毎週金曜午前5時からの朝礼は全作業員の出席が求められる。
その朝は明け方から静かに雨が降っていて、指定の雨具を身に纏う労働者たちは顔を拭う事もなく整列し、ただひたすらモニター車の拡声器から響き渡る業務課長の長々とした演説を耐えている。
誰もが眼球に入り込もうとする雨粒に顔をしかめながら、その眼には蛍光色の垂れ幕に描かれたスローガンが霞んでいた。
“ここに楽園(HEAVEN)を創ろう”
次期ヘイヴンの移住権を得るためには一定時間以上の労働が義務付けられていた。
人口過密のヘイヴンにおいては働き口の確保は簡単な事ではなく、職に溢れた多くの男たちの行き着く先がこの企業主導による都市復興プロジェクトであった。
人類の生存のため、という大義名文を免罪符に人道を逸脱した効率化が図られた労働環境は、フィクションで描かれてきた管理社会の縮図にも思える。
彼ら労働者は企業が求める全てにおいて誠実であることが義務付けられ、例えばこの無意味な朝礼に至っても、ひたすら自身の誠実さと従順であることのアピールの場として設けられており、僅かにも社員の基準を満たせないものは何らかの処罰を受けることとなる。
ミヒャエル・ウィルヘルム第1665号優良労働者は、五日目の長時間労働で虚ろになりつつある意識のなかで辛うじて整列状態を保っていた。
彼はモニター車の拡声器が垂れ流す言葉を言語として認識できない程に疲弊していたが、規約通りに今日一日の労働を終えれば24時間の休養を得ることが出来る。
終えることが出来るのならば。
【NOTICE/KEYTH_PRODIGY】
【MY HEART IS LIKE A SATELLITE OF YOURS】
【deta transfer processing... [||||||||||||||||||||||||||||||||||| ]】
【NOTICE/KEYTH_PRODIGY】
【ROUND ROUND AND AROUND YOU】
【deta transfer processing... [|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||| ]】
【NOTICE/KEYTH_PRODIGY】
【MY HEART IS LIKE A SATELL】
【>NOTICEに接続したまま歌うのを止めろ】
【>只でさえフィルタリングしているのに無意味なログでいちいち更新されるのは癪に障る】
ヴィクターは静かに降る雨に打たれながら、グリザイユ画のごとき単色に染まる青灰色の空と無人の街とを見据えている。
ビルの屋上で銃を携え、膝を突き、ボディの都市迷彩も相まってさながらガーゴイル像の様な印象すら纏い、ただ静かに街を見下ろす。
その彼の視野のなかでは、風景の中に部下や雇われのデストラクターの現在地がリアルタイム送信されインポーズされている。
それに“ドローンマスター”の無数の子供達が収集してきたデータがさらに重なり、今、この沈黙の街のおおよそを彼は自在に伺い知ることができた。
【なんだよ、シケてんの嫌いなんだよ俺】
【>一人で何をしようが此方の邪魔をしなければ咎めない】
【じゃー別にいいじゃねえか】
【>わからん奴だな、邪魔だと言っている】
【>我々はそのために貴様と契約したのではない】
【>足を引っ張るならば契約破棄だ】
【アイアイ】
【*you kicked this channel*】
「【cencored】が」
一つだけ呪い言葉を吐き捨ててヴィクターは立ち上がる。
白み始めた空に対して雨は変わらず止むことは無い。
ふと頭の片隅をよぎる感慨を噛み殺し、彼は終わりに近づくプロセスの処理に全てのリソースを割き始める。
雨は嫌いだった。
自分の不安定さにこれ程苛立った事は無い。
既に互いの傷まで舐め合うようになってしまった相棒との関係に甘んじている事にすらジェイクは気を咎めてしまう。
センチメンタルな感情に囚われたら終わり。
モニカは過去にそう言っていた。
「……ん」
ふと覚醒し起き上がろうとしたジェイクの腕をディーゼルの大きな手が掴む。
「どこも行かねえよ」
「……あ、悪ィ……」
無意識の行動だったのか、ディーゼルは素直に手を離す。
「……なんかオンナみてえだな」
「だから悪かったって……それ初めて言われたけど、犬って言われるより遥かにショックだ……」
「そう言われても」
背中に繋がる充電ケーブルを引きずりながら、部屋のブラインドに指を掛ける。
半月前に修繕が完了した(というより無理矢理増築された)隣の住居ビルは、夜明け前のブルーに染まっていた。
実を言えば、ディーゼルの家から出ていくことはいつでも可能だった筈だ。
それが現状でも継続しているのは、互いに側に居ることに慣れすぎてしまった故か、あるいは。
「……なあ」
ディーゼルの声に振り向く。
二枚分の衝撃吸収フォームを重ねて撥水シートを巻いただけの粗雑なベッドの上で、巨体を横たえ、腕を力無く投げ出したディーゼルは、別に此方を見るでもなく言葉だけを投げ掛ける。
「嫌じゃなければさ、もうちょっと隣に居てくれよ」
「……」
少しだけ考えてから、ジェイクはそのままベッドに戻り、巨体の隣に身を横たえた。
「……なんでこうなっちまったんだかな」
そう呟いたジェイクの肩を、まるで壊れ物を扱うかのように怯えた手つきでディーゼルは抱いた。
何気ない呟きはそのまま、がらんどうになってしまったディーゼルの胸中で残響する。
“獣医”トムは前の事件以降から続くディーゼルの精神面の不調について、“死”というものの本質に触れたからだと分析する。
多くの人間は忌むべき“死”から目を背けて生きている。
世界が破綻してしまい、生死の価値観が狂ってしまった今でも、人間は自らの、あるいは自らに近しい人間の死など欠片にも思わずに生きている。
だが、死は消え去ることはない、いずれは目の当たりにすることになる。
ディーゼルやジェイクのような生死を司る生業を持つものにとって、それは避けられぬ壁として何時かは立ちはだかるものだ。
曲がりなりにも命を扱う仕事を生業とするトムもまた、今でもそのような壁に苛まれることがあると言う。
これは人間一人が抱えるにはあまりにも大きな問題であり、だが、それでも一先ずの解法を出すことが出来るのも人間だと言った。
ディーゼルに向けられた説法は、同行していたジェイクにも確かに向けられていた。
ではその解法とは、とトムに訪ねようとしてジェイクは押し留まった。
他人が与えてくれる答えなど、あるはずがないのだ。
「おい」
「……ん?」
ディーゼルは静寂を破り呼び掛けてきた相棒に向きかえる。
「……オレが死んだら、悲しい?」
ジェイクは囁くように訪ねた。
「……そりゃ、悲しいよ」
小さな声で返した。
「……言ったろ、おれ、お前のこと好きだもん、お前が居なくなったら、悲しいよ、たぶん」
「たぶんかよ」
「わかんねえよ、そんなこと……考えたくもねえし」
「……」
ジェイクは本気で、ディーゼルとの関係性について悩んでいた。
認めたくない部分と、自分の中の何故か浮かび来るささやかな期待との矛盾など、大きな問題も確かに後回しにしているのだが、ディーゼルという存在が、自分が保ち続けてきた疎外感、言うなれば“鋭さ”を失わせようとする。
それは彼が今を生きるための拠り所にしていたもので、失われたとなればそれこそ死に招くフェイタルエラーに繋がりかねない。
無論それは人として幸福なことなのであろうが、綺麗事で生きていける世界など現実には存在しない。
だがジェイクは決して自分に対して好意を示すディーゼルを責めることはない。
それは自分が弱いからで、だからこそディーゼルは心を割いて自分を守ってくれているのだと考えているからだ。
そして、同じく“鋭さ”を失ってしまったディーゼルを、自分は守れないことも。
沢山の葛藤がある。
多くは意識の外に押しやって、まずひとつひとつ処理していくことにする。
ひとつめは、すっかり丸くなってしまった相棒の平穏のために、望み通りに側に居てやること。
そして。
ブラインドから差し込む薄明かりが、寄り添い合う2つのマシーンの輪郭を闇から浮かび上がらせる。
その2つの関係性について明確な回答は未だ得られていないものの、ただ、その中に宿る二人の孤独な精神は、寄り添い合うことでひとまずの安寧を得ることができた。
思考を停め、ただ互いに与え合う暖かな心象温度の循環に、今は甘んじることにする。
まるで麻薬のようなものだ。
現実から逃れるために何かを麻痺させている。
これは“正しい”ことなのだろうか。
ジェイクにはわからない。
仮にこれが男女の関係であったとして。
同じくこうして身を寄せ合うことに果たして意味はあるだろうか。
恋愛行為が子孫繁栄のプロセスだとして、結局のところ彼には生殖の能力は無い。
サイボーク化の際に高い契約金と維持費を払って精液バンクに未来を託すだけの余裕はジェイクには無かったからだ。
ならば結果の伴わない恋愛には果たして意味があるだろうか。
これが男女の関係であったとしても。
「……ディーゼル」
「ん?」
「オレが女だったら嬉しかった?」
「はぁ?」
流石のディーゼルも突拍子もない相棒の言葉に驚いたらしい。
「……好きだろ、オレのこと」
「好きだけど……別に、おれは今のお前が一番好きだし」
「そっか」
「……ジェイクこそ、さっきからずいぶん女々しいじゃねーか」
「ばッ……ああ、確かに言われてみるとショックだな……」
だが言葉に反してジェイクはディーゼルに身を寄せる。
「……オレのさ、甘えというか、独善的な逃げかもしれないんだけど」
「うん?」
「……オレも、お前のこと……好き……だよ」
顔を見ずにジェイクは言う。
「そっか、ありがとよ」
「そうじゃなくてさ」
いまいち的を得ない答えが返ってくるのは解っていた。
「オレは、おまえと、付き合いたいと思ってるってハナシ」
「付き合うって? どこに?」
「お前に恋愛感情があるってハナシだってば」
「ああ、れんあ……」
そこでようやくディーゼルは理解した。
「……恋愛ッ……?」
「やっぱり、お前はそのつもり無かったんだろうな」
ディーゼルに顔があればどんな表情をしただろうか。
逆に言えばジェイクは自身に顔がないのに安堵していた。
恐らくは今までのうちで一番恥ずかしい顔になっていただろうから。
「お、おれ、おまえのこと、す、好きだけどさ」
「無責任な事言いやがって、思わせ振りな事ばかりしてきやがってさ」
明らかにディーゼルは狼狽していた。
いつぞやかと立場が逆転する。
「……オレ、おまえのこと、好きだよ」
「じぇ、ジェ……」
「……幻滅したか?」
「ッ……」
その悲しげなニュアンスを含む言葉でディーゼルは冷静さを取り戻す。
「……これでも、オレのこと、好きかよ」
小さく、ジェイクは訪ねた。
ディーゼルはその瞬間に、今寄りそう存在の、小ささとか弱さに気がついた。
「……好きだよ」
押し出すように発したその言葉によって、肩を抱き寄せる腕の意味が少しだけ変わった。
ウィルヘルムはごくありふれた真面目な男だった。
顔は平凡だったが独特のユーモアがあり、殺伐とした労働者のなかにあってムードメーカーとして愛されていた。
ヘルベチカと言うあだ名で呼ばれていた女友達も初めはそのユーモアに惹かれて近づいてきた。
次第にウィルヘルムとヘルベチカは自他共に認めるカップルとなり、当時の上司も含め多くの人が二人を祝福した。
良い顔をしなかったのは企業だった。
ヘルベチカの妊娠が発覚するや否や、内縁の夫であるウィルヘルムは、どれだけ居ても足りない労働者が一人欠ける事に対する高額の違約金を請求された。
真面目なウィルヘルムは妻とまだ見ぬ子供の為に二倍の労働時間を強いられていた。
それでも彼は幸福だった。
理由はわからないが。
「見ろよ」
業務上がりの浮き足立つ労働者を詰め込んだシャトルバスの窓の外をロバートが指差した。
ウィルヘルムが目を細めて覗き込むと、四肢を投げ出して倒れているサイボーグが難民によってボディを引き裂かれ、人工臓器を引き抜かれている凄惨な光景が飛び込んでくる。
「最近あるらしいぜ、サイボーグを車で牽いて中身盗むってヤツ」
「とんでもねえな、世の中」
「奴等歩く金蔓だからな、不用心に
歩いてる方が悪いのさ」
ロバートは落ち窪んだ目で過ぎ行く風景を追っていく。
「しかし、やってられんよな。今時サイボーグになったら債務の山で、その上で略奪なんてさ」
「でも機械の身体にゃ疲労も病気も無いんだろ、心底うらやましいぜ」
「滅多なこと言うな、社員に聞かれたら難癖つけられてサイボーグにされた挙げ句に一生タダ働きさせられるぞ」
ウィルヘルムは包帯を巻く手首を撫でた。
ぞんざいな治療で済まされた左手の怪我は化膿して熱を持っている。
下手をすれば切断されて無理矢理義手を取り付けられた挙げ句に債務で縛られ一生企業の犬にされてしまう所だ。
そのような体験と先の不安を経験したからこそ、彼には世に蔓延る高機能障害者、すなわちサイボーグへの羨望や偏見に満ちた価値観を持っていない。
無論すべてがそう言う“かわいそうな”人間とは限らないのはウィルヘルムも良く解っている。
人間というのは奇妙な生き物で、個々の権利や人格を主張する割に、多くの場合重視されるのは一群体単位の平均的価値観であり、個々の意見は反映されない。
そして現実でもっとも重視されるのは建設的・創造的な意見よりもより攻撃的なヘイトに満ちた感情だ。
我々が創る避難所が楽園足り得るには、理想像として語られるだけの“個々を慈しむ精神”が欠如しているのではないか。
その変革無くして楽園は成し得ないのではないか。
ウィルヘルムは常に考えては居たが、それこそが結局、言われ続けてきた理想像そのものでしかないと頭を振るしかない。
世界を変革するだけのパワーもリソースも、一個人でしかない彼には持ち得ないからだ。
「やあ」
語りかけた病床の息子は、酸素マスクの中に愛らしい笑顔を作って応じた。
「ママは来てないのかい」
「うん……今日はきてない」
ウィルヘルムが握る小さな手には痛々しい点滴の痕が無数に残る。
医師はまだ多少の猶予は残されていると言った。
まだ柔らかく、暖かな手。
顔色は優れないがそれでも愛らしい笑顔。
それももうすぐ硬く引きつり、まるでマネキンの様になってしまう。
事実、愛息子の下半身はすでに神経系の疾患で硬直し機能していない。
稼ぎの殆どが彼の延命のために消えている。
それでも企業に属しているからこそ保証によって個人でも支払い可能な額に抑えられている。
この子の未来を創る仕事をしているんだ。
そう思えば辛くなかった。
「パパ」
「なんだい?」
「ぼくねー、宇宙飛行士になりたい」
突拍子もない話にウィルヘルムは目を丸くした。
「宇宙飛行士? なんでまた」
「月に行きたいんだ」
ふと息子が見ていたテレビモニターに目を向ける。
辛うじて混乱から残された戦時中の記録映像が連続して流れ、カートゥーン調のキャラクターが解説を挟む。
そうか、今日は終戦記念日か。
ウィルヘルムの脳裏に忘れかけていた月日の感覚が甦る。
子供向け番組が戦争のディテールをどこまで伝えているかは解らないが、まだジュニアスクールの一年生でしかない息子には、自分ですら理解できない戦争の凄惨さよりも宇宙のロマンの方が勝るだろう。
「ねえパパ」
「ん?」
「ちきゅうは月とケンカしたんでしょ?」
「あ、うん、そうだよ」
「ぼくねー、月に行ってごめんなさいしに行きたい」
ウィルヘルムはまたも目を丸くした。
「ママ言ってたよ、ケンカしたらねー、ちゃんとごめんなさいしたら仲直りできるんだよ」
「……そうだね」
ウィルヘルムは息子の頭を撫でた。
大人達が忘れてしまった大切なことを、この子は解っている。
子供だからこそ言えることなのだろうか。
だが、ウィルヘルムは自らの息子の口からこの言葉が聞けたのが誇らしかった。
死に行こうとする身体にあって、それでもこの子は正しく生きようとしている。
「……仲直り、出来るといいな」
「うん」
幾度となく道を違えそうになった、否、違えてきたかもしれないウィルヘルムの人生が結んだひとつの希望が、正しく正しく生きようとしている。
挫けて歪みそうになってしまったウィルヘルムの心はその言葉に救われ、そして奮い起った。
何が遭っても真っ直ぐに生きていこう。
疲労に落ち窪んだ眼窩から流れ落ちそうになる涙を堪えながら、ウィルヘルムは笑った。
妻ヘルベチカの死を知らされたのは、翌日の夜のことだった。
「……」
エクシアからの強制権のある特別依頼に駆り出された二人は、輸送機内で互いに話題を切り出せずにいた。
ただ、やはりと言うべきか、人目を気にすることない機内では互いに肩を寄せ合い、先の不安を和らげていた。
「……あのさあ」
離陸後40分程して漸くジェイクが切り出した。
「……大荷物すぎねえか?」
その言葉が指し示すのはディーゼルの“追加装備”だ。
マニアックなコレクションの中でも取っておき中の取っておきを倉庫から引っ張り出して来たらしい。
「必要なんだよ、ニューエデン人工島は独立系ネットだから、パワーのある中継点が必要なんだ」
「マジか」
「メインフレームを解放ネットに繋げばどうにかなるかもだけど、セキュリティが前時代のままだし、あんましリスクのあることしたくないしね」
二人は“取っておき”を見やる。
「それに最重要防衛拠点だから、最悪この輸送機くらいのサイズの飛翔体を関知すると多分自律防衛機構に墜とされる」
「……マジか」
「だからおれがエスコート」
「……マジでか」
いつぞやかのスカイダイビングを思いだし不安が過る。
「今度は頼むぜ、王子さま……」
「……あ、あのさ」
「あん?」
「さっきの話だけど」
最も避けていた話題が飛び出した。
「……今は、やめようぜ」
「あ……そう」
「……今は、このままでいいよ」
ジェイクはディーゼルの手に自分の手を重ねた。
只でさえもうこんな状況なのに、これ以上言葉で明らかに定義されてしまえばダメになってしまう。
実際、ジェイクはこれ以上丸くなるのを恐れている。
ディーゼルの持つ“温度”が彼には心地よすぎるのだ。
『悪ィねお二人さん、いよいよもって目的地だ』
突然のパイロットのアナウンスに慌てて二人は身を離す。
『状況の把握と自律防衛機構の切断までがおたくらの仕事、後はこっちでどうにかする』
「一応質問いいかな、オレ達を指名した理由とヤバくなった時の対応」
屋根に向かってジェイクは訪ねた。
『衛星写真で確認したテロリストの映像から特定した人物との交戦記録があったからだ、ヤバい時には離脱して構わん、但し報酬ナシ』
「交戦記録?」
『ヴィクター・V・メドヴェージェフ、聞き覚えあるだろう』
二人は顔を見合わせた。
『それと“ドローンマスター”キース・プロディジィ、まぁ、有名人だがな』
「……【censored】」
最悪の取り合わせだった。
ここ最近の頭痛の種が二人纏めてとは。
『正直なところ、エクシアではお前さん方二人とテロ組織のなんらかの関与を疑ってるんだ、ヴィクターに関しては二度も仕留め損ねてるわけだし』
「“身の潔白を示せ”……そういうこと」
『聞こえは悪いが、そういうこった』
相棒とパイロットの会話を黙って聞いていたディーゼルの胸中にはひとつの言葉が去来する。
縁(エン)、非可逆的関係性を表す概念。
『あと30分ちょいで目的地周辺、突入を確認次第こちらは一時離脱。後は自前でって約束だな』
「アイアイ」
『てなわけで見えてきたぜ、サービスで一周してやる、よーく拝んどきな』
二人は窓を覗き込んだ。
本来ならば遥か彼方の筈なのに、薄明かりに霞むその黄昏色の威容は確かに目視出来てしまう。
人類史上最大、一時代を象徴する世界最大のモニュメント。
起動エレベーター“VERTEX”は、ひとつの時代が終わって尚、空を貫き未だ高く聳えている。
人類科学の夢の頂点、軌道エレベーターの建造に当たって立ちはだかるのはその途方も無い構造物を支え得る物理特性を持つ物質の不在だった。
もっとも有望視されたカーボンナノチューブですらも、建造に利用できるだけの長さを既存の科学は生み出すことが出来なかった。
しかし何時の時代にも狂気を通り越した天才は存在する。
そのアプローチはフィクションで描かれることも無いほどに斬新だった。
静止衛星軌道上に先ず最初に設置された建設基地は、その時点で冗談で済まされない程の予算を湯水の如く消費しながらも、既存技術で製造可能なダイアモンドライクカーボンでコーティングされたチタンワイヤーを超古典的技法で編み上げるという俄かに信じがたい方法でエレベーターの外郭を構築していった。
ありふれた衣服にも使われるメリヤス編みと呼ばれる技法で構成された外郭は伸縮性に富み、遠心力と重力とが釣り合う地点のステーションを保持する為の負荷を構造的に吸収できる。
既存技術で製造しうる素材そのもので構造体を構築できるこの工法は行程が少なく比較的安全でコストも節約でき、何より現実味があった。
それでなお結果として天文学的な予算が消しとんでしまった史実は別として。
軌道エレベーターの本体は、この巨大な編み物のチューブに守られて地上と宇宙とを往来する。
月の開拓後は超伝導技術の普及に合わせて改良され、往来は更に早くなった。
地表近くは劣化防止のため外郭に包まれているが、雲の上を越えた辺りから外郭は琥珀色に輝くワイヤーのみとなり、網目構造の隙間から外の風景が透けて見えるだろう。
一方、雨に濡れる地上側ポートは宇宙側から垂れ下がるエレベーターを繋ぎ止める錨の役割を担っている。
それが彼らが向かう人工島ニューエデンの正体だった。
無数にスクラムを組むマスブロックの上に作られた人工都市は、商業展開に着手されて間もなく大戦が始まり、重要防衛拠点とされほとんどの人間が退去させられて以降、何人の侵入を許すことなく現在まで無人であった。
エクシアの衛星が動体を感知したのはVERTEX地上ポートに近い、万博開催予定地近辺。
ヴィクターら、そしてその裏に潜むであろうアラムの目的は謎だ。
「いよいよもって月に帰るんじゃねーのかな」
「それだったらいいけどね」
「?」
含みのあるディーゼルの言い方にジェイクが反応する。
「ELVIS計画って知ってる?」
「エルヴィス? ロカビリーの神様?」
「エリア51並の眉唾物の話なんだけどさ」
“取っておき”の隙間に半身を埋めながら、ディーゼルは語り始める。
「ほら……ここって地球最大の防衛拠点なワケじゃん、だから、最終防衛ラインに“ELVIS”ってコードネームの最終兵器が隠されてるって噂があるのさ」
「……マジかよ」
「正体は解らない、戦略核兵器とか、月を撃ち抜く大口径レーザーだとか、はたまた月の内部に直接爆発的エネルギーを送り込むスカラー電磁波兵器だとか……まぁ、挙げてきゃキリがないんだけどさ、とにかく、ELVISって呼ばれてた何らかの兵器がどこぞに隠してあるらしき通信記録が漏洩して、一時期の陰謀論者を沸かせたことがあるんだよ」
「……好きだね、そういうの」
「野次馬根性が抜けなくてさ」
ディーゼルは脱いだ上着を格納スペースに丸めて押し込み、露出した背面のマルチプルアダプタを追加装備に押し付け、鈍い金属音の後に巨体が固定される。
後は乱雑にぶら下がっていた人工筋繊維ハーネスを手際よく体に回して固定し、ディーゼルは後の処理をウィザードに任せて他の装備をチェックする。
「準備はいいかいお姫様」
「いつでもいいぜお馬様」
「馬ッ!?」
「足なんだからしょーがねーだろ」
「心外だなあ、こんにゃろうめ」
普段通りのテンションを保つ為に軽口を叩き合う。
だが頭の奥底では言い様のない不安感がしつこく居座っている。
気は晴れない。
だが今は商売の前だ。
それも致し方ない。
『降下準備よいか』
ちょうどジェイクがディーゼルに抱えられ、ハーネスで互いの身体を固定すると同時に呼び出しが掛かる。
「okey」
『後部ハッチ解放、カウント30で射出』
二人の視界内にタイマーが現れ、ゼロに向かって走り始める。
輸送機のハッチが開け放たれ、雨風が吹き込む。
ディーゼルの背中では二基のタービンが獣の唸りを上げ始めた。
『7、6、5、4、3……』
作戦そのものの物々しさがそう思わせるのか。
『2』
ここで死ぬかもしれない。
『1』
一瞬の恐怖が指先まで走り抜けた。
『投下』
身を揺さぶる激しい振動と共に、二人の体は空中に投げ出された。
頭上を輸送機が見事な曲線を描いて旋回し、同時に背後で甲高いタービン音と小さな爆発音とが喧しく鳴り響く。
鈍い衝撃と共に激しい加速度を感じた。
【NOTICE/DSL-0013】
【大丈夫かいお姫様】
【>相変わらず無茶苦茶だぜ】
【取っておき中の取っておき、おれわくわくしてきちゃった】
【>ホントお前は相変わらずだLOL】
【GRIN】
ディーゼルの背後で火を吹くのは前時代の汎用偵察機の機関部を無理矢理切り取った代物だ。
化学ロケットと超伝導ジェットエンジン、さらに電磁誘導の合わせ技で、航空力学的にはどうしようもない形状にも関わらず凄まじい加速度で飛翔する。
上面には単独で衛星通信が可能な通信システムを備え、四基の身代わり防壁と二基の自律型スマートミニガンが完璧にディーゼルを護っている。
【NOTICE/DSL-0013】
【そんな緊張すんなよ】
【>え】
【関節の強張りで解るんだよ】
ディーゼルの腕がジェイクを背後から抱き締める。
【おれが居るよ】
緊張の解れたような、生命線を掴む手を緩めてしまったかのような。
【>あのさ】
【ん?】
【>例の話なんだけど】
【それは、後】
【>、】
【そうだろ?】
ジェイクは何か云おうとして、急激に変化した機動に阻まれた。
「ッ!?」
凄まじい熱量が通りすぎた。
雨のなかを一条の光が通り抜け、一瞬で消えた。
また一条。
【やべえぜ、こりゃレーザー砲台だ】
瞬間的に軌道を変え、ディーゼルは光をかわしていく。
【ツイてるぜ相棒、雨の中でレーザーがブルーミング現象を起こして減衰してるんだ。一旦レーザーを広げて目標に焦点を合わさないと破壊的エネルギーを産み出せない】
【>どういうことだよ!?】
【晴れてたら光の早さで狙撃されてたかもってことさ、いずれにせよ大気中じゃ減衰するけど】
【心配ない、前方投影面積小さいし、十分回避できるよ】
【>じゃなくて!】
【>小さければ見つからないはずじゃなかったのかよ】
【>明らかに防衛システム掌握されてんじゃねーのかって話!】
【そうかも】
【>ノーテンキだなあお前は!】
ジェイクが見据えた先、光学最大望遠で漸く魔弾の射手が姿を現す。
かなり巨大な構造物、シルエットは酷くシンプルだ。
港のガントリークレーンと大差ない全高を支えるのは極めて単純な構造の四本の脚。
その上に載った砲台部は扁平で透明なドーム状だ。
【NOTICE/DSL-0013】
【うわあ、Medusaだ! 現存してたんだ】
共有された画像にディーゼルは興奮する。
【対艦光学自走砲! 前時代の迷兵器百選歴代トップ1だぜ】
【>まじか、で、どーすんの】
【もっと近くで観たい!】
【>この技術偏愛者(テクノフィリア)め!】
巨大クラゲの吐き出すレーザーは、そもそも小型で小回りの効く飛翔体への有効打には成りがたい。
本来は海上を進む艦船、あるいはICBMのような飛翔体から人工島を守るために配備されているものだ。
【相棒よ】
【>あいよ】
【当てなくていいから右手側のマルチプルランチャーの四番チャンバーぶっぱなして】
ディーゼルとジェイクが挟まるようにして固定されている飛行パックの下に、ディーゼルのランチャーが懸架されている。
ジェイクはそれに手を伸ばし、マニュアルで四番チャンバーを指定し、トリガーを引いた。
白煙と共に弾体がMedusaに向けて走り出す。
【*PROVE connected】
【!!CAUTION:ポートを解放します】
【*ASSAULT A.I. active】
【ザッピングレート 特定>論理攻撃を開始します】
空中で通電性形状記憶合金の簡素な翼を広げ、Medusa目掛けて飛翔する中継器が無線を通じてディーゼルの支援AIの攻撃を送り込む。
こういう場合の電脳戦は殆どが博打だ。
旧世代兵器の脆弱性に賭ける。
【*ウィルスアレイがヒットしました】
【*目標 識別アレイに レベル7 機能衝突発生】
【*関連コンポーネント 処理停止中】
【*関連コンポーネント 捜査中 レポートを作成します】
「BINGO」
ディーゼルは思わず口にしたが全て風の音に掻き消えた。
Medusaの動体識別コンポーネントに潜り込んだ不純物が正しい処理を阻害し、プログラムの一部を書き換えて破壊した。
その処理に戸惑う巨大クラゲはプログラムをリロードし再起動するまで沈黙することになる。
【相棒、着地するぜ】
【>クラゲ観察は?】
【制圧してからゆっくりね】
人工島が近づくに伴い、停止しているMedusaの巨大さが手に取るように解る。
扁平な頭頂部のドームは人工ダイヤモンド。
内部には球形のレーザー発信器が三基並び、不正処理の為か不気味にその視線を右往左往させている。
ディーゼルは減速しながら大きく旋回し、回転させたロケットを蒸かしながら埠頭に向かいVTOL着陸の姿勢を整えた。
【レポートによれば巨大クラゲはスタンドアロン】
【島のネットワークは死んでるくさい】
【奴等中継機でも使って直接操作してたかな】
【とりあえず、島に入っちまえばデカブツは出てこないだろうさ】
ディーゼルの太い足が人工の大地を捉えた。
「……オレは奴等を陽動する、その間にシステムを」
「死に急ぐなよ相棒」
「……どうだか」
ジェイクは気の無い返事をした。
「もう、なんか、よくわかんねえんだよ」
ハーネスを外し、己の足でコンクリートを踏みつけ、ジェイクはSMGのセーフティを外し、構える。
「何で今、オレ達がこんな大それた場所に立ってんのか、奴等としつこく絡まなきゃなんねーのか、そこまでして生きてることにどんな意味があるのか」
「……」
「万博予定地だっけか、runだぜ相棒」
返答を待たずにジェイクは駆け始める。
「……死に急ぐんじゃねェぞッ」
今になく怒りの籠った語気にジェイクは一瞬足を止めた。
「……死ぬ気はさらさら無ぇよ」
それだけ言い残してジェイクは再び駆け出した。
死ぬ気は無かった。
その反面、もし死んでも仕方がないと思っていた。
それが自分に課せられたプログラムであるのならば。
抗うことなど出来はしないのだ。
ヘルベチカの死から二日経って漸く、ウィルヘルムは彼女が労働条件改善を求めるデモに参加し、衝突の果てに過激化した抗争に巻き込まれて死亡したことを知った。
企業は妻が与えた損害の賠償をウィルヘルムに求めた。
わけも解らぬままウィルヘルムはそれに応じた。
子供の医療費を一ヶ月滞納したことにより、医療期間は次の支払いまでの医療行為を停止した。
病状の進行した息子は石のような表情のまま、両手足を丸めて痙攣していた。
言葉を発することも出来なくなった。
なぜこんなことになってしまったのだろう。
優しいウィルヘルムはそれらの原因に自分を当てはめた。
他に当てはめるべき要素が見つけられなかったからだ。
デモの拡大は止められない。
これ以上の医療費滞納は息子の死を意味している。
ウィルヘルムはマシーンに徹することで精神の均衡を保った。
一日二食の食事を一食に切り替え、無為な娯楽を切り捨てれば多少なりの余裕が生まれる。
半年も耐えることが出来さえすれば、息子の神経系の治療が行える。
医療費さえ浮けば二人で暮らしていくことは雑作もない。
それから次のヘイヴンに移住した暁には、システムエンジニア職の斡旋が得られているはずだ。
そうすれば、息子を大学に送り出し、彼の努力次第だが月へと送り出してやることだって夢では無くなるのだ。
ウィルヘルムは目を閉じた。
種子が芽吹き、土壌に根を張り、いつか蕾が花開くまでには常に痛みを伴うものだ。
ただ今は、ひたすらに耐えて根を張るしかない。
亡き妻と二人で結んだ種子は、もう芽吹いたのだから。
過労を根幹とするであろう倦怠感と火照る体を未来への希望で塗り潰し、彼は明日の闘いに備えた。
大気中の粉塵を多分に含む上空の雲は、現地時間午前八時を回ったにも関わらずニューエデン人工島へ十分な日光の照射を許さない。
ほの暗い青灰色に染まる視界と打ち付ける雨の中、ジェイクはヴィクター率いるテロリストとの交戦を行っていた。
まず最初にエンカウントしたのは聖戦に憧れ自ら志願して戦闘サイボーグとなった18歳のムスタファで、過去に参加した異教徒掃射戦で無抵抗の労働者に機銃を乱射していた時とは勝手の違う不馴れな実戦に翻弄され、そのまま頭部ごと脳を砕かれて死んだ。
彼のバイタルサインの停止に即座に反応したのはゲリラ戦のエキスパートで、数ある戦場を渡り歩く手練れの傭兵ラシードだったが、弟の様に可愛がっていたムスタファの残骸を利用したブービートラップに引っ掛かり、指向性対サイボーグクレイモア地雷が扇状にばら蒔いた微細鉄球に装甲の多くを削られた後、アーク放電の直撃を受けて燃え上がりながら死んだ。
ハサンは集められた人員の中では比較的良く集団の理念を理解しており、ヴィクターの信頼も厚い男だったが、正々堂々と立ち回り過ぎた挙げ句に戦闘薬を投与していた味方に誤射されて死に、その部下も姿も現すことなくナパーム弾の熱に焼かれて死亡した。
約一時間のうちにジェイクは四人の狂信者を殺した。
そこまでして何故生きていかなければならないのか。
その答えは見つからぬまま、確かなのは彼らを殺さなければ自分が死ぬだけだという事実であり、だが、ここで死するにはまだ腑に落ちないからという曖昧な理由だけが、彼に戦う意味を与えている。
奴等は死するべくして死んだ。
オレはどうか。
死するべきならば死んだだろう。
だが今は生きている。
殺してもまだ、生きている。
思考をその理由に向けようとすれば、脳がそれを拒否して吐き気に変換する。
だがそれを実行し結果を出力すべき胃腸なる機関はその身体から失われていた。
だからまだ、戦える。
マシーンとして、死を吐くプロセッサとして。
【NOTICE/DSL-0013】
【/kick:DSL-0013】
相棒をチャンネルから蹴り出して、ジェイクは再び走り出した。
なぜ、そんなことをしてしまったのか。
人を殺した自分を知られたくなかったのだろうか。
その優しさに触れたら壊れてしまうからだろうか。
ジェイクは揺さぶられた感情を一時的に切断し、ただ一機のマシーンとしての仮面を被る。
【*you kicked this channel*】
「【censored】ッ!!」
何時になく荒々しい語気でディーゼルは毒づいた。
何故自分でこうも苛立ちを制御出来ないのか、彼自身不思議だった。
相棒の前で冗談を飛ばせるほどの余裕はどこへ消えてしまったのか。
ディーゼルは人工島上空を大きく旋回しながら、満遍なく張り巡らされた“蜘蛛の巣”の綻びを探し求める。
ディーゼル達が互いの通信に自前のホットラインを利用しているのと同様、テロリストも何らかの形で独立したネットワークを利用しているに違いない。
下手に人工島のネットワークを再起動すれば防衛機構を目覚めさせかねない。
眠った蜂の巣を突くのと同義だ。
パッシブソナーが捉えた電波は島中に分布している。
恐らく敵はキースが操る無数のドローンを中継機に使ってネットワークを構築しているのだろう。
この物量で乱暴に敷設されたネットワークは、どこか一部から侵入しようとしても簡単に患部を切断でき、親であるキース、あるいはその背後に潜むアラムまで手探ることは不可能だ。
ならば“親”であるキースを炙り出す他に無いが、狡猾でクレイジーな彼を見つけることは容易ではない。
頼れる相棒の手を借りたかったが、彼は恐らく。
【NOTICE/SEND>EXUCIA_ESCT-E0047】
【>此方WARP.PMC】
【こちらエスコートE0047】
【>目標はかなりの物量の中継機を持ち込んでおりネットワーク制圧は困難】
【>プロセスに予想以上のタイムが掛かる】
【>WARP.PMCに応援依頼】
【勘弁してくれ、此方もそう長くは飛べて居られないんだ】
【>そうかい】
【>これは個人的質問なんだが】
【>ELVIS、て何だ?】
【質問の意図が不明】
【>トボけるなよ】
ディーゼルは些か焦りすぎている自分を咎める。
切り札はもう少し大事に使いたい。
【>テロリストの装備からしてかなり大掛かりなrunを仕掛けるつもりなのは明白なんだ】
【>そのへんわかってて話をデカくしたくない一心でおれたちを送り込んだのもわかってる】
【>別にそういう商売だ、責めやしねぇ、世の中が揺らぐのも勘弁だ】
【>だからよ、どうせ盗聴も利かねえ孤島の上だ】
【>フェアじゃねえ状況でrunしてるもんだから、相棒がヘソ曲げてやりづれえんだよ】
これがオフライン上であれば神経反射的に喉笛に噛みついてやりたい気持ちを抑え、紳士的にオーダーする。
無論、その結果は解っているが。
【安全保証上の守秘義務がある】
輸送機パイロットは機械的に答えた。
【>okay、解ったよ】
【>プランB、“ufabulum”制圧に掛かる】
【おい、今なんつった?】
【>“ufabulum”制圧後、島のネットワークを逆制圧し連絡する】
【>なあに、元のプランが前倒しになるだけさ、詳しいことはこちらからエクシアサーバに聞いて全世界に共有させてもらうとしよう】
【な、おい、聞いてないぞ!?】
【>わりいけど切り札はコッチにもあンだよ、無論、あんたが話を飲むならそれが一番良い】
それはディーゼルも同様だ。
今、彼は一番切りたくないカードをチラつかせている。
下手をすれば自分が世界国家に裁かれかねない危ない橋だ。
【>平和的にやろうぜ】
【>おれもまだ生きていたいんだよ】
ウィルヘルムが目覚めた時、そこは上等な医療施設の様な真っ白な空間だった。
「目が覚めたかな?」
背の小さな東洋系の男が扉の向こうから現れる。
「済まないね、なにせ事態は急を要したのでね」
話が読めない。
それ以前に、彼は体を動かすことはおろか声を出すことも出来なかった。
何らかの悪夢だろうか?
「酷い状態だった、手の傷から細菌が入り込んで……脳を守るのが精一杯だ」
この男は何を言っている?
「あー、安心しまえ、えっと……ミヒャエル・ウィルヘルム第1665号優良労働者くん」
男はカルテを指でなぞりながらウィルヘルムの名を読み上げた。
「わが社の埋め込み型バイタルチップが君の危機を教えてくれた、君はもう大丈夫だ、わが社の体は君に新しい可能性を与えてくれる、もう心配ない」
ふと、ウィルヘルムの前に一枚の鏡が立てられた。
彼は絶叫した。
声は出なかった。
「まだ義体の初期設定が済んでいないのでね、君の状態が安定次第、設定を行いリハビリに移ろう、プロジェクトの方は心配しないでいい、君の新しい能力を活かせるよう手配してくれる筈さ」
彼はひたすら叫んだ。
声は出なかった。
「そう“喜ばなくて”良いよ、よく働きすぎて君のように体を壊した労働者を幾度となく救ってきたが、皆一様に同じ反応だった、“ありふれた反応”だよ」
怒り、身に降り注ぐ耐えがたき不条理に対する悲痛なる怒りを、彼はひたすら出力しようとした。
だが、声は出なかった。
「しばらくはサイボーグ酔いも酷いだろうが……まぁ、努力して社会復帰したまえ、リハビリ中は無給になるそうだから」
ウィルヘルムは考え付くだけの抵抗を全て試みた。
だがどうすることも出来なかった。
男が立ち去ると同時に、部屋の証明も落とされた。
“四つ目の怪物”も、それと同時に姿を消した。
翌日以降のリハビリでは、ウィルヘルムは何故か抵抗もなく静かだった。
何故か思考がぼやけ、意識が定まらない。
賢明なウィルヘルムは恐らく脳内物質が制御されているのだろうと推測した。
恐れていた事態だが、彼にはもう先の不安を考えるだけのリソースは残されていなかった。
何もかもを包み隠された脳は、ただ社会に対して彼を扱いやすく動かすことしか考えない。
それは彼の“外”が望んだ結果だった。
辛い目眩を頻発させるサイボーグ酔いを残しながらもリハビリを終えたウィルヘルムは、プロジェクトの安全保障セクションへ配属された。
様は体裁の良い暴徒鎮圧任務だ。
ストライキの果て、暴力に身を任せた労働者をその機械仕掛けのパワーで捩じ伏せた。
運悪く死亡した者は事故として処理された。
霞みがかった自我で亡き妻を考えた。
彼女はどのようにして死んだのだろう。
不慮の事故か、あるいは。
そこで彼は思考を止めた。
金は貯まらなかった。
強制的に作り替えられた人工の肉体に掛かる負債は莫大なもので、手元に残る額面は生身の頃より少なかった。
だが残るだけ彼は幸福に思えた。
子供の医療費を払うことが出来る。
疲れ知らずの機械の身体は今まで以上に労働できる。
もう少しの辛抱だ。
息子は変わり果てた姿に驚くかも知れないが、あの子は優しい子だ、理解してくれるだろう。
神はまだ見捨ててはいまい。
もう少しの、もう少しの辛抱だ。
彼は社屋の雑具入れのごときサイボーグ向けプライベートスペースの暗闇の中で己を震い立たせた。
記憶はそれから半年ほど飛び、とある日の暴徒鎮圧戦の場面に移る。
半ばルーチンワークと化したウィルヘルムの日常は彼に何の感慨すら呼び起こさなくなっていた。
夜間、降りしきる雨の中、ガラクタを積んだバリゲートの頂上から、何らかの物体が投げ出された。
ウィルヘルムはそれを特に何であるか確認するまでもなく、落下コースを瞬時に予測したソフトウェアの言う通りに手を翳す。
インパクト。
僅かゼロコンマ数秒の間に関節負荷から該当物体が持つ質量と運動エネルギー、そしてそのベクトルを計算し終えた彼は、僅かな手首のスナップでそのベクトルを変更し、投げられた物体を見事に払いのけた。
大学の物理学セクションでベクトルに関する興味深い資料として挙げられていた東洋の武術のバーチャルモデルをふと思いだし、プログラミングで自分なりに再現したものだがそれなりの効果は上がっているようだ。
再び投げ込まれた物体を、今度は適当な部位で掴み、そのベクトルの方向に抗うことなく軸足を中心に回転することで偏向し、その運動エネルギーをさらに加速しつつバリゲートへと投げ返した。
けたたましい衝突音と共にバリゲートは崩壊し、上にいた数人は地面に叩きつけられ、更にその後ろ側に居た数人は崩れたガラクタの下敷きになったようだった。
死亡者が10名を越えたらペナルティだ、ウィルヘルムはそれ以上の面倒が生じる前に暴徒の制圧に掛かる。
バリゲートの先には女も含めたかなりの数の労働者がプラカードを掲げたまま、凍りついた表情で彼を見つめている。
彼は投降を促す文言を発声スピーカのゲインを上げて読み上げた。
内容は忘れてしまった。
その内容に激昂した男が一人、あらゆる呪い言葉を交えながら自身の権利を主張した。
彼は自身の家族、特に子供の未来について強く主張した。
半年以上も子供の成長を見ることが出来ないほど働いて尚苦しくなる一方の生活の不条理を説いた。
ウィルヘルムにその主張は通じなかった。
そんな“ありふれた叫び”が、同じ境遇下にある彼の心を打つはずがない。
ましてや、まだ彼は生身なのだ。
ウィルヘルムには、もう、子供に笑いかける顔もないのに。
「ならば機械の体になるがいい」
「な……ッ」
「いくらでも労働できるぞ」
「……このッ“ヒトでなし”がッ!」
男は手にしていた何かをウィルヘルムに投げつけた。
それは抗電磁波塗装の下地材で、缶からあふれでた塗料がウィルヘルムの顔にかかり、その視界をニュートラルグレー一色に染めた。
「ああああ!!」
視界の外で男の声。
右手に何らかの負荷。
ウィルヘルムはそれを振り払った。
静寂。
「……」
サブカメラの荒い画質の視界が甦ると、彼の足元には不自然な体制で横たわる男の姿があった。
そこでようやく、ウィルヘルムはこの男をロバートと呼んでいたことを思い出した。
その後の事は思い出せない。
「た、たすけ」
その怯えた声から再び記憶が甦る。
周囲は炎に巻かれていた。
なぜこうなったのかは思い出せる。
半年ぶりに振り込まれた給金の総額が遥かに足りないのだ。
ペナルティとして控除されていた額の内訳を要求したのを本社が一方的に棄却したのが彼の怒りを招いた。
システムエンジニアであった頃の記憶は褪せていなかった。
自身の電脳に施されていた機能限定をアンロックし、陳腐なセキュリティを破った先に企業の裏帳簿を発見した時には、既に怒りは別種の破壊衝動に変わっていた。
密かに掠め取られていた給金の為に、息子の治療は打ち切られていた。
それは愛息子の死を意味した。
「止まれ!」
別のサイボーグが駆け付けてきた。
ウィルヘルムは無言のまま、胸ぐらを掴んでいた役員の一人を力任せに投げつける。
神経反射的に防御姿勢を取ったサイボーグに衝突し、役員は脊椎を折り吐血して死んだ。
「野郎ッ!!」
サイボーグが飛びかかる。
その速度は生身の人間の比ではない。
「……」
だがウィルヘルムは静かにその拳を受け止め、即座にそのベクトルに身を委ねる。
僅かな手首の動きで敵の拳を捻って関節のジンバルロックを誘発すると、一気に捻り込んで腕を破壊した。
そのまま彼は流れるようにサイボーグの心肺を無慈悲に破壊し、痙攣する頭部を踏み潰して歩み去る。
果たして何人をこうして潰してきただろうか。
目的の部屋の隔壁を電子ロックのセキュリティホールから侵入して抉じ開けると、中では東洋風の男が蒼白な顔を毛穴中から滲み出す冷や汗でぐっしょりと濡らしたまま震えていた。
「な、な、何が欲しい、何が望みだ」
開口一番の言葉の陳腐さにウィルヘルムは落胆した。
「……貴方にお会いしたかった」
意外な眼前のサイボーグの言葉に男は顔を上げる。
「覚えていますか? 私を」
「あ、ああ、もちろんだとも……」
嘘だった。
男はカルテ以外でサイボーグの名を見ることはなかったからだ。
「これほどまでの力を貴方は下すったのです、それにより、私の無力な人生に漸く意味が生まれたのです」
「……」
「……ですが」
灰色の巨体が歩み寄る。
「私が“力”を得たのは……あまりにも遅すぎたのです」
「ひっ」
四つの眼光が男を見据える。
「力とは、何でしょうね」
サイボーグが男の両頬に触れた。
「これほどの力を与えられて尚、私は何も変えることが出来ないのです」
「ひ、ひいぃ……」
「貴方は、私を越える力をお持ちですね? 私を隷属させ、私を生かしも殺しもできる力を」
慈しむように、脂と汗でぬめつく男の頬を撫でるサイボーグの、無味乾燥な無貌からは表情は読み取れない。
「貴方なら、私を救って下さいますか……?」
その言葉に、男は醜い笑みを浮かべる。
「あ、ああ……大丈夫だ、こ、この先一年は無償で暮らさせてあげよう……い、移住権も、優先して……」
「……そうですか」
「……ッ!?」
男の両足が宙に浮いた。
首筋に走る激痛に、男は即座に顔を掴むサイボーグの両腕を掴み返して抵抗した。
「それが貴方の言う“救い”、貴方の力の限界なのですね」
「ううぅぅぅーッ!」
「“ありきたりな救い”……だがそれは、貴方が“ありきたりな叫び”を聞き入れつつ、目を背けてきた事の証」
男は両足をばたつかせ、必死に抵抗した。
だがマシーンにそれは通じない。
「……私の息子は、宇宙飛行士になるのが夢だったそうです」
「う、ああ……」
「宇宙へ行き、月へ行き、再び世界を一つにしたいと、幼いながらに考えていたそうです」
「あ、あ」
「あの子は月へ行けたでしょうか? この世界の矮小さを嘆いているのでしょうか? それとも……」
「アアァァァァーッ!」
サイボーグの親指が男の両眼窩に滑り込む。
鮮血混じりのガラス体が指を伝って流れ落ちた。
「如何ですか? 肉体を失う気持ちは……取り返しのつかない喪失感は」
「ア、アア、ァ……」
「私にはもう、失う身体もない……」
鈍い破裂音と共に、サイボーグの視界が深紅に染まった。
サブカメラの起動を待って、彼は静かに燃える部屋を立ち去った。
第七ヘイヴン予定地、某国旧市街埋め立て作業現場の火災は、かなりの数の被害者を出した挙げ句、委託企業の賃金掠め取りの露呈と倒産という結果だけを残して終息した。
「た、たすけ……」
20歳になったばかりのレザンは、二年前に組織に誘拐されテロリストとして仕立て上げられた。
彼は抵抗も出来ないまま、聖戦で死ぬことを至上の喜びとする兵士に作り替えられた。
だが自由と引き換えに手に入れた無敵の機械の肉体は右半身を奪われ正に絶体絶命の危機にあった。
「……たすけて……かあさん……」
目の前の蒼い死神を前にして、レザンは初めて死にたくないと考えた。
沢山の銃弾の雨の中、無我夢中で車の背後に弾をばら蒔いていた時にも思わなかったのに。
「……」
ジェイクは震える半身のサイボーグを見限るように踵を返した。
【NOTICE/VICTOR_D_MEDVEDEV】
「漸くお出ましか」
万博予定地、遥か上方に軌道エレベーターを臨む広場で、ジェイクは小さく呟いた。
【愚策だな、ジェイク】
【>生憎今日は機嫌が悪くてね】
【>かくれんぼは終わりだぜ、灰色くまさん】
ゆらり、と、眼前に四つ並んだ鬼火が浮かぶ。
「目的はなんだい、テロリストさん」
「目的はひとつ、テロリズムだ」
物陰から灰色の巨体が姿を現す。
「テロとはterror、すなわち恐怖」
ヴィクターは四つの眼光をジェイクに向ける。
「我らの目的は恐怖である」
先に仕掛けたのはジェイクだった。
機械油も人工血も流れ落ちた鋭い蹴りを、ヴィクターは捻り、廻し、偏向する。
放り出されたジェイクはアークジェットをコンマ数秒間点火し空中姿勢を整えると、構えたマシンガンを発砲する。
ヴィクターはそれを後ろ飛びに回避する。
「……ッ」
それを読んでいたジェイクは着地点目掛けナパームを撃ち込んでいた。
ヴィクターは瞬時にそれを視認すると、転倒するように地を転がり、ナパーム弾を回避した。
「ブラフに次ぐブラフか……互いに手が読めているとやりづらいな」
回転状態から即座に体制を整えたヴィクターが何かを投げつける。
反射的にジェイクが身を庇い、差し出したマシンガンに何かが突き立つ。
鋭利な投げナイフじみた投擲物の後端に妙なデザインの違和感を認めたジェイクは、即座にマシンガンを投げ捨てた。
予想通りに炸裂した投擲物の爆風を受けて、弾槽内の銃弾が縦横無尽に飛び出してくる。
即席の対人爆弾に左腕装甲を削られながらも、ジェイクの視界からヴィクターは逃れられていない。
ジェイクは腰にマウントしていたアサルトライフルを即座に構え、走りながら発砲する。
先程の投擲爆弾もそうだが、ヴィクターはその肉体、人工筋繊維で結ばれたユニットの隙間に巧みに武器を隠している。
油断は出来ない。
「ッ!!」
ヴィクターは横軸方向に跳躍しながら右腕の仕込みランチャーを発砲する。
白煙を引きながら数メートル飛翔した弾は半ばで弾け、中から更に八発の飛翔体が飛び出した。
そしてその軌跡は狙い済ました様にジェイクを追い詰める。
「曲がるッ!!」
かなりきつい曲線を描きながら八発のマイクロ弾頭はアークジェットを応用して激しく舞うように回避するジェイクの軌跡を掠めて小爆発を繰り返す。
謎のホーミング弾の仕組みを相棒に解説してもらいたいところだ。
……その相棒は、今、どうしているだろう。
「……?」
突然の敵の動きの変化にヴィクターは警戒した。
明らかに鈍っている。
何らかのブラフだろうか。
そう思ったのもつかの間、まるで捨て身のように加速された蹴りが居合い抜かれた刀の様に顔を掠める。
しかし、それは乱暴で粗雑だ。
見苦しい一撃。
【NOTICE/JAKE_JETTISON】
「ムッ」
打ち合いの最中にNOTICEが頭を掠めた。
【聞きたいことがあるんだよ】
【>戦闘時に悠長な】
【他人の事言えた義理かよ】
ヴィクターの重い蹴りを体を捻って回避し、そのまま反転、両の手を地に突き半月の軌跡を鋭い蹴りがなぞる。
【オレはもう、よくわかんねえ】
【ここまでして生きる意味はあるのか】
【あんたはどうだよ、テロリスト】
【目的は恐怖とか言ったけど】
【それは世界への当て付けのつもりなのかい?】
コンパス半月蹴り(メイアルーアジコンパッソ)を身をそらせ回避したヴィクターは、回転運動から生じる次の一撃を警戒する。
【>当て付けなどではない】
【>否、当て付けなのかもしれないな】
【>だが無意味、無意義な破壊は何も産み出さない】
【じゃあ、その意味とは?】
繰り出された廻し蹴りを掌で受け、ベクトルを体内に巻き込み、捻りの方向へ偏向する。
ジェイクの身は空中で激しく回転したが、瞬時のジェット噴射で急制動をかけ、ヴィクターのハイキックを回避した。
【>世界を、変える】
着地したジェイクの脇腹に、ヴィクターの重く鈍い蹴りが入った。
人工肺の中の空気が瞬時に排気され、外部からのベクトルに身を任せあえて吹き飛ぶことで脊椎の損傷を防ぐ。
【>愛や、夢をその鼻で嘲笑う】
【>この世界を変える】
【本当の目的はどうしたよ】
【あんたら、月へ帰るんだろ】
【>そうだ、私は彼らを月へ送る】
【>この世界に辛辣な一撃を与えるため】
【辛辣な一撃?】
【それが、目的?】
【あんたのいう恐怖なのか?】
激しい打ち合い。
互いの関節が熱を帯び軋み始める。
【だとするなら】
【オレはあんたを止めなきゃいけない】
【>それはなぜか?】
【こんな*censored*な世界でも】
【守らなきゃいけねえ奴がいるんだよ】
沸々と沸き起こる怒りの奔流に、様々な人々の顔が紛れ込む。
仕事仲間。
顔も朧気になりつつある、それでも愛している家族。
そして。
【>変わらず優しい男だな、貴様は】
【>だが世界は貴様の優しさなど意にも介さんぞ】
【知るか】
【オレはすべき事をする】
【>成る程、若いじゃないか】
ヴィクターは加速された蹴りをあえて受け止め、その脚を掴んでジェイクを宙に投げる。
【>では教えてやろう】
空中のジェイク目掛けて仕込みランチャーが火を吹いた。
【>貴様の家族は今頃機械になっているぞ】
「なッ」
その言葉に動揺し、空中回避が数秒遅れた。
右肩に着弾した分裂追尾弾は小爆発を起こし、受けた衝撃にボディが一瞬セーフモードになる。
それが命取りとなった。
落下の制動をかけられず、ジェイクの体は地面に叩きつけられる。
悲鳴をあげたボディはそのまま強制停止、高熱を帯びた関節に雨が流れ込み白い煙を上げていた。
「……どういうことだよ」
衝撃に肺の接続部も外れたのか、妙な息苦しさがあった。
痛みを感じる機能があったならば、ショック死していたかもしれない。
「へイヴンと言うのは正直なところ、企業のビジネスモデルに過ぎない」
倒れたジェイクにヴィクターが歩み寄る。
「人々の疲弊に併せて企業は様々なビジネスモデルを提示した……大多数を占める無知蒙昧な人間はそれを鵜呑みに生きる他ない、そして多数とは正義である」
「……」
「はじめ企業はしくじった……相手がまだ少数だったからだ、何をするでも焦りすぎた」
「ッ、何が言いたい」
「第七へイヴンに示されたビジネスモデル……それは“管理社会”!」
ヴィクターは言い放った。
「長きに渡るヘイヴンでの生活……過去の栄光にすがり付こうとする人類はその手で自身を疲弊させてきた」
そして空を仰ぐ。
「そして企業は甘い言葉で疲弊した人々を意のままに操るのだ、少しずつ、少しずつ、資本の力でその思考を、行動を、生命すらも縛っていく」
「……」
「そこに生きるのは最早人間ではない、
ただ資本を産み出す為の肉で出来た機械に作り変わるのだ」
「……うそだ……そんな」
「極めて強力な情報統制により第七ヘイヴンは完全に孤立している……これはすでに管理社会モデルの準備段階に入っているということだ、数年の内に、第七ヘイヴンは完全な管理社会と化す、人々が気づく頃には手遅れだ」
見下すヴィクターの目は言い様のない眼光を帯びている。
雨に濡れて視界の歪むジェイクの目にはそれは悲しげな光に見えた。
「……それと、あんたらの目的……月への帰還と、何が……」
「……利害の一致と言うしかないな、これは飽くまで私の私闘だ」
「私闘……?」
「……私の願いが、叶うときが来た」
突如、物々しい雰囲気のトレーラーが、荷台から白い靄を棚引かせながら通りすぎた。
「……パンドラの箱が開いた。中にはありとあらゆる罪と禍とが詰まっていた」
「……?」
「そのなかにただひとつ残ったものがある」
ヴィクターは伏したジェイクに背を向けた。
「愛も、夢も、私は知らぬ……だがひとつだけ、私を起たせるものがある」
「なにを……」
「その名をエルヴィス……“希望”という」
その言葉にジェイクは狼狽えた。
「まッ、そ、それ……」
ヴィクターの背中が遠ざかっていく。
手を伸ばそうとも、すがり付こうとも、その身体は言うことを聞かない。
雨は漸く止み始めた。
薄明かりを放つ雲を背景に、大烏が一羽、その時を待ちわびていたかの様に大きく大きく旋回する。
【file//:6th_haven#05"wilhelm_scream".mnq>END OF LINE】
【>exit】
最終更新:2019年05月24日 19:20