ACE COMBAT04 THE THE OPERATION LYRICAL Project nemo
第2話 狼と踊れ
地下の司令室と聞いて、人はどんな場所をイメージするだろう。
おそらくは、照明が抑えられ、ディスプレイとコンソールから漏れる光だけがそこで働く人を照らす。一口に言えば、薄暗く難解な専門用語が飛び交うような場所、こういうイメージが一般的かもしれない。
だが、彼らがいる場所はそうではなかった。もちろん戦闘にでもなれば非常灯に切り替わるが、平時ではごく普通の照明が灯されている。
発電システムは順調に稼動しているのだな――飛行服を着た男は天井を見上げ、次に視線をディスプレイに落とす。そのディスプレイでは、青い矢印が赤い矢印と複雑な螺旋を描き、激しいダンスを踊っていた。
「なかなか手強いですね」
同じくディスプレイを眺めていた、軍服を着た男が呟く。
いつもなら、この激しいダンスは数秒と経たずに終わってしまう。さすがはゼネラル・リソース、ユージア大陸屈指の軍需産業が開発した先行試作機。
「今回は大物のようです」
「だろうな」
軍服の男に言われずとも、飛行服の男には分かる。ディスプレイに映る無機質な赤い矢印の航跡は、ベテランパイロットの機動に酷似していた。
悪く思わんでくれ。飛行服の男は胸のうちで、赤い矢印に向けてそっと呟く。この地の人間に恨みはないが、計画にはどうしても必要なのだ。
ちょうどその時、耳障りな高音が司令室に迷い込んできた。もっとも司令室にいた人間は、大して気にした様子はない。ダムの放水作業が始まっただけだ。
「ここもアヴァロン、とは皮肉な名だな」
「は……?」
「何でもない」
放水を始めたダムの名前を口ずさみ、怪訝な表情を浮かべる軍服の男に対して飛行服の男は首を振る。
アヴァロン。かつて国境の存在に疑念を抱いた者たちが、世界に向けて立ち上がった地。彼らは結局制圧されてしまったが、我々は違う。烏合の衆と、血も志も一つとなった我々ベルカ人とでは、雲泥の差がある。
だから――再び飛行服の男はディスプレイの、赤い矢印を見た――悪く思わんでくれ。君は、栄光あるベルカ公国再建の礎となるのだ。
ディスプレイに浮かぶ青い矢印と赤い矢印のダンスは、激しさを増そうとしていた。
喉が渇いた。本来、頭の回転を良くするためにマスクから送られる新鮮な酸素は、渇いた喉をピリピリと痛めつけてくる。
数えるのも嫌になるくらいの、急機動の連続。今日一日で記録更新だ、帰ったら皆に自慢してやろう――。
などと考える余裕があると言うことは、まだ戦える証拠。自らにそう言い聞かせて、ティアナはF-15ACTIVEのコクピットで青空を睨む。
「はぁ……はぁ……」
酸素マスクの中で、荒い呼吸を繰り返す。空に響き渡るのは、自分の呼吸音のみ。
レーダーは依然として沈黙したまま。通信機のスイッチを入れても、入ってくるのは雑音だけ。気の利いたラジオでも流して欲しいところだ。
頼りになるのは自分の眼、そして相棒の――
<<Warning! 3 o'clock!>>
「……!」
相棒、計器板にセットしたカード状のデバイス、クロスミラージュのみ。レーダー警戒システムが、敵機の発する照準用のレーダー波を受信したに違いない。
素早くラダーペダルを踏み込む。ついでに操縦桿を捻り――途端に、愛機は主翼を翻し、機首を地面の方向に向ける。急降下、ダイヴで逃げる。
直後、機体をどっと揺さぶる衝撃波。姿の見えない敵機が攻撃を諦めて、行き過ぎていったに違いない。
ぱっと首を曲げて敵機が飛び去ったと思しき方向を見るが、やはり見えない。姿が見えないのは、本当に厄介だった。
性根の悪い狼ね。酸素マスクの中で静かに呟き、ティアナは操縦桿を引き、機体を水平に戻す。
管理局が"フェンリア"と名付けたこの透明の敵機は、じりじりとティアナを追い詰めようとしていた。
ミッドチルダで多発する、パイロットの行方不明事件。事件の背後に所属不明の航空機の存在があると掴んだ本局は、地上本部戦闘機隊でエースの名を馳せるティアナを囮とし、航空機が現れたところを武装隊で捕獲すると言う作戦を計画したのだが――レーダーに映らないのはともかく、通信を妨害されるのは予想していなかった。これでは仲間を呼べない。
とは言え、手品の種は案外大したことはない。必死に逃げ回る過程で、ティアナは並列思考の一つに敵機の透明を見破る手段を考えていた。
光の屈折のせいか。そう思って太陽の方向に機首を向け、しばらく上昇を続けるが――やはり、見えない。代わりに飛んできたのは、真っ赤な曳光弾。機関砲で、撃たれているに違いなかった。
露骨に舌打ちして操縦桿を前に突くティアナ、F-15ACTIVEは機首を垂れ下げていく。上に引っ張りあげられるようなGがかかり、頭に血が昇る。視界までもが、徐々に赤くなっていく。レッドアウト寸前だが、身体強化の魔法を行使して耐え抜く。
苦悶の表情を隠しもせず、しかしティアナは考えを止めない。光の屈折ではないとしたら、何だ。魔法か。自分と同じ幻術使いが、あの機体に乗っていると。
だが、クロスミラージュに問うと魔力を使ったと思しき反応は見当たらないと出た。
「何よそれ――ええい!」
正面、キャノピーの向こうで何かがチカチカと瞬いた。機関砲が火を吹いた証。ティアナは躊躇せず、操縦桿を思い切り左に倒す。ぐるりと一回転する視界、F-15ACTIVEは急激な左ロールへ。直後、機体を掠める赤い曳光弾。先ほどから機関砲で撃たれてばかりだ。
舐められてる。敵弾をすんでのところで回避したティアナは愛機を上昇させつつ、苛立ちを露にした。姿が見えないなら、さっさと絶対回避不可能な位置と距離を取ってミサイルを撃ってしまえばいい。だが、"フェンリア"はそれをやらない。
あるいは、機関砲で飛べなくなる程度のダメージを与えて、パイロットを脱出させるのが狙いか。きっとそうに違いあるまい。
脳裏に行方不明者たちのリストが浮かび、その中に自分の名前が加えられる場面がよぎる――笑えない冗談だわ、まったく。
そんな想像をしてしまう自分が少しばかり嫌になり、一度瞳を閉じて、また開く。視覚強化の魔法を発動、視界が望遠鏡を覗き込んだかのような状態に切り替わる。これでも"フェンリア"が見えるかどうかは分からないが、やらないよりはマシだ。
キャノピーの外に広がる青空を、ゆっくりと舐めるように見渡す。ちらっとでもいい、"フェンリア"の一部が、狼の尾が見えれば――。
正面、何かの光が走る。敵機のキャノピーが太陽光で反射でもしたのかと思ったが、違う。
<<Missile Alert! Master,brake!>>
響き渡る、ロックオン警報。はっとティアナが気付いた時には、それがミサイル警報に切り替わった。
機関砲しか撃たないんじゃないの――!?
セオリーを突然崩した"フェンリア"を罵倒したくなるのを堪えて、彼女はフレアの放出ボタンを叩く。同時に操縦桿を捻る。F-15ACTIVEは垂直尾翼の付け根に装備されたチャフ/フレアディスペンサーから赤い炎の塊、赤外線誘導ミサイルを幻惑するフレアを放ちつつ、機首を左斜め上に跳ね上げた。
視覚強化の魔法の効果はまだ生きてる。上から圧し掛かってくるようなGに耐えつつ、ティアナは目玉だけを動かして迫るミサイルを目視しようとした。
――見えた。二発のミサイル、白煙を吹きながら迫る死神の鎌。一発目は事前に散布されたフレアに一度は食らいつくも、それが偽の目標であることに気付く。進路を変更して、ティアナ機に迫る。
だったらもう一度! 出し惜しみは出来ない。ティアナは指を躍らせ、フレア放出ボタンを再び叩く。散布されたフレアはミサイルの前に群がるように展開。ミサイルの弾頭はいきなり目の前に出現した大量の美味そうな匂いに我慢できず、爆発。衝撃が機体を揺さぶるが、ダメージはない。
されど、ティアナは安心する気にはなれなかった。飛び込んできたミサイルはもう一発ある、そいつがどこから来るか――。
げっと思わず、彼女は声に出してしまった。よりにもよって、もう一発は先ほど爆発したミサイルの黒煙を突き破る形で姿を見せた。
フレア散布――間に合わない。反射的に操縦桿を右に倒して回避を図るが、逃げ切る前にミサイルは近接信管を作動してしまうだろう。
せめてもの抵抗として、ティアナはミサイルを睨み付けた。スローモーションのようにゆっくりと迫るミサイルの、リベット一本に至るまでもが鮮明に見えた。
あれ、とティアナは疑問の声を上げる。ミサイルの弾頭に、何かが下から突き刺さった。金色に輝く、矢のような物体が。
「……うわっ!?」
衝撃。蹴飛ばされたように跳ね上がったF-15ACTIVE、ティアナは狼狽しつつも反射的に操縦桿を握り締め、機体を制御しようとする。
大波に晒される小船のようにふらつく愛機だったが、優秀な電子制御と彼女の冷静な判断が、安定を取り戻す。瞬時にクロスミラージュがダメージチェック、機体各部に異常
無し。ひとまずは安心だ。
ミサイルの近接信管が誤作動でも起こしたのか。いいや、違う――額の汗を少しぬぐって、ティアナは思考を巡らせる。爆発したミサイルは寸前、金色の矢のような物体によって射抜かれていた。それが魔力弾だと言うことに気付くのに、大して時間は必要なかった。
<<ごめん、遅くなった。通信状態が悪くて――この距離なら、なんとか話せるみたいだね>>
はっとティアナは、鼓膜ではなく脳裏に直接入り込んでくる声に顔を上げる。雑音混じりだがはっきりと聞こえる、念話による通信。
キャノピーの外に視線を向けると、金の髪を風に揺らす魔女の姿があった。その周囲を、本局武装隊の空戦魔導師たちが随伴するように飛んでいる。
<<フェイトさん!? 通信も無しに、どうやって……>>
ティアナが驚くのも無理はなかった。武装隊を率いる執務官、フェイトは敵機のレーダーに捕まらないよう地表の山間部に潜んでいた。"フェンリア"の捕獲は彼女たちが行う手筈なのだが、囮を務めるティアナから連絡がなければ"フェンリア"の襲来に気付くことはないはず。そして、通信は妨害されていた。
疑問の答えは、他ならぬフェイトの口から出た。
<<音だよ>>
<<音?>>
<<ジェットエンジンは、うるさいからね>>
あぁ、とティアナは納得した。いくら"フェンリア"の姿がレーダーでも肉眼でも確認できないからと言って、ジェット機独特の轟音までは消せない。空戦機動ともなれば尚更だろう。待機していたフェイトたちは、頭上で繰り広げられるジェットの轟音の演奏会を聞き、異変に気付いたのだ。
<<けど、気をつけて下さい。"フェンリア"は、本当に姿が見えなくて――!>>
お喋りはそれまでだ。そう言わんばかりに、F-15ACTIVEのレーダー警戒システムが警報を鳴らす。
ティアナは指で合図をし、正面に向き直ってラダーペダルを蹴飛ばす。機体は横滑り、フェイトも合図に気付いてF-15ACTIVEから離れる。位置を変えねば、狼は容赦なく急所
に噛み付いてくる。
素早い判断のおかげで、直後に殺到してきた機関砲の弾丸の雨は回避することに成功した。魔導師たちが機関砲が放たれた方向に向かって魔力弾を乱射するも、弾丸はことごとく空を切る。闇雲に撃って当たるようなものではない。
――何でもいい、敵機の現在地がリアルタイムで分かるような手掛かりが欲しい!
フェイトと共に青空に視線を巡らせつつ、思考を回転させるティアナだったが、依然として敵機の姿は見えない。"フェンリア"――狼には、こちらの位置が丸見えだと言うのに。
せめて狼の足音でも聞こえれば。
「……足音?」
ふと、自らの思考をよぎった何気ない言葉に、ティアナは引っかかるものを感じた。
渇き、ピリピリと痛む喉からの訴えを無視して、酸素マスクから送られる新鮮な酸素をたっぷり吸う。考えろ、敵機の居場所を知るために必要な情報。
フェイトたちは、空中戦の際に響くエンジン音を聞いて上がってきた。透明戦闘機"フェンリア"と言えど、ジェットエンジンの轟音までは消せない。
狼の足音。ジェットエンジンの轟音。脳裏を駆け巡る二つの言葉が重なった時、ティアナは気付く。
そうだ、姿は見えなくても、音は消せない。
<<ティアナ!>>
振り返ると、フェイトも同じ結論に至ったのか、自分の耳に手をやって何か合図を送っていた。
ティアナは頷き、聴覚強化の魔法を行使。同時に余計な音を遮断するため、エンジン・スロットルレバーを下げる。
静まりつつあるエンジン音を耳にしながら、神経を聴覚に集中させる。視覚に頼るな――思い切って眼も閉じた。
自らの息遣い、静かに鼓動を繰り返すF100エンジン、大気を切り裂く鋼鉄の翼、キャノピーの外を流れる風。その中に、一つだけ異質なものが混じってくる。
これは――真上から来る?
眼を開き、首を上げる。狼の足音は、はるか上空から確かに聞こえてきた。
<<フェイトさん>>
<<うん……来るね>>
向き直り、フェイトに念話で声をかける。彼女の方も、"フェンリア"の居場所を掴んだらしい。
ただちに反撃と行きたいところだが、今回の目的は"フェンリア"の捕獲だ。
そこで、ティアナは一計を講じることにした。
機械に意思は無い。あるとすれば、それは演算装置が様々な数値を元に叩き出した最適な答えであり、所詮はプログラムに過ぎない。
だから。"フェンリア"に搭載されていたAIは、何度目かになるガンアタックが避けられてしまったにも関わらず、再び同じ行動を取ろうとしていた。
先ほどミサイルを撃ってしまったのは、搭載するそれの炸薬の量が意図的に減らされているからだった。直撃しても、パイロットが脱出する余裕がある程度にしかダメージは与えられない。
それを避けられ、挙句魔導師まで出てきたのは予想外だったが、機械ゆえに彼が慌てるようなことは無い。超高速で組み上げられる計算式に、新たに数値が加わっただけ。
機体全体に搭載されたミクロ単位の映像表示素子が、カメラなどに使用されるCCDが撮影した背景映像を投影する。それが、"フェンリア"の透明のカラクリだ。要するに、ティアナたちが透明と思っていた機体は実際には機体の向こうにある映像と言うことになる。
火器管制装置さえも、電源を切っていた。電波を出すのは一瞬、攻撃する瞬間のみ。常時から発していたのでは、逆探知されて位置を捕まれる。
誰に見られることもなく上昇した"フェンリア"は反転。はるか眼下にて、自分を見失ってただ戸惑うばかりのF-15ACTIVE、そして魔導師たちを見つけた。
気付かれていない。今度こそ、機関砲を叩き込んでF-15ACTIVEのパイロットを捕獲する。魔導師たちは、その後じっくり料理するなり振り切るなり、どうにでもなる。
"フェンリア"は主翼を翻し、急降下。大気を切り裂き、F-15ACTIVEに急接近。火器管制は、ぎりぎりまで起動させない。
機関砲の必中距離に入った。ここで火器管制装置を起動させた"フェンリア"は、無防備に晒されているF-15ACTIVEの広い胴体に照準を重ねた。そうして、引き金を引く。
一秒にも満たない、機関砲の射撃。だが、これで充分だ。F-15ACTIVEは胴体に致命的なダメージを負い、飛行不能に陥る。パイロットは、迷わず脱出を選択する――はずだった。
放たれた赤い曳光弾は、F-15ACTIVEの胴体を"突き抜けた"。命中した証に金属片が飛び散り、火花を散らすことも無く。穴の開いたF-15ACTIVEは、そのままユラユラと揺れて姿を消す。
いったいどういうことなのか。コクピットの格闘戦用モニターに突き出された現実を目の当たりにし、"フェンリア"のAIは初めて、戸惑いのような動きを見せた。
その時だった。機体全体に、金属ハンマーで叩かれたような衝撃が走ったのは。
――かかった!
ほんの少し、時を遡ってF-15ACTIVEのコクピット。低空へと舞い降りていたティアナは上空、愛機と同じ姿をした影に誘い出されてきた"フェンリア"のエンジン音を耳にした。
瞬間、エンジン・スロットルレバーを叩き込んでアフターバーナー点火。F100エンジンが咆哮を上げて、機体を群青の空へと駆け上らせる。
戦闘機に乗っていても、フェイク・シルエットは使えるってことね――今まで試したことは無かったが、何でもやってみるものだ。得意の幻術が上手く行ったことに機嫌をよくしながら、ティアナはクロスミラージュに火器管制の操作を委任。ミサイルは駄目だ、捕獲対象の敵機が木っ端微塵になる。機関砲が選択された、あとはティアナの射撃の腕次第となる。
やはり敵機の姿は見えない。だが、敵機の位置は概ね掴んだ。姿は消せても狼の足音は、決して消えることは無い。
引き金に指をかけて、ティアナは虚空を睨む。確証は無いが、そこにいる。一発でも当てて、煙を吹かせることが出来れば透明は意味を成さなくなる。
酸素マスクを固定し直して、息をたっぷり吸った彼女は、操縦桿にある引き金を引いた。
「メビウス2、ガンアタック――当たってよ!」
途端に唸り声を上げる、M61A1二〇ミリ機関砲。照準は山勘に等しかったが、毎分六〇〇〇発に及ぶ弾丸の雨がそれを補ってくれる。
青空を赤い曳光弾が駆け抜けていき、そのうち何発かは、何も無いはずの空間で明らかに何かに当たってみせた。パラパラと金属片が飛び散り、機能に支障でも来たしたのか、狼がようやく姿を現す。
出た――こいつが"フェンリア"!
ティアナは散々自分を苦しめた敵機を睨む。下反角の主翼に、浅い角度の水平尾翼。二次元ベクターノズルに、本来コクピットがあるべき部分に存在する、真っ黒な機体制御システムの中枢。なるほど、どうやら無人機のようだ。
姿を見られた"フェンリア"はまずいと悟ったのか逃げを打つ。右へと急旋回、思ったよりも鋭く速いその機動。だが、ティアナのF-15ACTIVEはこれに追従してみせた。
「見えてしまえばイーブン……いいえ」
"フェンリア"、追撃を仕掛けてくるティアナ機を発見し、今度は右にロール、と見せかけて左ロール。見えてるわよ、とティアナはその行く先を読み、最初からラダーペダルを踏み込んで機首を左に滑らせる。"フェンリア"は自らティアナの前に躍り出てしまった。
「――もうこっちのもんよ!」
引き金を短い間隔で数回引く。F-15ACTIVEの機関砲が炎で幾度も揺らめき、赤い曳光弾が空を引き裂き、逃げる狼に追いすがる。"フェンリア"は右へ左へ逃げ惑うが、いずれも回避に成功する。それすらも、ティアナの思惑のうちでしかない。
いい子ね、じゃあ今度は降下。酸素マスクの中で上唇を舐めて、操縦桿をわずかに引き、再び引き金を引く。上昇しようとした"フェンリア"の鼻先を、機関砲弾が駆け抜けていく。
たまらず、狼は機首を下げて急降下に入った。まさか狩る者が狩られる側になるとは思ってもみなかっただろう、ティアナは狼の悲鳴が聞こえるような気がした。
あたし、ちょっとサドの気が出てきたかしら――どうでもいい思考が、脳裏をよぎる。"フェンリア"はその隙に、ティアナから逃れようとする。
<<フェイトさん、そっち行きました!>>
"フェンリア"が機関砲の射程から逃れたところで、ティアナは念話で通信相手に叫ぶ。返事はない、無言の返答。
だが、それで充分だった。あとは行動で示してくれればいい。
何とかF-15ACTIVEからの追撃を振り切った"フェンリア"は、空域を離脱しようとしていた。低空を超高速で突っ切れば、おそらく逃げられる。作戦の続行が不可能となった場合、ただちに撤退するようプログラムされていたが故の行動。
機首を上げて、水平飛行に。損傷した主翼がミシミシと嫌な音を立てていたが、計算上は問題ないはずだ。
だから、計算されていない障害が起きれば、機械と言うのは異常なまでに脆くなる。例えば、突然目の前に空戦魔導師たちが現れるなどすれば――。
仮に"フェンリア"に顔があれば、その表情は驚愕で染まったに違いない。雲を突き破って姿を現した、管理局の空戦魔導師たち。それらが一斉に、"フェンリア"の目前に展開し立ち塞がる。邪魔だ、と機関砲で一掃しようとしたその瞬間だった。
"フェンリア"が機首、何かに引っかかったように釣り上げられた。否、本当に釣り上げられていた。搭載されるAIは知る由も無いが、魔導師たちが設置したバインドが機首を思い切り引っ張り上げていた。脱出しようともがく"フェンリア"、その主翼にさらにバインド。
しかし、なおも狼は諦めなかった。アフターバーナー、点火。エンジンから狂ったように赤い炎を吐き出させ、強引にバインドを引き千切ろうとする。
ばんっと何かが炸裂したような音。"フェンリア"の必死の抵抗はしかし、阻まれた。機体をほぼ空中で静止させられた状態では、エアインテークに充分な空気が行き渡らなくなってしまう。不完全燃焼を起こしたエンジンはフレームアウト、すなわち停止。
やむを得ない。"フェンリア"に搭載されたAIは最後の判断を下す。万一敵に捕獲されるようなことがあれば、自爆すること。プログラマーが仕組んだ非情な命令だったが、彼は機械ゆえに躊躇することが無かった。
各部に設置された起爆装置に、自爆の命令信号を送ろうとする。瞬間、何者かが"フェンリア"の中枢、本来ならコクピットが搭載されている部分に近付いてきた。
格闘戦用のカメラが動き、何者かを映す。AIの中枢に送られてきたのは映像、そこにいたのは金の髪に紅い瞳、黒い羽衣で身を包んだ一人の若い女。少女と言っても、差し支えない。
少女は何か言った。それが魔法の詠唱だと気付いた時には、何もかもが遅かった。
機体全体に渡って流れ込まれた過大な電流は、容赦なく機械の命を奪っていく。AIの中枢もまた、格闘戦用のカメラを苦しげに点滅させ、やがて機能を停止。
狼はそこで、息絶えた。
ふぅ、とフェイトは安堵のため息を吐き、機能を停止した"フェンリア"から離れた。得意の魔力の電気変換が、こんな形で役に立つとは。
とりあえず"フェンリア"にバインドを仕掛けた空戦魔導師たちに「ご苦労様」と労いの言葉をかけた彼女は、通信回線を開く。
「シャーリー? 終わったよ、"フェンリア"を捕獲した」
目の前に投影された、半透明のディスプレイ。そこに映る通信相手はシャリオ・フィニーノ、通称をシャーリーと言う。フェイトの補佐官である。
「こちらでも確認しました――さっすがフェイトさん、お見事です!」
「ティアナや武装隊のみんながいないと出来なかったよ……予定通り、回収ポイントに持っていくね」
「了解!」
妙にウキウキした様子のシャーリーとの通信を終える。そういえば、機体の解析にはエンジニアでもある彼女も参加すると言っていた。メカ好きには、色々たまらないらしい。
空戦魔導師たちに"フェンリア"を回収ポイントに持っていくよう命令し、フェイトはふと、"フェンリア"の中枢部分を見た。
JS事変で多用された、Z.O.Eと言うAIがある。戦闘機に搭載されたこれはパイロットの代わりとなって機体を操る。要するに無人機だ。
"フェンリア"も同じく無人機だったが、妙に引っかかるものがあった。Z.O.E搭載の戦闘機は全て、破壊されたか管理局の手で拿捕され、調査の末廃棄処分されたはず。だが現実に、目の前に無人機は存在している。
まさか――いや、そんなはずは無い。だけども。
<<フェイトさん?>>
脳裏に流れ込んできた、ティアナの声。念話だ。振り返れば、彼女のF-15ACTIVEが頭上を駆け抜けていく。
<<帰りましょう、アレの調査をしないといけませんし。あたし、もう喉がカラカラで>>
<<あ、うん――そうだね>>
思考を断ち切って、フェイトはティアナのF-15ACTIVEを追う。
帰路に着いて、彼女たちは一度、基地に戻ることにした。
最終更新:2009年04月15日 18:28