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ACE COMBAT04 THE THE OPERATION LYRICAL Project nemo


第1話 失踪事件


目の前に広がる、群青の世界。なんて広いんだろうと、いつも思う。
あのまま地面にいたら、こんな感動は味わえない。"彼"は毎日、この光景を目の当たりにして、戦っていた。
少しは"彼"に近付けただろうか。日々の訓練が終わると、考えることはそればかり。
答えを追い求めて、彼女の姿は今日も、F-15ACTIVEのコクピットにあった。

「こちら空中管制機ゴーストアイ。メビウス2に告ぐ――」

ほら来た。
空中管制を担当する電子戦機からの指示が、通信機に飛び込んできた。ティアナ・ランスターは愛機の操縦桿を軽く捻って、主翼を翻させる。

「敵はセクター2・3エリアを突破。このままでは防衛ラインを超えられる。そうなったら我々の負けだ」

了解、と短く返答し、ラダーペダルを踏み込んで彼女はレーダー画面に目をやる。サブディスプレイに表示される、データリンクを通じたゴーストアイからの戦場の全体図。
これが間違いなければ、敵は正面にいるはずだ。そうなれば、自機のレーダーが直接敵を捉えることが出来る。
案の定、F-15ACTIVEのAPG-63レーダーは、正面七〇キロに複数の魔力反応を探知する。機影ではなく魔力反応と言うことは、敵は空戦魔導師か。
コクピット内の計器、そこにセットされたカード状のデバイスが素早くウエポン・システムをパイロットに代わって操作、中距離空対空ミサイルのAIM-120AMRAAMを選択。
さすがはクロスミラージュね、とティアナは火器管制を担当する相棒の手際のよさに感嘆しつつ、早速レーダー画面に映る三つの魔力反応をロックオン、ミサイルの発射スイッチに指をかけた――そこで、眼を見開く。画面に映る魔力反応が、いくつも増えているのだ。

「何これ――増援、じゃなさそうね。分かる、クロスミラージュ?」
<<No,Problem.That is decoy>>

デコイ(囮)だって? 戦闘機と違ってチャフやフレアも無い魔導師が何故。
そこまで考えて、ティアナはあぁ、と納得する。自分と同じ幻術使いか。それとも、単純に射撃用の魔力弾をばら撒いたのか。
こういうことするのは――なのはさんの入れ知恵ね、たぶん。
今は療養中で前線から身を引いているかつての上官を思いつつ、彼女はレーダー誘導のAIM-120による攻撃を諦めた。このまま撃っても、どれが本物の魔導師か分からないのでは無駄弾だ。時間をかければ判別も出来るだろうが、その時間が今は惜しい。
エンジン・スロットルレバーを叩き込んで、アフターバーナー点火。F100エンジンが咆哮をあげ、背中にどっと衝撃があった。
赤いジェットの炎を吹きながら、彼女のF-15ACTIVEは魔導師たちに急接近。間もなく、視認距離に入る。
レーダーが発達した現代と言えど、眼のいいパイロットが空中戦で有利なのは変わらない。その点では、ティアナは他のパイロットに比べて一歩進んでいた。
視覚強化の魔法を使って、青空に視線を巡らせる。まともに見ようとすれば豆粒よりも小さな魔導師だったが、魔法がそれを補ってくれるはずだ。

「――いた、タリホー」

敵影視認を意味する言葉を吐いて、ティアナは心臓の鼓動が早くなるのを感じた。直接相手を見て戦う視認距離の空中戦では、パイロットの技量が直接問われる。
青空に浮かぶ、瞬きすれば見失いかねない黒い点。だが彼女には見えている。魔導師たちの動き、仕草、行動。位置を変えられる前に、叩き落す。
クロスミラージュに使用する兵装を短距離空対空ミサイル、AIM-9サイドワインダーに切り替えてもらい、左下方に見えた魔導師たちの編隊に向けて降下開始。
主翼を翻し、猛然と飛び掛ってくる荒鷲にようやく気付いた魔導師たちは手にしたデバイスで応戦開始。誘導よりも速射を優先した魔力弾の雨で弾幕を張る――これもなのはの入れ知恵に違いない。
並みのパイロットなら、飛び込むのを躊躇う魔力弾の雨。もちろんティアナも驚き、一瞬躊躇した。それがいくら非殺傷設定、演習用のものだとしても。
だが、恐怖とは別に湧き上がってきた感情は、闘志。あえて魔力弾の雨の中に愛機を突っ込ませた彼女は、操縦桿を右へ左へと薙ぎ払う。
華麗にロールし、魔力弾の雨を掻い潜ってF-15ACTIVEは魔導師の編隊に急接近。三人いた魔導師たちは射撃を中止し、散開して逃げを打つ――遅い!

「クロスミラージュ!」
<<Enemy is Gun range>>

機関砲に切り替えて、引き金を引く。不運にも逃げ遅れた魔導師に向けて、F-15ACTIVEの機関砲が唸りを上げる。同時に放たれるのは、青空を引き裂く赤い二〇ミリの弾丸。
標的に選ばれた魔導師は回避を図るも、間に合わず被弾。非殺傷の演習弾を受けて、やむなく空域を離脱していく。
残りは二――撃墜の戦果に酔いしれる間もなく、ティアナはラダーペダルを踏み込む。F-15ACTIVEは流れるように機首を巡らせ、逃げる二人の魔導師を狙う。
ヘッドホンに流れる電子音は、目標をロックオンしたと言う意味。ちらっとウエポン・システムのディスプレイに視線をやると、クロスミラージュが使用する兵装をAIM-9に切り替えていた。手早い動きは、非常に助かる。

「メビウス2、フォックス2」

躊躇せず、ミサイル発射スイッチを押す。主翼下に抱えられていたAIM-9が白煙を吹き出し、切り離されて目標に急接近。
一発目、迷わず魔導師に接近し、近接信管作動。見た目だけはリアルな爆風を受け、撃墜判定。
二発目を放とうとして、ティアナは酸素マスクの中で小さく舌打ちをする。残り一人の魔導師はその場で急停止、高速で飛行するF-15ACTIVEをやり過ごし、彼女の後ろを奪う。
コクピットの正面上位に設置したバックミラー、そこにデバイスを構える魔導師の姿が映っていた。
墜とされる――脳裏をそんな言葉がよぎった――そうはいかない。
エンジン・スロットルレバーを引き下げて、操縦桿を前に突く。速度を失ったF-15ACTIVEはたちまち、重力に引っ張られるようにして機首を下げた。
その瞬間、キャノピーのすぐ傍を掠め飛ぶ魔力弾。あのままだったら、直撃をもらったに違いない。
一方でティアナは、操縦桿を前に倒し続けた。下から引っ張り上げられるようなGが身体を締め上げ、視界が徐々に赤く染まっていく。レッドアウト、あまりのGの強さに血液が頭に上ってきているのだ。身体強化の魔法を使って、必死に堪える。
敵は――ぎりぎりと身体を締め付けるGのおかげで、首が回らない。目玉だけを動かし、バックミラーで魔導師の位置を確認。目論見通り、魔導師の真下にまで降下した。
その時、上空で閃光が走る。魔導師が、もう一撃加えようと魔力弾を放ってきたに違いない。
ここでようやく、ティアナは操縦桿を引き、エンジン・スロットルレバーを叩き込んだ。引っ張り上げられるようなGが、今度は上から押さえつけられるようなGに変わる。愛機は機首を上げて、降下から上昇へ。
ぶんっと空気が唸り、機体のすぐ傍を魔力弾が駆け抜けていく。そのまま機首を上げ続け、魔導師を正面に捉える。
計器に失速警報の赤ランプが灯る。機内に高音が短い間隔で響き、警告してくる――構うことなく、ティアナは引き金を引いた。
野獣の唸り声のような音を上げる、機関砲。毎分六〇〇〇発にも及ぶ弾幕を避けきれるはずがなく、魔導師は下から撃ち上げられてきた演習用の弾丸を浴び、撃墜判定を食らった。これで三人、すべて撃墜。

「侵入してきた魔導師を全て撃墜。任務完了だ、メビウス2」

機体を水平に戻したところで、ゴーストアイからの通信。酸素マスクを外し、ティアナはふぅ、とため息を吐いた。コクピット内の空気が、汗をびっしょりとかいた顔にとって妙に心地よい。

「演習終了、帰還せよ。 ……あぁ、メビウス2? 着陸して着替えたら面会だ、デブリーフィングには出席しなくていい」
「――メビウス2、了解。え、何ですって?」
「面会、だ」

誰かしら、いったい。
空中戦後の心地よい空気が、疑念に変わる。ティアナは怪訝な表情のまま、ともかくも帰路に着くことにした。


汗でべたつく飛行服をロッカーにぶち込み、用意してあった予備の飛行服、お馴染みのリボンのマークが入ったフライトジャケットに。
着替えの終わったティアナが向かったのは、基地の面会所も兼ねる食堂だった。

「あ」

昼食前のため人も疎らな食堂に入ると、真っ先に眼に入ったのは黒い執務官の制服に身を包んだ、長い金髪が魅力的の女性。

「やぁ、元気?」

彼女の方もこちらを見つけて、気軽に声をかけてきた。ラフな敬礼と共にティアナは「見ての通り」と微笑で言葉を返す。
フェイト・T・ハラオウン。本局所属の執務官であり、ティアナにとっては上司に当たる人。
そういえばこの人の顔を直接見るのは久しぶりだな、とティアナは思う。地上本部では戦闘機乗り、本局では執務官を目指してフェイトの補佐官と掛け持ちでやっているが、ここ最近は戦闘機ばかり乗っていた。フェイトとも、通信でやり取りするだけの日々が続いていた。

「また撃墜スコアを伸ばしたんだって? 凄いね」
「いえ……そうでもないです」

フェイトの口から出た素直な賞賛の言葉だったが、ティアナは首を振る。
確かに、訓練における撃墜スコアは凄まじい域に達している。だが、彼女はまだ戦闘機で実戦には出たことがなかった。
加えて――ティアナは少しばかり、表情を曇らせた。フェイトがそれを見て首を傾げたので、彼女は事情を説明する。

「最近は本局の魔導師も戦術を変えてきました。一機に二人で挑んだり、魔力弾を使って囮にしてレーダーを誤魔化したり、ベルカ式の人なんかは射撃より斬撃を使ってきたり。今日だって、防衛
ラインをもう少しで突破されるところでした」
「あぁ……キルレシオ(撃墜比率)が落ちてきてるって話、本当なんだ」

こくり。ティアナは頷き、脳裏に浮かぶ最近の苦々しい記録を思い出す。
地上本部が戦闘機を導入したばかりの時期は、本局の空戦魔導師を持ってしても、キルレシオは1:6と戦闘機が圧倒的に有利だった。戦闘機が一機撃墜される間に、魔導師は六人もの犠牲を強いられる。だが、それも魔導師が戦術を工夫することでじりじりと後退を始めた。現在ではかろうじて1:3のキルレシオを維持しているが、これもいつまで持つか。
それでも、地上本部は戦闘機隊の増強を中止しなかった。翼を持たぬ陸士、空を自力で飛べない彼ら彼女らは、他に頼る手段がないのだ。

「そっか――地上も、前みたいには行かないんだね」
「ま、仕方ないです。戦術は工夫されて然るべきですから……で、今日はどうして?」

わざわざ近況を聞きに、直接尋ねに来た訳ではあるまい。ティアナは腰掛けていた椅子からわずかに身を乗り出し、フェイトをまっすぐ見据える。
彼女はと言うと、ティアナの問いに答える代わりに、手元に端末を展開。ブラウン管とも液晶とも違う半透明のディスプレイを、ティアナに見せた。

「これ、ここ最近ミッドで多発してるある人たちの失踪事件のまとめなんだけど」
「失踪事件……ですか」

ディスプレイを読んでいくと、最初の事件発生から現在に至るまで、音信不通になってしまった人々の記録が細部に渡ってまとめられていた。
右手の人差し指で、ディスプレイに触れたティアナは画面をゆっくりとスクロールさせていく――その途中で、指が止まる。
食い入るようにディスプレイを見るティアナに、フェイトが口を開いた。

「そう……失踪した人たちってみんな、パイロットなんだ。民間所属が多いけど、中にはこっちの、戦闘機乗りの人もいる」
「……なんでまた、パイロットばかり」

疑念の視線をフェイトに向けるが、彼女が知っているはずがない。首を振り、だけどと前置きした上で、フェイトは現在分かっていることを全て話す。
パイロットの多くは、飛行中に消息を絶っていること。消息を絶った時、地上のレーダーや管制官は何も目撃していないこと。
地上本部の戦闘機乗りについては、その全てが単独での訓練や連絡のための飛行中に失踪していること。

「仮に誘拐とかなら、同一犯だと思いますけど」
「うん――少なくとも、個人ではないと思う。後ろで、何らかの組織が動いてるはず」

パイロットばかりを誘拐する組織。果たして、何が目的なのか。
顎に手をやって思案顔のティアナに、フェイトが「ちょっといいかな」と断りを入れ、ディスプレイに手を伸ばす。
フェイトの細く白い指がディスプレイ上で踊り、画面が切り替わる。表示されたのは、一枚の画像データ。添付されていた解説によれば、消息を絶った航空機と偶然同じ空域を飛んでいた魔導師の
映像記録から抜き出したもの。
画像は一見、何もない青空を映したものだったが、ティアナの眼はそこに奇妙な光の反射があることに気付いた。

「これは……」
「気付いた? 変な光が映ってるよね。これをある種のフィルターにかけて見ると……」

フェイトが再び、ディスプレイを操作すると、画像に変化があった。赤い線が画像の中の青空を走り、浮かび上がってきたのは――戦闘機と思しきシルエット。
否。戦闘機と呼ぶには、少し歪なデザインだった。垂直尾翼が無いのでB-2ステルス爆撃機のような全翼機かと思いきや、きちんと主翼と水平尾翼は分けられている。機首にはカナード翼と呼ばれる小さな補助翼があって、双発のエンジンもノズルの形状が妙だった。

「どう、分かる?」
「スリーサーフェイスって言う翼の機体ですけど……私、こんな形の機体は初めて見ましたよ」

そっか、とフェイトは頷き、展開していたディスプレイを閉じた。ティアナに聞くまでも無く、管理局内のデータベースや無限書庫に探りを入れれば、この程度のことは分かる。確認の意味を込め
ての質問だったのだろう。
軽く咳払いして、フェイトはティアナに向き直る。わざわざ改まると言うことは、ここからが本題だ。
だけども、フェイトの表情はどこか、苦々しいものがあった。

「――本局は、この機体が事件に大きく関わってるとして、捜索と捕獲命令を出した。担当するのは私、補佐官のシャーリー、それからティアナなんだけど……」

そこで、フェイトは言葉を詰まらせた。どうにも歯切れが悪く、言いたくないことを我慢しているようだ。
だからティアナは、遠慮せずに言ってくださいとフェイトに正直な気持ちを告げた。執務官のあなたを補佐するのが、私の仕事ですと。
フェイトは部下に言われて、それでも渋々と言った様子で、言葉の続きを話す。

「この機体は、たぶん単独で飛行する航空機の周囲に現れる。ティアナは戦闘機を飛ばして、これを誘き出して欲しい。捕獲は、私と本局の武装隊が行う」
「はぁ……要するに、囮ですか」

囮。この単語がティアナの口から出てきた時、フェイトはその整った顔立ちを露骨に歪ませた。
任務とは言え、自分の部下に対して囮になれと言うのは、きついものがあったのだろう。心優しい性格を持った、フェイトらしい行動。
ティアナは胸のうちで、自分の身を案じてくれる目の前の若き執務官に感謝しつつ、真っ直ぐ彼女の眼を見据えて言った。

「分かりました。こっちの方でも、協力の要請をしておきます。空中管制機とか、いればかなり心強いですし」
「――ごめんね」

頭を下げるフェイトに、しかしティアナは首を振って微笑みすら浮かべた。
相手が何者なのかははっきりしない。だが、同じパイロットたちが犠牲になっているのなら、止めなければ。
羽織ったフライトジャケットにあるのは、リボンのマーク。おそらく、彼も同じ行動を取るに違いない。



ここ最近は、彼女にとって穏やかな日々が続いていた。
窓から入ってくる日差しは暖かく、吹き抜ける風は爽やかで柔らかい。訓練訓練、ときどき実戦、また訓練のあの日々を思い出せば、なんてのんびりとした平和な光景。
それでも時々、物足りないような視線でぼんやり青空を眺めてしまうのは、もはや癖と言うべきなのか。
また飛びたい。だが、それを言えば確実に周囲は止めに入る。割と本気で。
シャマルさんとかは特に怒るだろうなぁ、と高町なのはは怒るかつての六課の医務官を思い浮かべ、ふっとわずかに笑う。
JS事変で――管理局の公式資料ではJS事件だが、規模の大きさからもっぱら"事変"と呼ばれている――受けたダメージは、見えない傷を彼女の身体に刻んでいた。
日常生活には何も支障がないし、今でも相棒レイジングハートを手にすれば、エースの名を欲しいままに戦える自信はある。だが、なのはの周囲がそれを許さない。かくして強引に彼女は、療養中の身とされた。
朝食を用意するためキッチンを駆け回りながら、療養中とはなんだか年寄り臭いなと思う。まだ二十歳の誕生日も迎えていないと言うのに。
右手だけで器用に卵を割って、事前に火にかけておいたフライパン目掛けて黄身と白身を落とす。今日の朝食は目玉焼きに千切りキャベツ、プチトマトに白いご飯。

「ママー……」

焼きあがった目玉焼きを皿に移していると、リビングの方からいかにも眠たそうな子供の声が耳に入る。
キッチンから首だけ出して覗き込むと、娘のヴィヴィオが目をこすながら姿を見せていた。

「あ、起きた? あはは、よく寝たね」
「うん……なんか、いいにおい」

あっちこっちが跳ね上がって自己主張する髪を軽く整えて上げると、ヴィヴィオが鼻をくんくんさせてキッチンの方を向いていた。朝食の目玉焼きの匂いを、嗅ぎつけたのだろう。
先に顔を洗ってくるようにヴィヴィオに言うと、幼い彼女はまだ眠そうに「ふぁ~い……」と気の抜けた返事。そのままフラフラと洗面所に向かっていった。
大丈夫かな、と愛しい義理の娘の行く先を苦笑いしながら見守り、無事に辿り着いたのを確認する。ほっと一息ついて、かけていたエプロンを外す。今のうちに朝食をテーブルの上に並べてしまお
う。いや、その前にヴィヴィオを着替えさせるべきか。ああ、洗濯物も干さないと。
――なんて、ね。
脳裏を駆け巡る思考の渦、すっかり母親が板についてしまった。実家の両親が見たら、なんと言うやら。
幸せか、と問われればそうだと彼女は肯定するだろう。愛娘と過ごす、のんびりとした日々。ときどき遊びに来てくれる、昔からの親友、六課時代の部下たち。
――ただし、男性はなかなか来なかった。無限書庫で働く幼馴染は、最近特に忙しくて休暇が取れない。今は元の世界で引き続き戦闘機乗りを続ける同じエースも、そうそうこちらに来れる訳ではない。
戦闘機。その言葉が脳裏をよぎった時、突如として開けておいた窓から、轟音が鳴り響く。
何だろう。首をかしげながらベランダに出てみると、自分が住んでいるマンションからでもはっきり機体の識別が出来るほどの低空を、一機の航空機が駆け抜けていくのが見えた。
青空を駆け上っていく、巨大な鋼鉄の翼。見覚えがある、確かE-767とか言う機体だ。地上本部でもごく少数しかない、高度な電子戦能力を持った空中管制機。
変だな、となのはは思う。マンションの上空は航路になっているため、洗濯物を干している時などよく飛行機雲を見かける。だが、今日姿を見せたE-767はずいぶん高度が低かった。
空中管制機が低空飛行をする意味を知ったところで、今の彼女に出来ることなどないが――なのはには、妙に気にかかった。

「ママー!」

だが。洗面所の方から聞こえてきた、ヴィヴィオの悲鳴のような声に、思考は断ち切られてしまった。

「お水がとまらないのー!」
「えぇ!? 水道管が、どうかしちゃったかな……待って、今行くから!」

これはいかん、となのははベランダからリビングに戻り、娘が応援を要請する現場へと急ぎ足で向かった。
壊れた水道と三〇分ばかり格闘し、結局どうにもならないので水道屋に電話する――その間に、あのE-767の存在は思考から消え去っていた。



規則正しい呼吸を酸素マスクの中で繰り返すこと、早くも二時間。F-15ACTIVEのコクピットで、ティアナは神経を張り巡らせていた。
空は快晴、格闘戦をやるには持って来いの良好な視界。エンジン、火器管制装置、慣性航法装置、GPS、HUD、機体のあらゆる部分も整備員の丁寧な仕事により快調。

「来ないわね……」

単独飛行、それも通信システムをシャットダウンした状態でひたすらまっすぐ飛ぶのも、そろそろ飽きてきた。独り言を呟いても、妙にむなしい気分になるだけ。

「――クロスミラージュ」
<<Yes,master>>

計器板にセットした相棒のデバイスを呼び出す。話し相手にでもなってもらおうかと思ったが、相手はデバイスだ。高度なAIが入っているとは言え、必要以上の会話はしないはずである。
ティアナはそれに気付き、クロスミラージュを呼んだはいいがどうしようと悩んだ挙句

「……ゆーはぶ、こんとろーる」
<<OK.I have Control>>

機体の操縦をクロスミラージュに明け渡す。操縦と言っても、機体が変な方向へ行ってしまわないよう、まっすぐ飛ばすだけだ。操縦桿、ラダーペダル、エンジン・スロットルレバーは固定される。
操縦桿から手を離し、軽く背伸び。固まっていた筋肉が硬直から解き放たれ、思わずティアナは「あー…」と親父臭い声を出してしまう。
身体を固定するハーネスを緩め、眼下に視線をやると、雲を被った山脈が見えた。フェイトを始めとした本局の部隊は、レーダーに捕まらないよう山の間に身を潜めている。
本当に来るのかしら。下で朝からずっと待機している魔導師たちには悪いが、今のティアナは作戦に疑問が沸き始めていた。何しろ、待っているのに肝心の機体――あの、フェイトが持ってきた画像に写っていた戦闘機と思しき、管理局が"フェンリア"と名付けた機体は姿を見せようとしない。
フェンリアとは、確かどこかの神話に出てくる狼の名前だ。パイロットたちを次から次へと連れ去っていくその姿が、狩りをする狼に例えられたらしい。
フェンリアと言うよりは、レイフと呼ぶべきじゃないかしらとティアナは思う。レイフとは、知恵の狼の意味を持つ。
ただの狼なら餌に釣られてのこのこ出てくるだろうが、今回はなかなか出てこない。無防備に晒された餌が危険だと言うことを、あの狼は知っているのではないか。故に、知恵の狼。
仮にそうなら、嘆かわしいことだ。次元世界に住む住人たちの血税は遊覧飛行に消えました、と言うことになる。

「マスコミには美味しいネタかもね……」

一通り、狭いコクピット内でも出来る柔軟体操を終えたティアナは操縦桿を握りなおし、クロスミラージュに操縦の権限を返すよう命令。言われるがまま、クロスミラージュはコントロールを主に返す。
操縦桿やエンジン・スロットルレバー、ラダーペダルに施されていたロックが解除されたのを確認――突如、背筋に悪寒が走った。

「!」

酸素マスクから送られてくる酸素をたっぷり吸って、だらけた思考に喝を入れる。身体を流れる血の巡りが、明らかに早くなった。
誰かに、見られている。耳元に狼の息遣いを吹きかけられるような、不快な感覚。第六感なんて馬鹿馬鹿しいと一笑されそうだが、ティアナの生存本能は確実に異変を感じ取っていた。
じっくりと、舐めるようにキャノピーの外に広がる青空を見る。レーダーには何も映っていないが、何かがこの空域にいるのは確かだ。
どこに――焦る衝動を堪え、コクピットの正面上位に設置したバックミラーに目をやる。何かが、光るのが見えた。
来る! 咄嗟にティアナはラダーペダルを蹴飛ばし、操縦桿を捻っていた。F-15ACTIVEは機首を跳ね上げ、垂直尾翼の方向舵を曲げて左に横滑り。
直後、掠め飛ぶ赤い曳光弾。非殺傷設定も何もない、効率的な破壊と殺戮に重点を置いた、質量兵器から放たれたもの。
一瞬、ほんの一瞬の差で、ティアナは撃墜を免れていた。早くなる心臓の鼓動。極限にまで高まる緊張感。全身に鳥肌が走るのが分かった。

「……クロスミラージュ、通信回線オープン!」
<<OK>>

ぐるりとひっくり返った視界。視線を上げれば、フェイトを初めとした魔導師たちが潜んでいる山脈がある。ここから離れた空域には、地上本部のゴーストアイがいる。ティアナは彼ら彼女らに向けて
通信を送った。

「こちらメビウス2、フェンリア出現! 繰り返します、フェンリア出現――っ、何これ!?」

ヘッドホンに入ってきたのは返答ではなく、雑音。クロスミラージュが自動的に周波数を変えてみるが、どのチャンネルもすぐ雑音が入り込んで来た。
ECM(電波妨害)を仕掛けられているのか。何にせよ、味方は呼べない。ティアナを囮にして、パイロット誘拐の容疑者であるフェンリアを一網打尽にする作戦は、最悪の展開に移ろうとしていた。
また、何かが光るのが見えた。今度は真正面から。動揺と苛立ちを隠し切れないまま、ティアナは操縦桿を右に倒す。愛機は主翼を翻し、派手にロールを打つ。機体を掠めるのは、やはり赤い曳光弾。
おかしい、攻撃のタイミングは分かるが、敵の姿が見えない。フェンリア、こいつはひょっとして透明戦闘機だとでも言うのか。
未知の敵との遭遇。脳裏を駆ける感情は、恐怖。

「ええい――!」

エンジン・スロットルレバーを叩き込み、アフターバーナー点火。F-15ACTIVEは赤いジェットの炎を見せ、恐怖を振り払うように急上昇に入る。
手品の種は、案外呆気ないものだ。自らにそう言い聞かせて、ティアナは持ち前の負けん気を発揮する。
上等よ、かかって来なさい――姿を見せない狼を睨み、ティアナは誰に対してでもなく、自分に対して宣言した。

「メビウス2、交戦!」



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最終更新:2009年04月01日 21:22