黒龍盛宴遊戯 > 地雉精死断麺-上-

【霓虹路(ネオン・ロード)】に夜はない。
その名の通りにネオン看板の極彩色が昼夜を問わずに煌めいているからだ。

そもこの街には空がない。
錆びた鉄と苔むしたコンクリート、這い回る電線の天蓋が、この街に明けない夜と闇とを閉じ込めている。

外の世界から遠目に見ても、この場所は危険と威圧の混ざり合う異常な空気を醸していた。
大戦の起こる前には、この島は【済蓮国(ザイレンこく)】の領地であり、戦に破れて敵国領になった後、なにがしかの“のっぴきならない事情”で法治権を失い、まるごとが文字通りの無法地帯と化した過去がある。
表の世界で生きられない連中、命の他には無くすものすらなくなった難民、そういう“のっぴきならない連中”が吹き溜まるには好都合な場所だ。

こうして元から建っていた城塞に、建築法そっちのけで増設された雑居ビルとが複雑に絡み付き、この不気味な混沌の城が地上現れた。

誰が呼んだか……“黒龍の城”。

黒龍城塞(ヘイロンじょうさい)はいま地上に確かに聳える“負”の顕現、そのものなのだ。



「……シャン、わたしは……」

【霓虹路(ネオン・ロード)】にひしめくのは、大概が賭場とショウ・キャバレー、それから娼館ばかりだ。
扇情的な衣服を纏う女たちが挙って道行く男に腕を絡め、明滅する鮮やかなネオンと、どこぞから漏れ出す油混じりの水溜まりで虹色に光る道をヒール鳴らして歩いて行く。
そんな一角の元締、知るものが挙って“大人(ターレン)”と呼ぶこの金(キム)なる老人は、若い頃にその情熱を燃やし尽くしたそれ故か、年老いて随分と萎縮してしまった。
皺枯れて情けなく眉を垂らす獅子の顔のなんと痛わしいことか。
対面にふてぶてしく座する、肥えた腹の龍人は丸眼鏡の裏から蔑みの視線で“客”を見据えた。

「わたしは老いた……このように目も霞み、腹が空いているのか、空いていないのか、それすらも曖昧になってしまった……そして」

獅子の口からこぼれる弱音のひとつひとつ、龍人は黙して掬い上げる。

「判るのだ……“死”が! 忌々しき“死”が、傍らの影に潜んでわたしを嘲り笑っておる!」

「……」

「シャン、わたしは死ぬのか!? 噫、何もかもが灰色なのだ! あの霓虹路の七色は何処へ行った!? こんな褪せた光ではない、我が青春の光が!」

「オーケイ、オーケイ……大人、気を沈めて」

龍人は嫌らしい笑みを浮かべて両手で気持ちを鎮めるようジェスチャーをした。
丸眼鏡には大人が背負う霓虹路の灯りか写り込んでその目の表情は伺い知れない。

「“死”ほどに恐ろしきは他に無し……わかる、わかるよ大人」

眼前の男の恐ろしさを解っていながら、龍人はあくまでフランクな姿勢を崩さない。

「生死ノ去来スルハ棚頭ノ傀儡タリ、一線断ル時、落落磊磊……異国のそんな言葉もあるなあ、知ってるかい大人」

「……いや」

「ひとはみな操り人形、死神がチョンと糸切りゃどんがらがっしゃん、後には何も始まらねえ……俺の糸はあとどんだけ保つかねえ、“死”なんてそんなもんさ、大人」

龍人はふてぶてしく脚を組み、張り出した腹の上で短い指を絡ませる。
その長い首の先の頭は眼前の“獲物”を見据えたままだ。

「噫! シャン、お前には見えるのか、わたしの糸がどれほど摩りきれているのか、お前の目には見えるのか!?」

「不不(いやいや)、俺は死神じゃあないよ大人」

龍人は姿勢を正した。

「死神じゃあないが、この山 麗愛(シャン・レイエイ)はあんたの親友さ」

「あるのか、何かが、“死”を遠ざける何かが!」

「アルよ」

ふと、二人に子供が割って入る。
どこから現れたか、あるいは最初から居て気づかなかったか。
鮮やかな山吹色の絹衣に身を包み、愛らしく着飾っているが、男か女かははっきりとしない。

「“死断麺(スートァンメン)”アルよ。金獅子帝が永劫の日々を安らかに過ごし続ける為に、あらゆる薬膳から研究させて作らせた奇跡的薬膳」

子供の顔は狸のようだ。
しかし、何かか妙だ、不自然な何かを感じる。

「それを食すもの、寿命が三十日延びる言われているね。それ故に金獅子帝が口外を禁じた超級秘蔵禁忌的逸品、知っているのは“マオマオ”だけね」

子供は琥珀色の目で瞬きひとつせず、老人を見据えて言い放つ。
老人はその無礼を咎めなかった。
過去に同じようにして、この胡散臭い男と得体の知れない子供に救われた過去があるからだ。

「三十日、か」

「金獅子帝はそれを事あるごとに食して三百年だか四百年だかを生きた……そんな伝承もあるなあ」

シャンは鎌首をもたげて顎髭を掻く。

「ただしかし」

そして爛々と目を輝かす老人に釘を挿した。

「金獅子帝の頃とは済蓮も変わった……薬膳に使う材料も高騰してねえ……」

「幾らでも払う、シャン、今すぐに」

「二百万白(ペイ)だ」

「にひゃ、くッ……!?」

その額はこの霓虹路の元締とて耳を疑う程であった。
概ね黒龍において、小さな町工場程度なら従業員ごと買える程度の額である。

「……わ、わたしの足元を見ているのか、我が友シャンよ」

老人は肩を震わせてあくまで冷静に声を絞り出す。

「気持ちはわかるよ大人、まあ聞きなって」

再びシャンは両手で鎮めるジェスチャーをした。

「……“雉鶏精(チケイセイ)”を知っているか?」

次々飛び出す胡散臭い言葉に老人は眉を顰める他にない。

「九頭雉鶏精は時を遡る霊鳥だよ……無論、とっくの昔に金獅子帝が乱獲して滅びちまったと聞くがね、それを俺の法力で“見立て”を行うことで蘇らせるンだよ。これは俺にしか出来ん」

シャンは不敵に笑う。

「……し、しかし、にひゃくまん……」

「タァァァァレェェンッ!!」

「ヒィィッ!?」

シャンは長い尾で激しく床を叩く。
手抜き工事で空洞になっているのか、部屋はズンと揺れ、重い音が響いた。

「大人、俺はあんたのトモダチだよ……そのあんたが“死”に怯える姿がどれだけ俺の胸を締め付けているか判るかい……?」

シャンは立ち上がり、ドンと老人の座す机に諸手を突き、長い首を延ばして怯えたその顔を覗き込んだ。

「俺は嫌だよ、冷たくなったあんたを棺に横たえて、悲しい葬列に並ぶなんて……」

「ア、ア」

「大人、トモダチに悲しい姿を見せないでくれよ」

老人の頭の中には、枯れ木のような自分の亡骸を、知人たちがいたたまれない顔で取り囲む具体的な光景が“死”の明確なヴィジョンとしてありありと想起された。
その虚しさ、そして焦燥と恐怖から、老人は首を縦に振る。

シャンがそれを認めて笑った。
鰐のように鋭い牙の列がネオン色に染まる。



「餡餅(シャーピン)うまいヨ! 三つでたったの二十白!」

「オニイサン、飲茶ドウデスカ、席アリマスヨ」

建物の上に建物の建つ黒龍城塞では、各々の建物を繋ぐ通路(コリドー)……“胡同(フートン)”を“街”として扱う。
最大の風俗街である胡同【霓虹路(ネオン・ロード)】の劇場【維多利亜歌廳(ヴィクトリア・キャバレー)】を挟んで反対側に延びる胡同、【暴食苑(バオシィコート)】は最大の食品市場と工場の集合体である。
大半の住民が“黒龍の胃袋”と揶揄するその通り……霓虹路の七色とはまた違う白熱灯と赤い提灯の鮮やかさ、そして辺りから響く呼び込みの声と活気はこの陰湿な黒龍城塞の中にあって異質とも思えるかもしれない。

「暴食苑は初めてかい」

シャンは傍らに歩く、妙に表情に乏しいが油断ない目付きの白虎に話しかけた。

「ああ、内心驚いている」

白虎の男は表情すら変えなかったが、その話口は柔和な印象を抱かせた。
だがシャンはこの男を警戒する姿勢を崩すことはない。
あの金(キム)大人がお目附として寄越した男だ、それなりにデキる雰囲気を醸し出している。

「“外”から来た人かい、あんた」

「複雑な事情でな。金大人に遣える為に来た」

「苦労するね、あんた」

そうは語るが訳アリの人間しか寄り付かないこの黒龍で、そうやすやすと己の腹の内を語るものは居ないとシャンは踏んでいる。
概ねこの男自身も、済蓮の暗部に巣くう何らかの黒い組合(ギルド)の刺客かなにかなのだろう。
“外”から金大人の財力にツバを付けておきたい組合は少なくはないはずだ。
シャンという男はそう考える。
この男は他人というものに如何なる信頼も置いていない。

「客人、名前は?」

「紫羌(シキョウ)」

男はやはり表情を変えず、それでいて油断のない目付きで答える。
まるで仮面でも着けているかのようだ。

「黒龍で生きていくにはあまりにも知識がないね、あんた」

シャンは妙に大きな黒い箱を背負っているが、身のこなしは軽やかだ。
呼び込みを躱しながら、シャンは暴食苑の路地を奥へ奥へと進んでいく。

「そのようだな、霓虹路の近くにこんな明るい場所があることすら知らなかった」

「明るい、ね。本当にあんた、何にも知らないよ」

シャンは鼻で嗤う。

「こんなとこに閉じ込められてさ、外で生きていけねえ連中はこうして無理にでも笑ってねえと気が狂っちまうのさ」

「……」

「あるいは、もう狂ってンのかもしれないよ」

黒龍の治安は外の人間が想像するよりは遥かに良く、人の寄り集まる場所で暮らす分には安全だ。
ただそれは、互いが“人に言えない訳アリの人間である”との前提を持ってして保たれる和であるとシャンは語る。
必要以上に他人に踏み込みはしないし、それ以上のお節介でろくなことにならないのをわかってさえいれば、黒龍で生きていける。

ただ、それは孤独だ。
そのうえで、外で生きていく孤独よりかは幾何はマシだと思える人間が、この黒龍に集まる。

「だがその黒龍も、戦争が終わって幾分か変わったようだがね」

「というと?」

「こんな場所だ、ご禁制のブツを扱う隠れ家にはちょうど良かったのさ……それを目当てに、外から客が訪れるようになった」

シャンが周囲を警戒する。
こういう話に敏感なゴロツキは意外に多いからだ。

「訳アリの和は外の連中の介入で崩れちまった。なおかつ、外の連中は黒龍で生きる連中をナメくさってるからな……悲劇的な話は好き?」

「いいや」

「じゃあやめておこう」

おそらく建物と建物の隙間であろう、そこの見えない谷に掛けられた鉄格子の橋を、シャンは恐れなく渡っていく。
それに随するシキョウも特に抵抗なく橋を渡っていくところを鑑みても、この男は油断ならない。

「暴食苑でメシを食うなら信頼できる店を見つけておくんだな、ここじゃあ衛生法なんて野良犬にでも食わせちまうようなもんだ」

橋の先、無理やり増設したようなバラックの灯りが風に揺れる。

「あと初めて行くなら事前にハライタの薬もお守り程度に」

やがてバラックが近づくと、谷底の方からなにか悍ましい声が聞こえる。

「これ、家畜中心(センター)の屠殺場の建物ね。そっから輸出用に加工して、あぶれたブツを流してくれるからここの肉屋は安心して新鮮な肉を買える」

「……」

流石のシキョウも、生々しい血の臭いに口を噤んだのか静かになった。
ようやくシャンはしてやったりという笑みを浮かべる。

「hello你好(ネイホウ)、俺だよ」

バラックの中を覗き込むが応答がない。

「あれ? 喂(おーい)? 喂喂(もしもし)?」

シャンが後ろを振り向けば、肉屋の親父は同行のシキョウの首に肉切包丁を突きつけて羽交い絞めにしていた。
そのシキョウ本人は、やはり表情筋の一つも動かすことなくされるがまま両手を上げていた。

「……おもしろいね、あんた」



肉屋の脅しは半ば恒例行事のあいさつのようなものなのだが、相手が金大人の部下と聞いて流石に委縮したようだった。

「ったくヨぉ、そおいうのは先に言えってハナシでヨぉ!!」

「つーてもアンタ誰にだって顔見せる前にやるじゃねえか」

汚く唾液を飛ばしながら親父はがなる。
シキョウはそれすら表情一つ変えずに躱す。
この衛生管理のエの字も無い店が、この裏の料理人が信頼を置く店と言うのか。

「で? 今日は?」

「雉(キジ)。できたら十羽」

「なんだい、今度は雉鶏精でも創ろうッてか」

「まあね」

シャンの丸眼鏡に対岸の看板の明かりが映る。

「大人に紛い物の霊鳥を喰わせるのか」

相変わらずシキョウの顔は仮面のようだったが、それ故にか語気に怒りが混じったのは容易に感じ取れた。

「だァから言ったろ、とっくの昔に滅びちまってンだよ」

「ガハハ、あんなンおとぎ話だヨ、まあ魔法使いの間じゃあどうか知らんけどヨ」

流石のシキョウも眉を僅かに動かした。

「あんたいつも一言余計だよ……んで? 雉はあンのかい」

「ちょっと待てヨ……んー……」

肉屋はバラックの奥に潜り込む。

「哎呀(アイヤ)、生きてンのが三匹、冷凍が七匹」

「それ何時の冷凍だ?」

「雉なんざ滅多に出ねえからなァ」

「まあいいや、買った」

その雑なやり取りにシキョウの表情はみるみる険しくなる。

「安心しなよ、大人の口に入るのは新鮮なやつさ」

そうシャンがいやらしく笑うと同時に、店の奥では雉の断末魔が響き渡った。

「……」

シキョウは再び感情のない顔で、懐からなにか帳面を引っ張り出すと、何かを黙々と記し始めた。

「なんだそれ」

「大人から何か不信があれば報酬から天引きして良いと言われていてな、諸々の発言を事細かに書き記しているところだ」

「おいおいおいおい」

「二百万白から多少引かれたところで大金に違いはあるまい、或いはせいぜい二百白にならんよう口と態度に気を付けるが善い」

シキョウはやはり油断ない鋭い目でシャンを睨んだ。

「まあ最も、貴様が下らん茶番で大人に損害を与えようものなら、その代償は命で支払ってもらうがな」

「屌你(くそが)」

無論いまの悪態も、シキョウはしっかりと書き記した。



シキョウと言う油断の無い目付きの男から見るこのシャン・レイエイという料理人は、かつて彼が見てきた人間の中で最も得体の知れず、鼻持ちならない男だった。
そもそもシキョウがこういう腹に一物抱えてこそこそと立ち回る人間を好ましく思わないという哲学もあるわけだが、兎角このシャンという男には“ただそれだけでない得体の知れなさ”を感じて気分が悪かった。

と言うのは、先程から回る店々での、商人達がこの男に対する態度に何か暖かいものを感じるからだ。
自身の主である金大人を半ば脅迫し、効果があるかも分からない薬膳に大金を吹っ掛ける悪人に対して、なぜもこう楽しげに接するのか。

シャン・レイエイと言う男を知らなければならない。

この鼻持ちならない小悪党を知らなければ、この黒龍という闇に生きる者の本意、その一角を束ねる主の真意を知ることができない。

シキョウは自ら望んで“外”を棄てた。
その身ひとつで訪れた“闇”に安息を求めて。

シャンという男は、彼の願いを揺るがしてしまう。
優しい闇を求めて陽(ひかり)を棄てたシキョウが、本当にこの場所に骨を埋めて善いのかを、彼はこの男から見いださなければならない。

「……料理人」

「あいよ」

「時にお前が背負うその箱には何が入っている?」

切っ掛けはとりあえず何でも良かった。
出来ることならこの男と口を聞きたくないのだが、シャンが報酬減を嫌って黙ってしまった以上、ともすればこの先一生口を聞くこともなくなりそうだ。
シキョウは嫌でも、自らの選択に過ちが無いことを確かめておきたい。

「何の事はねえ、商売道具だよ」

それは恐らく、料理人と言うだけあって何らかの調理器具だと思うのだが。

「ひとつ気になることがあってな」

「なんだよ」

「何か、上等の布きれの様なものがはみ出しているのが気になるのだ」

その言葉にシャンは足を止める。

「あん……? まあ、気にするようなもんでもねえがな」

「悪いな、潔癖性気味なんだ」

「ここでは苦労するよ、あんた」

シャンは背負っていた黒い箱を降ろし、蓋を開く。

「……ッ」

すると、中には先程、大人と謁見したあの山吹色の衣の子供が収まっていた。

「これ、は」

「商売道具だってェの」

「こ、子供を、このような」

シキョウはさすがに狼狽したが、次の瞬間に開いた子供の瞳の異様さに言葉を呑み込んだ。

「マオマオ、子供じゃないね」

やはり、何かが異様だ。
この子供も、この男も。

「爸爸(パーパ)、マオマオ、お外に出たいね」

「めんどくせぇな、離れるんじゃねぇぞ」

マオマオを名乗る子供は何かぎこちない動きで箱を飛び出す。
その動きはシキョウに過去を振り返らせる。

「……」

「お目付けさんよ、このガキの方が俺よりヤベぇんだわ……しっかり目ェつけといてくれよ」 

マオマオはその場でくるくると回ったり、あどけない、たがそれ以前にぎこちない態度で愛嬌を振り撒く。

「おまえの子か」

「冗談じゃねえ、俺ァひとりもんだよ」

「……なら聞くが」

シキョウは小さく尋ねた。

「この子供は…… 殭屍(キョンシー)ではないのか……?」

その時のシキョウはやはり、表情を殺したままだった。

「……少なくとも人間じゃねえのは確かだ、ただ キョンシーでもねぇ」

「では」

「少なからず、あんたが関わってロクなことにならねェのは確かさ……俺だってヤバイ橋渡ってンのよ、下手に手ェだすなよ、命がたりねえぜ」

シャンは不敵に笑った。
このマオマオという子供から、なにか不吉な予感がするのも確かだったが、その真意までシキョウは量りきれない。

「爸爸(パーパ)、マオマオ、早くごはんつくりたいね」

「お、珍しくやる気じゃねえか……そろそろ行くか」

マオマオはそう言って再び箱に収まり、瞼を閉じて動かなくなった。

「……聞きたいことは多そうだな」

シャンは蓋を閉じながら、黙するシキョウに語りかけた。

「多少なりは答えるよ、信頼を得るのもサービス業の仕事だからな」

マオマオが収まる箱にシャンはどっかりと腰かけた。
その様をシキョウはやはり快く思わない。

「……わたしは玄西(シャンシー)の生まれでな」

「キョンシーを知ってるなら玄西の道士の伝承を知ってるだろうしな。そんな気はしたよ」

かつて過酷な石切場だった玄西では出稼ぎの労働者の事故死が多く、不憫に思った道士が遺体に術をかけて歩行を可能にし、キョンシーとなった故人の列を引率して故郷へ連れ帰ったという伝承がある。
その伝承がどう伝わったか、玄西の道士はいつのまにか死霊使いという不名誉な呼び名が付き、二流のエンタメ映画の敵役として良く登場するほどだ。
そも、好き者の間には大戦中にも死んだ兵士のキョンシーを創って死してなお戦わせた等という質の悪い噂も流れるが、真偽は定かでない。

「他所がどう思おうが勝手だが、死者と遺族への敬意、或いは“命”という概念への想いが厚いのが玄西の人間なんだ……その子供が生者であれ死者であれ……かように扱う貴様の気がしれん」

シャンはこの堅物な男の扱いを漸く理解する。

「……オーケイ、オーケイ……あんたには腹割って話そう、取り分減らされたくねえしな」

箱から立ち上がり、シャンは鎌首をもたげる。

「……“他所がどう思おうが勝手だが”、そうさなあ……千年は昔の話、済蓮魔導四門(ザイレン・マジェスティック・カーディナル・ゲート)の独裁下にあったころ」

「また壮大な話だ」

「俺はあんたの身の上話を信じて聞いたぜ、あんたがそのつもりなら俺は気分を害してこの仕事はナシだ」

「す、すまない、続けてくれ」

このとき、シキョウは己を恥じた。
シャンを話術に嵌めるつもりで自らの身の上を話した訳だが、その生真面目さを逆手に取られた訳だ。
これでシャンは如何なるホラ話でもシキョウを言いくるめる事ができる。
黒龍に生きるものの渡世術を甘く見すぎていた。

「……時の支配者、金獅子帝の座する金獅子門の直下、四つの皇家が存在したのはご存知の通り」

「東の青龍門、南の朱雀門、西の白虎門、北の玄武門」

「そりゃ誰でも知ってるだろうがな、青龍と朱雀の分家の分家が昔ッから金獅子門の台所事情を牛耳ってたのは知ってるか?」

「いや」

シキョウは首を横に振る。

「昔っから朱雀と青龍は仲が悪かったンだよ、金獅子帝の胃袋をどっちが掴むのかすら張り合ってやがった……その頃からそのくッだらねぇケンカを世の中は面白がってやがってな、ホラ、そこの飯屋の看板にだっていまだに青龍と朱雀が睨みあってやがる」

指差した先の看板には確かに青龍と朱雀が配されている。
これは済蓮において至極当たり前の様式としてシキョウは理解してはいたが。

「まあそれはおいといて、だ」

シャンは然り気無く再び箱に座した。

「同時に青龍門は済蓮の医療も司っていた……鍼灸、漢方、それから……薬膳」

「……」

「産業を司る朱雀門に手数で勝てるわけがないと踏んだ青龍の連中は薬膳を発展させて勝負した訳さ……その薬膳研究の粋、青龍門分家一代のたからが“こいつ”さ」

そう言ってシャンは箱を叩いた。

「その子が……」

「正確にはこいつの中身が、な」

シャンはシキョウに長い首を伸ばす。

「薬膳研究のすべてを記した書物が朱雀門に盗まれた……あろうことか連中は、金獅子帝に献上した“世にも珍しき生き人形四十八体”の内一体にその情報を埋め込みやがった。そいつがこの“マオマオ”だったって訳だ」

「じゃあ、そ、その子は」

「曲がりなく金獅子帝の遺産、天蘭帝自在傀儡四十八卦のひとつだよ」

真偽は兎も角、シキョウはその話の壮大さに呆気に取られた。

「……ところが朱雀門の思惑は大外れした。書物の封印を解くのに青龍の血を引く人間の認証が必要だったんだよ……その上、研究書は無くなっても研究者は健在だったからな、頭ンなかに残ってるレシピまでは盗めずにこの争いは永劫数百年続くわけだが」

「待て」

身ぶり手振りも混じり始めたシャンの話をシキョウは制止した。

「……閲覧には青龍の血筋が必要と言ったろう、なぜ貴様がマオマオから情報を引き出せる?」

「……は?」

シャンはシキョウの顔を見返した。

「そこはお前、察しろよ」

「察しろ、とはなんだ……途方のない件の話がホラだろうと真だろうと、結局お前は金獅子帝の威光に託つけた詐欺師なのではないか?」

そう言い放ったはずが怪訝な顔をしたのはシャンの方だ。

「あんた、本当になんかダメだね」

「なにがだ」

「なにがだ、じゃねえよ」

シャンは長い首をがっくり落として頭を掻いた。

「オ、レ、がッ、青龍一族のッ、末裔だッ、て! 言ってンのよ!」




霓虹路に夜は無い。
とはいえ金大人がシャンに言いくるめられて半日は経とうとしており、丁度その頃合いで大人はシャンに吹っ掛けられた大金のことで後悔を始めていた。
既に高価なブランデーを一本空け、五本も吸い付くした葉巻には外では禁制の大麻が含まれているのだが、大人の気分は一向に晴れやかになりはしない。
こんな時、普段であれば贔屓の右腕であるシキョウが甘言で気持ちを和らげてくれることであろうが、生憎そのシキョウはあの胡散臭い男に目附として着けてしまった。
こうしている間に大人は、自らの命の糸がミシミシと音を立てているのではないかと、胸の張り裂けん思いで堪える他なかった。

「金大人」

「な、なんだッ」

扉越しの声にすら、脈拍が一秒ほど止まったのではないかと思った。

「その、件のレイエイとか言う料理人のことで物申したいと……その……」

「ええい、刻を争うのだぞッ」

「ああーッ、お客様ァーッ!?」

突如、聞きなれぬ声と共に扉が乱暴に開かれた。

「……!?」

「金大人、無礼は平にご容赦を!」

飛び込んできた人物の姿に、金大人は血圧が瞬間的に二百ほど跳ね上がったような気がして思わず立ち上がった。

「……眉目秀麗……」

思わず、そんな言葉がまろび出た。

「金大人、騙されてはいけない」

「……明眸皓歯……」

「あの男は危険です、関わってはならない」

客人は訴える語気をさらに強めたが、肝心の大人はようやく大麻が効いてきたのか鼻の下を四センチ近く伸ばし年甲斐もなく顔を紅潮などさせて相手を凝視していた。

「お、お嬢さん、ま、まあお座りに……」

「何を仰るか! 気をしっかりと持ちなさい!」

「た、誰ぞ! この、う、美しい方に最も上質のお茶を! お食事はお済みか? もし宜しければ……」

「た、大人!」

従者の一人が耳打ちする。

「こ、この方は、す、すごいですよ」

「見りゃわかるッ!」

「はい、いや、そうでなくて」

従者も従者であまりの興奮と緊張で手が震えている。

「この方です……い、今、黒龍で時おり出没する……お噂をご存じ無いのですか!?」

「いいからッ、なんだと言うのか、美女の目の前でッ」

「この、この方こそ今ッ、最も黒龍で美しい魔法使い……ッ」

「タァァァァレェェンッ!!」

「ヒィィッ!?」

客人は怒鳴った。
それすらも二人には不思議と悦ばしい事に感じられた。

「し、失礼ですが、貴女様は……」

「わ、私は」

「プリンセス……!!」

唐突に従者が声を挙げた。

「済蓮本土よりいらっしゃった……超級美的魔導法師……ッ、狂月別姫(プリンセス・ルナティック)様ではありませんか!?」

「……」

客人は言葉を失った。
否、あまりにも“いつものこと”に呆れ絶望してしまったのだ。

「プリンセス・ルナティック……! き、聞いたことがある……ぞ!」

本当に血圧が上がってしまったのか、大人はよろめいて椅子に崩れ落ちた。

「あ、噫! ち、地上の天使が! いよいよもってわたしは死ぬのか!? いや、今死ねるなら本望!?」

「大人……落ち着いて私の話を」

「な、何をしとる、早くおもてなしを! 噫! なぜそのようなみずぼらしい男みたいな服をお召しで!? なんともったないない! お、おい、宝物庫から一番素晴らしいドレスを持ってこい、あ、お代は結構、貴女に差し上げるためにここにあったようなもの! あれだあの、朱雀の羽を織り込んだあの……!!」

「……お気が済みましたら私の話を聞いて下さいますね……?」

「ああ、ああいくらでも!! 貴女のお願いなら何でも伺いますとも!! 噫! なんて素晴らしい日だ!」

プリンセス・ルナティックはがっくりと肩を落としてされるがままにもてなされた。
恐るべき呪いだ。
いよいよもって自らの名前や存在すら失われつつある。

プリンセス・ルナティックは見つけなければならない。
あの男を。
この呪いをこの身に授けた、あのシャン・レイエイなる男を。



遥かな古代より済蓮国は、他国には無い独自の宗教感を伴う魔法技術を発展させてきた。

その根幹には“想”なる概念がある。

ヒトはその身の内に“想”を宿し、それを表現することを生として済蓮の宗教観は定義する。
“想”とは、ヒトの考える非現実の衝動……“想像”であるとか、“妄想”、“空想”、“幻想”といったものを形作る不可視の力だ。
所謂“魔法使い”、この国では“法力師”と言った表現もするが、彼らはこの“想”を鍛練により鍛え、現実にちょっかいを出す。
自身の意識の枷からはみ出した“想”は、世界を象どる力を綻ばせて世界に己を結ぼうとする。
その力を使って奇跡を起こすのだ。

そも、これは真しやかに囁かれる噂の範疇で、誰もその実態を知りはしないのだが、この黒龍城塞もまた、そういう“想”の力が顕現した“異界”であるとも言われている。
城塞の遥か地下には“想”を爆発的に増幅させる金獅子帝の遺物【世界渦輪(せかいタービン)】が今でも廻り続けていて、この異界に住まう人間から“想”を吸い上げてこの魔城を現界せしめているのだとも語られてはいるが、誰もそれを確かめた者はいない。

胡散臭い料理人の言うがままに【維多利亜歌廳(ヴィクトリア・キャバレー)】の控え室のひとつを金大人は一日買い取り、シャンはその中央で怪しげな儀式の準備に取りかかっていた。
法力師にとってこう言った“形から入る行為”は、自身から“想”を奮い立たせる為に最も重視される。
巨大な八卦の周りに何らかの呪術的紋様を無数にあしらった深紅の敷物の上、中心にはガスコンロにかけられた寸胴鍋、それを取り囲む様に首を落とされた雉が八羽、のこりの二羽は丁寧に下処理をして鍋の中に沈められた。
四方には清めた岩塩と幾つかの香辛料とが皿に盛られ、シャンは鍋を前に今一度儀式の首尾を改めていた。

「マオ、こんなんで良いのか?」

「概ねよろしアルね」

マオマオは鍋の廻りをヨタヨタと歩きながらそれぞれの供物を確認する。

「さて」

シャンは背後に立つシキョウを一瞥した。

「こっから先は企業秘密なんだ……が」

「……」

シキョウは既に不審な点諸々を書き示す為に筆を構えていた。

「……そう言って退くアンタじゃねぇよなあ」

「案ずるな……“お前が言うことが真であるなら”わたしが見聞きしたところで真似できる芸当でもあるまい」

「アイ、アイ」

シャンはマオマオに向き返る。

「じゃ、おっぱじめるか」

「爸爸(パーパ)」

マオマオは何かせがむ様に諸手を広げる。

「……邪魔すんなよ」

シャンはシキョウを改めて一瞥し、瞼を閉じたマオマオとおもむろに唇を重ねた。

「な」

シキョウが狼狽えている間に、その指がマオマオの胸をまさぐり出す。

「な、なっ」

そして柔らかな胸板を揉みしだき、左胸に浮かび上がる突起を指でつねった。

「んッ」

マオマオが一瞬顔を歪めた後、浮かべた表情は先ほどまでの子供のあどけないものではなかった。
それを認めたシャンが笑う。

「さあマオマオ、教えてくれ……地雉精死断麺の食譜(レシピ)を」

「……」

夢遊病患者のように目を据わらせたままのマオマオは、ゆっくりと息を吸った。

『────地雉ノ精ハ四面八卦二首落トシタル雉ヲ据エ───』

「おッ、きたきたきた!」

『────原初ノ釜タル混沌ノ鍋、別カタルハ則チ陰ト陽ナリ────』

所有者の“認証”を済ませたマオマオは、いまや喋る書物だった。

『────煮タツ混沌ヨリ澱ム魂ノ“想”ヲ見立テヨ』

鍋を中心に怪しげな光が像を結ぶ。
マオマオが紡ぐ“想”を呼び覚ます言葉をなぞるように、シャンは思考を巡らし始める。
やがて空間はシャンの心象との区別を失い、シキョウはその正気を疑うような儀式をまじまじと見せつけられた。

『陽ハ西ヨリ出リテ東ヘト向カウベシ』

『陰ハ地ヨリ出リテ天ヘト翔ルベシ』

『五色ノ薬香陰ヲ清メテ陽ヘト香リ』

『五臓六腑二色香美美』

今、目前にあるのは天地開闢以前の混沌だった。
首なしの雉が躍り千切れながら肉を縺れて鍋へとうねり、知り得ぬ香りを燻らせながら薬草の楽隊がそれに加わる。
噴き出す闇に朝が訪れ、昇る日は過ぎたる夜に向かって東へと走り出す。
朝の風は凄まじく幾万の声をも消し、通りすぎる人波に遠い秘境の景色を重ねても見えぬ空の秘密、そこから紡ぐ雨に灼けた往来の夢へと捧げられた贄が渦輪(タービン)を廻す。

「さあ来いッ、さあァ来いッ!」

時の摂理を見失い吠える夕闇の向こうから、見知らぬ鳥の群れが狂暴に飛び来たる。

「ォ瘟(オーム)ッ!!」

シャンが印を結ぶと同時に、鍋の混沌が吹き出し飛び狂う一羽の白い鳥を捕らえた。
光る羽は無惨に毟られ、九つもあった首はひとつ残らず屠られ、五色の臓物は引き千切られる。
その全てが非現実の量感を持ち、神話めいた絵空事の如く展開された。

「勅令ッ!!」

シャンが投げつけた赤い札が鍋を囲み、怯えたように混沌が去り、無惨な姿の地雉精は鍋へと落ちてその蓋が厳重に封印された。

「────ッ……!!」

シキョウが我を取り戻した時、すべての儀式は白昼夢のようで、目に映る確かな光景は何一つ変わらないようであった。

「あとはじっくり半刻程煮込んで美味しい出汁を取るね」

「よー……っし、これで一仕事終わりィ」

何事もなかったようにシャンは肩をまわす。

「お、い」

シキョウは声を掛けようとして、床に散らかされていたなにもかもが皿を残して失われ、鍋に赤い封印が施されているのを認めて口を噤んだ。

「よーし、そんだら麺もやっちまうか」

「麺は消化に良ければ別にどうでもいいね」

「そうもいかねーだろーよ」

シャンが別の食材の仕込みを始めようと荷物に手をかけた刹那。

「ッ────!?」

突如、部屋の戸が爆風と共に吹き飛んだ。

「シャン・レイエイッ!!」

野太いがなり声が響く。

「今日こそはマオマオ人形を返してもらうぞッ」

埃が晴れていく。
中から鋭い眼光が覗く。

「おま、えッ……」

シャンが狼狽えた。

「な……」

シキョウも訳がわからず攻撃者の姿を煙の中に探した。

「ユ」

「そうッ、聞いて驚け見て悶え!!」

「このお方こそ黒龍の月下美人、可憐なる夜来香!!」

「大人……?」

金大人とその付き人が恭しく頭を垂れ、奉りたてるその人影が明らかになる。

怒りに燃える双眸。
鍛え上げられた四肢。
はち切れんばかりの胸板。

そしてその屈強な“男”の身を包む……

あまりにも場違いな女性もののドレス。

「絢爛豪華! 羞花閉月!!」

「このお方こそが狂月別姫!!」

「「プリンセス・ルナティックなるぞ!!」」



未完待續 -To be continued-


最終更新:2017年06月12日 00:44