project nemo プロローグ

プロローグ Skies of Deception



いい加減にして欲しい。
彼の思考は、その言葉でいっぱいだった。
身体に繋がれたコードの類は、うっとうしいことこの上ない。汗ばんだ飛行服の方がまだマシだ。
同じ質問を繰り返す、自分のそれよりはるかに多いラインと星が縫い付けられた階級章を持つ男の声。一応上官なので質問は真面目に答えてやっているが、それにしても酷いだみ声だった。衛生兵からのど飴でももらったらどうだ。

「――大尉、もう一度聞こう。"メガリス"を破壊した後、君はどこに行っていたんだ?」

またこの質問か。報告書は送ったはずだぞ、畜生め。
口汚く罵りたい衝動を堪え、彼は口を開く。

「ちょっと魔法の世界に行っていたのであります、サー」

とは言え、イラつきだけは隠さなかった。憂さ晴らしも兼ねて出した回答に、しかし上官はその表情を崩そうとしない。
ただ、隣でデスクトップのパソコンを操作する技術員と少し会話をし、そこで初めて上官は感情らしいものを見せた。

「……OK、今日はこの辺にしよう。ご苦労だった、メビウス1」

苦々しい表情から出た言葉に、"メビウス1"と呼ばれた彼もまた、不満げな顔を露にする。
技術員がやって来て身体に纏わりつくコードを外すまでの時間が、妙に長いように感じた。


ユージア大陸の北にある小国、ノースポイント。
今でこそ空軍基地がある以外は特に珍しいものはない、田舎のような国だが、ほんの一年と数ヶ月前にはISAFの総司令部があった。ゆえに、軍の施設は小国であるにも関わらず、やけにデカい。
外に出ると、凍てつくような寒さが身に染みた。北国だけあって、気温の低さは尋常なものではない。
それでも決して嫌な気分にならなかったのは、頭上を駆け抜けていく雷のような轟音。こいつのおかげだろう。
見上げれば、そこにあるのは眩しいほどに魅力的な青空。澄み切った空気を引き裂く、鋼鉄の翼。寝ぼけた思考を熱く滾らせる、ジェットの鼓動。
ここが、彼の――メビウス1の、生きる場所だった。
出来ることなら、あの青空に一秒でも早く舞い上がりたい。虚空に手を伸ばすが、しかし掴むことが出来るのは、相変わらずの寒さを持った空気だけ。
格納庫に目をやると、そこにいつもの愛機はない。自由エルジアを殲滅して、一度また"向こう側"に行った後、どこかの技術者たちが持っていってしまった。
後に残されたのは、退屈なオフィス勤務。まぁ、これは仕方ない。一応彼は名高い"メビウス中隊"の中隊長なのだ。中隊の予算、訓練計画、各隊員の休暇日数、彼がいなければ成り立たないことは多い。
だが、たった一枚の書類――飛行禁止の、命令書。これだけは、どうにも納得がいかなかった。鳥に飛ぶな、魚に泳ぐな、パイロットの彼にこう言ってるのと同意義だ。

「上の連中は疑ってるんだよ、英雄」

以前部隊を訪ねてくれた、彼が戦闘機乗りを志すきっかけとなった老練の傭兵は、メビウス1の気持ちを理解した上で、その辺の事情を語ってくれた。
とりあえず英雄、と呼ぶのは勘弁してください。そう前置きした上で、彼は傭兵に問う。俺がいったい何をしたんでしょう、と。

「君が乗って帰ってきたF-22、修理の跡が見られたがそこに使われていた技術が問題なんだ。あんなもの、ユージアどころかかつてのベルカだって作れない。それと、君が書いた報告書――なんと言ったかな、ええと」

年を取ったせいで記憶力が落ちた。実際のところは、まだ四十代も行ってない傭兵の言い訳にメビウス1は苦笑いしつつ、答える。

「"メビウス・レポート"ですか? 俺の書いた、ミッドチルダについての報告書」
「そうだ、それだ。私も読んだが、あれが事実ならとんでもないことだぞ」

航空機に頼らず空を自由自在に舞う魔導師、次元空間を飛び越える次元航行艦、そしてそれに搭載される、衛星軌道上から地上を撃ち下ろす"アルカンシェル"なる大量破壊兵器。まともな判断力を持つ者ならただのおとぎ話と切り捨てるところだが、その報告書を書いたのが、先の戦争の英雄ならどうだろうか。

「オーシアが建設途上の宇宙船にレーザーを搭載する、なんて話がある。この意味が分かるか?」
「――スカーフェイス1、冗談もほどほどにしてください。俺の報告書一枚で、なんで大国オーシアが動くんです」
「さて、な。私も人伝に聞いた話だから、真意は分からん」

だが、仮にその話が本当だとしたら。報告書を真に受けたオーシアやユージア大陸内の各国は、ミッドチルダを、管理局を恐れているのだ。

「ましてや、君はメガリスを潰した後、数回に渡って消息を絶っている。向こうからの尖兵だと思われても、仕方ないんじゃないか? だから飛行禁止なんだよ」
「そんな話――」
「案ずるな、私は君のことを疑ってはいない。私も、何度かあっちに行った身だからな」

こういう時は傭兵の彼が羨ましい。所詮フリーランスに過ぎない彼は、契約条件や配偶が気に入らなければさっさと姿を消してしまえる。正規兵である自分は、そうもいかない。だから、今日も軍の上層部から直々に尋問を受けていたのだ。ご丁寧に、嘘発見器付きで。
ああ、六課にいた頃が懐かしい。
なのはは無理してないだろうか。
ティアナは腕を上げているだろうか。
みんな元気だろうか。
ずいぶん遠くなってしまった空に向け、白いため息を吐きつつ、メビウス1は自分のオフィスに戻ることにした。


そうして気だるい日々を送っていたある日のことだった。メビウス1の下に、一枚の命令書が届けられる。

「……限定解除? なんだこれ、おい、ヘイロー2」
「ああ?」

手元に舞い込んできた妙な命令書を、中隊副官であり戦友であるヘイロー2に渡す。
内容はいたって単純、それ故に難解。メビウス1に対して発令されていた飛行禁止命令を、一部を持って解除するということだ。

「……読んで字の如く、限定解除だろ。よかったじゃないか」

ところがヘイロー2は大して気にした様子もなく、命令書をメビウス1に突き返す。
しかし、素直に喜ぶ気になれない。疑いが晴れたと言う意味でこの命令が下るなら、限定とするのは何故だ。しかも、許されるのはF-4Eファントムのような複座戦闘機の後席に座ることだけ。後席は電子機器の操作と見張りを担当するのであって、機体の操縦を行うものではない。

「考えすぎじゃないか?」

そんなメビウス1の心境を察してか、ヘイロー2が声をかけてくれる。また飛べるようになったのだから、喜ぶべきだろうと。
――そうかもしれないな。
オフィスの窓から見える青空。実際は数週間程度だが、もう何年もあそこには行っていないような気がする。
よし、とメビウス1はボールペンを手にとって、まずは目前に大量に積まれている書類仕事を片付けることにした。こいつらを撃破すれば、形はどうあれ空に還れる。

「やる気出た?」
「おかげさまでな」

ヘイロー2の問いに、久しぶりにメビウス1は屈託のない笑みを浮かべて答えた。
さぁ行こう、青空へ。そこが、俺の生きる場所だ。


ノースポイントの海には、カモメが多く飛んでいる。この空は戦闘機が舞う訓練空域であると同時に、彼らの住処でもあるのだ。
バードストライク(鳥との衝突)には気をつけなければならないが、メビウス1はついついハーネスを緩め、眼下の洋上上空を飛び交うカモメたちに目をやってしまう。
お帰り、メビウス1。ここがあなたの居場所です。カモメたちはそう言って、彼が空に上がってくるのを歓迎してくれているようだった。
マスクから送られてくる酸素は、極上のウイスキーに勝るとも劣らない。背中にビリビリと伝わってくるエンジンの鼓動は、戦闘機乗りの血を熱く滾らせる。例えそこが後席であったとしても、この魅力だけは変わらない。

「光栄です、"リボン付き"を後ろに乗せて飛べるなんて」

前席で機体を操縦するパイロットは自分より年上のようなのだが、わざわざ敬語を使って話しかけてきた。

「俺もこうして、また飛べるのが嬉しい限りだよ」

前席の言葉に気軽に答えて、メビウス1はコクピット内の隅々にまで視線をめぐらせる。
古めかしい計器は、アナログ表示のものが多い。近代化されているとは言え、原型機の初飛行はもう五〇年も前なのだ。
だけども、このF-4Eファントムは、彼がパイロットとなってから初めて乗った戦闘機だった。初陣もこの機体、しかもこのノースポイント付近上空だ。感慨深いものを感じるのは、無理もない。
この日は単機による航法訓練だった。地上からの誘導や慣性航法装置があると言えど、パイロットが自分の手で現在地を知り、目的地まで飛べるのは重要なことだ。

「メビウス1は大丈夫ですか? この手の訓練は?」

前席が、唐突に声をかけてきた。彼は、久しぶりに空に上がってきたメビウス1のことを心配してくれている様子だ。

「大丈夫だよ。航法訓練は訓練生時代に嫌ってほど教え込まれたからな」

膝の上に広げた地図と計算用のメモ用紙、双方に目を配らせながら、メビウス1は答えてみせた。
眼下に見える島、現在の方位、高度、速度。視覚だけでも得られる情報は決して少なくない。それらを参照に、メモ用紙の上でシャーペンを走らせて計算すると、大まかな自分の現在地が判明する。地図と照らし合わせて、現在地と目標地点の位置を確認。あとはメビウス1が、前席のパイロットに向けて機体の方位と高度を修正するよう指示していく。

「進路を右に、三〇度修正だ。慌てずゆっくり」
「了解」

前席はメビウス1の指示を聞いて頷き、操縦桿とラダーペダルを微妙に調整し、F-4Eの機首をずらす。
だが、メビウス1はここでふと気付く。機体の方位が、指示したものと違うのだ。

「おい、進路がずれてるぞ。修正だ、左に四〇度――」

言いかけたところで、メビウス1は言葉を止めた。前席のパイロットが、じっとこちらを睨んできていた。

「申し訳ないが、その命令には従えないな」
「何? お前、何を言って……」

はっと、彼はキャノピーの外を横切った黒い影に振り返る。特徴的な前進翼、いかにも悪役のような面構えの戦闘機が多数、F-4Eを取り囲むようにして現れた。
戦闘機は全て、国籍マークを消しているようだ。いったいどこの手のものか、想像尽かない。
咄嗟にメビウス1は、サヴァイバル・ジャケットの内側に入れてきた拳銃に手を伸ばし、それを引き抜いた。銃口を前席のパイロットに突きつけ、機体のコントロールを渡すよう脅す。

「機体のコントロールを渡せ、今すぐにだ」
「――どうぞ」

パイロットは言われた通り、素直に操縦桿から手を離した。メビウス1は拳銃を左手に持ち替え、銃口は突きつけたまま、右手で操縦桿を持ち、それを捻る。
たちまちF-4Eは主翼を翻し、自重を利用して素早い降下に入った。エンジン・スロットルレバーは拳銃を構えているせいで触れないが、降下すれば速度がつけられるはずだ。
決していいとは言えないF-4Eの後席の視界。しかし、その中でどうにかメビウス1は自分を取り囲む国籍不明機の機種を判別する。Su-47か、違う。妙に機体が鋭角的だ。すると、こいつはS-32か?
国籍不明機の機種が分かったところで、メビウス1は酸素マスクの中で苦々しい表情。F-4Eでは機動性で敵うべくもない。

「逃げても無駄だぞ、リボン付き」
「黙ってろ」

前席のパイロットはそう言ってメビウス1を嗤うが、彼は諦めるつもりはなかった。
速度計にちらっと目をやり、次に自分を追う国籍不明機の位置を確認。降下するこちらを、執拗に追い掛け回してくる。
いいぞ、ついて来い――今だ。
バックミラーに映る機影が徐々に近付いてきたその時、メビウス1は操縦桿を引いた。途端に上から圧し掛かってくるようなGが彼を襲う。
F-4Eはその老体に鞭を打って、釣り上げられたように機首を上げていく。急降下で速度を得た分、その機動は老兵と呼ぶには力強いものだった。
S-32の編隊は一瞬遅れて上昇し、メビウス1のF-4Eを追いかける。だが、それよりも早く、メビウス1は操縦桿を薙ぎ払う。
たちまち視界が反転し、F-4Eはハーフロール。上昇を続けたおかげで、速度は徐々に下がっていた。揚力を失ったF-4Eは上下逆さまの状態で失速、今度は機首を引っ張られるようにして下げる。その正面を、上昇してきたS-32が駆け抜ける。彼らが高度を上げた頃には、すでにF-4Eは再び急降下に入っていた。
S-32を振り切ったメビウス1は、操縦桿を引いて機体を水平に戻しつつ、通信機のスイッチを入れた。応援を呼ぶつもりだった。

「スカイアイ、聞こえるか!? 国籍不明機多数に追撃されている、こちらは実弾を積んでない。応援を――!?」
「無駄だと言ったろう、リボン付き」

前席のパイロットが、また嗤う。通信機から聞こえてくるのは、耳障りな雑音だけだった。
直後、コクピット内に響き渡るロックオン警報。メビウス1は振り返ってみせるが、そこに敵機の姿はない。あのS-32の編隊が追いついたにしても、速過ぎる。
ちかっと、バックミラーの上で何かが光るのが見えた。太陽の光が反射しただけかと思ったが、違う。一瞬だったが確かに見えた。あのシルエットは戦闘機だ。

「やめておけ。実弾も無くこんな旧式機だ、勝ち目はないぞ」

操縦桿を捻ろうとしたところで、前席のパイロットの言葉がメビウス1に投げかけられた。
――確かに、勝てるとは思えなかった。通信はジャミングでもかけられているようだし、実弾も搭載されていないのでは攻撃手段が無い。
くそ、とメビウス1は吐き捨てた。何者なんだ、こいつらは。いったい何が目的だ。

「何、大したことじゃない。君の技量を貸して欲しいんだ――」

メビウス1の心中を察したのか、パイロットは彼の疑問に答えるように口を開く。
酷く歪んだ笑みだった。その口から語られたのは、メビウス1にとって思いも寄らない言葉。
かつての大国、時代の変化に気付かず領土拡張を繰り返し、やがて壮絶な自決行為を行った、あの国。

「我がベルカ公国のために、な」





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最終更新:2009年03月14日 22:02