雪じゃお前は幽霊みたいなもんだ。よほど近寄らんと、敵は見えんさ」
「理屈はそうかもしれませんが……」
「センサーを頼りに進め、幸運を」

"つべこべ言うな、行け"ってことですね、ハイハイ――そうは言っても、つい先ほどの命の恩人の言うことだ。心拍センサーは正常に機能しているし、何より大尉の言うとおり、さっきから辺りを
漂う雪に風が入り混じりつつある。風、と呼ぶには生温いかもしれない。これはもう吹雪、雪風だ。こうして壁の影に身を潜めている間にも視界は悪化していき、もう五メートル先は真っ白で何も
見えないほどだった。
銃口を正面に突きつけ、ローチは姿勢を低くして進む。ちらりとACRのパネルに目をやるが、白い光点ははるか向こうだ。気付かれた様子もなく、抜き足差し足で忍び込んでいく。
――っと、危ない。肉眼では白い闇に阻まれ何も見えないが、センサーは正確だ。真正面に、こちらに向かってくる白い光点が一つ。傍らにあった資材に身を潜め、一旦敵の視界から逃れることと
する。何も知らない敵兵は、ふんふんとのん気に鼻歌を歌いながら道を行き、ローチが隠れる資材の影にも目をくれず、行き過ぎていった。
プシュッと、聞こえたかも定かではないほど小さな音がその時、彼の耳に入った。視線を上げると、先ほど鼻歌を歌って行き過ぎた敵が道端で倒れ、動かなくなっている。

「忘れてくれ」

片方の耳に突っ込んだイヤホンに、マクダヴィッシュ大尉の声。なるほど、さては狙撃したに違いない。サーマルゴーグルがあるとは言え、この吹雪の中で大したものだ。感嘆として、ローチは前
進を再開する。
さすがにこっそりと侵入しただけあって、敵の警戒網はさほど厳しいものではなかった。詰め所の中でストーブに当たっている敵兵を見つけた時は、羨ましいとも思いつつ無視して先を行く。こっ
ちは山登りの果てに、吐息も凍る寒さの中で戦争をやっていると言うのに。
心拍センサーに映った白い光点をやり過ごし、あるいは観測手に狙撃してもらい、着実に進んでいく。その途中、マクダヴィッシュから指示が飛んだ。

「ローチ、敵の通信を傍受した。南東に給油所があるようだ、プランBのためにC4をセットしてこい」

プランB? それって何にもないって意味じゃ――首をかしげて、しかし命令は命令だ。敵の合間を掻い潜って進んでいくと、やたらと広い空間に躍り出た。地面を見ると、アスファルトが敷き詰め
られた人工のようで、「35」と番号が書かれていたり、矢印が描かれていた。なるほど、どうやら滑走路のようだ。進んでいる途中に敵の戦闘機が飛び上がったり降りてこないかとも思ったが、さ
すがに視界が悪いせいかそれはなさそうだ。駐機されているMiG-29に、離陸しようとする気配は見られなかった。着陸機も、真っ白い虚空の向こうからジェットエンジンの轟音は聞こえてこない。
指示通りに進み、行き止まりにぶち当たる。否、赤いハンドルやパイプ、火気厳禁の標識が立ち並んでいるのを見るに、ここが給油所であるに違いないだろう。バックパックから粘土のようなプラ
スチック爆弾"C4"と信管、起爆装置を持ち出し、貯蔵タンクと思しきものにセット。これでプランBの準備は整った。

「大尉、プランBの用意ができました。今どこです?」
「待て、また敵の通信だ――よし、衛星の保管場所が判明した。南西にある格納庫内だ、手前で落ち合おう。競争だ」

競争って、ちょっと大尉。問いただそうにも、無線の相手は「通信アウト」と一方的に宣言し、回線を切ってしまった。あ、とローチが声を上げる頃には、すでに移動を開始したに違いない。
フライングとは卑怯な。雑念を脳裏によぎらせつつも、再び心拍センサーを頼りに彼は進みだす。目指すは南西、目的の回収対象である衛星が保管されているらしい格納庫だ。




それなりに急いだはずだったのだが、目的地の格納庫裏に辿り着く頃には、すでに心拍センサーが青い光点を映し出していた。
一応警戒しながら進み、屋根の下に入れば、どこで拾ったのかAK-47に持ち替えたマクダヴィッシュの姿があった。

「観光ルートでも通ってきたのか?」
「吹雪で何にも見えやしませんよ」

フムン、それもそうか。ローチに答えに妙に納得した様子で頷いた上官は、しかしすぐにGOサインを下す。今度は自ら先頭に立って、格納庫に通じる扉を開けて突き進む。
扉を抜けると、短い廊下に出た。まっすぐ進んで突き当たりを行けばいよいよ格納庫中心部であるに違いない――が、フラフラと歩いて何者かが正面に現れた。白い迷彩服に、AK-47を担いだ、紛
うことなき敵兵だった。咄嗟に、ローチはACRの銃口を跳ね上げ、敵に向ける。その直前、前を進んでいたマクダヴィッシュがダッと駆け出した。
止める暇もないほど、あっという間の出来事。ベテラン兵士の体当たりを受けた敵はいきなり訳も分からず、廊下の壁に並んでいたロッカーに叩きつけられる。上に置いてあった段ボールが転げ落
ちて、ロッカーの扉が開いて金属音を鳴り立てた。ひっくり返った敵兵に向けて、マクダヴィッシュはナイフを引き抜き、首の急所を一刺し。素早く抜いて、何事もなかったかのようにまた進む。
野獣か、この人は――哀れにも犠牲となった敵兵士の死体を踏み越えて、後を追う。
格納庫中心部に到達すると、彼らを待ち構えていたのは所々に焦げ目がついてしまった、ボロボロの人工衛星だった。これが目標のものであるに違いないが、人工衛星そのものは回収対象には入っ
ていない。どの道、いくら訓練された兵士だからと言って二人で敵地から盗みだせるようなものでもない。

「上に行ってACSモジュールを持って来い」

上官の言うとおり、回収すべきは姿勢制御を司るACSモジュールと呼ばれる部品だ。迷彩服の懐に入ってしまうようなサイズでしかないが、今回の任務はそもそもACSモジュールに深刻なエラーが発
生したが故に生起したものだった。
指示を下す傍ら、マクダヴィッシュは手近にあった電動ドライバーを人工衛星の蓋に押し当て、解体を始めた。どこを調査されたのか調べるためだ。ローチは何も言わず、指示されたとおりに二階
へと続く階段を上る。
警戒しながら進んでみたが、誰もいない。二階に上がった彼を待ち受けていたのは、しんと静まり返った部屋。奥の机の上に、無造作に置かれたACSモジュールがあるのみだった――否、それ以外
にもう一つ。格納庫内部は外とさほど変わらない寒さであるにも関わらず、妙にこの二階だけは暖かい。ストーブが設置されていたのだ。
ACSモジュールを懐に入れて回収、わずかばかりストーブに手を当てて暖を取る。ついつい「はぁー、あったけぇ……」と口に漏らしてしまった。
ピッ、とちょうどその時電子音。ん? と怪訝な表情でストーブに当たったまま手元を見ると、ACRのパネル、心拍センサーに反応があった。白い光点が一つ、二つ、三つ――ちょっと待て。
機械音が鳴り響いたのは、その直後だった。ガコッと扉が開かれるような音。心拍センサーに映る白い光点も、もはや数え切れないほどの数に膨れ上がる。

「ローチ、見つかった」

マクダヴィッシュの声が、通信で届く。




駆け出し、ローチが目撃したのは開かれた格納庫の扉と、その幅いっぱいに広がる敵兵たちの群れだった。中央にいる拳銃を持つ将校らしき男は、おそらく指揮官。ひょっとしたら基地司令かもし
れなかったが、そんなことはどうでもいい。敵兵たちはいずれも銃を構え、照準をすでに合わせているようだった――手を上げ、身動き出来ないでいるマクダヴィッシュに。
助けなきゃ。そう考えるのは、誰にだってあり得る。しかし、どうやって。こっちはアサルトライフルが一丁、向こうは何十丁もある。下手に発砲しようものなら凄まじい弾幕がこちらを襲うであ
ろうし、何より大尉は身動きできない。

「私は当基地司令、ペトロフ少佐だ! 両手を挙げて出て来い!」

将校らしき男、指揮官は拡声器を手にそう告げた。わざわざ名を名乗るのは、自己顕示欲の表れだろうか。ともかくもローチは物陰に身を伏せたまま、敵の動向を伺う。

「侵入者に告ぐ、貴様の仲間は捕らえた! 上にいるのは分かっている、降伏すれば命は助けてやろう!」

やっぱりか。ACRの引き金に指をかけたまま、彼は状況を整理する。敵は、マクダヴィッシュ大尉を人質に取ったつもりでいるのだろう。そして、"上にいるのは分かっている"ということはつまり、
こちらの詳細な位置は概ねでしか掴んでいないのだ。分かっているならさっさと大尉は射殺して、二階に踏み込んでくるに違いない。
とは言え、どうしたものか――フルオート射撃でビビらせないだろうか? いや、発砲炎で位置がバレるだけだ。最初の一瞬は驚くにしても、すぐに体勢を立て直して反撃してくる。たかが一人の
射撃では、その程度が限界なのだ。上官が射撃に加わってくれればまた違ってくるかもしれないが、何度も言うように大尉は手を上げていて、身動き出来ないでいる。

「ローチ、プランB」

――ああ、なるほど。そういえばその手があったか。
囁くようにして入った通信は、当のマクダヴィッシュ大尉からだった。すっかり忘れていた、まだ手はある。
ローチがスイッチを取り出したのと、相手が反応を見せないのに苛立った敵の指揮官が、また拡声器で声を張り上げだすのはほぼ同時の出来事。

「五秒だけ時間をやる! 五、四――」

しかし、上手くいくだろうか。不安が一瞬、脳裏をよぎる。敵が驚いてくれなければ、全ては水の泡と化す。大尉は撃たれて死に、おそらくは自分も後を追う羽目になるだろう。

「三、二――」

ええい、ままよ。半ばヤケクソ気味な勢いで、ローチはスイッチを押す。

「一――!?」

プランB、発動。格納庫の扉の向こう、滑走路よりも先にある給油所で、派手な火の手が上がった。爆発、炎と衝撃のカーニバル。その場にいた誰もが、何事かと後ろを振り返った――今だ!
C4爆弾を遠隔操作スイッチを放り投げて、ローチはバッと物陰から身を乗り出す。ACRのセレクターをフルオートにセット、引き金を引いて射撃開始。デタラメな照準、しかし突如として降り注ぐ
銃弾の雨は、一瞬の隙を見せた敵兵たちにとって脅威と呼ぶほかなかった。何名かはウッと短い悲鳴を上げて倒れ、大部分は驚き怯え、反撃もままならないまま逃げ出そうとする。
直後、格納庫内に、ローチのACRとは異なる銃声が響き渡る。拝借したAK-47の連続射撃音、マクダヴィッシュが反撃に転じたのだ。二人の一斉射撃を受けた敵軍は、数で勝っているにも関わらず片
っ端から薙ぎ倒されていく。
やった、うまく行った――階段を下りて、ローチは上官と合流。ついでに空になったマガジンを投げ捨て、予備のマガジンを差し込み、コッキングレバーを引く。息を吹き返したACR、銃口を前に構
えて彼はマクダヴィッシュに指示を仰ぐ。

「ローチ、ついて来い! 駐機されてる敵機を盾に、滑走路を突っ切るぞ!」
「了解!」

銃声、爆音、悲鳴、怒号。吹雪のみが唸りを上げていた雪山の空軍基地は、戦場の姿へと一変する。




敵の妨害射撃を切り抜け、銃撃に巻き込まれて引火したMiG-29の爆風に晒されそうになりながら、二人は敵地の中を突き進む。

「GO! GO! GO!」

上官に言われるまでもなく、ローチはひたすら前を行く。途中で時折振り返って、なおも追撃を仕掛けてくる敵に向かって五.五六ミリ弾を叩き込む。怯んだ隙に走って走って、背中を撃たれる恐
怖に打ち勝てなくなったらまた振り返って交戦するの繰り返し。
先を行くマクダヴィッシュも、考えなしに逃げ回っていた訳ではない。滑走路の向こう側、基地の外に繋がる斜面は一気に飛び降りれば、自分たちを回収するヘリとの合流地点に向かうことが出来
る。部下と共に雪と氷でコーティングされた斜面を滑り降り、すぐさま振り返って迫る敵を撃つ、撃つ、撃つ。
敵も黙って撃たれる訳ではなかった。彼らはスノーモービルを持ち出し、二人一組となってローチたちの進行方向に先回りを図る。が、一両が雪上を駆け進んでいたところで、小屋の影に潜んでい
たマクダヴィッシュの強烈なピッケル攻撃を浴び、ひっくり返った。投げ出された敵兵はあえなく死亡してしまったが、彼らが乗ってきたスノーモービルは健在だ。

「ローチ、こいつを奪え。一気に脱出だ!」
「俺スノーモービルなんか運転したことありませんよ!?」
「だったら尚更、いい機会だ!」

無茶苦茶だ――しかし、徒歩よりはるかに速いには違いない。結局座席に跨り、上官を後ろに乗せてローチはアクセルを回す。元の持ち主を殺されたにも関わらず、スノーモービルは元気よくエン
ジンを吹かし、猛然と雪の上を加速していった。機械に感情はないはずだ。

「キロ6-1、第一回収地点には到達不可能! 予備の回収地点へ向かう、オーバー!」
「こちらキロ6-1、了解。第二回収地点に向かう、アウト」

通信機に向けて怒鳴る上官をよそに、ハンドルを握るローチの思考は運転に精一杯だった。頬を痛いほどに叩く風、耳元で唸る空気の流れていく音、吹っ飛んでいく雪山の風景。スノーモービルは
アクセルを吹かせば吹かすほど速度を増し、白銀の世界を駆け抜けていく。
パッパッとその時、はるか正面で地面に降り積もった雪が弾けるように舞うのが見えた。すぐに視界の片隅に流れて消えていってしまう、そのくらい一瞬の出来事だったが、間違いなく見えた。サ
イドミラーに目をやれば、同じく銀の世界を駆け抜け追って来る敵兵たちのスノーモービルが一両、二両とチラつく。くそったれ、追撃してくるのか。安全運転だけで精一杯なのに。

「大尉、後ろ、後ろ! 後ろに敵!」
「見えてるよ、前を見てろ」

突き進むスノーモービルのすぐ傍らを、弾着が駆け抜けていく。それでも後席の上官は冷静とものん気とも取れる回答。グロック18Cを持ち出し、片手で構えて敵に向かって弾をばら撒く。さすがに
照準の余裕はない。とにかく撃ちまくって、敵をビビらせ射撃をやめさせるほかなかった。
悪いことは、さらに続く。歩兵の持つ小口径の弾丸は雪を舞い散らせる程度だったのだが、背後から突如降り注いだ炎の矢は進行方向にあった木を吹き飛ばし、叩き折った。咄嗟にハンドルを切って
回避するも、耳元で唸る風の声に混ざる形で聴覚に飛び込んできたのは、ヘリのローター音。味方であると思いたかったが、先ほどのロケット弾射撃はどう見ても誤射ではなく狙ったものだ。

「後方にハインド! ローチ、スピード上げろ! GO! GO! GO!」

分かってます、分かってますからあんまり怒鳴らないで集中できない! 泣き出したくなる衝動に駆られ、ローチはひたすらスノーモービルの操作に集中する。背後より迫るヘリは、Mi-24Dハインド。
生身の人間二人に攻撃ヘリまで投入とは、よっぽど敵さん頭に来たらしい。何でだよ、ちょっと落し物を拾いに来ただけなのに。
もちろん、嘆いたところで状況は変わらない。降り注ぐロケット弾と銃弾の雨、被弾しないのが不思議なくらいの攻撃を掻い潜り、彼らを乗せた鋼鉄の馬は雪山の白い斜面を乗り越える。妨害に現
れた進路上の敵もひき殺すような勢いで加速し、突き進んでいたところで、今度は斜面を下りに入っていく。
速い――たまらず、ローチはアクセルを握る手の力を緩めた。しかし、それでもスノーモービルは加速していく。坂道を下っているのだから、当然ではあるのだが――速い、速い、速い、速過ぎる!
どうするんだこれ、止まれないぞ! 向こうは、崖だ!

「ローチ、まっすぐだ! この先が回収地点だ!」
「はぁ!? なんですって!?」
「まっすぐだ!」

落ちるでしょうが! 上官からの指示に、しかしローチはどの道逆らえない。今更ブレーキをかけたところで、間に合うはずもない。そのくらいスノーモービルは加速しきっており、もはや止まるこ
とを知らない暴れ馬と化していた。敵の銃火も途絶えてしまった。完全に振り切ってしまったのか、この先はもう崖であることを知っていたのか。
バッと、彼らを乗せたスノーモービルは崖を飛び越えた。加速していた車体は慣性の法則に乗っ取り、地面を離れてなお前に進む。
あ、これ、ひょっとしたら助かるんじゃないか。ほんの一瞬、胸のうちでローチは生存の可能性を見出した。なるほど、マクダヴィッシュ大尉は最初からこれを目論んでこのルートを。ごめんな
さい大尉、俺大尉のことを勘違いしてました――崖の向こう側、地面に辿り着くほんの五メートルほど手前で、スノーモービルは下を向き始める――くそったれ、信じた俺が馬鹿だった!

「落ちるぅ!!」
「落ちねぇよ!!」

あぁ!? ともはや生きることを諦めヤケクソになった彼が顔を上げる。視界に映ったのは、人。こっちに手を差し伸べる、人間の男だった。いや、本当に人間なのだろうか。こいつが人間であると
するなら、何故こちらは重力に引っ張られて絶賛落下中だと言うのに、こいつは宙に浮いていられるのか。
されど、全ての疑問は後回し。ハンドルから手を離し、ローチは突如現れた空中浮遊する男が差し出した腕を掴む。男はそれだけでは飽き足らず、後席にいたマクダヴィッシュにも手を伸ばしていた。
何も言わず、彼は男の差し出す手を掴み、落下現象から脱出。スノーモービルだけが見えない腕に引っ張られるようにして、底も見えない崖の下に落ちていった。

「キロ6-1、二人の回収に成功した。これから連れて行く!」
「キロ6-1了解。ティーダ1尉、早めに頼む。燃料が限界近いんだ」

あいよ、とヘリとの交信を終えた空中浮遊の男は、次に自分が抱える二人の兵士を見た。

「……妹へのお土産にしちゃあ、ちょっと無愛想だな。礼の一つも言ってくれよ」
「――すまない、お前の言うとおりだ。助かった、ありがとう。管理局の魔導師か?」
「お、分かる?」

マクダヴィッシュは彼のことを何か知っているようだ。しかし、ローチの方は、もちろん何がなんなのかさっぱりな状態である訳で。
何でもいいから早く下ろしてくれ――眼下に広がる雪の大地、白一面の銀世界は、無表情に彼を見つめていた。





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最終更新:2011年09月29日 22:33