『 あった 』
すべての過去をドブ川に突き立てたような裏町で、
淡い巻き毛の少女がゴミ山にか細い腕を差し込んでいた。
錆び付いた機械と生命の汚濁の中から引きずり出す、マネキン。
よく見れば少女の着物は薄く淫らで、透けて見える肌色の幼さは、
欲情をより、哀憐を誘う、若い桜色を胸元に二つ、ほのめかしている。
腕は傷だらけだった。
それは、ゴミ山の中から無理矢理マネキンを引っ張り出した、
たった今の赤い線状だけではなくて、主に内側に古く肉色が何条も交錯している。
がんぜない微笑みにあどけなさはなくて、くすんだ灰色の瞳に天使の遠さがあり、
ひたすらに明るくまばゆい笑顔だけが、建物に遮蔽された幽暗の箱庭に差し込んだ
太陽のように輝いている。
廓の童女は頭だけのマネキンを抱いてなでさする。
自らがそうされるのに相応しい年代の幼子がする、それは愛撫であった。
マネキンは、本当はマネキンではなく、有機なき人の死骸である。
かつて誰かの宿った器は、人の薄皮が剥げ、機械類を晒すサイボーグの頭部。
少女は太陽の微笑みで頭を撫でる。えらい、えらい。
ぺたんと地べたに座り込んだ股の間から濁った血が染み出た。
少女は奏でる。えらい、えらい。
頬を珠が滑る。
それは太陽の白い雫。
がんぜない微笑みにあどけなさはなくて、くすんだ灰色の瞳に天使の遠さがあり、
ひたすらに明るくまばゆい笑顔だけが、建物に遮蔽された幽暗の箱庭に差し込んだ
太陽のように輝いている。
白い雫だけを置き去りにして。
ここはかつてのいつかの世界。
もはや変わることのない、過ぎ去った時代。
淡い巻き毛の少女がゴミ山の前で死んだサイボーグの頭を撫でる。
風景には愛だけが満ちていた。
がんばったね。
そんなになるまで、よく、がまんしたね。
えらい、えらい。
わたしもね。
今から、そっちにいくよ。
『 あのね、大好きだよ 』
『 本当の本当に、大好きだったよ 』
いくつだ。
いくつ失えばいい。
微笑みながら燃えていった彼女の黒い亡骸を抱え、
頭蓋骨の形に丸いだけの黒ずんだ頭に、空いた二つの穴から、
もはや誰の面影も見出せないことに気付く。
まだ、黒い津波のように敵が陣地へと押し寄せていた。
引き裂かれているのは、戦線なのか。
銃弾で、咆哮で、怒りで、憎しみで、あらゆるもので、
引き裂いているのは、俺たちなのか。
隣の誰かに叱咤され、俺は彼女を打ち捨て立ち上がる。
やめろ。
奪わないでくれ。
あの微笑みを、言葉を。
彼女の勇気を。
彼女を失った悲しみを、俺から取り上げないでくれ。
巨大な衝撃が大地を砕く。
人体がジグソーパズルのようにばらまかれた。
つなぎ直しても、元には戻らないことだけが違う。
「 踏みとどまれ! ここが、ここが最後なんだ! 」
時計の針は19を刻み込んでいた。
ここは未だ来ざる、いつかの世界。
遠く微かに予感する、終末の世界。
誰かの思い出を背負って受け継ぐなら、
俺たちはいくつ遺品を持たなきゃならない。
重たくて戦えない。
だから、誰が死んでも俺たちはそこに彼らを置いて来た。
思い出をそこに置いて来た。
思い出のつながり(ネット)は、もう、見る影もなく千切れてぼろぼろだが、
それでも未だに宇宙は健在であった。
まだ、と言うべきか。
でも、駄目だよ。
俺はもう立ち上がれない。
血涙を流しながらトリガーを引き続け、そう思う。
右腕が稲妻の魔法に吹き飛ばされた。
膝を屈する。面は伏せない。左手で引き続ける。
左わき腹から下を根こそぎ絶技で消し飛ばされた。
歯を食い縛り、むき出しの骨盤で接地して体を倒さない。
立ち上がれない。
もう。
そこに、誰もいないから。
立ち上がっても、思い出は一つも残っていないから。
なのに、なんで俺は戦うことを止めない?
左肩が撃ち抜かれた。
寝そべらせた銃のトリガーを歯で引き首で射線を固定する。
なんでだ。
どうして、俺は。
もう、終わりなのに。
ここから先なんて、俺にありはしないのに。
銃が蹴り飛ばされた。
頭を踏みつけられる。
動けない。
今度こそ、きっと、もう。
俺の世界は、ここで終わる。
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そして最後に、時は現在へとつながる。
Peep Peep Peep
取るもののない受話器。
ドンドンドン
叩かれるドア。
「 あけてちょうだい、××ちゃん! 」
僕は微笑んだ。
僕と同じで僕より幼い、僕より愚かで僕と同じに若い声。
受容ではなく同情から立ち上がり、ドアを開ける。
幼馴染が、立ち尽くす。
「 な…… 」
視線が僕を通り過ぎ、別のどこかをさまよった。
さまよって、そして、どこにもたどりつけない。
部屋の中身は引き裂かれたがらんどう。
プラスティックの艶やかな光沢を照り返す受話器と受話器につながるコード、ぐらいだろうか。
原型をとどめていた存在は。
受話器には、薄汚れた何かがへばりついていた。
「 どう、して、こんな…… 」
いいんだ、と、僕は言った。
生きていても何もしたいことがない。それなら生きていないのと同じだ。
だから僕は、この世界から消えようと思う。
「 消えるって、どこへ 」
この上もなく真面目な相手の顔。
そうだね、と、僕は、はぐらかすようにして肩をすくめてから、まっすぐ目を見て答える。
死ぬだけだよ。
……それは、世界でただひとつ、夢見る機構の夢見た名前……
空飛ぶ航空機の正面、コックピットの風防の上に、足を組み、襟首の開いた青黒い軍服の、胸元にサングラスを引っ掛け、風に煽られながら、平然と世界を睥睨し不敵に笑う男がいる。
まるで軍人とは思えないその着こなしは、己を誇示するが如き不遜。
しかし、背すじには、訓練されたものだけに宿る、鋭い垂直さがある。
灰白感の薄い、白夜色の髪に、
眼球全体が濃い夜色に染まった中で、彼が舞う惑星と同じ色で輝く双瞳。
向かいあうすべてに、笑い、牙剥き、言い放つのは、
宣戦布告。
その瞬間、遠いどこかの少女の腕に抱かれて、
青い輝きが立ち上った。
愛の民 + 強化新型ホープ+空中戦型ホープツー+最終型ホープナイン
鼻が尖る、という慣用句がレンジャー連邦には存在する。
操縦技術に絶対の自信を誇り、通常の軍規では許されない伊達者の装いをした、最精鋭のホープのような、人物を、評する言葉である。
口を開けば、
「速さって何だ」
「間に合う事さ」
と、マニューバ残像すら起こすその腕に憧れ、教えを請わんとする者を悠然とあしらい、
「強くなりたいんです」
「簡単だよ、歯を食い縛ればいい」
と、目を輝かせて尋ねる子供に答えるような人物像のことだ。
彼らには、航空機を操るために、スイッチとして、一時的に思考をクロックアップする機能が奥歯に仕込まれている。ブラックアウトを起こすことのない、人型BALLSであるところの義体にも、人間が介入しているがゆえの限界があり、それを突破するための処置だった。
それゆえに、この慣用句を耳にしたレンジャー連邦以外の民は、しばしば「天狗になる」という言葉の意味が先鋭化したものだと誤解する。
彼らが孤立する、本当の意味も知らないままに。
レンジャー連邦には、戦うことで吼える男たちがいる。
決して不遜な笑みと態度を絶やすことなく、戦うたびに怒りで吼える男たちがいる。
すべての夜明けを見通すために、視覚素子を常人より遥かに多く搭載し、
それがゆえに異彩を放つ夜色の眼球を持つようになったホープのことだ。
すべての夜を追い越すために、思考加速装置の放熱線として頭髪を用い、
それがゆえにまばゆい白夜の色の髪を持つようになったホープのことだ。
強くなりたいから、誰かを守りたいから、
けれど戦うことを選ぶのは弱さなんだと、結局知った、ホープのことだ。
彼らは鼻を、自ら選んで、高く尖らせる。
操縦に関しての強烈なプライドは、常に己の弱さを自覚して、弱さに近づこうという人間も突き放して減らすため。弱さを自任して怯みない。笑いは弱さを支えるため、不遜は孤独の覚悟と望み。
鼻が尖るの答えは偽悪。
それは一手に人の弱さを自任して、誰も後へは続かせまいとする伝説の意志、その表れ!
希望は絶望に吼える。
自らの最弱たるを知りながら、なお、歯を食い縛って笑う。信じる最強を守る、そのために。
そして、どこかの誰かに踏みつけられた足元で、
男が歯を食い縛り、笑った。
「 バカ! 」
頬に衝撃が走る。
叩かれて、抱きつかれて、すがりつかれた。
「 ××ちゃんは、どこへも行かない! 」
「 死なんかに、××ちゃんをやったりしない! 」
腰にこすりつけられる、涙。
何故だろう。
僕の心臓が、冷え切って、今にも終わりそうなのに。
「 思い出してよ 」
僕を見上げたぐしゃぐしゃの泣き顔にも、
何も感じていないはずなのに。
「 なるんでしょう? 」
彼女が向けた、視線の先に。
コードにつながる、受話器があった。
「 呼ばれたら、どこにでも駆けつけるヒーローに 」
受話器に貼り付けられた、一枚の薄汚れたシール。
僕と彼女の昔が映る、子供の頃のプリントシール。
そこには安っぽい屋台のお面をつけた、僕がいた。
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ゴミ山の少女の腕から、不意に、
サイボーグの頭が滑り落ちた。
『 あ…… 』
まるで、少女の言葉を拒むかのようなタイミングだった。
起こった出来事は、たったそれだけ。
けれど、その一瞬で、決定的に崩れ落ちようとしていた
少女の心は、踏みとどまる。
転がった拍子にフレームがズレたのか、
サイボーグの顔が、笑っているように見えたのだ。
にやり、と、不敵に、そして
下にある歯の、食い縛っている形は、そのままに。
青い風が閉ざされた裏町に吹く。
見上げれば、四角く腐れたゴミ山の上にも、空は確かにそこにあった。
そうだ、と、最後の瞬間、敵の足元で思い出す。
俺の命は、ここで終わる。
だが、みんなはそうじゃない。
世界は、ここでは終わらない。
『 行けよ、未来よ…… 』
ミシミシと義体のフレームが軋みを上げる。
視覚素子が次々に破損し、記憶チップがヒビ割れていく。
俺は確かに望んだはずだ。
呼べばどこにだって駆けつける、ヒーローになることを。
明滅するヴィジョン。
セルロイドのお面、夜のお祭り、つないだ手と手、カメラの前。
炎の中の、彼女の微笑み。
思い出は、俺の中から消えるけど……。
『 俺と彼女が生きて延ばしたみんなの一瞬一秒は、決してどこにも行きやしない!!!! 』
肩を撃ち抜かれて動かないはずの左腕で、
男は這って頭の角度をずらし、相手をにやりと不敵な笑みでねめ上げた。
過去という、初めての介入の際に、どこかの少女にそうしたように、
歯を食い縛って、瞳を豪華絢爛に輝かせ、
未来への道筋を示して、彼は逝った。
次の瞬間、敵の頭は友軍によって撃ち抜かれていた。
彼が命の最後まであがいて敵の注意を呼び込み作った、隙だった。
戦うことは弱さの確認。
だから敵を倒して油断しない。
戦うことは怒りの咆哮。
弱さを選んだ戦場の、すべてに対する痛みの吐き出し。
だからちっとも楽しくない。
それでも彼らは笑って歯を食い縛る。
何一つ、強さを諦めてはいないから、
食い縛った歯と歯の間に機械の光を噛み締めて、自ら抱いた”本当の希望”に喰らいつく!
「俺の世界に手は出させない。
去れ、絶望よ。諦めるのは今という間の強さに過ぎん。
人の最強は、未来だ!」
最終とは、後に続かぬを祈る、最弱の名乗り上げ!
空中とは、地に足着かぬ生き様の自覚、その名前!
ホープは望む。
偽りの希望が希望でなくなる時を。
どこまでも続く愛の螺旋という、人の最強へと自分が墜ちる瞬間を!
「俺如きは最終でいい。
俺如きは空中でいい。
終われ、希望を求める絶望の弱さと騒乱よ、
誰も俺の後に続かすな。
墜ちろ、命を喰らうなりわいの果ての果てに。
地に足着けぬはもう生むな。
もっとも新しい伝説は常に、
もっとも終わりの伝説となるを望むぞ。
失せろ真闇よ、白夜が征くぞ。
夜明けが来ぬなら、変われ、夜!
それでも未来は訪れる、人は歩むと、
教えてやる!」
…ω:オメガドライブは正常に終了処理を進めています。…
――うん。――
――僕と一緒に、世界を守ってくれますか……?――
a boy meets a girl
あるいは希望(ホープ)の望んだ、愛(舞踏子)と共に戦うための物語
~了~
最終更新:2009年12月02日 13:30