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6th-haven_FILE06:dark_steering

旅人が地平を目指すのはその先に必ず希望があるからである。
自身の研究の集大成となる大実験を前にそう力強く演説した科学者は、その結果として唐突に命を落とした。
しかし彼が遺したものは図り知れない。
例えば基礎理論から完全実用まで全て独力で漕ぎ着けた疑似ヒト脳クオリア言語は現在でも電脳技術の根幹に座し、多くの人間、特にサイボーグに多大な恩恵をもたらすこととなる。
そんな彼の最終研究については多くの情報が隠匿されていて様々な憶測が渦巻いていた。
少なくとも彼の他の業績から電脳関連技術であることは容易に推測できるが、それ以外は彼が死んだという事実、そして、ある勇敢なハッカーが自身の“水平線化”と引き換えに、彼の研究施設のサーバに残されていたログから判明した謎の言葉、

“Ufabulum(ユーファビュルム)”

この言葉だけがハッカーの間で神話めいて語られるのみであった。

その伝説の“ねむり姫”は、誰もが驚愕する場所で眠っていた。
それがこのニューエデン人工島中央基幹部、軌道エレベーターVERTEXの根本である。



「titt-ty-litty, titt-tu-tru」

上空を旋回しながら彼は口ずさむ。

「titta-tu-tru, try, tra, tru, tly, totoo-trururu-turu」

頭の中で響く矩形波を己の言葉でなぞりながら。

「titt-ty-litty, titt-tu-tru」

そして脳内に流れる重低音域に合わせ、快感中枢が電気的に刺激される。

「titty-li-tilly, tity-tillara-too, too, try, tru-tillara-turu」

灰色の空の中、快楽に時おり身を捩りながら、キースはただその時を待っていた。

人生の早期に闇市場に売られ身体を機械化した彼は、もとより人の顔色を伺う術に長けていた故か、それなりに上手く立ち回ってきた。
そんな彼が“目立ち始めた”のは機械化から五、六年が過ぎた頃だ。
もともと多趣味だった彼の“こだわり”が、より表面的に、より攻撃的になりはじめた。
彼を抱えていた組織は彼の行動の変化を警戒していたが、それから一年後には暴走したキースに虐殺され、組織は壊滅した。
あたかも、その時を待ちわびていたかのように。

それから彼はデストラクターを自称し、闇社会のそのまた闇を渡り歩きながら、金で雇われあらゆるものを壊しまくった。

彼をそこまで走らせるもの。
それは多くの人々が抱く暗黒の感情だった。

キース・プロディジィの破壊行為を、リスペクトする層が存在する。

多くは十代~二十代前後の若者であり、その殆どがギーグスとして社会的に目下に扱われる人種である。
彼らはキースの破壊に抑圧する社会からのカタルシスを見いだしたようで、彼をあたかも自分達の破壊衝動の代弁者、破壊神であるかのように称えた。

キースはそれが愉快だった。

彼が元より、そういった社会的底辺を構築する人種に属する人間だったからだろうか。
他者が自身を恐れ敬うことの愉快さ。
彼は付和雷同する人間の頂点に立つことを至上の喜びと定義した。

最低の行為を求められる事を。

最悪の結果を期待されることを。

「んーんん……ん……」

首筋のプラグに挿入された、ビートに合わせて脳に電気的刺激を与えるパルスオシレータを引き抜き、彼は大きく首を回す。
背部の長距離飛行ドローンが彼を捉えたまま自律的に羽根を動かし、ヴィクターに指示された万博予定地上空から離れないよう旋回する。

「んーんーんーそろっそろかなぁーんー」

ドローンと一体化し、猛禽の視線で広場に滑り込むトレーラーの動きを追う。

「ぜってえ楽しいと思うし……や、俺自身ちょっと楽しみなんだけどさ」

一人、彼は無数の不在の観客(イマジナリーフレンド)、あるいは自身にまとわりつくドローン群に話しかける。

「軌道エレベーターのマスダンパーが消滅したら……エレベーターは倒壊すんの? つっ立ったまんまなの? ってなぁ……」



“ELVIS”を搭載したトレーラーは万博予定地で停止し、指揮官たるヴィクターの到着を待つ。
運転手は銀色の空に旋回する大烏が気掛かりだった。
無論その正体が協力者であるキース・プロディジィであることは理解していたのだが、前もっての段取りに彼が上空で待機していると言う一言は無かったからだ。

「待たせたな」

雨に濡れたヴィクターがトレーラーに歩み寄る。

「直ぐに追っ手が来るぞ、搬入急げ」

トレーラーに乗り込むと共に、ヴィクターは部下に指示を出した。

直後。

「ッ!?」

トレーラーが激しく揺れる。

「何事……」

窓から半身を乗り出したヴィクターは、その上に舞い降りた黒い翼を確かに認めた。

「やァっぱさぁ……もっとこう、手の届く範囲でおっぱじめた方が楽しいと思うんだよ」

そして翼の下から、無数の赤いドローンが飛び出し、回転する。

「上手いこと出来るかな? まあ、俺天才だし……」

「キイィィースッ!!」

キースは漸く怒号に気づく。

「貴様、何を……」

「あー、役得てやつかな」

キースは獣じみた前傾姿勢のまま、艶かしく首を向ける。

「面倒はそこの犬がイーかんじで処理してくれたし……そう、昔からツイてんだよ俺、状況が味方してる感じっていうか」

「貴様ッ、最初からこれが目的で……」

「いんやー? 俺はただ思いついただけ……いや、もしかしたらッ、最初からそうだったのかもッ」

キースは突然肩を揺らした。

「状況がさァー、俺をそうさせてんだよッ! てことはさぁー! 俺ってもしかしたら“選ばれたニンゲン”なのかもッ!」

「出せッ!!」

ヴィクターの指示を受けたドライバーがトレーラーのアクセルを踏み込んだ。
急激に移動した足場に体制を崩したキースは即座にドローンの集合した右腕でトレーラーにしがみつく。

「ヒャア、死のドライブか! 最高にキてやがる!」

助手席から身を乗り出したヴィクターが仕込みランチャーを構えた。

「止めとけよ、安定容器に穴開いちゃうぜッ!」

「……くっ」

ヴィクターは徐に窓から這い出す様にしてトレーラーの屋根に昇る。

「タンジュンすぎんだろ!!」

無論、その身には当然のようにキースのドローンが襲い掛かる。

「ッ!!」

ヴィクターは瞬時に手首の隙間から投擲ナイフを繰り出し、これを撃墜。
さらにナイフを両手に構え、次々襲い来るドローンを打ち落としていく。

「イヤーッ、イヤーッって、カラテマスター気取りかい!?」

“調子に乗った”キースは恐ろしい。
一種の変性意識状態のようなもので、思考の支離滅裂さの反面、戦闘センスは急激に跳ね上がる。

「クッ!!」

手数の多さでは圧倒的に不利だった。
ヴィクターは投擲ナイフを構え一撃に賭ける。

「だァから、単調なんだよッ、カラテマスタァー!!」

投擲されたナイフをキースは飛翔して回避した。

「ウォッップスッ!?」

突如、飛翔したキースに大質量の飛翔体が側面から衝突する。
危うく落下しかけたキースは背に喰らいついている飛行ドローンに即座に命じて化学ロケットを吹かした。

「てっめええええッ!!」

キースが睨みつけたダークグレー色の飛翔体、ディーゼルは無言のままランチャーを構え、大烏にすがり付く。
飛行状態のキースの速度は早く、小型ドローンはそれに追従出来ない。
キースは半ば使い捨ての投擲武器のようにドローンをけしかけるが、用途故に効果的ではない。

「奴め……ドッグファイトは苦手らしいな」

ディーゼルは小さく呟き、連装ロケット弾を数発撃ち込んだ。

「【censored】!」

巧みに身を翻しながら、キースは小型ドローンを身代わりにロケット弾を回避する。

「んじゃあー……取っておきだ!」

【*TOW-MISSILE>ACTIVE】
【!!CAUTION:操体主権をサブコントロールに切り替えます】
【*標的を視認して下さい】

ボディ操作の主権が支援AIに切り替わる。
ディーゼルはキースを視界に捕らえたまま、ランチャーの三番チャンバーのトリガーを引いた。

【!!CAUTION:標的から視線を反らさないで下さい】

視界がサブ主観に切り替わる。
これはディーゼルが放ったTOWミサイル先端のカメラ映像だ。
この“眼”が中心に捉えている部位に向けて、ミサイルは有線で誘導され、その一点目掛けて飛んでいく。

「【censored】────ッ!!」

視覚主観が自らのボディに戻った瞬間、ミサイルはキース背部の飛行ドローンに着弾した。
派手な爆発炎を上げながら、キースの身体は無人の街へと落下していく。

【*操体主権をメインに切り替えます】

10カウントの表示が消えると同時に、夢遊病の様にAIに操られていたボディがディーゼルの自由になる。
そして即座に索敵範囲内の電波濃度を測定する。

「やっぱり支援システムを潰されて非活性化したな……」

キース本体の能力ではドローンネットワーク全体の統括は出来なかったのだろう。
彼に付随していたドローンの親玉がネットワークの中心にあったようだが、それが物理的に消滅したことで機能を失ったらしい。

【NOTICE/SEND>EXUCIA_ESCT-E0047】

【>此方WARP.PMC】
【>敵ネットワークの無力化に成功】
【>直ぐに対空防衛機構の切断にかかる】

【了解した】

【>だが状況は最悪】
【>ELVISが確保された模様】

【なんだって!?】

【>恐らく奴等、軌道上から持ち去るつもりだ】
【>内輪モメも起きているらしい】
【>此方でもufabulumを制圧して抵抗を試みる】

【りょ、了解、対空防衛機構切断急げ】
【別動隊及びWARP.PMC応援部隊は既にこちらに急行している】

【>了解】

ディーゼルは再び万博予定地に舞い降りる。

【NOTICE/JAKE_JETTISON】
【よう相棒】
【こっちからは天使に見えるぜ】

【>*censored*、冗談ならねえぜ】
【>今そっちに行くからな】

仰向けに倒れたジェイクを見つけたディーゼルは直ぐ様VTOL着陸の姿勢を取る。

【奴等は?】

【>恐らく宇宙に上がるつもりだ、おれは地上から抵抗する】

【できるのか】

【>まだ切り札はあるのさ】

着陸と同時にディーゼルは飛行パックを外してジェイクに駆け寄った。

「……死に急ぐな、っつったろう」

「……そんなつもりはなかったんだぜ、本当に」

「このやろう」

満身創痍の身体を、ディーゼルは抱き締める。

「……奴は」

「ん?」

「ヴィクターは言った……ELVISは希望だって……」

ジェイクは譫言のように呟く。

「ディーゼル、奴が手に入れた希望って、なんだ……?」

「……」

少し間を置いて、ディーゼルは答えた。

「おとぎ話に、そう言う一文があるのさ」

「……?」

「パンドラという女が居た。天から火を盗んだ人間への仕返しの為に神様が送り込んだ女だった」

まるで子供を寝かしつけるようにジェイクの身を横たえながら、ディーゼルは続ける。

「そんなこと露知らずのパンドラは、好奇心に負けて開けちゃいけないと言われていた箱を開けちまった。中からありとあらゆる災いが出てきた……パンドラはあわてて箱を閉めたが、中身は殆ど外に出ちまって、人は延々苦しめられる羽目になった」

「その箱に……」

「ん?」

「ただひとつ残ったものがある……」

ジェイクの脳裏にヴィクターの背中が浮かぶ。

「……そう、それが“希望”だった。原語的には、エルピスって発音らしいけど」

「……」

「この希望にはいろんな意味がある……神が最後に慈悲として入れておいたとか、それをパンドラが閉め出したせいで希望は永遠に失われたとか……あるいは」

「……?」

「あるいは、箱の中にはもう何も残ってなくて、それは人間が手前勝手に“こんな目に遭ったんだから一つはいいことがあるだろう”だなんていった“盲目の希望”かもしれない、ってな……」

ディーゼルは雲間にうっすらと透ける光を仰ぐ。

「ホント、皮肉なもんだぜ……こんだけの災いをばら蒔いて、尚且つそんな名前で呼びやがって……」

胸騒ぎ。
そうとしか呼べない息苦しさ。

「ELVIS……そりゃあ、この地球に降り注いだ災いの残り」

「……え……」

「反物質爆弾、だ」



軌道エレベーター最端部、静止衛星軌道上には月のレゴリスを材料に作られた高密度コンクリート製の巨大な錘、通称マスダンパーが存在する。
このマスダンパーは地球の時点に合わせて回転しており、地表からはあたかも静止しているかのように見える。
このマスダンパーからダイアモンドチタンワイヤーを編んで造ったチューブが地表目掛けて下ろされ、海上のニューエデン人工島に結びつけられて互いに引き合い、安定している。
この宇宙側の終点であるマスダンパーには、大気圏内より超高効率で発電可能な太陽光発電施設の他、加速度により生じる高重力環境など、地上で得られない特殊な状況を利用しての研究施設が設けられていた。
それらの施設は当然の如く戦時中には軍事転用され、得られる無尽蔵の電力や超伝導環境をフルに活用し、最も望ましからざる結末に際しての最後の切り札として、それは産み出された。

はじめは誰もがブラフだと考えた。
楽観的科学者は非現実的だと一笑した。

だがそれは、地球の科学水準の象徴として、そして史上最大の抑止力として“反物質爆弾”は歯止めの利かなくなった世界政府、および地球企業連合により製造されていたのだ。

そして災厄は訪れる。

四発は宇宙船艦を係留していた戦略衛星内で対消滅し、眩い光と共に消えた。
地表へ落下した一発は大気圏内で対消滅、大量のガンマ線を地表に降らし、数えきれない程の生命を奪う。
そして実際に地表に落着した二発は最大と言われていた大陸の半分を蒸発させ、拭い去れない傷跡をその地表に残した。

こうして失われた筈の反物質爆弾だったが、予備とされる八発目が秘密裏に地上へと降ろされ、密かに封印されていた等と、だれが信じたことだろうか。

それが第八号反物質爆弾、コードネーム“ELVIS”の正体である。



【本当に止められるのか?】

地上に残してきた飛行ユニットがジェイクからのNOTICEを中継する。

【>言ったろ、切り札はあるからね】
【>奴等が宇宙に上がるまでは四時間前後かかるし】
【>やれるだけのことはするよ】

ニューエデン人工島中心部、軌道エレベーター地上側ポート地下。
今から向かう先には、エレベーターのサブ動力源と件の“ねむり姫”が眠る玄室が存在する。
その存在は既に知られていたものの今まで誰も手出し出来なかったのは、その玄室が旧世代コーデックと慈悲なき“氷”で完璧に護られた“ガラスの要塞”だったからだ。
不用意に外部からアクセスし、コーデックを参照しようとすればたちまち“氷”が牙を剥く。
その結果として待っているのは、接触者の死は愚か、目的物たる“ねむり姫”そのものの消失だ。
それを防ぐ為には、あのレーザー砲台を始めとする対空防衛網を掻い潜り、物理的に筐体に接続する他ない。

【ごめん】

【>?】

【さっきは】

いつになく、素直で弱気な言葉。

【>終わったらなんかで埋め合わせしてもらうさ】

【わかった】

【>心細い?】

わずかに返信が滞る。

【正直、ね】
【なんもできねーのが歯がゆいし】
【このまま、なにも出来ずに終わるのかなって】

【>終わらせねえよ】
【>おめーとはまだ話したいことがたくさんある】

また少しの間が生まれ、その後に

【わかった】

とだけ、相棒から返事が戻った。

【>さて、ねむり姫のお出ましだ】
【>対空防衛はすぐ切断できると思う】
【>応援が来るまで大人しくしてるんだぜ】

【アイアイ】

非常灯の薄明かりの中、粗雑な造りのエレベーターから見下ろす円筒形の吹き抜けの低部にその威容は浮かび上がる。
その中にありったけの未知と謎を詰め込んだ、直径約30メートル強のシリンダー型物体。

ねむり姫はその名を“ufabulum”と言った。



【checking disc>>>ok】
【checking device manager>>>ok】
【checking device>>>ok】
【checking security>>>ok】
【checking network>>>ok】
【system check:complete】

【>app】
【application boot...】
【app://“crbrs_mainconsole_ver0,88”.exe】
【application lording>>>100%】
【run application? y/n:>y】
【stage1/6>>complete】
【stage2/6>>complete】
【stage3/6>>complete】
【stage4/6>>complete】
【stage5/6>>complete】
【stage6/6>>complete】
【program activation:complete】
【host01:“CERBERUS_01”>connected】
【host01:“CERBERUS_02”>connected】
【host01:“CERBERUS_03”>connected】
【“CERBERUS”synthesis program>run】
【processing...】
【all connection completed】

【system check:continue>>>】
【checking network>>>ok】
【system check:complete】

【reboot>>>】



僅かに灯る蛍光灯の薄明かりの中で、ケージに固定されたツェルベリウス01は覚醒した。
まだ朧気な自我が命じるままに、機械の肉体がゆらりと首を小さく回す。
視界に飛び込むのは格納庫の左右に整列し、直立状態で固定されたほとんど同型のボディが左右各12体。
計24体の“猟犬”のバイザーからはマイクロ複眼型光学センサーアレイの走査光の淡い光が微睡むように溢れている。

【NOTICE/COMMANDER_EXIA0858】
【ツェルベリウス隊各員に通達】
【現在当機はニューエデン人工島の自律防衛機構切断を待機中】
【突入指示があり次第、当機は軌道エレベーター“VERTEX”へ急行する】
【既にテロリストは“ELVIS”を確保、状況は切迫している】
【テロリストの生死問わず。弾頭を回収せよ】

【>RGR(了解)】



電脳研究の最高潮期。
細々と続けられていたその研究は思わぬ形で陽の目を見ることになる。

量子脳シミュレータ、ufabulum。

ufabulumは通常の量子コンピューティングに加え、あたかも条件反射のように正しい結果を出力する機能を持っている。
これはヒト脳のもつフレキシビリティをそのまま再現したような物で、入力された情報を瞬時に分析し、凡例を参照する必要なく結果を出力する。
これはラブドールに例えるなら、乱暴に扱った際に自然に口を突いて“痛い”等と答えるようなもので、プログラム根底の既存システムとは演算速度の面で途方もないアドバンテージを持つ。
その実、この演算速度の根底にある基礎理論はほとんどの科学者にも理解できなかった。
その基礎理論を打ち出した天才科学者自身が自らの理論に疑心暗鬼となり、その根底にあるものを見定める為に直結して死亡してしまった程に。

ufabulumはブラックボックス化しているメインプロトコルを除けば、単なる超大容量、超高速演算のスーパーコンピュータでしかなく、ましてや突然自我に目覚めて人類に反旗を翻すようなことも起こらなかった。
そんなスーパーコンピュータが用いられたのが、軌道エレベーターVERTEXの機動制御である。

本来、軌道エレベーターの基礎理論上では、静止軌道上のマスダンパーを安定させるために外宇宙に向けさらに10万キロメートルに及ぶケーブルを伸ばすか、対角線上に別のエレベーターを建築し、それらを地球を一周するリング状の構造物で互いに支え合う必要がある。
無論、結果を急ぎすぎた人類にそのような途方もない構造物を建築できる資源的、技術的、時間的余裕は皆無だった。
大気圏内構造物は当然風や波の影響を受けるし、エレベーターの昇降に伴う加速度に、巨大な構築物そのものが影響を受けている。
その上、静止衛星軌道に在るものはすべて、地球の時点と同じ速度で“回転”している。
そのような環境下で姿勢を保つのに、技術者による予測と手入力制御が不可欠だった。
もちろんこれには限界があり即時の自動化が求められたが、既存のAI予測と制御ではとても基準を満たせない。
その問題を解決したのが人造脳ufabulumだ。

ufabulumはまるで人間が揺れる船の上で何を意図せずとも直立姿勢を保つかのように、起動エレベーター全体を即時演算で制御している。
それ故に、施設が忘れ去られてなおエレベーターは天地を貫き今でも健在なのだ。


ufabulum筐体内部。
コンソール室は想像より広く、演算状況ログを淡々と重ねていくモニターの白い文字が暗い部屋の中で微かな光源となる。
無駄に広く殺風景な部屋の最奥には、目的のメインコンソールが鎮座していた。

「……」

メインモニターとおぼしき超巨大液晶を背面に、メインコンソールは部屋の入り口を正面に見据える形で配置されている。
恐らくは報道などで露出が増える場所であることを意識したレイアウトなのだろうが、ディーゼルはその配置になにやら電子カルト教団の司教座(カテドラ)じみた訝しい印象を抱いた。

どうやらufabulum筐体は実際のヒト脳構造を模しているようで、右脳と左脳の間、解剖学的には第三脳室に当たる部分にコンソール室が配置されているらしい。
薄暗いが左右の壁面にはufabulumの各セクションに通じるとおぼしき六角形のメンテナンスハッチが並んでいる。
ディーゼルは慎重に歩みを進め、数歩先でコンソールに人影を認めた。

「……ッ」

動体反応なし。
さらに歩みを進め、それが電脳直結していたサイボーグの死体であることを確認する。
内部環境的に経年劣化が確認出来ず、死体は何時のものかは判断できかねる。
強いて言うなら機体形式は相当古い骨董品で、これが伝説のハッカーである可能性は否定できない。
装備は水準こそ満たしていないものの充実はしていて、用意周到にufabulumに接続したらしいというのは推測できた。

これを利用しない手はない。

他に何の感慨もなく、ディーゼルは中継機のケーブルを死体の中継機に接続する。
ハードディスク内部には、氷に破壊されていない対応プロトコルや侵入ログ、各種電子鍵が無事に残っていた。
かなりの行幸だ。

【*HDD内関連情報を捜査中】
【*該当アカウントのプロファイルを修復しています】
【*S.Q.U.I.D active】
【*メモリを物理参照、揮発データを修復しています】

ディーゼルは死体のアカウントを復元転写し、このハッカーが構築したルートをそのまま利用する算段だった。
万が一トラブルがあった場合でも、身代わり防壁一基分以上の保険を得ることが出来る。
目的の遂行の為であれば彼はいくらでも無慈悲になれた。
それが“群(ムレ)を統率するもの”に求められる資質だからだ。

【*アカウント複写完了】
【*サブアカウントログイン】
【*武装アレイ各種再認証完了】
【!!CAUTION:ポートを解放します】

ディーゼルが“転じた”先には、闇が広がっていた。
一瞬、それは何らかの罠、隔離型の防壁迷路かとも思ったが、そうではない。
ufabulumの持つ容量があまりに膨大な為、情報密度が稀薄なのだ。
それを証明するように、遥かから圧縮されたデータの塊が幾何学的に整列して過ぎ去り、しかるべき場所へと格納され消えていく。
止めどなく整列し、脈動するように。
ufabulumの演算ログだろうか。
データ塊は長方形状に整列した光の粒で構成され、この光量はデータそのものの情報量を概略的に表現したものだ。
光輝度白色LEDでも連想するような鋭い白色の光は相応のデータ量を示す。
下手にアクセスすればキルスクリーンは免れない。

【*ufabulum main console*】
【*管理者より第二級接続権限の付与を確認しました】
【*ufabulum外周電脳の利用権限を持ちます】
【!!CAUTION:ufabulum根幹演算部を不用意に参照すると脳に致命的な損傷を与える場合があります】
【*接続は管理者の承認の下で行って下さい】

死体のアカウントが持つ偽装データを参照したufabulumはディーゼルにコンソールを明け渡した。
漆黒の空間の1レイヤ先、モノクロームの幾何形体が整列しシステムを体現する。

通常ログインしたディーゼルは何ら手を煩わせることなくufabulumの多くを利用できた。
まず先にやらなければならないことがある。

【*地上ポート周辺部のネットワークを確認しています】
【*複数の物理断線経路が発見されました】
【*ネットワーク修復中 バイパスを設定しています】

オーダーさえしっかりしていればufabulumは呼吸するかのようにそれに応えてくれる。
自然な言語選択、まるで意思を持つかのような。

【*基幹部防衛マネージャを起動】
【*対空防衛プロトコルの一部を参照できませんでした】
【*緊急対策プロトコル起動、防衛機構強制停止の権限を持ちます】
【*対空防衛システムを強制シャットダウンします】

あたかも別の人間がオペレートしているかの様に手際よくプロセスが進行する。
まるで接続者の全てを見透かしているかのように、不気味な程に。

【*防衛機構をシャットダウンしました】

【>電脳防壁を推奨処理レベル最大まで各種展開】
【>外部ネットワークに接続】

【*自律防衛レベルを7まで引き上げます】
【*ネットワークに接続しました】

幾何形体の外側、闇が覆っていたさらなる一レイヤ先に、ネットワークの世界が姿を表す。
ディーゼルが普段視ていたそれと比べれば、遥かに小さく、狭く見える。
それはufabulumの処理能力が凄まじい為で、例えるなら今まで環太平洋擬装網の網目から望遠鏡で覗いていた東亜細亜原子力機構の赤いピラミッド構造物を、俯瞰から顕微鏡で一瞬にして覗き込めるほどのパワーを持つ。
普段暮らす街のミニチュアを覗き見る感覚と表現するべきか。
実感が湧かないが、他者、それを理解する者からすればそれは正に神の視点に該当するのかもしれない。
ディーゼルはそんな全能感など露知らずで、近海を航行するエクシアの輸送機に繋がるネットワークを再設定している。
今のディーゼルに、あらゆるハッカーがロマンティックな感情を抱くこの“神の座”は、目的遂行の為の体のいい道具に他ならない。


【NOTICE/SEND>EXUCIA_ESCT-E0047】
【>此方WARP.PMC】

【こちらエスコートE0047】

【>ufabulumの制圧完了、対空防衛を切断】

【了解した、後続部隊およびPMC応援は既に近海に待機している】
【一時間以内に到着予定】
【当輸送機は間もなく航続限界点のため、後続部隊に任務を引き継ぎ帰投する】

【>転送イメージ点に負傷者1、ビーコンを発信している。PMCに回収要請】

【了解】

【>こちらは現在敵と電脳交戦中、通信終わり】
【-OFF LINE-】

最後の一文は、嘘だった。
正しく言うなれば、これなら真実になる。

ディーゼルは、許さなかった。
自身の相棒、あるいは主人、あるいはかけがえのないものを傷つけた、苦しめた者を許さなかった。
幸いにもディーゼルには、例え相手がウィザード超級のハッカーだとしても交戦出来うる“武器”がある。
機は熟したと言う他に無い。

【>question:現在上昇中のエレベーターを停止させるコマンドは存在するか】

【*エレベーター全体の制御バランスを著しく欠く可能性があるため、手動での制御は不可能です】
【*ufabulum根幹プロトコルに緊急停止メソッドが含まれており、物理破壊などの条件下において安全に停止できるようプログラムされています】
【*この一連のメソッドを修正・変更するには管理者権限でのログインが必要です】

ufabulumは饒舌に答えた。

【>そうかい】
【>VELTEX軌道上ターミナルのマップを表示】

ディーゼルの主観にアナクロなワイヤーフレームで軌道上ステーションのマップが構築される。

【>選択したゲートを電子ロック、電子鍵のランダムシードに人工島気象台観測の風速を設定】

【*設定しました】

【>あとは】

ディーゼルはネットワークに“転じる”。

【>どう手探ればいい?】

ディーゼルは自身に訪ねる。

【*自律防衛プロトコル:24時間以内の周辺空域の捜査ログを開示します】

ufabulumはディーゼルの念じた通りにログの一覧を明らかにする。
秒単位の膨大な近隣空域の捜査データが並ぶ様に、通常なら誰もが頭を抱えるだろう。
気流の乱れ、電磁波、音声、当然ながら光学走査による動態反応……
ufabulumはそれらを瞬時にフィルタリングし、リストの中から二時間ほどの明らかな重複を見つけ出した。
データが複製され、ループされていたことで防衛機構が騙されているのだ。

人工島内は完璧なスタンドアロンネットワークだった筈、一体どうやって?

【*WARP.PMC情報開示権限が受理されました】
【*該当時間内に上空を通過した軍事衛星の一覧を開示します】

いくつかの衛星の名前と概要がレポートされ一列に並ぶ。
そのなかで、現在世界国家の管理下に無く、かつ耐用年数を過ぎていないものをピックアップし、アクセスを試みる。

【*衛星:BRC-334LTDにアンカーしました】
【*ユーザープロトコル参照中:アクセスコードを特定しています...】

本来なら該当衛星までのルート構築に、遺棄された宇宙基地など面倒な回り道をしなければならない。
だがVELTEXの末端は宇宙にあり、またufabulumそのものの能力が故にかなりの行程をスキップできる。

【*衛星とのリンクを確立しました】

衛星BRC-334LTDは戦前に打ち上げられた宙軍の監視衛星だ。
十分な耐用年数があり、主を失った今でも静かにその任務を遂行している。
そして衛星は“そのとき”も、静かに人工島を見下ろしていた。

海上に、芥子粒に等しい小さな機影が映っている。
衛星のアプリケーションを通して、機影を拡大していく。
永い耐用年数を維持するために堅実な旧コーデックを利用しているためか、GUIはかなり古めかしい。
小さな四角形に囲まれた映像の一部が、青色一色の画面点滅と共に拡大されていく。
見覚えのある機影。
即座に画像は検索に掛けられる。

【*完全一致:0件】
【*近似の検索結果:該当1件/近似値70%】

写し出された立体映像には“ADLER-1”と表題が付けられており、成程確かにアラムらが使用し研究所を強襲したあの輸送機の前身には違いなかった。

【>アードラー・ワン、か】
【>現行の所有者一覧】

戦前の、世界政府が誕生する遥か以前に建造された欧州連邦の輸送機は流石に数が少ない。
その現行の所有者四件の内、三件が旧欧州に所在地が存在したが、残り一件のみが中東の中小PMCに所属していた。
そして、その存在は世界政府に認可されていない。

【>防壁をレベル8まで引き上げ】
【>参照中の衛星内に防壁迷路と各種ウィルス展開】
【>衛星ネットワーク経由で該当PMCサーバへアクセス】

ディーゼルの主観が衛星同士のささやかな繋がりを高速でなぞり、仮想の中東上空へと飛ぶ。
正しくは該当サーバの情報を、移動することない自分の身体の方へと手繰り寄せていると言う感覚に近い。
ufabulumのOSは特殊なので、外部ネットワークを参照するために一世代前のOSをエミュレートし、その上でブラウザを走らせている都合上、システムの脆弱性は否めない。
ここに来て武器を失う訳にいかない、ディーゼルはなるだけ手早く安全に事を済ませようと努める。
中東に所在するその架空のPMCはかなり分厚い防壁と氷で武装されていた。

【>怪しさ抜群だぜ】

【*ユーザーメモリ参照中...】
【*アプリケーション: quan.mk_13を実行します】

“広(クアン)”級十三号は嘗て亜細亜圏の電脳戦で猛威を奮った氷破り(アイスブレーカー)遅効性ウィルスだ。
氷の自己参照プロトコルに静かに静かに浸透し、一時的に穴を開けてしまう。
同じ氷に対して一度しか使えないが、内部にさえ侵入できればアクセスコードを入手できる。
読み込みを拒む氷のプロトコルを着実に無効化し、ウィルスは漆黒の死の壁に白色の“染み”を創っていく。

【*該当サーバにアクセスしました】
【*防壁反応なし】

ウィルスが氷に空けた穴の先には停止したままの静かな構造体が鎮座している。
ufabulumはその触枝を静かに構造体に触れさせ、内部情報を走査していく。
偽装された帳簿データ。
他のPMC(と称する別の組織)との繋がり。
第六ヘイヴン112区画、旧軍事工業施設跡のマッピングデータ。
SRB-A固体ロケットブースター二丁の発注履歴とアードラー・ワンの気密化改造計画書。
そして航空写真に基づくVELTEX、ニューエデン人工島の簡易マッピングデータ。
そこには目標物……間違いなく、ELVISの所在地候補がマーキングされている。
紛れもないアラムらリユニオン・カマルのサーバだった。

【*外周電脳捜査中...】
【*file//:??≪??????????????.mnq>ロード中】
【>何?】
【*再生します>】
【>おい待



まず始めに胸の締め付けられるような不快感があった。
脳が酸素を求めている。
心的ストレスに起因する呼吸量の減少を機械が察知して心拍を上げている。
己の中で禁じていた行為、それに抗えない欲求のコンフリクト。

“彼”は、パンドラの箱を開いてしまった。

“最後の希望”は“観測”され、ひとつの結末へと“収束”する。

シュレディンガーの猫の死。
憧れた地平の果て。
希望と理想、夢のおわり。

絶望。

システムからオーバーフローした感情は疑似言語野を介して不正に音声に変換され、耳をつんざくような電子音の洪水として出力された。
著しくバランスを欠いた脳内物質分布にシステムは警告を示す。
だが彼に残る僅かな“人間の部分”はそれでは表現しきれない絶望に満ちていた。
信じていた全てが失われた瞬間。
行動理念の意味消失。
彼の全てが否定された。

否。

彼は常々、その信念の裏側に、そうなる可能性への恐怖を閉じ込めてきた。
そう成りうる可能性を知りながら、彼は目を背けてきた。
疑念が信念を揺るがすからだ。
彼は既に帰還限界点を過ぎ去った。
後は結果を成す他になかった。

彼は行動した。

結果を成すために。



【!!CAUTION:衛星ネットワークが攻撃を受けています】
【!!CAUTION:防壁迷路 26/35 層が突破されました】
【!!CAUTION:迎撃アプリケーション レベル8機能障害発生中】
【!!ネットワークホスト“BRC-334LTD”を参照できません】
【*アドレスをご確認下さい】

突然の疑似体験(シムステイム)から覚めたディーゼルは、衛星とのリンクを断たれアラムのサーバーから後退させられた。
攻撃者の正体はわかっている。

【NOTICE/ALLAM_A_AZRAEL】
【まさかそんな場所から手探られるとはな】

【>狼は獲物を逃さないのさ】
【>旧時代の亡霊め】

【人のことが言えた身かね? 犬が】
【まあいい、計画は間もなく完了する】
【我々は我々の目的を完遂する】
【そして我々はあらゆる妨害に対して応戦する】

無論、ディーゼルの半無意識下でのコマンドを察知したufabulumはNOTICEを逆探知し、敵アラムのアドレスないしアクセスルートを特定しようとしたが、アラムは巧みに回線を迂回しており手探れない。

【ufabulumを利用しているとは言え、なかなかに鼻が利くな】
【真上から見られるとは完全にノーマークだった】
【君の技能は称賛しよう】

【!!CAUTION:ポート08が攻撃を受けています】
【*アドレス乱数化中>該当ポートをロックします】
【*敵捜査枝にウィルスがHITしました】
【*ウィルスファイル偽装完了、潜伏します】

電脳戦は互いに暗闇の幽霊との対決だ。
ソナーを持たない潜水艦同士の戦いとも言える。
機雷のように撒き散らしたウィルスは敵アドレスへの唯一の足掛かりだ。
アラムは複数の迂回路を通じてufabulumへの侵入を試みている。
その捜査枝の一つに、ディーゼルはひとつ足掛かりを得た。
アラムに気づかれぬよう、その足掛かりを厳重に偽装し、更なるウィルスを送り込み、システムネットワークを乗っ取る算段だ。
だがufabulumの防壁も知らず知らずにウィルスに感染し、密かに侵入口(バックドア)を穿たれている可能性もある。
時間は少ない。

【>おれはな】
【>ひとつ気に食わないことがある】
【>相棒を事に巻き込んだことだ】
【>あいつを傷つけた奴に容赦はしない】

【それがリスクを承知で私を直接攻撃しようとした理由か?】
【私念にしてもチープな理由だ】

【*システムにより防衛レベル 10 まで引き上げられました】
【*ウィルス迎撃中...】

【>なにがチープだ、稚気じみたてめーらの目的にゃ敵わねえよ】
【>とうとう只のテロリストに成り下がったな、アラム・アズラエル】

【そうかもしれないな】

【!!CAUTION:ポート01 03 07 11 12 が攻撃を受けています】

【>なっ】

敵の攻撃範囲が広すぎる。
ウィザード超級ハッカーとは言えあまりにも力押しの攻撃方法だ。
外部入出力を全て遮断させ閉め出す寸法なのだろうか。
いずれにしても、回線が細くなり通信速度が遅くなるのは致命的だ。

【知りたいだろう】
【何故我々がテロリストに成り下がったかを】

ハッカー、或いはクラッカーの技能に関して、世界政府は慣習を元にして大まかな区分を設けている。
すなわち、メイジ級、ソーサラー級、ワーロック級と続き、ウィザード級はその最上位に位置する。
ウィザード級以下のハッカーなど、安全保障の観点では子供の悪戯程度の存在でしかない。
ハッカーとして真に警戒されるのはウィザード級のみである。
何故ならば、多くの災害同様に最上位は青天井であるからだ。
アカウント偽装などの初歩的技能を行使できるメイジ級、どこぞの何者かが配布する不正なアプリケーションを行使するソーサラー級、そしてそれらを用いてAIを制圧し行使できるワーロック級と、等級ごとに能力は異なるが、ウィザード級ともなればこれらとは次元が異なる存在に成り代わる。
彼らは世間で出回る不正アプリケーションなど子供の玩具でしかないことを理解しているし、そもそも彼らにはすでに独力で組み上げた武器が存在する。
場合次第では自前の支援AIを使ってアドリブでプログラムを走らせることが出来るし、そもそもハッカー気取りのギーグとは知識の差が開きすぎている。
それを理解する者同士の戦いはまさに知識の潰し合いだ。
電脳戦で勝利するには文字通りに敵の予想を上回らなければならない。
ディーゼルはその為に、世界最強のAIであるufabulumを利用した。
無論ディーゼルの物理的位置からしてufabulumを利用することは想像の範囲内であろうが、そのスペックに対抗出来うるシステムなど存在するはずがなかったのだ。
しかし、アラム・アズラエルはそのufabulmの攻撃に瞬応し、むしろ圧倒している。
ディーゼルの知り得ない同級のAIが存在するのだろうか?

【一言で言えば、それがわたしの人間としての行動(ヒューマン・ビヘイビア)だからだ】
【わたしは、死した同胞たちの尊厳を守るために行動しなければならない】

【>それとテロリズムに何の関係が?】

【その尊厳を冒涜するものが存在する】
【彼のメモリーが教えてくれた】

【*敵アドレス変動パターン特定しました】
【*ザッピングレート判明、フィルタリングします】

ufabulumは急速にアラムへ至るルートをマッピングする。

しかし、これは。

【成る程】
【わたしは君を過小評価していたらしい】

ディーゼルのシステムの目前、否、この概念空間上で距離や角度など何ら意味を成さないのであるが、晴れた闇の先に圧倒的存在感を放つ何者かの気配がする。
ディーゼルの記憶の中から其に対応する情報が関連付けられ、その貌(カタチ)を纏っていく。
簡素な四肢、半球状の腹、左右非対称の無機的な顔。
“同じ空間”の中、機械蜘蛛が巣を張り此方を見据えていた。

【>とんだ*censored*だぜ、おれは】
【>そうかい、てめーは最初から其処に居たんだな】

ufabulumの途方もない容量、それこそ無人の惑星に一人降り立ったに等しい感覚の中で、暗闇の背後に別の敵対する人間が潜伏している状況を想像し得ただろうか。
否、可能性を考えれば十分に有り得たことなのかもしれないが、それでもこれは奇策中の奇策であったと言えるだろう。
アラム・アズラエルは、ディーゼルと“同一のufabulum”の一角を制圧し、内部から外部ネットワークを経由・偽装しディーゼルのアカウントに攻撃を仕掛けていたのだ。

【どうだ? 此処からの眺めはなかなかに良いものだろう】
【わたしはもうひとつ、より眺めの良い場所に在るがね】

【>貴様は既に宇宙か】
【>先に上がって反物質弾頭を受けとる手筈か】

【*敵防壁迷路攻略中...第3層突破】
【!!CAUTION:防壁A-12突破されました】
【*アドレス乱数化実行中...】

【既に輸送機もモジュール分割し軌道上に移動させた】
【最終組み立てにも入っている】
【君たちが気づいた頃には計画の半分は既に終えていた】
【最大の協力者の裏切りは想定外だったがね】

【>キースの野郎か】

【彼のドローンコントロールの一部を借用した】
【こういう事に関してなら彼は天才だよ】
【独りで戦争でも仕掛けるつもりなのかな、彼は】

【!!CAUTION:システムの一部に機能衝突発生>レポートを参照し問題を解決してください】
【*メモリの一部を参照できません。他のユーザーがログインしています】

【>後は手土産持って月まで凱旋するだけってか】
【>その意味を判っているのか】

同時に同一のサーバーにログインし、同時に同一のAIアプリケーションの大半を支配している二人によって流石のシステムも混乱し始めている。
ufabulumにしてみれば頭の中のふたつの人格が激しい口喧嘩を始めたかのようなもので、マルチタスクで片付けられない程の莫大な情報が互いの居場所を奪い合う。

【無論だ】
【そしてその真意は誰にも解るまい】

【>ああ、解らないね】
【>だからおれたちは全力で貴様を止める】

【!!CAUTION:処理効率低下中】
【*ドライブ内のリソースが減少しています】

【>解らないことがもうひとつ】
【>お前はおれの背後を取った、何故直ぐに焼かなかった?】

【君を失うとわたしも困るのでね】

【>ジェイクと同じく勧誘か?】

【もっと単純かつ困難な問題だ】
【まさかわたしのアカウントに偽装してufabulumを支配するとはな】

【>なに?】

【君がコンソールに接続するのに別の電脳を経由したな】
【それはわたしの過去の物理身体のものなのだよ】

【!!WARNING:多重ログインを関知しました】
【!!WARNING:同一アカウントによる多重ログインはufabulum内部で情報統合が行われます】
【!!WARNING:多重ログインは思わぬ脳障害の原因となります】
【*どちらかのセクタより即時ログアウトしてください】
【!!CAUTION:ufabulum利用規約において、利用権譲渡貸与は認められていません】
【*それによる不慮の事故に際して該当AIならびに管理者は一切の関与は致しませんので御了承下さい】

【>なにを!?】

【今まで君に直接手出し出来なかったのはufabulumをアカウントで騙すことが困難だったからだ】
【わたしはufabulumを操作するのに他者アカウントをハックし遠隔攻撃によってufabulumのセクタを制圧していた】
【既に68名分のアカウントがufabulumにkickされている】
【そんな方法では君の攻撃で彼らを傷つけてしまうからな】
【だがそれも終わりだ】

【!!CAUTION:セクタ統合中...】

【>そもそも何故お前の肉体はここに在る?】

【わたしは正規の方法で肉体を捨てたのではないのでね】

視界の中、アラムとの距離が徐々に狭まるような奇妙な違和感。
セクタが統合され内部情報もまたひとつになる。

【君を殺す唯一の方法】
【わたしは偽装を止め、わたしのアカウントを利用して君と融合する】
【君の人格は保たれない】
【関連情報、メモリーもすべて融合に際して消去する】
【脱け殻の君のアカウント情報は有効に利用するとしよう】

ざわつきが、身体を駆ける。
自分の身体に無い機関の存在を感じる。
アカウント情報の統合が始まっているのだ。
このままではディーゼルはアラムに統合されてしまう。
だがあの死体はなんだったのだ?
なぜアラムの肉体がここに?

考えた瞬間、ディーゼルは自分の認識身体が浮浪者風の老人の姿に変わっていることに狼狽えた。
これは死んでいたサイボーグから連想したイメージの像だ。
自分が定義出来なくなってしまう。
彼は慌てて自分の貌(カタチ)を思い出す。
それは無き草原を駆けた絶滅種の四足歩行獣。
肉体を殆どを機械に置き換えた見るも無惨な木偶人形。
あるいはヒト、二足で歩行し他者について考えられるもの。

ちがう、それはただの理想だ。

彼は一介の狼。
群(ムレ)を統率する狼の王。
一介のけだもの。
ヒトではない。

狼は牙(キバ)を持っている。
遺伝子に刻まれた最もプリミティブな最良の武器。
狼はそれを行使する。
敵の喉笛を。
想像から定義された老人の首へ、その牙にて食らいつく。

【わたしは君と同化する】
【抵抗は無意味だ】

機械的な声でいい放つ老人の顔は笑顔だった。

【>今際の言葉がテンプレてのは】
【>カッコ悪ィ人生だったな】

巨体の狼は老人の首を捕らえたまま、そのまま闇を突き破り堕ちていく。
光の粒。
整列した光が乱舞する。
老人は目を見開いた。
闇が晴れていく。

違う。

堕ちていく二つの存在が加速しているのだ。
故に光の粒、ひとつひとつのデータアーカイブが光の軌跡としか認識できず、それらがあまりに膨大なためにひとつの連続した光に視えているのだ。

それは二人の電脳内に、視覚処理化の追い付かない速度で情報が入出力されている証であった。

【キルスクリーン!】

機械的に抑揚の無い声もどこか上擦って知覚れた。

【>終わりだ】

狼はいつしか裸体の一人の男の貌を纏っていた。
男は力強く躍動的な筋肉の鎧を纏い、顔つきは精悍でありながら、その瞳は深い憂いを秘めている。
男は機械蜘蛛の首を締めながら、光の向こうへと落ちていく。
どこか神話的な様相を、アラム・アズラエルも同様に知覚しているだろう。
実際に彼らの情報、あるいは“存在”と呼べる要素の半数以上が融合していた。

【成る程】
【それが、おまえの】
【ヒューマン・ビヘイビアか】

機械蜘蛛はマニピュレータを伸ばし、精悍な男の頬を慈しむように撫でた。
彼らには、互いが理解(わか)ってしまう。
言葉など介さずとも。

【わたしは】
【終わらせなければならない】

【この、悪夢を】

そして、男は機械蜘蛛の言葉の意味を理解することができる。
そしてそうなってしまった以上、もう元には戻れないことを。
男の姿は願いの貌(カタチ)だ。
せめて最後は、彼と同等の存在でありたいという願いの現れだ。
屈強な肉体と精神は愛する者をあらゆることから護るために欲した。
願わくばその肉の腕で彼を抱き締めたかった。
だがもうすぐ、それも叶わなくなる。

やがてひとつになる二人の存在は流星の様に情報のゲシュタルト崩壊の先へと加速していく。

流星に三度願いを唱えれば叶うという言葉があることを思い出した。

叶わない夢の喩えだろうか。

【!!CAUTION:



……イメージだ。



闇のなか。



極めて単純な形をした光が、向こうから飛び込んでくる。



……向こうとは?



これらの光は小さな一つ一つの光であり、そしてその光はそれぞれに意味を持つ。



最初規則的だったその配列は、徐々にその統率を欠き、それらの配列はまた新たなパターンを産み出している。



それは言語だ。
今だ誰も知り得ない言語。
なのに、なぜだろう。
それが言葉であり、なにかを訴えかけるのがわかる。

闇の中央。



同様のパターンを纏う人影がある。



強すぎる情報圧。



まるで暴風の中に立つか、あるいは底無しの闇の中を自由落下していくような、濁流に呑まれ、だが確かにその視聴覚と触覚はそれらの情報を捉えている。



ただ、その量がヒトのキャパシタを遥かに上回ってしまい、それらが何であるのか、何が過ぎ去って行ったのか、それを読み取ることはできない。



ひとつ言えることは、“向こう”の奥に潜む得体の知れない何かは非常に大きな情報量を持っていて、そのすべてが計り知れないものであるということだ。



ヒト、あるいは意思在るものは、そういう計り知れないものに対して畏怖を覚える。



それらは、すべてだった。



ここには、すべてがあった。



彼は見つけた。



すべてを確かに見つけたのだ。



……何のすべてがここにあるのか。



すべてが、ここにあるのだ。


それは、遥かなる外に。

それは、奥深き内に。


ここに、すべてが。



すべてが。



すべてが。



すべてが。



すべてが。






吠える空を見た。
突き刺すような光を見た。
そして消えてしまった。

彼は、取り残された。

彼には、仲間がいた。
帰れなくなった仲間がいた。

彼らは支え合った。
何時か帰る時を求めて。
互いの心細さをネットワークで繋ぎ合い、そうして互いを支え合った。

50年は過ぎただろうか。
ぽつり、ぽつりとネットワークは切れていった。
彼らは地上でまともなメンテナンス、そして医療を受けられなかった。
当然のことだ、覚悟はしていた。

だが、ひとりになるというのはやはり堪えた。
年老いたが故に余計だろうか。
彼は軋む身体を引き摺りながら幾人かの近しい友人が事切れた場所を巡り、そのメモリーを自分に保存した。
せめてその記憶、彼らが生きた証だけでも持ち帰るために。



勘の良い少年が居た。
彼は14歳だった。
少年は病を患っていた。
だが代わりに少年には小さなチャンスとある才能があった。

少年の電脳はネットワークに繋がれており、自由にならない自分の四肢の代わりに仮想の自由を与えられていた。
それが延命や事態の解決に何一つ有効ではないことを少年は理解していたが、それでもネットワーク上では少なからず孤独ではなかった。
反面、少年には歳相応の強い好奇心があり、半ば捨て身とも思えるスリル溢れる冒険を好んでいた。

その頃はまだネットワークも完全に整備されておらず、アンダーグラウンドなネットワークもまだまだ現役で生き残っていたころだ。
少年はマイノリティを愛していた。
正確には、見せかけの博愛主義などのような感情なくマイノリティの観察を面白がっている節があった。
それは自分もまたマイノリティであるが、他に比べればよほどマシであるというどこか歪んだ自己定義に起因していたらしいのだが。

だが少年は、とあるコミュニティを観察したことである夢を抱くようになった。



それはとある小さな子供、彼と同じ病を患い既に故人であったが、彼が遺していったミームの小さな種子であった。

月と地球を、再びひとつにする。

件の少年の親とおぼしき人物がネットワークコミュニティ上に公開したひとつの遺志(ミーム)。
管理者は長く不在であったが、そのコミュニティの中で彼はかつて月の工作員であり、災厄により故郷に帰れなくなったという老人と知り合った。

無論少年は簡単には老人を信じなかった。
しかし老人はかつて工作員であった証として少年にハッキングのためのツールと技術を与え、彼を幾度かのスリリングな遊びに誘った。
それが彼には楽しかった。
そして老人に共感した。

理由や結果は何でもよかったのかも知れない。
ただ少年は、自分が生きている間になんらかの痕跡を残したかったのだろう。
故に、同じ理由で残されていた小さな少年のミームに彼は憧れに似た感情を抱いた。
月と地球の橋渡しをする、それほど大きな功績が残せるのなら。

老人は映画を愛し、ある夜、ふたりはそれを眺めていた。
退廃的な未来像には現実を遥かに越えるロマンがあり、少年はそれに魅せられていた。

ラストシーン、雨の中、飛び去るのは白い鳩。

少年は老人の手助けをすることに決めた。

ただ、二人に残された時間はあまりに少なかった。



老人は強行策に出る。
少年の病状は進行し予断を辞さない状況、自身も人間としての寿命が近づいている。
その状況下で、同じ月の同胞たちのメモリーすべてを受け入れられるだけの器を用意しなければならない。

老人はウィザード級ハッカーとして開花した少年の力添えを経て、ufabulumへと侵入した。
目当てのものはufabulumの設計図(コンプリート)と基幹プロトコルの複製(コピー)。
自身が保存していた別の工作員のメモリーが、彼を目的の場所へと案内した。
すべてを救う術を、そのための犠牲を、老人と少年は受け入れた。
2つのデータと老人を含めた月の工作員達の記憶は圧縮され、秘密の場所(ヒドゥンプレイス)へとアップロードされる。
少年はそれを受け取り、老人の遺志を継いだ。

そして彼は自分の死に行く肉体と決別する。

老人は最期に、ufabulumのなかに何かを見いだした。
だがそれがなにかわからないまま、彼の生体脳は機能を停止した。



【>……】

ディーゼルは目覚めた。
肉体感覚の無い、それこそ夢を見ているような感覚だったが、それでも彼の“主観”は目を覚ました。

【目を覚ましたようだな】

【>どうなってんのか自分でもよくわからないけどな】

ufabulumの闇と光の乱舞の間を、二人の“存在”は流れていく。

【自ら処理限界点に身を投げるとはわたしとしても肝を冷やした】
【だが、わたしには逃げ道があったのでね】

【>逃げ道?】

NOTICEを経由しない、直接的な言語イメージのやり取り。
二人は融合してしまったのだろうか、ディーゼルは反面、自身の主観が保たれていることに安堵を覚えた。

【わたしの身体には大容量の量子サーバ……言わば、このufabulumの簡易版が搭載されている】

【>あんたが盗み出した件のデータか】

【そうだ、このデータを少年にフィートバックし、設計された肉体に彼の脳を移し変えた】
【これで彼を救うつもりだった】

【>だがそのボディの中に存在するのはお前だ】
【>少年はどこに消えた?】

【不慮の事故……いや、わたしが殺したに等しいだろう】

アラムの存在はため息をついた。

【少年の生体脳と我々死者のメモリーが保存された量子電脳が接続された時、想定外の現象が起きた】
【少年のもつメモリーと、我々のメモリーが量子電脳内で再編されてしまったのだ】
【……気づいたときには既に、少年と我々の間に境は無かった】
【経験情報の少なかった少年のメモリーは、我々の情報に淘汰されてしまった……】
【ufabulumは未だ解明しきれていない偶然が作り出した脳プロトコルの雛形だ】
【生体脳と癒着したことで疑似機能代償が発生し、ひとつの脳として融合してしまった】
【今のわたしは、少年の生体脳を乗っ取って現界した亡霊そのものだ】

ディーゼルは、プラント事件の際にメインフレームと同化してしまった少年のことを思い出した。
それに似た嘆悔のエモーションが過ぎ去っていったからだ。

【アラム・アズラエルは老人のエゴが少年の未来を奪って作り出したキャラクターに過ぎない】
【だが、わたしには産み出された理由がある】

【>理由とは?】

【老人の悲願を、亡き少年たちの夢を現実にすること】

【>それが理由?】

【それがわたしの、彼らの】
【人間であった証(ヒューマン・ビヘイビア)……】

ディーゼルはようやく、自分の主観がどこに存在するのかを理解した。
闇のなかで、多くの存在の“ざわつき”を感じたからだ。
ここは、アラムの物理身体に組み込まれたufabulumの複製品の内部なのだ。
アラムは処理限界点からこちら側に逃げ込むことでキルスクリーンを回避したのだ。

【>……なぜ、テロリストなんかに……】

【ヴィクターと出会ったわたしは、地球のコミュニティの悪化を知った】
【その原因の多くは世界政府と企業、いや、資本や……既存の世界そのもののシステムにある】
【我々はそれらに対する強烈なカウンターを与え、システムの浄化を為す必要がある】

【>なぜ?】

【それを為さない限り、月は、マイノリティは、マジョリティに利用される】
【マイノリティにも世界を変える力が在ることを示さなければ】

【>それがテロリズムの免罪符になるとでも?】

【罪はすべて我々が引き受ける】
【無論、マイノリティの全てが善である訳がない】
【キース・プロディジィなど良い例だ】
【彼はマジョリティを煽動することに喜びを見いだしている】
【同じマイノリティであるというわたしの見解が甘かった】

【>おまえだってやっていることは同じだ】
【>お前の道具で月と地球の関係がさらに拗れるかもしれないんだ】
【>反物質爆弾で何をするつもりだ】

【魔王は一人だけでいい】
【勇者は勝利だけすればいい】

【>なんだそりゃ】
【>お前の14歳の部分の主張か?】

【なんとでも言え】
【わたしはすべてを完遂する】

【>そうかい】
【>……冥土の土産に教えてくれ】
【>月に弾頭を持ち出す本当の理由を】

【……わたしが、否、過去の私がufabulumのデータを盗み出せたのは】
【過去にこの場所に来た者のメモリーを保有しているからだ】
【それはこの場所に来た工作員が居た、ということだ】
【目的は世界最大級の量子コンピューティング技術】
【それが手に入れば、月の電脳技術は地球を凌駕できる】
【だが……終戦後、月のufabulumは予想外の使われ方をしていたようだ】

【>……?】

【我々が奪取した、月のサイボーグ……同胞の体内には】
【生体脳が存在しなかった】

【>なに?】

【彼らの脳は外科的に摘出され、月のufabulumに直結されている】
【わたしの例を見れば内部ではどうなっているかは想像がつく】
【個々の主観は消滅し、電脳内でひとつの集合的意識として融合しているのだ】
【生体脳はあくまで、その集合意識のプロセッサ、あるいはランダムシードとしてしか機能していない】
【あの宇宙飛行士は集合意識の端末でしかなかったのだ】

【>……そ、んな】

【個々の意識、主張、信念などそこには存在しない】
【彼らはそれに回帰的な宗教価値観を結びつけ、それを神に至る解脱の方法と定め、残る人民に強要している】
【そこに個人を尊重する意思など存在しない】
【自閉的コミュニティの強要、最悪のマジョリティだ】

二人の意識は再び地上のufabulumへと戻っていく。
機械蜘蛛と戦う屈強な男の彫像が情報減速された空間の中で美しく佇むのを、ディーゼルの主観は静かに眺めている。

【劣悪な環境、同族同士の限られたリソースの奪い合いに疲れはてた結果なのだろう】
【だがそれは固定概念に縛られ、より良い解決策を模索しなかったものの末路でもある】
【すでに思考を停止してしまったその集合意識を、わたしは人間として定義できない】

【>お前という存在が、最悪のマジョリティに対するアンチテーゼになろうとしているのか】

【わたしは自分を人間として定義しない】
【だがわたしは、わたしと同じようになってしまった月に強い絶望を覚えた】
【わたしが、取り残されたものの記憶(メモリー)が、その結末を望まなかった】
【故にわたしは月へ帰還し、その結末を破壊する】
【その結末を否定することで、わたしはようやく、人間になることが出来ると思うのだ】
【叶わない願いという呪縛に囚われた亡霊などではなく……】

【>だが、それは……ッ!?】

ディーゼルの主観は、突然どこかに“引き寄せられる”感覚に襲われた。
ufabulumに格納されてしまった、自分の一部……叶わない理想から引き剥がされ、彼の主観は急激に浮上する。

【云いたいことは、わかる】
【だが、こうなってしまった以上、誰かが破壊しなければ、なにも良くはならない】
【ならば、わたしが悪になろう】
【魔王は、ひとりでいい……】

【>アラム・アズラエル……ッ!!】

ufabulumが遠ざかる。
小さな小さな光点の集合の海、薄明かりが遥かに遠ざかる。
ディーゼルは手も足も出ないまま、遥かに消えていくアラムに向かって叫び続けた。

それが何故かはわからない。

ある種のセンチメントだろうか。

ディーゼルが堕ちていくその様を、彫像の様に静止しながら

切り離された彼の脱け殻、叶わぬ願いの残像が見送っていく。

表層データの奔流に飲まれながら、彼は再び物理世界で目を覚ました。

「っはッ!?」

視界に飛び込んでくる、煤けたままの蒼い筐体(ボディ)。

「なに、やってんだよ……」

ジェイクは自身の電脳と有線で繋がったままのディーゼルの巨体を抱き締めた。

「……すまん」

「……」

「……おれ、止められなかった……」

義体制御ソフトが初期化され、動きは酷くぎこちない。
だが辛うじて動くその腕で、ディーゼルは相棒の肩を抱き返した。

コンソール室の中には煩いほどの静寂だけが在った。



【file//:6th_haven#06"dark_steering".mnq>END OF LINE】
【>exit】


最終更新:2019年05月24日 19:38