スモッグを逃れ飛ぶことを諦めた一羽の鴉が、アスファルトのひび割れから顔を出す捩れた茎と葉の境目のない奇形の雑草を渋々啄ばんでいる。
降る雨にすら常に何らかの汚染物質が含まれている事を暗に示す光景ながら、それでもこの半ば放棄された第六ヘイヴンのほうが暮らしやすいと留まる者は未だ数多い。
一度壊れてしまった世界にすがりつくように、生き残った建造物に寄生するように人々はそれでもまだ生きている。
杞憂の人の妄想じみた目に見えない放射線の恐怖に怯え、少しでも清浄な地を求めて地という地を食いつぶしながら。
ここ第六ヘイヴンは、今まさに棄てられようとする嘗ての楽園、だがそこに生きる道を見出すものが居る。
それは彼らの体が劣悪な環境下に左右されない、あるいは環境から切り離されたモノであるが故で、そそくさと逃げ出した健常者達の差別偏見、または無用の擁護と無縁となったこの死の世界のほうが彼らにとって居心地がよかった、ただそれだけのことである。
生き残った人類が最初のヘイヴンを捨てたのはどれほど前のことだったろうか。
大戦中に抑止力としてチラつかされていたと言われる“核よりも最低な何か”の暴発で多くの人間が故郷を失った後、寄り集まった人間は致し方なく汚染から逃れられる場所を求めて放浪することになった。
第四ヘイヴンを棄てるころにはずいぶん文明も回復していて、第五ヘイヴン放棄の本当の理由は資源の枯渇と自ら招いた環境汚染だった。
そして長く続いた第六ヘイヴンでの生活では生身の人間が次々と病に倒れていき、ポストヒッピー文化から生まれた胡散臭い宗教が台頭してきた昨今で徐に到来した自然回帰のムーヴメントを早々に関知した企業は、より安全な土壌、テクノロジーと自然の融合を謳い文句に余力ある人々を新天地へと向かわせた。
まるで地上の楽園のように謳われる第七ヘイヴンに対して事実上失われたことにされた第六ヘイヴンは、ドロップアウトした人々と“肉体を失った彼ら(サイボーグ)”の支配する世界となった。
とはいえ、大戦を期に彼らの価値観も大きく変わった。
肉の肉体が在ったころとは死生観も変わったし、むしろ多くのことに制約されなくなった彼らは肉のある人々に比べ慎まやかだった。
諦観。
盲目の希望とか、そういった類のセンチメントすら通り過ぎた後のような第六ヘイヴンの退廃的な空気感は生命的躍動など何一つ感じない代わりにどこか冷たく、やわらかく、静かで、穏やかなものだった。
「よお」
嘗てバス停だったその場所には常にその男が座っている。
まるで面白みの無い円筒形の頭部から漏れ出る音声は、人工声帯の劣化故かはたまたそんな技術など夢の夢だった型落ち品であるが故なのか、金属のパイプを通ってきたかのような高周波数の独特のノイズが混じっている。
「タバコ、くれよ」
「ほいよ」
バス停の男に比べれば進んだ技術が使われているのであろう、やたらと大型の筐体が目立つもうひとりの男が、埃に汚れた黒のパーカーからクシャクシャのパッケージを取り出して差し出した。
「六本、まだ残ってるぜ」
「やるよ、好みじゃなかったから」
「ありがてえ」
円筒頭は愉快そうに肩を揺らしながら紙巻タバコに火をつけた。
サイボークの身になって尚、タバコの煙を求めるのは悪習中の悪習だ。
だがそれを咎める者などまず居ない。
生身を失っても悪癖はどうせ抜けないし、むしろ内臓の嗅覚センサはタバコの葉の量が僅か5%に満たなくても十分その味を選り分けて脳細胞に届けてくれる。
「ああ、うめえ」
そして円筒頭が呼吸孔から煙を吐き出しながらそう言うのに気分を良くして、無意識に腰部の流体スタビライザを揺らしてしまうのも、この大型の男、DSL-0013、通称ディーゼルの悪癖だった。
「で、あんちゃん、こんなヘンピなとこでどうしたんだい」
円筒頭がディーゼルに問いかける。
「ちょっくら“獣医さん”に野暮用があってね」
「変わりモンだ、きをつけろ」
「忠告ありがとう、もう済ませたよ」
それだけ言うとディーゼルはバス停の男を通りすぎた。
凝り固まっていたが故に辛うじて崩壊を免れた世界政府を除いて、劣悪な環境に対抗できる手段を持つのは大企業に他ならない。
いよいよもって企業国家なる新しい世界の形の輪郭が混沌の淀みの中から浮かび上がりつつある昨今、互いが新世界に生き残るために未だ企業の間では戦争は続いている。
ディーゼルことDSL-0013もまた、そんな混沌の時代の申し子だった。
大戦末期に某企業が電脳戦の切り札としてイルカの成体を用いた新兵器を投入したとのニュースを受けて、電脳戦の流行は人間以外の生命体の電脳化導入というわけのわからない方面へと走り出す。
記録の残されていた解析済みゲノムから塩基を再生し、絶滅したオオカミをベースに開発された“Discunt Semper Lupus”シリーズは、イルカに比べてあらゆる面でコストが低く、投入時期の遅さから大量生産こそされなかったが、初期ロット二十数体はそれなりに高い戦果を叩き出した。
終戦後放棄されたDSLシリーズの生き残り、それがディーゼルである。
その後とあるPMCに自ら所属し、それなりの成果を上げたころに重症を負い、死にかけていたところで彼は“獣医”に助けられた。
戦時中の生物兵器をサイボーグ化することに並々ならぬ興味を抱く狂科学者が独自に開発したソフトウェアによって、安物ながら頑丈な筐体と問題なくリンクし移植されたディーゼルは、バレさえしなければ人間として十分に振る舞うことができる。
新しい身体をそれなりに楽しむことにした彼はそれからも改造を重ねており、今となってはもとがオオカミであったことなど誰も信じはしない。
今のディーゼルの外見は頭頂高で言えば2m前後の一般的な軍用サイボーグと大差ない。
強いて言えば横幅が圧倒的に大きい。
尤も彼がサイボーグ化した直後にはそれほどでも無かったのだが、なぜか彼はよりボディを大きく改造する妙な趣味に目覚めてしまいこうなった。
あえて言うのであれば、頭部から飛び出す一対の複合センサアレイのプレートと額から前方にせり出した装甲のシルエットが“人狼”のごときシルエットを形どっている。
第六ヘイヴン017区画。
このあたりの繁華街のなかでは最も治安が良い。
全身機械化サイボーグの殆どが元軍人である以上、荒くれものは腐るほど居る。
ただここで生きる者は大体がそれなりの修羅場を潜り抜けてきたことは事実で、大したトラブルはそう起きないし、起きたとしても何らかの形で自己解決できる。
取り合えず、面倒事に自ら首を突っ込みさえしなければ、この街では生きられる。
「でっかい兄さん、注油してあげようか!?」
「記憶素子、126GB、トークン一枚でいいよ!」
難民の子供たち。
教育を受けるのにもカネが要る。
彼らの親は何らかの理由で稼ぐことが儘ならないのだろう。
一つ路地に入れば、そんな難民たちのキャラバンだ。
表側の喧騒とは別種の世界、暴力沙汰とは違う面倒の待つ場所。
よほどの聖人君主でなければそんな場所に用はないし、見せ掛けのヒューマニズムで足を踏み入れ無事でいられる場所でもない。
「なんかこれで食いな」
ディーゼルは子供の手に二、三枚の代用硬貨(トークン)を握らせた。
「……もっと!」
恥も無く言う子供を鼻歌混じりに振り払い、ディーゼルは難民も近づかないような電気街へと入っていく。
先日の旧第五ヘイブン跡での反企業テロリスト掃射戦の報酬を受け取り、半年ぶりのフルメンテナンスを受けられたディーゼルはそれなりに機嫌が良かった。
身体の調子も、財布の調子も好調だと気分までも調子に乗る。
人間と大差ない社会で生きてきた彼もそう大きくは変わらない。
“MEDICaCELLのナノ新素材”
“良感圧品/満足品”
“□□のカメラ”
乱雑に残された多言語広告のひとつひとつをソフトウェアが翻訳する。
店舗のショーウィンドウに槽(ヴァット)培養された人工皮膚。
刻印されたメーカーロゴの誤差は20%、非正規品の判定結果。
“人造φ星に”
“理”
“・楽・SHANGLI-LA・園・”
昼間でもネオンが瞬く路地の裏へ。
“禅”
“速効性”
自販機の中身は使い捨てのドラッグ素子。
脳波を加工し、かき乱す。
“堕洛の蛇間”
“---extasyyy---”
その猥雑な内容はシームレスに退廃化していく。
“<<<STA-CY-S>>>”
そして目当てのネオンの前でディーゼルは足を止めた。
「まいど」
「よお兄弟(ブロ)」
一応は受付の体裁を保っている、嘗てはアパートの警備室だったのであろう窓から髭面の男が顔を出す。
「あれ、ミドルクラス満室?」
「悪ィ兄弟(ブロ)、一昨日トラブってさ、総数足りてねーんだ」
「マジかよ」
「こないだアッパーにメディカセルの新型入ったんだよ、代わりにどうだい」
「アッパーねえ、そんなこだわんないんだよなオレ」
「それかアンダーだったらいつでもって感じだけどさ」
「冗談、壁のアナに【censored】突っ込むだけとかカンベンだよ」
ディーゼルはそうぼやきながら壁の装置にカードと金属トークンを押し込んで渋々アッパークラスのボタンを押した。
「まいど」
「ミドルの修理よろしくね」
ディーゼルは戻ってきたカードをパーカーのポケットに突っ込むと、口を開けたエレベーターにその巨体を滑り込ました。
「ハイ」
302号室の金属の扉を開けば、奥のソファに座っていた“少女”が、白いワンピースタイプのドレスを翻して歩み寄ってくる。
ディーゼルは無言のまま後ろ手に鍵をかけ、少女に促されるまま部屋の奥へと足を勧める。
件のポストヒッピームーブメントの影響で、生身の女は何よりも尊重された。
すこし前まで風俗女だった者が聖女のごとく崇められ、溜まった男が捌け口に求めるには余りにも高潔な存在と化してしまった。
ともすれば流行するのはこういうインスタントな肉体関係だ。
この店の会員カードには客の大体の好みが記録されており、入店処理を行った時点で好みのキャラクターがランクに合わせたボディにインストールされる。
こうして部屋で待っているのは客のツボを押さえた理想の人形だ。
「おっきくてステキ」
少女はソファにディーゼルを座らせ、装甲された太い腕に身をもたれかからせる。
「ホラ、脱がせてくれ」
「ウン」
ディーゼルが設定したタイプは“めんどくさくないやつ”、後はおまかせだった。
少女はその通り、めんどくさくない女を演じきる。
「ウフフ、おっきいヒト、好きよ」
「そうかい」
露になったディーゼルの胸板はレイアウトこそ人間のそれに則しているがデザインはまるで旧世紀の
ゲームモデルのように角ばっている。
チタニウムベースの複合装甲板に対弾ポリマー樹脂製の装甲皮膚を施したグレーカラーの肉体はフランケンシュタイン的な軍用ボディの寄せ集めだ。
少女の白い指の這う分厚い装甲の胸板の裏には脳と人工心肺がコンパクトな耐熱チタン殻にパッケージングされ収まっている。
小さな二対の光学センサーが捉える少女の顔は大きな目ととがった唇が特徴的で、ふわりと巻いたブロンドがより少女らしさを際立ていた。
大きな掌のナノポリマー系樹脂製の指先パットに行儀良く整列されて埋め込まれているマイクロ素子が少女の人工皮膚の柔らかさと温度をダイレクトに伝えてくる。
「うん……ん」
同様に対弾皮膚にも埋め込まれている触感素子がボディのモード変化に合わせて感度を高める。
巧みにプログラムされている少女の指技にディーゼルは唸った。
ジャージ素材の特注サイズのズボンを脱ぎ捨て現れる脚部は上半身に比べて大雑把な形態をしている。
これはディーゼル本人の肉体改造趣味で自律型歩行戦車の脚部を流用したもので、それが祟って大きく人間のプロポーションを外している。
戦闘だけを目的にした軍用サイボーグボディというのは正直な話、人工知能搭載型のアンドロイド兵器とそう大差無い。
ディーゼルの場合こそ極端な例であるが、この時代の兵器の多くは整備性の向上の為にある程度規格を統一しており、このような変則的な運用方法も不可能ではない。
脳を騙すプログラムの進歩故の賜物だ。
「ちょっと待っ……」
「ダイジョウブ、わかるよ」
少女は悪戯そうに笑って、股関節部に埋め込まれた円形の蓋のロックを解除し、白い指で取り外すと、ズルリとその中身が姿を現す。
ここまでリアルな造形のものが造れるようになったのは最近のことだ。
初期ではこんな凝ったことは出来ずにただ用意された電極をプラグに差し込んでパルス刺激を与える程度のことしか出来なかったものが、今となっては少女の肌に使用されている素材を用いてずいぶんと人体に近い質感で造ることが出来る。
「ん、ん……」
柔らかな、そして適度な温度の少女の手の刺激を受けて、ディーゼル自身の内部にインサートされている電気粘性流体が通電して徐々に硬度を増していく。
人工筋繊維技術研究の応用で、その一連のプロセスもよく再現されていた。
ディーゼルのそれはグレーのボディに合わせたのかあるいはこだわりがなかったのか、ナノ着色前のブラックカラーのまま肉体に装着されており、神経コードが血管のように浮かび上がるその幹には型番と企業ロゴがそのまま印字されたままだ。
「ふ、うううう……」
蹲り、慈しむように口付けする少女の人工舌も同様の機構で表面に必要に応じたパターンを生じさせる。
これは新型の彼女のボディから採用された新機能だ。
過去何人がこの企業の送り出すこのような少女たちに面倒を見てもらってきたのだろうか。
少なくとも洗練されたメソッドは彼らエンドユーザーたちの夢と希望の結晶なのだろう。
「アッパーも、悪くない……なあ」
「……?」
そしてこの、認識できないワードに対しては困ったように微笑んで小首をかしげる動作も、恐らくは。
「……この仕事は長いのか?」
「うーん、まあ、それなり、くらいかな」
戯れに発するディーゼルのワードに反応し、少女は用意されたセリフから最適なものを選択し応じる。
「つらくないか?」
「平気だよ、みんな優しいし、夢があるから。お金ためて第七ヘイヴンにいくんだ」
「そうかい」
この“第七ヘイヴンに憧れる娼婦”のストーリーは二度目だった。
気に入ったストーリーがあればカードに記録して“続き”を楽しむこともできる。
可哀想な連中の中にはこれに入れ込んで破産したなんて話も良く聞くお笑い種だ。
「……すごい」
いきり勃つその先端から潤滑液が浸出する。
ディーゼルは趣味でその浸出量をデフォルトの2.5倍に増量している。
「……」
「ん、どうした?」
「……ほしい」
「そうかい」
大きな手が少女のスカートの中に滑り込む。
よく出来たその部分も滴るような潤滑液でスタンバイされていた。
「ホラ、跨りな」
ワンピースの背中の紐を引けばするりと脱げてしまう。
裸体になった少女は恍惚の表情のまま、その太い幹に細い指をあてがいながら自身の入り口へ導く。
「ア、アア」
ディーゼルの、ボディサイズに比例して一般男性より大きめに造形されたものを少女の弛緩した入口が包み込む。
「ぐ、うう」
根元まで収まると、少女の内部が徐々に収縮し、最適の締め付けでつながり合う。
「アアア、アアアン」
ディーセルは少女の尻に手を這わせ、そのボディをゆっくりと揺らす。
元の肉体であったならばすぐに四つん這いに押し倒してマウントポジションを取ったのだろうが、いまやそれすら理性でコントロールできる。
自分の新しい肉体を遊びつくす。
ディーゼルはポジティヴだった。
「ハッ、ハッ、ハッ」
機械の体は可能な限り脳に優しく、巧みに騙せるように出来ている。
興奮しアドレナリンを分泌する脳のために、人工心肺は浅く早く呼吸し、短くなった動脈を循環するリユーサブルな代替人工血液に必要量の酸素を取り込み送り出す。
やや暖まり出した体表温度は単純な動作の繰り返しによる筋繊維の摩擦によるもので、この程度ならば内部機構に影響は無い。
「あッ、ぐぅ……あぁ……」
狼である彼の生殖行為としては随分と過剰な演出が加わっているが、彼が十分量のエンドルフィンを得る為には必要なことだった。
彼は孤独だった。
仕事仲間を含め広義での“友人”が居ないわけではないのだが、兵器として産み出され他者の為に指令をこなす宿命を背負った彼は、彼を必要としていたはずの人間に見捨てられた。
それから自らの生きる道を自ら選択してきた彼は、気づけば他者と自身を強く切り離して考えるようになった。
自分は自分、他人は他人。
ストイックな割り切りは気づけば“他者の不信”という明確な距離として現れていた。
だがディーゼルは優しい男だった。
元が群れを成す生物であるが故か、彼は胸の底では他者を信頼したいと願ってはいる。
それを悉く裏切ってきたのは彼を取り巻く“状況”であった。
天命は神のみぞ知る、そればかりは致し方がない。
だから彼は、他者を深くは信じない。
致し方なく孤独を選択した彼は、ただ後腐れ無い賢い方法で欲求を満たす他になかったのだ。
「あ、が、あ」
膝の上で人形を揺らす周期が徐々に早まる。
「ん、ぐ、ぅッ」
ペースの変位を感じ取った少女のAIが、彼を絶頂に導くため内部の硬度を上げてより強く締め付ける。
ディーゼル自身も脳の興奮状態に合わせてより膨張し、張った亀頭部が硬く締まった少女の内部パターンに擦れて互いに干渉する。
人工性器は概ね、本人よりもそれを受け入れる者の事を考えて製造されている。
それらがイミテーションの範疇を越えられなかったころから続く風習だ。
「ぐッ、うっ、ううッ」
反らせた首に筋繊維で編まれたケーブルが露出する。
「あッ、ガッ」
少女の細い腰を掴むマニピュレータがその筐体を自身に押し付ける。
「がぁぁぁああ……ッ!!」
模造陰茎の根本奥に、小さくなにかが破裂する手応えを感じる。
オルガスムを示す脳波を関知した腰部の性行ユニットが、装填されていた疑似精液のパッケージを押し潰した際の小さな衝撃である。
開発者が異様に拘ったという射精のプロセスは非常に良く再現されていて、肉体を失った男達やその伴侶にも好評であった。
その一方で伴侶の無い男たちに対しては、この少女のようなラブドールは好評だった。
ただ妊娠の心配が無いために避妊具を装着しないまま行為に至る輩がほとんどであり、生身の人間には感染症の温床として忌み嫌われる。
そもそもこのステイシーズを含む、所謂ラブスタンドと呼称される商売そのものがアンダーグラウンドで悪趣味であるとして善良な市民は卑下している。
だがそれこそ、全身機械化サイボーグのはみ出し者には都合が良い。
彼らにはそもそも感染症の心配も無いし、生身に比べれば醜いと評価して差し支えないその歪な肉体を、彼女たちは偏見なく受け入れてくれる。
「はあ、はあ……」
エンドルフィンの程よい分泌に由来する充足感と、微睡みにも似た疲労感が脳内に広がり、ディーゼルは巨体をソファに埋める。
暫く痙攣のジェスチャーをしていたラブドールは、ゆっくりと身を放し、恥ずかしそうにはにかむ表情を作りながら、まだ僅かに脈動しているディーゼルの幹の清掃を始めていた。
「……」
その様子に、わずかながらディーゼルの胸中に小さなセンチメントが去来する。
体を機械に作り直してなお、胸が痛むというのは不思議なものである。
有機的な肉体ではない為に、サイボーグのそれはソフトウェアを使えば自在に勃起させることが出来るし、疑似精液パッケージのストックがあれば何回でも射精できる。
無論、射精に拘らなければソフトウェアで強制的に勃起を持続し何回でも絶頂を迎えることも可能ではあるが、限界を超えてのオルガスムは脳や精神にダメージを与えたり、あるいは不眠、脳内物質の過剰分泌、松果体肥大などの悪影響が真しやかに囁かれ、実践するものは少ない。
もちろんディーゼルもやろうとさえ思えば延長戦に突入できた。
それをしなかったのは、やはりこの生々しいまでに精巧に作られた一体のラブドールに対する、センチメンタリズムと形容して差し支えない感情故であった。
「ありがとよ、嬢ちゃん」
萎縮し、収納された陰茎部に再びカバーを施すと、ディーゼルは笑顔で身を寄せてきたラブドールを抱き寄
「……【censored】」
……突然の轟音に呆気にとられた拍子に口からこぼれた言葉が倫理的不適切表現としてビープ音に置き換わる。
そして今、ラブドールを抱き寄せようとしたまま呆気にとられて制止しているディーゼルの頭部前方四基のメインカメラと額部ソリトンレーダーが捉えているその像は、思わずそう呟いてしまいたくなって当然の光景だった。
コンクリート壁を、長大な一本の切削作業用アームが貫いている。
これは知っている、軍用の破壊工作アームだ。
超振動と超硬度分子結晶刃を併用した切削ドリルの内部には 、柔軟に動き開けた穴の中にしっかりとPE(プラスチック爆弾)を充填できる繊細な作業アームも収納されている。
そして割と昔の話だが、ディーゼルは当時妙な物欲に取り憑かれてこのアームを衝動買いしそうになったのを友人に止められたことがあった。
まさかそんな代物をこんな場所で見かけるとは。
「ジェェェエエニッ、ファァアアアアアーッ!!」
通常会話用スピーカーの出力限界で叫ばれたのであろうその声は、完全に音割れして不快なノイズを孕んでいる。
粉砕されたコンクリート壁から姿を現した男もまた、ディーゼル同様の全身機械化サイボーグだ。
外見から識別しうる特徴として、殆どドラム缶と言って差し支えないシンプルなラインの体幹に、左腕は件の長大なドリルアーム、両足は重機の様に太く、その重量を脛裏二本の油圧ジャッキが支えている。
サイボーグと表現するには些か説得力に欠けるほど人体から逸脱したデザインであるが、その体幹部は非常に強固な対爆装甲であり、男がかつてそういう破壊工作に携わる立場にあったことは容易に想像できた。
首は無く体に陥没している、形容するなら“皿”か“蓋”のようなシンプルな頭部に僅かに存在するスリットから、縦一列に並ぶ2つのカメラアイが異様な眼光を放つ。
それに反して男の機械の肉体は、脳内で過剰にアドレナリンが分泌され、以上な血流量の増加、それらを総合して彼が“非常に危険である”ことを悲痛な緊急信号に乗せて周囲のサイボーグへ執拗に訴えていた。
「誰だテメェは! ジェニファーは何処だッ、俺の可愛いジェニファーを何処にやりやがったんだよォこの【censored】野郎がァ!」
「……きみのカレシ?」
ディーゼルからの音声入力と置かれている状況が参照データ上のパターンと合致しなかったので、ラブドールはプログラム通りにはにかみながら小首を傾げる。
「そんなんじゃねえ! ジェニファーだよッ、この部屋はジェニファーの部屋なんだ、ジェニファーは居たんだよ! 彼女は何処だ、何処だよぉお!」
男は左腕に内蔵されている三点バーストの突撃銃を天井に数回撃ち込んだ。
「わああ、何してんだッあんたぁ!」
異音を聞き付け受付の髭面が飛び込んできた。
最悪。
ディーゼルの口から思わずそれを示す規制対象単語が溢れかける。
「【censored】すぞテメェ! 俺のオンナを返しやがれ!」
「なに人形相手にマジになってんだよアンタ! 最新型にアップグレードしたんだ、前のは下取りに出しちまったよ!」
「なんだと、もう一辺言ってみやがれ、その【censored】頭に風穴開けてやッ……」
大体の状況が読めた辺りでディーゼルの硬電脳がNOTICEを受信する。
【NOTICE/EXUSIA 送信映像確認】
【初回映像評価:危険度A】
【対象の速やかな無力化を要請】
【DEAD OR ALIVE】
おそらくは同時に、穴堀り男の脳内にも警邏機構エクシアからの警告文が送り込まれているだろう。
どさくさ紛れにディーゼルが送信した視界記録映像がエクシアのサーバへアップロードされ、その犯罪性が即座に審議されていた。
この穴堀り男の場合、
- 脳障害に起因すると推測される執拗性と異常興奮により、判断能力の著しい欠如が認められること
- 殺傷能力のある武装を携帯し、エクシアの許可無くそれを使用し、非武装市民への身体的・経済的な攻撃行為が認められること
- それらに対し一点の後悔・反省が現時点で認められず、被害の増大が十分に予想され得ること
この三点が決め手となり絶対危険度Aという高評価が下された。
そしてこの三点は犯罪者の首に相応の賞金を設定する。
商売(ビズ)の時間である。
「うおおおおおおおお!!」
自身が犯罪者認定されたことによりギリギリのところで自我を保っていた男は激昂し、突撃銃を乱射する。
「兄弟(ブロ)、下がってな」
「わあああ!」
ディーゼルは咄嗟に受付の男の服を掴んで背後に投げ飛ばす。
一瞬、裸体の少女の姿が視界に入ったが、ディーゼルは判断を誤らなかった。
「……とは言ってもなあ」
完全にオフのつもりでいたディーゼルは何一つ武装していない。
おまけに現状裸一貫と表現して差し支えない状況である。
もっとも、ディーゼルやこの穴堀り男のような人間の記号の少ないサイボーグには服を着る権利は存在するが、服を着なければならない必要性はあまりない。
「ガアアアアアア!!」
我を失った男はさらに銃を乱射。
ベッドを貫き、クッションやマットの中の人工羽毛が宙を舞う。
「しゃーねーかなー、やるっきゃねーよなー」
胸中の焦燥の割にあまり危機感の感じられない声でそうディーゼルが呟くと、その側頭部から生える“耳”のごときアレイプレートのスリットが青く発光し始める。
同時に放たれた量子波ソリトンが、障害物を越え室内に反響し、視界外に居る穴堀り男の姿を捉えた。
【>S.Q.U.I.D ACTIVE】
あとは時間との戦いだ。
ディーゼルの頭部に仕込まれた“秘密兵器”が、量子の波に乗り、男の硬電脳メモリにちょっかいを出して強制的にネットワーク回線のポートをこじ開ける。
超伝導量子干渉デバイス、S.Q.U.I.D。
本来は微細な磁場の測定を行うために開発されたと言われ、主に医療機器として用いられてきたそれは、今や電脳戦の切り札だった。
それは、広大な雪原で跳ねた一匹の鹿の子の足音をその耳で聞き取るかのごとく、メモリに埋もれた微かなデータの痕跡さえ読み取れる。
あとはその痕跡を、プログラムが過去の凡例から最適化された一連のメソッドで瞬時に復元し、システム防壁の僅かな“隙間”を探しだす。
その強烈な能力が災いし、電脳倫理法で使用時にはそれを知らせるサインの提示(例えばディーゼルの耳部LEDの発光)が求められる曰く付きの代物である。
「出てこいオラアアアアアアッ!!」
男がアームを振り回す。
対するディーゼルはベッドを盾に微動だにしない。
だが彼は確実に男の“尻尾”を捉えている。
【*敵アドレス変動パターン特定、アンカー完了】
【*電脳戦防壁アレイ各種展開完了】
【!!CAUTION:ポートを解放します】
S.Q.U.I.Dが探り当てた男のネットワーク回線の接続ポートに“狼”が放たれる。
支援AIが各種ウィルスを展開し、男を守る電脳防壁のそれぞれに果敢に食い込み、男の硬電脳基幹部(メインフレーム)への通路を模索する。
その様は“狼”の群れの狩りに形容できる。
複数の“狼”が獲物を囲み、追い立て、退路を失わせた瞬間に仕留める。
数基の支援AIとの完全な連携能力は人間の比ではない。
その群れを率いて統べる“狼の王”、それが対電脳戦仕様生体兵器DSL-0013、ディーゼルの本性だった。
【!!CAUTION:敵アドレス乱数変動、捜査開始】
【*防壁迷路第三層突破、捜査効率78%を維持】
【!!CAUTION:敵防衛ライン活性化、“氷”展開確認、絶対危険度80に上昇】
おそらく意識の外では、展開したウィルスが男のボディ制御プログラムに不正なオーダーを送信し続けており、男の行動は多分に阻害されているだろう。
それでもそれが周りの安全を保証する事に繋がらないのは重々承知している。
現在、ディーゼルの意識は完全に物理の外、電脳の世界に“没入(ジャック・イン)”しており、肉体の枷から放たれた“狼の王”としての本性を現している。
物理身体が何らかの攻撃を受けている可能性は否定できないが、彼は攻撃完了までの数十秒間を耐えるためにあの対弾性の肉体に自身を作り変えたのだ。
静止している自身のボディのカメラが捉えているイメージをディーゼルの脳は“感じて”いるが、そこに意識を向ける余裕は無い。
副次的に視聴覚を通して作業効率のイメージをプログラムが彼に示しているが、彼の脳はそれ以上の情報を瞬時にやり取りしている。
電脳内部での脳の働きは、特に彼のような電脳戦に特化して“設計”されている場合、複雑なプログラムへのオーダーを反射的に行っている。
それが可能なのは、よほど訓練された人間脳か、専用に調整された特別製の脳だけだ。
そして、それらに対抗するために“普通の人間”はソフトウェアの恩恵を感受する。
穴掘り男は電脳戦と無縁の人間だが、その体のほとんどの機能が機械任せである以上、目に見えない敵から自身を防衛しなければならない。
そのためにサイボーグの第二の頭脳、機械仕掛けの硬電脳の中にはウィルスよりももっと原始的で強固な防壁が存在する。
それがIntrusion Countermeasure Electronics、侵入対抗電子機器、すなわち“氷(ICE)”である。
かつてよりコンピュータを外部の攻撃から防衛するプログラムは存在する。
その多くが読み込みを拒んで敵を外部に閉め出してしまうものだったのだが、この“氷”はうっかり読み込んでしまったものを瞬時に“破壊”する。
視覚的には漆黒の壁と表現されるそのプログラムは、宿主のアドレスが特定され既存のファイアウォールでその侵入が防げなかった場合に自動的に展開され、あらゆる外部からの干渉を“否定する”。
今回のような想定外での電脳戦ではICEの起動はまず避けられない。
本来ならばICEの起動鍵に細工するなどの“下ごしらえ”をしてからと言うのが電脳戦のセオリーだった。
これ以上獲物に執着すれば自らも危うい、それに“もうその必要も無かった”。
瞬く間に広がっていく死の黒い壁を前に、ディーゼルは“転じた”。
視界が物理世界に戻ったとほぼ同時に、穴掘り男の頭部、“首”に該当する装甲の隙間から火花が散り、白煙が上がった。
ディーゼルは電脳界より“転じる”直前に“氷”の展開完了報告を合図に起動する遅行性のウィルスを仕掛け終えていたのだ。
「市販のプロテクトじゃあ……ねェ」
過電流を起こした硬電脳のショートにより、生体脳もおそらくは致死量のダメージを受けただろう。
……ディーゼルは部屋を一瞥した。
夕陽に照らされた多数の銃痕。
失禁して頭を抱え震える髭面の男。
二度と動くことのないドラム缶型の筐体。
穏やかな顔のまま腹を裂かれて倒れている少女。
「……」
舞い飛ぶ人工羽毛に包まれて、さながら天使のようでもある。
銃弾に引き裂かれた下腹部から、つい先ほど吐き出したばかりの蛋白液が漏れて床に染みを作っていた。
静寂。
同じ“造られたもの”として、どことなく、この少女に自分に近い物を感じていたのかもしれない。
だが彼と彼女を分けたのは、自分の運命についての受け入れ方だったのだろう。
造られた彼女は与えられた運命になんの疑問も感慨も持たぬままにその役目を終えた。
機械に作り変えられてなお快楽と幻想にしがみ付いた男もまた下らぬことで命を終えた。
果たして自分はそのどちらになるだろうか。
ディーゼルは頭を振った。
程なくしてエクシアから初回報償の振り込みがNOTICEとして送信されてきた。
後ほどの捜査の結果、死んだ男が他に何らかの罪状を抱えていればボーナスとして追加入金がある。
とりあえず会話ができる程度までは回復した店主(髭面の男)の証言により、一昨日のトラブルとはアッパークラスのアップデートで入れ込んでいたラブドールを失った件の男が営業時間外に破壊工作を行っていたことが明らかになったので、それだけでディーゼルはアッパークラス一回分の元をとることができる計算になる。
しかしながら残念なことに、この店主は保険に加入していなかった。
お気に入りの店は今日で店仕舞いになるだろう。
「……」
もう後戻りは出来なかったであろう男の脳を焼いたことに後悔は今さら無かったが、ディーゼルは彼が凶行に至った経緯に対しては妙にセンチメンナルな感情を抱いた。
肉体を失うと言うのは、想像以上に喪失感を伴う事象である。
例えそれが望んだ結果であったとして、代替の利く肉体というのは不思議と軽薄な存在になったような気がして、妙に感傷的な気分になる。
それが全身ともなれば尚更で、今まで自分が“自分”を示すための記号であった自分の顔、背丈や声、皮膚感覚そのすべてが“別物”に造り変わる。
例え全身を元の肉体の通りに作り替えても、徐々にその“違和感”は増幅する。
これは現在の医療でも解決できていない。
どれだけ精巧に神経反応を模倣し、内分泌系を騙してみせても、脳波計は常にストレスを示す値を計測する。
全身機械化サイボーグは一様に、機械化歴を重ねるに連れて妙な“偏執性”を垣間見せる傾向があった。
心理学者はその偏執性を一種の自己表現であると語る。
自身を代替する部品が多くなり、自身を定義する部品が少なくなり、自身の存在が希薄になることを、彼らは恐れている。
だがら俗世の何かに偏執することで、彼らは自身の存在を俗世に押し留めようとする。
この男も、そうだったのだろう。
「……【censored】」
それ以上の詮索は虚しくなるだけとして、ディーゼルはひとつ吐き捨ててこの一件を終えることとした。
一途な偏愛に生きた男と、その寵愛を受けられなかった悲しい人形。
そのふたつの亡骸の作る情景に彼は言い様のない人恋しさを覚えたが、それは恐らく満たされることはない。
【file//:6th_haven#01"windowlicker".mnq>END OF LINE】
【>exit】
最終更新:2019年07月31日 08:36