project nemo_07

晴れてよかった、と心の底から思う。降り注ぐ太陽の光は柔らかく、人の心さえ暖かく包んでくれるようだ。公園の中央、噴水広場の近くで遊び回る子供たちもご機嫌らしく、それこそ太陽みたいに笑顔を輝かせていた。
平和だなぁ、とごくありふれた、それゆえに貴重な光景にベンチの上で見とれていると、すっと目の前に水筒のコップが差し出された。湯気が立ち上るお茶の入ったそれを受け取り、彼女はサイドポニーにまとめた栗毛色の髪を揺らて振り返り、礼を言う。

「ありがとう――これ、ユーノ君が淹れたんだっけ?」

ユーノ、と呼ばれた眼鏡の青年は少女の問いに頷く。実家は喫茶店の少女に、是非味見してもらいたいとのことだ。
幼馴染の淹れたお茶を、くいっと一口飲む。実際問題として実家にはしばらく戻っていないため、自分に評価が可能なほどのセンスがあるかどうか。それでも、ユーノのお茶は充分に美味しいと言えるものだった。
ところが少女はちらっと、隣で微妙に緊張した面持ちの青年の顔に目をやる。期待、不安、二つの感情が入り混じった視線を向けてくる彼を見て、わざと彼女は思案顔。

「駄目、かな」

ごくりと唾を飲み込まんばかりに、ユーノが問いかける。なかなか返答が来ないので、不安が増していくのだろう。お茶一杯に真剣な表情を浮かべる幼馴染が、少し可愛かった。
でもまぁ、意地悪もこの辺にしてあげよっか。少女、高町なのはは直視してくる幼馴染に笑顔を浮かべ、美味しいよと素直な評価を下す。途端に、ユーノの緊張した顔が一気にほぐれた。

「そんなに緊張した?」
「うん、まぁ――でも安心したよ」

ユーノ曰く、無限書庫の仕事は相変わらず忙しいとのことだ。何しろ古今東西、ありとあらゆる資料が詰まったそこは事件や遺跡の調査に重宝される。部隊から要求された資料を手早く正確に提供するためには日頃の整理も必要不可欠、結果として資料請求がなくとも仕事は山のようにある。今日は、そんな最中での数少ない休日だ。
だから、とユーノは付け加える。安心したのは、もちろん自分の淹れたお茶をなのはが美味しいと言ってくれたのもあるが、忙しさにかまけて食事を結構レトルトやカロリーブロックなどで済ませてしまうことが多い。食べる時間も不規則となり、必然的に不健康な生活になってしまう。要するに彼は自分の味覚が少し不安になっていたのだ。一応味見をして自分が美味いと感じたこのお茶でさえ、ひょっとしたら普通の人からすると不味いものになっているかもしれない、と。

「心配性だね」

ぐいっともう一口、なのはは笑いながらコップに入ったお茶を飲む。だけども、当のユーノは浮かない表情だった。
眼鏡を外して、幼馴染は真剣な様子になる。

「心配性にもなるさ」
「え……ユーノ君?」

いきなり雰囲気をがらりと変えたユーノに、少し驚きながらなのはは脳裏を探る。何か、気に障るようなことを言ったのだろうか。答えを探り当てる前に、彼は口を開いていた。

「こないだの無人戦闘機襲撃事件。あれ、なのはも関わったって聞いたよ」

関わった、と言いつつユーノの口調には事件のおおよその概要を掴んでいる節があった。でなければ、普段の彼からは想像出来ないこんな強い声は出るはずがない。
否定出来るはずもなく、なのはは黙ってユーノの言葉を待った。黙秘する彼女の態度から確信を得た彼は、さらに続ける。

「職場復帰するってのは聞いてたけどさ、なのは、自分の身体のこと分かってる? 生活に支障はないのは見れば分かるし、魔法だってほとんど前と変わらないくらい使いこなせるのも知ってる。けど、表面に現れないだけでなのはの身体は"爆弾"を抱えてるんだ。あんまり無茶は、しないで欲しいな」

幼馴染からの強い忠告に、なのはは困ったような笑みを浮かべた。先日、前線には出ないで観測手として参加した演習。そこに所属不明の無人戦闘機が現れ、管理局の部隊を襲撃した。犠牲者を出しながらも敵機を全て撃墜したこの戦闘に、なのはもやむを得ず加わったのだ。事件の詳しい内容は関係者以外伏せられているのだが、どこかでユーノはその情報を仕入れたに違いない。おそらくは人伝、事件内容を知り得る上層部の人間から。はやてちゃん辺りかな、となのはは考えた。

「……あの時は仕方なかった。大丈夫、今回限りだから」
「本当かい?」

療養中の身であるにも関わらず、戦闘に加わったなのは。あの時は乗っていたヘリに敵機が接近してきたため、実際にやむを得なかったはずである。戦わなければ、生き残れない。魔法を使うのはその時だけ、と自分自身戦いが終わってから決めたはずである。
だけども、ユーノは彼女自身さえ気付かない、なのはの胸のうちで燻る何かを見抜いていた。療養中の身であるなら管理局に預けているはずの、彼女の首に引っ掛けられていた赤い宝石。彼女の相棒、レイジングハート。こんな平和の真っ只中であっても、なのはは最近肌身離さず相棒と行動を共にしていた。

「ママー」

唐突に、ベンチに座っていた二人の間に乱入者が現れた。可愛らしく結った金髪に、宝石みたいな赤と緑のオッドアイ。可愛らしい乱入者の正体は、なのはの義理の娘、ヴィヴィオだった。先ほどまで公園内で出来た友達と遊びまわっていたはずなのだが。

「あれ、ヴィヴィオ? たっくんにショーイチくんは?」
「おなかすいたから帰っちゃった。ねぇママ、ヴィヴィオもおなかすいた」

時刻を確認するとすでに昼前に差し掛かっていた。育ち盛りの子供たちにとっては、もう腹が減る時間なのだ。

「それだね、僕もちょっと小腹がすいたし。じゃあヴィヴィオ、一緒に食べに行こっか」
「うん!」

ユーノの言葉に幼い少女は元気よく頷き、立ち上がった彼に抱き抱えられた。優しいママの幼馴染に、彼女はすっかり懐いてしまっていた。
ヴィヴィオを腕に乗せて、ユーノはなのはに振り返る。

「ほら、さ……なのはに何かあったら、この子はどうするんだい? 一度関わった以上気になるのは分かるけど、君が積極的に前線に出ることなんてないはずだよ」
「それは、そうかもしれないけど――」

だが、ユーノの言うことはまったくもって正論だ。なのはにはもう、エースオブエースとしての役割だけでなく、普通の少女、普通の母として生きる役割がある。
それでもすっきりしない胸中になのはが顔を曇らせていると――甲高いサイレンが公園に鳴り響いた。
平和な時間は、そこで一旦終わりを迎えることになる。



ACE COMBAT04 THE THE OPERATION LYRICAL Project nemo


第7話 敵機



その日、青空は騒々しかった。ある意味では、避難警報の発令された人口密集地区よりも遥かに。
青と白のキャンパスの上で繰り広げられる、白煙と爆風、衝撃と閃光のカーニバル。ともすれば美しくも見える、空の戦い。
もっともそれは、地面にいる傍観者だけに与えられた特権に過ぎない。実際に蒼空を駆け、コクピットの中で酸素を貪るように吸い、一瞬の隙も見逃せないパイロットたちにとっては、文字通り命懸けの行為。彼らは、自分たちが地面からどう見えているかなど知る由もない。
ドラゴン3のコールサインを与えられたF-15Cイーグルのパイロットも、酸素マスクの中でみっともなく呼吸を荒くし、汗ばむ腕を振るって操縦桿を動かし回していた。
キャノピーの向こうで敵機の黒い影が、上下左右に踊り狂う。すでに僚機は四機ほど喰われ、迎撃に舞い上がった彼の編隊は残すところ二機となっていた――彼自身も含めて。
レーダーは、アテに出来ない。AWACSからの送られたマルイ基地を襲撃した不明機の予想地点は、時折映る機影の方位と速度を元にして割り出したに過ぎず、敵機が暗にステルスであることを示していた。ドラゴン編隊が接敵出来たのも、目視による対空監視を厳としていたからだった。
――だと言うのに、こいつは。ドラゴン3のパイロットはイラつく思考を、ラダーペダルを踏みつけることで抑えようとした。豆粒ほどの大きさの敵機が、微妙に進路を左に逸らすのが分かった。負けじとF-15Cは機首を振り、振り切られないよう相手を正面に捉え続ける。後方で援護する僚機、ドラゴン4のF-15Cも主翼を翻してカバーポジションを維持し続ける。二機編成は空戦の基本、リーダーが攻撃し僚機がそれを守るのだ。
追撃は続く。敵機は上昇、大気を切ったように白い水蒸気の糸を引きながら天を昇る。逃がすか、とパイロットは口走りエンジン・スロットルレバーを叩き込んだ。
アフターバーナー、点火。F100エンジンから赤いジェットの炎が姿を見せ、荒鷲の高度をぐんぐん押し上げる。進路を先読みする形で上昇した二機のF-15Cは、真正面に敵影を捉えようとしていた。

「よし、ロックオン……!」

ヘルメットの内側、ヘッドホンに電子音が入り、パイロットは酸素マスクの中で歓声を上げた。主翼下のAIM-9サイドワインダー、赤外線誘導の短距離空対空ミサイルの弾頭部が敵機を捕捉したのだ。待ってましたとミサイルの発射スイッチに親指を乗せ、フォックス2、と言いかけたところで彼はかっと眼を見開く。
豆粒同然の敵機から、赤い炎の塊がいくつも放たれていた。フレア、エンジンのそれよりはるかに多い赤外線を放つ、燃えるマグネシウムの塊。ヘッドホンの電子音が乱れを見せて、AIM-9の弾頭が混乱しているのが分かった。これでは、ミサイルを放っても当たらない。敵は、ロックオンされる瞬間を読んだのだ。
だったら! ばら撒かれたフレアを見て着火されたように、パイロットの闘志に火がついた。操縦桿を引き、上昇を続ける敵機の鼻先に機首を持っていく。上から押さえつけられるようなプラスGの中、指はウエポン・システムに伸びて軽やかにステップを踏んだ。ミサイルからの電子音が消えて失せ、代わりに火器管制装置が割り出した機関砲の着弾予想地点がHUD(ヘッドアップディスプレイ)に現れる。ミサイルには妨害手段があっても、しっかり照準を合わせた機関砲からは純粋に機動で回避するほかない。上昇から宙返りを打つ姿勢を見せた敵影に合わせ、パイロットはさらに操縦桿を引く。キャノピーの向こうで、青空と徐々にはっきりしてきた敵機のシルエットが揺れ動き、同時に愛機も敵機と同じく宙返りに入っていった。
アレは何だ、どこの機体だ――機関砲の照準が、敵機のシルエットに重なろうとする。引き金に指をかけ、そこで彼の思考は敵機の正体を探り当てた――そうだ、ラプターだ。
F-22ラプターに違いない。だが、尾翼のあのマークは?

「っ!?」

疑問が脳裏をよぎるとの時を同じくして、何かが正面で輝いた。途端に、パイロットは眩い閃光に視界を奪われる。無意識に指が引き金を引いて機関砲を放つが、野獣のうなり声のような銃撃音も毎分六〇〇〇発の連射力も全て空を切るばかり。
ようやく眼が慣れてきた時、ドラゴン3のパイロットはF-22が仕掛けてきた罠に気付く。そうだ、太陽。奴は、太陽を背にして宙返りを打ったんだ。追いかけるこっちは、照りつける光に眼をやられてしまったのだ。くそ、と悪態を吐き捨て、パイロットは目潰しを食らっている間に消えた敵機を探す。
どこだ、どこだ、どこにいる。奴を見失っては駄目だ。おそらく技量が半端じゃない。まるで、"リボン付き"みたいな――あっ、とコクピットで声を上げる。ほとんど同時にどっと背後で衝撃があり、次いで爆風と思しき紅い炎が空に咲き乱れた。

「やられたのか、ドラゴン4」

通信機に呼びかけるも、返ってきたのは耳障りな雑音のみ。
駄目だ、勝てない。腹のうちから、背筋に寒気が走るような感覚が湧き上がってきた。すなわち、恐怖。唯一生き残っていた仲間が撃墜されたことで、必死に押さえつけていたそれらがついに噴出したのだ。逃げよう、どうせ勝ち目はない。相手はF-22、最強戦闘機の異名を持つ。加えて、あの尾翼のマークは――答えが脳裏をよぎるその瞬間、機体全体に金属ハンマーで殴られたような衝撃が走った。振り返れば、愛機を穴だらけにした猛禽類が一匹、高速で飛び去っていくのが見えた。
脱出用の射出レバーに手を伸ばした瞬間、視界がかっと白熱する。それっきり、ドラゴン3の意識が蘇ることはなかった。
敵機の進路はまっすぐ、クラナガン中央へ。



時間が少し、遡る。
初めて一人で空に上がった時は、どうにも落ち着かなかった。地に足がつかない、とでも言うべきか。とにかく楽しみ、喜び、不安、恐怖、正と負の感情が入り混じった心中だったことは覚えている。後で自分が補佐する執務官に話すと、少し笑われた。そりゃそうだよティアナ、空を飛んでるんだから地面に足はつかないよ。
なるほど、言い得て妙――雑念のちらつく脳裏。橙色の髪を後ろで束ね、ヘルメットとマスクで顔を覆うティアナはF-15ACTIVEのコクピットでたっぷりと酸素を吸った。そうして気分を落ち着かせ、大空を駆ける愛機の中、四方八方に気を配る。敵機は、どこから来るか分からない。

「こちらゴーストアイ、メビウス2へ告ぐ」

クラナガン郊外上空、高度二万フィート。本局より転送魔法装置でミッドチルダに舞い降りたティアナは、マルイ航空基地襲撃の報を受け執務官補佐から、戦闘機乗りになっていた。
情報によれば敵機はステルスらしく、レーダー探知はあまりアテにならない。赤外線探知のIRSTはまだごく一部のフランカーファミリーにしか搭載されておらず、そしてSu-27に代表されるフランカーは地上本部戦闘機隊で保有する部隊はいない。敵機の進路はまっすぐクラナガンに向いていると思われ、このままでは人口密集地に入られる。そうなる前に敵機を見つけ出し、進行を阻止せねばならないのだが――頼みの綱は、クラナガン上空各地に散らばったパイロットたちの肉眼、緊急展開中の本局魔導師による探知魔法くらいだった。そんな矢先に、空中管制機E-767、コールサイン"ゴーストアイ"からの通信。彼は、かつてJS事変を共に駆け抜けた仲間だった。

「こちらメビウス2」

本来なら挨拶の一言も入れたいのが、ティアナの心情だった。だが、状況がそれを許さない。いつ現れるかも分からない敵に備えて周囲に気を配りながら、彼女は淡白に返答した。ゴーストアイも分かりきっており、必要事項を淡々と伝える。

「すでにリクヤヒ、キーツ、セトチ、ワサミ、各基地より迎撃機が発進。各方面に展開し、目視によるCAPを実施している。敵機を発見した場合は全回線で伝えてくれ、ただちに急行させる。その逆も然り、だ」
「OK、頼みます。フェイトさん……魔導師たちは?」

今は本局の空戦魔導師を率い、低空へと降りているであろう自分の直属の上司を脳裏に思い浮かべ、ティアナは管制官に問う。どうにも一連の事件捜査に対する脅しとも取れるメールが届き、それが現実のものになってからフェイトは滅多に見せない本気で怒ったような表情を見せていた。冷静さを欠いて一人で突っ込むような真似はしないと思うが、だがしかし――

「フェイト・T・ハラオウン執務官か? 彼女なら数人引き連れてマルイ基地の救援に向かった。あそこは今、負傷者が大勢出てる」

どうやら杞憂だったようだ。憎き敵機を討つよりも、負傷に苦しむ友軍を助けに行った執務官。案外、自分が冷静さを欠いていると分かって救援に向かったのかもしれない。どの道最初に敵機から攻撃を受けたマルイ基地は機関砲の掃射を受け、救急車両が全滅している。どうあっても、救援は必要なのだ。
さぁ、しっかりしないと。ティアナは操縦桿とエンジン・スロットルレバーを握りなおし、虚空を見つめる。誰だか知らないが、問答無用で基地に機関砲弾をばら撒くような奴はとっちめてやらねばなるまい。

<<Master>>

はっと、正面に向き直る。グラス化の進んだ愛機のコクピット、計器板にセットした相棒のデバイスが自分を呼んだ。カード状の相棒、クロスミラージュはこの機体の火器管制担当だ。膨大な処理能力を要求される空中戦の最中で、パイロットの意思を読み取りそれを補佐する。そんな頼もしい相棒が、警戒するよう促してきた。何事かと視線を走らせると、彼女はすぐ異変に気付いた。
わらわら、わらわら。レーダー情報を投影するメインディスプレイの上で、近くに展開する友軍機の編隊、コールサイン"ドラゴン"の名を与えられた部隊が何かとダンスするように激しく動き回っていた。二〇秒しないうちに六機のドラゴン編隊のうち一機が消え、数秒してまた一機が消える。交戦しているのか? 半ば確信を持った疑問が脳裏をよぎり、その間に今度はほとんど同時に二機が撃墜される。ティアナは通信機に手を伸ばし、全ての通信回線を開いて味方に呼びかけようとした。

「あ、この……またなの!?」

ヘルメットの中のヘッドホンに、耳障りな雑音が入ってきた。クロスミラージュが手早く周波数を切り替えてくれるものの、仲間たちの声が数瞬聞こえただけで何を言っているのかさっぱりだった。通信妨害、"フェンリア"の時と同じだ。となるとやはり、今回の敵機もフェンリアによるパイロット誘拐事件の首謀者によるものか。
ドラゴン編隊、最後の二機がレーダー上より姿を消した。直後、ディスプレイにぷつぷつと航空機と同じ反応を示す光点がいくつも浮かび上がる。クロスミラージュが解析、これも電波妨害と判断。どうやら、今回は敵も本気のようだ。
通信もダメ、レーダーもダメ。これで本当に、アテになるのは己の眼と耳、そして技量のみとなった。ティアナは不愉快そうに奥歯を噛み鳴らし、しかしラダーペダルを踏み込む。F-15ACTIVEの機首が素早く横に流れ、ドラゴン編隊が交戦していた空域に向けられる。今ならまだ、間に合うかもしれない。

<<Master,fuel check>>
「分かってるわよ、燃料くらい……でも」

クロスミラージュに言われずとも、ティアナはとっくに理解していた。長大な航続距離を誇るF-15ACTIVEであっても全速力で飛行すれば、あっという間にガス欠だ。慌てて飛び出して来たので、今回はドロップタンク(燃料増加タンク)を搭載していない。
それでも、万が一敵機が人口密集地に入り、機関砲を一連射でもしたら――平和を横臥していたクラナガンの民間人の避難は、まだ終わっていない。少なくとも地獄絵図が一枚出来上がるのは確実だ。それだけは、なんとしても阻止せねば。管理局として、執務官を目指す者として、"メビウス"のコールサインを持った者として。

「こんなとこで躊躇なんか、出来ないわよ――!」

エンジン・スロットルレバーを叩き込む。ガチンッとメカニカルな音を立ててアフターバーナー、点火。闘志に火がついた荒鷲は、赤いジェットの炎を派手に吹かして大空を駆ける。HUDに表示されるデジタル表示の速度計の数値が吹っ飛び、機体は音速の壁を飛び越えた。水蒸気の白い壁を突き破り、あっという間にマッハ1へ。
勇敢なる若きエースを乗せ、F-15ACTIVEは尾翼のリボンを輝かせつつ、敵機がいると思しき方向へとかっ飛んでいった。



JS事変において、クラナガンは隕石落としの被害を受けた。市民たちの避難場所は死の流星の前にことごとくが灰燼と化し、多数の人々が犠牲になった。
その反省として、地上本部はクラナガン市内の至るところに頑丈な地下シェルターを建造した。それぞれが独立した発電設備を持ち、数か月分の食料と水、トイレまで揃えたこの地下シェルターはしかし、未だその数は多いとは言えなかった。避難警報によって市民たちはシェルターに殺到し、ほとんどが満員となった。

「入れないんですか!?」
「駄目だ、ここも満員なんだ!」

同じく避難警報を受けて手近な地下シェルターにやって来たなのはとユーノ、それにヴィヴィオであったが、運が悪いことに彼女たちが訪ねたシェルターも例外に漏れず満員だった。入り口のモニターでユーノが、すでに避難した人々のリーダー格に何とか入れてもらえるよう頼んでいるが、断られてしまった。
だったら、と憤慨する気持ちを抑えて、ユーノはなのはとヴィヴィオを強引にモニターの前に立たせる。

「彼女たちだけでも入れてくれ、女子供くらいなら何とかなるだろう」
「ちょ……ユーノ君!」

思わず抗議の声を上げるなのはだったが、当のユーノの表情には堅い意思が宿っている。おそらくは、決して譲らないだろう。必要なら強引にでも彼は、なのはとヴィヴィオをシェルターに叩き込むはずだ。モニターの向こうで、リーダー格の男が後ろにいた何人かと相談し、「それくらいなら何とか」と了承の返事をくれた。
ピッと短い電子音が鳴って、爆撃を受けても大丈夫そうなほど分厚い地下シェルターの入り口が開く。扉の向こうで避難民たちが早く、と手招きしていた。ユーノもヴィヴィオを抱き抱えるなのはの背中を押し、シェルターに入るよう促す。だが、そうされて安々と安全地帯に逃げ込むほど、彼女ら親子は柔軟な思考を持っていない。

「でも――!」
「ユーノおにいちゃん!」
「ええい、うるさい親子だな」

入り口でどちらも譲らず押し合いをやっていると、青空の向こうから妙な轟音が響き渡ってきた。雷か、と誤解しそうなそれは数分もしないうちに、なのはたちの視界内に姿を現せる。青と白のキャンパスに浮かぶ、染みのような二つの点。かなり低い高度を高速で迫るそれの正体を垣間見た時、誰かが口走った。戦闘機だ。
どっ、と轟音と共に凄まじい風がなのはたちを襲った。次いで、大地を抉るような勢いで迫る衝撃波。ユーノが咄嗟に防御魔法を展開しなければ、まとめて吹き飛ばされたかもしれなかった。同時に上空を駆け抜け、一瞬だけ太陽の光を遮る質量兵器の黒い影。
嘘、とその瞬間、なのはは自分でも知らないうちに口走っていた。低空を高速で駆ける戦闘機のシルエットに、見覚えがあった。否、それどころではない。自分は、あの戦闘機を知っている。何度となく目にした、何度となく共に戦った、何度となく共に空を駆けた。記憶に色濃く残る黒い影の正体は、F-22ラプター。垂直尾翼に輝くのは、リボンのマーク――同じ、エースを名乗る者の証。
時間がゆっくりと、過ぎていく。コクピットに視線を走らせるが、逆光で見えない。ただ、共に飛んだ戦友が乗っている機体にしては酷く冷たいような気がした。まるで、明確な敵意だけが操縦桿を握っているような、そんな感覚。
そして時が動き出す。ユーノの展開した防御魔法のおかげで、それでも思わずヴィヴィオを庇ってしまうほどに強い風が通り過ぎていく。F-22が行き過ぎたかと思いきや、今度は少し高めに高度を取った管理局のものと思しき戦闘機が飛び去っていく。この機体にも、見覚えはあった。確かF-15、主翼の付け根辺りに小さな翼が付いていたから、ACTIVEと呼ばれるタイプだ。尾翼にはやはり、リボンのマーク。管理局内でリボンのマークを描いたF-15ACTIVE、それを操る者を、なのはは一人しか知らない。

「――っ。くそ、なんだ今の。戦闘機のようだったけど……なのは?」
「なのはママ……?」

呆然と空を見上げるなのはを見て、幼馴染と義理の娘は怪訝な表情。問いかけても、答えは返ってこなかった。
何故。どうして。何でここに。あれが避難警報の原因なのか。だとしたら何で。どうして彼が。どうしてあの子が。
ぐるぐる、ぐるぐる。疑問ばかりがなのはの脳裏を渦巻き、やがて一つの結論に達する。
行かなければ。
止めなければ。
確かめなくちゃ。
首元にある相棒さえもが、疑問に思うなら行動しましょう、と言ってきた。

「――ユーノ君、ヴィヴィオお願い! 私の代わりにシェルターに入って!」

気が付くと、なのはは娘をユーノに預け、駆け出していた。幼馴染は戸惑いの声を上げ、いきなり飛び出した母の背中にヴィヴィオが「ママ!」と手を伸ばしていた。
大丈夫、安心して。すぐに戻るから。一度だけ振り返り、母でもある少女は笑ってみせた。
光が彼女を包み込んだ。レイジングハート、セットアップ。白いバリアジャケットを身に纏ったなのははこの瞬間、再びエースオブエースとして空へと舞い戻っていった。



不気味な感覚だった。訓練であれ実戦であれ、戦闘機に乗って視認距離のまま相手と後ろを奪い合う――格闘戦、すなわちドックファイトの時はいつも、麻薬にも似た刺激的な興奮とスリルがある。よくないものだと認識しつつも、機体性能と同じくらいパイロットの技量が直接問われる格闘戦は、戦闘機乗りにとってまさに空戦の醍醐味と言えた。
だけど、とティアナはキャノピーの向こう、眼下を流れていくクラナガンの市街地を背景に飛ぶF-22を見て思う。"コイツ"は違う、興奮もスリルも感じない。ひたすらに不気味、人ではない何かと向き合っているような感覚がする。

「だからって、逃がしていいもんでもないけど……!」

ビリビリと、背中を預けるシートに愛機のエンジンの鼓動が伝わってくる。ようやく見つけた敵機、F-22ラプター。なるほどステルスだ、レーダーには検知されにくい。おまけ
に市街地のビルに腹を掠めそうなほどの超低空飛行、見つけたところで攻撃しにくい。上から機関砲やミサイルを放って、外れでもしたら市街地に被害が及ぶ。敵機の真後ろに張り付くように飛べば話は別だが、ティアナは無理だ、とその可能性を否定した。自分の技量では、おそらく地面にぶつかってしまう。このまま地道に、何かの拍子でF-22が高度を上げてくれるのを待つしかない。
だが、F-22はまっすぐ高度を維持し続けた。どんなエースでも一〇秒と続けられない超低空を、恐怖など微塵も感じていないように飛ぶ姿からは、とても人間が乗っているようには思えなかった。やはり無人機だろうか? クロスミラージュに問いかけても、生命反応は見受けられないと返答が来た。となれば、警告は無駄になる。
どうするべきか。このまままっすぐ追いかけ続けても、いずれはクラナガン中央に達する。中央は特に人口が密集しており、交通機関など重要なインフラだって多い。爆弾を二発か三発落とせば大損害は避けられないし、そうでなくても今この瞬間機関砲を放てば眼下の市街地は地獄絵図になる。
試しにロックオンだけ仕掛けて脅してみようかしら――そんな思考が脳裏をよぎった瞬間、眼下の市街地で何かの光が瞬いた。数瞬して、前を行くF-22に地面から光の弾丸が襲いかかる。地上本部の要請でクラナガンに展開した、本局の魔導師たちだ。偶然進路上に展開していた部隊が、F-22を追い払おうと対空砲火を上げているのだ。
文字通り魔法の弾丸の対空砲火に晒されたF-22は、さすがにたまらなくなったのか機首を跳ね上げて上昇。魔力弾の軌跡が市街地上空を駆け抜け、逃げる猛禽類を追うがどうにも追いつけない様子だった。
それでも、ティアナにとってはありがたかった。魔導師たちからの思わぬ援護射撃のおかげで、F-22は上空へと逃れた。こいつを逃がしてはなるまい。
操縦桿を引いて機首を上げれば、視界は色鮮やかな市街地から青と白のみが支配する無限の大空へ。
急上昇する猛禽類、しかしティアナのF-15ACTIVEも負けてはいない。主翼の先端が大気を切り裂いたように、水蒸気による白い糸を引く。鋭い機動で荒鷲は逃げるF-22との距離を詰めていく。

「クロスミラージュ!」
<<OK>>

火器管制を担当するデバイス、実質二人目のパイロットの名を呼ぶ。計器にセットされたクロスミラージュが手早くウエポンシステム起動、短距離空対空ミサイルのAIM-9サイドワインダーを選択。中距離用のAIM-120AMRAAMは射程と破壊力こそAIM-9を上回るが、レーダー誘導である以上ステルス機のF-22には通用しない。
ガラガラ蛇の名を付けられた赤外線誘導のAIM-9の弾頭、蛇の眼が正面に捉えた敵機を掴まえる。F-22は赤外線の放出量も少ないはずだが、そこは距離を詰めれば解決できた。
ヘッドホンに、敵機をロックオンしたことを示す電子音が鳴り響く――はぁっ、と酸素マスクのうちでティアナは息を吐いた。発射のタイミングを見計らうように。

「……駄目、ガンに切り替えて!」

操縦桿の頂点、ミサイルの発射スイッチに指をかけたところで、彼女は叫んでいた。猛禽類の翼がぐっと、大きく翻っていた。
途端に空にばら撒かれる赤い炎の塊。地面から見れば花火のようにも見えるそれらはフレア、赤外線誘導のミサイルを幻惑する代物だ。ヘッドホンに入る電子音が、耳障りなほどに大きくなったり小さくなったりする。AIM-9の弾頭が混乱しているのだ。
それでも次の手に素早く踏み込めたのは、訓練の賜物か。上昇しながら左に大きくロールしたF-22を追うべく、ティアナの左足はラダーペダルを蹴飛ばす。同時にクロスミラージュがミサイルから機関砲へと使用する兵装を変更。半ば強引な形でF-15ACTIVEは進路を左に逸らし、機関砲の射程内に敵機を捉え続ける。
照準に、猛禽類の影が収まりつつあった。いける、と彼女は踏んだ。メビウス2、彼から受け継いだコールサインは伊達ではない。引き金に指をかけ、今度こそとティアナはF-22を睨みつけた。

――よぅ。久しぶりだな。

「えっ」

照準内にF-22の、質量兵器の黒い影が収まった。今引き金を引けば、敵機は機関砲弾の雨に晒され、ボロ雑巾のように揉みくちゃにされる。
そのはず、だったのだが。ティアナは敵機の尾翼に、懐かしいものを見た。どこかの大陸を囲む、リボンの輪。Mobiusと記されたエンブレム。同じものが愛機にもあるが、このマークを付けて飛んでいる機体を彼女は、自分以外では一人しか知らない。
引き金にかけた指は、動かなかった。

――いい腕だが、もう一押し欲しいところだ。

ぶわっ、と猛禽類が突然、力を失ったように覆い被さってきた。ぶつかる、咄嗟にティアナは操縦桿を折らんばかりに右へと倒し、ラダーペダルも蹴飛ばしていた。
キャノピーのすぐ傍を、敵機が猛スピードで通り過ぎていく。衝突を覚悟してこいつは、わざと失速して落ちてきた。そんな事実に、今更になって気付いた。
しまった――ティアナは背筋に冷たいものを感じ、振り返る――デッド・シックス、後ろを取られた。この敵機は、失速から回復までの操作時間を最初から計算した上で彼女に向かって落ちてきたのだ。それも、相手が避けきれることを知った上で。
敵機。
背後にいる黒い影、猛禽類は間違いなく敵。そのはずなのに――

「メビウス1……!」

コクピットに上がった声は悲鳴とも、歓声とも受け取れた。
そんな彼女の目を覚ますかのように、F-15ACTIVEとF-22の間に光が走った。見覚えのある、桜色の閃光。
ティアナ、逃げて! 幻聴かと思いきや、意識は案外しっかりしていた。ほとんど身体が勝手に動き、操縦桿を前に突く。コクピットにマイナスのGがかかり、身体が浮くような感覚がティアナを襲う。上昇中だったF-15ACTIVEは強引に機首を下げていき、敵機の矛先より逃れることに成功した。
マイナスGのせいで頭に血が上り、見えるもの全てが赤色に染まっている。ふるふると首を振ってしっかりしなさい、あたしと自分に喝を入れて、彼女ははっとレーダー画面に映る魔力反応に気付く。距離は間近、充分目視可能なはずだ。

<<――きてる? ティアナ、大丈夫? 生きてるね?>>

あっと声を上げて、ティアナは雑音交じりだがはっきり聞こえる、念話を耳にした。慌てて視線を動かしながら、機械頼りの通信から文字通り魔法の通信に切り替える。視界に映った白い影。見覚えがあるなんてものじゃない、さっきの桜色の閃光は彼女によるもの。どこで騒ぎを聞きつけたのか、現れたのはエースオブエース、かつての上官、高町なのは。

<<……だ、大丈夫です、生きてます。えと、なのはさん?>>
<<久しぶり。でもお喋りしてる余裕はないよ>>

白いバリアジャケットを纏った、金色の杖を持つ空飛ぶ少女の指先。視線を走らせれば、突然の乱入者によってティアナを仕留め損ねた猛禽類が一匹、反転してこちらにその矛先を向けてきた。

<<なのはさん、あのラプター……>>
<<分かってる。でも、話は聞いてくれないようだね>>

愛機と併走して飛ぶなのはも、どうやら敵機の尾翼にあるマークを見たらしい。

<<本人なんでしょうか?>>
<<分からない、でも実力はあると思う>>

何故。どうして。何故。どうして。
疑問が渦巻く思考は、なのはにもティアナにもあった。敵機が何者であるか確かめる術など、果たしてあるのだろうか?

<<ここは、お互い正面から行きますか>>

――否、ある。
ティアナは操縦桿とエンジン・スロットルレバーを握りなおし、なのはに向かって不敵に笑ってみせた。
酸素マスクの内側からはみ出る闘志を感じ取ったのか、なのはもうん、と頷き笑みを返し、敵機を睨む。

<<空戦で確かめよう>>

アフターバーナー、点火。カートリッジ、ロード。
それぞれジェットの炎、魔力の光を青空に煌かせてティアナのF-15ACTIVEとなのはは迫る敵機、F-22に立ち向かっていく。
ミッドの空を舞台に、二人のエース、一機のエースが踊り出す。




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最終更新:2009年09月05日 19:09