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ACE COMBAT04 THE THE OPERATION LYRICAL Project nemo


第3話 夢と現実の狭間で


一〇年前、ある世界で戦争があった。
否――戦争ならばはるか昔から何度となく繰り返されていた。
彼らは北辺の谷を出で、南の土地を目指して何度も侵攻を繰り返した。
運に恵まれぬ彼らに、勝利が続くはずがない。
彼らは時代が変わったことに気付かなかった。
敗戦を繰り返し元の小国に戻りつつあった彼らは、比類なき工業力を養い、やがてそれを武器に世界に向かって最後の戦いを挑んだ。
それが一〇年前の戦争。
彼らは猛々しく戦い、惨敗した。
伝統の空軍は数々のエースを生み出したが、そのことごとくは鬼神と妖精によって討たれたと言う。
敗因はそれだけではない。陸海空の三軍は個々の能力では傑出していたものの、連携と言うものを知らなかった。かつて彼らの土地を守った騎士団の末裔を自負するあまり誇りと伝統を過度なまでに守ろうとした結果だった。
そして、自国内で核弾頭を使う愚さえ犯したベルカ人。それを目の当たりにした戦勝国たちは、自らの武器を捨てようと心に誓った。
世界に平和が訪れた。
だが、彼らはその世界を受け入れられなかった。
平和な世界でじっと息を潜めていた彼らは、監視の目が届かぬ土地を求め、時空を超えた。
そして、時が満ちるその日まで。ひっそりと戦う力をその手に取り戻そうとしていた――。


宙に浮かぶ、半透明のディスプレイ。そこに表示される各管理世界の歴史資料のデータは、あまり役に立ちそうになかった。
ふぅ、とため息を吐いてキーボードを叩く。細く白い指がキーボードの上で短く踊り、半透明のディスプレイは姿を消す。
眩いほどに綺麗な金髪と紅い瞳を持った顔に小さく欠伸を浮かべ、フェイトは手元のコーヒーの入ったマグカップを口元に運ぶ。
マグカップの中の適度に熱く、甘苦い液体を味わいながら自身の執務室に視線を巡らせる。時計を見れば、すでに時刻は午前一時を回ろうとしていた。
さすがに今日は限界だろうか。頭の中で付き合いの長い捜査官が、「寝不足はお肌の大敵やでー」とか言っている。そうだね、とフェイトは少しばかり笑みを浮かべて、立ち上がった。汗臭いかな?と思って、寝る前にシャワーを浴びようと考えた。執務室には仮眠用のベッドもあれば、シャワールームさえある。
とりあえず中身の残ったマグカップに目をやり、もったいないから飲んじゃえと一気飲み。甘苦い味が口の中を支配し、次いで熱い液体が腹部に流れていくのが分かった。

「それにしても……」

マグカップを片付ける最中、フェイトは天を仰いで記憶を掘り起こす。脳裏をフラッシュバックしていく光景は、昨日の出来事。
透明戦闘機"フェンリア"との交戦、その後捕獲に成功し、地上本部の飛行場格納庫で調査を受ける囚われの"フェンリア"、そこから得られた様々な情報。
まだ調査作業は続行中だが、現時点で得られた情報、そこから推測できることは多い。
例えば、"フェンリア"に使用されていた技術。魔法に頼らず、純粋に科学技術だけで透明化など恐るべきものだが、逆を言えばこれは、"フェンリア"が魔法使用が前提のミッドチルダの技術によって開発されたものではないことを証明している。すなわち、異世界からの混入物である可能性が高い。
その情報を得たフェイトは、真っ先に最近発見されたばかりの管理外世界を思い出した。
第二〇八管理外世界と名付けられたその世界からは、ある人物が次元漂流者としてミッドチルダに流れ着いていた――メビウス1。JS事変を駆け抜け、畏怖と敬意の狭間で生きた、一人のパイロット。
戦闘機を駆る彼はその凄まじい技量を持って、ミッドチルダ、特に管理局の地上本部に大変革をもたらした。魔導師としては低ランクの陸士でも、本局の空戦魔導師と互角に戦える力、すなわち戦闘機の配備。戦力の不足に悩む彼らにとって、戦闘機はまさに夢のような力だったのだ。
だが、同時にそれはJS事変終了後、管理局による「管理」を拒むテロリストたちにとっても同じ話だった。彼らもまた、安価で手頃な軽戦闘機を様々なルートで手に入れ、管理局に立ち向かってきた。その入手ルートの一つに、二〇八管理外世界が挙げられていた。
だからフェイトは、"フェンリア"がメビウス1の世界のものであろうと考えた。そして、その入手ルートを調べようとした。

「……でも、情報が少なすぎる」

トントンとこめかみを突き、フェイトは少し困った表情を浮かべる。
所詮二〇八管理外世界は「管理外」だった。九七管理外世界のように比較的自由に行き来出来るならともかく、二〇八に関してはあらゆる方法を用いても突破不可能な次元の"壁"が存在する。メビウス1のようにその"壁"を飛び越えてきたのは、例外に過ぎなかった。次元漂流の果てに管理局に入局した出身者もいたが、そこから得られる情報も限界がある。すなわち、管理局のデータベースからではこれ以上の情報収集は困難だと言うことだ。
そうなると、頼みの綱は"フェンリア"だろうか。解析がすべて終了すれば、新たな情報が手に入る可能性もある。
――とりあえず、今は休もっか。
ふぁ、と喉の奥からこみ上げて来た眠気を欠伸に変換して、フェイトはシャワールームに入ることにした。


一方で、"フェンリア"の解体調査が行われる格納庫。捕獲作戦から一夜明け、たっぷり睡眠を取ったティアナはここを訪れていた。
さすがにまだ静かね、と照明の落とされている格納庫を見て、ティアナは思う。作業員たちは皆、深夜にまで及んだ調査のため熟睡しているはずだ。
見上げれば、そこにあるのは囚われの狼。外装部やパネルなどを剥がされ、内部の電子機器が剥き出しになった"フェンリア"の姿がある。

「なんだか哀れ……え?」

自分の口から漏れた言葉を聞いて、ティアナは妙な気分に駆られた。今、自分は"フェンリア"を見て哀れと言った。昨日までの敵機に、哀れみの感情を抱いているのだ。
そっと、彼女は狼の無機質な冷たい肌に触れた。物言わぬ鋼鉄の翼は、何かを語る訳でもない。
故に、ティアナは気付く。この狼に、罪はない。意思を持たない彼には、ただ命令を受けてそれを実行するほかないのだ。失敗すれば、捨てられる。
――だから哀れ、か。
物思いにふけっていたティアナはそこで、思考を切り替えた。薄暗い格納庫内の一角で、わずかに明かりが零れていた。
侵入者、と言う訳ではあるまい。この格納庫には現在、警報システムが導入されている。IDカードを使って扉から入らなければ、自動的に警報が鳴るはずだ。
階段を上ってみると、零れる明かりの正体は端末のディスプレイだった。そして、端末のキーボードを叩くのは眼鏡の女性。

「シャーリーさん?」

声をかけてみると眼鏡の女性、自分と同じフェイトの補佐官シャリオがぱっと振り返った。眼鏡の奥にある瞳は赤く充血し、どことなくティアナは怖いものを感じた。

「あぁ……ティアナ。こんばんわ」
「こ、こんばんわ……じゃなくて、もう"おはよう"だと思うんですけど」

えー?とシャリオはティアナに言われ、そこでようやく、自分が徹夜をしてしまったことに気付く。どうやら一晩中端末と格闘し、"フェンリア"内部の電子機器の解析を続けていたらしい。大きな欠伸を一つして、まぁいいやと作業続行。

「大丈夫なんですか?」

さすがに心配になってティアナは声をかけてみるが、シャリオは振り返らない。一心不乱にキーボードを叩き、ときどき手を休めて――その時は代わりにディスプレイを睨んでいる――だいじょーぶ、と適当な返事をするのみ。
何がここまで彼女を駆り立てるのか。メカ好きとは聞いたが、ここまで来るとほとんど病気も同然だろう。シャリオの仕事に打ち込む姿勢に半ば呆れながら、ふとティアナは
端末の傍に置いてあった一枚のコピー用紙に視線をやる。複数の単語が走り書きされているので、おそらくはシャリオが解析中に見つけた気になる単語をメモに取ったのだろう。
コピー用紙を手にとって、うえ、とティアナは表情を歪めた。あまりにも走り書きが過ぎて、単語の多くは読めなかった。シャリオのことだ、キーボードを叩きながら脇目も触れずに書いたのだろう。仕方なく、どうにか読み取れる単語を探す。
CCD、COFFIN、ENSI規格、コネクテッド、テレ・イグジスタンス、難解な専門用語が並ぶ最中、ある単語にティアナは眼を留めた。
ベルカ。
ゼネラル・リソース。
聞き覚えが、あった。以前"彼"から、メビウス1の口から聞いたことがある。
かつて、世界に対し戦いを挑んだ古き国の名。
ユージア大陸の軍需産業ほぼ全てを掌握下に置く、死の商人たちの巣窟。
ちらっと、ティアナは眼下にある"フェンリア"に視線をやった。狼はやはり、物言わぬ機械として鎮座している。
だが、内部の電子機器から、答えは得られていた。
問いかける疑問に答えるはずもなく。だが、ティアナはあえて狼に問う。

「……あんた、メビウスさんの世界から来たの?」

狼は、無論答えない――否。キーボードを叩いていたシャリオの指が突然止まり、ティアナからコピー用紙を奪った。
乱暴な仕草に文句の一つも言いたくなった彼女だが、シャリオの眼から溢れ出る気迫がそれを押さえ込んでしまう。寝不足と職務への責任感、もともとメカ好きと言う好奇心全て
が一つになった今のシャリオには何を言っても無駄だろう。
その彼女はと言うと、右手でペンをコピー用紙の上で走らせ、またキーボードを叩き始める。気になる単語がまた出てきたのだろう。ティアナは横から、新たに加わったそれを確認するべく覗き込む。
加えられた単語はかろうじてこう読めた。

「エレクトロスフィア……?」


時空管理局、無限書庫。滅びた文明から現行の各管理世界まで、ありとあらゆるデータがまとめられる巨大な資料室である。
"無限"の名にふさわしいほど膨大な量の資料は依然として整理が終わっておらず、まだ不透明な部分がある。もっともそれも、スクライア一族の青年ユーノが司書長になることで大きく改善されつつある。
この日、ユーノは依頼されたある単語についての調査結果を報告すべく、通信回線を開いていた。

「やぁ……フェイト、久しぶり」
「うん、久しぶり。どう、何か分かった?」

回線の向こうに映る執務官、今回の依頼主との挨拶もそこそこに、ユーノは手元の端末を持ってきて通信回線に接続。データフォルダを開いて、送信開始。

「詳しい情報は今から送るファイルに全部まとめてあるから――エレクトロスフィアだったね?」
「そう――私の補佐官が、捕獲した機体内部から見つけた単語なんだけど」

捕獲した機体と聞いて、ユーノは眉をひそめた。確か彼女たちが捕まえた機体は、メビウス1の出身世界から来た可能性が高いと聞いている。
怪訝な表情を浮かべるユーノに、フェイトがどうしたの?と問う。

「いや……その機体、古代ベルカのものだったりしない?」

ユーノが出した答えを聞き、今度はフェイトが眉をひそめた。魔法技術の欠片もない純粋な科学技術の結晶である"フェンリア"が、何故古代ベルカのものなのか。
彼女の疑問を察したユーノは、詳しくはファイルを見て欲しいんだけど、と前置きした上でその理由を話す。

「エレクトロスフィアって単語が載ってる文献は確かに存在した。けど、そのどれもが古代ベルカの文明を記したものだ。意味は、"肉体に囚われない場所"だった――」
「ちょ、ちょっと待って。どうして無人機の電子機器から、古代ベルカの言葉が……」

フェイトの疑問はもっともだろう。だから、ユーノはあえて言った。分からない、と。さすがの無限書庫でも、無人戦闘機と古代ベルカの関連性に答えを持っていない。
通信回線の向こうではそっか、とフェイトが肩をすくめていた。少し残念そうな表情なのは、無限書庫ならば何か大きな情報が得られると考えていたからだろう。もっともその期待は大きく裏切られ、逆に疑問さえ生み出してしまった。

「……そうだ、なのはは最近どうしてるかな。子育てで忙しいかな?」

そんなフェイトを見て、少しでも気晴らしになればと思い、ユーノは幼馴染のことを話す。今はJS事変で受けたダメージのため療養中のはずだ。
持ちかけられた話題がユーノなりの気遣いであることに気付いたのかは、定かではない。それでもフェイトは親友の名を聞き、笑みを浮かべて答えた。

「元気そうだよ、ヴィヴィオともども。最近ちょっとだけ職場復帰するって聞いた」
「職場復帰?」

大丈夫なのだろうか。ユーノは脳裏に幼馴染の顔を浮かべ、心配そうな表情を浮かべた。放っておけば、彼女はすぐに無理をする。分かっていてやっているところもあるから、余
計に性質が悪い。ましてや、彼女の職場とは戦技教導隊。訓練にて敵役、俗に言うアグレッサーとなる身分だ。求められる技量は生半可なものではない。
しかし、その心配は杞憂のようだ。フェイトは安心して、と付け加えて職場復帰と言っても当分はデスクワーク主体であると伝えた。

「ああ、そうか……」

それでもなお、心配そうな表情は崩さないユーノ。
なんだかんだで、結局彼女は無茶をしてしまいそうな気がしてならなかった。


「へっくしゅん!」

小さなクシャミを一つして、久々の教導隊の制服に身を包んだなのはは、辺りを見渡す。耳に神経を集中させるも、周囲の同僚たちの会話内容は他愛もないものばかり。
誰か私の噂してると思ったんだけど、違うのかな。首をかしげ、出来上がった書類をまとめるなのはに、隣のデスクに座っていた小さな影が声をかける。

「風邪か、なのは?」
「んー、違うと思いたいけど」

気をつけろよーと付け加え、自分の書類仕事に戻るのはヴィータ。六課解散後に教導隊入りした彼女は、何かと気遣ってくれる。
ありがとう、と心配してくれるヴィータに応えて、ふと彼女は先日の出来事を思い出す。ヴィヴィオと共に住むマンションの上空を、地上本部戦闘機隊所属の空中管制機E-767、おそらくは"ゴーストアイ"のコールサインを持つ機体がやけに低い高度で飛んでいくのを目撃した。その時は飛行目的を知る由もなかったが――。
教導隊と戦闘機隊は、対戦闘機、対魔導師の戦術を研究する上で繋がりが深い。ヴィータなら何か知っているのではないかと思い、なのはは訊いてみた。

「あぁ……あれか。なんか、地上の方でパイロットが行方不明になる事件が起きてるんだとよ。本局の要請で情報収集のために飛ばしたって聞いてる。低く飛んだのはあれだ、色ん
な高度でどんなデータが取れるか試してたんだろ」
「ふーん……」

ヴィータはやはり、おおよその情報は掴んでいた。そういえば、数日前にフェイトから届いたメールで、しばらく任務に就くから連絡が取れなくなるかも、と言う一文があった。もし
かしたら、その「パイロットが行方不明になる事件」が絡んでいるのかもしれない。
これがほんの数ヶ月前なら、六課にいた頃ならば、自分も関わっていただろう。ひょっとすれば実戦となり、仲間たちと共に空を駆け抜けていたかもしれない。
フェイトちゃん、シグナムさん、ヴィータちゃん、はやてちゃん、それに――脳裏に思い浮かべる同じ空戦魔導師たち。その中に、一人だけ明らかに異質な者がいた。
戦闘機。空を飛ぶことを許されないただの人間が生み出した、鋼鉄の翼。その中でも最強と謳われるF-22Aラプター、パイロットを務めるのはISAF空軍のトップエース、リボン付きの死神、異世界からの漂流者――メビウス1。
果たして彼がこの場にいたら、事件を聞いて何を思うだろう。どう行動するだろう。共に飛び、戦い、同じエースの名を背負ったなのはには、容易に察しがつく。
きっと、メビウス1のことだ。事件解決のために動くことだろう。


彼女は、否、彼女だけではなく、メビウス1を知る誰もが考えもしなかった。思いもしなかった。
よもや、彼が事件の中心に関わっていようなどとは。


ISAF
エルジア
ユージア大陸
ノースポイント
ファーバンティ
ストーンヘンジ
メガリス
メビウス中隊
黄色中隊

ユリシーズ

様々な単語が脳裏をよぎり、彼の記憶を掘り起こしていく。
ただの学生に過ぎなかった彼が、戦闘機乗りになると志した日。軍人になったばかりの彼が、家族と恋人を空から落ちてきた小惑星によって失った日。戦闘機乗りとなり、初陣として爆撃機を迎撃したあの日。初めて黄色中隊と対峙し、徹底的に打ちのめされたあの日。敵艦隊を奇襲し、大勝利と言う美酒に酔いしれたあの日。上陸作戦を成功させ、その後に続く反撃にて徐々に名を知らしめていったあの日。家族と恋人を守ってくれず、結局は戦争の原因となった仇敵を撃ったあの日。迎撃にやってきた黄色のうち一機、エンジントラブルに陥っていた機体を撃墜したあの日。幾多の屍を乗り越え、敵の首都に辿り着いたあの日。黄色中隊との決戦に臨んだあの日。終戦に納得しない敵国の青年将校を蹴散らし、隕石を落とすと言う愚行を繰り返させた要塞を破壊したあの日。
あの日、あの日、あの日、あの日、あの日、あの日、あの日。
やめてくれ、と彼は叫んだ。人の記憶を、勝手に覗くな。弄繰り回すな。
だけども、脳裏を走る記憶の流れは止まることを知らず。それを止められない自分の無力さに嘆き。しかしどうすることも出来ない時間が、延々と流れていく。
いい加減に叫ぶのも疲れ、諦めかけたその時。突然、彼は放り出された。
訳が分からないまま立ち上がり、周囲を見渡す。
どこだここは、と言いかけて彼は言葉を飲み込んだ。見覚えがある。ユージア大陸の、自分の故郷。今はクレーターとなって存在しない、小さな田舎町。
夢か幻か。だが、身体の感触は確かに感じ取ることが出来た上、眼の前に広がる夕日は紛れもなく、少年時代に見た故郷の光景そのものだ。

「ちょっと、どうしたのよ」

不意に後ろから声をかけられて、振り返る。そこで、彼は自分の眼を疑った。

「ほら、行くわよ。今日の晩御飯はあたしが作るんだから!」

嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ。何故彼女が生きている。何故現実に存在している。もう記憶の中にしかいないはずだ。それなのに、どうして彼女は。
戸惑う彼を、彼女は怪訝そうな表情で見つめ、腕を引っ張った。どこかに、連れて行こうとしているのだ。

「おじさーん、おばさーん。連れて帰ってきましたよー」

彼女に連れられたのは、どこにでもありそうなごく普通の一軒家だった。家の玄関では、二人の男女が待ってくれていた。
彼の脳裏を、再び疑念がよぎる。おかしい、何故俺の家がある。何故、親父とお袋が生きている。
みんな消えたんじゃなかったのか。
みんな隕石で吹き飛ばされたんじゃなかったのか。
みんな死んだんじゃなかったのか。

「遅いぞ、どこに行っていたんだ。まったく、あまり――ちゃんに迷惑かけるな」
「まぁまぁお父さん、その辺にして。ほら、――もお腹すいたでしょ。家に入って待ってなさい。――ちゃんと私、晩御飯作るから」

瞬間、疑問が吹き飛んだ。
あぁ、その名で俺を呼んでくれるのか。もう長いこと、コールサインでしか呼ばれていなかったのに。まだ俺を、家族として扱ってくれるのか。

「――、どうしたのよ今日は? ぼーっとして」

心配するような表情を浮かべた彼女に、彼はようやく、口を開く。

「……いや」

駄目だ。脳裏の奥で、何かが叫んだ。
これを認めてはいけない。
これは現実じゃない。
これは夢だ、幻だ。
お前は――1なんだ。――と呼ばれることは、もう無い。そう呼んでくれる人もいない。

「何でもない。飯、楽しみにしてる」

彼は彼女に微笑みかけた。心配そうな表情だった彼女は少し首をかしげ、まぁいいかと笑みで返してくれた。
知るか。
これが現実じゃなくても構わない。
これが夢でも幻でも構わない。
俺は――だ。――1じゃない。――と呼んでくれる人が、ここにいる。


だから、俺は……




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最終更新:2009年05月14日 19:53