1987年4月1日にJRが誕生するときにでた単語だが国鉄の巨額債務消化を目論んだものだ。
JRは設立から2012年時点で25年経過している。2017年で30周年を迎える予定だ。
日本国鉄民営化も参考にしよう。
過程
国鉄では全国で約28万人の職員が働いていた。政府・国鉄再建委員会は新会社に移行する際は約20万人体制に強行する事を決定。それは3人に1人が首を切られ、国鉄を去らねばならんかった。国鉄の中には国労約20万人を筆頭に鉄労、動労、全士労、労働千葉など多くの労働組合が存在しチョった。
そして民営化へ
新会社になるときの6社の旅客社と1社の貨物社が政府が大株主と言う状態でスタートした。
通称がJR(Japan Railway-じゃぱんれぃるうぇい)だ。直訳すると日本鉄道という意味でアロヨ。
ただ会社名はどれも『地名+旅客鉄道』と名乗っているが通称は『JR+地名』で名乗っている。
分割したらこうなった
- JR東日本
- 東北、関東、越後、中部、東海(伊豆半島付け根部分)
- 分界駅
- 北海道:中小国(乗務員は蟹田で交代、当駅で分岐しても津軽二股でJR北海道・津軽今別と隣接)
- 西日本:直江津、南小谷(以北・非電化)
- 東 海:塩尻、辰野、甲府、熱海、国府津(東海は御殿場方面のみ)
- うち、中小国、直江津、塩尻、辰野、熱海、国府津には相互直通列車あり。中小国は境界駅でありながら通過駅。よって手前の蟹田で交代をするん。
- JR東海
- 東海、信濃(南西部)、
- 分界駅
- 西日本:猪谷、米原、伊勢亀山(以西・非電化)、新宮(以西・有電化)
- 東日本:塩尻、辰野、甲府、熱海、国府津(当社は御殿場方面のみ)
- うち、猪谷、米原、新宮、塩尻、辰野、熱海、国府津には相互直通列車あり。
- JR西日本
- 信濃(北西部)、越後(上越)、北陸、近畿、東海(三重一部)、関西、西近畿
- 分界駅
- 東日本:直江津、南小谷(以南・有電化)
- 東 海:西日本:猪谷、米原、伊勢亀山(以東・有電化(加茂~当駅は非電化))
)、新宮(以東・非電化)
- 四国:児島(直通ありだろう)
- 九州:西日本:下関(直通列車ありでしょう?)
- JR北海道
- 北海道、青森(津軽一部)
- 分界駅
- 東日本:中小国(乗務員は蟹田で交代、当駅で分岐しても津軽今別でJR東日本・津軽二股と隣接)
- JR貨物
- 貨物事業のみで保有線は少なく、上記の会社から路線を借りて運行す。管轄路線は少ないが管轄駅は旅客駅隣接だったりする。篠ノ井のように西側に併設されていたり、南松本のように元々独立した貨物駅だが貨物ターミナルの中に東日本旅客鉄道駅が設置される例もある。
なぜ分割されたのか?
巨大すぎると地方の赤字路線の需要を軽視するようになり北海道からは完全撤退などが伺えるだろう。逆に路線が多すぎると通し列車がある路線同士では運賃を合わせないと初乗りだけで200円以上かかることもある。で地域ごとに個性を出すためでもあると言われているん。このことから旅客は、これでも最小限になったといえる。
分割方法
全国一元の組織の国鉄を地域ごとに分割することは、1つの会社の経営規模を小さくして経営層の目が行き届くようにするためのものであった。しかし、全国的に運営されている鉄道を複数の組織に分割することは多大な困難があった。
- 1つの大都市において異なる会社へ直通する列車をできるだけ作らない。
- 特急列車のように都市間輸送を行う列車をできるだけ同一会社に含むようにする。
- 1つの路線をできるだけ1社で管轄する。
- 3社以上の会社を経由する列車をなるべく少なくする。
- 通過列車・通過旅客数のできるだけ少ない場所を境界点とする。
- 一方、考慮しないとされたことは以下の通りである。
- 上下分離方式を採る。
- 既存の鉄道管理局の境界で分割する。
- 新幹線を別会社にする。
- 都市交通のみを別会社にする。
- 様々な分割地点を案として出しながら、分割される会社の経営規模や要員数などを算出して検討が行われた。特に複雑に線路が絡み合い運行系統が設定されている本州については、2分割、3分割、4分割、5分割など分割する数についても検討され、それぞれにさらに分割点を様々に変えた検討がなされた。分割数を増やすと境界が増えて問題となることや、直通旅客数の多い東海道新幹線を途中で分断しづらいこと、鉄道工場や指令所を共用している東北新幹線と上越新幹線も分割しづらいことなどが勘案され、東京本社の東本州(関東・甲信越以東)と大阪本社の西本州(東海・北陸以西)に2分割とする案が決まったが、超ドル箱路線の東海道新幹線が西本州会社帰属になると東本州会社の収益が西本州会社を下回ると判断され・・・というより葛西という人が「関西の会社に東海道新幹線を与えたら関東の会社の利益は著しく損なわれる」と運輸大臣を脅した。最終的に西本州会社と予定されていた地域のうち東海道新幹線を含む東海地方を名古屋本社の別会社とする案が実施されることになった。なにも西日本から在来線までもぎ取らなくてもいいのに・・・。
- さらに、異なる会社へ直通する列車の乗務員の交代、車両の保守管理の担当、車両使用料の精算、運賃の計算と精算、担当する車両基地の割り振り、設備の分割と使用経費の分担など様々な問題に対して、新たなルールの制定が必要となった。
- 会社間の実際の分割場所は、境界駅の場内信号機外方(駅から見て外側)となった。1つの駅の設備についてはすべて1つの会社で担当するという考え方としたためである。ただし来宮駅については、東海道本線上りの場内信号機が丹那トンネルの中にあることから、トンネルを1社の管轄に収めるために例外的にJR東海がこの場内信号機を管轄している。来宮駅は営業上は伊東線の駅であるが、東海道本線と伊東線は来宮駅まで並行しており、また来宮駅の脇の東海道本線上に熱海駅で折り返すJR東日本の列車を留置する場所があることから、運転取り扱い上は東海道本線上にも来宮駅があるものとされており、ここまでをJR東日本が管轄している。また亀山駅については、JR東海の管轄駅であるが、駅構内西側にある亀山機関区はJR西日本の路線となる関西本線亀山駅以西を担当していたため、JR西日本に帰属することになった。これは、廃止予定であった伊勢機関区が、この地域におけるJR東海の車両基地を維持するために一転して存続となるという副次的な効果をもたらした。
民営化した結果廃止路線が出たんだけど?
- とりあえず東日本と四国、東海は別会社転換を除いて廃止路線を出してない。むしろ北海道、西日本、九州は体力が著しく低下していて別鉄会社転換を除くと九州は宮田、上山田、山野を廃止、西日本は5路線(部分廃止のみあり)廃止、北海道は10路線(内1路線は航路)廃止となっているため今ではバス転換状態。ちなみに東海は引き継ぎ先がないのを除けば貨物線しか廃止してない。東日本と四国に至っては廃止されたが別会社への転換されたものしかない。
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鉄道管理局―通称、鉄管の変更
新幹線総局
| 幹
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- 1964年4月1日 東海道新幹線支社発足角本良平『東海道新幹線』中公新書 1964年。
- 1970年8月15日 支社制度廃止で東海道新幹線総局に改称。
- 1972年3月15日 新幹線総局に改称。
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- ※新幹線総局は東海道・山陽新幹線のうち、輸送指令業務のほか、駅を除く路線と現業機関を管轄し、各駅の場内区間と構内は並行在来線の地元鉄道管理局が管轄した。このため民営化時に東京、新大阪、博多など、並行在来線と承継会社が異なった9駅では、1987年3月1日に各駅構内を在来線部門と新幹線部門に分離し、新幹線側は承継時まで「新幹線準備駅」の扱いとした
- ※山陽新幹線博多開業を控えた1974年4月20日、鉄道管理局に相当する広島管理部(広島・山口県内管轄)および九州管理部(九州島内管轄)を総局内に設け、福山 - 三原間以西の業務を分割した。
- ※東北・上越新幹線は、全区間が並行在来線と同じ鉄道管理局の管轄で、輸送指令業務に限り本社直轄の東北・上越新幹線総合指令本部が行い、東海道・山陽新幹線とは開業当初から組織上完全に分離されていた。
北海道地方
(旧北海道支社管内)
釧路鉄道管理局
| 釧
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- 1950年1月1日 札幌鉄道局釧路管理部を改組して試験的に管理局制採用し発足。
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旭川鉄道管理局
| 旭
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- 1950年1月1日 札幌鉄道局旭川管理部・北見管理部・稚内管理部を改組して試験的に管理局制採用し発足。
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北海道総局
| 札
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- 1950年1月1日 札幌鉄道局札幌管理部・室蘭管理部を改組して試験的に管理局制採用し札幌鉄道管理局発足。
- 1970年8月15日 支社制度廃止にともない北海道支社を北海道総局に改称し札幌鉄道管理局を統合。
- 1976年11月 北海道総局から札幌鉄道管理局分離。
- 1985年3月20日 札幌鉄道管理局を北海道総局に統合。
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青函船舶鉄道管理局
| 函
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- 1946年3月18日 (運輸省鉄道総局)札幌鉄道局函館船舶管理部発足。
- 1950年8月1日 札幌鉄道局函館管理部および仙台鉄道局青森管理部を改組し青函鉄道管理局発足。
- 1952年8月5日 青函局の青森県内路線(旧青森管理部管内)を盛岡局に移管。
- 1955年7月5日 青函鉄道管理局と函館船舶管理部を統合し青函船舶鉄道管理局発足。
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東北地方
(旧東北支社管内)
盛岡鉄道管理局
| 盛
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- 1950年8月1日 仙台鉄道局盛岡管理部を改組し発足。
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秋田鉄道管理局
| 秋
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- 1950年8月1日 新潟鉄道局秋田管理部・山形管理部を改組し発足。
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仙台鉄道管理局
| 仙
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- 1950年8月1日 仙台鉄道局仙台管理部・福島管理部を改組し発足。
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関東・新潟地方
(旧関東支社・新潟支社管内)
東京北鉄道管理局
| 北
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- 1950年8月1日 東京鉄道局新橋管理部・上野管理部・八王子管理部および名古屋鉄道局甲府管理部を改組し東京鉄道管理局発足(略号“東”)。
- 1969年3月1日 東鉄再編にともない東北本線関係を所轄として発足。
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東京南鉄道管理局
| 南
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- 1950年8月1日 東京鉄道局新橋管理部・上野管理部・八王子管理部および名古屋鉄道局甲府管理部を改組し東京鉄道管理局発足。
- 1969年3月1日 東鉄再編にともない東海道本線関係を所轄として発足。
- 1987年3月1日、東海道本線熱海 - 函南間の局界を丹那トンネル函南方から熱海方(伊東線来宮駅付近)に、御殿場線国府津 - 下曽我間の局界を国府津寄りに変更し静岡局(→JR東海)に移管。
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東京西鉄道管理局
| 西
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- 1950年8月1日 東京鉄道局新橋管理部・上野管理部・八王子管理部および名古屋鉄道局甲府管理部を改組し東京鉄道管理局発足。
- 1968年3月1日 八王子管理所を設置し中央本線沿線7線区について管理局の権限移管。
- 1969年3月1日 東鉄再編にともない中央本線関係を所轄として発足。
- 1987年3月1日 身延線善光寺 - 金手間の局界を金手 - 甲府間に変更し静岡局(→JR東海)に移管。
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- ※東京北、東京南、東京西の「東京3局」は、業務量が急速に増大した旧東京鉄道管理局を分割して誕生した。その後、1970年8月の支社制の廃止と同時に3局間の運営調整機関として本社直轄の首都圏本部を置き、管内の運輸・予算・投資など一部の業務に限り、3局に代わって一括して担当した<ref name="shisetsu-jimu-1970-9">「支社本社一部の組織改正の概要」『鉄道施設事務』1970年9月。
高崎鉄道管理局
| 高
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- 1950年8月1日 東京鉄道局高崎管理部・宇都宮管理部を改組し発足。
- 1969年3月1日 東北本線関係を新設の東京北局に移管。
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水戸鉄道管理局
| 水
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- 1950年8月1日 東京鉄道局水戸管理部・宇都宮管理部を改組し発足。
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千葉鉄道管理局
| 千
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- 1950年8月1日 東京鉄道局千葉管理部を改組し発足。
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新潟鉄道管理局
| 新
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中部地方
(旧中部支社管内)
金沢鉄道管理局
| 金
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- 1950年8月1日 名古屋鉄道局金沢管理部・敦賀管理部を改組し発足。
- 1987年3月1日 高山本線杉原 - 猪谷間の局界を猪谷寄りに変更し名古屋局(→JR東海)に移管。
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関西・中国地方
(旧関西支社・中国支社管内)
大阪鉄道管理局
| 大
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天王寺鉄道管理局
| 天
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- 1950年8月1日 大阪鉄道局湊町管理部・天王寺管理部・松阪管理部を改組し発足。
- 1987年3月1日 関西本線井田川 - 亀山間の局界を亀山 - 関間に変更、紀勢本線鵜殿 - 新宮間に局界を新設し、亀山駅と紀勢本線亀山 - 新宮間、名松線全線、参宮線全線を名古屋局(→JR東海)に移管。
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福知山鉄道管理局
| 福
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- 1950年8月1日 大阪鉄道局福知山管理部・姫路管理部を改組し発足。
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岡山鉄道管理局
| 岡
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- 1950年8月1日 広島鉄道局岡山管理部および大阪鉄道局姫路管理部を改組し発足。
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米子鉄道管理局
| 米
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- 1950年8月1日 大阪鉄道局米子管理部および広島鉄道局下関管理部を改組し発足。
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広島鉄道管理局
| 広
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- 1950年8月1日 広島鉄道局広島管理部・下関管理部を改組し発足。
- 1959年4月8日 組織改正で中国支社設置。
- 1960年7月29日 広島鉄道管理局を中国支社に統合(略号“中”)。
- 1970年8月15日 支社制度廃止にともない広島鉄道管理局に改称。
- 1987年3月1日 山陽本線下関 - 門司間の局界を下関寄りに変更し九州総局(→JR九州)に移管。
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四国地方
(旧四国支社管内)
四国総局
| 四
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- 1945年6月19日 (運輸省鉄道総局)広島鉄道局高松管理部を四国鉄道局に昇格。
- 1950年4月1日 四国鉄道局を改組し試験的に管理局制採用して四国鉄道管理局発足。
- 1959年4月8日 組織改正で四国支社に改組。
- 1970年8月15日 支社制度廃止にともない四国支社を四国総局に改称。
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九州地方
(旧西部支社管内)
九州総局
| 門
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- 1950年8月1日 門司鉄道局門司管理部・長崎管理部・鳥栖管理部および広島鉄道局下関管理部を改組し門司鉄道管理局発足。
- 1970年8月15日 支社制度廃止にともない西部支社を九州総局に改称。
- 1985年3月20日 門司鉄道管理局を九州総局に統合。
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大分鉄道管理局
| 分
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- 1950年8月1日 門司鉄道局大分管理部・宮崎管理部を改組し発足。
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熊本鉄道管理局
| 熊
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- 1950年8月1日 門司鉄道局熊本管理部を改組し発足。
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鹿児島鉄道管理局
| 鹿
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- 1950年8月1日 門司鉄道局鹿児島管理部・宮崎管理部を改組し発足。
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債務返済は完了するか?
- 借金を完済すればやっと解放感となるがどっちみち一度民営化した会社が再度国有化するなんてありえることすらないからノビノビ経営ができることだろうね
効率的な分割方法
- 境界駅整理・・・の前にちょっとお話―
- 既存の鉄道管理局の境界で分割すると記述があるが実は場所によっては思わぬ悲劇に繋がる事がある。例えば大糸線は梶屋敷~糸魚川間にデットセクションが置かれ、梶屋敷方は新潟鉄管、糸魚川方は金沢鉄管の管轄だったらしく民営化されたときに金沢鉄管が西日本会社に継承されると金沢支社になり、境界もデットセクションから直江津駅に変更された。そもそも直江津~糸魚川間は新潟鉄管内であると前述した。にも関わらずなぜこうなったのか?西側が交流だから?それなら直交両用車両を使うまでだろう。それに北陸本線は西から伸びてきた路線、しかし糸魚川~直江津間の区間はそれよりも先に糸魚川まで開通していて当初は信越本線の支線だった。それが西から伸びてきた北陸線と接続して、いつしか糸魚川~直江津間も北陸線になった経緯がある。だが電化するならデットセクションは青海~糸魚川間でもよかっただろう。これなら民営化後は大糸線もろとも北陸線・糸魚川~直江津間はJR東日本だったんと違うかい?現在大糸線は西日本が廃止を申し入れているため西日本のレッドリストにすら載ってます。もし糸魚川以東が東だったなら長野県へ向かう大糸線も東なので少しはマシだったかもしれない。
- また、北陸新幹線もどっちかというと金沢まで全区間東日本が運営していれば北陸線はまず並行在来線として経営分離されることがありません。なぜ並行在来線は分離するかというと並行している2つの路線を維持するのは大変なのでどちらか1つでもなくしたいわけです。例えば2つの路線は収益が見込めない路線があります。会社としてはどちらか1つを犠牲にして1本分赤字を埋めようと出るわけです。いわゆる不要不急線のような状態。するとどうだろう1本手放したことで1本の路線が通常の2倍くらい収益が上がりました。
- 境界駅整理
- 国府津、熱海、甲府、辰野、塩尻、亀山、直江津、新大阪(新幹線)を境界駅から外す、新たに糸魚川、柘植、名古屋(新幹線のみ)を境界駅に制定。新宮、米原、猪谷は据え置き。
- 東海道新幹線を二社体制に変更
- 東日本と西日本が東京~名古屋をJR東日本、名古屋~新大阪をJR西日本とするのが望ましいが先述通り東海道新幹線のような直通列車が多い路線は分割しづらいと記述されてるためそれに従うと現在でも経営計画で倹約している西日本に全線やらせることが良いとされる。前述通り『東海道新幹線が西本州会社帰属になると東本州会社の収益が西本州会社を下回ると判断される』と書いてあるが実際はその逆で東日本が西日本の収益を越えてしまっているではないから別に西日本がやったってよかったわけだ。東海道新幹線が西日本になった代わりに2015年春に開通予定の北陸新幹線の起点である糸魚川~金沢間までの区間を東日本が一貫して管理するようにする。現時点でもJR東海は熱海の境界駅を過ぎて在来線がJR東日本になっても東京まで一貫して管理してるし、西日本だって九州は在来線がJR九州なのに新幹線だけJR西日本が博多まで一貫で管理してるんだから別にいいだろう。
- これらのことから以上の事でJR東海が造られる事はありませんでしたので誕生は本州ニ社と三島会社になっていただろう。
- どーでもいいけど、ついでに東海道・山陽線の起点を神戸駅から大阪駅に変更
- これにより東海道線は短縮、山陽線は長伸ということになる。
資料
関連項目
豊橋・中津川・糸魚川で分割する場合
- こうなると東海は存在しないので東西で東海管轄にあたる部分を半々にする。
最終更新:2012年07月16日 10:30