安価『犯罪予告』

『今夜十時、貴方の大切なものを頂きに参ります。(文末に得体の知れないデロデロとし
た、生き物らしき手書きの絵が添えられている)』


「……キ○ッツカード?」
 そこには、どこかで見たようなキスマーク付きのカードが突き立っていた。

 下駄箱を開けると、そこは異世界でした。うん、少なくとも気分的には。


 僕じゃなくても世間一般の世論として、下駄箱の中に紙質の何かが入っていた場合、そ
れにほのかな期待を抱いてしまうのは当然だと思う。
 勿論持ち主が虐められている場合に限ってはその限りじゃないのかもしれないが、少な
くとも僕にそういう事実はない。……少なくとも記憶はない。

 だからこそ夕焼けこやけの家路につくべく下駄箱を開いた時、靴の中に僅かに覗いた紙
切れに心臓が止まる思いをしたのだから。

 だというのに、である。

「……うわ、何で立ってるのかと思ったら、カードの端に剃刀の刃がついてるよ……」
 ……ぐさぁ、と靴底のゴムを深く貫かれた愛用の靴に、『今夜十時』の僕の姿を垣間見
たような気がしたのはきっと気のせいだと信じたい。と言うか気のせいであって欲しい、
頼むから。

 ぱっと見剃刀メール的な何かなのも僕の考えすぎだというものだろう。きっと入れた人
は、これに気付かず足をいれたら僕がどうなったかとか露とも考えなかったに違いない。
違いなくあって欲しい、いや本気で。
 なんだか呪いでもかかりそうな絵も添えられているけど気にしない。
目が書かれているところからかろうじて生き物かなという気はするけれど、何だかこれが
何かに気付いたら僕はそのまま発狂するんじゃないかってくらいヤバイ匂いがする。だか
ら気にしない。

「……僕、そんなここまでされる程悪辣に生きて来たかなぁ……」
 懊悩する青少年は、褒められこそすれ殺害予告をされる程の悪ではないと思うんだ僕
は。


 そうして僕がこの世の善と悪というものについての終わらぬ思索を始めようとした、そ
の直後。

「秘技! 正天崩御!」
「がっ、ぶっ!」
 ――不意に後ろから膝カックンをくらった僕は、為す術もなく顔面から下駄箱へと突っ
込んだ。


「……あー、大丈夫か司」
「これが大丈夫に見えるなら、きっとテツは相当ハッピーな人なんだろうね。どこがとは
言わないけど」
 背後からおずおずと問い掛けてくる少女の声に、温かさをなみなみと満たした声で答え
てやる。顔は目の前に迫った剃刀メールをぼけっと見たままだ。
 下手すりゃ冗談じゃすまねーところだったじゃねーかこのガキャ、なんて感情は一分も
声に乗せない。うん。

 という訳で満面の笑みを浮かべながら、僕は振り返った。
 そこには当然のように、見慣れた弟――ではない、まだ見慣れない妹の姿。こちらを見
た途端、纏めたポニーテールと一緒に何故か突然ガタガタと震え出す姿が小動物のようで
愛らしい。

「……す、すす、スマン! ホントすいませんした兄貴ッ!」
「ごめんなさい」
「ごごっ、ごっごめんなさい司様! いやお兄様!」
「あとさっきの技名はいくらなんでも名誉毀損にも程があるから。宮内庁に訴えられる
よ?」
「二度と使いません!」

 判って貰えたようで、お兄ちゃんは本当に嬉しいんだ。


 今井鉄子。僕は全力で阻止しようとしたのだが、両親の『まあいいんじゃね?元鉄雄だ
し』という投げやりな案と、何故か乗り気な本人の要望により名前が変わった僕の妹。
 困った事にというか何と言うか、その我が弟改め妹は身内のひいき目を除いても実に可
愛らしく『なってしまった』。

 というのも簡単な話で、僕があっさりと確率の網をすり抜けた「童貞の未成年男子の女
体化」という現象を、見事に我が弟は引っ被ったのである。まあ厳密には20歳までは女体
化の例はあるらしいので、本当は僕もまだうかうかとはしていられないのだけど。

 ……加えて厄介な事にこの弟、元は血の繋がりのない、いわゆる義弟という奴である。
 別に隠す事じゃないと思って、気にせずそれを吹聴していたのが仇になった。

「なッ……! 夕暮れに包まれた下駄箱に涙目の義妹と二人、見つめ合い立ち尽くす今
井! これは、これはまさか伝説の」
「死んでいいよ」
 そこらに落ちていた誰のものとも判らない靴を、問答無用で音源に投げ付けた。
 顔面ヒットのパァン!という小気味よい音と共に倒れる顔は見知ったものではあるが、
助ける価値もないと判断する。こんな事が日常茶飯事だから始末におえない。

 そして僕は倒れている体に目もくれず、弟――もとい妹に向き直って笑いかけた。
「さて、折角会えたんだから今日は一緒に帰ろうよテツ。今日は部活もないよね?」
「さささ、さ、サーイェッサー!」

 うん? 何故テツはさっきより震えているんだろう。



 さて、夜。現在九時五十二分三十七秒、という間に四十秒。ちなみに今日は両親は結婚
10周年目にして未だ、『新婚旅行』と称して留守である。再婚とは言え、それはどうなん
だろうと思いもするけれど。

 僕は件の剃刀カードを前に悩んでいた。
 誰が、よりも何故か、という所に重きを置いて。

 ちなみに夕方、捨てるにも危ないせいで処遇に困り、手に持って歩いていたというのに
それについてテツが全く触れてこなかったので、少し不審に思い聞いてみた。
「……ねぇテツ。これなんだけど――」
「ななっ、な、なんだよ司! 言っとくがオレはそんなカード作って下駄箱に入れたりし
てないからな!」

 ……あまりに可哀相なので、それ以上触れない事にしてあげたのだけど。おそらく下駄
箱で会ったのも今日は偶然じゃないんだろう。
しかしこのキスマーク、本物なんだろうか?
 つけてる所を想像すると、中々愉快な光景なんだけど。まず口紅をつけるところで失敗
していそうだ。


 五十五分を回ったのを確認して、僕はニヤニヤしながらベッドに入る。まあ何をやるに
せよ、僕の目があったらやりにくいだろうという兄の配慮だ。

 勿論寝たフリだけれど。場合によっては即刻取り押さえて、二度と僕に逆らえないよう
『また』軽い『指導』をしなければいけないと思う。
 女の子になった以上あまり手荒な事はしたくないんだけど、まあ愛する弟なればこそ、
たまには谷に突き落としたりする事も必要だと思うんだ、僕は。


 そのまま口元まで布団を被り、ドアに背を向け、座してもとい寝して待つ事およそ十分
弱。
 ……十時を回っている辺りが少し締まらないけれど、確かにガチャリとノブの回る音が
聞こえた。
 僅かな軋みと共に、少しだけ開く扉の気配がする。

「……お、お邪魔します……?」
 いきなり吹きそうになった。

 待ってくれ弟よ、君は何かしら後ろ暗い事をしにきたんじゃないのかい。
 そして普段一度でも僕の部屋に入る時にそんなしおらしい態度で来た事があったかい。
 微動だにしないまま、爆笑しないよう必死に心の中で数式を思い出す。

と、
「……おいおいおいおい、何で寝てるんですかお兄ちゃん。あんな予告されたら10時まで
待とうぜ……」
 溜め息混じりで、憤慨したような扉の前の声。
 思わず吹き出した息を根性で飲み込むと、ゴブ、と喉が変な音を鳴らした。気付かれな
かったようで一安心だけれど。

 ああ、待ってて欲しかったんだなあ、うん。ただきっとそれは怪盗の正体らしい君に
とって、少なくとも利益にはならないんじゃないのかい?


「……あー、でもまあ多分司は聞かねーだろうしなー……既成事実作っちまえばこっちの
方が楽か」

 うん、楽だよねそう……

 うん?


 直後、ベッドの傍らまで歩いて来た気配が、おもむろに僕が被っていた布団をめくっ
た。

「しかし司にこんな感情を持つのもアレだと判っちゃいるが、なんつー兄思いの妹なんだ
ろうねオレは。義妹の鑑だ鑑。でも世間一般としては禁断だからあんまコレが鑑になって
も困るのか?」
 ……ちなみにウチの妹さんは弟の頃から、恥ずかしくなるとやたら雄弁になって要らん
事までペラペラと喋り出す特性がある。

 近付いてきた顔を薄目を開けて見れば耳まで見事に真っ赤である。というかポニーテー
ルが先に僕の顔に降りてチクチクするんだが妹よ。
 ついでに片手が僕のスウェットのズボンにかかっているのは何故だい?


 ……数センチ上まで降りてくる、義妹の整った顔。
「……だからせめて、さ、これくらいは、先に――――いい、よね?」
 目の前で、ゆっくりと閉じられた瞼と、止まらない降下。

 さて、ここで選択肢はいくつかあるがもはや一刻の猶予もない以上選ぶ余裕もないので

 僕の中に浮かんだ何かを総てうやむやにして取り敢えず、メシャ、と顔面にアイアンク
ローをかましてみた。
「てっちゃんが今何やってんのか詳しく説明してくれるとお兄ちゃんスッゴい嬉しいなー
♪」
「い゛だだだだだッ! え、ちょま、起きてあだだだだだだ痛い痛い物理的にも精神的に
もっつーかものっそい恥ずかしいんですが! でもあいだだだだだだギブギブギブっつー
か凹む! マジで凹む! 折角可愛いのに凹むよ兄貴!」
「自分で可愛いとか言ってんじゃねぇよメスブタ♪」
「酷過ぎる!? 可愛く言ってる意味ねぇ!? でも多分司のそれは照れ隠しだい゛だ
ア゛ア゛ア゛!」



 容疑者――と言っても現行犯だが――の言い分はこうである。

「……オレは、司に返せないくらい沢山借りがあるじゃねーか。だからせめて、司の童貞
だけでも貰ってやって、司の力になれればと思って……」
「……さて、さっき僕の布団を剥がす時の容疑者の証言を一言一句たがわず再現してみよ
うか。『しかし司に」
「ほんの出来心だったんです! 結構大部分自分の為でホントすいません!」

 ぼふん、とベッドの上で、布団に埋まる程深く土下座する妹。なかなかオツな光景だ。

「……ハァ…………」
 深く溜め息をついた。

「……う……」
 それを聞いて怖ず怖ずと、上目使いでこちらを見る妹はそりゃ僕だって可愛い、可愛い
けど……

 また一つ溜め息をついて、僕は『兄』として諭し始めた。
「……いいかいテツ、僕の事を案じてくれるのは僕も凄く嬉しい。けど男の時ならともか
く、女の子になった以上テツはそういう事を安易にしちゃいけないってのは判るだろう?
 そうなった時に不利なのは、圧倒的に女の子の側なんだから。僕はフェミニストのつも
りはないけど、それくらいの最低限の配慮は出来る男でありたいんだから――」
 クドクドと、嫌らしい程正論を垂れる僕に。

「……安易なんかじゃ、安易なんかじゃねぇよ!」
 案の定、テツは切れた。

 ボン!と大きな音を立てて布団がへこむ。拳をたたき付けた瞬間に踊ったしっぽに、一
瞬だけ見とれた。
「ざけんじゃねぇよ! 俺が何も悩まずにこんな事したとでも思ってんのかよ!? しか
も、ずっと兄貴だった、司にッ!」

 ――ボン、ボンと八つ当たり気味にベッドに突き刺さる拳に、少しホッとした。
「家族になれて、して貰えて嬉しかったのに! なのに今度はそれが邪魔で! 違うの
に! 嫌な訳がないのにッ!」
 やっぱりこいつは、こんなナリでも
「――なのに、なんでオレが、こんなに、悩まなくちゃなんねーんだよ……」
 ……泣き出しそうなその顔が、違いようもなく、ウチに来たばかりのテツとよく似てい
て。

「……だったら、僕に頼ればいいだろ?」
「……え……?」
 ――こんな姿でも、何も変わらない僕の『妹』なんだから。

「だから思い余って襲う前に僕に頼ればいいのに」
 呆然とこちらを見るテツに、噛んで含めるように目を見て優しく答えてやる。

「……あ、え? いや、だってこれは、オレの問題で、司には関係――あるけど、なくて
……」
「なくはないだろ?」
 いたたまれなくなったのか視線を反らして俯いた頭に、ぽんと手を置く。

「僕はテツの兄貴なんだからさ、いいんだよなんだって。聞いてみればいい。どんな事
だって許してやるから。大方嫌われたくないとかそんなんだろ?」
「う……」
「……馬鹿だなぁテツは」
 判りやすい反応に苦笑して、ポニーテールをクシャクシャと掻き回した。

 それに嫌々をするように頭を振り、こちらを見上げた妹。
 ――予測通り、その瞳はもう決壊寸前で。
「……で、でも、ック、だって、ヒック、言ったら、司はぜった、ッ、絶対、嫌がる、か
らッ!」

 ……流石に、これだけ想われて何も感じないでいられる程、僕も非人間じゃないのであ
る。


「……少なくとも今夜答えるとヤバイから、今日はこれだけで勘弁して」
「……あ……え……?」
 ――理論派を気取ってはみたものの、結局の所単に我慢出来ない衝動に任せて、目の前
で泣く小さな女の子を抱きしめる。

 ……胸結構あるなーとか、いい匂いすんなーとかそういう煩悩に塗れた感想も浮かんで
しまうが、置いておいて。

「……家族だかなんだか知らないけど、好きなんて感情は簡単にベクトルが変わるもんだ
から」
 結局遠回しに、抱きしめたまま呟いた。


「……え、ちょ、司、それって――」
「あー思い出した、僕今日は恭介のところに泊まる約束してたんだ、じゃあね」「え、い
やちょ、おま――!」
 拘束を解き、白々しい言い訳を吐くが早いか財布だけ取って僕は部屋を飛び出し、勢い
のまま階段を駆け降りついでに玄関を飛び出す。

 ……流石に、あのまま行ったらどうなるかなんて猿でも判る。それはマズイ。
 恭介はまだ昇降口に倒れてなければ流石に家にいるだろう。幸いあの家の人とは仲良く
させてもらっているので、何かない限りは許して貰える筈だ。



 そうして僕は、背中から聞こえた『……あああああのクソ兄貴はこれだからいつもいつ
もいつもォォォッ!』の絶叫を黙殺し、夜の町を駆けるのだ。まる。








「……そういえば今更だけど、結局あの(呪いの)カードはなんだったの?」
「あーあれ?力作なんだぜ? 刺して立つように剃刀つけて、猫描いて、キスマークつけ
て」
「……うん、凄く愛を感じたからもうあれはなかった事にしようか」
「…………?」


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年09月06日 22:32
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。