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白鯨航路:LOG03_BOHEMIAN_DREAMER

──ある年老いた水夫が風の日に船を出す。

老人は漁師だったが、不漁がすでに八十四日も続いていた。
漁師仲間からは馬鹿にされ、助手の少年は親の見限りによって別の船に乗せられてしまう。
だが少年は健気にやさぐれた老人の小屋に通い、身の回りの世話をしていた。

老人はある夜、ライオンの夢を見る。

水夫に成り立ての頃、少年時代にアフリカで見た孤高なライオンの夢を見る。
その朝、老人はこれまで行ったことのないほど遠い海へと一人向かい、経験を頼りに大物を狙う。
そこから老人の孤独な戦いが始まった。
かつて若かりし日、大物を釣り上げたときの栄光を反芻しながら、老人は独り、獲物を待つ。

やがて軍艦鳥の舞いから獲物の存在を確信すると、これまでにないような強い“引き”を感じた。

それは、四日間に及ぶ長い闘いの幕開けであった。



「──」

タナカは与えられた客室のベッドに横たわり、自分の私物である通信端末と小一時間にらみ合っている。

火星港にたどり着いた時には気づかなかったが、一週間前から送信され続けてきた母親からのメールが電波圏内への復帰により一斉に届いていた。
通常インフラの存在しないホエールラインの中では圏外であったものの、各ステーションにはそれぞれの通信キャリアが基地局を置いている。
通信そのものはホエールラインを介してリアルタイム通信を可能にはしているが、一般的な通信電波インフラまで敷設はされていない故のタイムラグだ。

初めはごく事務的に“今日は帰らないのか”との内容であった物が一日経てば高圧的な言葉に変わり、二日目からは謝罪の言葉と後悔が積み重なった。
三日目からは一日一回の送信に変わったが、本文はその分長く重苦しいものに変わっていた。

──その合間には、兄からのメールも一通、挟まっている。

母さんとの軋轢もわかるし、家出したい気持ちもわかる。
でも、いいかげん、連絡のひとつでも寄越してやったらどうだ。
父さんのことも想い出して、随分と気が滅入っているようだ。

お前の気持ちもわかるけど、思いやりも必要だよ。

「──」

わかられてたまるものか。

タナカは最後の一文でそう腹を立て、兄にだけいま火星に居り、天王星に父を探しに行くつもりだと返信した。
あと数ヶ月は帰らないし、帰りの算段もつけていない、と。

その送信から一、二時間して、母親から大量の抗議のメールが届き始めたが、タナカはそこで端末の電源を切ってしまった。

一方的で我が儘な強がりであろうという自責の念は拭えなかった。
反面、相応に腹を立てているのも事実であり、自分の自尊心が傷つけられているが故の行動である旨に理解を求めているのもわかっていた。

──けれど、自分に自尊心のようなものが備わって、一体なにになるのだろう。
ただ誰かの言いなりなることこそが世界の真実で、そうして上手いことやっていけている家族には理解が及ばなかったりするのだろうか。

タナカはひとつ深い溜め息を吐くと、母親とのやり取りを見返していた端末を放って瞼を閉じた。
電源を切ったのは二日も前で、既に船はホエールラインの中にある。
次なる寄港地は木星だと聞いた。
順当に太陽系の外側に向けて惑星を巡っていくのだそうだ。

ここ数日は眠りも浅く、いつまたサウダージ症候群に苛まれてもおかしくない精神状態ではあった。
二度の発作を経験してわかったのは、不安に思ったり何かに追い詰められた状況が呼び水になりやすい、と言うことだ。
クルーが概ねトラブルに対して楽観的なのはある種の自己防衛なのかもしれない。
先日もタナカはとある備品倉庫の照明をショートさせてしまったが、ボルトは苦言を呈しながらも責めはしなかった。
タナカはその状況に甘えていてよいものか、と、時折考え込むようになった。



「ん、タナカか」

ふとコーヒーでも淹れようと食堂に立ち寄ると、ボルトがキッチンを物色している最中だった。
真夜中でも食堂と、その階下にあるレクリエーション・ルームは何時でも開かれている。
柔らかな間接照明の灯りだけが点っていて、寝付けないクルーや夜間見回り当番がリラックスできるよう配慮されているのだそうだ。

「あれ、遅いですね……」

「夜の見回り(ワッチ)の上がりだよ。まあ、セキュリティには自信あっから形式的なやつだけどさ」

冷蔵庫には、そういう夜勤クルーのためにゲイルが軽食を用意していた。
半分食べるかと促すボルトに、タナカは頷く。

「ボルトさんはコーヒー飲みます?」

「おう、砂糖とミルクも」

ディスペンサーにオレを二つ分注文し、出てきた紙カップをボルトに差し出す。

「……最近寝れてンのか? 顔やつれてンぞ」

「ああ、まぁ……火星でまた家族とちょっと」

「──そっか、家出してんだっけな」

暖め直したホットドッグの皿をテーブルに置き、ボルトとタナカは隣り合った席に座す。

「……おれはそう言う面倒事わかんねぇからな」

「家族と仲はいいんですか?」

「あ? あぁ、おれ家族居ねえんだよ。孤児だから」

ホットドッグを咀嚼しながら、ボルトは至って感慨なく応えた。

「物心ついたときから施設暮らしで親の名前も顔も知らねぇ」

「そう、ですか──」

「だから家族だなんだって言われてもピンと来ねぇんだわ。まあ、この船の連中がそうだってんなら、そうかなぁとは思うけど」

完全に手が止まってしまったタナカに、ボルトは残ったホットドッグを勧める。
言われるがまま手に取るも、タナカは少し、申し訳ない気分になる。

「同情すんなよ、別に、アワレぶりたくてそんな人生してるわけじゃないし」

「あ……はい……」

「……別に苦労してたつもりはねーんだよ、周りに言わせたら相当やばかったらしいけど」

そう応えるボルトの表情に特に変化はない。
だが、そこから語られる言葉に、タナカは萎縮を禁じ得なかった。

「物心ついたときには土星に居てさ──土星って治安やべぇんだよ。開拓時代からヤバい企業が地球から離れてんのを良いことに悪どいこといっぱいやっててさ」

「あの……水カルテルとかそう言うのならニュースで見ます、よくわからないけど……」

「そんなン序の口だよ、児童労働やら略奪だとか当たり前でさ……おれも福祉団体を隠れ蓑にしてた宙賊連中の片棒を担がされてた訳さ、善悪もなンもわからずに教えられた通りをやってた」

宙賊、要するに宇宙海賊である。
往来する商船に乗り付けて、略奪行為を行うのだ。

「海賊を……ですか」

「いやいや、おれがやらされてたのは、そういう連中に追われてアステロイド帯に座礁した船が落とした物資やら部品やらをかき集めて売りさばくハイエナみたいなもんだったよ、スカベンジャーとか呼ばれてたらしいけど」

コーヒーで舌を潤し、そこで漸く、感慨深そうにボルトは溜め息を吐いた。

「機械いじりが好きだったんだ、おれ。施設の学校でも教えられてたし……まあ、盗品を治して売りさばくための技術なんだけどさ」

「……」

「ある時とんでもねぇ大物が“釣れた”んだと。詳細はわかんねぇけど軍艦の部品だか残骸だかだったらしい。宇宙戦艦なんて冗談だと思ってたけど」

ボルトは小さく微笑み、カップのなかで渦巻くミルクを眺めている。

「ヤバい代物だからって買い手がなかなかつかなくて、バラして売るかどうするかって相談をしてたらしい、まぁ、おれはそんなの露知らずでそこを遊び場にしてたんだが」

「それって……」

「まぁ聞けよ」

ボルトの柔らかな笑みに、タナカはふと手にしたままのホットドッグを思い出して一口かじりつく。

「──つい、秘密基地みたいで楽しくなって、死んでたジェネレータのバイパスに手を加えちまった……そしたら、あいつが出てきたんだよ」

“あいつ”、それが指す人物には心当たりがある。

「見たこともないタンクが開いて、ゾンビみたいにあいつが出てきた。ほんとビビってショック死するかと思った……」

「まさか、それ」

「──“キャプテン”だよ」

ボルトが応えた名は、タナカの想像する通りだった。

「あいつが目覚めたとたん、“船”は息を吹き返した……そんで、事態に気づいた時には、おれたちは地球に向かう航路に乗ってた……無論、物資も何もなくて、木星軌道前で警備公社に保護されたんだけど」

「────」

「あいつは記憶が無ぇって言うし、おれは違法な児童労働者だしでてんやわんや、元居た施設の職員は全員逮捕されて、晴れておれは天涯孤独……そのあとまあ、いろいろあって、この船を会社に貸して生計を立ててるって訳だな」

せっかくかじりついたホットドッグも、二口目を入れる前に話の展開に圧倒され、タナカはぼんやりと口を開けているしかなかった。

「……映画みたいな話ですね……」

「だろ……馬鹿馬鹿しくて他人に話したくないンだよ」

ボルトは照れ臭そうに鼻を掻いた。

「……僕は本当になにもない人生だな」

そうタナカは自虐的に呟く。

「はぁ? おれみたいな馬鹿馬鹿しい底辺人生がよかったって?」

思わず首を横に振ってしまい狼狽えるタナカを、ボルトは笑った。

「何言ってんだか、密航して天王星まで行くつもりの男の人生がなにもないわけねーだろ」

呆気にとられるタナカの額を、その指が雑に撫で回す。

「……それも、そうですね」

「おう、自慢できる話じゃねえけどな、まあそれはおれも同じだろ」

タナカは漸く、肩の力が抜けた気がした。
その表情が柔らかくなったことに気を弛めたのか、ボルトは少し伏せ目がちに口を開く。

「──寝れねぇならよ……その、一晩付き合ってやろうか?」

「あ……」

「その……また発作がねぇか、心配なんだよ」

ボルトはなぜかタナカから目を反らし、口を尖らせながら呟く。

「……ありがとう、でも、今日はなんだか寝れそうです」

「……そう、かよ」

食欲が出たのか、タナカは残りのホットドッグを三口程で平らげた。

「──また、しんどくなったときは、頼らせて下さい」

「お、おう……」

「……おやすみなさい! 明日からまた頑張ります」

食器を下げ、軽い足取りでタナカは食堂を後にする。
今度はボルトが、それを呆けたまま眺めていた。

「──先輩風吹かすの、やめよって思ってンのになぁ──」



ACCモビーディックの次なる寄港地、木星は、現在の宇宙物流の中心惑星と言って過言ではない。
ソル太陽系──即ち、人類が暮らす地球(テラ)が存在する太陽系内にあって、最大の質量と面積を誇る惑星である。
直径で言えば地球の約十倍とされるその巨大な惑星は、言わばそれそのものがエネルギー資源の塊のようなものだ。
例えば、主流の発電方法として流通し始めた核融合反応に必須な“ヘリウム3”が主な産出物として挙げられる。
これはわざわざ木星まで取りに行かなくとも、地球(テラ)の衛星である月(ルナ)の砂中に豊富に含まれていることが知られてはいたが、ホエールライン開通後では月~地球間の物資輸送よりむしろ木星~地球間の物流の方が利便性が高まってしまい、再び注目されるようになった背景が存在する。

また、木星と言えば特徴的な縞模様を生じる分厚い雲が有名だが、その下には高重力で圧縮され、液体金属の姿に相転移した水素──すなわち“金属水素”が存在する。
これは燃焼することで酸素中で通常の水素を燃焼した際の二十倍のエネルギーを放出し、さらに燃えた後には水を排出する極めてクリーンな燃料として利用される。
また、この物質は室温程度で超伝導性すらも発揮するとされている。
そんな新時代を切り開く資源が、木星内部には大量に存在しているのだ。

このことから、木星は今や“宇宙のサウジアラビア”とも揶揄されるエネルギー産業の中心地となっており、それは同時に、木星圏周辺のトラフィックが増大し、事故の多発する物流の難所であることも意味している。
さらに言えば、木星資源を巡って地球各国、あるいは新興の企業国家同士の摩擦も大きく、バッドニュースにも事欠かない惑星でもある。
故に“人類の共通資源”としてのバランスを保つため移民は行われず、各採掘ステーションの人員は一時的に滞在することはあっても交代制となっており、住み込みで研究が行われている火星や土星との大きな違いとなっている。

「──できた? そしたら、出てきた船全体の見取り図のうち、“緑”で表示されてるブロックは問題なし、“黄色”で表示されているブロックは、“普段とちょっと違う動態反応”を感知してるんだ」

ブリッジでは今、タナカがガノフに“航宙当直(ワッチ)”の方法をレクチャーされていた。
とは言え、船の機能の殆どがオートメーション化されている現在では、このようにタブレットコンピュータ一台で船体全体のチェックを行うことが可能だった。
基本的に、船員の行動パターンの多くがコンピュータへのディープラーニングによって学習されているため、よほど何か特別な行動を起こしていない限りは、コンピュータは“異常なし”と判断を下す。

「例えば、“その時間帯に普段、人が立ち入らない区画に動態反応がある”とか、そういう場合に黄色表示が出る。そしたら、そのブロックをタップすると監視カメラの画像が出るから、それで異状がないか確認して」

「それで異状がなければ大丈夫ですか?」

「うん、“異状なしと確認できたら”大丈夫。ほら、例えば、普段人が居なくてもたまたまボルトが何かを修理しに入ってるんだな、っていうのが、映像で確認とれたならオッケーなんだけど」

例として食堂のブロックをガノフがタッチすると、ちょうど夕食の支度を始めたゲイルの映像が表示される。

「明確に“異状がないと確認できなかった”場合──誰も写っていないのに動態反応を感知してるとか、照明が付いてなくて明確に目視できない場合は、そこに直接赴いて確認しなくちゃいけない」

「え、怖いです……なんで動態反応があるのに映らないんですか?」

「──ネズミとかの小動物にも反応する。あるいは何者かが潜んでて隠れてるかもしれない」

横で聞いていたボルトが口を挟む。

「明らかに員数外の人間が区画を移動したりすれば、動いている方向に黄色ブロックも移動していく……その動きを先読みして待ち伏せする必要も出てくるンだよな」

「や、やめてくださいよ……員数外の人間が侵入するとか……ないです、よね……」

「……お前ジブンのこと棚に上げてナニ言ってンだよ……」

そういえば自分も密航者だったと、タナカは今さら思い当たって恥じた。

「本当にワッチできンのかお前……木星入り前に夜間の見回りしてくれるんなら助かるけどよ」

「それ以外にも、商船協定でステーションの交代員をゲストとして乗船させた時、迷子になっちゃった場合とかでも反応することがあるから怖いことじゃないよ。むしろそのパターンが主かなぁ」

ガノフのフォローに、タナカは胸を撫で下ろす。

「あ、明確な異常がある場合はどうなりますか?」

「火災とか機関故障とか、そう言う異常がある場合は“赤”で表示される。でもそもそも、そう言うのが起きた時点で全員の端末に通知が来るから、ワッチの際はこの黄色ブロックのチェックだけ気にしてくれればいいよ──」

そうガノフが言った矢先、唐突にブリッジ手前のブロックが黄色で表示された。

「──ん?」

ガノフが区画チェックするもカメラに人影はない。
だが、黄色ブロックは徐々にブリッジに向けて移動していく──

「──でぃやだばぁー、だでぃやでぃやでぃぃーやぁー♪」

そう酒瓶片手に歌いながら現れたのは、ゴローだった。
その姿に据わった目でボルトが呟く。

「……ほら、こんな感じでヨッパライが徘徊してても反応する」

「ヨッパライじゃねぇぇよぉぉん~☆」

──こんなステレオタイプのヨッパライは、人類が木星や土星に行き交うような時代になっても絶滅する気配がない。

「あッ、蒸留酒呑んでるっ! 規約違反じゃないですかぁ!」

「んぁー!? 堅ぇコトぬかしやがってよぉ~、カッてぇのはテメェのチンポコだけでジューブンやろがいッ」

ガハガハと自分で言ったことに笑いながら、ゴローはガノフに絡みに向かう。

「うわッ酒臭ッ!!」

「デカマラ野郎は堅ぇこと言わずに御自慢のでっけぇブツを硬くしろってよぉ~、ジブンで歌ってただろぉ アカジベデーっ、デーカマラ♪ってよォ~」

「Agua di beber(おいしい水)ですよそれはッ! 無理矢理下ネタに組み込まないでくださ──んンッ!」

唐突にゴローはガノフの背中に抱きつくと、脇を抜けて豊満な胸筋に指を這わせる。

「あぁーん、なんだってェ? 俺にいっぱしに口答えするよォになったンかぁお前はーッ、どっちがエライかまたちゃぁーんとカラダに教えてやッ」

と、おもむろにボルトが取り出したレンチで後頭部に強烈な一撃を食らったゴローは暫しその場に蹲る。

「ってぇ──!! テメェこんにゃろッ……!!」

そのうちにガノフとタナカは安全圏に避難した。

「こちとら仕事してンだよ、邪魔すんなオヤジ」

「なんだとぅテメェッ、俺様のこの頭脳があるから無事航海できるンだろうがッ、ノーサイボー今ので減ったらどうしてくれるッ」

「オメーとキャプテンには大層なノーサイボーついてねぇって知ってンだよ変態くそオヤジがッ! 地球のカミさんにチクッてやろうかッ!?」

凄まじい口喧嘩と共にメンチを斬り合い額で唾競り合う二人にタナカは怯え、ガノフは巨体でそれを庇う。

「げへへへへッ、んなモン怖ぇと思うのかクソガキがぁ、カーチャンだろうが俺のイチモツで一発オンナにしちまえばイチコロよぉ、そんなこんなで四発も仕込んじまったけどよぉげへへへへッ!!」

「そおいう節操なさが気に喰わねえッて何度言や分かるんだ下品な種豚野郎がッ、その大事なバルバスバウ一発コイツでおシャカにしてやろうかぁ!?」

「……タナカくん、収拾つかないから今のうちに逃げな……」

ガノフに促されるまま、タナカはブリッジを密かに抜け出した。

──とは言え、この約数分後には、派手な転倒音を聞き付けて戻らざるを得なくなるのたが。



──水夫は針に掛かったカジキマグロとの闘いのなかで、いつしかこの獲物に対して愛着のようなものを感じ始めた。
素手で一本の糸を繰り、獲物が弱るのを辛抱強く待ちながら、過ぎたる記憶をとりとめもなく思い出す。

例えばそれは、アフリカの岸辺で見たライオンの群れのこと。
例えばそれは、力自慢の黒人と一晩掛かりの腕相撲を繰り広げたこと。

年老いた水夫にとってはそれらが自身の誇りであり、年老いて尚自身を震い立たせるものだ。
大魚の強く引いた糸に両手を切り裂かれようとも、老人は未だ諦めることはない。

老人は大魚に向かい、大声で、しかし優しく語りかける。

“おい、おれは死ぬまで、お前につきあってやるぞ”

“おれはお前が大好きだ、どうしてなかなか見上げたもんだ”

“だが、おれはかならずお前を殺してやるぞ、きょうという日が終わるまでにな”

こうして迎えた四日目にして、遂に老人は獲物を仕留めた。
しかして、彼の本当の闘いは、ここから始まるのだ。



「あーちくしょう、腹立つなぁ」

ボルトは後頭部に貼られた湿布薬を擦りながら一言ぼやく。
ちなみにこれはゴローと取っ組み合いになった後、ブリッジの壁に打ち付けたものだ。
一方のゴローはと言えば、それと同時にバランスを崩して派手に転倒し、同じく頭を強打して脳震盪を起こして文字通りに頭を冷やしている。

「大丈夫です……?」

「ボルトの石頭は簡単には割れないよ」

治療を終えたゲイルが一応カルテに外傷の様子を書き込みながら応じる。

「割れてたまるかッ──あのオヤジの人絡みの悪さ見ただろ、タナカもキツく当たってやれよ」

ボルトはそう吐き捨てて、よろめきながらブリッジに戻っていく。

「……あれ、なに持ってンの?」

ふと、ゲイルはタナカが手に持つ物に気がつく。

「たぶんゴローさんが落としたものだと思うんですけど……」

タナカはそのくたびれた文庫本(ペーパーバック)をゲイルに渡す。
ブリッジで倒れた二人を介抱し、ガノフが医務室に運び出した後で拾ったものだ。

「──“老人と海”じゃん、ヘミングウェイなんてオヤジ読むかねぇ」

「俺の趣味じゃねぇってか?」

痛ててと小さく呻きながら、目を回していた筈のゴローが身を起こす。

「意外とインテリなんだぜ、俺」

「インテリがてめえのセガレくらいの若造と取っ組み合いなんてしてンじゃねぇよ。ったく……」

「イッ!?」

本の角で腫れ上がった額を小突かれ、ゴローは小さく悲鳴を挙げた。

「火星でこっそりウィスキーなんて持ち込みやがって……酒癖悪ィんだから酒は控えろって何度言や聞くんだか」

「醸造酒なんかで酔えるかよッてナ。まぁ酒保(ボンドストア)の酒みんな空けちまった時に比べたら減ったろうさ」

憎まれ口を叩くゲイルの額をわしわしと雑に撫でてから、ゴローは医務室を後にする。

「世話ンなったなハニー、また夜に」

「……はぁ」

ゲイルは頭を抱えてため息を吐く。

「……なんか親子の会話みたいでしたね……」

「ジョーダンやめてくれよ、あんなんが親父だったら身が持たねえっての」

ゲイルはそう笑い掛けた。

「──」

笑い掛けたが、その声には何か含みがあるような気がした。

「……ボルトさんとゴローさん、そんなに仲悪いんですか」

「あ?」

タナカの問いかけにゲイルは締まりのない声で返す。

「別に仲が悪いワケじゃねぇよ、ただ見ての通り、お互いにコミュニケーションがヘタクソなだけさ」

「あれで仲悪くないんですか!?」

「仲悪かったらオヤジはとっとと見限ってるだろうしさ。あのレベルの航宙士だったら職には困らないだろうし」

航宙士と言う仕事は、ナビゲイターの次に宇宙船に無くてはならない人材だ。
ホエールライン内部に発生する空間乱流と呼ばれる現象に対し、その流れを予測し回避ルートを構築する。
気象程には激しく変動しないものの、惑星の重力や他の船が起こす波の振幅などからデータをとり、“灯台”が発信する予報を加味して影響の少ないルートを操舵士あるいはオートパイロットプログラムに示唆する仕事である。
数学的な知識と船乗りとしての経験が問われる職務であり、将来的にはガノフも同じ立ち位置になる
逆に言えば、一級航宙士であるゴローはやろうと思えば操舵士を兼任することも可能なのだ。
さすがにモビーディックのような大型船では兼任は煩雑で危険なため分担されているが、ガノフになにか不調が起きた場合にはゴローが代わりに舵を握れるということでもある。

大吾郎・アレクセイ・バイロンズは、立場を加味しなければこの船で最も能力の高い人間であると言える。

「まあ、でもほら、あのキャラじゃん? 地球の奥さんとも殆ど会えなくて寂しいんじゃねーのかな、そのせいか人絡み癖が悪くてさ」

「──」

「だからまぁ、あれはあれでれっきとした“コミュニケーション”なんじゃねーのかなって、その度に怪我されちゃこっちの身も持たねえけど」

タナカは理解に苦しむ。

「まあ、組み合わせの悪さはどうあれ、オヤジはボルトと拳で語り合って、ガノフとセクハラでコミュニケーションを取って……一応目的は果たしてるわけじゃん」

「いやもっとフツーにコミュニケーション取ればいいじゃないですか……」

「そのフツーって、相当難しいお題だと思うんだけど。お互いの“フツー”が一致してるとは限らないワケじゃん?」

頬杖を突きながらも、ゲイルは優しげな視線をタナカに向ける。

「あれがオヤジの“フツー”で、ボルトの“フツー”なんだよ。どうせ自分にとって他人はエイリアンなわけでさ、自分がフツーだと思って言った言葉が相手を傷つけたり、誰かの言うフツーが信じられなかったり」

「──」

タナカはこの時、母親や兄との意志疎通の困難さを思い浮かべる。

「それはもう仕方ないことじゃん? だから、お互いにお互いのフツーで喋るしかないんだよ、その組み合わせの結果がああなっただけで、それがあの二人のフツーだったってだけ」

「……でも、それで、コミュニケーションが成り立たないときはどうすればいいですか」

「まあ、簡単なのは自分のフツーを曲げることじゃない? そう言うことが要するに“柔軟性”ってことなんでしょ」

タナカは、それに納得がいかない。
他人は言いなりになれば楽なのは確かなのだ。
それでも、それに納得がいかない。

「──でも柔軟なだけじゃ“自分”を保てない。かと言って、カタすぎるとすぐ傷つくし、簡単に折れてしまう」

「……そう、ですか」

「骨と一緒だよね。ある程度の柔軟性があるから折れ難いし、だからオレたちは二本の脚で立ち上がれるわけさ。ただ柔らかいだけじゃ自力で立つことはできない。ある程度は柔軟に、でも自分を無くしちゃいけない」

俯くタナカは見るゲイルの顔は、なにか懐かしいものを慈しむかのような眼差しを湛えていた。

「──そういやさ」

「はい?」

「あれから──“アレ”の発作、大丈夫?」

アレ、とはすなわち。

「“サウダージ症候群”ですか……最近もっぱら疲れて寝ちゃってたので、寝つきがたまに悪いくらいで……」

本当は一度、火星入りの直前で大きな発作があったのだが、それはゲイルには言わなかった。

「ならよし、もし必要なら入眠導入剤くらいならあげるから。これから先用心しなよ」

「……これから先?」

「あれ、“地球から離れる”認識があると途端に頻度上がるんだよ……特に木星圏越えた辺りとかかな」

なるほど、“重症化したホームシック”と揶揄される理由がここにあるらしい。

「オレでもいいけど、木星圏離れる頃には夜はなるだけ一人にならないようにしな、みんなもわかってるはずだけど」

「──はい、気を付けます──」

ふと、長居をし過ぎたことに気づいてタナカは席を立つ。

「……」

頬杖を突きながら、若者の背中をゲイルは感慨深そうに眺めていた。



幾日かの訓練を終え、ついにタナカは夜間見回りを一人で任された。
航宙当直、所謂ワッチは四時間三直制のローテーションが組まれており、今日タナカが命じられたのは、地球基準時間午前零時から午前四時の間、および、午後零時から午前四時間の当直、関係者に“ゼロヨン直”と呼ばれるローテーションである。
かつての船舶で用いられた航海当直では船員階級によって担当時間が割り振られていたのだが、セキュリティシステムの成長と少人数運用の関係からあまり重要視はされなくなり、ほぼ形骸化しているとも言われている。

タナカに命じられたのは、一時間おき、計四回のセキュリティシステムチェックである。
ブリッジの端末で船内スキャンの結果を確認し、普段見られない動態反応を示した場所をカメラでチェックする。
もし、カメラで動態反応の要因を確認できなかった場合は、目視にてそれを確認しなければならない。

ガノフやボルトに教わった通りに、端末を操作する。

午前一時のチェックでは問題は認められず。
水筒で持ち込んだ暖かいカフェオレを飲みながら、タナカは次のチェック時間を待つ。

──思い起こすのは、やはりガノフと少なからず性的な関係を持ってしまったことだ。
あれから互いにその話題を出すことはなかったものの、やはり、何かと二人きりになると変に意識をしてしまう。

いや、正確に言えば、接吻を交わしているボルトとも、性的な接触は行っているのだ。

あれらは一体、なぜそんなことになってしまったのだろう。

サウダージ症候群なる奇病の所為にしてしまうのは容易かった。
あるいは、自分が初めて経験しただけで、他の男たちも耐え難い恐怖に対して性行為で対応している可能性は十分ある。

“サウダージ症候群の症状には性的接触がいちばん効く”

ゲイルの言う通りであるなら、あのような行為を当たり前のように行っている可能性はあるのだ。
この、船上という閉塞した世界においては、それが自然なことなのかもしれない。

しかし、それをそうと受け入れて良いものか。
拒みたいと言うことではなく、それに付随した感情の問題だ。
性交渉の経験の無かったタナカにとって、性行為とは未だ神聖で純潔な愛の儀式であり、それに乗っ取らない行為は禁忌のように感じられた。

──だが彼は求めてしまった。
──本能に任せて。

そして互いに秘め事なく身体をさらけ出し、その欲望をぶつけ合った。

──それは欲望だったろうか?
──そう割りきれるものだったろうか?

衝動的であったのは否めないが、決して肉欲のままに身体を重ねたわけではないはずだ。

あれは、本当になんだったのだろう。

「──おっと、いけね」

危うくチェックを忘れそうになったタナカは、あわてて船内スキャンを実行した。

「……あれ」

七階居住区、すなわちキャプテンとタナカを除く四人の部屋があるブロックが黄色で表示される。
予期しない動態反応を示したその表示をタナカはタップし、監視カメラの映像を確認する。

──該当する動体、確認できず。

しかし、異変はひとつ確認できた。



ゴローの部屋の扉が開け放たれたままなのだ。



「……っと……」

タナカはブリッジの大型端末を分離させ、タブレット部のスリングを鞄のように肩に掛けると、九階ブリッジから七階居住区画へ降りてきた。

「侵入者じゃありませんように……」

正直な所を言えば、タナカはこういうホラームービーやパニックムービーのような展開をことごとく苦手としている。
それでいてよく密航などというクライムサスペンスめいた行動に出たものだが、いざ自分が探索者の側に回ると不安が増すらしい。
ハンディライト片手に、非常灯だけで照らされた区画内を進む。

「……ゴローさん?」

扉の開け放たれたゴローの部屋を覗き込む。
わずかな照明だけが灯った部屋には、ゴロー本人の姿はない。
男やもめか単身赴任の会社員の部屋、と揶揄していい空き缶と灰皿の目立つ部屋だ。
その一方で妙に雰囲気作りにはこだわっている様で、ムーディーな間接照明があり、壁には何か洒落た絵画のポスターが額装されていた。

満月の浮かぶ砂漠に、黒人の女が横たわっている。
その傍らには雄のライオンがおり、女に頬を寄せているようにも見える。
やや稚拙というか抽象的に描かれた絵画であるが、独特の雰囲気と言うものは美意識に疎いタナカにも感じられた。

「──!!」

ふと微かに、部屋の外で物音がした。

タナカは思わず息を飲みながらも、ひっそりと部屋の外の様子を窺い、こっそりと物音の方向に足を進める。

この方向はたしか共用ランドリーとシャワールームがあるはずだ。
この区画はプライバシーエリアが多く、監視カメラは少なく動態センサーだけが設置されている場所が多い。
無論、脱衣場を兼ねるランドリーにはカメラが無い。
ゴローが寝付けずシャワーでも浴びているのを確認さえできるなら、それで良いはずだ。

「──」

──非常灯の薄明かりの下、確かにゴローはランドリーに居た。
たが、シャワーを浴びようとしている様子ではない。
なにかに顔を埋めている様にタナカには見えた。

「──ゴローさん?」

恐る恐る声を掛ける。

「っ、なんだ、タナカかよ……」

ゴローは一瞬身を強張らせたあと、タナカに向き返る。
その手には何故か、ボルトの作業服があった。

「──どうされました? 大丈夫です?」

タナカは怪訝な顔で訪ねる。

「んぁ……まあ、寝付けなくてよ」

後ろ手に作業着を隠しながら、ゴローはにやりと笑みを返す。

問題はその姿だ。

白のビキニ下着一枚、他に一糸纏わぬ世界で、何故かボルトの洗濯物を手にしている。

そして、タナカに向き返ったゴローの身体には、異様に目立つ一点があった。

「──────」

「あン? どうかしたか?」

──努張りした逸物が、ビキニを前方に押し上げていた。

「いや、その──」

「ン? 珍しいモンでもあったかよ」

それほど伸縮性の無さそうな生地が、千切れそうな程に引き伸ばされている。
その下に浮かび上がる逸物は、まるで缶コーヒーでも忍ばせているのかと思うほどの存在感を誇っていた。
そしてゴローは、それを恥じるでもなく、タナカに向けている。

「……っ」

「──ドコ見てンだァ? こいつか?」

ゴローはそう笑うと、下着をずり下ろす。
ブルンッと音でも立てたような迫力で、その巨根はタナカの前に現れた。

「わッ!?」

思わぬゴローの行動にタナカは声を挙げる。

「ホラ、見てえんだろ? 見ていいんだぜ?」

「────っ」

タナカは思わず、その一点を凝視する。
赤黒く染まりそそり勃つそれは、まるで異星の生物かのようにグロテスクに脈打っている。
幹には太い血管がうねり、鈴口は微かに濡れているようだ。

「なんだ? 物珍しそうに見やがって……てめえにもぶら下がってンだろ?」

「い、いや、それほどでも……」

「意味わかんねぇよ、こんな立派じゃねえってか?」

ゴローは機械の右腕で雑に自身の逸物を掴むと、軽く上下に振ってみせた。

「まあ、何発仕込んだかわかんねぇくらい使い込んだからなぁ、こんだけ年期が入ったブツなんかそうそう見れないだろ」

「あ、はい……」

「ホラ、もっと近くで見てやってくれよ、コイツが喜ぶぞ──」

ゆっくりと逸物を扱きながら、ゴローが歩み寄る。

「──え──」

思わず息を飲む。
まるで金縛りにでも遭ったように身動きが取れなかったのは、裸体で迫るゴローの“凄味”に圧されたからに他ならない。
なにより、自分より遥かに筋肉量の多い、ガノフとはまた違った意味の巨体を持つ強面の男が、陰茎をそそり勃てて迫ってくるのだ。
それが例え知った顔であっても、驚きに身を竦めてしまうのは避けられない。

「な、なに、してるンすか」

「寝付けなかっただけだっつったろ、そんで、たまたまお前に逢っただけサ」

タナカを壁際まで追い詰めたゴローは、左腕を壁に突いて顔を寄せる。
しかし退路を絶った訳ではない。
タナカには、その場から立ち去る選択肢は与えられていた。

「……お酒、飲んでるンすか……」

「あ? また俺が酔っぱらってると思ってンのか……?」

それでも、タナカは、その場から動けなかった。
ただ恐怖で足を竦めていたと言うにはまた異なる感情だ。
無論、恐怖という成分はそこに含まれては居たものの、一方で無意識に抱いた若干の好奇心であるとか、避けたら悪い気がするという妙な気遣いなど、整理しきれない感情で次に取るべき行動を正しく選択できない混乱状態と言うのが正しい。

「──ちょっと酒臭いですよ」

「フハッ、酔っちゃいねぇが引っ掛けたのは確かだナ」

近づいた唇から漏れる吐息はアルコールの匂いがした。
タナカの指摘に軽く微笑むゴローの顔は、瞼を少し据わらせてはいたが、眼光は妙に鋭く目前の青年を見据えている。
その具合があまりにも絶妙だった。
危険と思えるラインをギリギリ踏み越えないところまで迫られながら、危険だと逃げだすにはあと一歩決め手に欠ける。
それ故か身体は既にいつでも逃げ出せる準備を一足先に進めていて、脳にはアドレナリンが駆け巡り、心拍は既に助走を始めた気分でいる。

だからかどうかはわからないが、タナカは目前の男が放つ危うい眼光を見て、この時何故かこう思ったのだ。

──色気がある、と。

「────」

その混乱に乗じてゴローはあっさりとタナカのパーソナルスペースに入り込み、なに食わぬ顔で唇を重ね、分厚い舌を口腔内にいとも容易く侵入させた。
煙草の燻りか、酒の辛みか、それともそうではないものか。
タナカの舌から痺れたような衝撃が脳まで突き上げた。
そのまま足腰に力が入らなくなり、タナカは床に尻餅を突く。
当然、そうなると目前には、浅黒い一本のふてぶてしい雄が鼻先に向けて突きつけられているのであった。

「あ、あ」

小刻みに鼓動し、鈴口から一筋の涎が糸を引いて落ちて行くのまでよく見える。
ストロガノフの規格外と比べてはいけないだろうが、ゴローのそれは十分威圧感を感じられるほど太く、迫力のあるものだった。

「──悪ィな、俺、“見せる”のが好きなんだよ」

「────」

「へへ、まあ、それなりに自慢のモンぶら下げてるからよ、隠しとくのも勿体ねえだろ……」

壁に両手を突き、タナカに覆い被さる様にゴローは体勢を変える。

「……触ってもいいんだぜ、滅多に見れるモンでもねえだろ」

「……っ」

パニックの為か、あるいは秘めたる好奇心のためか。

タナカは、その太い幹に指を回した。

「──っ、ん──」

ゴローが微かに、野太い四肢を震わせる。
瞼を蕩けさせ、しかし眉間に皺を寄せて沸き上がる衝動を堪えながら、仄かに腰を前後させる。
掌のなかでゴリゴリと擦れる、硬く張り詰めた逸物の熱が生々しく伝わってくる──

「ンっ!?」

その興を削いだのは、タナカが肩に掛ける艦橋端末が発した警告音だ。
異常な動態反応を検知している状況で、オペレータから一定時間内のレスポンスが得られないため、間もなく船内のクルー全員の端末に異常事態警報を発信すると脅しをかけている。

「っ、いけね……!」

我に返ったタナカは即座に端末を拾い上げ、ランドリーエリアの動態反応に対して、ステータスを“異常なし”に変更した。

「……へへ、悪ィ悪ィ、ワッチの最中だったよな……」

ゴローはタナカを解放すると、小さなビキニに無理矢理逸物を納めて、そのまま部屋へと帰ろうとした。

「……ぁ……」

タナカは午前二時の当直業務報告を終え、思わずゴローの背中を追った。

なぜ、追ったのだろう。

タナカ自身にも、わからない。

「──ッ!?」

背後から抱きつかれ、ゴローは思わず息を飲んだ。

「──おいおいおい、どうした──」

「……ずるい、です」

タナカはそう発した。

「……あんなの見せつけて……焚き付けておいて……」

「……」

「そのままおしまいは、ずるい……です」

引き留める様に強く抱きつくタナカの声は、ゴローの胸中に妙な火を灯してしまった。

「────ッ」

ゴローはそのままタナカの腕を振り払い──否、その腕を掴み直すと、そのまま力任せに自室へと引き込んだ。
そして扉を閉じると、タナカの痩躯を抱き締める。

「……ッ」

「馬鹿野郎が……本気にさせやがって」

再び、唇を重ねる。
タナカの舌にはやはり苦く、辛いゴローの舌。
貪るような顎の動きだけで自然と唇を開かせる、手練れの手口にタナカは再び自分を見失いかける。
倒れ込むに任せて部屋の奥へと流れて行き、ベッドへ互いに身を沈める。

「──俺みたいな親父に抱かれていいのか?」

タナカは潤んだ瞳のまま──頷いた。

その生娘のごとき態度に、ゴローの胸中で危険な火が燃え上がる。

「──ちくしょうが」

そう呟きながら、ゴローはタナカの上着を、シャツを、次々に剥ぎ取った。
ベルトに手をかけ、ズボンを引き摺り下ろし、その下着に手を掛ける──

「────」

下着の中は、既に吐き出された精液でべったりと汚れていた。
下腹部にも、未だ立ち上がる陰茎にも、べったりとこびりついている。

「……なンだよ……もうイッちまってンじゃねえか……」

先ほどまでの、けだもののごとき衝動が、急激に和らいだ。

「──やめだ、やめ」

「……え……」

「流石に俺ァ生娘に手ェ出す程ワルじゃねえんでな」

傍らのティッシュで精液を始末し、ゴローはタナカの隣に転がるように身を横たえた。
生身の左腕で腕枕し、機械の右腕でその身を抱き寄せる。

「……もうちょいテメーが汚れた時に、改めてオンナにしてやるよ……」

そして、頬に軽く口づけた。

「……」

「まだオトコもオンナも知らねぇだろ、最初のオトコが俺ってのは、流石に罪悪感あるからな──」

タナカは少し不満だった。
勢いに任せたとは言え、ゴローを知るためにそれなりに勇気を出して取った行動だったからだ。

「……やっぱり、ずるいですよ……」

「ナニか? こいつをいきなりケツの穴にぶちこまれてヒイヒイ言いたかったか?」

ゴローは自身を握らせて応える。

「……それは、ちょっと」

「だろォ? だァからまだ早えぇっつってんだよ……」

平静に言葉を交わしているが、ゴローの逸物は未だに硬く脈打っていた。

「……萎えないっすね」

「かわいいからな、お前は」

思わぬ言葉に、タナカは言葉を失う。

「……ゴローさん、両刀……なんですか」

「まあ、俺惚れッぽいからな、抱けるのなら誰だって抱きてえさ」

天井に義手を伸ばし、ゴローは呟く。

「……初めて男を抱きてえって思ったのは、この腕無くした時さ」

「……」

「航宙警備公社のパトロール挺に乗ってた時の相棒だよ、っても、今のタナカかボルトくらいのトシでよ、まだまだひよっこだったなぁ」

義手を眺めてゴローはとりとめのない思い出を語り出す。

「かわいいやつだったよ。俺ァ地球に娘が四人いるんだけどよ、そいつのことァ息子みたいな気持ちで見てたなぁ」

「……好き、だったんですか」

「……いやぁ、そんときはまだオンナ一筋だったよ、かわいがってはいたけどナ」

ゴローは軽く、溜め息を吐く。

「夜間警備の時……あいつはサウダージ症候群の重いヤツを発症した。そう言うときに止められるよう、ツーマンセルを組まされてたワケだが……俺は間に合わなかった」

その時を思い出すように、ゴローは義手を宙に伸ばす。

「あいつは船から飛び降りた。俺は必死に手を伸ばしたが届かなかった。俺の右腕はあいつごとPPATHOSフィールドの外に出て……宇宙のどこかに落っことしちまったのさ」

そして、諦めた様に、タナカの腹の上へ腕を降ろした。

「……ニンゲン、痛い目見りゃあ諦めがつくとは言うものの、俺ァ“アレ”で諦めがつかなくなっちまったのさ。それから男を本気で抱くようになった。あいつに重ねてるつもりは無ぇが、気に入った野郎にしっかり俺が抱いた証を残してやらんと気が済まなくなった」

「──」

「──もとより、寂しがりなんだよ。あいつを思い出して寂しくなるから、そいつを紛らわしたくて、男を抱くのさ」

ゴローは、優しくタナカを抱き寄せ、その身体を包み込む。

「……僕じゃ、代わりにもなりませんか……」

タナカは、腹の上に置かれたゴローの右手をそっと握る。
機械で出来た腕は暖かかった。
その厳つい、失われた腕を、慈しむように包み込む。

「言ったろ、お前さんをそう言って汚すのが悪ィと思っちまったのさ」

拗ねるタナカの頭を、優しく撫でる。

「……まだ若ぇからなあ……まあ、いつか、お前さんを抱きたくてたまらなくなったら、遠慮なくいただかせてもらうさ」

「……ずるいです、ゴローさん……脈無いって言いながらそうやってコナかけて」

「脈無したァ言ってねえって。俺のこいつが脈無ェって言ってるか?」

そう言って、ゴローは膨れ上がる逸物を擦り付けた。

「……なんかみんなが、ゴローさんのこと雑に扱いたくなる気持ち、わかりました」

「へへ、どういうこったか……」

ゴローに抱き寄せられたタナカは、半ば胸板によじ登るような形でその身を委ねている。

「……あの絵はゴローさんの趣味?」

そうタナカが示すのは、壁に飾られたライオンと女の絵画だった。

「下手くそだろ、“眠るジプシーの女”ってな、アンリ・ルソーっつう奴の絵だ」

放蕩するマンドリン弾きのジプシーが、疲れて砂漠で眠っている。
やがてライオンがその色香に誘われたのかやってきて、しかし女を食い殺そうとはしない。

ルソーは税関で働く傍らの趣味として絵画を嗜む日曜画家だった。
本格的に画家として活動を始めるも、稚拙とも思えるその画風は世間に理解されず失笑すら浴びせられたものだ。
しかしてルソーの絵画は日曜画家の範疇に収まらない芸術性を秘めており、同じ画家の中には彼を高く評価するものが少なからず居たものだ。
この“眠るジプシーの女”も故郷の町への寄贈買取を申し出たものの、当時の世間には評価されずに三十年近くの間行方知れずとなり、パリの配管工の作業現場にゴミのように置かれていた状態で発見された。

「ライオンはなんでジプシーを食い殺さねえのか、ってのがこの絵を見るポイントだな」

ゴローは得意気に絵画を語る。
本当に、見た目に反して芸術方面の造詣に明るいらしい。

「……ゴローさんはなんでだと思うの」

「決まってンだろ──」

タナカの肩を抱きながら、ゴローは応える。

「ライオンがジプシーに惚れたからさ」

「──」

「ほれジプシー、ライオンの気が変わる前に持ち場に帰ンな、また機械にドヤされンぞ」

そう言ってゴローはタナカを解放する。

「……っ」

「拗ねたカオすんなッての、またいつでも甘えに来いよ」

タナカはしぶしぶ、剥ぎ取られた服に袖を通す。
その背中を、ゴローは黙って見つめていた。
まるで、父親のような眼差しで。

「……」

「しゃあねぇなぁ」

それでも渋るタナカに、ゴローは軽く口づけをしてベッドから押し出した。
タナカは流石に諦めをつけ、ゴローの部屋を後にする。

「……っ……」

そして、手に持つ汚れ物のパンツを一瞥して、後悔が押し寄せる。

──明らかに、踏み越えてはいけない一線を越えてしまった。

ゴローに感じた父性か、あるいはジゴロめいたあの危険な魅力に誘われたのか、いずれにしても本気になってしまったのは確かなのだ。

これを世間では“恋”と言うのかもしれない。

しかし相手が明らかに悪すぎる。
なぜならゴローは既婚者で四人の子持ち、しかも手練れの人たらしだ。
夢中になったら痛い目を見るパターンだというのは恋愛経験のまったくないタナカにもわかることだった。

なにより、明確に、サウダージ症候群を言い訳にできないタイミングで、同性に対して本気になってしまったのだ。

「僕、どうなっちゃうの──」

思わず下着を鼻先に当ててしまい、付着物の青臭さに顔をしかめて、タナカはより自分を愚かしく思うのだった。



木星圏入りを前にして、ACCモビーディックは予想された通りの困難に直面していた。

「やっぱボルトに無理言うしかないかー……」

ゴローが作成した最新のトラフィック予想と、さらに跳ね上げられた航宙公社のナビゲイター派遣料一覧を前にキャプテンはそう呟く。

「……やるんならおれ腹決めるけど」

そう応えるボルトを、複雑な表情で見るのはゴローだった。

「ナビゲイター格安で雇えないかなぁー、ゴローには知り合い居ない?」

「居たらとっくに雇わせてるよ」

「あそー……」

キャプテンは厚切りのピザトーストを片手に端末と睨み合う。

「……ここだけ抜けりゃ行けンだろ、二度は嫌だけど、一度ならやれるよ」

「……」

苛立たし気に眉を歪めてゴローは席を立つ。
それを誰も咎めはしない。

「じゃあ、オレもその時間はスタンバってますか……」

「あ、おいゲイル」

ボルトが呼び止める。

「──タナカに余計なこと吹き込むんじゃねえぞ」

「……まあオレは医療従事者だから守秘義務は守りますけど」

「みんな気にしすぎなんだよ、おれは大丈夫だっての」

不満そうにボルトは頬杖を突く。
だが、周りのクルーの表情は少し重いものだった。

「ガノフ、ちょっとゴローの様子みてやって」

「アイキャプテン──しばらく外します」 

ガノフはゴローを追って事務室を後にした。

「──ホント腹立つ。別に誰のせいでもねーんだから、あんな態度出さなくてもいいじゃねえか」

「まあ、親心みたいなモンでしょ、オレだって心配するもん」

睨み付けるボルトの額を、ゲイルは抑えるように撫でる。

「もうちょいお前は自分の身体大事にしなよ……せっかくの人生なんだからさ」

「……うるせぇよ」

ボルトは鼻を鳴らして席を立つ。

キャプテンは、その様子を、表情無く見つめていた。



四日の死闘の果て、巨大なカジキを仕留めた水夫を待っていたのは、執拗な鮫からの襲撃だった。
船尾にくくりつけられた獲物が流す血の臭いに、鮫はみるみる集まってくる。
老人は闘った。
銛やナイフを振りかざし、オールで殴り、群がる鮫から獲物を護ろうと懸命に闘った。

それは、不漁続きで金も既に底を突いた老人が、財源を奪われまいと抗う姿ではない。
老人はこう考える。

あれ一匹で、大勢の人間の腹が肥やせはするだろうが、その人間たちにあいつを食う値打ちがあるだろうか。

あるものか、もちろん、そんな値打ちはありゃしない。

あの堂々としたふるまい、あの威厳、あいつを食う値打ちのある人間なんて、ひとりだっているものか。

大魚は最早、それそのものが老人にとってのプライドだった。
そのプライドが、湧いて出た鮫に無惨に食いちぎられていく。

──死に物狂いで陸に到着した頃には、獲物は既に、ぴんと張った尾と白い骨を残すのみであった。



「眠い……ゼロヨン直ってこんなキツいのか……」

午後四時、結局あれから眠れず仕舞いのタナカが欠伸混じりに最後のワッチを行っている。
日中はクルーの行動もスケジューラと関連付けされており、ほぼAIも意図的に“お目こぼし”をしているため、ほとんど確認事項は発生しなかった。
こういう時間を使って、例えばボルトはプラモデルの塗装を行ったり、ガノフがギターの練習をしているらしいというのはタナカもようやく理解した。

「今度ゴローさんに小説でも借りよう……」

そうぼやきながら、タナカは今日最後のスキャンを実行する──

「……まじかよ……」

黄色く表示されたのは、未明の時と同じ七階の居住区だった。
スケジューラによれば、現在のシフトでは当直を行うタナカ以外は皆事務室でミーティングを行っているはずだ。
監視カメラの映像を確認するも、やはり動態反応があるのはプライバシーエリアの様だ。

「……またゴローさんかな……でもミーティング中は流石に……」

火星で侵入者があったという可能性も無くはないが、あまりにも日数が経ち過ぎているのでほぼゼロと考えるべきだろう。
夜の見回りに比べれば、昼の見回りに恐ろしいことはない。

同じように環境端末を取り外し、スリングを肩にかけると、タナカは階段を七階まで降りていく。

何かの物音が、やはりランドリーエリアから聞こえてくる。
そう言えば、ゴローは昨晩、ランドリーで一体何をしていたのだろう。
そして、何故、ボルトの洗濯物を──

「……あれ、誰も……」

ランドリーに人影はない。
だが、何か呻くような声が、微かに奥の共用シャワールームから聞こえてきた。

「え、ちょ……」

焦燥感に駆られ、タナカはシャワールームを覗き込む。



「ンッ、ぐ、んっ、んん……ッ」

壁に諸手を突くその巨体は、一目でストロガノフだと判断できた。
その背後から、別の巨体が、彼を羽交い締めにしている。
機械の右腕が執拗に胸筋をまさぐり、広大な後背筋に頬を寄せ、一心不乱にその腰をガノフの臀部に打ち付けている。

「ゴッ……!?」

思わずその名を呼ぼうとしてタナカは口を噤む。
だがゴローは背後の視線に気付き、一瞬その太い身体を震わせると、微かに視線をタナカに向けた。

「──ッ」

──だが、ゴローは行為を中断しなかった。
艶かしく背筋を蠢かせ、機械の様に冷徹な周期でガノフの臀部に腰を打ち付ける。
この度にガノフは微かな呻き声を上げ、それすら圧し殺そうと耐えている。

──本当の、同性間性行為だ。
冗談で耳にすることはあっても、本当に目にすることがあるとはタナカは思いもよらなかった。

「ふッ、んゥ、んッ……!!」

「ッ、……っ、……」

ゴローの背中を汗が滴り、生々しく筋肉の隆起を輝かせる。

「んぁ、あ!!」

ついにガノフは耐えきれなくなったのか、思わず膝を突いてへたり込んだ。

「へへ……すっかりメスになりやがって」

引き抜かれたゴローの逸物は、昨晩見た時よりも明らかに興奮し、より高く角度を上げていた。
それこそ迫り出た腹にその亀頭を擦り付けそうな角度で、脈打つ度に跳ね、滴が糸を垂らしている。

「ほれ、こっちで四つん這いになれ」

ガノフは蕩けた表情のまま、言われるがままに床に手を這わす。
無論彼は知らなかったろうが、ゴローはあえて、タナカに“見えやすい”よう誘導したのだ。

「ほら、入るぞ」

「んぁ……!」

ゴローはその後ろで片膝を突き、タナカに見せつけるよう、その逸物をガノフの肛門に圧し挿れた。

「フゥーッ、フゥーッ……」

興奮した様子でゴローはガノフの体内に侵入し、太い幹をゆっくり出し入れさせる。

「んんゥ……んんゥ……!」

「どーした? 気持ちいいか?」

意地の悪い表情で問いかける。

「きも、ちぃぃ……です……っ」

「ケツん中にチンポぶちこまれて悦びやがってよォ……図体ばっかりデカくて中身はすっかりかわいいオンナになっちまったなぁ」

「あグッ……!!」

根本まで太い逸物を圧し込まれ、ガノフはその広い背中を跳ねさせた。

「おかげさんでちっとは機嫌が良くなったぜ……ありがとよ……」

「ッ、ぁンっ、だめぇ……ッ」

ゴローは垂れ下がるガノフの巨根を、まるで牛の乳を搾る様に握って上下させる。

「オオっお、そんな締めンなよ……かわいいなぁ」

呼吸で自身をコントロールしながら、ゴローはガノフを執拗に責め立てる。

タナカはそれを、固唾を呑んで見つめていた。
ズボンの中で起き上がる愚息に手を這わせ、逸る気持ちを抑え込む。

既に端末には、ランドリーエリアのステータスを“異常なし”と伝えてある。
この、異常な男同士の行為を目にしておきながら。

「ぁ、あぁ……ゴローさぁ……ぁ、当たるゥ……」

「お、ココがイイか……? ちょうど具合いいとこじゃねぇか」

「あぁッ、だめ、だってェ……ッ」

艶かしく、逆三角形のガノフの背中が、快楽に耐えて左右にうねる。
ゴローはそこから無意識に逃れようとする腰をしっかり両手で押さえ込むと、衝動に任せて一心不乱に掘り進む。

まるで猛獣の交尾を見ているようだった。
男女の性行為のようなコントラストではない、雄と雄の交わり合い。
ただ荒々しいというだけではなく、その中に、不思議と男同士故の信頼に基づく駆け引きがあるようだ。
生殖と言うには無意味で不毛な行為であろうが、どこかそれ故に、胸に迫るものがあった。

「ごろ、さん、おれぇ……っ……」

ガノフはとうとう、ゴローに押し潰されるような形で床に突っ伏した。
その巨体は完全に蕩け、服従したかのように身を完全にゴローに委ねたことを意味する。

「もう蕩けちまったのかぁ……じゃあちゃんと俺にカオ見せていっちまえ」

ゴローはガノフの身体から逸物を引き抜き、巨体を裏返す。
仰向けに寝そべるガノフの膝を高く上げさせ、その間に身体を滑り込ませると、熱い口付けを交わしながら、露になった肛門にまた自身を捩じ込んだ。

「────ッ」

ガノフの身体は抵抗するように捻れたが、その両脚はゴローを離すまいとその肉体にしがみついた。

そしてゴローはそれに応える様に、ゆっくりと腰を振り始める。

タナカはそれを眺めている。
心臓が破裂寸前にまで走っている。

職務中に凄まじい光景を目にしている緊張。
生々しい性行為を目撃した興奮。
知り合い同士の秘め事を覗いている罪悪感、あるいは背徳。

そして。

「────」

羨望と、嫉妬。

「……んぁぁ……ッ」

まだ穢れていないからと、ゴローに行為を拒否されたことが、まだ大人ではないと云われたようでどこか悔しかった。
多少は冷静になったとは言え、やはりゴローの持つ父性のようなものに惹かれたのは事実だったし、ガノフとの行為がなんらかの“目覚め”を誘発したのは否めない。
その二人が、自分が立つステージのひとつ先を見せつけていると言うのは羨ましかったし、妬ましさが無いとは決して言えなかった。

「はぁ、あ、ぁ……ぁ!!」

ゴローはガノフの乳房にしゃぶりつきながら、獣の如く、性衝動のままにひたすら腰を振り続ける。
そして時折、微かにタナカに向けて、扇情的な視線を投げ掛けるのだ。

それが、悔しかった。

「──フゥ、フゥ、フゥ、いくぞ」

「ぁ、あ、ぅンッ、あッ」

「──ふ、グッ──」

唐突に、ゴローが動きを止めた。

微かに、丸い尻が痙攣する。

「ぁ……」

タナカは、何が起きたのかを察した。

「──ぐ、──ぁッ──」

身体中を微かに脈打たせながら、ゴローは小さく呻き声を上げる。
震えるその肉の塊のような身体を、ガノフは太い両腕で包み込んだ。

ゴローはガノフの体内に、自分が抱いた証を残したのだ。

「──ッ」

タナカは、その二人を怨めしく思う直前で、シャワールームから飛び出していた。
そしてたまらずトイレに駆け込む。

「……ぁ……」

だが、やはりその下着のなかでは、愚息が既に種を吐き出してしまっていた。

「……ッ……」

その、誰も知らないであろう羞恥と、二人を怨めしく思った罪悪感、そして、見えてこない自分の感情に、心が押し潰されそうになる。

「……なんなんだよ……もうッ……」

──そう呟く他に、出来ることはなかった。




それから数日後、木星入港の日。

「な、なんですあれ……」

ホエールラインの光る水面には、おびただしい黒点が無数に浮かんでいる。

「あれ、全部船だってさ」

「全部!?」

ゲイルに手伝いを頼まれブリッジに来たタナカは、二人で窓にかじりつき様子を伺う。

「下手に動かないでタイミング見ないと危ないね」

「アイ、キャプテン……」

操舵席に座り、操縦桿を握るガノフが今までにない真剣な面持ちでメインモニターを睨み付ける。

「ありゃ全部ナビゲイター待ちの船だぜ、予報の通りじゃねえか……糞ッ」

「一晩二晩で捌ける数じゃないね、これは」

「え、ここで立ち往生ですか?」

ホエールラインの脱出にナビゲイターによる誘導を必要とする船では、このように公社からのナビゲイターの到着まで身動きがとれなくなる場合がある。
ここ一足先にこの渋滞を抜け出すことが出来るのは、公社より高い給金で自前のナビゲイターを雇えるだけのリッチな船か、或いは人道を軽く踏み外したプロセッサを載せている船だけだ。

「ここで立ち往生するわけには行かないんだよね……今回木星土星のステーション向けの資材をどっさり乗せてるから」

キャプテンは特に感慨も無さそうに応える。

「テキトー主義のサモトラケ相手ならまだ言いくるめられなくも無いけど、今日のお得意様はお堅い江野千代(エノ=ミレニアム)だからねぇ。下手したら慰謝料ブン盗られるぞー」

「え……そんな……」

「まあ最悪“密航者が居たんで火星で遅れました”って言い訳できる材料がここにいるけどね」

そう言ってキャプテンはタナカの肩を叩いた。

「え」

「──ゴロー、やれそう?」

「……やるなら今だな。後続が来たら事故りかねん」

ゴーグルモニターで表情を隠してはいたが、ゴローの声色は珍しく沈んだものだった。

「そしたらとっととやろうぜ」

そう言いながら、ボルトはガノフの座る操舵席の背後に滑り込んだ。

「じゃあタナカ、手伝って」

「──あ、はい」

ボルトはガノフの席の後ろでなんらかの操作をすると、開いたカバーの中からもうひとつの座席が現れた。
そこに座したボルトは、トレードマークであるヘアバンドをはずし、その下に隠れていた十字の傷を露にする。
ゲイルはその横で脳波計、血圧計、心電図を示す計器を固定し、タナカに指示を出しながら、ケーブルのひとつひとつをボルトの身体に貼り付けていく。

タナカは、この一連の行為を理解できなかった。

「よしッ、オヤジいくぞ、ユニットスタンバイ」

ボルトの操作と共に、後部座席のさらに後方から、円形のセンサーユニットが迫り出し、ボルトの頭に覆い被さる。

「脈拍、血圧、脳波正常」

「──いくぞ、ソリトン放出」

「──んギッ!!」

突如、ボルトの身体が跳ねた。
同時に計器に映る波形も大きく乱れた。

「量子波受信ッ、メインモニターにインポーズ開始ッ」

火星で見たのと同じような、不鮮明なワイヤーフレームがモニターに挿入される。
その画像は火星のものより波自体が乱れており、空間の隙間の把握は困難だった。

「────!!」

「早くしろッ、ボルトが保たねェよ!!」

「オヤジ落ち着けッ! 脳波も血圧もまだ許容内だよッ」

ボルトの声にならない呻きに重なり荒々しい言葉が飛び交う。
ゲイルは確かにそう応えたが、素人のタナカが見てもグラフは徐々に上昇しているように見えた。

「──畜生、補正も限界だッ」

「大丈夫行けますッ、アンカースタンバイ!!」

いつにない緊迫した空気に、タナカは狼狽えることしか出来ない。

「んがァア────ッ!!」

「いきますッ、アンカー射出!!」

ガノフの声と同時にホエールアンカーが真っ直ぐに飛び、先端が閃光と共に消えた。

「ぁが」

センサーから解放されると同時に、ボルトがぐったりと席から滑り落ちる。

「ボルトぉッ!!」

誰よりも早く持ち場を投げ出し、落下しそうな身体を支えたのはゴローだった。

「大丈夫かっ、おい担架、担架早くッ」

「ゴローさんフィールド補正ッ、巻き上げ開始しますッ」

ガノフの叫びにゴローは我に返り、慌ててコンソールにかじりつく。

「担架ですッ」

「よーし慌てないでいいよ、タナカは脚持って、揺れるから気をつけて」

「モビーディック、通常空間に出ますッ」

閃光と共に、窓の外が一変する。

「木星……!!」

「はいよそ見しないッ、せェーのッ!!」

ぐったりと項垂れるボルトを担架に乗せ、ゲイルとタナカはその身体を持ち上げる。

「……」

キャプテンが無言で持ち込んだストレッチャーにボルトの身体は横たえられ、タナカとゲイルによって医務室に運び込まれていった。

「──モビーディック、木星圏に出ました。入港許可返答待ちです──」

「ん。そしたらそのまま待機」

信号が途切れ、エラー音を吐き出す計器のスイッチを切りながらキャプテンが応じる。

そして、先程とは打ってかわって静寂がブリッジを包んでいた。

「──行っていいよ?」

「……畜生ォッ」

キャプテンの感情ない一言に憤りつつ、ゴローはゴーグルを投げ出して医務室に走っていった。

「……」

ガノフはそれを、沈痛な面持ちで黙したまま見送るしかなかった。




ゴローとタナカは結局、ゲイルの邪魔になると言うことで医務室を追い出されてしまった。
そのまま行き場を失い、二人で食堂のディスペンサーがコーヒーを吐き出すのを黙して待っている。

「……ボルトさん、ナビゲイターだったんですか」

怒っているようなゴローの様子を伺いながらも、タナカは疑念を問いかける。

「違ぇよ」

ゴローは否定した。
しかし、先程ボルトがしたことは──

「……あいつの頭に傷があるの、知ってんだろ」

「はい」

「ありゃ違法なインプラント手術の跡だ。土星辺りの悪どい海賊連中が、誘拐してきたガキの脳に機械を埋め込んで、無理やりナビゲイターユニットとして使ってやがったのさ」

タナカは出来上がったカプチーノに手を伸ばそうとして、その言葉に動きを止めた。

「……脳に、インプラント……」

「ガキの間はまだギリギリいけるらしいがだんだん脳に負担がかかるようになる、あのツラ見ただろ……相当の頭痛だったはずだ」

同じく、出来上がったアメリカンに手を出すことなく、ゴローは溜め息を吐く。

「下手すりゃ脳の血管がブチ切れて死ぬ。それをあいつはさ……」

行き場の無い怒りに、軽くディスペンサーを殴る。

「……」

タナカはこのゴローと言う男の本質を、抱く思いに気づいてしまった。
右腕を失ったあの時の再来を、ゴローは恐れているのだろう。

「……もし僕が、船に乗らなかったら……」

「それで済む問題じゃねえよ、お前が居なくてもどのみちこうなったんだ」

ゴローは漸くタナカに視線を向けた。

悲しそうで、優しげな瞳だった。

「……俺がもっと綿密に航宙計画を立てておきゃあ、もう少しどうにかなったんじゃねえかな……」

そうではない、とタナカは言いたかったが、部外者が、素人が、子供が言うことではないと諦めた。

代わりに、ゴローの肩に自分の肩を寄せた。

「──なんだよ、こんな時に甘えやがって」

「僕だって……そんな話聞かされたら辛いです」

溜め息混じりにタナカは呟く。

「何もできないけど……ボルトさんも、ゴローさんも、かわいそうです……」

「……何が解るんだか」

そう毒づきながらも、ゴローはタナカの肩に手を回して抱き寄せた。

「……ありがとうな」

どれだけ罵詈雑言を交わし合おうとも、ゴローとボルトが互いを嫌っていないのは、恐らくはこういう仲間意識によるものだろうとタナカは理解した。

それはきっと、完全な肉体関係を結んでいるガノフとも同じで、単純に恋愛感情であると割りきれるものではないのだろう。

ただでさえ、男同士の間に結ばれる関係性と言うのは思いの外複雑なのだ。
それは男女の交遊関係が決して恋愛に結び付くわけではない事と同義である。

自分が、皆に抱いている感情にしてもそうだ。
決してただ性愛の対象として見ているわけではなく、それでも肌を合わせて良いと考えられる程に信頼している──

だか、ガノフとボルト、そしてゴローに嫉妬や羨望を抱いたのも確かなのだ。
それは受け入れなければならない。

窓の外には巨大な木星が見えている。
土色の雲が渦巻くその異様、謂わば宇宙のサウジアラビア。

今、肩を寄せる男に父親を重ねるのと同じように。

ゴローもまた、宇宙のどこかへ消えてしまった誰かの面影をボルトに重ねているのだろう。



木星への寄港に際して、タナカはボルトの様子を伺いに来た。
出来ればそっと休ませてやってほしいとゴローからは念を押されたが、それでも心配が上回った。

「……ん、あれ……」

誰かが医務室に入っていった影が見えた。

「……」

もしかしたらゲイルかもしれない。
タナカはそっと、医務室の様子を伺う。

「……ぁ……」

ボルトが休むベッドの傍らに立っていたのは、キャプテンだった。

「……んぁ……珍しいじゃん」

「……」

特に言葉を発するでもなく、キャプテンはボルトを見据えて立っている。

「……大袈裟なんだよなみんな……おれは大丈夫なのに……」

そう笑うボルトの声は、ひどく弱々しいものだった。

「……」

キャプテンは、無表情のままにボルトの頬に手を寄せると、自らの額をボルトの額の傷跡に合わせた。

「────」

二人は言葉を交わすでもなく、ボルトは静かに、弱々しく両手を伸ばしてキャプテンの背中を抱き寄せた。
その背中に阻まれて見えることはなかったが、二人は口づけを交わしている様子だった。

「……心配してンのかよ」

「まったく」

「……ちょっとくらいは心配してくれよ」

珍しく、気弱な様子を見せるボルトに、キャプテンは言葉無く側に寄り添っていた。

「……やっぱちょっと無理が祟ったかな……頭ガンガンする」

「……」

「死にゃしねえよ、みんなに心配かけらんないからな……」

ボルトはキャプテンの後頭部に手を回し、自身の側に抱き寄せる。

「……しばらくこうする?」

「……頼む」

ボルトの頼みに、キャプテンは静かに彼を抱き寄せることで応えた。

「──」

タナカは静かに、その場を離れた。

それは、少し前であれば微笑ましいと言える暖かな光景であったろう。

だが、タナカは知ってしまった。
それを“微笑ましい”で片付けることの出来ない、ある男の思いを。

「……そんなことって……さぁ……」

──今になって思う。

“宇宙(うみ)の男の掟”が、何の為にあるのかと。



──老人の闘いを、陸の者は誰も知らない。
カジキとの死闘も、鮫との死闘も、誰も知らない。

ただ、彼を慕う少年だけが、両手に負った傷を見て泣き崩れる。

老人は疲れた身体を横たえ、静かに眠る。

少年は、その傍らに座し、その寝姿をじっと見守る。



──老人は、ライオンの夢を見ていた。



【LOG#03:BOHEMIAN_DREAMER】-LOG OUT-


最終更新:2019年07月16日 00:10