初めに、闇があった。
どこまでも広がる夜の闇。
三千世界の果てまでも、包み込むかのごとき宵の暗黒。
漆黒のカーテンを彩るのは、散りばめられた無数の星々。
その中心で淡く煌く、並んだ2つの巨大な月。
万物の原初たる虚無の世界――宇宙の暗闇がそこにあった。
全ての始祖たる母なる混沌は、しかし長らくそれを忘れた民には、何物にも勝る恐怖の深淵だ。
「ハッ……ハッ……」
虚空に響く、息遣い。
かつ、かつ、かつ、と。
硬質なアスファルトに覆われた大地を、せわしなく叩く靴音が鳴る。
1人の男が息を切らせながら、暗闇の中を駆けていた。
路地裏の道の両サイドには、聳え立つ建築物の数々。
男を挟み込むように並んだビルは、さながら深き渓谷のようだ。
真実、そこは街ではなく。
ただの谷であったのかもしれない。
男の走る街並みは、無明。
細かくひび割れたビルの窓に、輝く光はどこにもない。
電力供給のストップしたこの街に、人工の明かりは存在しない。
「……へへ……ここまで来りゃ大丈夫だろ」
にやり、と。
醜悪な中年男性の顔が歪む。
その手に抱えていた物へと、下衆な笑みを浮かべていた。
両手が掴むは茶色い紙袋。中に収められていたのは、パンや色とりどりの果実。
微かに漂う小麦の香りが、男の鼻腔をくすぐった。
盗人の収穫は食糧だ。
これでしばらくは食い繋げるだろう。
どれ、まずは一口。
真紅の林檎を1つ抜き取り、下品に開けた大口へと運ぼうとする。
その、瞬間。
「――へぇ、美味そうなもん持ってるじゃねえか」
びくり。
かけられた声に、身が跳ねた。
両肩を驚愕に震わせながら、反射的に男が振り返る。
誰もいない。道路に彼以外の人影はない。
「俺にもそれ、くれよ」
つまりは、上だ。
立ち並ぶ廃ビルの1つの屋上に、1人の男が立っていた。
青年と評するのがふさわしい、若い男だ。20代そこそこといったところだろうか。
にやりと口元で三日月を作る、赤茶の髪の若者が男を見下ろしている。
その瞳は金。
人の欲望を駆り立ててやまぬ、豪華絢爛なる黄金郷の色だ。
だが、この地に住まう人々にとっては、それは恐怖と絶望の象徴。
「ひ……!」
歯ががちがちと鳴った。
身ががくがくと震えた。
目は血走り汗は流れ、顔全体から生気が抜けていく。
盗みの成功に伴う高揚感など、男からは既に全く失われていた。
後ずさる。一歩、一歩と。
こいつは。
この青年は。
闇夜に眩く輝く金の目は。
その身に纏った、暗色系のフィットスーツは。
「戦闘、機人……っ!」
だんっ、と。
大地を蹴る音が響く。
先ほどの盗人の足音など、比較にならないほどの大音量。
力強く。激しく。
地上20メートル以上の屋上から、勢いよく跳躍する轟音だ。
恐怖が迫る。
死がやって来る。
大きく離れていたはずの距離が、一瞬にして目と鼻の先へと縮められる。
眼前に浮かび上がるは笑み。
盗人風情の下品なそれではなく。
獲物を追い詰め舌なめずりする、凶悪な肉食獣のそれ。
駄目だ。逃げられない。
この狩人からは逃げられない。
誰か、助けてくれ。
誰か――。
「ぎゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――……………っっっ!!!」
無明の街に、断末魔だけが木霊していた。
― 原作 都築真紀 ―
新暦73年、2月。
1人の次元犯罪者が、時空管理局に宣戦布告した。
異端の天才科学者――ジェイル・スカリエッティと、その作品達である。
古代遺産を改良し作られた戦闘機械、ガジェットドローン。
身体に機械部品を埋め込まれ生まれたサイボーグ、戦闘機人。
そして、古代ベルカにて猛威を振るったロストロギア、聖王のゆりかご。
巧妙に隠匿されてきた禁忌の軍勢により、管理世界各地で電撃戦が展開されたのだ。
同年5月、遂に管理局は崩壊する。
焼け落ちる法の塔。崩れ去る本局。墜ちたエース・オブ・エース。
難攻不落の城は砕かれ、最強の英雄の剣は折られた。
僅か3ヶ月にして、次元世界の法の番人は、一科学者に敗北したのである。
法という名の正義は既になく。
今や世界を支配するのは暴力。
全ての管理世界は戦火に焼かれ、生き残った人類は、スカリエッティと戦闘機人によって占領された。
それから、2年――
― 魔法少女リリカルなのはSpiritS ―
ひでぇもんだ、と。
都心のハイウェイを走るたびに思う。
一段高いところから、痛ましい廃墟と化した街を見下ろすたびに思う。
ヘルメットのゴーグル越しに見る景色は、かつての記憶とは随分と様変わりしてしまった。
煌くようなビルの数々は、今や無数の亀裂に覆われた残骸。
かつて自動車が行き交っていた道路は、ひび割れどころか穴ぼこだらけだ。
やかましいまでの喧騒も、そのボリュームを半分近くに落としている。
故郷に残してきた家族は、一体どうしているのだろうか。
生まれ育った第4管理世界も、こんな有様を呈しているのだろうか。
今やそれを知る術すらない。
全ての次元航行船を墜とされた今、次元の海を渡ることはできない。
それでも、いずれはまた会えるのだろうか。
この世界もいつの日にか、かつての輝きを取り戻すことができるのだろうか。
地獄を作り上げた大軍団が、果たして倒れることはあるのだろうか。
そこまで考えて、視線をそらす。
眼下を見下ろしていた瞳を、ハイウェイの前方へと向ける。
ぼんやりとした思考を振りほどくように、エンジン音をかき鳴らした。
第1管理世界ミッドチルダ首都・クラナガン。
この街が次元世界繁栄の中心として、栄華を築き上げていたのも、今となっては過去の話だ。
かつてはミッド最大の都市と謳われたここも、今では無駄にだだっ広い廃墟と大差ない。
大地は割れ、建物は朽ち果て、人口は半分近くまで減少した。
ライフラインが潰された今、街には電力というものがない。故に、この街の夜は真っ暗だ。
ジェイル・スカリエッティという支配者は、世界の頂点に立っておきながら、支配することには消極的だった。
次元世界を掌握したかと思えば、そのまま聖王のゆりかごに引きこもり研究に没頭。
僅か3ヶ月で荒らし回ったこの土地は、ろくに戦災復興もされぬまま、2年もの間放置されていたというわけだ。
栄光の大都市クラナガンは、かつて彼らが捨てた廃棄都市と、さほど変わりない姿へと落ちぶれたのである。
その街の細い路地を歩く、1つの人影。
漆黒のサングラスをかけた男が、1台のバイクを押していた。
カーキ色を基調とした、ツナギのような形状の服。その上には黒いジャケットを羽織っている。
首にかけられた金属のプレートは、軍隊の認識票か何かだろうか。
その手でハンドルを握る車体は、シャープなカバーに覆われていた。
いわゆるレーサーレプリカタイプというやつだ。
真紅の一色に染められたそれは、かつてはなんてことのない一般車。
しかし今のご時世では、乗り物というだけで貴重品だ。
ごろごろ、ごろごろと。
バイクの車輪を転がしながら、男はゆっくりと歩いていく。
人を探しているのだろうか。サングラスの向こうの視線が、右へ左へと向けられていた。
やがて路地を抜け、たどり着いたのは大通り。
薄く差した影を抜ければ、そこにあるのは太陽の光だ。
その日差しだけは変わらない。
どれだけ街が蹂躙されようと、天空の太陽には変化がない。
さすがに大通りともなると、それなりに人も出歩いているらしい。
「さてと、まずは適当に聞き込んでみっか」
若い男の声で、呟く。
やはりこのバイク男の目的は、人を探すことだったようだ。
周辺をうろついている人間から、彼の目的に合った人間を探し出す。
整った体格の若者、やや痩せ気味の体格をした中年女性、腰を折り曲げた老人。
そしてその目を、止める。
視線の先にいたのは、未だ10歳にも満たぬような小さな少女だ。
バイクを狙われ面倒ないざこざが起きることのないように、という合理的配慮か。
もしくはどうせなら若い女がいい、という彼自身の個人的な感情か。
恐らく、そのどちらもが正解だったのだろう。
にっと笑みを浮かべると、少女の横顔へと歩み寄る。
「よう、嬢ちゃん。ひとつ聞きたいことがあるんだが、いいか?」
つとめて明るい声で、男が尋ねた。
初対面の子供に警戒心を抱かせぬように、という、彼なりの配慮の表れだろうか。
声に気づいた少女が、視線だけを男へ向ける。
短く切られた銀髪が、半ば襤褸布のような服の上で揺れた。
「この辺で青色の髪と緑の目をした、14~5歳くらいの……、?」
そこまで聞いたところで、ようやく気がついた。
その娘の表情に。
何故かすっかり沈みきった、その顔色に。
「……どうした? 浮かねぇ顔だな」
先ほどまでとは違う、労わるような声で男が尋ねる。
言いながら、彼女の前方へと回り込み、正面からその顔を見下ろした。
落ち着いたすみれ色の瞳は、すっかり暗い光を宿してしまっている。
これは一体どうしたことだろう。何か気に障ることでも言ったか、あるいは何かあったのか。
いくらこの占領下の時代といえど、ここまで気分を沈ませることもないはずだが。
大体そんな感じの、怪訝そうな表情で、問いかけた。
「………」
少女は答えない。
ただ、眉根を軽くひそめ、瞳をそらすのみ。
「ああ、すまねぇな。娘の愛想が悪くて」
返事をしたのは、別の人間だ。
横合いから野太い声がかけられる。少女の印象とはかけ離れた男のそれ。
サングラスの男がそちらを向くと、想像通りの中年男性がやって来ていた。
筋骨隆々とした肉体を、日焼けで褐色に染めた、こげ茶のひげ面の大柄な男だ。
「いや、お気遣いなく」
サングラスの下の口で苦笑しながら、若い男が言った。
そして、再び銀髪の少女の方をちらと見て、筋肉男へと問いかける。
「アンタの子か?」
「そうだ。リスティっていうんだが……今朝、人死にの現場を見ちまってよ」
「……戦闘機人か」
「だろうな」
既に若者の口は笑っておらず、言葉は軽口を叩いてはいなかった。
一転し真顔となった口元からは、真剣な声音が放たれる。
恐らくそのサングラスの下の視線も、細く引き絞られているのだろう。
飄々泰然としていた態度は、いずこかへと消え去っていた。
「殺られたのはこそ泥だったらしいが……」
「確かに、だからって気分のいいものでもねぇわな。善人だろうが悪人だろうが、死体は死体だ」
「おまけにこいつの場合、一昨年の戦争で母親に死なれてる」
思い起こすところもあったんだろう、と呟く娘の父親。
見れば太い眉毛の中心に、深い皺が刻まれていた。
「くそっ、忌々しい戦闘機人どもが……!」
苦々しげな表情と共に、吐き捨てた。
スカリエッティが研究漬けの生活を送る今、各地を支配しているのは、その子供らに当たる戦闘機人だ。
とはいえ支配するといっても、元は大量生産された雑兵である。
政治的な統治を遂行できるだけの才も、そうしたいという趣味もない。
であれば、その権力を行使する形は暴力。
刷り込まれた闘争本能の赴くままに、我が物顔で街を闊歩しては、略奪や殺戮を繰り返している、というわけだ。
そう。
戦闘機人を好む者など、この街のどこにも存在しない。
ましてやこの父子にとっては、父にとっては妻の仇で、娘にとっては母の仇だ。
一体どれほどの憎しみが、その胸中に込められていることか――
「――嬢ちゃん」
と。
その時、不意に。
男の身長が、落ちた。
足を折り曲げてその身を屈ませ、リスティなる少女の顔の高さへと、自分の顔を運んだのだ。
「こういう話、知ってるか?」
切り出したサングラス男の口元は、また笑っていた。
「……?」
少女はまたも答えない。
怪訝そうな表情をし、首を軽く傾げただけ。
それも当然と言えば当然だろう。まだ話は始まっていない。
質問の内容が分からぬうちは、答えることなどできはしない。
「白い服を身に纏って、白いはちまきを締めた女の子の話だ。
そいつぁまだ歳も若いのに、今でも俺達弱い者のために、世界中を回って戦闘機人と戦ってるんだとよ」
ゆっくり、ゆっくりと男は語る。
まるで傍らで眠らんとする赤子へと、寝物語を聞かせんとするかのように。
「こんなご時世になっちまっても、まだ希望を捨てずに戦ってるってこった。
どんな敵が相手でも、その拳でばったばったとなぎ倒していく……まさに正義のヒーローだな」
真実、それは寝物語であったのかもしれない。
銀髪の少女に聞かせたそれは、風の噂に聞いた英雄譚だ。
直接見たわけではないけれど、この世のどこかで戦っている、正義の味方の物語。
「こんな世の中じゃ、不安ばかりで、何も信じられないかもしれねぇけどよ……
暗い顔ばかりしてるよりは、そういうのくらいは信じてやった方が、少しは希望が持てるんじゃねえか?」
いつかその人が助けてくれる。
今はまだ支配を受けるだけの日々かもしれなくとも、いつかはかつてと同じ、平和な世界が帰ってくる。
そう信じていた方が、少しはましな気分で生きられるのではないか、と。
「……管理局の残党のことか?」
「おいおい……そんなはっきりと言われちゃ、夢がなくなっちまうじゃねえかよ」
ずばりと図星を突く父親の言葉に、苦笑しながら男が答えた。
どこの誰かも知らない、というのは嘘だ。
その娘について分かっていることはある。
こんな時代に魔法を使って戦う奴は、元管理局所属の魔導師ぐらいしかいない。
「だが、管理局は一度スカリエッティに負けてる。
相手より弱かった、って結果が突きつけられてんだ。それを信じろと言われても、正直、な……」
難しそうな顔で父親が言う。
彼の言い分ももっともだ。否、むしろ、それこそが世論であると言ってもいいだろう。
戦争を生き延びた管理局の魔導師達が、未だ各地でゲリラ活動に身を投じているというのは、彼らとて何度か耳にしている。
しかしそれでも、民衆は、彼ら管理局残党を応援する気にはなれないというのが現実だ。
何せ管理局が総力を挙げた結果が、あの3ヶ月の戦いの果ての敗北なのだ。
全力で戦っても勝てなかった。
おまけに今は先の戦争を経て、その兵力も大幅に落ちているはず。
戦に疎いといえども、それが分からないほど、民衆も愚かではなかった。
勝てないと分かっている戦に挑む者達を、どうして頼ることができようか。
「……そうだな。確かに無謀すぎる。傍から見りゃ、正直ただの馬鹿かもしれねぇ」
すっ、と。
立ち上がりながら、男が呟く。
「だがよ」
そしてその顔を、リスティの父親へと向けた。
「熱いじゃねぇか――そういう馬鹿はよ」
にっと笑ったその顔を。
力強い笑顔を浮かべながら、サングラスの男は言い放った。
そして幼い銀髪の娘は、ただ目をぱちくりさせながらそれを見ていた。
「ああ、その子なら一昨日に中央の方で会ったぜ。ちょうど今のアンタみたいに、人捜しをしてた」
「どこに行くかまでは聞いてなかったが、運がよけりゃまた会えるかもな」
「そうかい、ありがとな」
禿頭と白髪の初老男性2人組に、サングラスの男が礼を述べる。
リスティという名の少女に出会った、その翌日。
赤いバイクを引き連れたこの若者は、未だにクラナガンで人探しをしていたようだ。
得られた情報はゼロではない。といっても、今のこの言葉が最初なのだが。
さすがにクラナガンの街は広い。特定の人物を聞き込みで探すのは骨が折れる。
だが、既に目当ての人物がここに入ったというのは知っているのだ。
それにそれほどまでに広い街ならば、まだこの中に留まっていてもおかしくはない。
探す価値はある。それ以前に、探し当てなければならなかった。
「ところで兄ちゃん、そのバイクなかなかカッコいいねぇ。いくらなら売ってくれる?」
「おいおい、勘弁してくれよ。それにじいさん達じゃ、こんなもん危なくて乗れねぇだろ?」
「ちぇっ、若いモンに高く買ってもらおうと思ってたのによ」
苦笑と共に挨拶を済ませると、男はその場を後にした。
残念だが、この愛車はそう簡単に渡すわけにはいかない。
これは大事な足なのだ。
いくら高値を積まれようが、大量の食糧をちらつかされようが、他人に渡すわけにはいかないのだ。
“職業柄”、迅速な移動手段は必要不可欠なのだから。
「さて、これからどうすっかな」
呟きながら、今後の方針を練る。
この周辺のうち、今までで大体どの辺りを回っただろうか。
いいやそもそも、すれ違いになっていたという可能性もありうる。
それを考慮すると、次に向かうべき方向はどちらか。
「ストームレイダー、お前ならどうする?」
首元へと視線を落とし、尋ねた。
当然、周りにはおおよそ彼の知り合いらしき人間はいない。
視線の先にも話相手がいるわけではなく、ただ銀色のプレートがかけられているだけ。
傍目にはそう見えた。不可解な光景だ。
だが。
次の瞬間。
『まずはこの辺りで、人の集まりそうな場所がどこかと聞いてみるべきかと思います』
声は返ってきた。
それは人のものではなく、無機質な合成音声だったが。
それは周りからではなく、首元のプレートから発せられたのだが。
驚くことに、無機物が喋ったのだ。
中心にあしらわれた緑色の石が明滅し、サングラスの男の問いかけに答えている。
要するに、人工知能というものだ。
多くは魔導師のデバイスに搭載されているコンピューターであり、これもまたそれだけで希少価値のあるもの。
であればそれらの貴重品を2種類も持っているこの若者は、傍目には宝の山を担いでいるようにも見えるのだろうか。
「それもそうだな。んじゃ、そっちの方向で――」
それを知ってか知らずか。
気のなさそうな声で、ストームレイダーなるプレートに返事をした時。
「――きゃあああぁぁぁっ!」
鋭い声が、鼓膜を打った。
はっ、と目を見開く。
ぐっ、と首を向ける。
突如耳に響いた叫びの方へと、持てる感覚の全てを集中。
聞き間違えるはずなどない。もう何度も聞いてきたものだ。
力なき弱者が強者によって、恐怖の淵へと立たされた時に発する声。
すなわち、悲鳴。
だん、と大地を蹴る。
がしゃん、と音が鳴る。
大事な愛車も放り出し、声のする方へと駆け出した。
間違いない。この先で誰かが、何者かの手によって襲われている。
声の高さからして、その誰かとは小さな子供だろうか。
そして手を出した何者かの正体は、わざわざ推測するまでもない。
道路を走る。角を曲がる。
その先にできていたのはまだらな人だかり。
中心に立つのは2人の男と1人の少女。
「待ってくれ! 娘を……娘を放してくれっ!」
懇願するのは、昨日会ったばかりの男の声だ。
筋肉質な身体をタンクトップに包み、顔にはたっぷりひげを蓄えた厳つい父親。
それがかの忌まわしき者共の足の下で、すがるように声を張り上げる。
「へへへ……」
特徴的なフィットスーツを身に纏う者。
赤茶色の髪の若い男に、逆立った金髪を持った大柄な男。
その双眸は両者共に黄金の輝き――すなわち、戦闘機人。
そしてその手に握られていたのは。
「リ……リスティッ!」
やはり、昨日会ったばかりの幼子の右手首だ。
嗜虐的な笑みを浮かべる、金髪の戦闘機人の手によって、吊るすようにしてリスティが持ち上げられていた。
大きな瞳は恐怖に駆られ、大粒の涙によって濡らされている。
小さな身体ががたがたと震え、短い銀髪がそれに呼応しゆらゆらと揺れた。
うつ伏せの姿勢で赤茶の男に踏みつけられた父親には、どうすることもできはしない。
何てことだ。
がん、と頭を殴られたような心地だった。
昨日別れたばかりだぞ。
いくら落ち込んでいたとはいえ、健在ではあったはずのあの娘が。
よもや僅か1日で、一転して命の危機へと叩き落とされるとは。
分かっていたはずだ。伊達にこの廃墟での暮らしを、2年も経験してはいない。
奴らに支配された世界では、いつ誰がその毒牙にかかってもおかしくない。
だがそれは理屈だ。理解とは違う。
これほどまでにあからさまな形で、理解させられるとは思わなかった。
「だとよ。どうする、お前?」
「ひひっ……駄目だな。俺は子供が大好きだからなぁ」
サングラス越しの視線の先では、2人の戦闘機人が、互いに残忍な笑顔を向け合っている。
ぐ、と。
刹那、更に力が込められた。
金髪男の筋肉が盛り上がる。ぎちぎちと鳴動するかというほどの勢いで、リスティの細い手首が締め上げられる。
「やぁ……ぁ……ああ……っ!」
悲痛な声が、小さく漏れる。
小さな少女の小さな喉から。
あれはまずい。このまま力が加わっていけば、確実に腕を折られてしまう。
「しっかしお前も好きだねぇ。子供なんてすぐブッ壊れちまうから、殺し甲斐もねぇだろう?」
半ば呆れ気味な声音で、茶髪の方が口を開いた。
「バーカ、長持ちすることだけが美点じゃねぇんだよ。
こいつらは無駄に我慢強い大人と違って、すぐに可愛らしく泣き喚いてくれるからなぁ……ヒャッヒャッヒャッヒャッ!」
下品な笑いが鳴り響く。
厳つい顔を醜悪に歪めながら。嗜虐的な眼光を爛々と輝かせながら。
ああ、そうだ。
こいつらはいつだってそうなのだ。
こいつらはいつもそうやって、遊び半分で人を殺す。
人を人と思うこともなく、己の闘争本能と嗜虐心を満たさんがために、あまりにも幼稚に命を奪う。
まるでビデオゲームで遊ぶ子供のようだ。
こいつら戦闘機人にとっては、自分達などゲームほどの価値しかないのだ。
「ぐぁ……畜生……畜生……ッ!」
冗談じゃない。
踏みつけられた父親の声が、男の胸に火を灯す。
その色は怒り。
憤怒の炎だ。
轟々とマグマのごとく燃え盛る、理不尽へと向けられたまっすぐな怒りだ。
ぎり、と音を立て、歯を食いしばる。
眉間に刻まれるのは深き皺。
こんな奴らごときのために、命が喪われることなどあってなるものか。
希望を語ったその翌日に、命を奪われるなんてことがあってたまるか。
これ以上俺の目の前で、無力な子供を傷つけさせはしない――!
「よせ! やるなら俺が相手だッ!」
一喝。
雄叫びと共に、懐へ伸ばした手を抜き放つ。
右の手のひらに握られたそれは、黒光りする鉄の塊。
L字型の独特の形状。敵に向ける先端には穴。
拳銃だ。
かつて管理局が質量兵器規制を敷いていた頃は、それですら幾多の手続きをクリアせねば、携帯も許されなかった禁忌の武器。
誰にでも扱うことができるが、魔法に比べればあまりにも頼りない、博物館行き確定の旧時代の遺物。
それでもこの男にとっては、現時点で持てる最大の攻撃手段だ。
左手が添えられる。
両手でピストルを構える。
引き金を引き絞ろうとした、その刹那。
「がァ……ッ!」
どがん、と。
音が、響く。
遠巻きに見ていた民衆達が、一挙にパニックへと陥った。
撃ったのはサングラスの男ではない。トリガーは未だ低位置だ。
そもそも今上がった声は、その男自身の口から漏れたもの。
ばたん、と音が上がる。
頼みの綱の拳銃も手放し、アスファルトに倒れこむ男。
「なんだァ? てめぇは」
赤茶の戦闘機人が放ったエネルギー弾が、男の右肩を貫いていた。
どよめきと悲鳴の中、若者は静かに理解する。
「く……ぁ……っ」
ああ、自分は撃たれたのだと。
こちらが引き金を引くより早く、向こうが突き出した指先から弾丸が放たれ、この右肩へと命中したのだと。
「へへっ、ピストルかぁ……わざわざ珍しいモン持ち出してきて、ご苦労なこった」
「おい、もうそっちからやっちまえよ。鬱陶しいから先に消しちまおうぜ」
「そうだな。本命ちゃんは後からのお楽しみだ」
嘲うような2人の声。
瞬間、びゅん、と。
「きゃあっ!」
悲鳴が遠ざかる。
投げ捨てられたのだ。
金髪の大男の手に握られていたリスティが、勢いよく放り出されたのだ。
ずしん、ずしん、と。
重苦しい足音が近づいてくる。
一歩一歩が踏み出されるごとに、大地が揺れるかと錯覚するほどの迫力だ。
「お前……何、やってる……早く……逃げろ……!」
そうしたいのは山々だが、生憎とそうもいかないらしい。
踏まれた中年の絞り出す声に、サングラスの男が苦笑で返した。
血が止まらない。
右肩に空いた穴からは、絶えず鮮血が流れ出している。
さながら赤黒い湖が、刻一刻と広がっているかのようだ。
避けようにも、傷の痛みで動けない。身体が言うことを聞かないのだ。
情けないが、これ以上はどうしようもない。
すなわち、完全な手詰まり。
改めて、目の前へ背負った敵を見上げる。
見れば見るほど巨大な男だ。
この金髪の戦闘機人、身の丈は実に2メートルはあるだろうか。
あのリスティの父親よりも、遥かに巨大な大男だ。
振り上がる右腕はさながら丸太。
一撃でも叩き下ろされれば、この細い身体など一撃で千切れ飛ぶだろう。
やはり、かなわなかったということか。
魔法も使わぬただの人間では、戦闘機人にはかなわないということか。
生まれた瞬間から人を超えるべく作られた化け物には、人間など手も足も出ないというのか。
もはやここまで。
ああ、本当に情けない。
たった1組の家族も守れず、こんなにあっさりと命を落とすとは。
目的も果たせないままに、無惨に死体を晒すことになるとは。
まったくもって、情けない人生だ。
せめて最期の瞬間くらいは、静かに迎えてやろう、と。
男が黒いレンズの下で、瞳を閉じようとした。
その、瞬間だ。
「――大丈夫?」
不意に。
「あン?」
場違いなほど。
落ち着いた声が、響いた。
開かれた若者の目に映ったのは、怪訝そうな顔をした戦闘機人だ。
それが向いている方へと、男もまた己の視線を向ける。
そこにあったのは、人影。
一見しては男か女かすらも分からぬ、麻布のマントを目深に被った人間の姿だ。
フードに隠れた顔は、どうやら顎の位置から察するに、下を向いているらしい。
その先にいるのは銀髪の少女。マント人間の両手を肩に添えられた、あのリスティの姿があった。
「あ……うん……」
「そう。よかった」
高い声が響き渡った。
にこやかに告げたマント人間が、右手でリスティの銀糸を撫でる。
どうやらあの者は、投げ飛ばされた小さな少女を、ああして受け止めていたらしい。
1回、そして2回。たっぷり3回は頭を撫でた。
まるでこの場で起きていることを、全く理解していないかのような、場違い極まりない余裕。
そして、ふと、顎を平時の高さへと上げ、赤茶の戦闘機人の方を向く。
「あの人は?」
正確には、その足元へと。
呆気に取られたような赤茶の男の、その足に踏まれている親父の方だ。
「ボクの、お父さん……だけど……」
未だ恐怖の抜けきらぬ声で、リスティがマント人間へと言う。
「分かった」
かつり、と。
言いながら、靴音を鳴らす。
マントを羽織った乱入者が、その一歩を歩み出したのだ。
一歩、また一歩と。中年の男を踏みつけている、戦闘機人の男目掛けて着実に。
改めて見ると、随分と華奢な印象だ。
背丈は大体150センチ台半ばだろうか。先ほどの高い声も考慮すると、恐らく女性なのだろう。
「その人を離せ」
だが。
しかし、だ。
(この声は……!)
男はこの声を知っている。
わざわざ推測などせずとも、倒れ伏すサングラスの男は、このマントを羽織った女を既に知っている。
さきほどまでの明るい声音も。
この厳しく命じる口調も。
「チッ、今日は訳分かんねぇ奴ばかりだな……」
ぽりぽりと頭をかきながら、赤茶の戦闘機人が呟く。
さぞ面倒くさそうな顔色と、さぞ面倒くさそうな声色で。
歩み寄ってくるマントの娘へと、黄金の眼光を静かに飛ばした。
戦闘機人の金の瞳。
たとえ闇夜にあったとしても、光輝く一睨みは、この世界の絶対的恐怖の象徴だ。
何者も逆らえぬ支配者の証。
何者よりも強い暴君の証明。
されど、マントの女は止まらない。
恐れもせず、退くこともせず。
かつり、かつりとアスファルトを鳴らし、ただただ無言で近づくのみ。
それにかちんと来たのだろう。
僅かに、顔がしかめられる。
「スカしてんじゃねえ……よっ!」
ぐわん、と腕を振り上げた。
金髪がサングラスの男の目の前でそうしたように、赤茶の戦闘機人が拳を握る。
殴りかかるために。
叩きこむために。
この無礼千万な珍入者を、拳の一発で黙らせるために。
力が込められ。
振りかぶられ。
今にも突き出そうとした矢先。
「ぐぇあ」
情けない声が響いた。
フィットスーツの身体が宙を舞った。
相手を吹き飛ばそうとした戦闘機人が、逆に後方へと吹き飛んでいったのだ。
猛烈なスピードで飛ぶ、人体。
すぐにその高度は低下し、ごろごろと不様に地を転がる。
何が起こったのか。
マントの女は何をしたのか。
突き出されていたのは――拳。
右の、拳だ。
戦闘機人が叩き込もうとしたのと同じで。
それよりも遥かに素早い拳。
握り締められた5本の指が、空中で静かに静止している。
ばたばた、と。
身に纏っていた、半ば襤褸のようなマントがはためいた。
右腕がはらりと露出する。
現れたのは、漆黒の腕。
金属の光沢を放つ拳だ。
赤茶の戦闘機人へと突き出された拳を、鋼鉄のナックルが覆っていた。
まるで肘から下がそのまま鋼であるかのような、重厚な光輝を放つ鉄拳だ。
指先から肘まで黒一色に染まったそれのうち、唯一2つの歯車だけが、白銀の煌きを見せている。
この拳だ。
この一撃が、あの戦闘機人を吹き飛ばした。
並の人間では手も足もでない、あのモンスターを容易くぶっ飛ばしたのだ。
「……へっ」
にやり、と。
サングラスの若者が浮かべるのは笑み。
好戦的な戦士の笑顔とも、呆れた苦笑とも取れるもの。
その矛先は、マントを纏った鉄拳の女。
「いるならいるって、もっと早く言ってくれよ……」
ぼそり、と。
消え入るような声量で。
誰にも聞かれぬ音量で、密かに男が独りごちる。
言いながら思い返すのは、昨日語ったばかりの話だ。
目を丸くしているリスティへと、語って聞かせた英雄譚。
と同時に、内心で彼女へと謝罪した。
実はあの話に隠された真実は、もう1つだけあったのだ、と。
男がその娘について知っていたのは、彼女の身分だけではなかった。
その顔も。その声も。その心も。
彼は知っていたし、知られていた。
男と英雄は、顔見知りだったというわけだ。
「なぁ――」
ばっ、と。
男が呟く言葉と共に。
女が己のマントを剥ぎ取る。
それは、白い服を身に纏い、頭に白いはちまきを締めた者。
虐げられた弱者を守るべく、悪と戦う正義の味方。
胸に信じた希望のために、無謀な戦いへと身を投じる、愛すべき熱き大馬鹿者。
「スバル」
それが勇者の名前だった。
薄汚れた外套から現れたのは、かつてリスティに語って聞かせたヒーローの姿。
コートのような白装束の下に、へそ出しのインナーとホットパンツを纏った、独特な戦装束を身につけた少女だ。
両脚に履いた具足の先には、漆黒の車輪が備わっている。いわゆる、ローラーブレードというやつ。
青いショートヘアが風に揺れ、長大なはちまきが風にたなびく。
澄んだ緑の双眸は、さながらエメラルドのごとき輝きを放つ。
「バリアジャケット……ってことは、てめぇ管理局の魔導師か!」
狼狽した金髪の大男が叫んだ。
少女の身を包む白き装束は、魔術の衣・バリアジャケット。
その身に奇跡を体現する、魔導師達の纏う万能の鎧だ。
その生地は銃弾さえも跳ね返す剛健な装甲。
たとえ火中の高熱であろうと、たとえ吹きすさぶ突風であろうと、魔法の鎧は揺るがない。
かつてこの地を守護していた、時空管理局の勇士達を、守り続けた鉄壁の盾。
「そうだ。時空管理局所属――“スバル・ナカジマ”二等陸士だ!」
スバル。
スバル・ナカジマ。
それこそが、彼の求めた尋ね人であり。
それこそが、リスティに語った英雄だった。
「これ以上人々を危険に晒すというのなら、あたしが相手になってやる」
ぐ、と。
拳を構え、告げる。
先ほど外套を被っていた時の、歳相応の気配はどこへやら。
今そこに立っているのは、戦う者の面構えをした、立派な管理局の戦士だ。
「笑わせんな! 俺達に蹴散らされた負け犬が、生意気抜かしてんじゃねぇッ!」
猛然と吼える戦闘機人が、再びその足で大地を蹴った。
どすん、どすん、どすん。
先ほどよりも、速い。
歩行ではなく、疾走。
さながら地上スレスレを飛行する爆撃機だ。
全身を強靭な筋肉で覆われた、その体格にはあまりにも不釣り合いなスピード。
戦闘機人の身体能力は、見た目通りではないということ。
豪快に大地を揺らす重戦士は、数瞬の間にスバルの元へと到達。
勢いよく右腕を振り上げる。右の拳を握り締める。
ぐわん、と。
空を切り裂き放たれるのは、コンクリートをも粉砕するハンマーパンチ。
十代の少女の華奢な身体など、一撃でミンチと化すだろう。
「ふっ!」
されど。
されど、だ。
拳は虚しく虚空を打つ。
その下のアスファルトへと振り下ろされ、猛烈な爆砕音をかき鳴らす。
舞い散る細かな破片の中、白きはちまきがたなびいた。
轟然と立ち込める粉塵の中、しかしスバルは健在だった。
かわしたのだ。
常人では目視すらかなわぬ一撃を、いとも容易く見切ってみせた。
「んの……野郎っ!」
びゅん、びゅん、びゅん。
更なる追撃。
丸太のごとき両腕が、次から次へと叩き込まれる。
左ストレート。右アッパー。両手で挟み込むように一撃。
それでも、当たらず。
半ば闇雲に振り回す拳は、その全てが対象を捉えられずに終わる。
身を傾け、背後へ跳び、その場で跳躍し。
不細工な筋肉達磨の乱舞を、ひらりひらりとかわしていく舞踏。
「くそぅ……何でそんなに速ぇんだよ!」
ぐわん、と。
痺れを切らした戦闘機人が、横薙ぎに左腕を振りかぶった。
さながら野球のアンダースロー。
もはや構えもへったくれもない。ラリアットの形すら成していないやけくその一撃だ。
それでも命中しようものなら、その破壊力は絶大。
何せその大質量の豪腕が、そのまま加速を伴って襲い掛かるのだから。
命中さえすれば。
今度こそ、殺しきれる。
その、はずだった。
「何で……何で、魔導師風情がそんなに強ぇんだよっ!」
びりびりと。
大気の振動する音が鳴る。
左腕は空中で静止していた。
スバルごと振り抜かれることはなかった。
物体を止めるには支えがいる。
この場合の支えはスバルだ。
漆黒の篭手に覆われた、スバルの右腕が受け止めていた。
青き光を放つ右腕が、何倍もの太さの腕の直撃を、盾として凌ぎきっていたのだ。
その鋼鉄のアームに煌く光は、防御魔法・プロテクション。
蒼穹の色を宿した魔力が、光輝放つ鉄壁の盾として、敵の猛攻を防御してのけた。
言葉にするのは簡単だ。
だが今回の敵は戦闘機人。
この世に生を受けた瞬間から、人を超えるべくして産み出された、機械仕掛けのキリング・ドール。
その力自慢の放つ拳が、こうも容易く受け止められるとは――!
「今度は、こっちの番だぁっ!」
ばしん。
乾いた音が鳴り響く。
軽い動作で左腕を払い、反撃のための構えを取る。
ぶぉん、と。
轟音を立てるのはエンジンの音。鋼鉄の鎧を身に纏う、人工のマシンの心臓だ。
されど、そこにはサングラスの男のバイクはない。
排気煙と共に咆哮するのは、スバルの足元の漆黒の具足。
ローラーブレードに仕込まれた、黄金色のマフラーが、エンジンの唸りを上げているのだ。
ほんの瞬きの刹那。
倍以上ある互いのリーチを、若き魔導師が詰めるには、それでも十分すぎる時間。
「はぁッ!」
突き出される右拳。
目の前の戦闘機人に比べれば、あまりにも細く頼りない一撃。
分厚い胸板に当たろうものなら、逆にその手を痛めてしまうだろう。
それが普通の少女の拳なら。
「ぐううぅぅぅぅっ!?」
だが、しかし。
戦闘機人の能力が、見た目程度に留まるものではないように。
魔導師の戦闘力もまた、見た目に左右されるものでは、ない。
くわ、と驚愕に目を見開く。
その身を揺らす衝撃の重さに、金髪の巨漢が唸りを上げる。
大の大人がたじろいた。
たかだか小娘の一撃に。
改造人間・戦闘機人の屈強な肢体が、小さな娘1人の拳に揺れ動いた。
「たぁっ! おりゃあ!」
そして、それだけには留まらない。
左のジャブ、そして右のフック。流れるようなコンビネーション。
豪快に拳を振りかぶりながら、一発たりとも当てられなかった敵とは対照的に。
無駄のない流麗な動きで、確実に命中させていく若き魔導師。
これが魔法使いの戦いか。
おおよそ魔法というものを知らぬまま、彼女の戦いを見た者は、まず最初にそう思うだろう。
一般的なイメージからは、あまりにかけ離れたバトルスタイル。
拳で敵を殴りつけるそれは、まるで拳法家か何かの戦闘のよう。
だが、魔法というものは、実は何でもありなのだ。
魔導師といえば魔法の杖。その固定観念は悪くない。
むしろミッドチルダ式というスタイルの魔導師には、実際に杖型デバイスを愛用する者が多い。
しかし、それはあくまで基本。
それ以外のスタイルを望むなら、そこにこだわる理由などない。
遠距離戦重視のミッドチルダ式。近距離戦重視のベルカ式。
その基本さえ押さえていれば。
後は何でもありなのだ。
それが本物の魔法なのだ。
「でぇぇぇいっ!」
雄叫びが上がる。
拳が突き上がる。
渾身の魔力を乗せた右アッパー。
己がリンカーコアより生み出せし、奇跡の力を纏う鉄拳が、吸い込まれるようにして直撃。
「ぬおおぉぉっ!」
ただの一撃だ。
その一撃が。
倍以上の体格の敵を、遥か上空へと叩き上げた。
その高度、実に5メートル弱。
だんっ、と。
大地を蹴り、跳躍。
ロケットのごとく打ち上げられた、敵の男よりもなお高く。
鋼鉄の具足を嵌めた両足が、遥か上空へと飛び上がった。
空に舞う純白のコート。
太陽に煌く純白のはちまき。
蒼天に飛翔する青い髪。
両の目に輝くエメラルドは、倒すべき悪をしかと見据える。
天空に躍動するその姿は、まさに伝説の正義の味方。
子供の頃誰もが憧れた、弱きを助け悪を挫く、無敵のヒーローそのものであった。
「とぉぉりゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――ッ!!」
構えるは右足。
迸るは魔力。
漆黒色に輝く金属の具足を、眩く覆い包む蒼穹の波動。
大空を切り裂く一撃は、さながら銀河を舞う熱き彗星。
その名のままに。
昴の名が示すままに。
綺羅星と化した少女の回し蹴りが、戦闘機人の身体へと叩き込まれた。
「ガ――ッ!」
もはや悲鳴すらも上がらなかった。
打ち上げを遥かに超える速度で、巨大な筋肉達磨が落下。
斜め下に墜落する肉体は、ひび割れたビルの壁へと突っ込む。
ずがん。
巻き起こる轟音。
粉砕されるコンクリートの壁。
崩れ落ちる男の巨体。
悪辣なる暴漢が意識を手放すと同時に、ふわり、とスバルが舞い降りた。
倒れこんだ巨悪をバックに。
佇むのは青き髪の少女。
「正義の……味方……」
リスティのすみれ色の瞳が、その姿をじっと見つめていた。
これは、世界に平和を取り戻すべく、命を賭して戦う4人の若者達の物語である――
第一話「蒼き新星(前編)」
To be continued...
最終更新:2009年10月11日 14:59