「スバルー、どこ行ったのー? スバルー?」
休日の日の空港は、少女の妹を捜し求める声を簡単に打ち消してしまう。大人たちはほとんど声に気付かず、あるいは気付いても所詮は他人事、せいぜいが心配そうな視線を送る程度だった。
もう、どこ行っちゃったんだろう。少しばかり疲れた表情を浮かべて、彼女は壁にもたれかかった。かれこれ一時間探し回っているが、はぐれた妹は見つからない。
見惚れてしまうような紫色の、女の子らしくリボンで結った髪を右手で掻き分け、視線は周囲を探ってみる。ひとまず目についたのは、空港の総合案内所だった。迷子の情報も、ひょっとしたら取
り扱っているかもしれない。
「あの、すいません」
「はい、何でしょう?」
案内を務める受付嬢は、子供である彼女にも変わらず柔らかい笑みで応えてくれた。ひょっとしたら営業スマイルの可能性も否定できないが、今の少女にそこまで考える余裕はないし、そもそも普
段であっても疑うような真似はしないだろう。
「私、妹を探してるんです。名前は、スバル・ナカジマって言って……」
「あら、迷子? 大変、すぐ探してあげるね」
どうやら受付嬢の笑みは、本物だったらしい。女の子の申し出を真摯な表情で受け止め、服装や身長、どこではぐれたのかを少女に問う。一通りの質問を終えて、専用の端末に指を走らせ、データ
を入力する。少女にはこの受付嬢が何をしているのか分からなかったが、おそらくコンピューターで妹を探してくれているに違いないと考えた。
不意に、受付嬢の指が止まる。そうだ、忘れてたわと端末から女の子に視線を戻し、聞いておくべきことを彼女に問いかける。
「ごめんなさい、あなたのお名前を教えてくれる? 放送でスバルちゃんを呼んでみるから必要なの」
「あ、はい。ギンガです、ギンガ・ナカジマ」
ギンガ、と名乗った少女の答えを聞いて、受付嬢はありがとう、と礼を告げる。程なくして、空港全体に迷子の知らせを告げる放送が鳴り響いた。同時に心優しい受付嬢はローカル回線を通じ、迷
子の特徴を各部署に連絡し、見かけたらこちらに一報して保護して欲しいとも言ってくれた。
「もう大丈夫、すぐ見つかるから。しばらく近くで待っててくれる? 妹が見つかったら呼ぶね」
「は、はい。ありがとうございます!」
まっすぐなお礼の言葉に、彼女はニコリと笑って応えてくれた。言われるがまま、ギンガは案内所を少し離れ、適当に近場にあったベンチに腰を下ろす。
とは言え、不安はなおも胸の中を覆ったままだ。あのお姉さんを信用していない訳ではないが、もし誘拐などされていたら、と思考は余計な想像をしてしまう。そんなことない、とすぐ否定に入る
も、やはり気持ちは変わらなかった。
ハァ、と少しため息をついたところで、ベンチから立ち上がる。どうにも、一箇所にじっとしていられなかった。近くを歩き回る程度ならいいだろうと思い、ギンガは歩き出す。ひょっとしたら案
外、すぐ近くにいるかもしれないと思った。父が言っていたのだ、「灯台下暗し」と。
辺りに視線を漂わせながら進んでいくと、前を見た時突然、視界を黒いものが埋め尽くしていた。直後に衝撃が走り、キャッとたまらず悲鳴を上げてしまう。ひっくり返る身体、思い切り尻餅をつ
いてしまう。誰かとぶつかったのだ。
「イタタ……あ、ご、ごめんなさい」
地面に打ち付けたお尻をさすりながら、それでも育ちの良さは彼女を反射的に謝らせてしまう。前をよく見ていなかったのは自分なのだ。謝るのは当然のことと、ギンガは考えていた。
――しかし、顔を上げた先に見えたのは、言い知れない恐怖だった。ぶつかったと思しき黒いスーツの男は、こちらを一瞥しただけで何も言わず、立ち去っていく。その、一瞥した瞬間に垣間見え
た男の眼に、少女は恐怖を覚えた。何も感じていない無感情な眼、まるで鮫のようだった。石ころでも踏んだ程度にしか、こちらの存在を認識していなかったのかもしれない。別段、踏み殺しても
何の躊躇いも後悔も見せないほどに。
突然の恐怖に固まっていたギンガに、手を差し伸べたのは同じ黒いスーツの男だった。だが、こちらはまだ若い。がっしりした体格はいかにもスーツが窮屈そうだったが、あの鮫のような男よりは
はるかにずっと人間らしさを持っていた。でなければ「大丈夫?」と声をかけてくるはずがない。
「君、君。大丈夫かい?」
「あ……は、はい、大丈夫です」
「そうか、よかった――すまない、ぶつかったのは俺の友人なんだ。後でちゃんと言っておくよ」
若い男は、親切だった。手を差し出しギンガが立ち上がるのを手伝ってくれたばかりか、服をパッパッと叩いて埃を取り除いてくれた。大きな荷物を抱えていたにも関わらず。一通りギンガの無事
を確認したところで、男は先ほど彼女とぶつかった彼曰く『友人』を追いかけ、立ち去ろうとする。
「あ、あの、すいません」
その背中を、彼女は呼び止めた。なんだい、と男は振り返る。決して嫌そうな表情は見せなかったが、急いでいるようではあった。
「わたし、妹を探してるんです。髪は青で、眼は緑。スカートで、ポーチを持ってるんですけど――」
「迷子かい? …いや、悪いが見てないな」
そうですか、と落胆した表情は隠し切れず、ギンガは言う。男はそのまま、先に行った友人の後を追って進んでいく。
しょうがないか、もう少し待ってみよう。渋々先ほど座っていたベンチに戻った彼女は、そこでふと気付く。あの男たちが進んでいった方向は、『関係者以外立ち入り禁止』と看板が立てられてい
た。にも関わらず進んでいったと言うことは、もしかして空港のスタッフだったのだろうか。
回る思考が導き出した予想は、しかしそれで終わる。そんなことより、今のギンガには妹の方が心配だった。
Call of lyrical Modern Warfare 2
第4話 No Russian / 自分自身は欺けない
SIDE C.I.A
三日目 0840
ミッドチルダ ミッドチルダ臨海空港
ジョセフ・アレン上等兵=アレクセイ・ボロディン
――彼らは任務を果たしたようだ。ACSモジュールの回収に成功した。
まるで幻聴のように、脳裏に響く声があった。
それは出発前、将軍から下された命令を受け取った時、彼自身の口から語られたもの。
――君には、これ以上の成果を期待したい。
無茶を言う。率直な感想は、胸の中で呟くしかない。これから自分が臨む任務は、単なる敵地への潜入とは訳が違うのだ。
無論、あの将軍はだからこそ自分に「期待する」と言ったに違いない。困難をやり遂げてもらうために、わざわざ自ら最前線に出向き、自分好みの兵士をその眼で見て引き抜いた。
しかしこれは、とアレンは口にする。こんなものが、本当に任務といえるのか。
――昨日までの君はもはや過去のものだ。今や戦争は何処にでも起こり得る。犠牲者もまた然り。
――マカロフは自分のための戦争を繰り返してきた。拷問、人身売買、虐殺、何も躊躇はしない。
――君を潜り込ませるために、我々は相応の代価を支払った。君自身も、何かを失う羽目になる。
――だが、アレン上等兵。長い眼で見ろ、君はそれ以上に大勢の人命を救うことになるだろう。
本当だろうか。将軍の言葉に、アレンは疑問を持たざるを得ない。疑問というより、否定に近かったかもしれないが。
兵士は、与えられた任務を遂行することに全力を尽くす。何をどうすべきか、などは兵士が考えるべきことではない。本来それは、軍においては参謀であり将軍であり、もっと大きく見るなら国家
元首が受け持つことだ。政治体制が民主主義であれば、考えるべきは国民と言うことになる。
だが、命令書を受け取ったアレンは、自分の立場も忘れてしまうくらいに激しい感情を覚えた。すなわち、怒りだ。こんな馬鹿な話があるか、狂ってやがる。それも、俺にこの任務をやれと言う。
かろうじて顔には出さない程度に自身の感情を押さえ込みはしたが、それでもきっと見抜かれていたのだろう。肩に手を置き、彼に狂気の命令を下したあの将軍は、静かに告げる。
――狂気に立ち向かうには、自らも狂気を持つしかない。冷酷には冷酷を、死には死を。
立ち入り禁止区画内にあるエレベーターまでの道程は、実に簡単なものだった。
立ち塞がっていたのは関係者以外の進入を禁ずると言う旨が書かれた看板程度であり、誰も彼らを止めようとはしなかった。時空管理局の中心世界と言うだけあって治安の良さは高い領域にあるよ
うだが、それがかえって仇となった。誰もが、テロなど起こるはずがないという認識の下に暮らしていた。
途中で監視カメラに出くわしたりもしたが、なんてこともない。通報を受けた警備員がここは立ち入り禁止ですよ、と告げに手ぶらで、もしくはせいぜい警棒を手に現れたくらいだ。道に迷った、
と適当な嘘ではぐらかし、道案内させたところで監視カメラの死角に連れ込み、口封じ。手っ取り早く、サイレンサーを装着した拳銃で射殺した。
エレベーターにまで到達したところで、アレンとその"友人"たちは抱えてきた荷物の中身を開封した。銃のマガジンが幾つも入るタクティカル・ベストに、手榴弾、ナイフ、そしてM240軽機関銃に
M4A1のM203グレネードランチャー装備など各種銃器。
"友人"たちはみんなロシア人であるはずだが、持ち込んだ銃は全て米国製だ。超国家主義者たちはもともと、祖国への狂信的な愛国心は持っていても武器に関してはそこそこに無頓着だと聞いた。
リーダーが祖国再興にこだわらない人物に代わってからは、それがますます拍車をかけたことになる。
しかし、妙な気分だった。アレンは生まれも育ちもアメリカだが、今は『アレクセイ・ボロディン』と言う名で彼らの下に加わっている。ロシア人として。要するに、スパイだ。超国家主義者たち
の内側に溶け込み、共にテロ活動を行うことで信頼を得て、外からでは決して得られない情報を入手するために。
ロシア製の銃火器を不自然なく扱えるよう訓練は受けたが、実際に持たされたのは使い慣れたアメリカ製。なるほど、妙な気分とはつまりここから来たのだろう。
――否。彼が抱える"妙な気分"とは、決して銃に関する事柄だけではないはずだ。
スーツの上にタクティカル・ベストを羽織り、M240に弾丸を装填。M4A1を肩に下げて武装完了したアレンと"友人"たちは、エレベーターに乗り込んだ。スイッチを押して、一階の手荷物検査場前へ。
今日は世間的には休日であるから、ミッドチルダのどこの空港も旅行客で賑わっているはずだ。この臨海空港とて、例外ではない。
「C нами бог」
不意に、エレベーター内でロシア語が響いた。アレンは視線を上げ、声を発した"友人"たちの一人を見る。
「Remember.No Russian(忘れるな、ロシア語は禁止だ)」
ロシア語を発した男の口から次に出たのは、流暢な英語だった。アメリカ人のアレンが聞いても判別するのはおそらく不可能な、完璧な発音。まるで翻訳機の如く、感情が抑制されたような声でも
あったが――感情。男の眼と同じだった。鮫のように無感情な眼が、同行する仲間たちに指示を徹底させるようにして視線を送る。皆、黙って頷いた。
最初に、奴はロシア語でなんと言った? エレベーターが一階に降りるまでのわずかな時間、アレンは思考を走らせる。大学時代、アメリカ以外の国をもっと知りたいと思った彼は語学の道を選び、
ロシア語を覚えた。皮肉にも学んだ知識はこのようなことに生かす羽目になったが――両親が、自分を大学に行かせるために借金をしているのを知ったのは卒業間近。彼は金を稼ぐために軍に入っ
た――そのデータベースの中に、男の呟いた言葉はあった。意味は、"神と共に在らんことを"のはず。
馬鹿な、神だと。こんな行いを、いったいどこの神が許してくれると言うのか。それとも自分が神にでもなったつもりか、マカロフは。
――そう、この鮫のように無感情な眼を持つ男こそ、超国家主義者たちの新たなリーダー、マカロフだ。任務は彼に近付き、信頼を得ること。そのためにアレンは身分を偽り人を欺き、ここにいる。
チン、とエレベーターのベルが鳴った。扉が開かれ、マカロフたちは歩み出る。一階の手荷物検査場は、予想通り旅行客で人だかりが出来ていた。銃口を向けて引き金を引けば、照準を合わせずと
も地獄絵図が即座に一枚完成する。
マカロフの狙いは、まさしくその地獄絵図を作ることにあった。この魔法文明が栄える平和な世界、ミッドチルダにて。
何も知らない人々は、エレベーターから降りてきた彼らに最初は気付かなかった。何名かがおや、と振り返り、ミッドチルダでは映画やゲームの中でしかまず見ることのない銃火器で武装している
姿を見出し、ざわざわと騒ぎ始める。
もし、人々に過ちがあるとすれば――荷物を捨ててでも、即座に逃げだなかったことだろう。ロシア人たちの無感情な眼の奥にあったのは、殺意と呼ぶことすら生ぬるいほどの冷たく、そして残酷
な思考。
銃口が上がり、人々に突きつけられる。それでも彼らは動かなかった。戸惑い、怯え、しかし目の前の光景にどこか非現実的なものを感じ、それが生存本能をも鈍らせた。
次の瞬間、銃声と、それより数瞬遅れる形で発生した悲鳴が、臨海空港に響き渡った。
SIDE U.S.M.C
三日目 時刻 0932
ミッドチルダ 首都クラナガン
ポール・ジャクソン 米海兵隊曹長 在ミッドチルダ米軍連絡官
「ごめんなぁ、シャマルは今ちょっと買い物行っとるんよ」
紛争世界から自分のデスクがあるミッドチルダに帰還したジャクソンは、八神はやての自宅を訪れていた。先日、この家の家人であるシャマルから頂いた弁当箱を返すためだ。ついでに愛する彼女
とささやかだが楽しいお喋りを味わう魂胆だったのだが、間が悪かったようだ。
家の主であるはやては、まだ一〇代の後半に達したか達していないかと言う年齢の少女だ。栗毛色の髪と整った顔立ち、独特のイントネーションは可愛らしさを持っているが、これでも数多の次元
世界の平和を守る時空管理局の一員でもある。階級も三佐、ジャクソンの所属する米海兵隊で言うところの少佐に値し、立場で言うなら彼女は上官と言うことになる。
「まぁ、すぐ戻ると思うから。コーヒーでも飲んでゆっくりしとく?」
「悪いな、ありがとう。君のとこには世話になりっぱなしだな、まったく」
大げさやねぇ、コーヒー一杯でとはやてはカラカラ笑い、海兵隊員をリビングにまで案内した。
階級に関わらず、こうしたやり取りが二人の間に成り立っているのは生まれや組織を超えた、長年の付き合いがあるからだ。戦場で死にかけたジャクソンを、家人の一人であるヴィータが助けて彼
を八神家にまで連れ込み、皆が手厚い看護を施した。以来、ジャクソンは八神家に強い恩義を感じ、八神家もまた彼を受け入れるようになっていった。お互い住居がミッドチルダに変わってからは
交流はさらに深まり、今日に至っている。
「しかし、今日はどうしたんだ。こんな時間帯に一人でいるなんて、珍しいじゃないか」
「昨日は夜遅くまで、計画立案を煮詰めとってね。ほんでも目処が立ったから、今日はお休み頂いたんや」
「へぇ」
他愛もないお喋りに興じて、お互いコーヒーを飲む。はやての話によれば、シグナムは彼女の言う計画とやらのために協力するため、本局の武装隊と調整業務。ヴィータはデバイスの調整整備のた
め、技術開発部に足を運んで今日は一日帰ってこないと言う。シャマルは、玄関で最初に会った時に話した通り、生活必需品の買出し中。
「狼はどうした、守護獣は」
「あ、居るよ。おーい、ザフィーラ」
はやてが呼ぶと、すぐに奥から青い毛並みをした狼が現れた。盾の守護獣ザフィーラ、ジャクソンとは同じ男同士でなんとなくウマが合う。
「ジャクソン、来ていたのか」
「シャマルに弁当箱を返しにな。お前、ちゃんと食べてるか? 少し痩せたように見えるが」
「引き締まったと言え。ここ最近は、特に鍛錬を重ねているのだ」
そりゃ頼もしい限りだな、と海兵隊員は笑う。実際頼もしいでザフィーラは、とは家の主の談。
しかし、とジャクソンは振り返る。そういえば、以前ヴィータと会った時も「最近訓練を煮詰めててな」と話されたような気がする。シグナムも、顔を会わせれば「少し付き合わないか」と愛用の
デバイスをちらつかせて来た。その時は丁重にお断りしつつも、何だか最近八神家は一家揃って忙しそうにしているように見えたのだ。
「なぁ、はやて。その、お前さんが煮詰めていたと言う計画って、いったい何だ?」
「え? どしたん、急に」
「いや、何だか最近、妙に八神家は忙しそうだからな。何か関係しているのかと思って」
少しばかり間を置いて、「あー…」とはやては答えるべきか否か、迷ったような返事をした。関係があるのは間違いないようだが、話していいかどうかとなると別問題なのだろう。
――計画? そういえばこちらもつい最近、誰かの口から何かの計画が管理局内でも進行しているとか耳にした。誰からだろう。
記憶の底に探りを入れて、答えに到達したのと、ザフィーラが会話に入ってきたのはほぼ同時の出来事だった。
「ジャクソン。クロノ執務官から、何も聞いてないか?」
「ああ、ちょうど思い出したところだ。昨日、アイツから聞いたんだ。管理局内で、ある部隊を新設しようって話を。計画にはクロノも関わってて、しかしメインの立案者は他にいると。俺がよく
知る人物だ、とかも言っていたな」
「……あ、なんや。そこまで聞いとるん?」
はやては意外そうな顔をする。その表情を見て、ジャクソンは頭の中でパズルのピースが一つ、組み合ったような気がした。なるほど、立案者とはつまり――
「っと、すまない。呼び出しだ」
「あ、うちも……なんやろ、偶然にしては嫌な予感のするタイミングやな。米軍(そっち)からも管理局(うち)からもとか」
そうだな、と彼は相槌を打った。ポケットから携帯電話を取り出すと、勤め先の在ミッドチルダ米軍司令部のオフィスからだった。はやても文字通り魔法の通信回線を開き、目の前に半透明の通信
用ディスプレイを展開させる。
一瞬遅れて、つけっ放しにしていたテレビの画面の中でやっていた番組が切り替わり、臨時ニュースが始まっていたことなど知る由もない。否、知る必要すらなかった。
『臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます。一時間ほど前、ミッドチルダ臨海空港にて複数の銃声があり、多数の死傷者が出ている模様です。詳しいことは分かっていませんが
テロではないかと言う見方が強く、管理局がただちに部隊を移動させているようです――』
SIDE C.I.A
三日目 0905
ミッドチルダ ミッドチルダ臨海空港
ジョセフ・アレン上等兵=アレクセイ・ボロディン
何をやっているんだ、俺は。
何をやっているんだ、俺は。
何をやっているんだ、俺は。
何をやっているんだ、俺は。
何をやっているんだ、俺は。
何をやっているんだ、俺は。
何度も何度も、自問自答の声が脳裏で響き渡る。いや、自問"自答"ではない。自分は、自分のした質問に答えられていない。答える前に、銃声と悲鳴が思考を掻き乱し、消し去ってしまう。
空港の中は、すでに見渡す限りの死体の山が築かれていた。大人も、老人も、子供も、男も、女も、老若男女は一切関係なく、全ての人が殺戮の対象に晒されていた。
果敢に抵抗を試みる者も、逃げ惑う者も、手を上げて命乞いをする者も、関係なかった。マカロフを初めとする超国家主義者たちは、視界に人が入れば容赦なく鉛弾を撃ち込んだ。
俺は――大量殺戮の現場を、アレンはただ指を咥えて見過ごすことすら許されない。そんなことをすれば、何故撃たないのかと怪しまれるからだ――何をやっているんだ。俺は。
自身が構えるM240の銃身は、すでに何十発も連射したことで熱を持っていた。カチンッと機械音が鳴り、まるで銃がもういいだろう、やめようと訴えかけるようにして弾切れを伝えてくる。
いいや、やめようと言っているのは自分の良心だ。にも関わらず、アレンは息絶えたM240に新たな弾丸を込める。カバーを開き、薬室にベルトで繋がった七.六二ミリ弾を入れて、閉じた。息を吹
き返した軽機関銃の銃声は、もうやめてくれと叫んでいるようにすら聞こえた。
せめてもの慰めは、彼は明確に生きている人間を狙っては発砲していないという事実だ。すでにマカロフたちの凶弾に倒れ、息絶えた人々の骸に向けて弾をばら撒く。目の前で狙われている人がい
ても、このテロリストたちに手出しすることは許されない。せいぜいが、早く逃げてくれと祈るくらいだ。自分の"死体撃ち"にしたところで、死んでも銃弾の雨に晒され傷ついていく者の気分を考
えれば、最悪と呼ぶほかない。
血と死体で埋まっていく地面、鼻を突く硝煙と血の匂い、耳をつんざく悲鳴と銃声。もう何人死んだだろうか。数えることも不可能なほどに増えていく死体は、どこに視線をやっても否応なしにア
レンに事実を突きつけてくる。テロ行為に加担したと言う事実。止められる立場でありながら、任務のためと称して止めようとしない事実。誰も助けられないと言う事実。
くそ、と旨のうちで吐き捨てたところで、何かが変わる訳でもなかった。
ちょうどその時、ガラス越しに空港の外で、ヘリコプターが複数駆け抜けていくのが見えた。一瞬だったが、胴体に描かれた標識マークは時空管理局のものだった。通報を受けて、ようやく鎮圧の
ための部隊が動き出してくれたのか。
「Let's go!」
前を行くマカロフが、前進速度を速めろと指示を下す。自らが生み出した地獄絵図を、この男は犬の糞でも見つけたような表情で見ていた。狂ってやがる、とアレンは聞こえないよう小さく呟いた。
「予定通りの時間だな――弾薬を確認しろ」
こんなくそったれの指示を、聞かねばならないのか。ただの兵士である彼は、しかし他になす術がない。良心によって胸をえぐられるような痛みを必死に堪えて、ベルト給弾方式のM240に弾薬を再
び装填。他の者と不本意極まりないコンビネーションで互いの死角をカバーし合いながら、彼らは前に進む。目指すは駐機場を抜けた先にある駐車場だ。
管理局の部隊は、当然こちらをテロリストとして鎮圧しに来るだろう。抵抗力が皆無の民間人や、貧弱な装備しか持たない空港の警備員たちと違って、本気で撃ってくるはずだ。"死体撃ち"で誤魔
化すような真似は、もう通用しないかもしれない。
逃げられないってのか、俺は――撃たねば、撃たれる。幾度も潜り抜けてきた戦場での鉄則が、こうも胸糞悪く絡み付いてくるのは初めてだった。
「この時をどれほど待ち侘びたか」
「お互いにな――管理局だ、始末しろ。ザカエフのために」
部下の言葉に応えて、マカロフは正面に現れた管理局の魔導師たちに向け、射撃を指示。自分自身もM4A1の銃口を向け、容赦なく五.五六ミリ弾を叩き込んでいく。
魔導師たちは、突然降り注いできた質量兵器の雨に、文字通り魔法の力でもって対抗した。二隊に分かれた彼らは、一隊が前に出て防御魔法を発動。魔法の壁で弾丸を弾き返しながら、残った一隊
が標準的なストレージデバイスを構えて、魔力弾による射撃を開始する。
交差する弾丸同士、しかしマカロフたちの放った銃弾は光の膜に弾かれる一方で、魔導師たちの放った青白い弾丸は何者にも妨害されず、テロリストたちに降り注いだ。無論、アレンにも例外なく。
身を掠める魔法の弾丸、こちらは遮蔽物に身を隠して凌ぐが精一杯。生命への危険が、彼に判断を迫る。撃つか、撃たれるか。
「――畜生め」
もし戻れたら、自分をこんな任務に就かせたあの将軍に、この銃弾を叩き込んでやる。何が「君はそれ以上に大勢の人命を救うことになるだろう」だ。俺は結果として本来の味方を、ティーダの戦
友たちを撃つ羽目になった。このツケは、あのふざけたシェパードの野郎の命で払ってもらう。そしたら次はマカロフだ。俺がコイツを殺す。それが、俺に出来る唯一の償いだ。
だから許せ――とは絶対に、彼は思わなかった。M240の銃口を、防御魔法を展開させる魔導師たちに向ける。引き金を引き、ありったけの七.六二ミリ弾を叩き込んだ。唸る銃声、照準の向こうで
光瞬くマズルフラッシュ。
普通に射撃したくらいでは、魔法の壁は撃ち破れなかっただろう。だが、M240は軽機関銃だ。毎分七五〇発と言う連射速度で、ただでさえストッピングパワーの高い七.六二ミリ弾を高初速で長い
時間放ち続けることが出来る。豪雨のような銃撃に晒された魔導師たちは前進を停止するも、なおも続く銃撃の乱打に魔法の壁が、文字通り『崩壊』してしまった。あっと彼らが声を上げた次の瞬
間、続く銃弾がバリアジャケットを貫通し、人体などと言う脆弱な物質をぶち抜き、肉を抉る。飛び散る血潮、救助を求める声すらもが更なる銃声にかき消されていった。
すまない、すまない、すまない。自分の銃撃で撃ち倒されていくアレンの思考は、決して敵を倒したと言う爽快感も得なければ、これで奴らも引かざるを得ないと言う安心感もない。ただ、脳裏を
駆け巡るのは懺悔の言葉。恨んでくれていい。俺は殺されても文句は言えないんだ。いや、いっそ殺してくれた方が、どれだけ楽なことか。
魔導師たちは後退を余儀なくされた。緊急出動だったが故、装備も人員もままならない状態で交戦したのもあったのかもしれない。ともかくも、彼らは退いていく。その背中に向けて、マカロフが
M4A1の銃身の下に付属していたM203グレネードランチャーの砲口を向ける。
やめろ、と心の中で叫んだ。彼らはもう後退している、交戦の意思はないんだ。弾薬の無駄だと言って何とか止めさせよう。そう考えた頃には、ポンッと軽い発射音が響き、グレネードが引き下が
っていく魔導師たちの中心で炸裂した。爆風と衝撃、破片が彼らを薙ぎ倒し、容赦なく命を奪っていく。
「行くぞ、前進する」
くそ――相変わらず、眉一つ動かさないこの冷酷な男の背中に向け、思わずアレンは銃口を上げようとしてしまった――くそ、くそ、くそ! どこまでコイツの後を追えばいいんだ。目標を達したと
して、その時どれだけの人の命が失われているんだ。
俺は、何をやっているんだ。
「進路クリア、GO」
魔導師たちの撃退に成功した彼らは、なおも進む。
機械室に入り、ポンプと配電盤が並ぶ最中を駆け抜けていく途中、アレンは不意に、何かを耳にした。距離は、そう遠くない。すぐ近くと言ってもいいくらいだ。何の音だったのかは、定かではな
かったが。
「敵か? それとも生き残りがいたか」
「俺が見てくる」
どうやらマカロフにも聞こえていたらしい。身を乗り出し、アレンは自ら偵察を申し出た。先に行ってくれ、戻ってこなかったら死んだと思えとも付け加えて。
実際は、もちろんこれ以上マカロフたちに誰も殺させないためだ。この機械室のどこかに、管理局の魔導師が潜伏しているにしても、民間人の生き残りが隠れているにしても、どちらであってもこ
いつらは躊躇いなく撃つだろう。もしここで自分が行けば、自分で撃つか撃たないか判断できる。魔導師であったならば適当に撃って脅かし、殺さず追い返す。民間人だったなら、素直に見逃す。
マカロフは、一瞬怪訝そうな表情を見せた――ようやく垣間見えた、人間らしい顔だった――だが、すぐにまた無感情な眼に戻り、一言だけ言った。
「五分だ、アレン。一秒でも遅れれば置いていく」
「そうしてくれ、行ってくる」
ダッと、アレンは駆け出す。今日はずっと、殺してばかりだ。殺しに加担してばかりだ。戦争ですらない、ただのテロ行為に。誰か一人くらい、助けたっていいはずだ。
機械室の中は、パイプが入り乱れて複雑な構造をしていた。しかし、歩みを進めれば確かに聞こえる。最初は何の音か分からない、とにかく何かであるとしか認識できなかったが、少しずつ答えが
見えてきた。ヒック、ヒックと嗚咽を漏らすような、泣くのを必死に我慢する子供の声。たぶん女の子だろう。
――女の子。そういえば、あの子は無事だろうか。記憶に甦る、行動を起こす直前にマカロフとぶつかった女の子。紫の髪を長く伸ばした可愛い子だった。妹を探している、とか言っていたが。
ふと、閉じかけられたまま放置されている扉が目に入った。左手でドアノブを握り、M240を右手だけで保持してゆっくりと室内へ入る。女の子の嗚咽と思しき声は、ここから聞こえていたのだ。
古びたロッカーに、埃が被った机。どうやら使われていない事務室か何かのようだが、ロッカーの影に、誰かが小さく丸まっているのが見えた。短い青の髪に、スカート。ポーチを肩から下げて、
頭を膝に当てて震えていた。ボーイッシュな感じがするが、おそらく女の子で違いあるまい。
「あ……」
女の子が、アレンの気配に気付いて顔を上げた。涙と鼻水でクシャクシャになった、普段なら元気いっぱいの、しかし今は恐怖に怯えるだけの緑の瞳が、さらに恐怖で上塗りされる。
「い、いや……や、やめて、うたないで、ころさないで……」
この子は――怯えきった状態で懇願する女の子に、何か引っかかるものを感じた彼は、ひとまず銃口を下ろした。敵意はないと言う意味だったが、そんなことで彼女が安心するはずもない。ただひ
たすらに、「やめて……いや……たすけて、おねえちゃん」と助けを求めるだけだった。
お姉ちゃん、と言う単語を聞いて、アレンはようやく合点がいった。青の髪に緑の瞳、スカートにポーチ。おそらく、あの女の子が探していた妹だ。
助けよう。一人でもいいから。突き動かされるようにして、彼は女の子に駆け寄る。ヒッと少女の顔が歪むのもお構いなしに、細く軽いその身体を抱え上げると、すぐ隣にあった古いロッカーを乱
暴に開く。中に入っていたガラクタを蹴飛ばして外に出せば、子供一人くらいなら入れるスペースが出来上がった。
「いいかい、ここに隠れるんだ」
ほとんど強引に、女の子をロッカーの中に押し込んだ。彼女は、何が起きているのかさっぱりな様子で、しかし泣き止み、銃を持っているのに「隠れるんだ」と言い出したスーツの男を不思議そう
な眼で見た。
「管理局か空港の警備の人が来るまで、外で何が起きようと絶対に出てきちゃ駄目だ。いいね?」
「え、え……?」
「返事は? かくれんぼは得意か?」
「あ……は、はい。あたし、かくれんぼ、すきです」
「いい子だ。それじゃあ、もう少しの我慢だから」
女の子は、最後まで訳が分からないようだった。だが、アレンの言ったことにはしっかり頷いた。それを見た彼は、すぐにロッカーの扉を閉めた。直前、女の子が不安げな眼差しを送っていたが自
分にはもう、どうしようもない。あとはひたすら、この子が生きてお姉ちゃんと無事再会出来ることを祈るばかりだ。
これでいい。駆け出し、マカロフたちの下へ急ぐ最中、アレンは胸の片隅でわずかばかりの満足感とも安心感とも言える、奇妙な暖かい感情が生まれるのを感じた。潜入任務なんて、もう御免だ。
俺は、自分自身を欺けない。そんな人間に敵と一体となって溶け込むことなど、不可能なのだ。偽りの仮面は、本人の心にさえも偽りを生むのだから。
マカロフの下には、時間内に戻ることが出来た。何だったんだ、と聞かれると、ねずみだ、と適当に嘘で誤魔化した。怪しまれている様子はない。何とかなったようだ。
脱出地点の屋内駐車場に辿り着くと、一台の救急車が待っていた。近付くと接近を察知したのか扉が開かれ、マカロフの部下たちが早く乗れと手招きしていた。
「成功だな。乗ってくれ――この襲撃は強烈なメッセージになるぞ、マカロフ」
「――いいや、違うな」
部下の手を借り、救急車に乗ったマカロフは意味深な言葉を口にする。だとすれば、この襲撃は他の意味があったのだろうか?
何であれ、その情報を手に入れるのが任務だ。マカロフが手を差し出してきて、アレンはその手を掴む。互いに人殺し、程度の差、主犯と結果的に加担した者と差はあれど、同じ虐殺者の手。しか
し、まったく同じではない。片方はひたすらに殺す一方で、もう片方は、一つの命を救った。狂気と正気、同じ手でも相違点があった。
――そして、相違点はもう一つある。それは、アレンはアメリカ人と言うことだ。
ぬっと、彼の視界に突如黒い銃身が現れた。ベレッタM92F、米軍の制式拳銃。銃口が向けられているのは、自分。
「これが本当のメッセージだ」
パンッと、乾いた銃声が響き渡る。身体にどっと衝撃があり、アレンは崩れるようにして地面に放り投げられた。
何だ、どうして――胸を撃たれた。ぽっかりと開いた穴からは、真っ赤な血がドクドクと溢れ出し、スーツを赤黒く染めていく――何故俺を撃った、マカロフ。
「アメリカ人は俺を欺けると思っていたらしい。もう少し適任な者を選ぶんだったな、自分も欺けるような奴を」
自分を欺けるような奴、だと。どういうことだ。薄れ行く意識の中で、必死に記憶を振り返る。どこだ、どこで、感付かれた。いったいどこで。
あ、と彼は気付いた。奴はさっき、俺をなんと呼んだ。偽名の"アレクセイ・ボロディン"ではなく――そうだ、奴は俺が見に行くと言った時、「五分だ、アレン」と。俺の本名を、知っていた。
"自分も欺ける奴"とはすなわち、そういうことなのだ。
最初から、全て奴には筒抜けだった。こんな馬鹿なことがあってたまるか。俺は任務のためと言って、結局その任務も果たせないまま――
「く、そ……」
視界が、白く染まっていく。マカロフたちを乗せた救急車は、本当に怪我人を運んでいるようにサイレンを鳴らしながらどこかに走り去っていった。代わって現れたのは、再編成を終えて再びやっ
て来た管理局の魔導師たち。
「この死体が見つかれば、ミッドチルダは戦争を望むだろう」
まるで幻聴のように、マカロフの声が耳に入る。聞こえるはずのない声、だが確かに彼は耳にした。畜生め、と胸のうちで吐き捨てる。
次の瞬間、白く染まっていく視界は暗転し、アレンの意識は深い闇の底へと姿を消していった。
ジョセフ・アレン 米陸軍上等兵/CIA工作員
状況:K.I.A(作戦中戦死)
最終更新:2011年09月29日 22:30