CE COMBAT04 THE OPERATION LYRICAL
第19話 戦線崩壊
――苦渋の決断、それは撤退。
かつて、首都クラナガンの空がこれほど騒がしかったことが、過去の歴史においてあっただろうか。
いくつもの白い航跡が空に軌跡を描き、互いに背後に回り込もうと複雑なループを重ねている。時折見える爆発が、空中に咲いた花のよう
に見えて、その光景を彩っていく。
端から見れば、美しく遠い空の戦い。だが、当事者たちがそんな言葉を聞けば顔を真っ赤にして怒るだろう。
美しいだって? 大きな間違いだ、ここは戦場だぞ、と言って。
小型戦闘機の代名詞、F-16Cを駆るウィンドホバーもまた、その当事者たちの一人だった。
正面に捉えた敵戦闘機は、パワフルなエンジンに洗練された機体設計で優れた機動性を発揮するSu-35フランカー。現代制空戦闘機の、一
つの完成形である。
――近すぎる、機関砲でやろう。
旋回しながらのため、通常時の六倍もの重力に耐えながら、ウィンドホバーはウエポン・システムに手を伸ばし、使用する兵装をミサイル
から機関砲に切り替えた。この距離でミサイルを撃てば、敵機も木っ端微塵だが自分もそうなる恐れがあった。
「野郎、じっとしてろ」
機関砲の照準を合わせようとするが、Su-35は右へ左へと小刻みに旋回してウィンドホバーの手を焼かせる。進路上に弾を適当にばら撒け
ば当たるかもしれないが、この乱戦では弾薬は節約したい。ウィンドホバーは一撃必中にこだわり、敵機を追いかける。
照準に、Su-35の機影が重なろうとした。その瞬間を見逃すことなく、引き金を引く。
F-16Cの主翼の付け根に装備されたM61A1二〇ミリ機関砲が唸り声を上げ、赤い曳光弾がSu-35に吸い込まれていく。金属片がぱらぱらと飛
び散るのが見えたと思ったその時、Su-35は燃料に引火したのか、空中で爆発する。
――っと、危ない。
降りかかってきたSu-35の残骸と火の粉をロールで回避。一息ついて、周辺警戒を実施するが、敵は見当たらなかった。
「スプラッシュ3……」
撃墜を確認したウィンドホバーは静かに撃墜三機目を意味する言葉を呟き、愛機を上昇させる。後方を振り返ると、同じように各々敵機の
相手をしていた僚機たちが集まっていた。
ほっと安堵したウィンドホバーは正面に向き直り、二時方向にいくつかの爆発があったのを目撃した。
あっちでも始まったのか――彼が胸のうちで呟くのと、空中管制機ゴーストアイから新たな指示が下るのはほぼ同時だった。
「ウィンドホバー、こちらゴーストアイ。新手だ、敵編隊が貴隊から見て二時方向に出現。現在、ドラゴン隊が交戦中。支援に向かえ」
「ウィンドホバー、了解。サーベラス、セイカー、ラナー、ついて来い」
ゴーストアイの指示に従い、ウィンドホバーは僚機たちを従えて新たな敵に向かって突き進む。
「……長い一日になりそうだな」
酸素マスクを装着しなおし、ウィンドホバーは疲れたように独り言を漏らした。
突如として来襲したスカリエッティのものと思しき大攻勢に対し、再編されたばかりの地上本部は素早く反応して見せた。
敵は戦闘機とガジェットによる空陸合同攻撃を目論んでいたようだが、迎撃に上がった地上本部の戦闘機隊は敵機を押し止めていた。
地上では、受けられるはずだった航空支援が受けられず、クラナガン市街に侵攻したガジェットが陸士部隊の防衛線の前に敗れ、瓦礫の山
を築いていた。
「それでも、敵は諦める様子を見せません。ゴーストアイからの情報によれば、後方にて待機している空中要塞らしきものから敵機が発進
しているとのことです」
地上本部、司令室。ここでは各方面からの報告が集められ、それらを参謀たちが整理した上でレジアスが首都防衛の指揮を執っていた。
「空中要塞から敵機……スカリエッティは空中空母でも持っていると言うのか。詳細は?」
「不明です。空中要塞周辺はジャミングがひどくて――」
参謀の一人に尋ねてみたが、空中要塞の全貌は今のところ分からない。ひとまず、レジアスは航空戦はこのまま敵機を抑えるよう命令を下
し、地上戦の状況を確認してみることにした。
「敵は三方面から侵攻してきています。我が方は第一師団と第二師団を展開させ、これを迎撃中です」
司令室の大型モニターに、クラナガンの全体図が表示され、下から三つの赤い矢印が中央に向かって前進してきていた。その間に、青い友
軍部隊を意味するシンボルマークが立ち塞がり、赤い矢印の行方を遮っている。
「市民の避難状況は?」
もっとも懸念すべきことを、レジアスは参謀に問う。ところが、参謀はその顔に苦々しい表情を浮かべた。どうやら、あまり思わしくないよ
うだった。
「交戦中の地域からは、避難が完了しています。ですが、中央部の方ではまだ三〇%も避難できていません」
「むぅ……」
中央部はまだ戦場になっていないが、いつ敵が奇襲攻撃を仕掛けてくるか分からない。展開中の部隊も、ガジェットの大攻勢で突き破られ
ると言う可能性は捨てきれない。市民の生命の保証は、地上本部にとって己の存在意義に関わることだった。
「よし、第三師団を市民の避難に回せ。これで何とかなるはずだ」
「本気ですか、中将? 第三師団はこの地上本部防衛を受け持ってるんですよ? もし転送魔法で大部隊が送り込まれてきたら……」
「君は自分の命と市民の命、どっちが大事なのかね」
驚き、命令に異を唱える参謀を一言で黙らせる。これで地上本部防衛はがら空きになってしまうだろうが、戦闘に市民が巻き込まれるより
はマシだろう。
そうだ、これでいいと、レジアスは考えていた。せめて、地上本部の指揮官として市民の命だけは守らなければ。
あとは前線で戦っている陸士たちだが、彼らについてはあの世で謝るとしよう。そのためなら例え、地獄に落ちても構わない。
「戦闘機人と戦闘機――もう少し早く、戦闘機が手に入っていればな」
誰にも聞こえないよう小声でぽつり、とレジアスは呟いた。
その前線では、ベルツ率いるB部隊もガジェットと激しい戦闘を行っていた。
「二尉、Ⅲ型です! 正面から!」
「!」
積み上げられた土嚢から上半身だけ出して、軽機関銃を撃っていたベルツは傍で観測手をやっていた部下の言葉を聞き、視線を巡らせる。
部下の言うとおり、正面にあるビルの陰から一機のガジェットⅢ型がぬっと姿を現す。Ⅰ型よりもずっと装甲が分厚く、そして強い火力を
誇るこのタイプはベルツたち陸士にとって厄介極まりない。Ⅰ型が歩兵なら、Ⅲ型は装甲車か戦車と言ったところだ。
「ジャクソン、援護するから無反動砲で奴らを吹き飛ばせ!」
部下に命令を下しながら、本来据え置きで射撃するため重たい軽機関銃を持ち上げたベルツは土嚢の陣地を飛び出し、すでに大破したガジ
ェットⅠ型の残骸を盾にしながら、Ⅲ型に向かって射撃開始。乾いた銃声が市街地に響き、銃弾がⅢ型の装甲を叩くが、表面を多少削った
だけで何の損害も与えられない。Ⅲ型は怒ったようにベルツに向き直り、Ⅰ型のそれよりはるかに強力なレーザーを撃ち込んで来る。
ベルツは舌打ちして、軽機関銃を放棄して横に飛ぶ。放たれたレーザーはⅠ型の残骸と彼が持っていた軽機関銃を粉砕するが、寸前でベル
ツは逃げ出したため、無傷だった。
「くそ」
腰のホルスターからサイドアームの拳銃を引き抜き、ベルツは寝そべった体勢のままⅢ型に発砲。もちろん軽機関銃でさえ貫けなかったⅢ
型の装甲が拳銃如きで貫通できる訳もなく、Ⅲ型は再びベルツを狙う。
感情の感じられない機械の眼と視線が合った――その瞬間、横から白煙を噴きながら突っ込んできた砲弾がⅢ型を貫き、爆発。巻き起こっ
た煙のおかげでベルツが咳き込んでいると、部下の陸曹が無反動砲を肩に担いだまま傍までやって来て、起きるのを手伝ってくれた。
「どうです、俺の射撃の腕もまあまあでしょう?」
「――なかなかいいぞ、ジャクソン。だが世の中にはもっと上がいる」
「素直じゃないですね」
わずかに肩の力を抜いて、ベルツは部下と笑みを交わす。それからすぐに部下から失った軽機関銃の代わりにアサルトライフルを受け取り、
彼らは戦闘態勢を維持する。
現状では、地上の防衛戦は優勢だった。
クラナガンに敵の大部隊が侵攻してきたとの報告は、機動六課にも伝わっていた。
ただちに援軍を出すべき、とはやては考えたが、それに待ったをかけたのはクロノだった。
「どうしてや、アースラを動かすのは無理でも、スターズ、ライトニングを送り込むだけなら……」
「上の判断だよ。先の襲撃で六課は消耗してる――なのはたちは無事でも、それを支援すべきバックアップの要員が充足されてない」
ぐ、と通信回線を通してクロノに指摘された点を思い出し、はやては言葉を飲み込んだ。
戦闘機も魔導師も、その背後には何十人もの支援要員がついている。現代戦は兵士の頭数より、いかに兵士たちが効率よく戦えるかが鍵と
言える。二佐という階級にまでなっておいて、それが分からないほどはやては愚鈍ではなかった。
現状、隊員の半分以上を喪失した六課は半身不随も同然だ。今は本局の各部に支援要員差し出しの要請を出して、それを待っている。
苦しい表情をはやてが浮かべていると、クロノが彼女に安心するよう、声をかけた。
「大丈夫だ、本局の次元航行艦隊も動く。六課が出るまでもなく、事件は解決されるよ」
「やと、ええんやけどな――」
しかし、はやての不安は消えない。報告にあった空中要塞――カリムの予言と、合致する。それこそが聖王のゆりかごではないかと。
「ふーむ、強いねぇ……」
一方で、スカリエッティのアジト。投影された大型ディスプレイに表示される戦況図を見て、スカリエッティは他人事のように呟いた。
ありったけのガジェットと戦闘機による大攻勢を企て、そして実行した訳だが、地上本部は独自の戦力のみでそれを抑えている。
――だが、いつまで持つかな?
本局に潜り込ませたナンバーズ二番、ドゥーエの情報によれば本局の次元航行艦隊も出撃準備をしているとのことだが、それらが出撃する
頃にはもう遅い。それより前に、あの男――レジアスの首をもらう。大将がいなくなれば、どんな有能な組織も崩壊する。
「と言う訳で、ウーノ? 皆の現在地は?」
通信回線を開き、ナンバーズ一番にして自身の秘書のような存在、ウーノにスカリエッティは問う。
「妹たちは現在、"ゆりかご"内部で待機中です。13もそこに……」
「そうか。では伝えてくれ、出番だとな」
ゼストたちの方は、好きにさせるつもりだった。彼らとは相互利益のために協力しているだけに過ぎない。レジアスとの因縁に決着をつけ
たいようだが――もはや今のスカリエッティには、どうでもいいことだった。
――そう、どうでもいい。もはや"ゆりかご"すら私にとっては、時間稼ぎに過ぎないのだ。
「ドクター?」
「……いいや、何でもないよ。ふふ」
どこか狂ったような含み笑みを浮かべたスカリエッティに、ウーノは怪訝な表情。それでも彼は、笑みを浮かべるのをやめなかった。
空では、ウィンドホバーが襲来した敵機で最後の一機に狙いを定めていた。
使用する兵装は、すでに短距離空対空ミサイルのAIM-9を選んである。弾頭が起動し、正面のSu-35のエンジンから放たれる赤外線を捉まえよ
うとしていた。
「ようし、いい子だ――」
ミサイルの発射スイッチに指をかける。その瞬間、捉えていたはずのSu-35はアフターバーナーを点火し急上昇。ウィンドホバーのF-16Cを
振り切ろうとする。ただちに追うべく操縦桿を引くウィンドホバーだったが、双発大出力を誇るSu-35の急上昇は予想以上に鋭いものだった。
あっという間に、ミサイルのロックオン可能範囲からSu-35は逃げ出してしまった。
さらに、Su-35はある程度上昇すると反転、上空正面からF-16Cに挑みかかってくる。
「野郎!」
舐めるな、と言わんばかりにウィンドホバーはエンジン・スロットルを叩き込み、アフターバーナー点火。背中に衝撃があって、F100エン
ジンが咆哮を上げた。
両機とも真正面から向き合い、全速で突っ込んでくるため距離はあっという間に縮まっていく。ミサイルの最短射程を割り、機関砲で決着
をつける他なくなった。
その時、Su-35の主翼の付け根で、光がチカチカと瞬く。ウィンドホバーは息を呑み、操縦桿を捻る。直後、愛機の主翼をかすめるように
飛んできたのは赤い三〇ミリの曳光弾。一瞬の判断の遅れが、生死を左右する。空中戦とはそういうものだった。
くるりと一回転して、Su-35の機関砲を回避したウィンドホバー機はお返しとばかりに機関砲をぶっ放す。放たれた曳光弾はまっすぐ飛び、
Su-35のインテークを突き抜ける。
勝者と敗者の交差。F-16Cと、被弾により黒煙を吐き出したSu-35はすれ違う。コントロールを完全に失ったSu-35は、そのまま地面へと吸い
込まれていった。
「ウィンドホバー、よくやった。最後の敵を撃墜したぞ」
ゴーストアイからの報告を受け、ウィンドホバーは疲れたように酸素マスクを外した。離陸してからぶっ続けの空中戦は、彼だけでなく全
てのパイロットたちの気力と体力を奪っていた。
「あぁ……今日一日で撃墜記録をずいぶん更新しちまったな」
「こちらイーグル2、燃料弾薬、ともに不足している。今ならいいだろ、地面に降りさせてくれ」
「喉がカラカラだ、誰か俺に上物のワインをくれ」
「終わってからにしろ、ドラゴン4」
地上ではまだ激しい戦闘が続いている。援護に行きたいところだが、弾薬どころか燃料も足りない機体もあるのだ、ひとまず体勢を立て直
す必要がある。
そうして全機が帰路につこうとした時――突如、ゴーストアイのレーダーが高速で接近する機影を捉えた。
「待て、新手だ……速い!? 敵機急速接近、全機避けろ!」
「何……!?」
慌ててウィンドホバーは振り返る。その直後、最後尾を飛んでいたF-14B、イーグル1とイーグル2のコールサインを持った機体が空中に
四散する。視線を上に上げると、主翼の先端を黄色で塗装した一機の戦闘機――Su-37が、獲物を見つけた鷹の如く、突っ込んできた。さら
にその後方に続く人影、トーレ、セッテ、クアットロ。
「黄色の13より各員、管理局の戦闘機を始末しろ。クアットロはいつものように、電子戦を頼む」
「りょーかい♪」
楽しそうな声を上げて、クアットロがIS"シルバーカーテン"を発動。途端に、ウィンドホバーを始めとした戦闘機隊はレーダー、通信、全
ての電子機器がブラックアウトする。
「レーダーが急に……わあ!?」
「逃げろ、逃げるんだ!」
「通信もダメなのか、援軍も呼べない!」
燃料も弾薬もなく、ただ逃げ惑うだけの戦闘機隊に、悲鳴が上がる。あっという間に、空は戦場から狩場と化した――。
一方、空中で戦闘機隊が狩られる立場になったことで、地上の防衛線にも影響が出てきた。
相変わらず頑固に抵抗を続けていたベルツたちは、援軍にやってきた戦車と共に襲来したガジェットⅠ型の群れを相手にしていた。
ところが、この群れは以前と違って積極的に攻めて来ず、どこか及び腰だった。
――おかしいな。
銃弾を一度浴びせただけで後退するガジェットⅠ型を不審に思いながら、ベルツはアサルトライフルのマガジンを交換する。
逃げるガジェットを追撃しようと傍らの戦車が前進しようとして、ふとベルツは奇妙なものを見た。緑色の怪しい光の線が、戦車の上面に
浴びせられていた。
その線を辿っていくと、ビルの上で見慣れない人影――ベルツは彼女の名を知る由もないが、ディエチがいた。その彼女が、手にした大砲
の砲身から光の線を放っていた。
「攻撃するつもりか……!?」
咄嗟にベルツはアサルトライフルを構え、ビルの上の彼女に向かって発砲。一度引き金を引くと三発の弾が出る三点バースト射撃で攻撃の
妨害を試みる。
「!」
銃弾がビルのコンクリートを叩き、ディエチは狙撃されていることに気付く。彼女は仕方がない、と言った表情を浮かべてその場から後退
する。
逃げられたか、とベルツは考えたが、攻撃は阻止できたものと思い、前進する戦車の後に続こうとする。
だが、その直後に彼の耳に入ってきたのは、上空からのジェットの轟音。視線を上げると、空から複数の機影が低空に降りてきて、こちら
に向かってきていた。
「友軍機だ、助けに来てくれたぞ」
「いいぞ、やっちまえ」
部下たちは機影が友軍機のものだと思いはしゃいでいるが、ベルツはその動きに違和感を覚えた。友軍機であるなら、何故こちらに突っ込ん
で来るのだろうか。
「――伏せろ!」
機影は何かを落として、上昇に入る。その瞬間、ベルツは叫んでいたが、何人の部下がそれを聞いたかどうか。
直後、投下された爆弾が彼らに降り注ぐ。前進していた戦車は直撃を食らってひっくり返り、ベルツの命令に従わず突っ立っていた部下が
爆風で吹き飛ばされた。ディエチは自分で攻撃する気はなく、爆装した味方戦闘機の誘導を行っていたに過ぎなかったのだ。
爆風と破片による破壊と殺戮が通り過ぎ、ベルツは恐る恐る顔を上げた。彼の視界に入ったのは、この世に舞い降りた地獄絵図だった。
「……くそ」
横転した戦車は内部で燃料に引火でもしたのか、乗員ごと炎上していた。中からは身の毛もよだつような、生きたまま焼かれる人間の声が
聞こえてきたが、もうどうしようもない。彼の部下たちは四肢をもがれ、もはや誰が誰なのか分からなくなっていた。
「畜生……」
また、部下を失った。戦友たちが死んだ。ユージア大陸で、強力な航空支援を持つエルジア軍を相手にした時、何度も似たような光景は見
たはずなのに――それでも慣れないこの感覚は、怒り。
「畜生、畜生、畜生ぉぉぉ!」
アサルトライフルを地面に投げつけて、ベルツは天に向かって吠えた。負け犬の遠吠えだった。
もはや、ここまでか。
通信が途絶え、ゴーストアイが送ってくるレーダー情報により次々と戦闘機が撃墜されていることが、全ての始まりだった。
これまで抑えられていた航空支援が復活したことでガジェットの群れは前進を開始。津波のような大部隊は無人機のため、全てが命知らず
だった。陸士たちによる防衛線は崩壊、なんとか踏み止まって抵抗を試みる部隊は、降下してきたナンバーズ――チンク、セイン、オットー、
ノーヴェ、ウェンディ、ディードたちによって順番に駆逐されていった。
地上本部の司令室で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるレジアスの元に、容赦なく各部隊の惨状が送り届けられる。
「陸士三〇六部隊、応答無し。全滅したものと思われます!」
「三〇四、二〇四部隊、重傷者多数。身動きできないそうです」
「四〇一部隊、応答せよ。四〇一部隊……っ通信、途絶えました」
戦線は崩壊していた。本部防衛用の部隊を避難に回したので市民の命は失われていないが、そのおかげで今の地上本部は丸裸だ。攻められれ
ば、戦闘と言うほどのものさえ起きないだろう。本局の次元航行艦隊の到着は、まだ時間がかかりそうだ。
いよいよ、か――。
何か指示をくれるよう頼んでいるような視線が、参謀や部下たちから浴びせられる。そして、レジアスは重い腰を上げ、通信回線を開く。
回線を全部隊に伝わるよう設定し、マイクを手に取る。一息置いて、レジアスは口を開いた。
「地上本部所属の、全部隊に告ぐ。敵は防衛線を突破し、地上本部陥落はもはや時間の問題だ――クラナガンから、撤退せよ。その後、本
局の戦力と合流、クラナガンを奪回せよ。これは命令である――なお、本戦闘における失態の責任は、全て私にある。各員は命令に従い、
冷静に行動してほしい」
以上だ、と最後に付け加えて、レジアスはマイクを置き、通信回線を閉じた。
当然、彼を待っていたのは部下や参謀たちの抗議の声だった。
「中将、馬鹿を言わないでください!」
「我々はまだ戦えます、その命令には従えない……っ!?」
突如、レジアスが懐から拳銃を――メビウス1が持っているものと同じ、マガジンに魔力を込めたもの――取り出し、天井に向けて発砲。
乾いた銃声が司令室に一発だけ響き、その場にいた全員が言葉を止めた。
「命令に従え。さもなくば、私自ら射殺する」
銃口を天井からゆっくりと下ろし、周囲を威嚇するようにレジアスは静かに、しかし力強く言った。
まずい、と言うことを実感したのだろうか。慌てて参謀たちは動き出し、言われた通りに各部隊に撤退命令を下した。
「……この場を頼む」
「は――中将、どちらへ!?」
娘であり副官のオーリスに一言だけ言って、レジアスは司令室を出た。後ろから声をかけられたが、彼は振り返らなかった。
目的地は、地下の戦闘機が多数保存されている格納庫だった。
エレベーターで地下に行こうと思っていたが、突然地上本部全体が揺れた。敵の攻撃が、ここまで及んできたらしい。今は散発的だが、い
ずれこの攻撃も集中砲火に変わる。
――これは、いかんな。
廊下を照らしていた電灯が、いきなり切れて周囲が薄暗くなった。送電施設でも破壊されたのかもしれない。エレベーターはやめて、階段
にすべきだろうか。
ルートを変更して歩みを進めていくと、突き当りの角で誰かの影とぶつかりそうになった。咄嗟に歩みを止めたが、司令官と言う職を任さ
れてから運動不足になっていたのが災いして、レジアスはその場に転んでしまった。
「あ、すいません……っ」
「いや、いいんだ――君は!?」
ぶつかった相手が差し伸べてきた手を掴み、レジアスは立ち上がる――その瞬間、彼は相手が誰なのかを知った。
メビウス1だった。
少し、時間は遡る。
六課隊舎跡地から戻ったメビウス1は地上本部戦闘機隊の飛行場にいたが、肝心の愛機であるF-2は依然として修理中だった。
何も出来ないまま、地面で空中戦に関することを座学で指導して過ごしていたその時、この大攻勢である。
当然、彼も離陸しようとしたのだが――。
「無茶言わないで下さい! 今離陸したって、三〇分もしないうちに電子機器がダウンしちまいますよ!」
「二〇分あれば一機くらい落とせる、いいから出せ!」
「出来ません!」
電子機器系統の修理が完了していないF-2で離陸しようとした彼を、整備員が必死に止めていた。そうこうしているうちに、飛行場に響き
渡る空襲警報。さすがにこうなっては離陸など出来るはずもなく、メビウス1も整備員も退避壕に避難するしかなかった。
「……あ、くそ」
退避壕でじっと息を潜めていたメビウス1は、F-2の入っている格納庫がSu-35の投下した爆弾で木っ端微塵にされるのを目撃した。
一通り暴れた敵機の群れが飛び去り、整備員や消火班が協力して消火活動や滑走路上の残骸撤去を行う中、メビウス1は基地のジープを
借りて飛び出した。
それは、地上本部に出向している間に妙な噂を耳にしたからだった。曰く、"独自開発などと言うのは嘘で、レジアス中将は異世界から飛ば
された戦闘機を大量に保有している"、曰く"配備されている戦闘機はそれらから飛行可能なものを引き抜いて、残りは地上本部の地下のど
こかに隠されている"というものだ。
所詮噂は噂だろう、と一笑してしまってもよかったが、実際に地下には長い間立ち入り禁止になった区画が存在しているし、戦闘機にして
も最初メビウス1が睨んだ通り、独自開発ではない。アヴァランチのF/A-18Fにはオーシア語で描かれた部品があったし、ウィンドホバーの
F-16CにもスカイキッドのMir-2000もエルジア空軍が独自運用している通信機があった。他の機体も、ベルカ語による注意書きが残されてい
たり、ユークトバニアに存在する軍用機生産メーカーの刻印が入っていたりした。
この非常時だ、中将も隠すことはあるまい。戦闘機を何でもいいから一機、貸してもらおう――。
そう考えて、メビウス1は戦闘が間近に迫りつつあるクラナガン市街を突っ切り、地上本部に辿り着いた。
「……で、どうなんですか、実際?」
偶然にも出会ったそのレジアスに、メビウス1は問う。彼も逃げ場がないと考えたのか、一度だけため息を吐き、
「ついて来たまえ、君には全てを明らかにしよう」
と言って、地下へと続く階段へと降りていった。
厳重に封鎖された扉の前にたどり着くと、レジアスは隣の電子パネルに暗証番号を入力し、扉を開けた。メビウス1も後に続くが、ここは
以前彼からF-2を託された場所と違うと言うことに気付く。
扉の奥は暗闇で何も見えなかったが、メビウス1は救難用のライトを飛行服のポケットに入れていることを思い出し、それを点けた。
「……これは」
ライトを照らすと、周囲に浮かび上がるのは無数の戦闘機。国籍マークはエルジア空軍のものもあれば、オーシア、ユークトバニア、ベル
カと様々だ。奇妙なのは、地下にあるどの戦闘機も必ずどこか部品が欠けていることだった。
「中将、これは?」
「君のお察しの通りだよ」
メビウス1の問いに、レジアスは頷きながら答えた。そして、彼はさらに言葉を続けた。
「今から半年前のことだ――」
半年前、違法と知りながらも、レジアスは戦闘機人の開発計画を推し進めていた。実際に開発するのはスカリエッティで、レジアスはその
違法な研究開発に目を瞑り、時には援助すら送っていた。全ては、弱体化している地上本部の戦力を補うため。そして平和を守るため。
ところが、彼の手元に突如として無数の戦闘機が現れた。原因は不明だが、どうやら知らない次元世界から飛ばされてきたようだった。
戦闘機を調べていくうちに、レジアスは驚愕した。魔力によらずとも、本局のエリート空戦魔導師と互角以上に渡り合えるその性能に。
大半は飛ばされた際の影響か飛べなかった。それでも残りの機体だけでも、地上本部にとって大きな戦力となり得る。もう、違法研究に
手を貸す必要など無いのだ。
彼は無人の管理外世界に極秘裏に戦闘機とそのパイロットになるべく選抜された陸士たちを送り込み訓練をさせる傍ら、スカリエッティへ
の援助を断ち切り、以後一切関わらないことを決めた。スカリエッティが何を言っても、こちらは知らぬ存ぜぬと言えばいい。世間は犯罪
者の言うことなど信用しない。
そんな時、メビウス1がミッドチルダに現れた。レジアスはこれを戦闘機運用の更なる発展の好機と捉え、成り行きでメビウス1が所属す
ることになった六課に近づいた。
「意外だったよ。君をこちらに招いたことで、陸と海の対立までもが多少落ち着くなどとは――君はまさに英雄だよ、メビウス1」
「いや、あれは……」
いきなりレジアスが笑みを浮かべて放つ言葉に、メビウス1は戸惑わざるをえなかった。
それ以上に、メビウス1としては彼が違法研究、それも管理局にとって"敵"であるはずのスカリエッティと組んでいたことが衝撃的だった。
どこか裏があるとは思っていたが、これは予想外だった。
「中将、あなたはスカリエッティと……」
「そうだ。全ては地上の平和のため――そのはずだったのだがな。やはり違法は違法であるし、この輪廻から私は抜け出せなかったようだ」
自嘲気味な笑顔を浮かべるレジアスの眼は、澄んでいた。
「私がスカリエッティと手を組んだばかりに――奴は、勢力を拡大してしまった。私と同じように、戦闘機も手に入れた。だからだろう、奴
がクラナガンを攻めるなどと言う……管理局に正面から挑むなどと言う、愚行に至ったのは。強い力も、考え物だな」
ふう、と笑みを浮かべるのをやめたレジアスはため息を吐く。疲れたような、諦めたような、全てを覚悟したかのような――受け取り
手によって違う雰囲気を漂わせる彼の背中には、哀愁が漂っていた。
「……おそらく、スカリエッティはこの地上本部を制圧する気だ。そうしてそこを拠点にして、次は本局を打ち倒し、管理局を崩壊させる。
狂人でもない限り考えないことだが」
「あいつは、狂人だと?」
メビウス1が言うと、レジアスは頷いた。
「撤退命令を出したのは、まだ戦力に余裕があるうちに出した方が、後の作戦がやりやすくなるからだ。頼む、メビウス1。奴を……あの
狂人を、止めてくれ。確かに管理局は管理世界によっては嫌われていたりもするが、無くなれば困る者も大勢いるのだ。世界を混乱と破壊
に満ちた、強い者だけが生き残るようなものにしてはならない」
「頼むって――中将、あなたはどうするんです」
レジアスの言う言葉は、メビウス1も理解できた。彼の言うとおり、管理世界によっては管理局による"管理"を嫌う者も多い。だが、それ
は無用な争いを避けるための治安維持のための行動だ。法は窮屈かもしれないが、法が無ければ文明社会は成り立たない。
しかし、それよりもメビウス1はレジアスの"頼む"と言う言葉が気にかかっていた。
まさかこの人は、と思う。だが、レジアスの言葉は、メビウス1の予想通りだった。
「私か? 私は――ここで、責任を取ろう。何であれ、スカリエッティのこの大攻勢は、私にも責任がある。死んだ陸士たちにも、謝りに
行かねばならんとな」
そういって、レジアスは拳銃を引き抜いた。この男は、スカリエッティによる大攻勢が始まった時から、こういう覚悟だったらしい。
「ただでは死なんさ、奴らに一泡吹かせてから、だ。さぁ、行ってくれメビウス1。撤退のヘリがもうすぐ、出発する」
「中将、あなたは……」
「頼む。武人として、死に様くらいは美しく、な」
拳銃を手に、屈託の無い笑みを浮かべるレジアスの顔が、メビウス1の脳裏に焼きついた。
「ん――?」
敵機を追い掛け回していた黄色の13は、Su-37のコクピットで異変に気付く。
はるか眼下の地上本部の敷地から、何十機ものヘリが離陸しようとしていた。それだけでは足りず、徴用されたと思しき民間のヘリ、果て
は兵員輸送用の装甲車までもが群がる陸士たちを乗せて、どこかに出発している。
これは、撤退か――間違いない。
よく見れば、陸士たちは重装備のほとんどを放棄して我先にとヘリに乗り込んでいる。満員になり次第ヘリは発進し、どこかにその人員を
下ろしてきたヘリがまたやって来て、また満員になるまで陸士を乗せ出発のピストン輸送を繰り返していた。
どこかで見たことのある光景だと思ったら、ユージア大陸、サンサルバジオンからの撤退の光景とよく似ていた。悪化した戦況下の中、彼
と彼の黄色中隊はよく戦ったが、何機かは"リボン付き"に撃墜され、撤退を余儀なくされた。
「撤退を始めた? 逃がすものか――」
「よせ、トーレ」
同じ光景を見ていたトーレがヘリの群れに飛び掛ろうとしたのを、黄色の13は止めた。
「何故だ、13? あの数、後で脅威になるぞ」
「丸腰で逃げる奴らを後ろから撃つのは、気分のいいものじゃない」
「……了解」
トーレは不満げだったが、黄色の13の言葉にどこか重みを感じて、渋々従った。
敵とはいえ、撤退する姿は惨めなものだと彼は思いつつ、レーダーに映る敵戦闘機にも目をやった。その数は、当初の半分にまで落ち込ん
でいた。
ついでに弾薬の方も確認してみると、残っているのは短距離用のR-73が二発、機関砲弾が七五発しかない。この辺りが潮時だろう。
「――深追いは禁物だ。黄色の13より各員、戦闘終了。目的は果たした、帰投する」
誰もいなくなった、地上本部。そこでただ一人、レジアスは自身の執務室で葉巻を吸っていた。文字通り、最後の一服だ。
手元にあるのは、魔力弾を撃つ拳銃。それに、何かのスイッチ。遠隔操作で、どこかと繋がっているようだ。
机の引き出しを引っ張り出すと、彼は懐かしいアルバムを取り出した。かつてまだ世界が夢と希望に溢れていた頃、一人の陸士として教育
を受けていた時代のものだ。
「……すまんなぁ、ゼスト」
アルバムに収められていた写真の中の、若い頃の自分と肩を並べている魔導師に語りかけるように、レジアスは呟いた。
「ワシはお前を巻き込みたくなかったんだ……だから、お前を捜査から外そうとしたんだが――裏目に出てしまったな」
写真をアルバムから取り出し、レジアスはそれにライターで火を点けた。最後くらい直接謝るべきなのだが、あいにく時間も状況もそれを
許してくれない。
「あの世に来たら、好きなだけ殴って構わないからな……先に逝くのを、恨まないでくれ」
燃える写真を灰皿に捨てて、レジアスは葉巻を吸うのをやめ――誰かが、執務室に入ってきたことに気付いた。制服を着た、女性の管理局
員だった。撤退のヘリに乗れなかったのだろうか。
「どうしたんだ、ヘリに乗れなかったのか? 今呼び戻してやる」
「いいえ、そうではありません」
通信回線を開こうとして、レジアスは女性の言葉でふと動きを止める。女性はどこか不気味な笑みを浮かべ、レジアスに近づいてくる。
「あなたの命を、頂きに参りました――レジアス中将」
女性の正体は、ナンバーズ二番、ドゥーエだった。長い間管理局員として潜伏していた彼女は最高評議会の三人を暗殺し、レジアスもまた
その手にかけようとしていた。
彼女は爪状の武器、ピアッシングネイルを手にレジアスに向かって襲い掛かる。
ダンッ、ダンッ。
その瞬間だった。銃声が響き渡り、ドゥーエは動きを止めていた。彼女はゆっくりと視線を下ろすと、自分の胸にぽっかりと穴が開いてい
ることに気付く。レジアスの手には、拳銃が握られていた。
「――っ!!」
再度、ドゥーエはレジアスに向かって突進する。レジアスは彼女に向かって、拳銃を全弾、放った。
銃声が執務室に木霊し、レジアスは思わず耳が痛くなるのを我慢できなかった。表情をゆがめ、しかしドゥーエは放たれた銃弾を全弾もろ
に浴びて、事切れていた。
「驚いたかね? ワシが、まともに銃が扱えるなど、思いもしなかったか」
銃口を下ろし、彼は拳銃のマガジンを引き抜く。外されたマガジンは地面に落ちて、高い金属音を鳴らした。
「だがな――拳銃もろくに撃てんような将に、兵は従ってくれんのだ」
返事は当然、ない。完全にレジアスの独り言だった。
ゆっくりと拳銃から手を離し、レジアスはいよいよ、と用意したスイッチに手を伸ばす。
ありがちな、起爆装置だった。撤退間際に陸士に頼んで、ありったけの爆弾を地上本部の至るところに仕掛けておいた。スイッチ一つで、
あとは終わる。
「オーリス、機動六課、そしてメビウス1……後を、頼む」
わずかな逡巡の後、彼はスイッチに指をかけた。そこで気付く、自分の腕が、震えていることに。
急におかしな気分になった。覚悟を決めていたのに、自分は今更死ぬのが怖いのだ。自分自身を、笑い飛ばしてやりたい。この臆病者、だ
からお前は違法研究などに手を伸ばしてしまうのだ、と。
しかし、レジアスはそんな自分自身に反論する。臆病者などではない、死ぬのは勇気の必要なことだ。
「死は、逃走ではない……"闘争"なのだ。自分自身との!」
スイッチを、押す。その瞬間、眼前が白熱し、全てが途切れた。
地上本部は、敷地内に侵入した多数のガジェットと共に崩れ落ちた。
なお、撤退した陸士たちの中に、レジアス・ゲイズの名は無かった――。
最終更新:2009年02月21日 19:31