「おじさん、おばさん、 ……ご無沙汰してます」
日本海に面した小高い丘の斜面……そこにある寺の小さな霊園に、比呂美の両親の墓は立てられていた。
……この場所を訪れるのは久しぶりだった。
ここに来たのは火葬の後、納骨に立ち会った時と、昨年の三回忌法要の時だけ。
普通に墓参りをしたことは、一度も無い。
不義理をしていた訳はいくつかあるが、一番の理由は、あの時の比呂美だ。
漆黒のワンピースを着て泣き崩れ、背中を震わせる姿が頭に浮かびそうで……怖かった。
いや、その不安に泣き濡れる肩を抱くことが出来なかった、情けない自分を思い出したくなかったのかもしれない。
……でも、今は……
…………
「お線香、忘れちゃいました。……すいません」
乏しい財布の中身に相応しい小さな花だけを供え、膝をついて手を合わせる。
そして瞼を閉じ、眞一郎は心の中で、比呂美との間にあったことを二人に報告した。
天国にいるおじさんとおばさんは、多分、自分と比呂美が愛を確かめ合ったことを知っている。
『そういうこと』を親に…それも相手の親に報告するのはどうなんだ?と思わないでもない。
だが、心の中で嘘をつくなんて器用な真似は出来ないし、したくもないので、眞一郎は小賢しい言い訳は考えなかった。
…………
…………怒っている…と思う…………
二人の大切な宝物を、勝手に自分のものにしてしまったのだから…… 腹を立てるのが当然だ。
もし、おじさんが生きていたのなら、顔の形を変えられても文句を言える筋ではない。
(でも俺、謝りません)
自分を睨みつけているだろう二人の魂に、眞一郎は胸の中でキッパリと告げた。
……謝罪とは『過ち』を認める行為…… しかし、自分と比呂美の愛は、絶対に『過ち』などではない。
まだ早い、と責められれば抗弁できないが、『謝る』ことは違うのではないかと、眞一郎には思えた。
(お二人にどんなに叱られても……謝りません。 ……俺たち……愛し合ってますから)
そうだ……自分と比呂美は愛し合っている……
……それだけは……胸を張っておじさんとおばさんに言うことが出来る、揺ぎ無い事実だった。
しかし、微かな記憶を頼りに思い浮かべた二人の顔は、『大丈夫なのか』と自分を責め立てる。
私たちの大事な比呂美を、本当に君は守ることが出来るのか?と問い詰めてくる。
……その表情の中に、自分たちが比呂美の側にいられない苦しみを織り込みながら……
…………
(まだ、許してもらえないのは分かってます)
「比呂美をください」と見栄を切れるような……そんな立派な大人に……自分はまだ成れていない。
でも、いつか必ずおじさんとおばさんに認められる男になって、比呂美を守る。
おじさんとおばさんが遣り残した分まで……幸せにしてみせる。
……いつか…必ず…………
…………
「だから、もう少し待っててください」
最後の願いは、口から音になって飛び出してしまった。
自分と二人の他には誰もいないのだから、別にいいかと思い、立ち上がって墓石に一礼する。
そして踵を返し、来た道を戻ろうとした瞬間、視線の先に見知った人影を見つけて、思わず眞一郎は脚を止めた。
「珍しいな。お前一人か」
「……父さん」
近づいてくる父は自分と違い、手桶と柄杓、線香と花をちゃんと用意していた。
月命日でもないのにどうして?と問う自分の横を抜け、父は墓石に水を掛け始める。
一緒に出掛けたはずの母が見当たらないので聞いてみると、本堂でご住職に挨拶している、という答えが返ってきた。
「得意先回りの帰りなんだが……母さんがな……」
「母さんが?」
取引先への挨拶が終わり、家へと向かっていた
帰り道、母は急に「お墓参りがしたい」と言い出したそうだ。
……母も自分同様、この場所を訪れた事は殆ど無い。
昨年の三回忌法要ですら、『自分には資格が無い』といって裏方に徹し、墓前には顔を出さなかった。
……その母が、一体どうして?……
…………
「『今朝の比呂美の顔を見たら、なんだか二人に会いたくなった』……そうだ」
……嬉しいのだろうか。 火を点けた線香の束を軽く振りながら、父は柔らかな笑みを浮かべている。
「……なんだよ、それ」
ぶっきら棒に返したものの、眞一郎にはその一言で、母の心境が変化した理由が……何となく分かった様な気がした。
最近の母と比呂美は、一時期の確執が嘘のように、女同士で通じ合うモノを見せる時がある。
自分よりも比呂美の方が母に似ているな、と感じる瞬間さえ、たまにだがあるのだ。
『母親』としての直感が、自分との繋がりで変わった比呂美の様子を、敏感に感じ取らせたのかもしれない。
そしてその事を……おばさんに知らせたくなった……のかもしれない。
母とおばさん、そして比呂美…… 男の自分には分からない感覚を、女たちは共有している……
確かめようの無いことだが、眞一郎にはなぜか、そんな風に思えた。
…………
…………
「お前の話は何だったんだ?」
「……え……」
自分たちの分の花を飾り終え、父は視線をこちらに向けると、そう訊いてきた。
正直に話すわけにはいかないので、「比呂美のことを…ちょっとね」とだけ言って誤魔化す。
息子の胸中を知ってか知らずか、父は「そうか」とだけ呟き、内容を深く追求してくることはなかった。
「……それじゃあ、俺、先に行くよ」
再び踵を返して、眞一郎は墓前を離れようとする。
すぐ側にある石段に脚が掛かった時、「眞一郎」と息子を呼び止める父の声が、さざ波のように届いた。
「…………?」
返事をせず振り向いた眞一郎に、父は墓前で手を合わせたまま……『親友の思い』を代弁する。