ACE COMBAT04 THE OPERATION LYRICAL Project nemo
第8話 "撃て、ティアナ・ランスター!"
キャノピーの外を睨みながら、飛行手袋に覆われた汗ばんだ細い手を、だんだん感覚の失せてきた華奢な足を必死に動かす。
操縦桿は右へ左へ揺れて、ラダーペダルが不規則に踏みつけられる。併せて視界は上下左右に激しくダンス、身体を縛るGの強さが強くなったり弱くなったり。
マスクから送られる新鮮な酸素を貪るように吸って、彼女は実感した。まだ生きてる。まだやられていない。まだ落とされていない。
魔法で強化された視覚は、しっかりと逃げ惑うように大空を舞う敵機を捉えていた。ちらつく赤いジェットの炎、敵も必死な証拠。
そうだ。自分は負けていない。むしろ、勝っている。相手の後ろに回り込んでいる。ならば好機、機関砲を叩き込んでやるべきだ。
重たい腕に魔力を流し込んで、エンジン・スロットルレバーを一番奥へと叩き込む。今日何度目かになる、アフターバーナー点火。人間にとっては血液も同然の燃料を盛大に燃やして、尾翼にリボンを描いたF-15ACTIVEは急加速していった。逃げる敵機に急接近、機関砲の射程内へ。
今度こそ、とコクピットで操縦桿を握る少女は意気込んでいた。計器にセットした相棒が電子音を鳴らして火器管制を操作、兵装選択、機関砲にセット。HUDに現れた弾着予想地点に敵機の黒い影が入るよう、彼女は操縦桿を左に倒した。愛機は勢いよく翼を傾け、そのまま左に横転しようとする。
違う、右!
照準に敵機、F-22ラプターの姿が入り込む寸前彼女の眼は、猛禽類の主翼の角度が浅いことに気付いた。本気で左方向に逃げるつもりなら、もっと翼を傾けるはずだと。
がっと、強引に操縦桿を右へと倒す。乱暴な操縦にも愛機はよく耐え、素早く追従してみせた――右へとロール。くるっと回転したF-15ACTIVE、その鼻先に飛び込んでくるのは猛禽類。自ら敵の前に躍り出たF-22は、しかし慌てた様子を見せなかった。その姿が、荒鷲を駆るパイロットである少女を苛立たせる。
――ほれ、撃ってみろ。俺はここだぜ?
「っ、馬鹿にして……!」
怒りに身を任せ、引き金を引く。F-15ACTIVEの主翼の付け根、そこに備えられた二〇ミリの銃口が光瞬く。赤い曳光弾は青空に軌跡を描き、猛禽類の青みがかかった灰色の胴体を粉々にする――はずだった。さっと、敵機の黒い影が視界内から突然姿を消す。あっと気付いた時にはM61A1機関砲が空しく唸り声を上げるだけで、F-22は何処かへと行ってしまっていた。どこに行った、疑問が脳裏をよぎる前に甲高い警報がコクピット内に響く。同時に、若干雑音交じりで誰かの声が脳に直接入り込む。
<<フレア撒いて! そのままダイヴ!>>
躊躇はしなかった。奴に食われた機体は数知れない。
左手で赤外線誘導のミサイルを幻惑するフレアの放出ボタンを素早く叩き、右手は操縦桿を前に突く。愛機、F-15ACTIVEは赤い炎の塊を撒き散らしながら機首を下げる。
急降下。身体を浮かせるマイナスのGにも負けず、少女はコクピットの中で振り返る。自分がばら撒いたフレアの群れ、それらを避けるように猛禽類が翼を捻らせ、大空を駆けていく。どうやら機体をわざと失速させ、急激に降下したらしい。そうしてF-15ACTIVEの真下を潜り抜け、後ろについたのだ。尾翼に輝く、同じリボンのマーク。こいつは本物か、あるいは本物に迫る勢いだ。
少女が敵機の操縦技術に思わず感嘆していると、F-22が突然機首を跳ね上げ逃げを打った。直後、どっと大気を消し飛ばすような勢いで放たれる桜色の光の渦。
操縦桿を引いて、機体の姿勢を立て直すと、キャノピーの向こうで白いバリアジャケットを纏った魔女が、金色の杖を手に何かを睨んでいた。視線の先にあるのは当然敵機。
<<助かりました、なのはさん>>
通信機を介さず、念話で援護してくれた魔女――高町なのはに礼を言う。強力なジャミングのおかげでこの距離でも雑音が混じっていたが、彼女は一瞬頬を緩めて応えてくれた。
とは言え、じっとはしていられない。
<<ティアナ、来るよ>>
<<!>>
なのはの声で、ぱっとティアナと呼ばれた少女は振り返る。魔女の砲撃魔法を回避したF-22は上昇、体勢を立て直し改めて向かってくる。
やれるのか? 胸のうちで誰かが問いかけてきた。相手はF-22、最強戦闘機の異名を持つ。おまけに尾翼にあるのはリボンのマーク。猛禽類を駆る"リボン付き"なんて、熱心なファンでも無い限り彼一人くらいだろう。もっとも生命反応は検知出来ないが。
違う。やれるか、じゃない――ティアナは操縦桿を握り直し、軽く捻った。F-15ACTIVEは軽やかに旋回し、降下してくる同じリボンのマークに立ち向かう。
やるしかない。戦闘機乗りは、弱気じゃ務まらないんだから。
燃える闘志を胸に秘めて、エースはエースに挑みかかっていった。
ぼんやりと、大地に寝転がって空を眺める。いつまで経っても変わる様子のない茜色のそれを、最初のうちは不思議がって見ていた。明らかに時は流れているのに、夕日は沈むことなく、その顔を半分だけ地平線に埋めている。
だがまあ、それもいいかもしれない。そんな風に考えるようになってしまったのはいつ頃からか。見慣れた故郷、見知った大地の向こうからの日差しはそこまで眩しくなかったし、何より暖かくて柔らかい。普通の青空では、太陽の光は眩しすぎる上に強すぎるのだ。
軽く手を伸ばして、ふと気付く。虚空を掴む手のひらに、妙な違和感があった。おかしい、何か違う。何が違う。どう違う。
まぁ、いいか。
疑問と違和感を放り出して、手を元に戻す。今更答えを知り得たところで、どうなるのだ。今は、今のままでいい。このまま居心地のいい空間に、居座っていたい。
そのまま爽やかな風に身を任せ、のんびりとしていると視界に突然、人影が差した。誰だ、とは思わなかった。記憶の奥底からすぐに人影の正体が浮かび上がる。
「――、ちょっと――! はぁ、あんたまたこんなとこで寝て……」
風邪ひくわよ、とため息混じりの聞き慣れた声が、自分の名前と共に入ってきた。大丈夫、そんなヤワな身体はしてないと笑みを浮かべて答えれば、彼女が呆れたように苦笑い
をしたのが分かった。そして突然、頬をぐいっと強く抓られる。イテテテ、と情けない悲鳴を上げて彼は惰眠の中から強制退去。
「何しやがるっ」
「ホントにヤワな身体じゃないか調べただけよ。ふーん、その調子だと間違いなく風邪ひくわね」
抓られた頬を抑えながら、抗議の声を上げる。にも関わらず、彼女は楽しそうに笑っていた。その笑顔が眩しくて、愛しくて、忘れてはいけない気がして、怒りの炎は徐々に鎮火されていった。痛覚だけは依然として健在であったが。
痛む顔面をさすっていると、彼女が問いかけてきた。ちょっとあたしも横になっていい?と。断る理由なんてあるはずもなく、痛みも伴って適当に頷く。むぅ、と彼女は投げやりな態度に露骨な不満を見せたが、あとは素直に隣に寝転がってきた。頬の状態がようやくマシになってきた頃、彼も横になる。視界に入るのは、やはり変わりようのない茜色。
唐突に、先ほど手を伸ばした時の違和感が蘇ってきた。どうでもいいだろう、そんな言葉が何度も何度も脳裏で横切っていくが、今度はどうしても気になった。もう一度だけ、手を伸ばす。地面からでは、決して届かぬ空。掴むのは虚空と――妙な、虚無感。先ほど感じた違和感は、これだったのか。
おかしい。何かがおかしい。何がおかしい。どうおかしい。
あんなにあの空、遠かったか?
「――……」
不意に、彼女が不安げな表情を浮かべてこちらの顔を覗き込んできた。どうした、と問いかけると、彼女は細い手を、彼が伸ばしていた手に絡みつかせる。
「行かないでよ、どこにも?」
一瞬、返答に困った。ああ、行かないさ。言いかけて何かが喉の中で言葉を止める。
違う――目を覚ませ。お前は――じゃない。お前は――1なんだ。起きろ。
脳裏に、奇妙な光景が過ぎる。どこかの青空。見上げれば二つの月。ユージア大陸の空じゃない。
右へ左へ、逃げ惑うF-15ACTIVE。違うそうじゃない、無人機相手にブレイク&シザースは無謀だ、分からないのか、すぐ離脱しろ、上昇。
「――?」
「あっ……」
やはり不安げな表情で、彼女がもう一度声をかけてきた。脳裏を過ぎるビジョンは、途切れた。
自分の手に絡まる、彼女の細い手。ゆっくりと、握り返す。安心しろ、どこにも行かない。
俺は――だ。俺は――1じゃない。起きる必要なんて、どこにもない。だから俺は――
ふぬけているな、リボン付き?
「何をっ……!?」
がばっと、跳ね起きる。今、確かに声がした。聞き覚えのある声。どこだ、いるのか、どこにいるんだ、13――13?
傍らにいる彼女が、必死に呼びかけてくる。それが、耳に入らない。脳裏を駆け巡る、記憶。頭が割れそうなほどの情報量。たまらず彼は、大地に膝を突く。
何、大したことじゃない。君の技量を貸して欲しいんだ。我がベルカ公国のために、な。
喜べ"リボン付き"、君は永遠の存在となる。それだけではない、史上最強の戦闘機の一部となれる。
さぁ始めよう、"Project nemo"の第一段階だ。
食らいつく白い羽衣を着た魔女。離れろ、迂闊に近付くな。距離を取ってあいつと連携しろ、下で構えて降下出来なくしてやれ。落とせ、お前たち二人ならやれるはずだ。
馬鹿、前に出るな。砲撃魔法は避けられるのがオチだ、ダイヴして逃げろ。
分からないのか、なのは――!
手にした金色の杖、それを構えて術式展開。迫る敵機の黒い影に矛先を向けて、かつてのエースオブエースは露骨に舌打ちしてみせた。
詠唱と収束が間に合わない。そこまで腕は鈍っていないだろうと言う楽観的な認識は、目の前の猛禽類によって打ち砕かれた。エースが相手では、一秒の遅れが命取りになる。
金色の杖、相棒レイジングハートが警告を発する。言われるまでもなく、アクセル・フィンを最大限に稼動させてなのはは詠唱を中止、急降下。青空が視界の中でどっと揺れ動き、数秒もしないうちに赤い曳光弾が頭上を駆け抜けていく。
来る、もうすぐ。頭では分かっているのに、身体の動きは鈍かった。自分を狙った機関砲弾、それに続いて来るはずのF-22に照準を定めようとレイジングハートを向けるも、反転した頃には敵機の姿ははるか上空へ。療養と言う名の惰眠を貪っていた少女は、明らかに低下した技量に苛立ちを隠せなかった。
ただ、決して自分の行動は無駄ではなかったらしい。青空を駆け上っていくリボン付きのF-22、その行く先に迫る、同じくリボン付きの荒鷲。ティアナのF-15ACTIVEだ。図らずも、なのはは敵機をティアナの元に誘導したことになる。
敵機――そうだ、あれは敵機。リボンを付けているが、違う。かつての味方、かつての戦友ではない。
自らに言い聞かせて、なのはは手中の相棒に問う。まだやれるね? 私も、レイジングハートも。
<<All lights>>
「いい返事。じゃ、行こう」
カートリッジを一発ロード。金色の杖が機械的な音を鳴らし、魔力を一気に高めていく。溢れ出る魔法の力、なのははそれを機動に注ぎ込んだ。
すっと息を吸い込み、急加速。どっとバリアジャケット越しに強い衝撃があって、少女は桜色の閃光となった。上空で激しく絡み合う鋼鉄の翼に向けて接近、不意打ちを狙う。
青のキャンパスを背景に、複雑に螺旋を描く二つのリボン。互いに追い追われながらのブレイク&シザース、その背後から桜色の閃光が迫ってきた。
この距離なら――自身を覆う閃光、その向こうになのはは、リボンを描いたF-22を見出した。レイジングハートを突き出して、敵機を狙う。ティアナのF-15ACTIVEはF-22に追われつつも彼女の意図を察し、一時的に水平飛行に。動きの止まった荒鷲を仕留めようと、猛禽類が狙いを定めようとする。
「そこ!」
掛け声と共に、レイジングハートが詠唱代行。一瞬で桜色の魔力弾が浮かび上がり、敵機に向けて飛び掛った。アクセルシューター、一発一発のダメージは得意の砲撃魔法と比べるべくもないが、数で補えばいい。
無数に迫る文字通り魔法の弾丸を見て取ったのか、F-22はティアナへの追撃を中止。機首を跳ね上げ、右に左に高速横転。桜色の弾丸が、制空迷彩の主翼を掠め飛ぶ。大気を切り裂くように鋭い機動の連続、しかしいつまで続くか。いずれ猛禽類は、アクセルシューターを食らうことになるだろう。観念したのか、F-22は一度動きを止めた。魔法の弾丸が質量兵器に殺到する。
瞬間、F-22は尾翼の付け根から何かをばら撒いた。フレアかと思ったが、違うとなのはは考えた。魔力弾相手に偽の赤外線を撒いてどうなるのだ。
ふっと、突然猛禽類に迫っていた魔力弾が姿を消していった。途端に、レイジングハートが警告を発する。
「え、何――きゃあ!?」
悲鳴を上げてしまった。相棒の発した警告、その意味を掴む前に突然、身体が重力に引かれた。高度を落とす桜色の閃光、F-22は悠々と飛び去っていく。
<<Warning,AMF>>
AMFだって? そんな馬鹿な――落ちる身体を必死に制御しながら、しかしなのはは現実を思い知らされた。足元に展開させたアクセル・フィン、魔法の翼が消えかかっている。
やむを得ず、カートリッジをロード。低下した魔力を爆発的な増量で補い、姿勢制御。どうにか落下を食い止めて、彼女は首を上げた。飛び去った敵機は、再びティアナと激しいダンスを繰り広げていた。まるで見物でもしてろ、と言わんばかりに。
不愉快な感覚に奥歯を噛み鳴らし、なのははもう一度上昇する。どうやらAMF、JS事変で多用された魔力を奪う厄介な代物をばら撒かれたらしい。となれば、あのF-22は最初から対魔導師を念頭に置いて改修されたのか。
<<なのはさん!>>
はっとなって、なのはは顔を見上げる。絡み合う二つのリボン、その片方からの念話だった。
<<このままじゃ埒が明きません、一発デカいの撃って下さい!>>
<<でも、そんなことしたら>>
ティアナの提案に、かつてのエースオブエースは躊躇した。砲撃魔法を叩き込むのは簡単だ。だが、果たして今の自分に出来るだろうか? 至近距離で後ろを奪い合う猛禽類と荒鷲、その片方にだけ綺麗に追い払うことが。と言って、アクセルシューターのような誘導制御付きの魔力弾はどれも威力に欠ける。AMFを搭載しているならば、途中で掻き消させれる恐れだってあった。
<<ご心配なく。当たっても恨みはしません>>
――少し、カチンと来た。ティアナは当てられてもしょうがない、そういう風に考えているのか。そこまで自分の腕は鈍っているのか?
いいよ、そこまで言うなら。結果的に背中を押され、なのははレイジングハートを構えた。カートリッジを二発ロード、AMFに負けないほどに魔力量を高める。術式展開、詠唱開始。得意の砲撃魔法、その矛先を天へと向ける。狙うはF-22ラプター、鋼鉄の猛禽類。
<<Divine Buster Extension>>
「シュート!」
ごう、と大気が唸り声を上げた。大空を引き裂く巨大な桜色の渦は、絡み合う鋼鉄の翼たちへ飛び掛る。
ばっと、二機の戦闘機は絡み合うのをやめた。上昇するF-22、降下するF-15ACTIVE、その間をディバインバスター・エクステンションの閃光が駆け抜けていく。天まで届くような勢いで放たれたそれはAMFに屈するはずもなく、逃げるF-22はより高い高度に避難するほかなかった。
ふぅ、と軽く息を吐いてなのはは視線を走らせる。退避してきたF-15ACTIVEが、翼を左右に振っていた。バンクと言って、助けられた時の感謝の印らしい。
<<で、どうするの?>>
傍らに寄ってきたF-15ACTIVEのコクピットに向け、なのはは念話を飛ばす。これで一応仕切りなおしと言う形になったが、同じように挑んでいてはまたこれの繰り返しになる。
コクピットでティアナが、酸素マスクとヘルメットで覆われた頭を少しの間捻る。そうして何か思いついたのか、ぱっと首を動かし視線をこちらに向けてきた。
<<ちょっと危険な賭けですが……やります?>>
今更危険も何もないよ。
整った顔立ちに不敵な笑みを浮かべて、なのはは頷いた。
エースが再び、動き出す。
まったく、魔導師と言うのは厄介だ。ときどきあんな、常識外れな砲撃をぶちかましてくる。
冷徹なる機械、計算と結果が全てのプログラムが愚痴を溢すとすれば、きっとそう言うだろう。おかげで、楽しいダンスの時間を邪魔されてしまった、とも。
尾翼に描いたリボンのマーク、青みがかかった灰色の制空迷彩。F-22ラプターは、不満げな表情を隠しつつ鋭い急上昇。高度は速度に換えられるし、速度は航空機にとって命と呼ぶほかない。つまり、高度は上げておいて損はない。にも関わらず、彼は迷うように一度、青空の真っ只中で水平飛行に移行する。逃げた敵機と砲撃してきた魔導師を再度捕捉しようと、APG-77レーダーを探知モードに切り替えれば、捉えたものは無数の魔力反応。
どうする?と彼は考えた。魔力反応に向かってミサイルを撃つのは簡単だ。だが、おそらくはあの魔導師の仕業だろう、欺瞞と思しき無数のそれらに向けて撃ったところで、弾薬の無駄になる。視認距離に下りて一個一個確認するか、いや無理だろう。そうしている間に、魔導師は雲の陰から狙い撃ちしてくる。AMFも無限にある訳ではない。
下した結論は、無視。どうせアフターバーナーを点火すれば、魔導師は振り切れる。排除すべきは、あのF-15ACTIVEだ。
まさにその瞬間、APG-77、電子の眼が魔力反応とは別のものを捉えた。航空機と思しき機影が一、高速で接近中。ステルス機のF-22を捉えられたのは、魔導師が探知魔法で位置を特定したか。ともあれ、自ら近付いてくれるのは嬉しいことだ。
F-22は鋼鉄の翼を翻し、上昇してくる機影に真正面から立ち向かう。今度こそ、決着を付けてやる。電子の眼は、引き続きF-15ACTIVEと思われる機影を捉えていた。
――待て、なんだこれは?
APG-77はフェーズドアレイレーダーと言い、この手の電子機器の中では現行最高水準のものである。
その最新鋭の電子の眼が、捉えた機影が二つに"分裂"するのをはっきりと目撃した。続けて三つ、四つと機影は増えていく。
何が起こっている。考えている間に、視認距離に到達。レーダーだけがおかしいのかと思いきや、コクピットに設置された格闘戦用のカメラはしっかり四つに増えたF-15ACTIVEを捉える。混乱する思考、それを置いてけぼりにする形で荒鷲の群れとすれ違う。戸惑いを見せる猛禽類をよそに、四機になったF-15ACTIVEは散開。各々翼の先端から、水蒸気の白い糸を引くほどの旋回でこちらに向かってくる。機動で偽者を判断するのは難しそうだ。
ふと、猛禽類の頭脳はレーダーが捉えた四つの機影に、全て等しく魔力反応があることに気付いた。データ照合、判明、フェイク・シルエット。
なるほど幻術、魔法の一種。あの戦闘機のパイロットは魔導師も兼任していると言うのか。
とは言え、種が見えれば後は簡単だ。F-22は上空から迫る荒鷲に注意しつつ、緩やかに旋回を開始。垂直尾翼の付け根、フレアと共に搭載したAMFの粒子を空中にばら撒いていく。
降下してきたF-15ACTIVE、そのうち三つが陽炎のようにゆらゆらと揺れながら姿を消す。残った一機、こいつが本命だ。化けの皮が剥がれた魔法使いの駆る荒鷲は反転、上昇して逃げを打つ。
下手な小細工をして。逃げに転じたF-15ACTIVEを嘲笑うかのように、F-22も反転上昇、追撃に入る。F119エンジンが唸り声を上げて、アフターバーナー点火。ジェットの炎が空
を焦がし、猛禽類は機首を天に上げた。必中の策だと思っていたのか、フェイク・シルエットのバレたF-15ACTIVEは上下左右にみっともなく機首を揺らすだけ。F-22は相手を機関砲の射程内に収め、照準を合わせようと進路を微調整する。
――警報。警戒システムが、甲高い高音を鳴らして危険だと知らせてくる。いったい何事だとカメラが動き、驚いたように硬直した。
低空にあった、無数の魔力反応。魔導師が欺瞞のためにばら撒いたと思われるそれらは、魔力弾だった。そこまではいい。だが彼にとって予想外だったのは、その魔力弾の群れがどっと、空に向かって一斉に突き上げてきたのだ。まるで、地面から雨が降ってくるような、大地が天に反逆を起こしたような勢いで。
はっとなってカメラを正面に戻せば、こうなることを予測していたF-15ACTIVEはさっさと離脱に入っていた。後を追おうとして、猛禽類は無理だと気付く。
だったら、避けるまでだ。F-22は反転、大地より迫る魔力弾の雨に自ら飛び込んだ。
急降下。重力に引っ張られる形で速度を増したF-22は、その超人的な技量を持って魔力弾を回避、回避、回避。右へロール、左へロール、機首を上げる、下げる。細かく機敏に動き回り、猛禽類はひたすら雨の終わりを待つ。
主翼を掠め飛ぶ魔法の弾丸、それを回避した先に、立ちふさがるはやはり魔力弾。今度はどうやっても、回避出来そうにない――いや、大丈夫だ。まだAMFがある。
垂直尾翼の付け根、まだ開かれていなかったカバーがバチンッと外れ、散布されるAMFの粒子。正面ではなく後方への散布だったが、何とか間に合った。キャノピーの直前にまで迫っていた魔力弾は、ふっと姿を消し去る。
警報システムから連絡、AMFの残量無し。だが支障はない、もう避けきった。大地からの雨は、降り止んだ。
その瞬間、桜色の何かが猛禽類の身体に纏わりついた。
落ち着け。冷静に。クールに。機関砲の残弾は大丈夫か? 燃料は? 高度は? 速度は?
酸素をたっぷり吸って、浮かび上がってきた疑問に一つ一つ、答えを出していく。機関砲、まだ二〇〇発ある。燃料、帰りの分はある。速度、五〇〇ノット。
操縦桿を捻って、ティアナは愛機をハーフロールさせる。上下逆さまになった視界、その中で首を上げれば、眼下にいるのは桜色の縄で縛り付けられた哀れな猛禽類。
<<ティアナ……長くは持たない、早く!>>
低空から大量に放たれた魔力弾。それらに紛れる形で、なのはは上空に舞い戻り、F-22の真下に潜り込んでいた。いかにAPG-77と言えど、真下までは映せない。そうしてバインドを仕掛けた。いくら"リボン付き"と言えど、動きを止められれば。
とは言え、無数の魔力弾を発生させて待機の後、一斉に撃ち上げるのは消耗も凄まじい。なのはの仕掛けたバインドは、今にも千切れそうだった。
事情はティアナも同じだ。戦闘機に乗ったまま、フェイクシルエットを三つも生み出して自分と同じ機動をさせる。同じ手は二度も使えないし、通用しまい。
ぐっと操縦桿を引き、降下開始。重力に引かれる形で速度を増しつつ、荒鷲は動きの封じられたF-22に突撃を敢行する。
高度三万フィートから、ほとんど垂直同然の角度でダイヴ。怖くないなんて嘘だが、それ以上に闘志の炎が一気に燃え広がっていた。
<<RDY GUN>>
火器管制担当、クロスミラージュから機関砲はいつでも撃てると連絡。頷き、ティアナは眼下に迫るF-22を睨んだ。バインドをかけられた猛禽類は諦めることなく、アフターバー
ナー点火。魔法の縄が、一本、二本と千切れ飛んでいく。
機関砲の照準を、F-22に合わせる。コクピットは駄目だ、こいつは捕獲したい。胴体も燃料に引火する恐れがある。ではどこがいい。
――そうだ、エンジンノズル。
わずかに操縦桿を倒し、照準をずらす。魔法で視覚強化された彼女の瞳は、確かに照準が全ての航空機にとって心臓に値する部分、赤いジェットの炎を撒き散らすエンジンノズルを捉えていた。瞬きも出来ない緊張感、神経だけが研ぎ澄まされていく。
機関砲の引き金に指をかける――瞬間、身体がぶるっと震えた。
本当にそこだけ綺麗に当てられるのか? 誰かが、疑問を問いかけてきた。ちょっとズレれば木っ端微塵の可能性があるんだぞ?
だから何よ。きっと、ティアナは迫るF-22を睨んだ。否、本当に睨んだのは敵機ではなく、その向こう。臆病な自分。
躊躇する自分の背中を押したのは、他ならぬ自分自身だった。
撃て、ティアナ・ランスター!
誰かが叫ぶ。それは、自分の声だった。
機関砲が、唸り声を上げた。空を切ってばかりだった赤い曳光弾は今度こそ、目標を捉える。甲高い金属音が鳴り響き、F-22の胴体後部で金属片がパラパラと飛び散るのが見えた。
当たった。確信を抱いたまま、結果を見届けることなく、ティアナのF-15ACTIVEは敵機とすれ違っていった。操縦桿を引いて機首を持ち上げ、振り返る。
<<やった……やったよ、ティアナ! 敵機エンジン停止!>>
心臓を射抜かれた猛禽類が、青空のど真ん中で桜色の蜘蛛の巣に引っかかったように静止していた。自爆の様子は、今のところない。
酸素マスクを外し、ようやくティアナは緊張感から解き放たれる。なのはも同様らしく、崩れかけたバインドを補強しつつも疲れたような笑みを浮かべていた。
それでも、勝利は勝利だ。
ジェットの轟音が轟いていたミッドの空は、ようやく落ち着きを取り戻そうとしていた。
最終更新:2009年09月11日 15:54