情報保持についての1考察

今回は情報保持について少し考えてました。

ネットの話になるのですが、
なぜ人がブックマークをつけてお気に入り表示するのかというと、
ブックマークしているところを忘れずに、なおかつ簡単に跳びたいからです。

ブックマークの利点は2つ。
情報の保持、簡単な移動
これらの機能、役割はとても便利で魅力的です。


しかし、僕は毎日行くミクシーも、
よく使うグーグルマップもアマゾンも、
どれもブックマークには入れてません。
でも、たまに見るネット銀行やお勉強サイト、
そういったものはブックマークされていて、
ツールバーに常に表示されています。

ここで当たり前に感じる話ですが、
操作の手順を減らすという操作に対する身体的(操作的?)負荷より、
忘れる可能性への不安に対する心的負荷のほうを重用しすると思います。
忘れてしまうえば、たどり着くことさえ困難となりますしね。


さて、ここで僕は不思議に思います。
”忘れない、安心できる”と解ったら、
覚えていることも、ど忘れしたときのためにブックマークしておく、
また、もっと早く、楽に使いたいと思うのが普通だと思うのですが、
なんと僕みたいな人はわざわざ毎回毎回キーワード検索するのです。


不思議です。
操作が楽だと思っているのに、キーワードを毎回突っ込むのか?


1.癖になっていて習慣から抜け出せない
 (ブクマークをつけてもキーワード検索してしまう)
2.検索ワードを入力する操作の負荷<=ツールバーにある表示から押す負荷と感じてる
3.保持できる情報を自分のうちのとどめておきたいとする所有的な本能
4.自分主体の行動は自分でしたい


1.について、逆に言うとなぜブックマークから跳ぶという習慣がつきづらいのか?そこに疑問を感じます。ブックマークを活用しているユーザと、していない僕のようなユーザとではどこが違うのでしょうか?
(この場合の条件は、日常的によく使うものにブックマークをするかどうか。僕自身は覚えておきたいサイトにはたくさんブックマークを付けています。)


2.このアンバランスが取れているとき、僕みたいなユーザは情報を保持せずに、検索行動をするのかなと。


3.4.この2つじゃないかなぁとか僕は思ってます。
僕のようなユーザグループは主体性を優先に生きているのかなと。

自分の意図どおりにやりたいと思っている。
もしくは自分が一番うまくできると思っているので、
面倒でなければ、自分でできることは自分でしたい。

人に作業を頼むとき、
自分が主体となる事柄であればあるほど、
できれば自分でしたいと思いませんか?
自分でやるのに自信がなければ人に任せますが、
時間があるかぎりは自分でやりますよね?
(納得してもらえます・・・?)

検索行動は自分主体の行動なので、
不安がない限りは自分でわざわざ検索するほうを選ぶのかもしれません。


情報保持という話からなんかそれた気もしますが、
とりあえずの1考察、しかも自己考察でした。
(どうもすいません。)
最終更新:2009年06月15日 23:34