短編1

「彼のこと? ええ、知ってます」

誰に訊ねられた訳でもなく、彼女は口を開く。
それは、ほんの二年前の出来事だった。

「話せば長い、かもしれません」

流れるような綺麗な金髪。年齢相応の、しかしどこか子供っぽさもまだ残る、整った顔立ち。少女といっても差し支えない。
そんな彼女が、二年前に「彼」と遭遇した。
若くして優秀な魔導師だった彼女は、内乱の続くある次元世界に向かうよう指示された。

「内乱がようやく収まる兆しが見えたんです。私は、執務官として現地の難民キャンプ視察に向かう途中でした――」

ゆっくりと、しかし饒舌に彼女は語りだす。
あの日、対峙した敵のことを。
負傷した自分を助けてくれた、敵のことを。
冷徹さとプライドを併せ持った、敵のことを。


ACE COMBAT ZERO 金の閃光、円卓の鬼神 前編



その日、フェイト・T・ハラオウンは第四四管理世界"ホフヌング"の空に飛び込んでいた。
搭乗するヘリはえらくオンボロで、ときどき機体全体がガタガタ揺れる代物だ。しかし、これでもまだ恵まれている方なのだ。地上からのルート
では、質量兵器で武装し、ゲリラ化した難民が襲撃してくることがある。先日は難民キャンプに向かう管理局の救難物資移送部隊が待ち伏せ攻撃
に合い、積荷を根こそぎ奪われてしまった。
無政府状態の続くこの地、しかし管理局は残された難民たちへの援助を怠ることはしなかった。それが、各管理世界の治安を預かる身の責務なの
だから。

「申し訳ありませんねぇ、こんなオンボロヘリしかなくて」

髭を生やした中年のヘリのパイロットは、キャビンでシートに座るフェイトに声をかけた。

「いえ……とんでもないです。私の方こそ、お邪魔じゃありませんでした?」

フェイトはシートの後ろに積み上げられている、大量の食料と医薬品にちらっと視線をやった。このヘリは、この世界における管理局の拠点と難
民キャンプを行き来する輸送便なのだ。キャンプまでの定期便は存在せず、また現地の航空管制がお粗末なことから魔導師の飛行は禁止されてい
るため、フェイトは無理を言ってこのヘリに乗り込んだ。シートはボルトとナットで固定した後付けで、整備員たちが設置してくれたのだ。

「いやいや、こっちこそとんでもない。こんな美人が乗ってくれるなんて、退屈な輸送任務が楽しい旅行のような気分ですさ」

ところが、パイロットは豪快に笑って思わぬお客さんを歓迎してくれた。
フェイトはそんなパイロットに頬を緩くして、ふと窓から見えるこの世界の様子を伺う。
ジャングルに覆われたこの世界は、辺り一面が緑一色だった――否。ところどころで昇る黒煙、火災と思しき炎。管理局が介入する以前はもっと
ひどかったらしいその光景を見て、フェイトの胸がちくりと痛む。
十年続く内戦は、やっと終結しようとしている。それなのに、未だ戦闘行為をやめない者がいるのだ。
手元の鞄に入れてきた資料を見ると、管理局は少なくとも戦闘に介入はしていない。この世界で覇権を争う勢力に対して、停戦と交渉を求めたの
だ。「次元航行艦隊を出撃させる」と圧力をかけたと噂されるが、結果として各勢力は停戦に合意。大規模な戦闘行動は一切中止され、管理局仲
介のもと、交渉が進められている。

「それでも命令に従わない連中がいるもんで。こうしてときどき小規模な戦闘が起きてるそうですわ」

現地の事情に詳しいヘリのパイロットは、そう語ってくれた。
どうして、戦闘をやめないのだろう。これ以上戦ったところで、難民が増えるだけだと言うのに。
眼下のジャングルに潜んでいるであろう、ゲリラたちに向けてそんな視線を送ったフェイトはため息を一つ吐き、資料を元の鞄に戻す。
目的地である難民キャンプまであと十分。オンボロとは言え、さすがにヘリの足は速かった――そう、オンボロとは言えヘリは管理局の官給品だ。
パイロットの無茶な操縦にも応えてみせる。例えば、いきなりの急上昇にだって。

「……っ!?」

いきなりどっと上から襲い掛かってくるGに、たまらずフェイトはシートを掴む。ヘリのコクピットでは、パイロットが操縦桿を思い切り引いてい
た。

「乱暴な運転ですいませんね。でもご勘弁を! ちょっとシャレになんない事態です!」

パイロットの言葉だったが、それだけでは状況は理解できない。もっと詳しい説明が欲しかったが、パイロットはそれどころではないらしい。こ
うしている間にもヘリは右へ左へ旋回し、何かから逃れるように急機動を繰り返す。積荷はワイヤーでしっかり固定されていたが、シートベルト
もないフェイトはシートに掴まるのみだった。
その時、ちらっと一瞬だけ窓から見えた。青空を駆け抜ける赤いジェットの炎、耳障りな轟音。資料でしか見たことがないが、あれはまさしく――

「せ、戦闘機!?」

ヘリに群がるのは、紛れもなく戦闘機だった。九七管理外世界にて、空を飛ぶことを許されない人が作り上げた、鋼鉄の翼。ヘリのすぐ側を弾丸
が駆け抜けていく辺り、彼らの敵意はすでに剥き出しだった。
ゲリラのものだろうか。しかし、たかだかゲリラが何故戦闘機を。
疑問が脳裏を駆け巡る一方で、ヘリは巧みな回避機動で戦闘機からの攻撃を逃れようとしていた。

「こなくそ」

操縦経験の長いパイロットは、オンボロの愛機に鞭を打つ。エンジンが高鳴り、機体はぎしぎしと軋みを上げながらも速度を上げていく。
戦闘機の数は四機。鼠を追いかける猫の如く群がってくるが、パイロットの技量が低いのか、放ってくる機関砲弾は大きく逸れていくばかりだ。
業を煮やした編隊長機と思しき機体は、急上昇。ヘリと距離を取って、その機首を向けてきた。
途端にヘリの機内で鳴り響く、ロックオン警報。オンボロとは言え一応官給品、警戒システムは第一線のものを搭載している。

「くそったれ、こんなオンボロにミサイルぶっ放す気か!」

パイロットは口汚く、敵機の行動を罵った。奴が距離を取ったのは、ミサイルを発射するためだった。このヘリは警戒システムはあっても、フレ
アのようなミサイルへの妨害手段を搭載していない。何しろオンボロなのだから。
その時、コクピット内にロックオンとはまた別の警報が鳴り響く。アナログ式の計器で確認すると、ロックされているはずのキャビンの扉が、開
いていた。
はっとなって、パイロットは振り返る。シートに座っていたはずのフェイトが、キャビンの扉を開けて身を乗り出していた。

「ちょ――何してるんですかい、危ない!」
「このままじゃ撃墜されます、私があいつらを引きつけるから、今のうちに――」
「馬鹿言っちゃいけねぇ。お嬢さんみたいな美人にそんな危険な役目を……」

パイロットは必死に彼女を止めようとしたが、聞くはずもなかった。
跳躍。フェイトは扉から飛び降り、青空へと駆け出した。
無論そのままでは、彼女は地面に叩きつけられるのを待つばかりだ。重力は、人間が空を自由に舞うことを許してくれない。
だが、それを可能にしてしまうのが、彼女たち魔導師だった。

「バルディッシュ!」
<<Yes,Sir>>

手に握るは、彼女の髪のそれと同じ、金色のアクセサリー。そいつはフェイトの呼びかけに答えてみせた。長年の相棒バルディッシュは、ただち
に状況を読み取り、動き出す。
瞬間、光がフェイトを包み込んだ。執務官用の黒い制服は溶けて消え、代わりに彼女の身体を覆うのは、魔女の羽衣――黒を貴重にしたバリアジ
ャケット。手にしたのは同じく黒い斧状の武器――バルディッシュが変化した姿。
時空管理局本局執務官、フェイト・T・ハラオウンの戦闘態勢、インパルス・フォーム。それが、今の彼女の姿だった。

「どういうつもりか知らないけど――」

飛行魔法を使って、空中で静止。戦闘機も彼女の存在に気付き、ヘリではなくフェイトに狙いを定めていく。
話し合う余地は、ない。

「そっちがやる気なら、こっちだって!」
<<Sonic Move>>

どっと、得意の高速移動の魔法を駆使し、フェイトは正面から突っ込んでくる戦闘機に対して戦いを挑んだ。



「――戦闘機と戦うのは、初めてでした。でも、負ける気はしなかった」

身振り手振りを加えて、彼女は当時の空中戦の一部始終を話してくれた。
右手が自分、左手を敵機に見立てて空戦機動の再現を図るが、途中で無理だということが分かり、彼女は苦笑い。なまじ機動を覚えているため、正確
に再現しようとすると手が回らなくなる。

「実際、勝てない相手ではなかったです」

そう、彼女は四機もの敵機を相手に、圧勝してみせた――。



敵の編隊の懐に飛び込んだフェイトは、バルディッシュを構え、得意の高速機動で敵機に迫る。
彼女は知る由もないが、敵機の名はF-5Eタイガーと言う。安価で整備性が高く、そして俊敏な運動性能を誇る、金の無いゲリラには打ってつけの軽戦闘機。
もちろん、フェイトにとっては敵機の種類などどうでもいいことだ。降りかかる火の粉は、払うまで。

「っと……」

ソニックムーブ。真正面から機関砲を撃ちかけてきたF-5Eを、高速水平移動でやり過ごす。
赤い曳光弾がかすめ飛び、続いて敵機とすれ違う。その瞬間を待っていたかのように、フェイトはもう一度、ソニックムーブを発動。端から見れば、金色の
閃光がF-5Eに飛び掛ったかのように見えただろう。
敵機との距離を一気に縮めたフェイト、彼女の視界に映るのはコクピットで身をよじり、驚いた様子でこちらを見上げるパイロットの姿。追いつかれるとは
思ってもみなかったらしい。その油断が、命取りとなる。

<<Haken Slash>>

バルディッシュから電撃を纏った金色の刃が現れ、それをフェイトは振り下ろす。パイロットを殺す訳にはいかない。狙いはF-5Eの機首、機関砲とレーダー
が搭載されている部分。

「はぁっ!」

魔力で形成された刃が、ジェラルミンの肌に食い込む。思いのほか、F-5Eの機首は簡単に切断できた。
スパッと綺麗に"鼻"を切られる形となったF-5E、パイロットは悲鳴を上げ、思わず射出レバーを引いた。途端に吹き飛ぶキャノピー、そして打ち出される
射出座席。搭乗員を失ったF-5Eはそうでなくても、照準に必要なレーダーと主武装たる機関砲を失ったことで戦闘能力を損失していた。

「残り三機――」

無人状態になってどこかに飛んでいくF-5Eを尻目に、彼女は振り向き、残りの敵機に備える。
本来なら連携攻撃でも仕掛けてくるのだろうが、彼らの技量はあまり高くないらしい。三機がそれぞれバラバラのタイミング、バラバラの方位から接近、フェ
イトを狙う。
敵機は後ろ、右、正面から接近してくる――それなら。
正面の敵機に対して、フェイトは周囲に魔力弾を浮かび上がらせ、叩き込む。フォトンランサー、誘導機能のない単純な魔力弾だが、牽制なら充分。
距離を詰めてから撃つつもりだったのか、正面から接近してきたF-5Eは自分が発砲する前に撃たれたことで、左に急旋回して回避。
こっちも、とフェイトは同様にフォトンランサーを、側面から接近中のF-5Eに撃ち込む。照準も何も無い適当な射撃だったが、やはりF-5Eは恐れをなして回避
機動。残すは後方の敵機のみ。

<<Warning! Check 6,Sir!>>

大丈夫、分かってるよ――後方から接近するF-5Eに気付き、バルディッシュが警告を送ってくるが、彼女はそれを見越していた。
正面、側面から接近してくる敵機はまだ旋回中。今なら後ろの敵機に専念出来る。そう考えて、フェイトは急降下。直後、自分がそれまでいた空間を引き裂く
のは、赤い曳光弾。あのままいたら、蜂の巣だっただろう。
少しばかり背筋に冷たいものを感じながら、フェイトは待つ。ほんの数瞬した後、上空を駆け抜けるのはジェットの轟音。
今だ、と今度は急上昇し、フェイトはF-5Eの後ろを奪った。F-5Eのパイロットは後方の魔女の存在に気付き、ラダーペダルを蹴って機首を左へと逸らす。

<<Plasma Lancer>>
「ファイアッ」

しかし、多少進路を逸らしたところで逃げられるはずが無い。状況を読んだバルディッシュが、詠唱を代行し、すでに誘導機能を持つ魔力弾、プラズマランサー
を用意していた。フェイトは射撃命令を下すだけだ。
放たれた複数の金色の弾丸、その行く先をフェイトはコントロールする。コクピットは論外だ、主翼、尾翼と言った失えばあっという間に錐もみ状態になる部分
も駄目。ならば残すは――乏しい航空機の知識を絞り、フェイトが最善だと考えた部分は、F-5Eのエンジンノズルだった。
F-5Eのパイロットは魔力弾が自分を追いかけてくることに驚き、慌てて操縦桿を捻って左へと急旋回を図るが、遅い。プラズマランサーは確実に、F-5Eのエンジン
ノズルを貫いていた。
即座に墜落には至らなかったものの、ノズルを貫かれてエンジン出力が低下したF-5Eに、戦闘を続行する力は残っていなかった。キャノピーが吹き飛び、次に飛び
出すのはやはり射出座席。心臓たるエンジンに傷を負ったF-5Eは、そのままゆっくり機首を下げて眼下のジャングルへ吸い込まれていった。

「……っまだやるの!?」

彼女としては、こちらの実力を見せ付ければ相手は引くだろうと考えていた。
だが、残り二機のF-5Eは引くどころか、敵意を剥き出しにした高速機動でフェイトに迫る。
ヘリの方は、とフェイトは後方に飛んで迫る敵機から逃れつつ、視線を宙に泳がせる。あの気のいいパイロットが操縦するヘリは、上手く逃げおおせただろうか。
だが、人の心配をするほどの余裕を、敵機は与えてくれなかった。下手に機関砲で攻撃するより、彼らはミサイルで遠距離から攻撃することを選んでいた。

<<Missile, brake!>>

バルディッシュが警報を放つのと、正面にいる二機のF-5Eの主翼下から、閃光が走ったのはほぼ同時だった。閃光の先を駆けるのは炎と鉄の矢、ミサイル。短距離
空対空ミサイルの代名詞である、AIM-9サイドワインダーだ。それらが二発、白煙を吹きつつフェイトに迫る。
回避、と言う言葉が脳裏をよぎるが、フェイトは無理だと首を振った。あっという間に超音速にまで加速したAIM-9を避けるのは、至難の業。ソニックムーブでも
一発は避けられても、もう一発が直撃する。
瞬時にそこまで考えて、彼女が下した結論は、迎撃。回避が無理なら、撃ち落すしかない。

「こんのぉ……!」

フォトンランサー・ファランクスシフト。以前は長ったらしい詠唱をしなければ放てなかったが、日々の鍛錬を欠かさないことで、ある程度省略は出来た。
――しかし、発動に時間を食うことには変わりない。だが、一度に大量の魔力弾を放てるこの射撃魔法が、ミサイル迎撃にはもってこいだ。
迫るAIM-9、フェイトはじわりと、バリアジャケットの中で冷たいものが流れるのを感じつつ、魔力弾を遠慮なく放つ。
"ファランクス"の名に恥じない大量の魔力弾の雨。その中に、二発のAIM-9は自ら飛び込む。魔力弾を避けながら目標に進む、など器用な真似が出来るはずも無く、二
発のAIM-9は爆発。爆風が巻き起こり、破片が飛び散る。バルディッシュが自動で防御魔法を発動させていなければ、裂傷の一つでも負ったかもしれない。
だが、フェイトは無傷だった。爆風と煙が晴れたところで、彼女はバルディッシュを構え、敵機の第二波に備える。

「あ――あれ?」

彼女の顔に浮かぶのは、怪訝な表情。自分一人だけ戦闘態勢を維持していると言うのに、二機のF-5Eは反転し、アフターバーナーまで点火して逃げ出していた。どんどん
遠くなっていくジェットの轟音と小さな機影を目の当たりにした時、フェイトはようやく彼らが諦めたと言うことに気付く。ミサイルまでもが通用しないなら、もはや
勝てないと踏んだのだろう。
ふぅ、と小さくため息が出た。妙に拍子抜けしたような表情を浮かべ、フェイトは構えを解いた。



「本当に拍子抜けでした。これからだって時に、逃げちゃったんですもん」

わずかに不満げな表情を見せる彼女の口ぶりは、普段の大人びたものとは違っていた。年相応の少女のような口調。
決して好戦的と言う訳ではないのだろうが、せっかく火の点いた闘志を不完全燃焼のままにしてしまうのは、彼女にとって面白くないらしい。

「でも、後ですぐに分かりました。彼らは逃げたんじゃなくって、命令で後退したんです。見ていられなかったんでしょうね、"彼"は」

彼女の口から出た"彼"と言う言葉。ようやく、我々が追いかけていたものが、姿を現したのだ。



ともかくも、敵の撃退に成功したフェイトは、ひとまずあのヘリの行方を追うことにした。
広域探査の魔法を駆使すれば、発見は決して難しくないだろう――落ちてさえいなければ、の話だが。

<<Target mine>>
「よかった、無事だったんだ」

ほっと胸を撫で下ろし、フェイトはバルディッシュが指示する方向に向かおうとした。探査魔法で探りを入れた結果、あのヘリは無事に難民キャンプに向かっている
ようだ。
この時、彼女は完全に警戒を解いていた。敵機の存在は気がかりだったが、途中で逃げ出すような連中だ。万が一またやって来ても、あの分なら容易に撃退出来る。何
より、本来の任務である難民キャンプの視察があった。敵の脆弱さ、任務への責任感が、フェイトの警戒心を緩やかに溶かしていた。
ゆえに、彼女は気付くはずもない。はるか上空から、一機の荒鷲がすでに流れるような金髪を目視していることに。

<<――Sir!>>

フェイトよりも早く気付いたのは、相棒であるバルディッシュ。彼女は何?と口を開きかけて、ふっと突然、太陽の光が遮られたことに気付く。
何だろう。純粋な疑問を抱き、振り返ったその先に、一機の戦闘機がいた。
太陽を背にした、凶悪とも受け取れる質量兵器の面が、そこにあった。

「……っ!」

本能的な恐怖を覚えて、闇雲な回避機動。戦闘機――彼女は知る由もないが、F-15Cイーグルと言うこの機体の主翼の付け根が、チカチカと瞬く。
ぶんっと機関砲の弾丸が、身体のすぐ傍をかすめ飛ぶ。あと一瞬、一瞬でも反応が遅ければ、この弾丸は彼女の身体を貫いていたはずだ。
逃げろ、逃げろ、逃げろ。その言葉だけが、脳裏を支配する。
"コイツ"は、さっきのとは格が違う。
ソニックムーブを連発して、フェイトはとにかくもF-15Cと距離を取る。急降下してきたこのF-15Cが、姿勢を立て直している今がチャンスだ。
けほっ、と小さく咳き込み、整った顔立ちに辛そうな表情を浮かべる。急加速の連続は、バリアジャケットがあると言えど、容赦なく身体を苦しめる。
――離れた、この距離なら。
F-15Cが機首を上げて水平飛行に戻り、その矛先をフェイトに向ける。彼女がバルディッシュを構えたのは、それとほぼ同時。

<<Photon Lancer>>
「当たって!」

素早く周囲に魔力弾を浮かび上がらせ、使い慣れた射撃魔法を機関砲の如く大量に叩き込む。ファランクスシフトほどではないにせよ、彼女は敵機がこれを避けきれる
とは考えなかった。
だが、現実は彼女の考えを否定してみせた。あろうことか、F-15Cはアフターバーナーを点火。赤いジェットの炎を派手に吹かし、猛然と加速。自ら魔力弾の雨の中に
突っ込んできた。それを見たフェイトの表情が、驚愕で歪む。
右へ左へ、自由自在にロールしながら的確にフォトンランサーを回避し続けるF-15Cはフェイトに肉薄、射撃に集中して身動きの出来ない彼女に機関砲の照準を合わせる。
回避は、間に合わない――瞬時にそこまで判断できるのは、さすがと言うべきか。左手を掲げて、防御魔法を展開。直後、身体全体を揺さぶるような激しい衝撃が走り、
展開された防御魔法の先で火花が散る。F-15Cの放った機関砲弾が、今まさに殺到しているのだ。実際はほんの数秒だったにも関わらず、フェイトにはそれが永遠のように
すら感じられた。

「っく……」

何とか防ぎきるが、決してノーダメージではない。掲げた左手は痺れてしまい、反撃に移れない。そんな彼女の状況を知っているのか、F-15Cは無防備な背中を晒したまま
フェイトの側を通り過ぎる。
その瞬間、彼女は確かに目撃した。両主翼を蒼で彩ったF-15Cの垂直尾翼、そこに赤い猟犬――"ガルム"の横顔が描かれていることに。
猟犬。そう、コイツはまさに猟犬だ。狙った獲物は逃がさない、どこまでも追いかけ、その鋭利な牙で仕留める。一瞬でも気を抜こうものなら、容赦なく噛み付いてくる。
だが、フェイトの闘志は折れなかった。恐怖に震える身体を叱咤し、バルディッシュを構え直す。
いっそのこと、使ってしまうべきだろうか。真ソニックフォームを――ちらりとそんな思考が脳裏をよぎるが、彼女は首を振る。アレはまだ試作段階だ、実戦で使うには
不安要素が多すぎる。

「野犬狩りだよ、バルディッシュ」
<<Yes,Sir>>

どっと加速。行き過ぎたF-15Cを、彼女は追いかける。
F-15Cはと言えば、フェイトが追ってきたのを見て機首を跳ね上げ、急上昇。主翼先端からヴェイパーと呼ばれる白い水蒸気の糸を引きつつ、反転。機首を眼下のフェイトに
向けてきた。また急降下で速度をつけながら攻撃するつもりだ。
だが、今度はフェイトも迎撃態勢を整えている。天から真っ逆さまに落ちてくる猟犬に向けて、魔力弾を放つ。
無論、F-15Cはその程度であれば回避してしまうだろう。案の定、主翼を翻したF-15Cは降下をやめず、捻りこむようにして魔力弾を回避。

「ターン!」

フェイトの一声で、回避された魔力弾はくるりと反転し、F-15Cを後方から襲う。放ったのはフォトンランサーではなくプラズマランサー、ある程度の誘導が可能だ。
命中こそしなかったが、いきなり後方から魔力弾を浴びせられたF-15Cはたまらず機首を上げ、急降下から機体の姿勢を水平に戻し、そのまま上昇へと移る。さすがに驚いた
に違いない。
逃げるF-15C、だがフェイトはその進路を先読みし、ソニックムーブで先回りする。

「バルディッシュ!」
<<Zamber form>>

相棒への掛け声。同時にバルディッシュが姿を変え、金色の長い刀身を持った剣と化す。ジェットザンバー、伸びる刀身はフェイトの身長すらも上回る。それを振りかざし、
彼女は正面、自ら自分の前に躍り出る羽目になったF-15Cに向かって振り下ろす。
金色の刃がF-15Cを捉える、かと思われた。
突然、F-15Cの主翼下で閃光が走ると同時に、何かが飛び出すのが見えた。
ミサイル! 生存本能が脳裏で叫ぶ。フェイトは咄嗟に、F-15Cに向かって振り下ろしていたバルディッシュの刃を、腕をねじって強引に進路変更。ぷちぷちと腕の筋肉の繊維
が切れるような気がしたが、ミサイルの直撃をもらうよりマシだ。
加速しきる前のミサイルに、バルディッシュの刃が横から殴りかかる。機能不全でも起こしたのか、それとももともと不良品だったのか。ともかくも、ミサイルはその進路を
強引に変え、どこかに飛び去って行った。
ほっと一息つく間もなく、フェイトは視線を上げる。F-15Cは自分の真上を通り過ぎて行った――これが狙いだったのか。
苦痛を訴える身体。バルディッシュも無理はしないでください、マスターと心配してくれる。
だが、ぼーっとしている訳にはいかない。あのF-15Cの前でそんなことをしたら自殺行為だ。
バルディッシュをザンバーフォームからハーケンフォームに戻し、その場で反転。案の定、F-15Cは急旋回して再度こちらを攻撃しようとしていた。
一撃、大きいのを叩き込んで脅かして――考えて、すぐに行動に移る。持ってきたカートリッジは少ないが、惜しまず二発ロード。バルディッシュが機械音を立てて、身体を
流れる魔力が爆発的に増加するのが分かった。

「トライデント――」

構えて、直射型の砲撃魔法の名を唱えようとする。トライデントスマッシャー、ただの砲撃魔法ではなく、自身の得意とする魔力の電気変換も入っている。上手く行けば、直
撃は無理でも掠るだけで、電気系統をショートさせられるかもしれない。
そんな考えの下、砲撃魔法を放つ直前、F-15Cの主翼下で再び、何かが放たれた。またミサイルに違いない。

「え……!?」

回避か迎撃か。
トライデントスマッシャーの詠唱を中止し、とにかく行動しようとしたフェイトの顔が、疑問と驚愕で染まる。
F-15Cの放ったミサイルは全て、ロケットモーターに火を灯すことが無かった。すなわち、発射ではなく投棄。
いったい何を考えているのか、この猟犬は。それは大事な牙のはずだろうに――問いかけた疑問の答えは、即座に返ってきた。
F-15Cのエンジンノズルから、赤いジェットの炎が巻き起こる。響き渡るのは轟音。アフターバーナーが、点火されたのだ。機体は猛然と加速する。
ただの加速ではなかった。ミサイルを捨ててまで機体を軽くした結果、この猟犬は爆発的なまでのスピードを得ていた。フェイトの対応が、間に合わないほどに。
急接近するF-15Cの右主翼の付け根に、閃光が走る――機関砲が、放たれたのだ。
対応が間に合わないマスターに代わって、バルディッシュが自動で防御魔法を展開。しかし衝撃までは防ぎきれず、フェイトは一秒間に百発分もの打撃を浴びた。防御魔法と
バリアジャケット、二重の防衛ラインを持ってしても、彼女は脳震盪を起こしてしまった。
フラつき、暗くなる視界。それでも彼女は歯を食いしばって、行き過ぎたF-15Cを探す。

「どこに――」

青空に視線を巡らせるも、頭が上手く回らない。このまま意識を手放せたら、どれだけ楽なことか。
直後、背中に大きな衝撃が走った。寸前、バルディッシュが何か言った気がする。今思えば、あれは警告だったのだ。敵機が後方から接近していると。
だが、遅すぎた。F-15Cが放った一撃は、今度こそ彼女の意識を闇に叩き落すのに充分なものだった。

「――――……ッ」

闇へと引きずり込まれて行く意識の最中、彼女が最後に見たのは自分を撃墜したF-15C、そいつが突然、左のエンジンから派手な黒煙を上げ始めた姿だった。
そこで、彼女の意識は途絶えた。


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最終更新:2009年03月09日 17:24