―――3月29日 午後5:00 鹿児島県薩摩半島南東部“池田湖”
池田湖。
この鹿児島県の薩摩半島の南東部にあるこの湖は、直径約3.5km、周囲約15kmであり、このほぼ円形のカルデラ湖―――火山活動によって出来た大きな窪地に水がたまる事によって出来る湖―――は、九州最大の湖である。
約5500年前、阿多カルデラに関連した火山活動があり、合計約5km3の軽石や火山灰を噴出。噴出物の抜けた後に地面が落ち込むことによって池田カルデラが形成され、カルデラの底に雨水が溜まる事によって、この湖が形成された。
ほぼ同時期に数々の地形も形成されており、これらの噴火口群とともに池田山川として活火山に指定されている。
池田湖は開聞岳の活動と連動して形成されたという俗説があるが、両者の活動時期には1000年以上の時間差があり、池田カルデラの大きさに見合う火山噴出物―――池田湖テフラ―――が周辺の地層に残されていることなどから、直接的な因果関係はないとされている。
1929年、昭和4年の観測では透明度26.8mと当時世界第7位であったが、後に生活排水や工業廃水の流入などによって汚染が進み、昭和58年には赤潮が発生するに至った。この為「池田湖ブルー化計画」が策定され、水質改善の活動が進められている。
そんな経歴のあるこの湖が眺められる場所に、緑色の巨人が姿を変えた少年が歩いていた。
胸部にニュースペーパーのような模様が刻まれた水色の上着を着用し、紺色のジーパンを着用。そして、白と黒のスニーカーを履いており、胸には青い真珠のような石が付いている神秘的なペンダントをしている。
少年は夕日が見える中で、其処から池田湖を眺めながらもこう呟く。
「―――あいツ………絶対ニ見つけル」
後、少年の居る右後ろから、子供が泣く声が聞こえて来る。その方向に少年は向くと、其処には、幼稚園児くらいの女の子がベンチに座ってウサギの縫い包みを大事に抱えて泣いていた。
しかも、その縫い包みは片腕を失っている。
「どウ―――しタの………?」
少年はそう言いつつも、ベンチの女の子に近づく。
「えぐっ……ううっ、えぐッ………ウサちゃんが、ボロボロのままなの。パパや……ママに直してって………言っても、直してくれないの………うッ、えぐッ」
女の子は泣きながらその縫い包みを少年に見せる。彼はその縫い包みを手にとり、悲しそうな目で見ながらも、右手の人差し指でそれに優しく触れる。
そして少年は目を瞑り、縫い包みは宙に浮かび上がる。後に少年は両手に力を入れ、彼のペンダントの石が光った。その直後に縫い包みの傷ついた個所を黄金の光の粒子が包み、次々と傷ついた個所を修復していく。
失った片腕が存在してあった個所にも光の粒子が集中し、次々とその縫い包みの腕の形を作っていく。その光景に女の子は目を丸くし、現在の状況に置かれている自分の縫い包みに視線を集中する。
やがて、それは完全に修復を終え、少年の手に戻る。
「これデ………もウ大丈夫。」
少年はそう言って、直った縫いぐるみを女の子に返す。後、女の子はそれに対して喜びながらも、その縫い包みを抱く。
「有り難う、お兄ちゃん! お兄ちゃん、魔法が使えるんだ………。」
「魔法………?」
少年は難しい表情をしつつも、自分の両手のひらを見る。どうやら彼は、自分が今やった力の事をそう呼ぶのかと考えているのだろう。
「あたし……もう帰らなきゃ、ママが心配する。」
女の子はベンチから立ち上がり、その直後に少年を見上げる。
「さようなら、お兄ちゃん。ウサちゃんを直してくれて、有り難う!」
女の子はそう言い残しながらも少年に礼をし、走ってこの場を去った。
少年も笑顔で右手を振り、それに対応する。
しかし、少年はこの後、体力が急激に減ったかのように愕然となり、ふら付いた状態でこの場を去る。それには無理も無かった。彼はこの地に降り立った時から、あまり何も食べず、今日まで池田湖を此処から監視していたのだ。
異星から来た宇宙人と言えども、彼は少年。体力にも限度はある。
呼吸音を激しくし、ふら付きが酷いその脚は、道路の真ん中で止まり、少年はその場で倒れる。
次の瞬間である。
少年が倒れているその道路に普通自動車が接近、運転している女性はそれに気づき、直に急ブレーキをかけ、車は少年の前で止まる。
運転していた女性は直に車から降り、少年に近づく。
「ち、ちょっとボク、大丈夫!? しっかりして!」
女性はそう言いつつも少年を抱え、揺さぶる。
後に少年は目を半分開いた状態で女性を見る。
「ボク………何も、食べテ……なイかラ………。」
少年は自分で立ち上がろうと手に力を入れる。
が、しかし……
「無理しちゃダメ。何も食べてないんでしょ!? アタシ、勤め先が観光ホテルだから、其処へ連れてってあげる!」
女性は体力の限界が近い少年を連れて車に載せ、後ろの座席に座らせる。
勿論自分は運転席に戻る。
少年の隣には、買い物袋があった。おそらく、彼女は上司か先輩とかに買出しを頼まれて、職場を出たのだろう。
車はその場で発進し、やがて女性の勤め先へ到着する。少年は直ちにホテルへ運ばれ、女性はこの事を上司や女将に知らせ、女将は直にホテルで料理した一品を、直に少年が休んでいる部屋に運ぶ。
それを自分の前に渡された飛鳥は、多少の戸惑いを見せる。そして、はしと御飯をまじまじと見る。 どうやら、食べ方が分からないらしい。
女将は、食事を出しても食べようとしない少年に不安を感じる。
「坊や、如何したの? 美味しくなかったら、取り替えるけど……。」
「こレ、何なンでスか? 如何使うンでスか……?」
少年は率直に問いつつもハシを両手で持ち、それを女将に見せる。彼女にとって予想外の光景に、女将は驚きを見せる。
「え!? 坊や………もしかして、ハシの使い方が分かんないの………?」
戸惑う女将の問いに少年は首を縦に振る。
「―――こレ、“ハシ”って言うンでスか………? 如何使ウの?」
少年の質問に女将は混乱を見せ、後に彼女は“コイツは一体何者だ”と言いたそうな視線で少年を見る。
やがて、表情を変えないまま、女将は少年の左後ろ隣に座り、少年にハシの持ち方と使い方、そして それを使った御飯の食べ方を教える事になる。
その光景は、知的な障害を受けている子供に御飯を食べるのを、介護者がそれを手伝っているかのような光景にも見える。
後、女将は少年から離れ、彼が自分でハシを使って御飯を食べるのを見守る。少年ははしを掴んだ手が震えている状態でながらも、ゆっくりと御飯茶碗の御飯の一部を掴み、それを口に入れて噛み始める。
そのハシを使っての御飯を食する味わいに少年は微笑み、そのペースを速める。その行動は、この国での食べ方――――いや、この星での食事の仕方を覚えたと同時に、この星での食べ方の楽しさを感じた事を意味している。
多少微笑しながらも、食の品々を次々とハシで掴んで食べ続け、やがてその場の食器の容量は空になった。
後、少年は空の御飯茶碗と御椀を女将に差し出す。
「え? もっと欲しいの……?」
女将の質問に少年は首を縦に振る。
「そう、ちょっと待っててね?」
女将は空の食器が置かれているおぼんを取り出し、早速御飯の御代わりを持って来る。その最中、少年を拾って来た女性が現れる。
「あの子、如何でした~?」
「――――ちょっと意外だわ。あの子……ハシの使い方が分からなかったみたいよ!?」
「え……えぇ!? 分からなかったんですか!?」
「そうなのよ。何処の国で育ったのかしら……。あ、それより……貴方も手伝って?」
「あ、はい。分かりました!」
彼女は返事後、女将と一緒に調理室へと急ぐ。そして空の食器に其々の一品を盛り付けを行い、それを持って少年の元へ戻る。
それが繰り返される中、女将と女性は少年に疑問を感じていた。彼の何に疑問を感じていたのか……?
何故、ハシの使い方が分からなかったのかは勿論の事だが、御代わりを繰り返す程の量のエネルギーの補給を必要としているのか。
確かな事は分からないが、緑色の巨人が姿を変えたこの少年は今でも灰色の光を追い続け、何も食べずに灰色の光が姿を消した池田湖を今日まで監視をしていた。
無論、それはこの二人には分からない事である。
少年は3杯目の完食でその食を止め、余程その食が美味しかったのか、それとも体力の完全回復に繋がったのか、食事を持って来た二人に礼をする。
「………有リ難う。おカげデ力が戻りマしタ。」
「良いのよ。それよりボク………御家は何処なの? 教えてくれたら、おばさんが明日送って行ってあげるから。」
深刻な顔をする女将の問いに少年は表情を変え、目線を下にずらしつつも黙り込む。
「―――如何したの? 黙っていたら分からないよ? もしかしたら、御家の方で何かあったの? 例えば家出になるような事とか………。」
女将は二度問いかけるが、少年は未だに沈黙を続ける。その沈黙が何分か経つ次の瞬間である。
「―――女将ッ!! 熊だ! 露天風呂に熊が出やがった!!」
男性従業員が3人の部屋に入った後、そう叫ぶ。その証言を目の当たりにした女性二人は目を丸くし、その場で凍りつく。
「―――何ですって!?」
「えぇ?!! ろ、露天風呂に熊ですか!?」
「あぁ、露天風呂のお客さん全員は何とか避難させたけどもよぉ、怪我人も出てしまったんだ!」
「――――ぇ、怪我人が!? 直に他のお客さんに部屋から出ないように伝えて! 梶川ちゃん、直に警察に電話して!!」
女将が形相を変えつつもそう指示を出し、後に二人が立ち上がろうとする。
が、しかし……
「ねェ、そノ“熊”はそんナに恐ろシい物………なンでスか?」
少年は問いつつも自分から9時方向に居る男性従業員に視線を合わせる。
「? そりゃあ、大人しい時もあると思うんだけどよォ、そいつが暴れると、怪我人が出ちまうほど手がつけられねぇんだ……。」
彼が慌てつつもそう言った後、少年は何も言わずに立ち上がり、この部屋から出ようとする。
「ボク、待って! 何処へ行くの?」
「そノ露天風呂って言ウ所に行きマス。」
「露天風呂って………まさか!」
「ハい、その熊っテ言ウ動物の暴走ヲ、ボクが止めマす。」
その少年の発言は、その場に居る大人3人にとってはあまりにも無謀過ぎるかの用にも聞こえた。その中にも如何にも“コイツ馬鹿かよ!?”と言いたそうな表情を浮べる者も居る。
「坊や、それだけは止めた方が良い。坊やが行ったって、怪我するだけだぜ!?」
「大丈夫でス。ボクの力なラ、動物の暴走ハ止メるくらイは簡単です。それニ、御飯ヲ食べサせテくレたお礼モしタいし……」
それでも男性従業員が止めに入るが、少年はその場に居る大人達に軽い笑顔で返した。
しかし、不安に感じるのも無理はない。寧ろそう感じた方が自然であろう。
彼ぐらいの年齢の少年が熊を相手に立ち向かえば、重傷を負ってしまうのが確実だ。最悪の場合は即死も有り得るだろう。
「……気持ちは有難いけど、其処までしなくても良いから……。」
「―――そんナのいケまセん。怪我人も出てルんでシょ? ボクは、困っテいル人ノ力になっテあげたイんデす。」
少年はそう言い残し、その場の大人3人の居る場所を去る。
廊下を走り出し、客人に声をかけるなり立て札なんかを見て露天風呂を探し出す。
そんな手掛かりを頼りに、露天風呂を発見し、その場で震えている露天風呂の利用客達を見回す。
「ァの~、熊っテ言う動物は何処でスか………?」
「……ふ、風呂の中に居るだ! 今も暴れてて―――物凄くおっかねぇだ!」
ホテル客の一人が、震えつつも風呂の入り口の方を指差す。後、少年はその方向に視線を合わせ、何の躊躇いも無くその入り口に入り込む。
「あ、坊主ッ! そりゃダメだよ、行っちまったら大怪我するだよ!?」
ホテル客の止めも聞かず、少年は更衣室から風呂場へと入り込んだ。
風呂場の戸を閉め、熊の方を見る。
確かに凶暴で、露天風呂に置かれている物を殆ど両手で薙ぎ払っている。後、熊はこの場に少年が居る事に気付き、その少年を睨みつつも激しい吼えを見せる。
「ちょッと、眠らセよウッと………!!」
熊を達観する少年の胸のペンダントの宝石が光る。
その直後、露天風呂に繋がる更衣室からは熊の激しい吼え声が響き、激しい光が戸から照らされる。やがてある程度の時間が経ち、露天風呂のホテル客が入り口から顔を覗こうとした次の瞬間である。
入り口から、昏睡状態の熊を重そうに引きずって、少年が出てくる。
直後に女将達3人がその付近に走ってやって来て、その光景に目を丸くする。
「お……おい! ボウヤが引きずってるの……熊じゃねぇか!?」
「―――おやまぁ、驚いた。まるで……熊と相撲を取った座敷わらしを見ているようだで………。」
「おじいちゃん、ソレ違うよ。まるで金太郎……でしょ?」
そんな会話が続く中、少年は女将達3人に近寄り、熊の右足を見せる。
全く有り得ない光景を目の当たりにした3人は、熊の脚を見つつもその場に固まる。
「こ、これ………ボウヤがやったの!?」
女将がそう言った後、少年は首を立てに振る。
「そ、そう………でも、どうやって!?」
「ソレは言えマせン。でモ、この熊ハ野生に帰しテあげタほウが良イでしョう。」
少年は熊の足をつかんでいる手を放し、その場の人間は黙り込む中で、自分より大きな熊を近くの壁側に寝かせる。
そして、少年は……
「じゃア、ボクはコレで………。」
そう言いながらも、この場を去ろうとする。
「待って、何処行くの?」
「ボクはもウ、そロそロ行かナきャ……」
「行くって……何処にだい? 坊主、外はもう真っ暗だぞ。」
男性従業員がそう言いつつも、少年は足を止める。確かに少年が此処に運ばれてから現在まで何時間か経っている。
「ボクは、行かナきャいけナい所があるンでス。」
「え? 泊まっていかないの?」
「はイ。御飯を食べサせテくれテ、有り難ウ御座いマす。」
少年は軽い笑顔で歩いてこの場を去り、女将が電話で警察を呼ぶ。
彼らが従業員等と共に未だに眠っている熊を森林へと運ぶ中、少年は夕方頃まで立っていた場所まで戻り、其処でまた立ち止まり、池田湖をまた見詰める。
しかし、池田湖から何らかの呻き声が聞こえてくる。
そんな中で湖付近の森に住んでいる野生動物達が湖から逃げ出すかのように走って行き、少年の付近に居た鳥達が羽ばたく中で湖を見詰め続ける少年は不安げな表情をうかべ、こう呟く。
「こレは……大変ナ事になルのかモ知れナイ………。」
最終更新:2008年04月08日 00:25