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部屋の中には柔らかな光と、暖かなそよ風とが窓から静かに入り込んでくる。

清潔な綿のシーツの肌触りが心地よく、それはやがて大きな充足感と名前を変える。

柔らかな生身の肌に触れる大きなからだの体温が、何より深い安堵感を与えてくれた。



一方で、胸中には釈然としない気持ちが蟠っている。

自分の在り方。

何故こうしているのだろう。

何故こうしていられないのだろう。



このまま、瞼を閉じてすべて忘れてしまえたならばよかったのだろうか。
ただしそれは彼の中で逃亡を意味する。

しかしながら。
現に多くの人間が、いろいろな問題から逃亡してきたから、こうなったのではないか。
それを自分がどうにかできるとでも?

だが、もはや、それは自分が決めることでは無くなってしまったのかもしれない。

然るべくして、この大きな問題はまだ数億は生き残っているだろう大多数の中から自分の目の前に現れて、その結末のときを待っている。

なぜ、自分だったのか。
それはもはや自分が考えるべき問題ではない。



いつでもそうだったはずだろう。
ただ問題が目の前にあり、彼はそれに対して善悪は別として結論を出してきた。

今度も、それと大して差は無いはずだ。

ではその“結論”を選択する指標とは?

それももはや、自分の決めることではないのではないか。



彼はわかっていた。
こうしていられる時間はもうあと数分も無いだろう。
そして彼は、彼が決めることの出来ない結末をもたらさねばならない。

背中を抱く男の腕は、それでも暖かく、彼をここに留めようとする。

留めようとしているのは自分自身だ。
彼は自分の限界を解っている。

否、ここを自分の“限界”と定めたいのだ。
前に進むことへの執着など捨て去り、ただ、このぬくもりの中で終わりにしてしまいたいのだ。



傍らに常に感じていた存在感は暖かく大きなもので、だが、不思議と顔は曖昧で思い出せない。
それでもジェイクは、夢のなかで寄りそうその男が誰なのかを解っている。



満身創痍の身体に反して夢見はそれほど悪くはなかった。

それゆえに。

目覚めの気分は最悪だった。
それは体調が優れないとかそういう問題ではなく、ただ、最悪な一日がまだ終わっていないという、それだけの理由だった。

受動的(パッシブ)センサーが捉えている周辺の様子はやや慌ただしい。
だがそれでも静かなほうだ。
聞き覚えのある声が不安を訴える。

あれからどれだけの時間が流れたのか。
すべては終わったのだろうか。

……ディーゼルは?

ジェイクは意を決してその眼に能動的(アクティブ)センサーの走査光を灯らせた。

「……起きたの?」

隣にはラウリンが座り、厚い唇の口角を上げ、優しい視線で彼を見つめた。
見慣れたレイアウトの天井から差し込む蛍光灯の明かりは救急医療ユニットの手術灯に遮られている。

「何時間経った?」

「ワンちゃんが防衛機構を切断してから……もうちょっとで二時間くらい」

「まだ、そんなか」

「ええ。まだ、そんな」

そう溜め息つくような彼女の言い方に、ジェイクは漸くラウリンの顔の陰りに気がついた。

「……ディーゼルから、連絡がないの」

「……」

「電脳交戦中だから、回線を遮断してるのかも」

「もう少ししたら、迎えにいくよ」

ジェイクは告げた。

「……大丈夫かな」

「心配してねえよ、オレは」

最大限まで強がったが、どうせ狼狽える心拍を計器が示しているのだろう。

「だと、いいけど」

だが奥ゆかしい淑女は若き青年を尊重した。
それから僅かの沈黙。
ジェイクの胸中には、先程の夢と今しがたの動揺とが結びつけられ燻っている。
彼はこの不快感を、胸騒ぎと名前をつけた。

「大変なことになってるの、世の中が」

ラウリンが手に携えるタブレットPCの画面を向ける。
幾つかのニュースクリップ。
第七ヘイヴンで治安当局と企業連の武力衝突。
ラウリンのスクラップは流石に丁寧で、それが企業側による情報制御の露呈に起因する旨が分かりやすく纏められていた。

「シェルターへの避難指示が揉み消されていたそうよ」

「なんでまた」

「テロリストの首謀者が……ヴィクター・V・メドヴェージェフこと、本名ミヒャエル・ウィルヘルムが声明を出したからよ」

ラウリンが画面をスクロールする。

「ウィルヘルム・スクリーム事件って言ってね、第七ヘイヴン建造時の労働者の一人で、当時建設現場で起きた企業幹部殺害事件の容疑者だった彼が、ネット上に自身の体験記憶データ……mnpファイルを不特定多数に強制配信した事件があったの」

画面には、当時のニュース記事と、それが原因でPTSDを発症したとされる男性の写真が映し出された。

ウィルヘルム、もといヴィクターは、かつて自身からすべてを奪い取った企業、あるいはそれらが根付く体制(システム)そのものへ対する攻撃を行っていた。
彼の記憶(メモリー)はウィルスにより、特定の労働者の硬電脳に強制的に保存され、条件がそろうと各々の感染者は追体験させられた。
この“ターゲット”は年収や医療記録、家族構成や所属組織内地位など細やかなリサーチが自動的に行われ、共感を得やすい人物が感染するよう綿密に選ばれていた。
つまり感染者は多くの場合、ウィルヘルム同様の悲劇的結末に至る可能性を持ち、そしてその感染者数は第七ヘイヴンの労働者の内、約八割に及んだことが明らかになっている。

「彼は第七ヘイヴンの管理企業の天敵よ、彼に鼓舞された市民(フォロワー)が蜂起するのを恐れたのね……彼らは市民の安全を無視して事態を隠蔽した」

「……結局、世界政府はELVIS強奪を隠し通せなかったのか」

「声明に明記されちゃったからね、世界中が知ってる」

一呼吸だけ間を置いて、ラウリンはこう付け足した。

「情報が統制・検閲されてる第七ヘイヴンを除いて」

「……」

「第七ヘイヴンでは、最低限の生活保証は無償で得られるように出来てる……でも、豊かな生活と本当に必要な福祉を得るには、労働してその分課金する必要がある……従量制なのよ」

ラウリンはひとつ溜め息をつく。

「それがユートピアの形なのかしら、真実は全て隠されたまま、全てお金で買えると思い込まされているようなものよ……飲み水の量から、電話の回数まで」

「本来は、今までもそうだった筈だがね」

ふと視界には、スーツ姿の初老の男。
二人の間に割って入ったのは獣医トムだった。

「おっさん、なんで……」

「縁と言えば聞こえがいいな、単なる偶然だが……」

ラウリンは微笑んでトムを歓迎した。
ジェイクも驚いたが毛嫌いするような相手ではない。

「ただし第七ヘイヴンが異なるのは、その意思決定が既に個人ではなくその上位に位置する“集団”、それもより力の強い“企業”によって縛られているということだ」

トムは腰かけながら語り続ける。

「あそこは働けなくても最低限の生活に必要なことは与えてくれる、例えばグラス六杯の水に、電話七回分の通信量」

「……」

「無論、そんな生活は無理だ、シャワーを浴びるために労働が求められる……いや、それは今までも同じだったが、最小限が無償化されたことで意味合いが転じた」

無償で最低の生活が保証されたことにより、よりグレードの高い生活は“サービス”へと姿を変え、労働はそのための道程になる。

つまり、“生活するために働く”のではなく、“働けばよりよい生活ができる”という価値観のパラダイムシフトが生じるのだ。

これは一見、今まで働く意欲の無かった者をポジティブに鼓舞する良策に見える。
だが、逆に最低限の衣食住が保証されている為に、人々はより享楽的な“消費”へと走り始める。
こうして麻薬のように与えられる消費の快楽は、知らず知らずに人々を資本主義に縛り付ける。

「こうして高い地位を得るものにすべての資本は流れ、絞り尽くされドロップアウトした者は底辺の塵芥として扱われる……だが享楽的ユートピアの黄金郷は望むものに夢と未来を与えてくれる……こうして、理想郷は肥大していく、すべての人民を絞り尽くすまで」

「全員、金の亡者か」

「そして次第に資本を持つものは、底辺の者に夢をちらつかせ、その行動を縛り始める……理想郷を維持するために情報は検閲され、思想すらも統一され……」

「管理社会……」

ラウリンが呟いた言葉に、ジェイクは胸を締め付けられる。
選択肢は無かったとはいえ、親が授けた肉の体を捨ててまで送り出した家族の顔が去来した。

「ウィルヘルム・スクリームはその享楽的生活の真の被害者を浮き彫りにした……次第に思考停止し、資本に縛られ、後戻りすら出来なくなる実質的な低所得者を」

「センセイ、ジャーナリストにでもなれば良かったのに」

ラウリンの軽口が、場の空気をなごませた。

「生憎私は哺乳類専門でね、この“社会”とかいう文明生命体の治療は専門外なのだよ」

「……だけど、第七ヘイヴンの企業の思惑には、ほころびができた……?」

らしくないジェイクの言葉にラウリンは目を丸くしたが、対するトムは髭を掻きながら頷いた。

「企業が提示した第七ヘイヴンという経済システムはシンプルで、そこに暮らす者は難しいことを何一つ考える必要はない、ただ働けばいい」

「他に選択肢は与えられないものね」

「ああ……疲弊した人類にはそれで良いのかもしれないが」

「良い訳がねぇだろ」

「その通り」

トムはジェイクに微笑んだ。

「多くの人間が、それではいけないと気がついている……思考しない人間が果たして人間であって良いのか、だが気づいた時には、すでに人間は企業の消費単位のひとつになっている」

それは企業の思惑だった。
確実に自分が存続し続けるために、企業は消費者から資本を搾取し続けねばならない。
経済とはこうして生まれる一種の共依存のようなものだ。
過剰な搾取は消費者を失い、企業は自らの地盤を失う。
だだ過剰な消費者の要求もまた企業の寿命を縮め、消費者は企業を食い潰す。
結果として企業を失う消費者は生活の為の資本を失い共倒れに成るわけだ。
だが一方で盲目的な消費者は、より余力在る企業の刺激的な享楽への誘導に瞬く間に支配され、より感覚を鈍らせていく。
そういった盲目的な消費者を、今度は企業が食い潰していく。

「まるで利己的遺伝子のモデルケースかなにかのように、経済はよりシンプルになり、そこに個人の意思はもはや存在しない、生き残るのは“カネ”という名の怪物だけだ……だが、気づく人間は気づくものだ、このままでは、人間ではいられなくなると」

「……」

「肥大化し人の手では止められなくなった経済に、人の方が悲鳴を挙げはじめた……だが実際に行動できるものは少ないだろう、生物組織は悪化した細胞を壊死させて自身を存続させる、人の組織も同じだ、自身が経済という癌に侵されていることすら気づかずに」

「……ヴィクターは、それを浮き彫りにしたかったのかな」

「そうだな、麻痺した人間にとって、より強烈で刺激的なコンテンツでもない限り興味を惹くこともないだろうからな」

「不健全な話ね、禁煙を薦めるのに大麻を出すみたいな話」

相変わらず、ラウリンは場を和ませるのが上手い。
あるいはこれも、崩壊を間近に控えた世界の重圧に押し潰されない為の自己防衛なのか。

「いずれにせよ……彼の行動はさらなるネガティブな感情を産むだけだ 、なにも好転はしない……」

「でも、ヴィクターの復讐は完了する……月に反物質爆弾を置いて、月を地球に対する抑止力にして」

「上手い推測だ」

トムは頷く。

「……オレ、止めにいかないと」

「無理よ、既に……ほら」

ラウリンはタブレットに映像を写し出す。
画面端に二時間前の時刻と、エレベーターに乗り込んでいく数十人の白装束の集団の姿。

「……なんだ、気色悪いな」

「私の手掛けたプロジェクトに率直な感想をありがとう」

「え!?」

二人は思わず声を上げた。

「かく言う私も消費者なのでね、報酬が無いと生きられん」

「じゃあ、今の部隊もサイボーグ?」

「サイボーグは部隊長の三体のみ、後は全て硬電脳のみのアンドロイドだ……それに」

トムは眼鏡を押し上げる。

「彼らはディーゼル同様……オオカミベースの生体兵器だ」



【NOTICE:CERBERUS_02】
【配置に着いた】

【>ツェルベリウス01了解】
【>目標は第三ポートを占拠中】
【>ツェルベリウス03は既に中央ホールの制圧を完了している】

【ツェルベリウス02了解】
【第7~13ブロック迄にトラップの設置完了】
【01部隊に合流する】

【>了解】

【-OFF LINE-】

予告無くテロリストがポート内で宇宙船のユニット組み上げを行っている為か、低重力環境下で極めて軽微な重力の偏りを関知している。
ツェルベリウス01の脳はそれを瞬時にユニット04からユニット28に共有した。
彼のすぐ側にはユニット09からユニット12の四体の同型アンドロイドが一糸乱れぬコンビネーションで司令塔であるツェルベリウス01を護っている。
エリート集団顔負けの手際の良さ。
既に彼ら“三体”は、軌道上ステーションの多くを制圧しトラップを仕掛けている。
テロリストの内数名はその過程で命を落とした。
敵の総数は解らないが、それでも“25ユニット三組、総勢75ユニット”という大隊には対抗できる人数は存在しないだろう。

彼らツェルベリウスは、ディーゼル同様のオオカミベースの生物兵器だ。
電脳戦に特化されていたディーゼルらDSLシリーズの持つ“支援AIを群(ムレ)として統率する能力”を実戦向きにアレンジし、指令塔三体が頭の中で想像するイマジナリーな“群(ムレ)”の動きを、24体のアンドロイドが完璧にトレースする。
すべてが想定通りに動く究極のソルジャーだ。

【NOTICE:CERBERUS_03】
【此方セクタ37、想定外のドローン群の攻撃を受けている】

【>ドローン?】

【一部ユニットのpingが喪失した、通常の破壊ではない】

中央ホールを固めているツェルベリウス03部隊の混乱が、ツェルベリウス01には手に取るように解る。

【何だ、ネットワークに何0011菴輔°00縲∫ 焚蟶 0 0001 】
【!!CAUTION:NETWORK ERROR/user disconnected】

「何だ、何が起きてる!?」

即座にツェルベリウス01はシステムを遡り、ツェルベリウス03に紐付けされていたユニットのひとつを自身のネットワークに取り込んだ。
そして自らの主観を“転じ”、視界情報を参照する。

「……ぇエェェェクスッキュウウゥゥゥズッミィィィッ……」

ユニットはダメージを受けているらしく、視界はノイズ混じりだ。
だがその視界の中心には確かに、歌声の主が立っている。

「バッ、アィジャストハヴトゥゥゥ……」

そして、倒れていたユニットがゆらゆらと立ち上がり、明らかになった視界には

「ぇえエクスプるロォォォウぅドゥ……!」

真紅のドローンを頭部に群がらせたまま直立した、ツェルベリウス03の姿。

「ェエクスッぷるォォォウディすボぉディィィィ……ぅおおォふみィィィイッ……」

“それら”を押し退けるようにして

「ぅンぅぅうぅぅうぅぅうう……フぅぅぅんッ、ンぅうう……」

狂ったハミングを奏でながら

「ふうううぅぅぅぅぅンッ、ウゥゥウウウウウッ……フフフははははは……」

隻腕の赤いサイボーグは、不気味に身を起こしていくツェルベリウス03隊の中心で笑い声を上げた。

「やッッッッパ俺ってサイコー……」

ツェルベリウス03の頭部に群がっていたドローンが剥がれ落ち、赤いサイボーグ……キース・プロディジィの身体に這い上がる。

「そーだよ、やればできんだよ……それは俺が天才だからかなぁ……いや」

肩を揺らすキースの背中には、翼をもがれた付随ユニットが火花を散らす。

「俺が、神だからかも」

ドローンは彼の腕に再び集まり、巨大な塊を形成する。
悪夢の掌でホールの空、青い地球を撫でながら、恍惚とした独り語りはなおも続く。

「まさか物理アプローチで制圧されるとは思ってなかったんだろ? 俺だってこんなペラい防壁使ってるとは思わなかったよ」

語りかけられたツェルベリウス03は無言のまま。
その首筋にはドローンの一体が噛み付いている。

「んー……完璧すぎて作品名つけてえなあ、傑作だし……マジック・ピープル? ブードゥ・ピープル?……」

突如、視界に何かが横切るのを、ツェルベリウス01は認めた。
だが遅すぎた。

「VooDoo-People……イイッ、それで行こうッ! なあ、兄弟!?」

急激なノイズでツェルベリウス01は漸く自体を把握し、慌てて接続を切ろうとした。
だが、それ以上のことは何も考えられなくなった。



ツェルベリウス01、03との連絡が途絶え、地上側ポートでは自衛軍がパニックに陥っている。
特にツェルベリウス01が最後に送信してきたキース・プロディジィの強襲がそれに拍車をかけた。
即座にスタンドアロン端末内ではキースのウィルス“VooDoo-People”の解析が行われているが、古典的ウィルスのつぎはぎのようなかなり単純・乱暴に作られたウィルスの割に偽装は完璧で、一度発症すると電脳のナノマシン識別を書き換え、強制的に生体脳を切断し、ボディを支配してしまう。
なぜこのようなウィルスに最新のOSが感染したのかもわからない。
少なくとも、発症してしまった以上抗体での駆逐は不可能だった。
自衛軍は即座に別部隊の応援を依頼したが、どう見積もっても到着に三時間は要する。
既に天上では、ツェルベリウス02部隊が同朋50体と地獄のような交戦を開始していた。

「大丈夫なのか?」

ニューエデン地上港で一連の説明を受けた後、ジェイクとディーゼルは軌道エレベータの乗り込み口へと向かっていた。

「ボディはもう大丈夫、他は二時間もあればリカバリーできるさ」

搭乗口へ向かうモノレールが薄琥珀色に輝く幾何学模様の壁面の隙間へと吸い込まれていく。

背に腹の変えられない世界政府からの要請に、二人は条件付きで素直に従った。
作戦行動に於いて自衛軍及び世界政府から一切干渉しないこと。
行動に関するログ全ての提出を要求しないこと。
この事態に両名が関与したことは全ての記録から抹消し、今後いかなる事態に発展しようとも一切の賠償を求めないこと。
ただし、この一件に際して、両名は一切の報酬・報奨を要求しない。

「……無理に付き合うことはねーのに」

「おれはおれがやりたいようにやる、ただお前に付き合うって訳じゃないから気に病むなよ、怪我人のくせに」

ディーゼルの動きは未だぎこちない。
一方のジェイクも全身が煤け、所々にナノパッチを当てられあたかも廃棄寸前までこき使われる家電製品のような見ずぼらしさだ。
関節部も応急処置はされたがいつまで戦闘機動を維持できるかわからない。

「……見てみろよ」

ふとディーゼルが空を仰ぐ。
天窓一杯に広がるフェンスに似た幾何学の壁は遥か空へと延び、同様のディテールを持つ中央塔と共にその先の闇へ消えていく。
ダイヤモンドライクカーボンファイバーコートされたチタニウム製のワイヤーを丁寧に織り上げた人類史上最大の工芸品。
その先端は遥か大気圏外に在り、内部では太陽光が阻害されているため夜空ほどではないが天頂は暗い。
ディーゼルはそのテクノロジーと人知を越えた光景に小さく呟く。

「……空の、孔(あな)だよ」

宇宙へと上がるエレベータは中央塔に張り付いたカタツムリのような形状をしている。
殻に相当する錠剤(タブレット)を立てたような形状の巨大な円盤は、上半分が旅客120名を収容できる客室部分、そして下半分はコンポーネント式小型簡易宇宙船を一機収納可能なカーゴスペース。
アラムのアードラー・ワンは分解されここに積まれて宇宙へ上がったのだろう。
客室部分の小さな窓からは淡い光が漏れ出ていた。

「……これが旅行だったらテンション上がったんだけどな」

ふとジェイクが呟いた。

「否が応でもテンション上がるさ」

「こんな時にも?」

「ポジティブにいこうぜ」

ディーゼルはスマイルマークをジェイクの視界に張り付ける。

「そういうの……嫌いじゃないよ、オレ」



ツェルベリウス隊がエレベータに乗り込んでいく映像が終わり、ラウリンはタブレットPCを伏せた。

「まさか自衛軍のプロジェクトに参加してたなんて」

「そうでなければこのタイミングで此処に居ないさ」

トムが顎髭を撫でながら応える。

「あいつらが出れば万事解決?」

ジェイクが尋ねる。

「どうかな、正直今回のプロジェクトの実戦投入は時期尚早に思える……尤も専門外だからな、個人の感想でしかない」

「……じゃあ、やっぱ、行こうかな」

「やめとけ、軍の極秘プロジェクトに首を突っ込めばまずいことになるぞ」

しかしトムの口調に制止しようとする意思は無い。

「……どうでもいい、でも、オレは行きたいんだ」

「……」

ラウリンは何も言わなかった。

「……ジェイク」

代わりにトムが口を開く。

「なぜ行く? なにが君を死地に向かわせる?」

「……」

なぜだろう。

ジェイクの胸中に“理由”が錯綜した。

義務?
闘争心?
正義感?
自殺願望?

どれもその“理由”には該当するかもしれないが、いずれもそれは後付けの言葉でしかない。

もっとプリミティブな“衝動”が彼を動かしている。
社会的地位とか、世間体、あるいは美化された正義感の様なものなどその“衝動”を正当化するための理由付けにしかならない。

この衝動に明確な理論など存在しない。
それでも抗うことは出来ない。

「……オレは行く、ただ、それだけ」

ジェイクはそれを明確に伝える言葉を持ち得なかった。
理由付けをすればするほど、その衝動は本来の姿からかけ離れていく。
理由など無数に思い浮かぶのに。

「……それが、君の“行動の理由(ヒューマン・ビヘイビア)”……抗いがたい強い衝動であるならば」

「……」

「行きなさい。この後に来る混乱へ準備しなさい」

「……先生?」

トムは微笑んだ。

「だが臆するな、君の衝動が命ずるままに行動したまえ。それが君にとって正しい行動だ……他者の善悪、価値観に歪められることの無い“君自身の行動”だ」

トムは煤けたジェイクの肩を叩く。

「……はい」

ジェイクは頷いた。

「善悪などと言うのはあくまで対外的価値観の相違とその結果論、君が決めることではない……惑うことなく、価値観に縛られず、ただ自分の正義が求むままに行いたまえ……最期の時まで」

「……はい」

「……そして、願わくば……」

「?」

「ふ、偉そうな事を言って、私の“願い”で君を縛ってしまうことになるかな……」

トムはジェイクの耳元で囁いた。

「せがれを、よろしく頼むよ」



『本日は、国際公共企業ミカエル・スペース・エアライン運営、世界初の軌道エレベーター“VELTEX”をご利用頂き、誠にありがとうございます……当機は……』

エレベータ昇降機“VELTEX_LINER”三号機の内部は、機体表面にコーティングされたサイボーグの人工眼にも利用されるナノ光学センサーからの映像を内壁全体が表示しているため、まるでガラス張りかと錯覚してしまう。
座席は客室内左右に背中合わせになるようなレイアウトで配置され、視界全面に広がる格子模様の壁は射してきた日に黄金色に輝いている。

「なんかさあ」

サブマシンガンをチェックしつつ、無意識の内にトムの言葉を反芻していたジェイクはディーゼルの言葉に我に返る。
既に搭乗準備を終え、二人の身体は高級な可変式対衝撃素材のシートにベルトで固定されている。

「いざここまで来てみれば、やっぱり観光気分じゃいられねぇな」

「不安か?」

「まあな」

ジェイクはそう呟くディーゼルの大きな手に自分の手を重ねる。

「……なんだよ」

「悪いかよ」

「……いいや」

「……オレだって、こわいよ」

「……」

ディーゼルは静かに掌を返し、自分に比べて小さな樹脂製の手を包み込む。

「……おれたちは、正しいのかな」

ディーゼルは訪ねた。

「……トム先生が来てた」

「え?」

「偶然だったらしいけどさ。でも、言ってた」

「……?」

「理由なんかなくても、それが自分自身の行動であるなら、それは自分にとって正しい行動だって」

『御利用のお客様へ申し上げます』
『当機は間もなく、軌道上ステーション“ポート・エンピレオ”に向けて上昇を開始致します』
『約四時間に渡る宇宙への旅をごゆっくりお楽しみ下さい』
『当機は地上ステーション“ポート・エデン”を出発後、約30分間の加速を開始致します』
『その間当機には加速度が生じ大変危険ですので、お手元のランプが消灯するまでの間、シートベルトを外さない様お願い申し上げます』

二人の会話を遮ったアナウンスの後、前面液晶には既にリフトオフに向けてのカウントダウンが映し出される。

「……ほんと、どんな顔すればいいのかわかんねえな」

「そんな顔も無えだろ」

「いうな」

ディーゼルも内心、自分にまだ軽口を叩ける余裕があることに安堵していた。

「……ジェイク」

「ん?」

「……話したいことがあるんだ……たくさん」

「……四時間もあるんだぜ、いくらでも話せるよ」

モニターの残り時間がいよいよゼロへと到達する。

「……四時間しか、ないんだな……」



ライナーはゆっくりと地表を離れ、徐々に徐々に加速を始めている。
この際の加速度は一定に保たれており、乗客の身体にはプラス約0.2G、旅客機の離陸時程度の負荷がかかる。
ライナーはこのまま30分間加速を続け、最大加速がかかる頃にはすでに大気圏を離脱している計算になる。
等速移動に移行するころには、乗客は0.2Gの重力加速度から解き放たれ、通常の旅客機よろしく1G環境下で自由に行動できるようになる計算だ。

全天液晶に写し出される風景では、高速で移動しているため外周フェンスが透け、その外の様子が見える。
風景は僅かに色調を落とした色合いに変化しているが、遥か先の大陸の輪郭が見えるほどにはっきりと写し出され、二人はそれを眺めながらとりとめのない会話を続けている。

例えば、この先の未来の事。

今という状況の要因となった過去の事。

二人が経験した、この事件の経過と予測される顛末について。

明確な回答など存在しない。
それを理解した今だからこそ、その答えは導き出せる。

なるようにしかならない。



「……おれたち、何で生きてるんだろう」

ふとディーゼルが雲の海の中で尋ねた。

「仕方のないこと、て言えば、逃げになるかもしれないけどよ」

「……」

「事実として、おれはどうしようもない奴の命を奪ってきた、それはこの仕事をしてる以上避けられない道だ、でも……」

「……その代わり」

ジェイクはディーゼルの大きな手を握り返す。

「オレたちは、誰に殺されても仕方ない状況に常に置かれてる……それは等価じゃないかな」

「おれたちはまだ死んでないのに?」

「いつ死ぬかを決めるのはオレたちじゃないよ」

言葉の無情さに反して、ジェイクはディーゼルの肩に頬を寄せた。

「……仕事でさ、暴漢の脳を焼いたことがある」

「うん」

「くだらない男だった、ラブドールに傾倒してさ、行きつけの店でお気に入りの人形が下取りに出されたのにキレて乱射事件を起こしやがった」

「どうしようもないな」

「ああ、だから、焼いた」

ライナーは雲を抜け、その裏地が傾いた日に黄金色に照らされるのを二人に見せつける。

「……けどよ」

「ん?」

「そいつがくだらない理由で死んだってのは、あくまでおれの価値観の押し付けなんじゃないかって……」

「……」

「あいつは、最後まで自分の欲するものの為に行動したのかなって、そう思うと、間違ってたのはおれかもしれないって」

「……でも、そのために他人を傷つけたり、なにかを壊すのは、間違ってる」

「……そうかな」

ディーゼルは傷ついたジェイクの掌を慈しむ様に撫でた。

「……あいつらも、おなじだろ」

「?」

一呼吸おいてジェイクは語りだす

「アラムも、ヴィクターも……世界が間違っていることに黙っていられなかった、だから行動した……本当に欲しいもの、望む未来を手に入れたくて」

「……そうなんかな」

「けどその為に傷ついたり、命を落とした人間が居て、これから先、もっととんでもないことが起こるのかも……それは、間違ってると思うんだよ」

「だから、止めにいく?」

「オレはね」

ジェイクは即答した。

「……おれもだよ」

二人とも、答えは出ているのだ。

「でもおれは、お前が傷つくのも、許さない」

気づけば、ライナーのやや側面後方に、これ程までに無く青い地平線が漆黒の空とのコントラストを作り出す。

軌道エレベータの末端である静止衛星は、地表から見て常に同じ場所に在るためにその名で呼ばれているが、それは同時に地球の自転と同期した速度で軌道上を回転していると言うことを意味する。
その静止衛星と地表、赤道上とを結ぶエレベータでは、上昇していくと共に回転方向へのベクトルの影響を受ける。
静止衛星は地表より離れているために、同じ速度で回転すると地表より遥かに強い横への力が加わる事になる。
その影響から乗客を守るために、ライナーの客室部は変化した角速度に合わせて回転するように出来ている。
乗客がそれに気づく頃にはライナーは最高速に達し、衛星方向に生じるベクトルを回生ブレーキで殺しながら速度を維持していけばいい。

「……宇宙か」

「宇宙だな」

時速一万キロを超えた速度で移動中とは到底思えない二人は、その異様な、威容な光景に漸く自分達が後戻り出来ない場所に来てしまったのだと自覚する。
かつて人々は同じ光景を見ながら遥かなる月へと旅立っていった。
だれもこのような結果は望まなかっただろうし、夢にも思わなかっただろう。
たったふたりの革命家は、その“望ましからざる結末”を清算しに行くというのか。

「……あいつらが正しいのだとしたら」

「ん?」

「オレたちは、止めにいくべきなのかな」

ジェイクはディーゼルに訪ねた。
答えは揺らがないはずなのに。

「……止めにいくんだろ?」

「そうだけど」

答えは揺らがないはずなのに、どうしても怯えてしまう。
どうしても、それが正しいのだと他人に認めてもらえなければ不安になってしまう。
それは、人間の性だろうか。

ただでさえ二人には今、他に寄りすがるべき対象が存在しない。
地球はすでに遥か後方、あらゆる有害物質と放射性物質にまみれてなお気丈に美しく佇み、そのスケールは二人の想像を圧倒的に超越する。
そして遥か先、エレベーターの先には忘れ去られし人類の記念碑、ポート・エンピレオ宇宙港が待つ。

「……おれたちは向こうに行って、やるべきことをする、そう言ってたのはお前だし、おれだってそう思う」

「……そうだけど」

「……わかるよ、おれたちの行動が、この先どうなっちまうかだなんて……考えただけで、こわいよ」

ディーゼルはシートベルトを外して、ジェイクの肩に腕を回した。

「でもきっと、それを決めるのはおれたちじゃないんだろうよ、この【censord】な世界じゃあ」

「……うん」

ジェイクはそのまま、ディーゼルの胸の中に身を委ねた。

「……今することをやるだけさ、プレッシャー感じる必要なんか、ないんだよ……」

ディーゼルのその言葉は、どこか自分に向けられているようでもあった。






「何が起きてるッ!?」

テロリストの一人、土木作業用アームを違法改造した豪腕を振るうサイボーグが、突如襲いかかる白いサイボーグを振り払いながら叫ぶ。
自衛軍からの攻撃は想定していたが、物量で真正面から攻め込んでくるとは流石に想定外だ。
しかし相手は明らかに統制を欠いており、一部では同士討ちを行っているようにも見受けられる。

「アザムッ、導師がアードラーに搭乗された、もう少し持ち堪えろッ」

別のサイボーグが超振動ウィップで白いサイボーグの首を跳ねる。

「ファテマ、しかしッ……」

豪腕のアザムは明らかに疲弊していた。
疲弊が彼の判断を鈍らせる。
導師を月まで送り届け、地上に残された悪の種子、反物質爆弾を外宇宙へ投棄する。
宗教的聖地である月へアラムが帰還すれば、それを援助した自身も聖人認定が受けられ、死後の安寧を約束される。
だが、それは、本当なのか?
本当にそれで天国へ……

「アザァームッ!!」

ファテマの悲痛な叫びも虚しく、飛びかかる白いサイボーグ……否、ツェルベリウス・ユニットは踊るようにアザムの頭部を掴み、その腕部に仕込んでいた射出式刺突槍(インパクトパイル)を叩き込む。
装甲ごと脳髄を貫かれ、さらに電流を流されたことでアザムは死亡した。

「くそぉッ、なんなのよッ!」

ファテマは高機動戦仕様ボディの能力を活かしきり、ツェルベリウスへ肉薄する。

【NOTICE/SEND>VICTOR_D_MEDVEDEV】

【>アザムがやられた】
【>あたし一人では無理、助けて!】

超振動ウィップの80センチ程度の合金製鞭がしなり、ツェルベリウスの左肩ごと腕を切断する。

【了解した】
【直ぐに向かう、持ちこたえろ】

【>わかっ

ファテマが止めを刺さんと鞭を振るう刹那。

「消え……!?」

敵の姿は一瞬にして視界から消え、ファテマは背後からの蹴りでボディを粉砕された。
胸部に収納された脳髄ポッドは衝撃で脱落し、激しく天井にに叩きつけられた後に脳漿を撒き散らしながら空中でゆっくり数度回転してから床に落着した。

「……」

片腕を奪われたツェルベリウスユニットはその無惨な亡骸をしばらく無言で見据えた後、別のユニットに背後から頭部を破壊されて沈黙した。

『意味がわからない……地上は何をしてるんだ!? 何故指示が来ないッ』

ツェルベリウス02は一時的に支配していたユニットから再びネットワークに“転じる”。

“VooDoo-People”ウィルスに感染したツェルベリウス01、03らは既にネットワークから隔離されている。
幸いなことにツェルベリウス01は自身がウィルスに侵される直前に接続されていたユニットの一部を切断しており、うち六体はVooDoo-Peopleに侵されることなくツェルベリウス02に引き継がれた。
損害はゼロではなかったが、それでもツェルベリウス02は他のユニットと戦えるだけの手札を維持することができた。
しかしping反応は徐々にその数を減らしている。
時間の問題だろうか。

彼の電脳主観に、宇宙に花開くポート・エンピレオの全景マップが写し出される。
改めてツェルベリウス02は残るユニットからの情報を統合し、現状の把握に努めた。

最外周部、無重力下環境プラント。
花を模した形状の軌道上ステーションにおいて、花弁に相当する部位に存在する巨大な“錘”である。
外面は初期開拓時代、まだ常温超伝導が実現していなかった時分に運び出された月のレゴリスを主材とする超高密度コンクリート製。
それを土台として、花弁の如く広がる六枚の広大なパネルを用いた太陽光発電所等幾つかの発電設備、そして無重力環境を利用した各種研究施設が存在する。
都市伝説においてはそこで反物質弾頭が製造されたとも言われているが、無重力環境と反物質製造の関連性は明らかにされていない。
このユニットは物理的にエレベーターと接続されているものの、連絡路が存在しないため侵入には一度宇宙に出る必要がある。
またそこへ至るルートも独立した自律防衛機構と生体認証を含めた多重セキュリティで護られているため、テロリストが潜伏した可能性は極めて少ない。

ポート・エンピレオ最下部、多目的ハブ構造物(ストラクチャー)。
地表側に位置し、VERTEX軌道エレベーター外周を包み込むように組み立てられた接続部シャフトには、後にカーゴスペースや研究設備として利用出来るよう配置されていた多目的キャビンが疎らに点在している。
球形に近い多面体で構成されたキャビンは旧国際ステーションとの互換性を保つ規格で接続されており、いずれ来るはずだった宇宙開拓時代への補給基地としての利用も視野に含まれていたようだ。
キャビンはすでに幾つかが宇宙戦争の余波を受けて脱落しており、シャフトにしがみつく残りのキャビンはどこか花の雌しべを連想させる。
敵が潜むに最適のポイントであり、すでにここには無数の自律型トラップを配置したものの、敵の技能の高さから若干心許ない。

そして現在地、軌道エレベータの真の終点。
人類史上初、宇宙に作られた最初の港。
被子植物の花を模したポート・エンピレオの形状において、子房、やがて果実になる部分と花の萼(うてな)に相当する部分がエンピレオ・メインホールである。
このゴシック様式の球形空間は三階ライナー発着場と二階ロビー兼商業スペース、そして一階発着ゲートで構成される。
ホールの中央は吹き抜けから覗く天井には時計と照明を兼ねた逆さ釣りの機械式太陽系儀が恭しく鎮座しており、定刻時には内部オルゴールが美しく青きドナウの旋律を奏でる。
メインホールストラクチャーは静止衛星軌道の円周より若干外側に位置するため、遠心力と向心力の拮抗から外れ地表とは反対側に僅かな重力を生じている。
滞在者はこの低重力環境で“宇宙”をその身に感じることができるわけだ。
ストラクチャーの最端部、ホール内の天地に合わせれば最下層の発着ゲートの先には、雄しべよろしく長く延びた三基のリフトが無重力地帯にまで延び、その先で宇宙船がランデブーする。
テロリスト……アラムらはそのうち第三ポートを占拠し、支配した作業ドローンを用いて宇宙船を組み立てていた。
テロリストの生き残りは、ツェルベリウス・ユニットの索敵情報を統合すればもはや数人程度だろう。

しかし、ツェルベリウス02は今だ第三ポートに近づけずにいる。
ひとつはテロの主犯……ヴィクターが何らかの強力な装備を有しており、ユニット四体が即座に破壊されてしまったこと。
そしてツェルベリウスを暴走させているキースの姿が見えないため、闇雲な突入は却って逆効果だ。
彼らもまた追い詰められている。
ELVISで自爆でもされたらひとたまりもない。

しかし、数分前に漸く送信されてきた司令部からのNOTICEによれば、まもなくPMCが二人送り込まれてくると言う。
僅か、二人。
だが、孤立無援の状況下に比べれば遥かに良い。

【……ん……】

ライナー発着場に動体反応。
これは……

ツェルベリウス02は近場のユニットの生き残りへ“転じた”。



「RUN!」

ライナーから躍り出たジェイクとディーゼルは発着場中央管理室へ向かう。
移動中に受けたIRCブリーフィング通りであれば、ここからポート内の情報を全て参照できる。
ツェルベリウスどもが優秀であるならば、そこに仕掛けられたトラップやリアルタイムの状況が暗号化されてアップデートされているはずだ。
二人が管理室の扉を開こうとした刹那、扉を突き破り白い影が飛び出してくる。

「ッ!」

飛び付くそれを蹴りで迎撃し、体勢を崩した敵にジェイクは銃口を向けた。

「……んッ!?」

トリガーが引けない。
ジャムではない、指が固定され動かないのだ。

「何だッ!?」

ジェイクは咄嗟に銃を捨て、回転蹴りの予備動作を取る。
しかし身体が軽く、ベクトルが定まらない。

対して襲い来るツェルベリウス・ユニットは低重力を活かした機動で瞬く間に距離を詰めていく。
そして、閃光。

「ッ!!」

ジェイクはその閃光に見覚えがある。
そして内部アプリケーションは既に敵の軌道を計算済みだ。
強く床を蹴り、真横に飛んだジェイクの足先を掠めて、ツェルベリウスの身体が虚を貫く。

「【censored】ッ! モンスーノが一枚噛んでるのかよッ」

今の機動、間違いなくジェイク同様のアークジェット推進だった。
想定外の敵の回避にAIが戸惑ったのか、ツェルベリウスに一瞬の間が生じる。
仕留めるには好機だった、だが。

【SYSTEM ERROR/出力過多:設定出力が安全基準を満たしていません】
「何なんだよッ」

ジェイクの身体のアークジェットもまた封じられている。
既に外部から攻撃を受けているのか?

「ジェイクっ!!」

ディーゼルの声が示すのは新たなツェルベリウスの到来。
三体、うち一体は腕を失っているが、残り二体は無傷そのもので、フロアの吹き抜けから飛び込んでくる。

「やべぇ……ッ!」

だが新たな三体は予想を反して敵ツェルベリウスへ躍りかかり、二体が敵を挟み込むように繰り出した蹴りのコンビネーションで粉砕する。

「な……」

「大丈夫かッ」

傍らに立つツェルベリウスが声をかけた。
その額には大層なブレードアンテナが他との違いを主張している。

「状況判断として君らを友軍と認識する」

“角有り”……ツェルベリウス02が宣言すると、徐に腕部を損傷していたツェルベリウス・ユニットが床に座し、その両足を分離した。

「え、あ」

「タービュランス型は同一規格だ、有線でドライバをインストールするから膝下をアンロックしろ。ついでにスラスタも使えるよう出力調節する」

ツェルベリウスはだいぶ切羽詰まっている様で、ジェイクは半ば気圧されるがままその場に座し、両足ユニットを分離した。

「なあ、さっき銃のトリガーが引けなかった、なんかの電子的こうげ……」

「いや、操体OS側の仕様だ、気密空間内で外壁を損壊する可能性の高い行動が制限される。発砲はNG、重量体の投擲なんかも制限が付く」

「マジか……」

「視覚に警告域をインポーズするようパッチを当てた、上手く立ち回れ」

ツェルベリウス02はジェイクの後頭部からケーブルを引き抜き立ち上がる。
移植された両足はソール部に人工筋を用いており、任意で接面に吸着できる仕組みのようだ。
ご丁寧に不安定な足場に“噛みつく”為の刃まである。
これが低重力下で格闘戦を行えるカラクリらしい。

「ジェイク、おれはここからアラムの船を妨害する」

「なら、オレは……」

「……ヴィクターの所に行くんだろ」

「……ああ」

道中、二人でウィルヘルム・スクリームの概略を見た。
ヴィクターとジェイクが否応なく引かれ合うのは、何処か二人が似ているからだろうか。

それでもジェイクは、ヴィクターのやり方に同調できない。

「ツベルクリンはおれのサポートを頼む」

「……」

「お前だよ」

ツェルベリウス02は我に返ったようにディーゼルの顔を見た。

「じゃあ……オレ、いくぜ」

「ああ」

「……」

【NOTICE/SEND>DSL-0013】
【>なんか気の利いた言葉はないのかよ】

【なんで?】

【>なんでって】

【いつも通りだろ、何も変わりゃしねえ】
【必ず帰ってこい】
【そしたらいくらでもプロポーズしてやる】

「ぷッ……!?」

意味不明の発声にツェルベリウスがジェイクを囲む。

「大丈夫ッ、ウィルスじゃない、ウィルスじゃないから……」

後ろではディーゼルが肩を揺らして笑っている。

「……【censored】」

それを尻目にジェイクは踵を返した。

【>じゃあ行くぜ、凝り性さん】

【おう行ってこい、腕っこきさん】

【>あとあれだ】
【>プロポーズなら一回でいい】
【>とびきりのやつを選んどけよ】

ジェイクは三階バルコニーから一階発着場に向けて飛翔した。
天井には模造された太陽が輝き、周辺を周回する惑星ランプは欧州の職人による手作り、瑠璃色に輝く地球の光を受けて、真鍮細工の月が煌めく。
眼下の大理石の床はまるでどこぞの王宮のダンスホールだ。
無論これらの絢爛豪華な装飾はエレベータの商業利用解禁に合わせて整備されたもので、月の労働者達はおろか殆どの人間はこの光景を知らない。

【NOTICE:CERBERUS_02】
【低重力環境下での格闘戦では打撃の衝撃が運動エネルギーとして逃げてしまう】
【有効打を確実に与えるならば、瞬間的に敵の物理限界を越えるインパクトを叩き込むか、壁・床に押し付けて打撃を与えろ】

【>rgr(了解)】

フロアが近づく。
目視計測で18体程の動体反応。
そのうちの一体が周囲の白色のアンドロイドを薙ぎ払う。

ヴィクター。

ジェイクはその脚が地に降り立つ僅かの間に、自らが行うべき行動を定めなければならない。

この十数秒に満たない間に、先の未来を大きく変えるかもしれない選択をしなければならない。

何をすべきが正しいのか。

その惑いすら振り払う様に、ジェイクはスラスターに点火した。

「ッ!!」

ヴィクターの頭上を斬り裂く蒼い雷光。
彼の背後から正に襲いかからんとしていたツェルベリウス・ユニットは、急角度で突貫するジェイクの蹴りを胸に受け、腹から逆方向に折れ曲がるように分断されて火花を散らした。

「な……」

突然の奇襲(インターラプト)にヴィクターは愚か周囲のツェルベリウスさえ戦術の更新のため動きを止める。
反作用を受けて空中に跳ね上がったジェイクは体を丸めて回転しながら着地し、ヴィクターと背中合わせの位置で両足を地に固定する。

永きに等しい一瞬の間。

その間を経て、まるで互いがそうするのを解っていたかのように、半身を捻る二人の腕(かいな)が火花を散らして衝突し合い、膠着する。



ああ、撃ってしまった。



その刹那、腕から響く振動と彼の胸に去来した嘆悔の思いとが、二人の別離を決定付けた。




やはりと言うべきか。
アラムの手に落ちたufabulumはディーゼルの接続を拒絶している。
それどころか根幹システムは完全に独立(スタンドアロン)しており、多くを依存している施設管理システムは根幹がオーダーを受け付けない以上お手上げ(ストール)状態だ。

「ヘイトなゲームだぜ」

ディーゼルは先程破壊されたツェルベリウス・ユニットの残骸を管理室内に引きずり込み、露出した脊椎を引きずり出すと幾つかのジャックにケーブルを繋いでいく。
それをスタンドアロン化したコンソールの一つに繋ぎ、インストールした解析プログラムを走らせる。

「……【censord】、こりゃ遅効性ウィルスだ」

Voodoo-peopleとして認知しているキースのウィルスは余りにも粗雑で、最新型の防壁を積んでいる筈のツェルベリウスがこのようなウィルスに感染し暴走している事実にディーゼルは疑問を感じていた。
だが実際の解析結果を見る限り、キースのウィルスは只の“トリガー”でしかなかった事が見てとれる。
本来の暴走の原因はOSに潜伏していた遅効性のウィルスだ。
このウィルスは感染後なに食わぬ顔でOSの深部に潜り込み、要素が揃うと牙を剥く。
それまでは何らかのアプリケーションのキャッシュか何かに偽装して、防壁すら欺き潜んでいるのだ。
物理入力されたキースの粗製ウィルスをキーにして目覚めた遅効性ウィルスは、OSの優先度(プライオリティ)を生体脳から外部入力に書き換えてしまう。
こうして発症したツェルベリウス01と03は、自身が持つユニット統率機能ごと支配されてしまった訳だ。
しかしツェルベリウスがどこで遅効性ウィルスに感染したかは疑問が残る。

「……だろうとは思ったさ」

ディーゼルが目星をつけたのは“聴覚”だった。
ライナーでの上昇時に、籠の内部で可聴域外の周波数で音声信号が入力されていた。
あまりにも古典的な、だが気づかれにくい妙手。
軌道エレベータによる衛星軌道までの上昇という、他にサンプリングの取り様の無い環境下で可聴域外のノイズを気にすることは普通無いだろう。

そして、こういう手の込んだ事をするのはキースである筈がない。

「奴め……だが、内輪のキースも利用してのトラップとは……離反した奴の片棒を担いで何になる?」

そう思索を広げ、なんとかアラムまでのルートを確保したい。
だが。

「あれはッ!」

部屋の外からの声に向き返れば、窓の外に赤い“ちらつき”が視界に飛び込んでくる。

「……ぁあぁぃるビィィ……ブラァンニュうううう……ブラァンニュッとぅぅもろォォオ……」

狂った歌声。
赤い嵐。

「ぁリィトゥルビッ……タィァアアァド……バッ、ぶらあぁんにゅうううう……」

ライナー発着場の円形空間の対岸側、キース・プロディジィは残る片翼を広げて不気味に歌い続ける。

「……あとモーチョイってトコで邪魔が入るんだよなぁ……いいよ、その方がクールだ、なあみんな」

後頭部にはありったけのドラッグ・メモリが接続されている。
脳波を掻き乱すオシレーター、入出力を加工するエフェクター……

「いぃかげんそろそろイきてェンだよォッ!!」

キースの叫びと共にドローンが散る。
重力の束縛が無いために遥かに速い。

「取り付かれるなッ、発症するぞッ」

ディーゼルは叫んだが、恐るべきドローンの数だ。
降りしきる雨を避けるようなもの……撃ち落とす銃器も封じられている。
ツェルベリウスらは高速軌道で逃れているが、それも何時まで保つのか。

「ッ!!」

ガラスの割れる音と共に何体かのドローンが侵入する。

まずい。

「【censored】……ッ!!」

カッターを回転させ襲い来るドローンに手間取っている隙に、ディーゼルはジャックへの物理接続を許してしまった。
事を終えたドローンは瞬く間に離れていく。

【!!CAUTION:ウィルスを検出しました】
【ファイルはサンドボックスに移動され安全に除去されました】

「……あれ」

発症しない。
キースのウィルスがチェッカーに弾かれただけだ。
本来ならそれが引き金となってVoodoo-peopleが発症する筈なのに。

おれは感染していない?

【NOTICE:CERBERUS_02】
【頼みがある】
【私はあえてウィルスに感染する】

「なにぃッ!?」

【タイミングはシビアだろうがこのまま圧しきられるよりマシだ】
【私を経由してキース・プロディジィを焼け】
【奴が落ちれば暴走は止まる】

見れば既に発症してしまったらしきユニットに腹部を貫かれたツェルベリウス02の姿。

【>子犬(パピー)が偉そうに吠えてんじゃねぇ!】

だがその声は届かなかった。
ディーゼルは即座にツェルベリウス02が遺したネットワークパスへと“転じ”、形成されつつあるキースのドローンネットワークを遡る。

「ッ!?」

キースが逆探知に気づいた時には遅すぎた。
背部の支援AIは過電流で焼かれ、小爆発を起こしてキースの脊椎を破壊する。
統制を失ったドローン郡、そして支配されていたツェルベリウスの群れは唐突に動きを止め、緩やかな重力に囚われて地面へと落下していく。

「オイッ!」

ディーゼルは倒れたツェルベリウス02に駆け寄った。

「……」

ツェルベリウスは応じない。
だがまだ生きている様ではある。

「無茶しやがって、いいか、死ぬんじゃねぇぞ!」

ディーゼルはツェルベリウスを床に横たえた後に、慌てて対岸側へと走り出す。
キースの硬電脳経由ならばアラムへの直通ルートが構築できるかもしれない。

だが。

「……【censored】」

残骸の中にはキースの背にしがみついていた支援ドローンと、千切れた下半身しか残っていなかった。



まるで舞踏かと見紛えるジェイクとヴィクターの打ち合いは、二人の内情を知らないものには奇妙に見えることだろう。
四方から迫り来るツェルベリウス・ユニットをさながら共闘するようなコンビネーションで迎撃しながら、隙あらば互いに急所を狙い合う。
ジェイクもこの奇妙な手合いに疑問を抱いていた。

ヴィクターを助けたいのか、仕留めたいのか、果たしてどちらなのか。

「……来てしまったのか」

数度の打ち合いの後にヴィクターが語りかける。
その姿は満身創痍だ。

「……ああ。止めに来た」

惑いの絶ちきれぬままジェイクは答える。

「……こうなる事は、解っていた……否、望んでいたのかもしれないな」

ヴィクターの重い蹴りをジェイクは足場の固定を解くことで受け流す。
すかさず軸足目掛けて電磁加速した足払いを仕掛けるが、合気の心得を持つヴィクターもまた、自ら転倒するかのように受け身を取ることでベクトルを味方につけた。

「望んでた?」

「貴様が来ることを」

ヴィクターの脚部を捕らえたまま宙に浮いたジェイクはそのままアークジェットに点火し、高速で回転しながらヴィクターを床に叩きつけた。

「ッ!」

反作用で吹き飛びそうな身体をヴィクターの脚を手放さないことで制動したジェイクに、ツェルベリウスの生き残りが襲いかかる。
ヴィクターは取りつくジェイクを蹴り払い、跳ね起きるとツェルベリウスの頭部を鷲掴みにした。

「わからないものだな……死地に身を置いたその時から、不思議と貴様の顔が恋しくなった」

ヴィクターの腕部装甲が開き、整列した何かが露出する。
次の瞬間、ヴィクターの腕から青白い電光が迸り、ツェルベリウスの身体(ボディ)はバッテリーに過電流を受け閃光と共に爆発四散した。

「愛の告白なら間に合ってるぜ」

爆風に吹き飛ばされながらも体制を整え、ジェイクは敵を睨む。

「ほう……想い人でも居るようだな」

「生憎ね」

両者は再び激しく撃ち合う。
重力に依存するジェイクの戦術は圧倒的に不利だが、彼の身体のアークジェットは低重力でこそ真価を示す。
出力を調整したことで手数も増えた。
自らの体を噴射で推し付けることで重力下相当の機動も不可能ではないことがわかってきた。
疲弊度は五分五分、先に待つものは。

「……やめようぜ」

空中殺法の最中、ジェイクが呼び掛ける。

「気持ちはわかるんだ、痛いほど……でも」

「でも?」

「一度滅びたって変わらなかった世界だ、これ以上傷に塩を刷り込んでどうなる」

「何もしないより遥かに良い」

「それを決めるのはてめぇじゃねェ!」

ジェイクの踵落としをヴィクターは捉える。
だが次の瞬間、ジェイクの足裏に仕込まれていたスパイクブレードがヴィクターの掌を貫き、即座にジェイクはスラスター噴射、高速回転でヴィクターの右腕を捻切った。

「クゥ……ッ……」

着地したジェイクは構えを解き、静かにヴィクターに向き返る。
その佇まいに憂いを纏って。

「……お前が……全部背負い込んで……それで何かが変わるのかよ」

「……」

「お前の願いは歪んでるんだ……オレは頭悪ィけど、それは、わかる」

気づけば、周囲のツェルベリウスが沈黙したまま動作を停止している。
さながら美術館の繊細な彫像が醸し出す様な、二人の間の空気の緊張感。

「……では行動しない事が正義だと?」

「てめぇの正義が他人を傷つける限りそれは悪だ」

「では正義とはなんだ? 大衆(マジョリティ)の総意か?」

「ちがう、人間としての行い(ヒューマン・ビヘイビア)だ」

「……成る程」

ヴィクターが自傷的に視線を逸らす。

「言い訳には最適な言葉だ」

「……ッ」

その言葉にジェイクは拳を握り締める。

「……この問答に明確な答えなど無いだろう……だが敢えて問う」

再びヴィクターは四つの眼光をジェイクに向けた。

「“人間”とは、何だ?」

「……」

「我々を人間足らしめるもの、我々の人間としての尊厳とは、何だ?」

「……それは……ッ」

搾り出すように浮ぶ言葉のあまりの軽さ。
それでもジェイクは答えた。

「“生きる”ことだッ……!!」

「……よかろう」

ヴィクターは踵を返す。

「待てッ!!」

「人間の尊厳が“生きること”にあるのならば」

「行くなッ!!」

「私は人間をただ動くだけの肉の塊にしようとするこの世界を破壊してやろう」

「行くなァッ、“ウィルヘルム”ッ!!」

ジェイクは反射的にスラスターを噴射していた。



「私をその名で……呼ばないでくれ」



振り向いたヴィクターの左手がジェイクの拳を捉えた。

そして、雷光。

右腕から走る高圧電流はジェイクの四肢そして背中に仕込まれたアークジェットスラスターに及び、過電流に耐えられなくなったプラズマ加速炉が爆発した。



「……【ce n sor e d】」

もはや頭と肩しか残っていないような状態のキースは片腕で這うようにしてポート下部、多目的キャビンの一つに逃げ込んだ。

「ったく……だせえってのなんのって……笑っちゃうよなあみんな」

その場に居ない何者かに語り掛けながら、球形の空間、何らかの資材が詰まれた場所にたどり着く。

「キースくん大失敗の巻、いやあ、わかんねえよ? 俺は神だし、まだ逆転のチャンスはあるって」

キースの視界には、グリーンの“ON AIR”の文字が瞬いている。

「……へへへぇ」

身体に付着していた数体のドローンが遊離し、ドアをロックする。
別の一体はアクセスポートを探し、そこに物理接続した。

「アラムの奴には悪ィけどよー、バクダンの行き先はやっぱチキューにしよおぜえ、みんなワクワクしちゃうよなあ! 頭の上に落ちてこないことを祈りな! 俺に!」

【!!CAUTUON:ポートを開放し

「……ッァ!?」

スパークと共にキースは身体の自由を奪われた。
残る片腕が激しく痙攣する。

【NOTICE/ALLAM_A_AZRAEL】
ゲームは楽しめたかな】
【残念なことにバッドエンドだ、ルートを間違えたようだな】

「あ、ら、ムッ……て、め、え」

【社会に対する警告のための“演出”として君を招いたつもりだったが些か蛇足だったようだ】
【大衆に媚びて単なるコンテンツに成り下がった人生は楽しかったか?】

キースは抵抗しようとしたが、硬電脳へのアクセス権を失っている。
Voodoo-peopleの症状だ。

【君の視覚情報をライブ中継するコンテンツは随分な信者数を誇ったようだな】
【大衆はそこまで破壊と殺戮という刺激的なアトラクションを求めていると思っていたかね?】
【残念ながら君のフォロアー六万九千五十五人はすべて広告収入を目的とするゴシップ報道サイトの情報収集botだったよ】
【せめてもの餞別にと最良の玩具を与えてやった】
【時間稼ぎには十分役に立った、もう十分だ】

「フ、ざ、け……」

【終わったコンテンツに用はない】
【君の大好きなアーティストよろしくヴィジュアルこそ奇を衒えどコンテンツに対し真摯に取り組んでいれば】
【このような結末を迎えることはなかっただろうがな】
【さようなら、キース】

球形空間が振動する。
意図的に脱落(パージ)させられたキャビンは炸薬の妙で地表に向けられた角度で構造物を離れていき、重力に囚われて加速し始める。

「【censored】ッ!! 【censored】ッ!!【censored】─────ッ!!」

思いつく限りの呪い言葉を発してみたが、その全てが検閲されかき消された。

やがて壁面が赤く輝き、液状化したコンクリートや金属と共にキースは地球の大気の中に投げ出された。

そのときには既に全身が摩擦熱で焼かれ、簡単な言葉一つも思い出せないほどに脳の蛋白質も変質していた。



キース・プロディジィは死んだ。



【*ufabulum main console*】
【*ユーザー名:CERBERUS_01】
【*世界政府より特例第二級接続権限の付与を確認しました】
【*非常事態時に限りufabulum外周電脳の一時利用権限を持ちます】
【!!CAUTION:ufabulum根幹演算部を不用意に参照すると脳に致命的な損傷を与える場合があります】
【*接続は管理者の承認の下で行って下さい】

“角付き”の一体、ツェルベリウス01の遺体を発見したディーゼルはそのアカウントを用いてufaburumへの接続を試みた。
軍事用アカウントであればある程度の融通が利く可能性がある。
なんとか入口をこじ開けることには成功した。
因縁の闇が主観を包む。

【NOTICE/ALLAM_A_AZRAEL】
【飽くまでも追ってくるつもりなのか】

早々のお出迎え。

【>でめーの主張やら目的やら、そんなのはどうでもいい】
【>ただ未来のリスクを潰したいだけさ】
【>人間の心はわからんからな】
【>心変わりして月に寝返る、月のポストヒューマン(次代の人間)共に脳を焼かれてブツを奪取される】
【>あるいはポストヒューマンを仕留め損ねて第二次宇宙大戦勃発】
【>ほうら、こんだけで十分止める理由になる】

【一理あるな】

【>表向きはね】

【表向き?】

偽装されたアードラー・ワンのモニタリング情報にたどり着いたときには、既に発射のカウントダウンが始まっている。

【>本心としては、単純に止めたいだけさ】
【>だが世の中はどうも“理由”が必要みたいでね】
【>まったく持って、*censored*だぜ】

【ふ、ウィルヘルムの目利きは正しかったようだ】

【>目利き?】

【我々二人の“革命”は、恐らく何も残さないだろう】
【だが、今は違う】
【我々の“意伝子”(ミーム)を受け取るにふさわしい人間が二人も居るのだから】

【>なんだと?】

【安堵しているのだ】
【我々の行いが、間違っていることを証明してくれる人間が居ることに】

【>では何故止めようとしない!?】

【止められないからだ】
【多くの犠牲を払い、利己の為に血を流しすぎた】
【革命という大義名分、“理由”にかこつけて、我々は互いのエゴを正当化してきた】
【そして今に至る、もはや止められない】

【!!CAUTION:管理者によりユーザーのシステム干渉権が剥奪されました】
【*速やかに接続を中止してください】

【>手前勝手なことを言いやがって!】

【ああ、もう、何も思い残すところは無い】
【我々の“復讐”はここに終止する】
【君たち二人が上がってくるのは関知していたが】
【見届け人になってもらうためにキースの玩具にするのは止めた】
【その役目もじきに終わる】

【>その復讐がてめえらの“人間としての行動”だなんて】
【>おれは認めねえッ!!】

【#EMERGENCY#:ボーディングブリッジ可動部に異常発生】
【#EMERGENCY#:機体とステーションの接続部に問題が発生しています】
【*ufabulum安全管理メソッドに基づき、機体の発進を強制的に中止いたします】
【*緊急対応スタッフが急行しますので指示に従ってください】

【なに?】

発射までのカウントダウンが中止され、アードラー・ワンのエンジンが強制的にアイドリング状態まで制動される。
ディーゼルも唐突な出来事に戸惑った。

【何故だ、何をした!?】

狼狽するアラムはufaburum側に“転じる”。
そしてその視界にイメージが投影された。

【そんな、ことが】

神々しいまでの、巨大な男の立像が、その筋骨隆々の腕で機体を鷲づかみにしている。
その朴訥な顔には見覚えがある。

それは、ディーゼルがufabulumの中に遺してしまった、彼の人間としてのイメージ。

彼の、人間としてありたいという願い。

そして、その化身がディーゼルの感情(エモーション)に応じて取ったしかるべき行動。

“人間としての行動”(ヒューマン・ビヘイビア)。




「アラム……どうした……?」

ヴィクターは異常に気付き、三番のゲートへと向かう。

「……ッ」

ジェイクはそれを止めようと必死に左手を伸ばすが、届かない。
今、彼の身体はかろうじて左腕が繋がっているだけの状態だ。
腹部から下、そして右半身は爆散し、かろうじてバイタルを維持するだけの器官が残っている。

それでも彼は手を伸ばす。

届かない。

届かない。

届かない。

窓の外には、彼らの宇宙船が今にも飛び立たんと控えている。
だが、まるで時が止まったかのような静寂が続く中、風景に変化は無い。

「アラム……ッ!?」

刹那。

ヴィクターの両胸を、二本の槍が交差して貫いた。
ツェルベリウス。
振り向けば、ツェルベリウス02が柱にもたれ掛かり、直後、頭部から白色の人工血液を吐き出して倒れた。

「……ヴィクター……ッ」

二体のツェルベリウスはヴィクターを刺し貫いたまま、司令塔の死により再び事切れた。

「……私が……お前に……牽かれた、のは」

だがヴィクターはそれでもゲートへ向かう。

「息子が、生きていたなら……お前ほどの、年格好だろうか、という……単なる、センチメントだ」

二体のツェルベリウスを引き摺るまま。

「だから、嬉しいのだ……お前が、まだ、人間として……生きることを、捨てていないのが」

ヴィクターは歩みを止めない。

「……生きろ、ジェイク・ジェットソン」

ゲートを潜り、最期に振り返ったヴィクターを、青白い閃光が包んだ。



アラムの乗る宇宙船、アードラー・ワンを捕らえていたボーディングブリッジが、突然爆発した。
気密空間のエアが漏れだした為か、物理空間では突然の突風が発生し、バランスを崩したポート内では重力のベクトルが歪み天変地異の様相を成す。

【>アラムッ!】

無論アラムはこの機を逃さなかった。
ディーゼルの呼び掛け虚しく、アラムは即座にアードラーのエンジンを点火した。

【“我々”は】
【今を惰性で生きる人間には信じられぬであろうものを見てきた】

【ラグランジュ点で燃えた宇宙船や、ヴァルトブルム城門のオーロラ】

【そうした“想いで”も】
【やがて消える】

【時が来れば】

【雨の中の涙のように】


瞬く間にアラムが遠ざかる。

【願わくば】
【我々の行いが、正しき者の 】

【*AREA OVER/disconnected】

「アラム……ッ」

遠ざかる光に呼び掛けようとも、もう届かない。
ディーゼルは頭を振り、揺れるポート内を駆けた。



『お客様へ申し上げます』
『現在予期せぬ事由により、ポート内が大きく揺れております』
『大変危険ですので、揺れが収まるまで体勢を低くし、慌てず周囲の安全を……』

第三ゲートは発泡樹脂による急場凌ぎの応急処置で塞がれ、気密状態は保たれた。
危うくジェイクは吸い出されそうになったものの、一命を取り止める。
ufabulumが即座に偏重応力を制御しているようで、ポート内の揺れは収まりつつある。

「ジェイクッ!!」

ディーゼルは慌てて駆け寄りジェイクの安否を確認した。

「……生きてるよ、だいじょうぶ……」

「こんなんなっちまってよ……先生に見てもらおうな」

「ああ……」

小さくなってしまったジェイクの身体を、ディーゼルは幼子を抱くような慎重さで抱きかかえた。

「……いっちまったな」

「……ああ……でも、もう、どうしようもねえ」

フロアはまだ僅かに揺れている。
恐らくは軌道エレベータ全体が揺れているのだろう。
振動を殺し終えるまで、エレベータは稼働を停止せざるを得ない。

「……ディーゼル」

「ん?」

「ここさ、なんかその……雰囲気いいからさ」

軽口を叩くジェイクの口調には疲労の色が濃い。

「……聞かせてくれよ、プロポーズ」

「……やだね」

「えッ!?」

ディーゼルは歩み始める。
その先に、何かを訴えかけるように点滅するランプ。

「こんな世界のはしっこじゃあ、誰にも認めて貰えねぇからな」

「……は?」

ディーゼルは顔の横にスマイルマークを浮かべて言った。

「“世界の中心で愛を叫んだケモノ”ってな」



二人を載せた脱出挺は静かに大気圏へ突入。

大気摩擦で激しく振動する狭い船内で、二人は強く抱き合った。

いくつの“想いで”が巡っただろう。

いくつの後悔が、不安が巡っただろう。

だが二人は何一つ言葉を交わすことなく、ただ強く抱き締め合った。

この先何が変貌しようと、それは二人の決める事ではない。

ただ、その先を生きていくだけだ。

表面を焼きながら船は大きく赤道上を一周し、進化の環から孤立しながらも今だ確かに生き残る小さな島の岩礁付近に不時着した。

海水が外装を冷やすのを待ち、自動的に蓋が開くと同時に吹き込む磯臭い空気を一杯に吸い込んで、ディーゼルは立ち上がった。
頭上に輝く月の一点が、強く眩い光を放つ。

その時、地球上に生きる誰もかもが、

──今、この瞬間まで誰一人として気にも留めなかったにも関わらず、

月に生き、取り残された人々の無事を祈った。



【file//:6th_haven#07"it's_not_up_to_you".mnq>END OF LINE】
【case:reunion_camal.captured_ELVIS_incident>all file complete】
【>exit】


+ Do you want THE ELPIS...?
最終更新:2019年05月24日 20:01