2
ちらり。
ちらりと一つ、雪が落ちた。
雪が城壁に黒い染みを残し、消える。
雪が城壁に黒い染みを残し、消える。
ちらり、ちらり。
何かを弄ぶように冷たく、何処か、意地悪く。
雪はちらちらと空を舞う。
雪はちらちらと空を舞う。
「…え?」
王女の部屋に入った使用人は、小さく声を上げた。
…いつも通りの一日を迎えると、そう思っていた。先日、私はマリア様の付き人に任じられ、そのことに誇りを感じていた。マリア様はただの使用人でしかない私に気安く声を掛けてくださった。私は、マリア様を心から慕っていた。
初雪だ。
いつもより、少し早く降り出した雪。マリア様もきっとお喜びになるだろう。だから、今日も一日頑張ろう。…そう思っていたのに、マリア様を起こしに行くと、その部屋は蛻の殻だった。
残されているのは寝台に括りつけられた太いロープ。そしてそれを外に吐き出す、嘲笑うかのように開け放たれた窓。
置き手紙も何も無い。
本当に、ただそれだけだった。
ひらひらと、ビロードのカーテンが風になびく。冬の初めの冷たい風が私の頬を撫で、髪を弄ぶ。
終わったと、そう思った。
王女の部屋に入った使用人は、小さく声を上げた。
…いつも通りの一日を迎えると、そう思っていた。先日、私はマリア様の付き人に任じられ、そのことに誇りを感じていた。マリア様はただの使用人でしかない私に気安く声を掛けてくださった。私は、マリア様を心から慕っていた。
初雪だ。
いつもより、少し早く降り出した雪。マリア様もきっとお喜びになるだろう。だから、今日も一日頑張ろう。…そう思っていたのに、マリア様を起こしに行くと、その部屋は蛻の殻だった。
残されているのは寝台に括りつけられた太いロープ。そしてそれを外に吐き出す、嘲笑うかのように開け放たれた窓。
置き手紙も何も無い。
本当に、ただそれだけだった。
ひらひらと、ビロードのカーテンが風になびく。冬の初めの冷たい風が私の頬を撫で、髪を弄ぶ。
終わったと、そう思った。
その日のうちに会議が行われた。
マリア王女と、軍隊隊長の二人の失踪について。
駆け落ちだろうという結論にいたった。
マリア王女と、軍隊隊長の二人の失踪について。
駆け落ちだろうという結論にいたった。
『駆け落ち』
使い古された言葉だ。
こんなの、古典的な恋愛小説にしか使われない言葉だと思っていた。
なんてロマンチックなんだろうなんて話になるはずもなく、速やかに二人の捜索が開始された。
こんなの、古典的な恋愛小説にしか使われない言葉だと思っていた。
なんてロマンチックなんだろうなんて話になるはずもなく、速やかに二人の捜索が開始された。
――前国王の妃、ベアトリクス様の反対を押し切って。
・
その日の夜、私はベアトリクス様の部屋を訪ねた。
「ベアトリクス様、どうして二人の捜索に反対なさったんですか?」
ベアトリクス様はクスクスと楽しげに笑う。不思議なくらい、この国の王族の女性は気安い方が多い。
以前お茶を溢してしまった時、ベアトリクス様はいいのよと笑って、自ら床を拭いていた。私がやりますからと説得するのが大変だったほどだ。そういえば、ベアトリクス様は農民の出だと聞いたことがある。その所為だろうか。
「そんなに怒らないでちょうだい、エミリア。眉間の皺は癖になるわよ?」
「茶化さないで下さい」
つんと眉間を突付かれ、私は更に不機嫌な表情をする。
カチャリ、と小さな音を立ててベアトリクス様は窓を開いた。ふんわりと、静かな風がカーテンを揺らす。
…ぞっとした。
外からの音が一切無いのだ。
風はある。
けれど、葉擦れの音も動物の鳴き声も何もない。本来あるはずの音が、何一つ聞こえてこないのだ。
何だか不気味で、ぞっとした。
「ベアトリクス様、答えてください」
「ほら、あの子には母親が居ないでしょう?…マリアがまだ幼い頃に、死んでしまったから。
私ね、マリアには誰よりも、どんな人よりも幸せになって欲しいのよ。…ううん、幸せになる権利があると思うの。あのままじゃ、可哀そうじゃない」
あれじゃまるで“お人形”だわ、とベアトリクス様は笑った。お人形のように大切にされているのなら良いではないか、と私は思う。
「あの子達の幸せを願うなら追ってはいけない。だから、反対した。それだけよ」
これが、ベアトリクス様の答えだった。
どこか違和感がする言葉。
なんだか噛み合っていないような気がする。
おそらく、私は変な顔をしていたのだろう。訳が分からない、とでも言うような。ベアトリクス様は、まるで小さな子供にするように私の頭をくしゃくしゃと撫で回した。そして全てを見透かしているような、どこか意味ありげな表情をする。
…本当に、不思議な方だ。
「大丈夫よ。彼も、マリアに手は出さないはずだから。…だって、彼は知っているんだもの」
何を、とは聞けない。
聞いてはいけない。
そんな空気。
その空気に圧されて、私はベアトリクス様の金色の瞳を見つめた。…マリア様と同じ色の瞳。
ベアトリクス様はまたにこりとして、窓の外を眺めた。長い黒髪が、風にふんわりと揺れる。
「彼だって愛しい人を…、心から惚れた人を罪人の妻にしようとはしないはずよ。愛しい人に自分の罪を背負わせることなんかできないもの。…たとえマリアが、それをどんなに強く望んだとしてもね」
「…ベアトリクス、様?」
少し寂しげに、そして、少し悲しげにベアトリクス様は窓から顔を出して、白い息を吐き出した。
「…何も知らないのは、あの子だけ」
そう言って、空を仰ぎ見るベアトリクス様はとても綺麗で、そして可憐に見えた。もう既に還暦を超えているとは思えないほど、美しい。
…そう言えば、
「ベアトリクス様、どうして二人の捜索に反対なさったんですか?」
ベアトリクス様はクスクスと楽しげに笑う。不思議なくらい、この国の王族の女性は気安い方が多い。
以前お茶を溢してしまった時、ベアトリクス様はいいのよと笑って、自ら床を拭いていた。私がやりますからと説得するのが大変だったほどだ。そういえば、ベアトリクス様は農民の出だと聞いたことがある。その所為だろうか。
「そんなに怒らないでちょうだい、エミリア。眉間の皺は癖になるわよ?」
「茶化さないで下さい」
つんと眉間を突付かれ、私は更に不機嫌な表情をする。
カチャリ、と小さな音を立ててベアトリクス様は窓を開いた。ふんわりと、静かな風がカーテンを揺らす。
…ぞっとした。
外からの音が一切無いのだ。
風はある。
けれど、葉擦れの音も動物の鳴き声も何もない。本来あるはずの音が、何一つ聞こえてこないのだ。
何だか不気味で、ぞっとした。
「ベアトリクス様、答えてください」
「ほら、あの子には母親が居ないでしょう?…マリアがまだ幼い頃に、死んでしまったから。
私ね、マリアには誰よりも、どんな人よりも幸せになって欲しいのよ。…ううん、幸せになる権利があると思うの。あのままじゃ、可哀そうじゃない」
あれじゃまるで“お人形”だわ、とベアトリクス様は笑った。お人形のように大切にされているのなら良いではないか、と私は思う。
「あの子達の幸せを願うなら追ってはいけない。だから、反対した。それだけよ」
これが、ベアトリクス様の答えだった。
どこか違和感がする言葉。
なんだか噛み合っていないような気がする。
おそらく、私は変な顔をしていたのだろう。訳が分からない、とでも言うような。ベアトリクス様は、まるで小さな子供にするように私の頭をくしゃくしゃと撫で回した。そして全てを見透かしているような、どこか意味ありげな表情をする。
…本当に、不思議な方だ。
「大丈夫よ。彼も、マリアに手は出さないはずだから。…だって、彼は知っているんだもの」
何を、とは聞けない。
聞いてはいけない。
そんな空気。
その空気に圧されて、私はベアトリクス様の金色の瞳を見つめた。…マリア様と同じ色の瞳。
ベアトリクス様はまたにこりとして、窓の外を眺めた。長い黒髪が、風にふんわりと揺れる。
「彼だって愛しい人を…、心から惚れた人を罪人の妻にしようとはしないはずよ。愛しい人に自分の罪を背負わせることなんかできないもの。…たとえマリアが、それをどんなに強く望んだとしてもね」
「…ベアトリクス、様?」
少し寂しげに、そして、少し悲しげにベアトリクス様は窓から顔を出して、白い息を吐き出した。
「…何も知らないのは、あの子だけ」
そう言って、空を仰ぎ見るベアトリクス様はとても綺麗で、そして可憐に見えた。もう既に還暦を超えているとは思えないほど、美しい。
…そう言えば、
軍隊隊長も綺麗な金色の瞳をしていた気がする。
ベアトリクス様の横顔に、私はぼんやりとそんなことを思っていた。
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