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羽根あり道化師
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約束 - (2009/08/17 (月) 14:37:26) の1つ前との変更点

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***約束 「ウソなんか吐かないよ。口を閉ざすことはあってもね」 彼女はよく、そう言ってほほ笑んだ。 柔らかな黒髪に、黒い瞳。優しい声は静かで穏やかで、すっと空気に馴染む。 今なら分かるよ。 僕がいかに愚かだったか。 君はいつも、微笑んでいた。 白いシーツに、白い壁。まっ白な部屋に押し込められて、腕に何本もの針を刺されていたのに。君はいつも、僕に微笑みかけてくれた。 「あたしね、もうすぐ死んじゃうんだって」 そう言った時だって、悲しい顔なんか少しも見せなかった。 君が教えてくれたその病名は初めて聞くもので、笑っている君の横で泣くことなんか出来る訳もなくて、僕はただ、君を抱きしめてこう言った。 「――僕は、君と一緒に居たいんだ」 何年も前から指輪を用意していた。だけど、君は元気になったらね、と言って受け取ってはくれなかった。結婚してすぐに死んじゃったら貴方が可哀そうだもの、と言って、決して受取ろうとはしなかった。医者に聞いた話によると、その病気はかなりの痛みを伴うもので、彼女のように静かで穏やかな人はいないらしい。 どれだけの痛みを呑み込んで、どれだけの苦しみを呑み込んで、彼女は生きているのだろう。そんなこと僕には想像することもできなくて、僕はいつも、ただ無言で彼女を見つめていた。 ある時、僕は彼女に言った。 「嘘でも良い。僕と共に生きると言ってくれ。約束して、お願いだから…」 ごめんね、と君は言った。 どこまでも優しく、静かに、穏やかに。 『約束』 君は、この言葉が嫌いだと言った。 こんなにも現実味のない言葉は他にないから、と。 そして、とても饒舌に語るのだ。 「――『約束』って言うのはね、自分を安心させる為にするものなんだよ。自分の世界は今と過去だけで構成されている訳じゃない、自分たちにはこれからの人生が、未来があるんだ、…ってね。言葉によって未来を確定させることで、その未来が確実にそこに存在するものなんだって思い込むために。皆、自分の未来は誰かと共有できて、確実に楽しいものになるって思いたいの。……だから、人はいつも誰かと『約束』をする」 彼女にとって、『約束』とはそういうものだった。 不確定な未来を確定させたいがために行う、空虚で愚かな行為。 未来がないと宣告された君にとって、『約束』とはそういうものだった。 君のいるこの空間みたいに、とても白くて、空虚なものだった。 「そもそも、未来を確定させようとするその行為自体が間違っているわ」 そう言って笑う君は、このまっ白な部屋に溶けてしまいそうなくらい白くて、澄んでいて、病的なほどに細い体は触れれば折れてしまいそうで、痛々しくて、だけど、とても綺麗で、僕は見るたびに泣きそうになった。 どうか、楽になって。 僕は一つ、『約束』をした。 『必ず、会いに行くからね』 そう言って、僕は眠っている彼女の腕に針を刺した。 ゆるりと、眠るように逝けるように。 彼女の腕にささる全ての針を抜き、体を拭き、長い髪を梳かした。 約束は、守らなければいけないよね。 呟いて、僕は自分の腹にナイフを突き立てた。痛みで意識が飛びそうになったけれど、僕は何度も何度もナイフを突き立てた。彼女の痛みを、苦しみを追うように、僕は自分の腹にナイフを刺した。 まっ白な病室は、紅く、血の匂いに穢れた。 薄れる意思気の中で、僕は静かにほほ笑んだ。 ――僕はね、君と共に居たかったんだ。 End ---- 約束ってこういうものだと思うの。 ----
***約束 今度の日曜は一緒にケーキを食べに行こうよ。 その次は遊園地に水族館。 クリスマスや誕生日には、ちょっとだけ高級なレストランに行こうね。 僕たちはいつも、たくさんの約束をした。 約束だよと指をからめ、見つめ合い、いつも二人で笑いあっていた。    † 「ウソなんか吐かないよ。口を閉ざすことはあってもね」 ある時から、君はそう言って笑うようになった。 そして、『約束』と言う言葉が何よりも嫌いだと、その表情のまま呟くようになった。 彼女は、とても美しい人だった。柔らかな黒髪に、黒い瞳。優しい声は静かで穏やかで、すっと空気に馴染む。鈴の音のように柔らかく軽やかな彼女の声は、何よりも心地良かった。 君はいつも、微笑んでいたね。 白いシーツに、白い壁。まっ白な部屋に押し込められて、腕に何本もの針を刺されていたのに。君はいつでも、僕に微笑みかけてくれた。 「あたしね、もうすぐ死んじゃうんだって」 そう言った時だって、君は扇のような睫毛を二、三度揺らしただけで、悲しい顔なんか少しも見せなかった。 君が教えてくれたその病名は初めて聞くものだった。 もう治らないんだって、などと言いながら、君はまるでコメディ映画でも見ているようにころころと笑っていた。 僕は、泣きたかったのに。 どうしてそうやって笑っていられるのと、泣いて喚いて叫びたかった。だけど笑っている君の横で泣くことなんか出来る訳もなくて、僕は以前よりも確実に小さくなった君を抱きしめて、こう言った。 「――僕は、君と一緒に居たいんだ」 何年も前から指輪を用意していた。だけど君は、元気になったらね、と言って受け取ってはくれなかった。結婚してすぐに死んじゃったら貴方が可哀そうだもの、と言って、指輪を僕に押し返した。決して受取ろうとはしなかった。 医者に聞いた話によると、その病気はかなりの痛みを伴うもので、彼女のように静かで穏やかに微笑んでいられる人はまずいないらしい。症例こそ少ないが、突き刺さるような痛みに涙を流し、呻き、嘔吐し、衰弱し、息絶えていくものがほとんどだと言う。 一体どれだけの痛みを呑み込んで、どれだけの苦しみを呑み込んで、彼女は生きているのだろう。そんなこと僕には想像することもできなくて、ただ無言のまま彼女を見つめていた。 ある時、僕は彼女に言った。 「嘘でも良い。僕と共に生きると言ってくれ。約束して、お願いだから…」 ごめんね、と君は言った。 どこまでも優しく、静かに、穏やかに。 『約束』 君は、この言葉が嫌いだと言った。 こんなにも現実味のない言葉は他にないから。何よりも嫌いな言葉だと、彼女は笑顔のままそう言った。 そして、とても饒舌に語るのだ。 「――『約束』って言うのはね、自分を安心させる為にするものなのよ。自分の世界は今と過去だけで構成されている訳じゃない、自分たちにはこれからの人生が、未来があるんだ、…ってね。言葉によって未来を確定させることで、その未来が確実にそこに存在するものなんだって思い込むために。皆、自分の未来は誰かと共有できて、確実に楽しいものになるって思いたいのよ。……だから、人はいつも誰かと『約束』をする」 彼女にとって、『約束』とはそういうものだった。 不確定な未来を確定させたいがために行う、空虚で愚かな行為。 未来がないと宣告された彼女にとって、『約束』とはそういうものでしかなかった。 この小さな病室みたいに真っ白で、空虚なものだった。 「そもそも、未来を確定させようとするその行為自体が間違っているわ」 そう言って笑う君は、このまっ白な部屋に溶けてしまいそうなくらい白くて、澄んでいて、細い体は触れれば折れてしまいそうで、痛々しかった。だけど、その姿はまるで妖精のようで、とても綺麗で、僕は見るたびに泣きそうになっていた。 ねぇどうか、楽になって。 僕は一つ、『約束』をした。 『必ず、会いに行くからね』 そう言って、僕は眠っている彼女の腕に注射針を刺した。 ゆるりと、眠るように逝けるように。 彼女の腕にささる全ての針を抜き、体を拭き、長い髪を梳かし、乾燥した唇に水を含ませ、口紅を塗った。そして、白くて細い指に銀色の指輪をはめた。やせ細った彼女の指には、その指輪は少し大きかった。 しばらくして、彼女の心音が止まった。ピー…、という無機質な機械音が病室に響き、彼女の死を僕に知らせる。 約束は、守らなければいけないよね。 僕は彼女の額に、頬に、唇に、首筋に、銀色の指輪に、ひとつずつ口付けをし、自分の腹にナイフを突き立てた。痛みで意識が飛びそうになったけれど、僕は何度も何度もナイフを突き立てた。 彼女の痛みを、苦しみを追うように。 痛みや苦しみを味わうように。 僕は繰り返し、自分の腹にナイフを突き刺した。 まっ白な病室は紅く、血の匂いに染まる。 血の臭いが濃くなる。 だんだんと視界がぼやけ、滲んでいく。 薄れていく意思気の中で、僕は静かに微笑んだ。 ――僕はね、君と一緒に居たかったんだ。 End ---- 約束ってこういうものだと思うの。 ----

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